「釈迦の生涯」実在したブッダ、仏教の教えの歴史の始まり

釈迦の宮殿

ネパール、ルンビニーのアショーカ王の碑文。釈迦生誕の地

 紀元前3世紀頃のインドの王、アショーカが石柱などに刻ませた「アショーカ王碑文(プラークリット)」は、 古代インド世界の歴史を知る上で貴重な文字資料となっている。

 そんなアショーカ王の碑文のひとつが、インドとの国境から8kmくらいの、ネパールの一農村、ルンビニーにて、1896年に見つかった。

 「慈しみ深い御は、即位より20年後、釈迦牟尼(しゃかむに)の生誕の地を訪れ、尊い供養を捧げる。石柵を作り、石柱を建て、偉大な功績を称えよう」

 アショーカ王の時代にそれが本当に知られてたとするならばだが、釈迦誕生の地は、そうして明らかになったのだった。

釈尊、仏陀、釈迦牟尼とは何か。違いと本来の意味

 釈尊(しゃくそん)、仏陀(ぶっだ)などと呼ばれる人物の、元々の名前といえば、ゴータマ・シッダールタ(釈迦)である。
ゴータマが姓、シッダールタが名である。
 シャーキムニ(釈迦牟尼)は、バラモン(僧)の苦行者であった時の呼び名。
修行を終えた、悟りを開いてからの呼び名が、シャーキャムニ・ブッダ(釈尊)である。

 また、仏陀とは、 本来は「目覚めた人」とか、「悟った人」とかを指す尊称のことだが、実際には特定の人物を指して言われることが多い。
 釈迦とは限らない。
例えば、仏教において外道とされている、ジャイナ教の教祖、ニガンダ・ナータプッタも、信者からは仏陀と呼ばれている。

伝説はどこまで真実か

 古い時代の、特に釈迦のような宗教の開祖とされる人物の伝記には、たとえそれが多くの人に真実と信じられていることであったとしても、実際には誇張された話であったり、全くの嘘偽りだったりすることも多い。

 ただし現実にはなかった話だとしても、それらはただ適当に作られたものでなく、何らかの意味があるのは間違いない。
 例えば、釈迦は、マーヤーの右脇からおなかに入り、さらにそこから生まれたという伝説がある
この伝説は古い記録には見られないようで、おそらくは後世の創作だと考えられるのだが、なぜ右脇かというと、インドでは、右半身を清浄だとする伝統的観念があるのである。

ブッダの父と母

シュッドーダナとマーヤー。夢のお告げ

 ヒマラヤの南の麓にあった都、カピラヴァストウ。
豊かなその国を治めていたのは、ゴータマ家のシュッドーダナ(浄飯王(じょうばんのう))。
その美しい妃の名はマーヤー(摩耶夫人(まやふじん))であった。

 マーヤーはある日、不思議な夢を見た。
遥か天から、6本の金色の牙を持つ、純白のゾウが下りてきて、彼女の右脇からおなかの中に入ってきた。
水浴びする像「象」草原のアフリカゾウ、森のアジアゾウ。最大級の動物 それから、無限を思わせる光の中で、彼女はとても素晴らしい気持ちになれたのだという。

 それを何かのお告げと考えた王は、高名なバラモン達に占わせてみた。
するとやはり、王妃は、天の定めを抱いた、偉大な王子を身ごもったということが、明らかになったのだった。
ジャータカ「ジャータカ物語集」動物王、人間王、仏陀の前世の物語

次々と起きた奇跡

 王妃がその身に、偉大な王子の命を宿してからの事。
かの国には、次々と、奇跡としか思えない出来事が、連続して起きた。

 種も植えてないのに、美しい蓮華の花があちこちに咲き乱れ、演奏家もいないのに、心地よい音楽がどこでも流れた。
乾燥機の暑い時期にも、川の水は干上がらず、過ごしやすい日々が続く。
密かに都を狙っていた、ある国の軍隊は、急にイナゴの大群に襲われて、戦う前から逃げ出した。

 また、 狩猟が好きだったシュッドーダナだが、その趣味を止めざるをえなかった。
生きとし生けるものあらゆる動物達が、自分達から親しみを持って近づいてきたせいだ。
彼は、妻に告げた。
「マーヤーよ。狩猟というのは、逃げる獲物を追いかけるからこそ成り立つものなのだ。ところが、あろうことか、どんな動物であっても、今や温かい目で私の足元に自ら寄ってくる。そんな動物達に矢など放てる訳がない」

