「サイコロの歴史」起源と文化との関わり。占いとゲーム道具

サイコロ

 「いずれにしろ、私には確信がある。神はサイコロを振らない」
アルベルト・アインシュタイン

 「100個のサイコロ全てが同じ目になったと誰かが言っても、我々は多分信じない」
ピエール=シモン・ラプラス

 「賽は投げられた」
ガイウス・ユリウス・カエサル

古代人にとってのサイコロ

サイコロで神託を得る

 古い人達にとって、サイコロとは神の意思を知る為の道具だったらしい。

 紀元前の古代メソポタミアでは、ロットと総称される、印のついた木製の棒状サイコロや、粘土製のサイコロをよく投げたという。
 古代インドでは、裏表がわかりやすいタカラガイの貝殻がよく使われた。
 古代ローマでは、特に祭りの際に、サイコロによって決まった決定には無条件で従わなければならず、自由民の間で、愚かな命令が繰り返されたとされている。
 アフリカやネイティブアメリカンの間でも、占いの道具としてのサイコロの歴史は古い。

サイコロの神格化

 興味深いのが朝鮮で、4世紀頃から、サイコロを神格化して祀る風習がかなり長い間、続いていたらしい。
 サイコロの神の祭りの際には、人々が集まり、賭博を盛んに行う事で、一年の運気を探ったという。
 しかし長く続いていたサイコロ信仰だが、現在は廃れている。
おそらくは、1910年から1945年までの、日本により支配された時代に、賭博が厳しく取り締まわれた為である。

 だが、朝鮮のサイコロ信仰を廃れさせた、当の日本にも、古くはサイコロ信仰の例があるという。
特に海辺に住まう人達は、サイコロを船神の御神体のひとつとして、よく崇めていたようだ。

ネイティブアメリカンのサイコロ遊び

 現在では、サイコロといえばゲームに使う道具である。
どこかで誰かが、聖なる神の道具としてのサイコロを、ゲームに転用する事を考えたのだろう。

 ネイティブアメリカンは古くから、果実の種や、動物の骨などをサイコロとして占いに使う一方、遊びにも用いていたとされる。
 伝統的に彼らは、サイコロを振るのに専用の容器を使う。
容器の中にサイコロを入れて、揺さぶる事で、サイコロを地面に飛びだたせるのである。
 サイコロには、模様が描かれていて、サイコロが止まった時に上向いていた模様によって得点が決まるという。
基本的に高い点を出した者が勝利らしい。
 また、部族によっては、裏表を当てるという勝負方法も採用されている。
 
 サイコロゲームにおいて、裏か表かを当てるというのは最も単純な型であり、最初期のものであったと想像するのは容易い。
それがやがて、使われるサイコロの数を増やし、設定された得点を競うようになっていき、だんだんと複雑化していったのであろう。
ゲーム中ゲームとは何か。定義と分類。カイヨワ「遊びと人間」より

古代インドのサイコロゲーム

国を賭けたサイコロゲーム賭博

 古代における、サイコロを使ったゲームの記録が最も多く残っているのは、おそらくインドである。

 例えば5世紀頃に完成したとされる、天地創造より始まる、壮大な歴史を記録した古代インドの叙事詩マハーバーラタにも、サイコロゲームの描写が多くあるのだ。

 その描写とは、例えば以下のようなものである。

 カウラバ一族とパーンドゥ一族は、祖父を同じくする血筋同士であったが、仲が悪く、両一族の間では争いが絶えなさった。
 ある時、カウラバの王達の長兄ドゥルヨーダナは、パーンドゥの王達の長兄ユディシュティラの賭博好きを利用して、彼をサイコロゲームの賭博で破滅させてやろうと計画する。
 ドゥルヨーダナはユディシュティラの賭博勝負の相手として、イカサマの使い手であるサクニを用意した。
 ドゥルヨーダナの思惑通り、サクニはユディシュティラを何度も打ち負かし、最終的にユディシュティラは賭けの代償として、財宝や土地や家畜や奴隷、挙げ句、家族や自分自身すらも失い、パーンドゥ一族の国は消滅した。

 という風に、マハーバーラタには、通常の昔話では戦闘やトンチが入るような場面で、サイコロゲームを利用する場面が多いという。

剣で戦うか?サイコロで決着をつけるか?

