「断続平衡説」例外は我々なのか。人間主義への反論と、化石記録の問題点

進化

進化論の闇。人はどうしてこんなに偉そうなのか

脊椎動物、無脊椎動物

 地球の歴史の中で最初に誕生した『脊椎せきつい動物(vertebrate)』は魚だった。
「魚類」進化合戦を勝ち抜いた脊椎動物の始祖様  脊椎動物とは、名前通りに「脊椎(Vertebrae)」を有する生物。
脊椎は背骨のことだが、より正確には「頸椎けいつい(cervical spine。首の骨)」から、「尾椎びつい(Coccyx。尻の辺りの骨)」までの連なっている構造のこと。

 また、脊椎動物でない生物は『無脊椎動物(Invertebrate)』と言うが、これはかなり広い範囲を含む分類である。

哺乳類は本当に高等な生物なのか

 魚から、両生類が派生して、両生類から爬虫類と哺乳類、あるいは両生類から派生した爬虫類から、さらに哺乳類が生まれたと考えられている。
両生類の手「両生類」最初に陸上進出した脊椎動物。我らの祖先(?)砂漠のトカゲ「爬虫類」両生類からの進化、鳥類への進化。真ん中の大生物  たいていの人がこの流れを知っている。
恐竜が好きな人などは特に、鳥類も爬虫類に実質的に含まれているということを知っているだろう。
恐竜「恐竜」中生代の大爬虫類の種類、定義の説明。陸上最強、最大の生物。風切り羽「鳥類」絶滅しなかった恐竜の進化、大空への適応  そして我々は哺乳類の人間である。
それは自惚れであるかもしれないが、確かに人間は他とは決定的に違う生物だろう。
自分の意思で自然界からあえて外れようとする。
そしてまるで、再びそちらに戻ることを拒否するかのように、自然を破壊しようとする。

 時々は美しい木々に囲まれたりして、野性動物と触れ合ったりしようとするかもしれないが、それすらも、こちら側の気分次第のコントロールがある。
安全を確保しようと、あらかじめ危険でない領域を見極める。
危険に踏み込むのは、ただそのスリルを楽しむためにだ。
我々は自然に帰ろうと考える時ですら、自然をコントロールしようとする傾向がある。
少なくともそれが理想と思っている。
人の理想郷だ。
自然は好きな時にだけ好きなように現れる。
人類の時代が長く続けば、おそらくそういう日は本当に来てしまうことだろう。

 我々は哺乳類である。
哺乳類「哺乳類」分類や定義、それに簡単な考察の為の基礎知識 人間はひとまず置いておくとしても、多くの生態系の頂点に哺乳類がいる。
猫、犬、ゾウ、クジラ。
並ぶ哺乳類哺乳類の分類だいたい一覧リスト まるで鳥が支配する空以外は全て哺乳類のものになってしまったかのようなイメージを持っている人すらいるのではなかろうか。
空ですら、鳥だけのものではない。
夜はコウモリが飛ぶ。
月夜のコウモリ「コウモリ」唯一空を飛んだ哺乳類。鳥も飛べない夜空を飛ぶ  それで今は哺乳類の時代と呼ぶ場合がある。
同じように、ひとつ前は爬虫類の時代だったと言われる。
6500万年前までの話だ。
恐竜のほか、翼竜や首長竜などが繁栄していた時代である。
翼竜「翼竜」種類、飛行能力、進化史。恐竜との違いはどのくらいかプレシオサウルス「首長竜」恐竜時代の海の覇者。種類、進化、化石の研究記録  そして進化という言葉には、「低レベルから高レベルへの飛躍」というようなイメージが抱かれやすい。

