アッラーとは何か?
その語源はアラビア語で、神を意味するイラーフと定冠詞(英語でいう「The」みたいなの)であるアルが、くっついてアッラーになったとされる。
いわばアッラーとは神(ゴッド)の事であり、ユダヤ教、キリスト教でも信仰される唯一神ヤハウェなのである。
つまり、よく日本語訳された文献に見られる「アッラーの神」というのは、「神の神」という意味となり、わりと意味不明である。
イスラム教の教えとしては、唯一にして、あらゆる物であるアッラーを、偶像化など出来る訳がないとする。
だから、アッラーはキリストはもちろん、ユダヤ教より、さらに偶像を徹底的に嫌う。
「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束 「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
我々がアッラーを見る事はない。
アッラーはしかしすぐ隣にいる。
遥か遠くにいる。
そしてこの心に存在している。
ムハンマド
預言者とは?
イスラム教の開祖と言えばムハンマドだというのは、有名である。
彼はいわばキリスト教におけるイエス・キリスト、ユダヤ教におけるモーセである。
ヤハウェを信仰する代表的な3つの宗教において、イスラム教は最後に登場した。
そのイスラム教の教えるところでは、モーセもキリストも、歴史上に現れた預言者である。
神は地上を作った後に、そこに人を住まわせた。
そして人が知恵をつけるのに際して、その知恵を誤って使わぬように、その時代に合わせた預言者を用意する事にした。
預言者とは、人である。
しかし神より、人を導く使命を与えられた者なのだ。
もちろん人ではあるので、奇跡など起こせない。
だが、神や預言者達の意に反し、モーセとかキリストとか、歴代の預言者達は、彼ら自身が神の力のような者を持つ超人のように扱われてしまった。
それだけでない。
人々は預言者の教えを好き勝手に解釈し、改変した。
しかし慈悲深いアッラーは、愚かな人間を見捨てず、正しき信仰を手にする最後のチャンスとして、最後の預言者ムハンマドを使わしたのである。
預言者になる以前
6世紀頃、遊牧の民が多いアラビア半島において、『メッカ』は交易で栄えた都市であった。
このメッカに住まうハーシム家にムハンマドは産まれた。
紀元570年頃の事とされている。
ハーシム家は名門だったようだが、ムハンマドの少年時代が恵まれた幸福なものだったかは怪しい。
彼は、産まれる前に父アブドゥッラーを失い、母アーミナも、ムハンマドが6歳の時に世を去った。
ムハンマドは、メッカの名家の子らしく、青年時代は商人への着実なキャリアを積んだという。
そして25歳の時に、彼はハディージャという女性と結婚した。
彼女はムハンマドよりも10歳以上の年上で、交易事業のスポンサーでもあったようである。
天使の啓示
ムハンマドはいつからか山籠りを始めた。
夢のお告げがあったかららしい。
食料を持って山に入り、食料が切れるまで、洞窟でひたすら瞑想などして過ごすという日々を送った。
そして40歳の時に、洞窟にこもった彼の前に、大天使ジブリール(ガブリエル)が現れたのだ。
ジブリールは戸惑うムハンマドに、預言者として選ばれた事を告げたという。
家に帰ってきた彼の話を聞いたハディージャは、従兄弟のキリスト教徒であるワラカにも、話を聞いてもらう事にした。
ワラカは告げた。
「あなたは選ばれたに違いない。モーセのように」
それからムハンマドへの天使による啓示は何度もあった。
そして、その時々に天使が告げた教えの記録を集大成したものが、後の『コーラン(より正しくはクルアーン)』である。
イスラム教の始まり
ムハンマドは、天使から聞いたアッラーの教えを伝え広め始めた。
最初の信徒は彼の妻ハディージャや、幼い従兄弟のアリー。
それに商人としてムハンマドの右腕であった友人アブー・バクルら、身近な人達であった。
アブーは顔が広く、様々な身分の新しい信徒を呼んだという。
当時のメッカの主要宗教は多神教であり、ムハンマドが伝えるアッラーの教えはもちろん反発も呼んだ。
実態など決して捉えられない唯一の神という概念は、メッカ市民にとっては非常に斬新であり、そう簡単には広まらなかった。
奇跡(?)