 古くから多くの文化において、賭博は悪だとされ、賭博によく使われるサイコロも悪だとされてきたようである。

 実際、かつては日本でも、マハーバーラタを翻訳する際に、「聖典には馴染まない描写」として、サイコロを用いた賭博ゲームに関するシーンはよく削られたらしい。

 マハーバーラタ内には、「賭博は苦しみの原因」などと、非難するような記述がある一方、サイコロゲームの賭博に熟練した王や聖者が多く登場するという。
 また、サクニが行ったようなインチキは、許されない行為だともしている。
 
 結局、古代インドではサイコロゲームはどのようなものであったのか。
おそらくは、危険を秘めてはいるものの、高い階級の人々の教養のたしなみのようなモノだったのだろう。

 マハーバーラタには、一国を賭けた戦いにおいて「剣で戦うか?サイコロで決着をつけるか?」という選択が起こる場面もあるという。
サイコロは政治的な駆け引きに使われたのかもしれない。

数字でなく役を使った

 仏陀の説話集ジャータカにもサイコロゲームの描写は多い。
 ドイツの東洋学者ハインリヒ・リューダース(1869~1943)は、そこに書かれたサイコロゲームに関する記述を「Das Würfelspiel Im Alten Indien(古代インドのサイコロゲーム)」という書にまとめた。

 ある話では、行われたサイコロゲームのかなり具体的な内容が描写されていて、そこからリューダースは、古代インドで高貴な人達が行ったサイコロゲームの内容を推測している。

 どうやらサイコロで勝負するお互いは、複数のサイコロを用い、サイコロの目の大小ではなく、宣言したアヤス(役)が当たるかどうかで勝敗を決めていたようである。

 また、サイコロは地面に落とし転がすというより、空中に投げていたらしい。
それに、目が決まる前ならば空中のサイコロを掴み、仕切り直す事が許されていたようでもある。
 つまりサイコロの熟練者とは、イカサマが上手い者でなく、サイコロの飛び方から出る目を予測出来た者達だったのだろう。

サイコロの形

アストラガルス

 古代ギリシャでもサイコロゲームが親しまれていたようだが、使われたサイコロは、アストラガルス(astragalus)と呼ばれる、ヒツジやヤギの踝の骨だったとされる。

 これもいつ誰が最初に気づいたのかはわからないが、誰かがアストラガルスには膨れてる面と、ヘコんでる面がある事に気づいた。
それに膨らみ方、へこみ方の違いも考慮すると、アストラガルスには4面があった。
 そして誰かが、それを転がしてみる事にしたのだ。
 アストラガルスは4面体サイコロだった訳である。
しかも不規則な形の為に、それぞれの面の出る確率に明らかに差があるという、現代的な視点からすれば、妙な代物だった。

 ギリシャでは、このアストラガルスを使って、出た目を競うものから、じゃんけんのように目ごとの相性を決めて戦うようなものまで、多種多様なゲームが遊ばれていたという。
 アストラガルスはまた、ギリシャの他、ローマ、エジプト、モンゴルなどでも親しまれていたようである。

 アストラガルスは、また加工の必要がない事から、最古のサイコロ候補でもある。

棒か、三角か、立方体か

 しっかり人の手で作られた最初のサイコロは、どのようなものだったろうか?

 紀元前2000年を越えるほど昔の、インダス文明の遺跡からは直方体の棒状サイコロが多く発見されている。
 時代は違うが、土地から考えるに、おそらくはリューダースが見いだしたインド王達のサイコロゲームは、棒状サイコロが使われていたのかもしれない。

 一方同じくらい(紀元前2000年以上に)古い時代のエジプト文明の遺跡からは、ピラミッドを模したような三角錐形のサイコロと共に、立方体形、つまり六面体のサイコロがそれなりに見つかっている。
 どうやら我々に馴染み深い六面体サイコロを最初に見いだしたのはエジプト人だったようだ。
 
