「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?

ユダヤの寺院

聖書に記録された、ユダヤ人が誕生するまでの歴史

そして人間が作られた

 もし初めがあるならば、神は初めからあったはずである。
なぜならこの世界を始めたのは神であるからだ。

 天と地を創造なされた後、神は真っ暗闇に光を灯された。
この時、神は水の上に浮かんだ霊であったらしいので、既に水は存在していた。
 神は光を昼と呼び、暗闇を夜と呼んだ。
つまりこの世界には最初、夜しかなかったという事だ。
あるいはこの世界は夜から始まったという事だ。

 続いて神は大空を作った。
という事は天というのは空とは違う。
おそらくは何もない天があり、そこに空が敷き詰められたのであろう。
しかし真実がどうあれ、神は大空を天と呼んだ。
 ちなみに神は、空を水から作ったらしいので、空というのは水で出来ている。
神はまた、地に残った残りの水を集め、海を作ったらしい。

 それから水が乾いた大地に神は草木の種を撒いたという。
太陽と月はその後に作り、太陽を昼に、月を夜に置いたという。
この事は、太陽を光に、月を闇に置いたとも解釈できよう。
 それと、草木、太陽、月の作られた順序から察するに、草木は本来、太陽の光がなくても育っていたのだろう。
おそらくは太陽は命の恵み、しかし月が命を奪うのだろう。
そう考えると、太陽の恵みが不可欠なはずの草木より後に、太陽が作られたのだとしても、特におかしくはなくなる。
 
 それから神は、それに地上の獣。
最後に人間を作ったらしい。

安息日。7という数字

 神は『天地創造(the Creation)』より六日の時間をかけて、人までを作った。
そして七日目に休息された。
だから休息日は七で回るのである。
 時間や日の概念は天地創造の時、少なくとも最初の六日間の後には、神の認識する日という時間概念があった。
でなくば、神が「この七日目を休みにしよう」などと思う事は出来ないはず。
もともと日というのはあったのか。
あるいは休息をとる為に、あるいはとりすぎない為に、日というのを考えられたのかもしれない。

 とにかく神様すら休んだこの七日目は、『安息日(Sabbath)』となったのである。
だがそれはいつなのか?本来はいつであったのか?
現在の太陽暦では、金曜日の日没から、土曜日の日没までの二十四時間となるらしい。
 日曜日ではない。
日曜日はキリストが生まれた日だから、キリスト信者によって定められた安息日らしい。

 休息をとったという事は、神は万能ではない。
疲れる。
神には体力がある。
 
 日というのが地球の一回転の時間であるのか、地球の回転速度が一日に合わせられたものなのかは、わからない。
神がもしこの宇宙全てを創造されたのだとしたら、このちっぽけな星を、人間が住むものだから一日サイクルで回すことにしたのか。
それとも適当に目についた星の回転に合わせたのか。
神は明らかに日を認識し、七日目を安息日とした。
何か地球以外にも、この七日という時間と関連付けられる何かが、まだあるかもしれない。

 7という数字は特別だろうか?
もし神が、例えばそれが7でなくとも、何か数字を意識していたなら、神は数学をご存知だった。
もし万物を、数字に関連付けて作られたのだとしたら、この自然を数字を用いると理解しやすいのは当然なのかもしれない。

神が与えてくれた幸せ

 神は土から人間を作られた。
土を自分と似せた形にして、命を宿したのだという。
 という事は、神の姿は人間と似ているという事になる。

 最初に作られた人間は男である。
神はそのあばら骨から女を作られた。
 
 人間は土からも作れるし、骨からも作れるようである。

 そうして誕生した最初のふたりの人間アダムとイブは、エデン(楽園)で幸せに暮らしていた。
だがある時、にそそのかされたイブは、禁じられていた知識の木に実った果実を食べた。
イブはアダムにもそれをすすめ、人間は初めて知恵をつけた。
そしてその事を知った神は怒り、エデンからふたりを追放して、罰としてその命を有限とした。
人は喜び楽しみ、何かを愛することができる。
しかし同時に、苦しみ憎しみあい、決して本当に分かり合える事もなく、やがて死ぬようになった。

 知恵を持ってはいけなかった。
なぜだろう?
知恵は悪を生むからだろうか?
だが知恵は信仰を生むのではないだろうか?

