「グリーンランド」緑より氷河の多い、地球最大の島

グリーンランドは地球で最大の島

 グリーンランドは、デンマークに属する自治区である。
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(普通はその扱いだが)オーストラリアを島でなく大陸とする場合は、グリーンランドは地球上で最大の島である。

 ところで島とは、そしていったい大陸とはなんであろうか。

一般的な島の定義、大陸の定義

 一般的には島は、「自然に形成された、水に囲まれた陸地の内、高潮たかしおの時に水没しないもの」というように定義される。

 一方で大陸は、「地球表面(地殻ちかく)の中で、それ単体で独立していると考えられるほどに大きな陸上部分」と一応は説明されたりするが、わりと曖昧な島に比べても、さらに曖昧と言える。
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ようするにちゃんとした定義は存在しない。
むしろ一般的には、「ユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ、オーストラリア、南極大陸の6つの陸上領域」というのが実質的な定義である。
ユーラシアは、細かくアジアとヨーロッパに分けられる場合があるし、南北アメリカは同じアメリカ大陸として扱われる場合もある。

 大陸は、海洋(水域)に囲まれた領域というふうに言われる場合もあるが、ユーラシア(アジアとヨーロッパ)と、南北アメリカは地続きである。

オーストラリアとグリーンランドがサイズの基準か

 島とされるグリーンランドの面積は約216万平方kmで、大陸とされるオーストラリアの面積は約759万平方km。
つまりオーストラリアのサイズは、グリーンランドの約4倍ほどになる。
しかしグリーンランドのサイズでも、普通に広大とは言えないだろうか。

 実はこのように定義されることもある。
「オーストラリアより大きな陸地が大陸、グリーンランドよりも小さな陸地が島」
いつか他の惑星にでも、その間のサイズの陸地が発見された場合に、準大陸とでも名付けられそうな曖昧さである(注釈)

 地質学研究によると、古い時代には、現在、大陸と呼ばれているものは1つにまとまっていて、パンゲアという超大陸を形成していた。
そこでこのパンゲアから直接的に分離した領域とされているものが、超大陸の部分ということで、大陸と呼ばれるという説もある。
この説的には、グリーンランドは、パンゲアから直接的ではなく、北アメリカからさらに分離した領域とされているから、大陸でなく島ということになるのだそうである。

(注釈)曖昧な定義がもたらすかもしれない問題

 かつて冥王星は惑星の1つとして考えられていたが、それよりも大きな小惑星が見つかったことにより、準惑星という新しい定義が生まれた。
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 もっと未来の世界で、地球(というかそこらの岩石惑星)よりも大きな大陸とかが見つかるのが、ちょっと楽しみである。

先住民はイヌイットか

カラーリット

 グリーンランドの先住民『カラーリット(Kalaallit)』はいわゆる「イヌイット(Inuit)」である。
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 カラーリットは、 グリーンランドの先住民全般を指す名称であるが、実際には、北の「イヌフイト(Inuhuit)」、西の「キターミウト(Kitaamiut)」、東の「トゥヌミウト(Tunumiut)」と、グリーンランドには主に3つの部族があり、単純なひとくくりにはしにくい。

 カラーリットの他に、ロシアのシベリアや、アメリカのアラスカをまとめた名称がイヌイットであるが、この名称を好ましく思っていない部族も結構いる。

 ところでイヌイットというのは、単純に「人間」を意味するわけだが、カラーリットというのは、本来どういう意図で付けられた名称なのか、よくわかっていないところがある。
とりあえず何らかの民族が、本来自称していた呼称でないことを示唆する資料がいくつかあるようである。
例えば18世紀のデンマーク人宣教師の、「西グリーンランドの先住民は、欧米人に対してはカラーリトを名乗るが、仲間同士の間ではその名称を使っていない」というような記録もあるのだという。

 中世の文献では、グリーンランド先住民はカラーリトでなく「スクレーリング(Skraeling)」と呼ばれていて、それが訛ってカラーリトになったという説もある。
しかし、そのスクレーリングなる名称に限っては、完全に由来が不明である。

