「グノーシス主義」不完全なソフィアの神と物質世界。異端の古代と近代

キリスト教グノーシス、非キリスト教的グノーシス

 グノーシスという言葉は元々、「知識(knowledge)」とか「認識(recognition)」を意味する古代ギリシア語の普通名詩である。
「グノーシス主義(Gnosticism)」というのは、 初期の頃のキリスト教の一派であり、「異端思想(Heretical thought)」ともされた。

 現在グノーシス主義とは、キリスト教の一派という意味でなく、もっと単独の思想として定義付けられることも多い。
そこで「キリスト教グノーシス(Christianity gnosticism)」という言い方もけっこう今は一般的。

 ただ歴史的にかなり古くから、非キリスト教的グノーシスもあったようで、その実際の起源はさらに古いのではないかとも考えられている。

至高神の知識の探求

 実際グノーシスとは何か、あるいは何だったというのか。
それはグノーシス(認識)の名の通り、まず第一に真実を知ることを最重要視する思想であるとされる。

 真実とは、何の真実であるか。
一般的にはこの世界の真実であるとされる。

 キリスト教のグノーシスは、至高なる神キリストと、創造神であるユダヤの神(旧約聖書の神)を明確に区別したという説がある。
大胆な解釈として、創造神が作った最初の世界(この世界)は低質なものであり、捨てることが推奨すいしょうされるというのもある。
人間というのも、ほぼ全ては創造神の産物であるが、至高神に由来する要素が少しはある。
そしてそこを出入り口として至高に接近、あるいはそこに到達することもできる。
少なくとも到達できると考えて、それを目指そうというのがグノーシス主義なのだともされるわけだ。

本質的自己の救済

 人間の至高神的要素は、『本質的自己(Essential self)』と言われる。
キリスト教における「救済(Salvation)」というのは、本来その本質的自己がこの低質な世界から解き放たれ、至高神の元に至ることらしい。

 本質的な知識を探るという点においては、キリスト教においてだろうが、そうでなかろうがあまり変わらない。
グノーシス主義とは、そのような隠された叡知を探る行いである。
そしてそういう思想は、あらゆる場所で見られる。

 グノーシス主義を、キリスト教と離し、より広範囲な意味で見る時、 その思想は人間社会にかなり広がっている。

 そして、おそらくは様々な魔術は、グノーシス主義的である。
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イエス・キリストの導き

 グノーシス主義に共通していたことは、目に見える世界を軽視したことである。
それはこの世界を作った創造神を軽視することでもある。
グノーシス主義が基本的に異端とされていたのはそのためだ。
正統派のキリスト教徒にとっては、この世界は素晴らしいものなのだ。

 人間は今この世界に幽閉される形となっているようだが、これはいったい何を意味しているのだろうか。
創造神は人間をこの世界に閉じ込めてしまったのだろうか。
あるいはそうかもしれない。

 ただ少なくとも、イエス・キリストは人間の味方らしい。
人間も、目に見えない、あるいは外側の上位世界に行くことができる。
だからこそ彼は、人々をその領域へと導くための救済者として、この世界に現れた。

 また、創世紀の話に出てくる、人間が知恵を持つように仕組んだ蛇も、救いの主とされることが多い。

二元論という発想

 創造神と至高神は別の神であろうか。
グノーシス主義のさらに細かい派閥の中には、そう解釈した者たちもいたようだ。
そうでなくても、完全なる一神教の世界観では説明しにくいその世界観をどうにかするために、二元主義的な考えにグノーシスは傾いていったとされる。

 つまりこの世界のものにはすべて対立する二つの要素が必ずあり、世界自体、さらにはこの世界自体を作った神様自身もそうなのである。
よき神様のよき世界と、悪い神様の悪い世界がある。
そしてこの物質の世界とは悪い世界なのだ。
だからこの世界には恐ろしい欲望や不幸がいくつもあるというわけである。

 グノーシス主義の二元論の起源は、より古い時代のペルシア(イラン)で興ったゾロアスター教とするのが一般的。

プレロマ。神。精神世界

 多くのグノーシス主義において、最も初めの、いわば原初の宇宙はまさしく理想的な素晴らしい世界「プレロマ(Pleroma)」だったとされる。

 プレロマという言葉は一般的に神の力全てを指す。
しかしグノーシス主義においては、この言葉はかなり多彩な解釈をされがちらしい。

 例えばプレロマは単に神の完全性を意味することもあれば、おそらくは全ての物事の中心にある神それ自身の力のみを意味する場合もある。
この外側の不完全な宇宙に流れ出してきたプレロマが精神世界なのだという説もある。
精神世界ではどんなことも思い通りにできるが、これが本来の世界で、何もかも思い通りにならない現実世界の方が偽りだというような解釈もできよう。

 とにかく、この世界に存在する様々な理不尽が、全てはなからこの世界が悪いものだから、と考えるのがグノーシス主義なのである。

デミウルゴス、アイオーン、ソフィア

 この悪い世界を作った悪い神様は、通常、ヤルダバオート(Jaldabaoth) 、あるいはデミウルゴス(Demiurge)と呼ばれる。

 逆に真なるよき神はアイオーン(aeon)と呼ばれるらしい。
アイオーンはプレロマにあり、複数いるか、あるいは複数の要素を持っていて、その内の「ソフィア(Sophia。叡智)」が暴走した結果がデミウルゴスなのだという説もある。

 この邪悪とされる神が、本当に邪悪かどうかも含めて、どのような存在なのかも諸説ある。
よく言われるのが、この神は自惚れているということ。
旧約聖書では、神は唯一であることがよく語られるが、それはこの物質世界の創造主のうぬぼれた勘違いなのだという。
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 他にこの神や世界は、そんな世界においても、正しき心を失わないでいられる良き人間を選別する、あるいは作り出すための小道具だとする説もある。