カインとノアの洪水

 地上にて、アダムとイブの二人の子供カインとアベルは、それぞれに神へと贈り物を捧げた。
しかし主はアベルの捧げものにしか興味を示さなかった。

 カインは怒り、顔を伏せた。
彼に神は問うた。
「なぜ怒る?あなたが正しいなら、もっと堂々としてたらいい」
カインが何か答えたのかはわからない。

 それからカインはアベルを呼び出して、その命を奪ってしまった。
その恐ろしい罪を知った神は、カインを永遠に追放し、放浪の民となった。

 また、カインへの罰は、彼の全ての子孫にも及んでいるという説もある。
だから、この世界にはさまよう者と、そうでない者がいるようになったのだという。
 だがその後、人類はより堕落し、信仰心厚いノアとその家族以外は、洪水によって滅ぼされてしまう。
カインの子孫がノアでないなら、そこで罰を継いだ者はいなくなったはずである。

バベルの塔

 言葉はひとつしかなかった。
しかしある時、とある民族が、レンガを積み重ねて、最も高い塔の街を築こうと決めた。

 その様を見た神は、天にまで届くような、その街の完成をよしとしなかった。
そこで、人から団結力と言うものを奪うべく、彼らの言語を混乱させた。
さらに塔を築こうとしていた人々は散らし、言葉はいくつもに分かれる事になったのである。

 神は何か恐れてたのだろうか?
いくら何でもレンガを積み重ねて、天とやらにたどり着けるのだろうか?

 楽園から追放しても、洪水で簡単に全滅させられるのに、むしろ自分で作ったのに。
まるで神は人間を恐れているようだ。
しかし恐れてるなら、なぜ滅ぼさないのであろう?
悪よりも、何かよいものを信じている?

 とにかく、放棄され、幻に終わったその塔は、言葉が混乱(バブル)した原因として、いつしか『バベルの塔(Tower of Babel)』と呼ばれるようになったという。
そしておそらく民族というのも、このバベルの塔がきっかけで別れていく事になったのかもしれない。

ユダヤ人

アブラハムとカナンの地

 ユダヤ人の起源は、シリアとトルコの国境付近のユーフラテス川上流のハラン地方にあるとされている。
紀元前2000年くらいの頃、ユダヤ人の祖先は、その地の遊牧民であったらしい。

 聖書では、ユダヤ人は、アブラハムという人の祖先という事になっている。
ただし全てのユダヤ人がアブラハムの子孫なのではなく、聖書に書かれたアブラハムなる人物は、ユダヤに繋がる古い民族を代表した存在だという説もある。

 アブラハムは、ノアの子セムの子孫であるテラの息子である。
テラは「ウル」という年に暮らしていたそうだが、このウルはメソポタミア文明の都市である。
 歴史の中で、ユダヤ人は決して、最初からいたというような民族ではない。
もしユダヤ人が神に愛されているならば、神が気に入る基準として、古さはあまり関係ないのかもしれない。

 紀元前1700年頃、アブラハムは神の命に従い、ウルを出て、『カナンの地(現在のイスラエル辺り)』へと向かった。
カナンの地は、神がユダヤ人のものにするとアブラハムに告げた、約束の地である。
ユダヤ人たちはやがて、イスラエル南部のネゲブに移り住み、唯一神を崇めたという。

モーセと十戒

 紀元前17世紀頃。
ネゲブは飢饉に陥り、アブラハムの孫ヤコブは、一族を連れて、エジプトへと逃れた。
しかしよそ者である彼らは、エジプトの地では、低い身分に甘んじるしかなく、その子孫も、最下層民として、辛い生活を送った。

 しかしエジプト移住より400年くらい経った、紀元前13世紀くらいの事。
新たに神に選ばれたモーセというリーダーに導かれ、ユダヤ人達はエジプトを脱出。
 その後、モーセは『シナイ山(Mount Sinai)』という山で神から様々な言葉を授かった。
それが、あるいはそのひとつが『十戒(Ten Commandments)』であるとされている。