恐竜人間という自惚れの象徴

 進化論によって我々が猿の仲間であることを明確に示したダーウィンは、別にそういうことは言っていなかったとされる。
ダーウィンの家「ダーウィン」進化論以前と以後。ガラパゴスと変化する思想。否定との戦い  しかし どこかから誤解が生じ広まった。
つまり進化というのは進歩であるということ。
このイメージは非常に根深い。
脊椎動物の中で、魚から両生類、両生類から爬虫類、爬虫類から哺乳類。
まるで魚が一番下等で、哺乳類が一番優れた生物であるかのようなイメージが浸透したのだ。
もっとひどいのは、無脊椎動物から脊椎動物が生まれたのだから、無脊椎動物はさらに古い生物という認識。
つまりあらゆる生物の(進化した)頂点に脊椎動物があり、その脊椎動物の頂点が哺乳類というわけである。
さらに言うなら、哺乳類の頂点が人間という考え方。

 恐竜図鑑などにはよく、「恐竜がもし絶滅していなかったら恐竜人間が生まれていたか?」というような話が載っている。
まるで映画に出てくるエイリアンのような感じに描かれることが多い恐竜人間だが、あれこそまさに人間の自惚うぬぼれの極みであろう。
つまり進化の先には人間のような形態があるという認識。
直立二足歩行で、頭がよくて、言葉をしゃべる。
倫理学「人間と動物の哲学、倫理学」種族差別の思想。違いは何か、賢いとは何か人間原理「人間原理」宇宙論の人間中心主義。物理学的な神の謎と批判

ダーウィンは本当は何を言いたかったのか

 進化(evolution)という言葉自体に、進歩と同じ意味があるのは、別に翻訳によるものではないという。
この言葉は科学の世界に持ち込んだのは社会学者のハーバート・スペンサー(1820~1903)で、ダーウィンは彼に強い影響を受けていたようだ。

 『適者生存てきしゃせいぞん(survival of the fittest)』という言葉もスペンサーの開発とされる。

 とにかくダーウィンは自分の生物学理論を説明するのに、幅広く浸透していた、スペンサーの進化という言葉を取り入れた。
しかしそうなるまでには葛藤もあったと言われる。
なぜなら、彼の進化論は、生物が変異していく中で、文字通りの進歩が必ず起こるという可能性など全く示唆していないからだ。
進化の分かれ道「進化論」創造論を最も矛盾させた生物学理論  ダーウィンはおそらく、人々の心の中に根付いた、人間の特別性、人間こそ最も高等な生物という自惚れを甘く考えていた。
彼の進化論を支持し、彼の擁護者ようごしゃになってくれた者たちすらも、たいてい進化論を進歩の理論と捉えたのだ。

自然淘汰とニッチの概念

 進化論に反対する者たちは、素晴らしい生物である人間がサルから進化したなどということを認めたがらなかった。
一方で、多くの進化論者たちが、生物は進化を重ね、優れた生物である猿を生み、そしてその猿からさらに優れた生物である人間を生んだと考えていたわけだ。
ようするに生命体というものは、基本的には複雑化(進歩)する方向へと進化していくものという思想があった。
しかしダーウィン自身は、生命体が必ず進歩するわけではないと考えていたとされる。
だから誤解を招くような、進化という言葉を使うことには躊躇ちゅうちょがあったのだ。

 進化というよりも、ダーウィンのもともとの考えでは、ただの変異である。
彼はその変異の原因に関して、『自然淘汰説(theory of natural selection)』というのを提唱した。
それは、様々な生物が生まれる中で、その時々の環境に最も適応した生物の子孫が最も増えて、後の時代に繁栄するというもの。
しかし自然環境の中では、個々の生物が存在できる環境ごとの(『ニッチ』と呼ばれる)容量は決まっていて、まるで椅子取りゲームのように、その容量が埋まってしまった場合、他の生物はそこで生きれない。
そのため特に、大きな繁栄をした生物がいると、絶滅という現象が起こる。

ただ、人間が複雑な生物であることは間違いない

 現実問題。
この地球の生命体の歴史において、生物は常に複雑化してきた傾向がかなり見れる。
もし人間が、人間が考えているような生物だとするなら、今のところ知られているすべての生命体の中で、最も複雑な存在であることはほぼ間違いない。