満月祭の生誕。天上天下唯我独尊

 マーヤーが身ごもってから月日も過ぎた、年に一度の「ヴェーサーカー(満月祭)の日」。
マーヤーはルンビニーで、体を休めていた。

 その日の早朝。
東の空が、かすかに明るく光ったかと思えば、天から地に、一条の光が降った。

 出産は突然であり、産道でなく右側から。
苦痛はまったくなかった。
 生まれてきた、玉のようなその王子は、黄金に輝き、芳しい香りに包まれ、何一つ汚れなき美しい姿だった。

 彼は、誕生後すぐに、7歩歩き、右手を上に、左手を下に向けて、堂々と宣言した。
「天上天下唯我独尊(てんじょうてんげゆいがどくそん)なり」

 シュッドーダナは、その素晴らしい息子に、シッダールタと名を付けた。

仏か、転輪聖王か

アシタ仙人の予言

 幼いシッダールタを見たバラモン達は、誰もが一目見ただけで絶賛を与えた。
「彼はまさしく仏の相を全て得ている。将来、彼は間違いなく、世界を統率する転輪聖王(てんりんじょうおう)になるか、あるいは偉大な悟りを得るだろう」

 偉大な予感を得て、普段は山に住んでいる、高名なアシタ仙人も、その姿を見せた。
彼もまた、王子の姿を一目見て、合掌しひざまずいた。
だが彼はまもなく、暗い顔になり、涙さえ流した。
 「何か悪い事が?」と不安になったシュッドーダナに、仙人は言った。
「いえ、何一つ不安なことなどはないです。この王子は、3000年に一度咲く花の如く、稀に見る偉大な宝でありましょう。人々に偉大なを教えを説かれる仏となります。私が涙したのは、このお方がそうなるよりも前に、私の寿命が尽きてしまうからです」

なぜ我々は死ぬのか。死なねばならぬのか

 よい事ばかりではなかった。
シッダールタを出産してから、 わずか7日後に、王妃マーヤーは、亡くなってしまったのである。

 王子の方は、健やかに育ったものの、母の死の影は、常に彼に付きまとっていた。
 季節ごとに棲み分けていた3つの豪華な宮殿で、豪勢な暮らしをしながら、彼は物静かな少年で、沈みがちな性格であった。

 そして、父とともに濃紺祭に参列した時。 
この世界にはどこにでもあるような些細なあることが、彼に大きな衝撃を与えた。
小さな虫が小鳥に襲われ、食べられたが、しかしその後すぐに、その小鳥も、さらに大きな鳥に襲われ、食べられてしまったのである。

 シッダールタは、思案するようになった。
「命というものの、なんと儚くも短いものか。なぜ生き物は死ぬのだろうか、死なねばならぬのだろうか?」

ヤショダラー。ラーフラ

 シッダールタは、多くの時間を瞑想に使うようになった。
一方で、父シュッドーダナには、ひとつの懸念があった。

 それは、いつかのアシタ仙人の予言。
「偉大な仏となるであろう」
しかし仏という事は、出家するということ。
それはつまり、王としての座を捨てるということで、シュッドーダナにとっては、後継者を失うということを意味していた。

 シュッドーダナは、息子をなんとか、出家させまいと、美しい王妃ヤショダラーと結婚させた。
やがてふたりの間には男の子も生まれ、シュッドーダナは、もう安心だと、一息ついた。

 しかしシッダールタは、自分の子に、ラーフラ(束縛)という名をつけた。

老いと病気と死と、修行者

 ある時の事。
都の東の門から外に出たシッダールタは、 哀れなほどに腰が曲がり醜い容貌となり果てた老人と出会った。
 次に南の門から出た時、苦しみもがき、体をよじらせる病人と出会う。
 さらに、西の門では、悲しみと絶望にくれる、葬列を見た。

 最後に北の門にて、シッダールタは、木の下で瞑想にふける修行者と出会った。
「あなたはどなたですか?」
シッダールタの問いに、修行者は答えた。
「私は、この世の、生と死の問題を解決するために、解脱を求め、出家したもの。心の安らぎと、揺るぎない不滅の境地をつきとめるために、修行を重ねているのです」