 十戒とは以下のような決まりである。
1、神は唯一の存在であり、他の何も神としてはならない。
2、偶像崇拝はいけない。
3、神の名を無意味に唱えてはならない。
4、週の七日目は安息日とせよ。
5、父母を慕え。
6、命を奪ってはならない。
7、恋愛の対象はひとりでないといけない。
8、盗みはよろしくない。
9、騙してはならない。
10、大切な物を簡単に貸し借りしたり、ねだったりしてはいけない。

 この十戒は、モーセが神と交わした契約における、神からの条件のようなものだったとされている。
ユダヤ人は、この十戒を守る限り、神の加護を受けられるという訳である。

師士と王国

 モーセの後継者ヨシュアは、ユダヤ系の12の部族と共に、カナンの地に住み着いていた他部族を制圧。
再びカナンの地にユダヤ人が住むことなった。
12の部族である、『ルベン族』、『シメオン族』、『レビ族』、『ユダ族』、『ダン族』、『ナフタリ族』、『ガド族』、『アシェル族』、『イッサカル族』、『ゼブルン族』、『ヨセフ族』、『ベニヤミン族』はぞれぞれ土地を分配する。
 ただし、全ての異民族をカナンから排除出来た訳ではなかったようである。

 12部族は、山岳地帯の「シケム」にて、ユダヤの共通の神ヤハウェのみを礼拝する事を誓い合う。

 ヨシュアの死後も、唯一神信仰を通じて、結束を固めたユダヤ人達は、それから住み着いたカナンで、様々な異民族の侵略などを退けた。
 普段は、ばらばらに過ごしていたユダヤ系部族達を、緊急時においてまとめ、戦闘指揮などを取ったのは、『士師』という人達だったらしい。
 最初、士師は絶対権力者の王みたいなもので、ひとりだけで軍事や法などの全てを仕切る存在だったようだ。
しかし、だんだんとひとりでなく、複数人で、役割を分業するようになり、やがてそこには、国家の形が現れてくる。

 そして紀元前11世紀頃。
ユダヤ人の国『イスラエル』は誕生したのである。
その初代王には、軍事を任されていた士師のサウルが就いた。
サウルはベニヤミン族である。

ダビデ、ソロモン、そして王国の分裂

 多くの支持を得て王となったサウルだが、彼は生涯にかけてよく王とはならなかった。
やがてイスラエルの宿敵であった、ペリシテ人の軍の巨人ゴリアテを倒し、頭角を現したユダ族の武将ダビデが、サウル以上の人望を集め始めた。
 尚、ゴリアテは巨人と言っても3mくらいの背丈だったらしく、多少大げさに記録されたと考えるなら、本当にただのでかい人だったのかもしれない。

 サウルに嫉妬され、身の危険すら感じたダビデは、いったんはペリシテ軍側についた。
しかし心までユダヤを裏切っていた訳ではなく、サウルが死ぬと、すぐにイスラエルへと戻ってきたダビデは、ペリシテ含む周辺の他部族を制圧し、イスラエルの二代目の王となった。

 ダビデは私生活ではひどい粗相が目立つ不良だったが、そのカリスマ性をもって、イスラエルの勢力を急速に拡大させた。
このダビデが、モーセに次ぐレベルの偉大な人物とする者は大勢いて、後のキリストも、ダビデの子孫である事をもって、その威厳を高めているという。

 そしてダビデの後を継いだのがダビデと同じくユダ族のソロモンである。
彼は武力の王であった前王とは違い、知力の王であった。
悪魔召喚「ソロモンの72柱の悪魔」一覧と鍵の基礎知識  ソロモンはインフラ設備の改築や、他国との貿易などを駆使して、イスラエルに膨大な富をもたらしたといされている。
だがソロモンは民をそれほ大事にはせず、国は国としては豊かになったものの、国民は強制労働や重税に苦しんだ。
しかもソロモンは自らの出身部族をあからさまに優遇する傾向にあったので、国内の部族同士の対立も激化。
 そういう事情もあり、ソロモンの死後、イスラエル王国はついに分裂する事になった。

王国の消滅

 イスラエルは、ソロモンに不満のあった10部族が築いた北のイスラエルと、ユダとベニヤミン族から成る南のユダ王国に分かれた。
この内のユダ王国の方の名前が、後のユダヤの名の語源となったともされる。

