「メイドさん」歴史と文化、19世紀イギリスの女使用人たちと女主人の話。

Maid

メイドの意味。乙女か、女使用人か

 『メイド(maid) 』という言葉には「乙女」、あるいは「女性の使用人」という意味がある。
単に、性別に関係なく使用人を指す言葉には『サーヴァント(servant)』がある。

 現在、メイドといえば思い浮かぶようなメイド服は、イギリスの女性使用人の制服である。

 使用人制度がしっかりと確立され、典型的なイメージの使用人が多くいた18世紀、19世紀の時代。
特に使用人を雇うような貴族の間では、男は外で仕事をするもの、女は家で養われているもの、というような考えが支配的にあった。
そういうわけで、屋敷を管理する使用人の管理は、基本的には女主人の役割と考えられていた。
 ただ全く家事のできない女主人が、家事を行う使用人たちの監督をまともにできないパターンは少なくなかったとされる。

実在したメイド。歴史ごとの変化

中世イギリスの奴隷みたいな使用人たち

 中世のイギリスでは、使用人といっても、貴族出身の者がけっこう多かったようである。
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貴族の子は、正式な仕事としてというより、礼儀作法を身につけるための社会勉強の一環として、同じくらいの身分の貴族の家で働いたりした。

 一方で、普通に使用人として働く、低い身分の人達ももちろんいた。
そういう人達にとって、貴族の家というのは、 最も安定した職場の一つだった。
ただし、低い身分の使用人たちには、人権というものがまともに存在しなかったされている。
虐待まがいのことをされても、理不尽な要求を突きつけられても、法律が守ってくれることはなかった。
 給料がもらえないということも、よくあったようだが、それでも最低限の衣食住が保証されているというだけで、使用人になりたがる者は多かったという。
 また仕事は家事というよりも、畑仕事などを主人の代わりに行う事も多かった。

 16世紀くらいからは、社会勉強貴族の使用人はだんだんと数を減らしていく。
 また、女性の使用人が数を増やし、メイド(女中じょちゅう)という言葉が一般的になっていった。

中流階級の台頭。独立戦争の影響

 18世紀は、イギリスにおける使用人という制度の大きな転換期だった。
中流階級(成功した商人や、医者などの専門的職業の人達)が力をつけ、使用人を雇う者がかなり増えた。
それまでは実質的な奴隷のようだった使用人に対する扱いも、ずいぶんと変化したが、不真面目な使用人に苦労させられる主人も結構いたとされる。
 そして1777年。
アメリカの独立戦争の影響を受け、男性使用人の保有が課税対象となってしまう。
その後すぐに、女性使用人も課税の対象になったが、多くの人の反発を受け、それはすぐに撤廃される。
 だが、男性使用人に関する課税が残ったために、使用人という仕事がだんだんと女性のものになっていく。

メイド服の登場。女性のための女性使用人

 産業革命の真っ只中で始まった19世紀のイギリス。
使用人を雇用する層はさらに拡大を続け、使用人の仕事は基本的に家事奉公となり、基本的に女性(メイド)の仕事となった。
 典型的なメイド服が登場したのも19世紀とされている。

 制服(メイド服)が必要になったのは、かつてほど裕福でない人でも、使用人を雇うようになったので、使用人と雇用主との区別を明確にわかりやすくするために、制服が誕生したと考えられている。
 制服のデザインの成立については、諸説あって、かなりはっきりしていない。

 また、使用人の数が最大数だったのはこの時期と考えられている。
一方で、雇用主と使用人との社会的地位の接近のために、明確な線引きを引きたがる雇用主も数を増やした。
結果、虐げられる使用人も、また増えていったとされる。

 女性使用人が増えた背景には、貴族の理想の女性感もある。
上流階級の女性は、社交場での付き合いこそが人生の目的であり、家にいるときは、優雅と呼ぶような、だらけた生活を送るというのが理想とされていたのだ。
だから、面倒な家事仕事を代わりにやってくれる人達の存在が必要不可欠だった。
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メイド、使用人文化の衰退

 19世紀に最盛期さいせいきを迎えたものの、20世紀になる頃には、使用人の数は激減していた。
 原因は明らかで、看護師や店員や工場労働者といった、女性が就くことのできる職業が増えたために、社会的地位が下のものと見られていた使用人になりたがる女性が数を減らしたのだ。
使用人を雇用する層は、 労働条件を緩和するのはもちろん、訓練学校を設立したり、外国人を雇ったりもしたが、時代の流れには逆らえなかった。

 そしてニ度の世界対戦が終わる頃には、貴族という身分自体が没落してしまっていて、使用人を雇うのはごく一部の層に限られることになった。

メイドを雇うのにどうしたか

 使用人を雇いたい場合に、 典型的な手段とされていたのが新聞広告だった。
広告には、雇用側からの使用人募集の広告と、労働者側からの使用人希望の広告があった。
ただしこの方法は、お互いの情報を事前にあまり得られないという欠点があった。

 モップ・フェアと呼ばれた、 様々な希望職業の目印を持った人たちが集まって開催される、人間市場的なものもあった。

 他に、すでに働いている使用人や、職業訓練学校、職業紹介所からの紹介などもよくあった。
使用人からの紹介は身元がはっきりしてる人が多く、訓練学校からは 正式な家事仕事の訓練を受けた エキスパートがくる。
しかし、職業紹介所からは経歴のはっきりしない者などが紹介されることも多かったようである。

 (19世紀の頃くらいまで、労働者を働かせる意欲に使うために存在していたようなくらい劣悪な環境だった)救貧院きゅうひんいんからの 紹介もあったようだが職業紹介所以上に、やばそうな者が多かったとされる。