 シッダールタは答を見つけた。
結局、彼は出家を決意したのだった。
また、この時、彼は29歳だったとされている。

シッダールタの出家

 シュッドーダナに、出家したい旨を伝えたが、当然のごとく反対されたシッダールタは、白馬カンタカに乗り、密かに宮殿を去った。

 そして、夜明けの頃に、アノーマー河のほとりにて、馬を降りて、従者チャンナに告げた。
「父親に伝えてくれ。私は生と死の問題を根本的に解決するために出家する。生きとし生けるものすべてが、悩みと苦しみから解放され、最高の安らぎを得るために、修行の旅に出る。私は最高にして無常の悟りを体得するまで、決して国に帰ることはない」

 それからチャンナに別れを告げると、シッダールタは、安っぽい布きれをまとっただけの姿で、どこへともなく去って行った。

真理への道。絶え間なき苦行をこえて

セーナ村の静かな森

 出家したシッダールタは、まず、優れた師を求めた。

 300人の弟子を従えていたアーラーラ・カーラーマ仙人。
700人の弟子を従えていたウッダガ・ラーマプッタ仙人などのもとで修行をした。
しかし、彼が求めていた答を得る事は出来なかった。

 シッダールタは、そのうちに、ネーランジャラー河のほとりのセーナ村の、静かな森へと入って行った。

 絶食し、息を止め、暑さに焼かれ、寒さに身をさらす苦行をひたすらに続けた。
夜には、野獣が徘徊する墓場に座り、何が近づいてこようが、何が現れようが、何が牙を光らせようが、微動だにしなかった。

スジャータの粥

 苦行の日々が続き、いつしか、シッダールタはずいぶんと痩せて、皮膚もシワだらけになった。
骨や血管の一本一本がはっきりと浮き出て、もはや生きているのが不思議なくらいの状態となった。

 そしてシッダールタは悟った。
「何も得られない、この修行法は間違っている」

 苦行を放棄したシッダールタは、神聖なバニヤンの木の下に座った。
そこへ、スジャータという村娘が通りかかりかかった。
スジャータは、悲惨な姿のシッダールタを哀れに思ったのか、お粥を差し出した。
 それは、苦行を初めて以来、シッダールタにとって、初めてのまともな食事となった。

 お粥を食べたシッダールタの体は、たちまち元通りとなり、しかも金色の光を放ったという。

 しかし、シュッドーダナの命を受け、密かに王子を見張っていた5人の男達は、心底失望した。
 彼らは王子が悟りを開くことを期待していたのだ。
だがお粥を食べる王子を見て、彼らは、王子は修行から脱落したのだろうと判断し、去って行った。

三人娘の誘惑

 実のところシッダールタは、ついに答えを得ようとしていた。
そしてそのことを、はるか地獄の彼方で知った魔王は、衝撃を受け、恐れを抱いた。
 何者かが、真理にたどり着こうとしている。
魔王にとっては、それは望まない事であった。

 魔王は、シッダールタのもとに、タンハー(渇愛)、ラーガ(快楽)、アラティ(嫌悪)の三人娘を送りこんだ。
艶めかしい誘惑により、彼を堕落させようとしたのだ。

 しかしシッダールタは、三人娘のどんな男でも虜としてしまうような誘惑を、まったく意に介さなかった。
「お前たちは汚れた雑草のようだな。不浄なものが、さらに腐って、積み重なった便所のようだな」
そうした少しの言葉で、三人娘はあっさりと退けられた。

魔王軍との戦い

 三人娘が失敗した後。
魔王はついに、地獄の軍勢を率いて、自らが、シッダールタの討伐を試みた。

 恐ろしい形相の魔王は、大軍勢を使い、刃の雨、泥の雨、岩の雨火の雨を降らせ、魔術、妖術を駆使し、化物達を次々と、彼にけしかけた。

 しかし日が落ちるまでに、魔王の軍勢はことごとく打ち破られてしまった。
シッダールタは、 どれだけ恐ろしくとも魔王の軍勢に実態がないことを見抜いていた。
その強靭な心の前に、魔王の脅しなど、何の役にも立たなかったという訳である。

 再び静かとなった、ちっぽけな世界で、彼はまた何食わぬ顔で瞑想を始めた。

悟りは揺るがず

 永遠の実態などどこにもない。
いかなるものも移り変わり、揺れ動き、絶対不変なものなどはありえない。
全ては無数の原因と理由によって成り立つ。
全ては気の遠くなるほどの恩恵により、互いを支えあっている。
目の前に見える限られたものだけに執着することなど、いかに無意味か。