 政治的になかなか安定せず、また異教徒の宗教も入り込み、ヤハウェへの信仰すら揺らいでいた北イスラエル帝国は、独立から200年ほどで、アッシリア帝国に滅ぼされてしまう。
この時アッシリアに強制連行されたらしいのを最後に、北イスラエルを構成した10部族は歴史から姿を消している。
 残されたユダ王国から見れば、その「失われた10部族」は、神を裏切り没落した者達である。
その10部族だが、現在では、その子孫の末裔だとする者達も多く、伝説ばかりが一人歩き状態となっている。

 北イスラエルを滅ぼしたアッシリアは、続いてユダ王国にも侵攻するが、ユダの王は意外と冷静に、あっさりと降参し、ユダ王国はアッシリアの従属国となった。
しかしアッシリアが内乱で弱体化した後に、エジプトの属国ともなり、最終的にはバビロニアに、ついにユダ王国も滅ぼされることになった。
ユダ王国崩壊の時期は紀元前587年頃の事とされている。

 こうして神を信仰するための土地失ったユダヤ人達は、しかし住む土地が変わっても、自らの信仰していた神を忘れず、異教徒に隠れてそれを広めた。
結局土地を失ったことで、ユダヤ教は世界各地に広がっていく事になったのである。

 ユダヤ人とはつまり、ユダ王国の生き残りの子孫であり、ユダヤ教は彼らが信仰していた唯一神宗教という訳だ。

ユダヤ教概要

苦難の時代の後には救いがある

 ユダ王国崩壊からしばらくして、ユダヤ人の多くはイスラエルに帰還し、エルサレムに新たな神殿を築いたが、王国として独立は許されなかった。
時代が進み、周囲の国の力関係が変わっても、ユダヤ人にとっては属する国が変わるだけだった。

 支配され続けの日々が逆にユダヤ人たちの信仰心を強めた。
「これは試練の時だ。この苦難の時にあって、それでも神を忘れぬ者が、悪の滅びる最後の時に救われるのだ」
そういう解釈をするユダヤ人が多くいたと考えられる。
そしてその共通の信仰が遠く離れたユダヤ人達にも仲間意識を芽生えさせ続けた。

 それには聖書の存在もあっただろう。
聖書の完成がいつ頃の事にせよ、唯一神を語る聖典は信仰を続けさせる大きな原動力となった。

 またイエス・キリストが世に現れた時代。
根っからのユダヤ教を信仰する者達は、彼を認めず、キリストは紀元前30年頃に処刑された。
この時代、キリストを認めなかった事から、キリスト教が広がった後世にユダヤ教は弾圧されることになったようなのだが、キリストが本当に神の子ならおそらく報復など望まないであろう。
宗教関係の対立はだいたいそうだが、神のせいにしているだけではないだろうか?

 また当然ユダヤ教的にキリストはペテン師なので、キリストの伝記とも言える『新約聖書』は、ユダヤ教にとって聖典ではない。
ユダヤ教にとっては、より古くに書かれたとされる『旧約聖書』のみが聖典なのである。

ヤハウェ

 神の名はラテン文字で書くと『YHWH』となるらしい。
この綴りでは発音が出来ない。
そこで便宜的にヤハウェと発音されるのが基本となっている。
十戒によると、神の名を唱えすぎるのはダメらしいから、この発音は間違ってた方が多分よい。
 神の名については他にエホバという説もあるが、基本的にはヤハウェの方が有力らしい。

 また旧約聖書には、神をエロイムと記述している部分もあるという。
エロイムとは神々という意味。
唯一神なのに、神々とはどう考えても矛盾である。
 だが神が実は神々であるかのような聖書の記述は他にもある。
いくつかの場面で、神は自らの事を「我々」と言っているのである。
 この唯一神なのに複数形を用いている件に関して、一般的には、神の威厳を表すために複数形にしたという解釈がされている。
しかし明らかに苦しすぎる。

 普通に解釈するならこうだろう。
神は複数いる存在で、ある神がこの世界を作った。
だからこの世界の我々にとっては、この世界を作った神が唯一の神。
しかし神のような存在は他にもいるので、神が自分のような存在を示す際には我々。