 物理的な領域だけではない。
例えば意識というものが神経系が作り出すまやかしに過ぎないのだとしても、そのまやかしの制御が、独自の社会などの新たなシステムを構築していく。
人間という存在がどこまで複雑な生物かは、考えれば考えるほど、それだけでその証明になろう。
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で宇宙プログラム「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性

我々の力はどの程度なのか

 ダーウィン的には、実際にこの地球で、常に複雑化が起こってきたのだとしても、それは地球上という環境が、複雑化した方が有利である環境だからにすぎない。
だが、生物が誕生する環境というのは、そもそもそういう環境なのではなかろうかという疑問はある。
だが環境は変わるものだ。
地球と太陽が未来永劫に穏やかだったとしても、宇宙全体としてはそうではないだろう。
太陽系「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性 実際に中生代の大量の生物がそれで絶滅したと考えられているように、巨大な隕石が地球に降ってくることはある。
その衝突によって大異変が起きて、とても人間のような複雑な構造を持った生物では生きれないような環境になる可能性は常にある。
隕石衝突「恐竜絶滅の謎」隕石衝突説の根拠。火山説の理由。原因は場所か、生態系か。  そもそも今、人間はその気になればいつでも自分たちを滅ぼすことができると考えられている。
世界中に存在する核兵器という核兵器をすべて起動させればいい。

 実はもっと簡単な方法もある。
単純に、誰も子供を産まないようにすればいい。
そしたら、150年も経った頃には人類は絶滅しているだろう。
それをしようと思ってもできないはずと考える人はあまりいないだろう。
本当にしようと思ったらできるはずだ。
なぜなら我々には意思というものがある。
どういう機構でそれが生み出されたにせよ、我々は自分の意思で人類の時代を終わらせたいと考えたならば、終わらせることができるというわけだ。
そうしたら、我々が最も複雑だと考えている生物がこの地球から消えることになる。

意識というのは特別なのか

 ではもし人類が消えたらどうなるか。
生物全体としては頂点がやや下になってしまったということなのだろうか。
進化というのが常に進歩の方向に進むと考えている人でも、そういう事は起こりうると考えている人は多い。
だがそれは一時のことにすぎない。
再び生命体は進歩の方向へと進むと彼らは考える。
つまり人間のような生物が再び誕生することになるということ。

 そもそも、人間の工学技術や、意識による生物らしからぬ行動などは、本来自然に存在する流れへの抵抗であり、例えばそれによって進化が妨げられたりとかしても、自然法則の範疇はんちゅうに入らないのではないかという説もある。
これは単に、意識というものを特別と考えるか、考えないかだけの話だと思う。
意識というものが、人間と生物の機構の中にある、生きるための道具に過ぎないのだとしたら、我々が遺伝子操作したり、自ら絶滅を受け入れたりすることすらも、自然界の出来事の範囲から完全に脱却しているとは言えないだろう。

微生物。この世界で最も繁栄している者たち

 もう一つ重要なことは、我々は目に見える生物しか長い間知らなかったということだ。
だが今ではよく知られているように、この地球上において、繁栄度という基準で優劣を決めるなら、最も成功している生物は我々の目には見えないくらい小さな微生物たちである。
目に見える生物に限定したとしても、そもそも脊椎動物よりも(主に昆虫などの)節足せっそく動物(Arthropod)の方がはるかに数が多い。
虫取り網「昆虫」最強の生物。最初の飛行動物  節足動物ですら怪しいのだが、微生物となると、もう完全に、我々がその気になろうが滅ぼすことは不可能だろうとされている。
しかし我々が勝手に滅ぶことはできる

 深く考えると、我々はごく一部の狭い世界の中の、さらに狭い世界の中しか知らなかった井の中の蛙だった。
そしてようやく外の世界の存在を知れたにもかかわらず、それを認めたがっていない。
という状況なんじゃなかろうか。