かなりの禁欲主義

 禁欲主義的なことも、どのグノーシスにもたいてい共通する特徴である。
この事に関して、東洋の仏教やヒンドゥー教の影響を推測する者もいる。
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 道徳的に悪いことというのは、基本的には人間の抑えられない欲望からだ。
悪い世界というのは、欲望にまみれた世界とも言える。
だからグノーシス主義に属するものが禁欲主義に走るのは、別におかしいことではないだろう。
そういうものに従うことは悪なのだ。

 しかし、仮に精神世界というのが本当の世界だとするなら、良き世界というのは欲望がないというわけではなく、どんな欲望も無限に叶うような世界と言えるかもしれない。
つまり悪い世界というのは、欲望を満たそうとすると誰かが傷ついてしまう。
そんな世界か。

ナグ・ハマディ写本。グノーシスの最重要資料

 実は20世紀まで、(初期の)グノーシス主義に関する歴史資料は、エイレナイオス(130~202)やヒッポリュトス(170~235)のような正統派のキリスト教の者が、異端のそれとして記述したものしかなかった。
しかし1945年に、エジプトのナグハマディという村で『ナグ・ハマディ写本(The Nag Hammadi Codices)』というのが発見され、この異端宗教に関する研究は一気に進んだとされる。

 その文書はコプト語(イスラム制服以前のエジプトで使われていた言語)で書かれた、初期のキリスト教とグノーシス派のテキストのコレクション。
おそらく書かれたのは3世紀か4世紀ぐらいで、異端でありながらまだまだ大きな勢力を誇っていたろうグノーシスについて、非常に重要な資料とされている。

グノーシスは本当に異端だったか

 グノーシス主義に関する研究が進むと、そもそも正統派のキリスト教(カトリック)というものに対する考えも変化を余儀なくされてきたらしい。

 キリストが大きな影響力を持ち、そして処刑されたのはエルサレム。
キリスト教思想はそこから周囲の地域に伝搬でんぱんし、様々な解釈がされるようになっていった。

 つまり初期のキリスト教は多様で、 正統派というより有力な派閥がいくつかあるというような状況だった。
後のカトリックに繋がる勢力は、おそらく本来はそのような有力な派閥の一つにすぎなかった。
そして同じように有力だった派閥の一つがグノーシス主義というわけだ。

 カトリックが正統派となったのは、ローマ帝国が衰退し、グノーシス主義がその影響力を失った4世紀くらいと考えられている。
グノーシスは正統派の座を賭けた戦いの最後の敵だったのかもしれない。

トマスの福音書

 聖典とされるものもいくつもあったが、カトリックが採用したものが新約聖書となった。
そういうわけだからおそらく、最初の創造主を悪とするグノーシス主義の聖典テキストがあった可能性もある。

 実際、それもどこまで原型に近いのかわからないが、ナグ・ハマディ写本には、正統派においては、キリストの弟子の中でもあまり目立たない方とされているトマスによる福音書もあった。

 その内容は物語が書かれたものではなく、イエス・キリストの語録的で、 新約聖書でもイエスが語りまくっているような様々なセリフがひたすらに収録されているというもの。

 トマスが正統派で目立たなくなったのは、彼を重要視するグノーシス主義に対しての反抗であるのか、あるいはグノーシス主義側の正統派に対する反抗であるのかは謎だが、どちらかだろうとされる。

マグダラのマリアとシオン修道会

 グノーシスに関するいくつかの文書において、(正統派においてもキリストの初期からの信者とされる)マグダラのマリアは、 キリストの真の(つまり至高神としての)教えを最も深く理解した人物とされているという。
そういうわけで彼女は、グノーシス主義の教えにおいては重要視される場合が多い。

 そしてまた、マグダラのマリアを厚く信仰の対象としているらしい秘密結社シオン修道会が守っているキリスト教に関するとんでもない秘密とは、「実はグノーシス主義こそが正統派の教えだった」というものなのではないか、という説もある。
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となると当然のことながら、テンプル騎士団がエルサレムで見つけてしまった秘密というのも、この事だったのではないかと推測されることがある。

ヴァレンティノス、バシレイデース、マルキオン。初期の人たち

 グノーシス主義を説いた、有力な人たちとしては、 いずれも2世紀頃の人物らしいバシレイデース(85~145)、ウァレンティノス(100~160?)、マルキオン(100~160?)などが知られている。
彼らのいずれも基本的には、 重要なのはグノーシス(真の知識)であり、真に崇拝すべき神は別の世界にいることを説いたとされる。

 バシレイデースとウァレンティノスはアレクサンドリア(エジプト)、マルキオンはシノペ(トルコ)で活躍したとされる。

 ヴァレンティノスに関しては、プトレマイオス、ヘラクレイオン、マルコス、テオドトスといった弟子たちもけっこう有名である。

 ヴァレンティノスのグノーシスは二元論でなかったという説もある。
この世界は悪い世界というより、不完全な世界というふうに考えていたという。

 ヴァレンティノスの弟子であるプトレマイオス(同じくらいの時代の有名な天文学者とは全くの別人)に関しては、フローラという人に書いた手紙がそのまま残っているという。
そこからは、少なくとも彼自身は、自分のことを真のキリスト教徒と認識していたことと、高い知性と教養を備えていたらしいことが読み取れるらしい。

 バシレイデースに関しては特に謎が多いが、同じくグノーシス主義とされるヴァレンティノスとは、やや対立していたとされる。
しかしグノーシスの中において、その考えはヴァレンティノスに近かった。

 マルキオンは、「正典(Canon)」、つまり公式に信じられるべき文書という概念を提唱した最初の人物ともされる。

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