 神が複数いて、それぞれが世界を作ってるなら、世界にどれだけ悪党どもが現れても、神がこの世界をよいものにするのを諦めない理由もわかるというものだ。
つまり他の神が作った素晴らしい世界という前例があるのだろう。

 ユダヤが偶像崇拝を禁止しているのは、神にはそもそも形なんてものがないかららしいが、人は神に似せて作っているはずである。
多分人と神が似てるというの形でなく、もっと曖昧な何かなのだろう。

契約と戒律

 神はどうやら、自らの信仰を地上に広める役目を、特定の民族や人に与えるらしい。
そうして選ばれた者達と神は『契約(Agreement)』を交わす。
神の提示する『戒律(religious preceptscommandments)』を守る代わりに、神を信仰する事である。
 言うなればユダヤ人は選ばれた民族、モーセが選ばれた人、それに十戒が戒律である。

 しかしそういう選民的思想は、言うなれば差別のようなものではないか?
という疑問は古くからあり、ユダヤ教を信仰するユダヤ人の中にも、それはおかしいと再解釈に挑戦する者が後を絶えないという。

 選ばれし人はまた『予言者(Prophet)』と呼ばれる。
キリスト教では、キリストも予言者だとされるが、神の子でもあるので、ちょっとよくわからない。

サドカイ派、ファリサイ派

 ユダヤ教は、古く、『サドカイ派(Sadducees)』と『ファリサイ派(Pharisees)』という、大きなふたつの派閥に別れていたらしい。
どちらも十戒など、聖書に書かれた神の法(律法)を重視するのは同じ。
しかしサドカイ派は、いわば堅苦しく、非常に厳格で、成文化された律法以外は認めなかった。

 一方で、ファリサイ派は、サドカイ派ほどには厳格でなく、また口伝による律法も重視した。
重要な事は、こちらの方が、庶民にもより開放的であり、神の言葉の解釈も比較的自由だった事と思われる。

 だからこそ、イスラエル王国が滅亡した後、サドカイ派は自然と消え、ファリサイ派が、現在のユダヤ教に繋がったのである。

タナハとタルムード

 ユダヤ教の聖典は旧約聖書だが、これはユダヤでは『タナハ(TNK)』と呼ばれている。
TNKは『トーラー(律法)』、『ネイビム(予言書)』、『ケトゥヒム(諸書)』のそれぞれの頭文字を合わせた略語らしい。

 聖典以外にもユダヤ教には口伝による決まり事もあり、それを『タルムード』と言う。
タルムードは、日常的な決まり事である『ハラハー』と、それ以外の『アガダー』に分かれる。
 実はユダヤ教には布教という概念は薄く、基本的には望む者がユダヤ教となり、ユダヤ人となるのである。
もともとの人種や国籍は関係ない。

 神を信仰し、タナハとタルムードを尊重すれば誰でもユダヤという訳である。

 特にハラハーを人々に教え伝えるユダヤの指導者を『ラビ』という。

礼拝と礼拝施設

 神を礼拝するには13歳以上の男子が10人以上揃っていなければならないらしい。
その必要人数を『ミニヤン』という。
つまり礼拝したければミニヤンを集めなければならないという事だ。

 それと、ユダヤ教の礼拝施設は、教会堂ではなく『シナゴーグ』という施設である
シナゴーグには二種あるという。
 宗教儀式専用の『ベイト・ハ・クネセト』と、ユダヤ教に関する学習などにも使える『ベイト・ハ・ミドラシュ』である。

 クネセトが建てられる場所は、祈りにふさわしい場所でなくてはならず、その内部では食事や就寝も禁じられている。
また、クネセト内部の中央にはたいてい『ビーマー』という祈りの為の台があり、その周囲には信者用の長椅子が並べられている。
周囲の椅子はブロックなどによって、男性用、女性用に分けられているという。

