「オセロの歴史」リバーシとの違いと起源の謎。イギリス生まれ日本育ちか?

オセロ

オセロの歴史は浅いか

 オセロというゲームを知り、 その戦術に関しておそらく最も初めに理解するのは、「とりあえず『星』(角のこと)を取れば有利」ということである。

 オセロの盤面においては、星のすぐ横のマスを『C』、星のすぐ斜めのマスを『X』と言う。
どちらのプレイヤーもまだ星をとっていない状態での「C打ち」は危険とされているが、「X打ち」よりはマシである。

 X打ちに関しては、「永遠の謎」と称するオセロプレイヤーがいる。
もはやそれしか手がないほど追い詰められているならともかく、そうでないなら、X打ちは基本的に絶対に避けたい「大悪手」である。
しかし、このX打ちが時には勝利に繋がる「好手」になることも、またひとつの事実。
「星を四つとったのに負けた」という話もないではない。
オセロ「オセロのルールと戦術」序盤の鉄則、中盤のコツ、終盤の勝ち方  オセロは、囲碁、将棋、チェスに比べたらシンプルのゲームというイメージも強いけど、人からしたら十分すぎるほどに奥が深いゲームである。
ただ、それらのゲームに比べたら、歴史が浅いのは間違いない。
オセロというゲームは、実は20世紀に考え出されたゲームなのである。

オセロ開発にまつわる謎

 オセロというゲームの開発は、チェスや将棋ほどに謎だらけというわけではないが、しかしそれなりに謎が多いことは確かである
チェス「チェスの歴史」将棋の起源、ルールの変化、戦争ゲームの研究物語  最大の問題は、一般的にオセロ開発者とされている長谷川五郎はせがわごろう(1932~2016)さん自身の話が、やや信憑性に欠ける部分があることであろう。

 『リバーシ』という名称は、オセロの英語名とか、オセロの別名と思っている人も多いが、本来はよく似た別のゲームの名である。
そのリバーシは、 オセロによく似ていて、偶然ですませてしまうには少し厳しいくらいなのだが、長谷川氏は、「偶然に似てしまった」と語っていたようなのだ。
 しかし、「リバーシのルールを整備し、 より馴染みやすいものに改良した」という主張もしていたようで、どれが真実なのか、よくわからなくなっている。

「オセロはリバーシのRedevelopment(再開発)」と言う人もけっこう多いそうである。

リバーシを作ったのは誰か

Annexation、リバーシ、源平碁

 正確に言うなら、リバーシ(というよりリバーシ型)と呼ばれるゲームは、起源がかなり不明である。
実際には、考えられているよりもずっと古い時代のゲームなのかもしれない。

 リバーシというのは、イギリスのルイス・ウォーターマンという人が、1880年代に開発したらしいゲームで、当時かなり高い評判を得たが、人気は長くは続かず、世間から消えたという。
リバーシは、例えばコマの色が白黒に限定されてないとか、いくらか 細かい違いがあったようだが、基本的なルールはオセロとほぼ同様だったとされている。

 一方で、ウォーターマンがリバーシを開発した時点でも、すでに似たようなゲームが多数存在していた。
特に、ジョン・W・モレットは、リバーシは自分の開発した「Annexation(合併)」というゲームのパクリと主張。
裁判沙汰にまでなったらしい。

 ただリバーシは、リバーシ型ゲームの中では、最初に広く流行ったものと考えるのは、間違いなさそうである。
当時、日本でもリバーシは「源平碁」と呼ばれ、親しまれたという。

オセロとリバーシの違い

 リバーシは、今はぜんぜん遊ばれない。
英語圏においても、基本的にリバーシと言えば、もはやオセロのことと認識されているようだ。

 ルールに関してもしっかりと残ってはいないが、 オセロとの違いに関してはよく言われる。

 まず初期配置。
どちらも、各色のコマを二つずつ、盤の真ん中に置くのは変わらない。
しかし、オセロが同じ色のコマを斜めに二つずつ交差させて置くのに対し、リバーシは横に二つずつ並べて置く。

 次にパスのルール。
オセロの場合、どちらかのプレイヤーがコマを置けない場合、そのプレイヤーは自動的にパスとなる。
リバーシの場合は、コマが置けなくなったプレイヤーは、その時点で負けとなる。