カラーリストというグリーンランド語

 19世紀には、デンマークによる本格的な植民地支配が島の全域に及び、グリーンランドに移住してきたデンマーク人たちの中にも、元の先住民の言語の影響が出てきた。
グリーンランドは1953年に、デンマークに統合され、その1地方という扱いになったが、1979年には自治政府が発足。
1970年代には、デンマーク語に加えて、『カラーリスト(Kalaallisut)』と呼ばれるようになるグリーンランド語もこの地域の主要言語とされるようになり、2009年の自治法では、いよいよ公用語にもなった。
カラーリストは、元はグリーンランド西の方言らしい。

 カラーリストを公用語に設定したのは、自治区ゆえのナショナリズムの発生とされている。
つまりグリーンランド化という、デンマークからの脱却が進みつつあるわけである。
自治国としての正式名称も、「Kalaallit Nunaat(カラーリット・ヌナート。カラーリットの土地)」と設定されている。

ヌーク。世界最北の首都

 グリーンランド最大の都市『ヌーク(Nuuk)』は、自治政府が定めた首都でもある。

 この都市は1728年に、ハンス・エゲデ(Hans Poulsen Egede。1686~1758)という宣教師が設立したとされているが、その当時の名前は「ゴッドハブ(Godthåb。グッドホープ)だったらしい。
「ヌーク」という名称は1979年に付けられたもので、「岬」の意味するカラーリストである。

 最初からキリスト教の伝道以外に、交易の中心としての役割も想定されていたとされる。
1774年には、王立貿易局が建設され、1776年から、デンマークとの商取引も開始された。

 様々な文化センターと公共施設が揃っており、 グリーンランドはヌーク一極集中社会と言われることもある。

ハンス・エゲデの開拓

 15世紀くらいにノース人が消えてから、グリーンランドはしばらくヨーロッパ人の手が及ばない土地であった。
ハンス・エゲデは先頭に立って、再びその大陸への興味を北欧の人々に芽生えさせた人とされる。

 数世紀前から連絡がほぼ完全に途絶えていた、グリーンランドの古い北欧の入植地についての話を、エゲデが聞いたのは1711年のことだという。
彼はすぐに興味を持ち、デンマーク(とノルウェー)の王であるフレデリック4世(フレデリック4世(1671~1730)に、植民地を捜索し、可能ならばグリーンランドにおける布教活動を行う許可を求めた。
フレデリックは植民地の再確立によって、他国と衝突することを懸念するなど慎重であったが、一応はいくらかの援助をしてくれることになる。

 1721年に、自身の家族に加え、40人ほどの入植者たちと、グリーンランドにやってきたエゲデは、住居地を確保すると、彼は昔の北欧からの入植者の子孫を探し始めたが、見つかったのは、より古くからの先住民であるイヌイットの人々だけであった。
エゲデはならばと、イヌイットの言語の研究を始め、キリストの思想を上手く伝えるために、その文化も学んだ。

 エゲデと一緒に来た入植者の多くは、冬に壊血病に襲われ、ほとんどがすぐに帰国したが、エゲデは家族と共に残る道を選ぶ。

 1722年以降も、何度か、本国からの補給船はやってきて、遠征調査も何度も行ったようである。
そして1728年。クラウス・パース少佐の指揮する遠征隊が、4隻の補給船に乗って到着する。
エゲデは彼らと一緒に、カンゲック(Kangeq)というコロニー(植民地集落)を、 それの現在の位置に移動させて、ゴッドハブを設立した。

 エゲデの著書「古いグリーンランドの新しい解釈(Det gamleGrønlandsnye Perlustration)」は、1729年に出版された後、いくつかの言語に翻訳され、当時のグリーンランド感をヨーロッパに与えたそうである。

 壊血病の驚異は果てしなく続いた。
1735年には、妻の亡骸を埋葬するために、エゲデも故郷へと帰ったが、しかしグッドハブは残り、今のヌークへと繋がっていったのだという。

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