ジブリールの最初のお告げから10年ほどした頃。
その頃に亡くなった妻ハディージャと、叔父のアブー・ターリブとの別れを悲しむ彼の前に、ジブリールがまた現れた。
天使は、ムハンマドの体から心臓を取って、洗ってから戻した。
するとこれまでにないほどに、ムハンマドはあらゆる知恵に満たされたという。
それからジブリールは、『天馬ブーラーク』にムハンマドを乗せて、エルサレムへと向かった。
そしてエルサレムの地より、ムハンマドは天の世界を巡った。
天は七層からなり、ムハンマドは各層にて、聖書に登場する名高い預言者達と出会ったらしい。
第一天にてアダム。
第二天にてイエスとヨハネ。
第三天にてヨセフ。
第四天にてエノク。
第五天にてアロン。
第六天にてモーセ。
第七天にてアブラハム。
そしてついには天の至福の木である『シドラ』の生えた場所にて、主(アッラー)より、1日50回の礼拝の義務を授かった。
しかし、帰り際に、モーセが言った。
「少し厳しすぎないでしょうか?信徒が耐えれないかもしれない」
そこでムハンマドは再び主の前に戻った。
主は、礼拝の回数を5回に軽減してくれたという。
ジハードとユダヤとの決別
過去の預言者達との会合後も、ムハンマドの布教活動は続けられた。
信徒はメッカよりもむしろ、メッカの北にあった商業都市メディナに増えてきた。
そしてメディナに勢力を築きつつあるムハンマドを、メッカを牛耳っていたクライシュ族は危険視し始める。
そしてついに放たれた暗殺の魔の手から逃れる為に、ムハンマドは拠点をメディナへと移した。
そしてメディナで、ムハンマドは信徒達と共に『ウンマ(イスラム教国家)』を築いた。
それからムハンマド率いるウンマは、敵対するメッカに対し、『ジハード(聖戦)』を開始した。
数では劣っていたが、その結束力の強さを武器に、ウンマはメッカ軍に勝利を続けた。
また同じ頃、仲間と考えていたメディナのユダヤ人達と、(預言者と認めてくれなかった為に)ムハンマドは決別。
イスラム教は完全に、独立した新しい宗教となった。
ムハンマドともメッカとも意見の異なるユダヤ人の存在は、戦場の力関係を揺らしたが、最終的にはウンマの一強状態となり、メッカはムハンマドに和解を申し入れた。
最後の説教
そのように、時には言葉で、時には武力でその勢力を拡大したムハンマド率いるイスラム教だが、ムハンマド自身はやがて死すべき定めの人にすぎない。
623年。
63歳の彼は、自らの最期を悟って、白衣を纏い、メッカへと向かった。
メディナを出る彼には10万を越える信徒が続いたという。
メッカでの礼拝を終えた彼は、信徒達に告げた。
「アッラーは言う。我々はみな平等な存在である。民族の違い、肌の色の違いなど優劣とは関係ない。我々にあるのは、ただ、アッラーへの信仰の厚さのみ」
その最後の説教からしばらく後に、彼は世を去ったという。
シャリーア
イスラム教徒の事を『ムスリム(帰依する者)』という。
ムスリムが守るイスラムの教えは、アッラーが、ムハンマドを通して、人類に授けたものである。
もちろん、人間側で、勝手に教えを変えたりする事は許されない。
ただ、アッラーの教えというか、その教えを参考にして作られた法がある。
それこそが聖法『シャリーア』である。
シャリーアとは、「水場に至る道」という意味のようだが、「救いに至る道」などと解釈される。
シャリーアに従って生きる事によって、人はアッラーが望んでくれたような人になり得るのである。
しかしこのアッラーの言葉の、法としての適用は、解釈の幅を広げ、結果イスラム教内に多くの宗派を生むに至ったらしい。
コーランとは何か?