人間とは結局どのような存在か

 比率から考えるに、目に見える領域というのもそもそも一つのニッチとして考えることができる。
そしてそのニッチの中で最も繁栄しているのは節足動物というわけだ。

 目に見える領域内でも、様々なニッチを設定できる。
それはいわばニッチの中のニッチ。

 人間も何かのニッチを占めるなら、それはなんだろうか。
多分、搾取者だろう。
生態系の頂点の頂点とでも言おうか。

 略奪という行為を行うために必要なのは力だけではない。
逃げる者や隠れている者を捕まえる知恵がいる。
そもそも、自分で何かを生産できないならば誰かから奪えばいいという発想に至る知能がいる。
家畜や養殖など、人間というのは搾取のスペシャリストと言えるだろう。

 とにかく我々は、目に見える生態系の頂点というニッチを占める存在と言える。
そして実際には極一部でしかないそのニッチが、 全ての生態系の中でも重要だという思想が、進化というものが進歩であるという決めつけに繋がったのだろう。
生命は常に複雑化する道を辿ってきたということすら、我々の視野の狭さが引き起こした錯覚だったのかもしれない。

 つまり我々が存在しているニッチが、複雑さが有利に働く領域だったというだけの話というわけだ。
少なくともその可能性が多分にある。

 『断続平衡説だんぞくへいこうせつ(Punctuated equilibrium)』を提唱した古生物学者としてよく知られるスティーヴン・ジェイ・グールド(1941~2002)は、まさにこの点を指摘していた。

断続平衡説。ミッシングリングがなかなか見つからないもっともな理由

 断続平衡説というのは生物の進化に関する説の一つで、簡単に言えば、生物はかつて考えられていたように徐々に様々な変異を遂げていくのではなくて、定期的に急激な変化を行うというもの。

 これは、様々な化石が見つかる中で、ある生物と生物の中間種(『ミッシングリング』)がなかなか見つからない場合を、運の悪さ以外で説明できる理論として有名である。
たいていの場合、ミッシングリンクが存在しないというよりも、その種が存続していた期間が、その変異前後の(化石が見つかりやすい)生物に比べて、ごく短い期間だったというふうに考えられる。
短い期間と書いたが、当然のことながらここでいう短い期間とは地質学的年代区分における短い期間である(地質学の領域では、1万年でもごく短い期間)。

 だからミッシングリングがなかなか見つからなかった生物のそれが、実際に見つかったからといって、この説が即座に否定されるわけでもない。

 ただ重要なのは、そのような現象が進化の歴史の中で起きていること自体より、なぜそれが起きているのかである。
あるいはそれが起きているようなデータは、どのようにして発生しているのかだ。

生命の本当の歴史はどんな感じか

グールドの基礎の説明

 古くは生物というのは基本的に大型化していく傾向にあると考えられてきた(『コープの法則』と呼ばれている)。
理由としては例えば、生態系の中で食物を独占するには大型化が一番だとか、そういうことが考えられる。

 しかしコープの法則は、複雑化の傾向と同じく錯覚である可能性がある。
グールドは『フルハウス 生命の全容―四割打者の絶滅と進化の逆説』という本で、面白い例えを出している。

 メジャーリーグにおいて、四割打者(野球において、1シーズンの打率が4割を超えている打者)はかつてに比べると減少傾向にある。
野球場「野球のルールと簡単な基本用語」鳥だけが邪魔できる それは一見すると、打率4割を超えることができるほど優れた選手がいなくなってしまったようにも思える。
打率4割を超える打者が毎年どれくらいいるかということばかりを考えていては、これに関する真の答えは出せない。
だがメジャーリーグ全体を見れば、その理由が浮き彫りとなってくる。
ようするに、様々な戦略などが開発されて全体のレベルが上がり、かつてのような才能ある選手がいても、4割打率を超えることが難しくなってしまった。