 ※ただし数は少ないが、インダスの遺跡からも立方体サイコロは発見されてるし、エジプトからも棒状サイコロは見つかっている。
だから真の起源がどこにあるかを特定するのは困難である。
 同様に、棒状、三角錐、立方体のどの形が最初に作られたのかというのも難しい問いとなる。
いずれのサイコロも同じくらい古い遺跡から出土しているからだ。

 また、エジプトやメソポタミアのサイコロの目は二重丸が多く、何らかの魔術的な意味を持っていた可能性がある。

賭博とイカサマ

イカサマ防止道具

 ネイティブアメリカンは伝統的に、サイコロを振るのに容器を使う。
ネイティブアメリカンに限らず、そのような専用のダイスボックスは、多くの地域で利用された。

 最初はもしかしたら、(人の手を使わない事で)より確実に神の意思が表れるようにしたのかもしれない。
 しかし、後には、ダイスボックスはまず間違いなく、ゲームにおけるイカサマ防止対策として採用されていった。

中世ヨーロッパにおける熱狂

 ギリシャのサイコロゲーム熱はローマに引き継がれ、それから中世には、ドイツ、イングランド、フランス、スペインなどで、サイコロ(というより賭博)ブームは続いた。

 一方で、中世には、力を増すキリスト教会の陰で、神秘主義が流行り、サイコロを魔術的な道具とする傾向も強まっていた。
 サイコロについて書いた文献の多くが、ゲームではなく、占いの本であったようである。

 また、中世のヨーロッパでは、ゲームにしろ、占いにしろ、サイコロは基本3つを同時に振るのが基本だったようである。
既にサイコロは立方体形がスタンダードだったから、数字は3~18を表せた訳である。

 賭博によく使われた為に、中世ではイカサマも流行した。
特にテクニックなしでも、ダイスボックスを介しても問題のないサイコロ自体に細工するケースが多かったようだ。
実際に使われたものとして、特定の目が出やすいように鉛を入れていたり、特定の目が複数あったりするサイコロが残っている。
 
 サイコロゲームの賭博により、身を滅ぼす者も多いので、「サイコロは人を堕落させる為に悪魔が作ったモノ」なんていう説まで囁かれていた。

サイコロと盤上ゲーム

少年王も親しんだ競争ゲーム

 サイコロは単体でも遊べるが、盤上遊戯の補助具としてもよく使われる。
 既に紀元前2000年期の古代エジプトやメソポタミアの遺跡からは、ゲームに使われたと思われる盤が見つかっている。
有名なツタンカーメン王の墓にも、少年王を退屈させない為だろう、ゲーム盤があったという。

 サイコロはもちろん、盤上のコマの動きを決定するのに利用される。
 初期のゲーム盤は、一方向に一本道があるだけというシンプルなもので、螺旋状のコースになっているものも、かなり早い段階から開発されていたようである。
 これらの一本道しかない盤に小さなコマを複数置いたのか、一人用だったのか、同じ盤を複数用意していたのかはわからない。

 しかし、道がふたつあるタイプの盤もわりと早くに開発されているので、行われたゲームが競争であった可能性は高い。

パチーシとバックギャモン

 競争ゲームは他地域にも広まり、インドでは一方向の道を十字に組み合わせた、4人対戦用の画期的な盤デザインが開発された。
このデザインは好評を博し、現在の『パチーシ』に繋がっている。

 ローマで最も親しまれた競争ゲームは、12のマスが2列並ぶ盤上で、互いに15個ずつのコマを競争させるというものだった。
これは現在では、『バックギャモン』の名で知られている。

双六と鵞鳥ゲーム

 バックギャモン型競争ゲームは、アジア、中国を経由して、日本にも伝えられ、『双六』と呼ばれるようになった。
 そしてこの双六をさらに発展させて、『絵双六(Picture Sugoroku)』が誕生したのである。

※現在、日本で双六と言えば絵双六の事。

 絵双六は中世の日本で生まれたとされているが、同じく中世のヨーロッパにも似たようなゲームが発展していた。
それは当初、『鵞鳥ゲーム(Goose games)』などと呼ばれたもので、『モノポリー』や『人生ゲーム』の原型とも言われている。

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