 ついに真理にたどり着いた彼の体を、無限の光が包んだ。

 「私は最高の道を悟った。私の悟りは揺るがず、壊れない。私は解脱を果たした。もう苦しむことも決してあるまい」
夜明けが、彼の体を、輝かせた。
彼はこの時、現世で初めて、悟りを達成したもの、ブッダとなったのだった。

ブッダ、シッダールタの教団

ブラフマンの三度の説得

 シッダールタが悟りを開き、ブッダとなった事は、天にもすぐ伝わった。
だがその後の成り行きに、最高神であるブラフマン(梵天)は心を痛めた。
あろうことかブッダは、せっかく悟りを開いたというのに、自らそれを楽しみ味わうのみで、誰にもその真理を語ろうとしなかったのだ。

 ブラフマンは、自らブッダの前に現れ、なぜ他の人に真実の道を説かないのか、と尋ねた。
ブッダは答えた。
「この真理は、深遠で難解です。あまりにも絶妙ですから、修行を極めた者にしか理解できないでしょう。自分の欲望と執着に囚われてばかりいる他の者達に理解できる訳もありません」
しかしブラフマンは、この世界には汚れの少ない人間もいて、彼らはあなたの助けを必要としている、とブッダを説得した。
 ブッダは、二度までは断ったが、三度目の説得で、ついに折れて、真理を、他の人々に向けて語ることを決意したのだった。

最初の五人の信者

 適当に歩き始めたブッダが、最初に出会ったのは、彼が村娘の粥を食べた事で失望していた、今や修行者となっていた5人の男であった。

 ブッダは、 自分が悟りを得たことを彼らに告げて、続いて語った。
「修行者達よ。出家した者が、してはならない事がふたつある。愛欲にふけることと、苦行に体をさいなむことだ。この極端から離れることから、まず始めなければならぬ」
そうして、彼は、極端より最も離れた道、中道こそが真理への道だと説いた。

 この最初の説教によって、5人のうちの、最も優れていたコンダンニャが悟りを開いた。
続いて残りの4人も、まもなく悟りを開く。

 ブッダにとっても、こんなにも早く5人が悟りの境地に達したのは予想外であり、とても喜んだという。
彼ら5人は、歴史上で最初の仏教徒である。
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女性信者の登場。全ての者は平等か

 次々と信者は集まった。
ブッダは、すべての生命は平等なのだと説いたが、女性が自分達の教団に入ることに関しては懐疑的だった。
彼曰く、「女というのは嫉妬深く、愛欲を捨てられぬ、浅はかな存在であり、結局は、男と子が全てなのである」

 しかし結局は全ての生命が平等だと言った彼が、女性の出家を拒み続けるのは難しかった。
「全ての者が平等であるなら、女である自分達も出家し、真理の道を歩む事も出来るはず」
として、ブッダを説得し、最初の女性仏教徒となったのは、シッダールタの妻であったヤショダラーと、叔母のマハーパジャパティだった。
 ブッダに受け入れられない女達を哀れに思った、ブッダの従者であったアーナンダの説得もあった。

 ブッダは、最終的には女性が出家することを許したが、その条件として、女性の戒律は、男性のものよりもきつくした。

ブッダの死。涅槃へと入ったシッダールタ

 80歳を超えた頃。
ブッダは、 自らの最後が近いことも、はっきり知っていた。

 ブッタは、多くの人々に別れを告げて、少数の弟子だけを連れて、旅に出た。
その道中、病に襲われた彼は、鍛冶屋チュンダの供養した食事に中毒し、倒れた。

 ブッダは、下痢に苦しみながら、しかしまた立ち上がり、アーナンダに告げた。
「私の生涯で、最上だった食事はふたつだ。スジャータの粥と、チュンダの食事。 私はこれらに無上の感謝を捧げよう」

 悲しむ弟子達に、ブッダはさらに続けた。
「何も泣くことはあるまい、私が常に言ってることを思い出しなさい。生まれてきた者は必ず死ぬ。その運命からは逃れられない。全てのものは変化し、形を変えるのが真理なのだ。ここで生命を失おうとしているのは、私の肉体だ。だが私が悟った最高の心理は 、人々がその実践を続ける限り、失われることはない。そこに常に私は生きている。この悟りのみが、全宇宙において、ただひとつ、絶対不変の真理であり、永遠なるものなのだ」

 それから、弟子達に用意させた床で、笑みを浮かべながら横になったブッダは、不滅なる高次元世界である、涅槃へと入って行ったのだった。

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