 基本的には正式に雇われる前に面接があり、すでに働いている使用人が面接官となった。
ただし、主人に直接的に仕える従者(ヴァレット)や小間使い(レディースメイド)、生活に密接する料理人(コック)などは、 主人が直々に面接することもあったようだ。

雇用主と使用人の関係

 かつて雇用主と使用人は、契約上の関係で結ばれた存在というだけでなく、別の世界の人間とされていた。

 使用人は、 重要なメッセージでもない限りは、自分から雇用主に話しかけることはできず、話しかけられた場合の返事も、なるべく手短なものが求められた。
 目を合わせるのも失礼なことだし、そもそも顔を見られること自体嫌われたら、廊下ですれ違う場合、使用人は即座に壁の方を向いたという。
 触れるのも汚らわしいので、主人が落とした物を使用人が拾う場合、直接手渡しせずに、わざわざトレイにのせたりして渡した。

 基本的に雇用主に対して、使用人は劣った存在とされてたが、幼い頃から面倒を見る『乳母うば(ナニー)』などは、雇用主との間に強い信頼関係が発生することも多かったようだ。
 他に、親世代からの古株の使用人は、若い主人に頼りにされたりした。
新人の若い使用人が、年老いた主人に、実の子供のように可愛がられる事もあったとされる。

メイドの種類

 だいたい、女使用人の仕事は、家政部門、料理部門、育児部門、洗濯部門、 それに独立的な小間使いの四種に分類できた。
ただ、少し裕福なだけの家庭などでは、いろいろな仕事をこなす使用人、『メイドオブオールワークス(雑役女中ざつえきじょちゅう)』をひとりだけ雇うこともよくあったという。

ハウスキーパー、パーラー、オールワークス

 基本的に、女性使用人達のリーダー的存在だったのは、『ハウスキーパー(家政婦)』であり、大きな権限を持っていた。
 『ハウスメイド(家女中)』、『パーラーメイド(客間女中)』など、家政部門の使用人たちは、家政婦の管轄だった。

 ハウスキーパーは、たいていそこそこの年齢で、調理や医療などに関してある程度の教養があり、結婚してようがしてまいが、普通は「ミセス〜」と呼ばれた。
 個室を与えられ、権威の象徴ともされた、屋敷の部屋の鍵束を持っていた。
家柄のよい者も多く、雇用主の血縁であることもあった。
また、下の地位の女性使用人達の、雇用と解雇の権限も持っている場合も多く、恐れられる対象でもあったようである。
 無知な主人に慈善事業をやらせるなどして、大衆人気をコントロールしたりすることもあったという。
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 ハウスメイドの仕事は、主人の部屋に物を届けたり、生活用品のチェックをしたり、家を掃除したりなど、ようするに、キッチンや子供部屋などの専門的な領域以外に関する全般。
 パーラーメイドは、接客が主な仕事なので、容姿がかなり重視された。

コック。キッチン、スカラリーメイド

 ハウスキーパーに次ぐ地位とされていたのが『コック(料理人)』で、 キッチン周りの事に関しては、ハウスキーパー以上の権限を有していた。
 『キッチンメイド(台所女中)』、『スカラリーメイド(洗い場女中)』などは、コックの下にいた。

 裕福な家庭でしか雇えないような、本職の、優れたコックは、 料理においては絶対的な権限を持ち、女主人でも口をはさむのを許されない場合が多かった。
 当然といえば当然だが、採用試験において、コックは特に実技を重視された。

 料理部門は、子供の料理に関して子供部門から抗議されるなど、他の部門と対立することが多かったようである。

レディースメイド

 女主人に直接的に支えている『レディースメイド(従者。小間使い)』もまた、独自の権限を持っていることが多かった。

 レディースメイドの仕事は、女主人の身づくろいを整えたり、個人的な物品を管理したりするというもの。
 服装は、他の使用人が着るような制服ではなく、女主人のおさがりの場合もあった。

 特に、使用人にしては身分の高い者が多く、女主人共々に、よくものをわかっていないパターンも多かったから、他の使用人たちから嫌われたりもした。

ガヴァネス。ナニー。ナースメイド

 子供部屋で働く、『ガヴァネス(女家庭教師)』や、『ナニー(乳母)』、乳母を手伝う『ナースメイド(子守女中)』らの育児部門は、他の家政部門や料理部門に比べると、かなり独立感があったようである。

 ガヴァネスは、若い者が好まれたようだが、家の者と恋愛関係になることはまずいと考えられていたので、美人ほど嫌われた。

 ナニーは、幼い子供達にとって、母親よりも顔を合わせることの多い、母親以上に身近な存在であることが多かった。
だから大人になってからも、ナニーだった人に頭の上がらない主人も、結構いたそうだ。

 ナースメイドは、ナニーの手伝いだが、まだ少女の年齢の者が多く、多くの子供にとっては、遊んでくれるお姉さん的な存在だったとされる。

ランドリーメイド

 屋敷からも切り離された、ランドリー(洗濯場)が職場だった、『ランドリーメイド(洗濯女中)』たちは、 小間使いや子供部屋の人たちよりも、さらに独立的な存在だった。

 ランドリーメイドは、かなりごく一部の家でしか雇われていなかったようである。
主人や使用人たちの使う衣類や、シーツや、布など、様々なものを、それぞれに合わせた洗濯で綺麗にした。

 かなり過酷な労働だったとされているが、屋敷から明確に切り離された職場という環境は、使用人たちにとって、精神的には楽だったとされる。
ただ、あまりにも隔絶されすぎていて、洗濯場がいかがわしい目的で使用されることもあった。

 洗濯機なんてものがなかった時代。
ランドリーメイドは、専門知識を多く必要としたので、その仕事に誇りを持っている者も多かったという。

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