ムハンマドの死後、彼が伝えたアッラーの教えを後生に残す為に、ムスリム達が書いたコーランを初めとする、アッラーの教えを記録した様々な書を『キターブ』という。
キターブには旧約聖書、新約聖書も含まれる。
しかしこれらの書は、改変されていたり、そもそも記録が不完全であったりするという。
だが、コーランは、少なくとも存在する物の中では、一番完璧に神の教えを記録したキターブだとされる。
そこで、アッラーと共に唯一無二なこのキターブ、コーランを、ムスリム達は、『アル・キターブ(ひとつのキターブ)』と呼ぶ。
礼拝の簡潔な手順
まず清らかな水で身を清める。
続いてメッカの『カアバ』の方向を向く。
カアバとは、もともとはメッカの多神教の神殿があった場所だが、メッカがムハンマドらに屈した後に、イスラム教採光の聖地となった場所である。
とにかく、カアバの方を向いた後に、両手を耳の高さに上げ「アッラーフ・アクバル(神は至高)」と、神を称える。
それから両手を胸の前で重ね、コーランの句を唱える。
さらに神を称えながら膝をつき、お辞儀してから再び、神を称えながら立つ。
また膝をついて、頭を地につけて「我が主に称賛あれ」と3回唱えるのを2度繰り返した後に、膝はついたままムスリムへの神の祝福を祈る。
やはり膝はついたまま、右手の人差し指だけを伸ばしながら、「アッラーの他に神なし、ムハンマドはアッラーの使徒なり」と唱える。
最後に、「アッラーの平穏と恩恵が汝らにありますように」と唱えながら、首を右、左にと振るのである。
主がムハンマドに告げたように、日に5回(夜明け、正午、午後、日没、夜半)の礼拝は、ムスリムの義務となる。
ただし、病気中や旅行中は3回でよいとも言われる。
他、イスラム教のいろいろ
イスラム歴(ムハンマドがメディナに移った時からの歴)の9月は『ラマダーン月』と言われていて、日の出から日没まで、飲食が禁じられるという。
夜以外は、水を飲むことすら禁止らしい。
イスラム教国家では、ムハンマドが始めた『ザカート』という税制度があり、一年以上所有した財産の数%を政府などに納めなければならない。
またこの任意で払う『サダカ』という税もある。
ザカートもサダカも、貧乏な者に行き渡る事になっているという。
またイスラム歴の12月の8~10日にかけて、メッカのカアバに直接巡礼するのも、ムスリムの義務だという。
それと、ラビや神父など、聖職という概念もイスラム教にはない。
あるのはアッラーを信仰する者と、しない者、それに預言者のみである。
ところで、イスラムの有名な教えに「豚肉を食べてはいけない」というのが、あるが、これはコーランに書かれてるからで、実はムスリムにも、なぜなのか、わかっていなかったりするらしい。
もうひとつ、イスラム教の教えと言えば、布で顔すら隠した女性達だが、これは女性は、親しい男性以外には肌を見せてはならないとしているからである。
また、財力のある男性は、未亡人や孤児の面倒を見てやらねばならないとされる。
スンニ派、シーア派
イスラム教徒には『スンニ派』と『シーア派』というふたつの派閥があるのは有名である。
大きくなった宗教にはありがちだが、イスラム教も、長い歴史の中で、様々な派閥に別れてきた。
たいてい宗教の分派というのは、教えを極端に解釈したりする者達が始めるものだが、イスラム教も例外ではなかった。
そうして、極端な思想を抱えた者達が次々離脱した後に、残されたムスリム達が形成してきたイスラム教がスンニ派とされている。
またシーア派とは、言うなれば離脱した者達の中で、最も大きくなれた派閥である。
スンニ派はその歴史的な経緯から、正統とされ、何者の神格化も偶像も徹底的に否定する。
また、現実主義的とされ、争いを好まず、(多少妥協をしてでも)団結をよしとする。
ムハンマドの生前をイスラム教の黄金時代とし、教えも完璧でないかもしれぬ現在を、上手くいかないのもまた現実だと受け入れる。
シーア派は、ムハンマドの治世はもちろんだが、四代目の『カリフ(イスラム教の指導者)』であるアリーの時代もまた理想の時であったとする。
しかし、アリー以後は、教えが守れれぬ不正の時代が続いており、そのような現実はとうてい受け入れられないとする。
早い話が、スンニ派よりも、「自分達こそ絶対正しい」と強気な人達なのである。
そういう訳もあり、シーア派内部でも、分裂がよく起こるという。
天使と悪魔とジン
イスラム教の教えるところでは、『天使(マライカ)』とは、アッラーが光から創造した、アッラーに仕える聖霊達である。
ムハンマドの前に現れたジブリールは、天使達の長だという。
一方、『悪魔(シャイターン)』は、アッラーに敵対し、人間を堕落させようと暗躍する堕天使である。
天使は悪魔から人を守る為の存在でもあるようだ。
また、コーランには『ジン』の存在についての記述もある。
ジンとは、火から作られた存在で、天使と人間の中間的存在だという。
ムハンマドの時代のアラビアに根付いていた、妖怪のような存在の伝承が起源だと考えられている。
ちなみに人間は土から作られたという。