 上記のような例は、人間の能力に限界があるからこそ起こりうる。
いい練習法などが確立されれば、多くの人のレベルが上がるだろう。
そして練習などほとんど関係なしにものすごい才能ある人がいたとしても、人間の能力自体の壁があり、最高レベルは決まっているようなもの。
かつて、レベル100(最高)の選手は、レベル20ばっかしの人たちの中で大活躍できたが、平均レベルが70くらいになった今となっては、かつてほど大活躍はできなくなってしまったというような感じだ。
人間の身体能力のような限界がある領域においては、全体のレベルの向上は、最高レベルの領域を地味にさせる傾向があるのである。

 グールドは、生物の変異という領域はこれの逆なのかも知れないと説いた。
時に生物は大型化するのに小型化しないということが指摘されることがある。
だがそれは小型化に限度があるための現象にすぎない。
生物は様々な変異する。
時々は大きくなる。
そして我々はその大きくなった一部の連中の仲間であり、小さいものが見えていないためにそれが全てだと勘違いしてきたというわけだ。

複雑な生物は脆い

 比率で言うなら、小さな生物の方が大きな生物よりも圧倒的に多いのが、この目に見える領域というのが、一部のニッチでしかないということを示唆している。

 また、目に見える領域とは、多細胞生物の領域と考えても問題はないが、ごく一部この世界には目に見えるくらいの大きさの単細胞生物がいるらしいことは注意である。

 爆弾などの武器を使うにせよ、何らかの自然災害を引き起こすにせよ、とにかく何かの悲劇があった場合、生き残る可能性は、常に複雑な生物よりも単純な生物の方が高そうである。
この場合の生き残るというのは、例えば一匹の虫と人間とが同じ圧力を受けて、どちらが長く耐えられるかというような話ではない。
地球に大異変を起きたとして、人類が絶滅するのが先か、細菌が絶滅するのが先か、というような話である。
細菌が全て死滅するよりも、人間が先に絶滅しないと考えるためには、よほど特殊なシナリオが必要になると、普通は考えられている。

 複雑な生物が死にやすい理由に関しては簡単にわかる。
それは多細胞生物のような複雑な存在が、いくつもの要素が重なりあっている存在だからだ。
石ころひとつだけならばとても固いが、石ころを1000個くっつけたものなら、 少しバランスを崩しただけでもあっさり崩れ去ることがある。
たいていの人は経験で知ってるだろう。
複雑なものの方が、単純なものよりは簡単に壊せる。

今、考えられるシナリオと、残された謎

 生物は様々に変異するが、時には巨大化や、複雑化をする。
それは、各生物の繁栄の比率から考えるに、いくつもある可能性の中の一つがランダムに起こった、ちょっとした結果にすぎない。
しかし、そのように大きく複雑に変異した生物は何らかの大災害があった時にあっさりと滅ぶ。
そのような何らかの大災害、例えば隕石の衝突とか、火山活動の活性化とかがあった場合、一旦複雑な生物たちは数を大きく減らす。
火山噴火「火山とは何か」噴火の仕組み。恐ろしき水蒸気爆発 そして大異変が落ち着いてくると、再び目に見える領域が安全となり、一部の生物が複雑化してくる。
結果、我々が認識するような大きく複雑な生物ばかりに注目すると、断続平衡説を示すようなデータが現れる。

 おそらく一度形成されたニッチには、ある程度の保存性があるのだと思う。
そう考えると、一度複雑巨大な環境が形成された後からは、絶滅後にまたすぐそういう生物が現れてきたことの説明になる。
絶滅前にあった領域のニッチまでは、すぐにまた再現される。
そこからランダムに、それよりもさらに上の段階へと進むこともある。
我々が時代を進むごとに、どんどん複雑高度になっていくようなイメージを受けるのは、そのためであろう。

 だがニッチの保存はどのように起こっているのか。
それに関しては、今は謎としか言いようがない。

 しかし、もしも断続平衡説というのが正しく、かつ絶滅前に存在したニッチがまったく保存とかされていないなら、確かに複雑な生物は特別なのかもしれない。
あるいは、複雑な生物が誕生する以前は、恐ろしく運が悪かったか。
または、最初に複雑な生物が誕生して以来、幸運な時代が続いているのか。

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