オセロとリバーシが似てるのは本当に偶然か

 1907年の「世界遊戯法大全」のような、オセロ開発以前の日本の書物にも、リバーシはしっかり載っているという。
しかも、 ローカルルールなのか、そもそもルールが異なっていたというのが勘違いなのか、初期配置やパスに関してなども、現在のオセロと同じルールが紹介されてたりするそうである。

 この事実は、「オセロは偶然リバーシに似た」という話をさらに怪しくしてしまう。
オセロは、おそらく元のリバーシではなく、日本のローカルルール採用タイプのリバーシにそっくりなのである。

公式の歴史

囲碁をリスペクトしての白黒

 1945年8月1日から8月2日にかけて、茨城県水戸市は、アメリカの爆撃機B29による空襲を受けて、大きな被害を受けた。
8月6日には広島に原爆が落とされ、さらに9日には長崎に落とされ、15日に日本の敗北をという形で、第二次世界対戦は終結した。

 オセロが誕生したのは、焼け野原となってしまった水戸にある、青空学校状態だった「水戸中学校(後の水戸一高)」においてだった。

 中一の生徒たちが囲碁をしようとして、しかしそれのルールをちゃんと知らなかったために、勝手にルールを作っていったことで、まったく新しいゲームが生まれたのだという。

 囲碁の石は白石と黒石。
オセロのコマはその石をモデルにしたから、白と黒なのである。

 囲碁では、相手の石を囲ったら、その石を取れる。
オセロは相手のコマを挟んだら、そのコマを自分のものにできる。
この、奪うコマを、自分のコマにできるという発想は将棋的である。
将棋の盤面「将棋の歴史」複雑化する戦い。極限の面白さへの渇望  そういう意味でオセロは、囲碁と将棋のハイブリッドと言えなくもないと思う。

 しかし毎回、奪ったコマを、白石、黒石と取り替えるのは面倒くさい。
そこで子供たちは、片面を白、もう片面は黒とする、オセロ独自のコマを考え出した。
 彼らは、ボール紙を使って、白と黒が裏表になっているコマを自作して、楽しんでいたようである。

シェイクスピアのオセロ

 大人になった長谷川は、将棋と囲碁のプレイヤーとなっていた。
そしてある日、妻や、同僚の女性に頼まれて、将棋や囲碁を教えようとしたが、なかなか覚えてくれない。

 そこで学生時代に開発したオセロを思い出す。
あれなら簡単だし、しっかりと諦めないで覚えてくれるかもしれない。

 長谷川は、父と母にも、 日清いろいろのテーブルゲームを教えていたが、父はともかく母はなかなか興味を持ってくれない。
しかし自作のオセロだけは違っていた。
 そして母と数局遊んだ後に、父は言ったそうである。
「この素晴らしいこの白いゲームだ」

 長谷川の父はゲームの名付け親にもなったという。
彼は英文学を研究していたためか、黒人の将軍と、白人の妻が、緑の平原で戦う、シェイクスピアの戯曲より、「オセロ」という名前をとった。
 だからオセロの盤は緑色なのである。

ツクダオリジナルとの契約

 今風に言えば同人ゲームであったオセロは、どんどんと人々の間に浸透してきて、自信をもった長谷川は、オモチャ会社「ツクダオリジナル」に、それを持ち込んだ。
1972年10月のことだったという。

 持ち込みのオモチャの契約は、最初は1年というのが通例なのだが、当時のツクダオリジナルの社長は、オセロの説明を受けるやすぐに気に入り、いきなりの10年契約を持ちかけた。

「この業界では5万でヒット商品。しかしオセロは、じっくり10年で50万円を売りましょう。そうして今は1000人しかいないオセロファンを、10年後には1000万人にしようじゃありませんか」
長谷川はそう言われたそうである。

世界への急速な普及

 実際には1000人でなく、おそらくすでにもっとたくさんのファンがいたのかもしれない。
1973年の1月には日本オセロ連盟が誕生し、第1回全日本大会は同年の4月7日に行われたのである。

 オセロの普及スピードは凄まじく、1977年には第1回世界大会が開催された。
そして、第4回世界大会では、無敗神話を打ち立てていた日本人選手を、アメリカ人のジャーナリストが打ち破って優勝を果たし、文字通りオセロは世界のゲームとなった。