 ミドラシュでは学習なども出来るが、これとは別に『イェシヴァ』という、深くユダヤ教を学ぶための施設もある。

ユダヤの暦

 ユダヤ人社会でも、日常では西暦を普通に使うが、ユダヤ特有の『ユダヤ歴(hebrew calendar)』というのもあり、ユダヤ関連の祝日などはこの歴が基準となる。
ユダヤ歴では新年の月が、9月25日から10月25日になるらしい。

 当然ユダヤの『ロシュ・ハシャナ(新年祭)』は、ユダヤ歴の新年最初の日か、あるいは二日間となる。
この新年最初の時に、神は全ての人の善悪を判断し扱いを決定するのだという。
また、新年最初の夕食は、神の愛と力の象徴であるリンゴを、幸福を象徴する蜂蜜に浸したものに決まっているそうだ。
またシナゴーグなどでは、新年を迎えた記念として羊の角笛を吹くらしい。

 新年を迎えてから10日目は『ヨム・ギブール(贖罪の日)』となる。
これは懺悔の時であり、断食しながら家でじっとして過ごす日。

 他にも何かの記念日は基本的にユダヤ歴基準となる。

その他いくつかユダヤ系雑学

 『バル・ミツヴァ(男子成人式)』は13歳になった男子が対象の成人式である。
この場合の成人とは、大人というより、神の戒律を正式に受ける立場になったという事。
本来は男子のみ対象だったようだが、現在では12歳の女子が対象の『バット・ミツヴァ(女子成人式)』というのもあるという。

 ユダヤ教的には、結婚が許されるのは18歳からで、18歳以上の大人は、むしろ結婚しなければ半人前らしい。
なんでか結婚式を挙げる二人は断食するらしい。

 ユダヤ教において、民族や国家、世界をも救うような存在は『メシア(救世主)』な訳だが、メシアほどスケールは大きくないが、小コミュニティを救う存在もある。
そういう小メシアを『ツァディーク(義人)』という。

 聖書の旧約、新約というのは、旧約が人と神とが交わした(神を信仰するからどうたらという)約束の内の、古い方を書いたものが旧約(古い約束)聖書、新しい方が新約という意味合いらしい。
もちろんユダヤ教的には、神と人の約束は最初の一回だけであり、キリストを介した第二の約束(新約聖書)など妄想もいいとこである。
どころか一度しかしてない約束に古いも何もないので、基本的には旧約聖書という名前すら使用されない。
ユダヤの聖典はタナハである。

ユダヤ神秘主義

 神、あるいは神の住まう世界、神に近しき者(天使?)へのコンタクトや、その力を人間のものとする。
そういう事を考える者は昔からいた。
 
 そのような神秘主義は明らかに神の意に反する事と思われる。
何せヤハウェは知恵をつけただけで(勝手にリンゴ食べたからってだけかもしんないけど)人間を地上に追放するような存在である。
人間が自らと同じ領域まで、むしろ人間の欲の為に自分が利用されるような真似を気に入るはずがない。

 にも関わらず神秘主義というのは人を魅了してやまない。
長いユダヤ教の歴史の中で、そうした(異教徒でもないのに)神に逆らう輩達は、様々な不思議な技を編み出してきた。

 自らの魂を忘我状態に保ち、神の領域へと昇らせる『天路遍歴(Pilgrim’s Progress)』の術。

 また聖書で神が、「光あれ」と唱えただけで光が出たりするように、その使用言語自体に効力があるという説もある。
神の言語ではなくとも、古い言語には、そういう力がまだ残っているともいう。
同じように古い文字にも力があるという向きもある。

 『トーラーの宰相(Prime minister of Torah)』なる知恵などを授かてくれる霊的存在もあり、その正体は天使も、神の技を覚えた人だとも言われる。
一説によると、モーセもトーラーの宰相の教えを受けたらしい。
その時はまだトーラーの宰相も修行中の身であったという説もある。

 やがて、様々なユダヤ神秘思想の集大成であるかのような魔術体系が、開発された。
12~13世紀くらいのスペインかフランスの辺りの成果だとされているが、真相は不明である。
とにかくそうして開発されたのが、有名な『カバラの術』という訳である。
カバラ「カバラ神秘主義」セフィロトの樹の解説と考察。神様の世界創造魔術  ただし、もうここまでくると単に神秘主義というより、完全に魔術である。
宗教ですらないかもしれない。

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