「グリーンランドの歴史」謎のイヌイット文化。ヴァイキングがもたらしたもの

先住民族カラーリット

 グリーンランドの先住民は『カラーリット(Kalaallit)』と呼ばれている。
彼らはアラスカやシベリアの先住民族と共に、よく「イヌイット(Inuit)」と呼ばれている。
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 遺伝的研究により、グリーンランドに最初に移住してきた人たちは、 現在のイヌイット(カラーリット)とは別の人種系統に属するとされ、彼らは「パレオ・イヌイット(Paleo inuit)」と呼ばれる。

 現代のイヌイット(あるいはその先祖)は「ネオ・イヌイット(Neo inuit)」と呼ばれる。
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パレオ・イヌイットの時代

インデペンデンスI。寒さをしのぐ手段が少ない

 おそらくベーリング海峡を渡り、パレオイヌイットがグリーンランドに移住してきたのは4600年ほど前のこと。
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この島(グリーンランド)で最初に確認されている文化は、紀元前2600~1900年くらいの、「インデペンデンスI文化(Independence I)」とされる。

 この文化の人たちは、ジャコウウシを主な狩猟対象としていて、時々はホッキョクグマやアザラシ、セイウチ、渡り鳥なども狩ったようである。
比較的暖かい、カリブー(トナカイ)の毛皮はおそらく使われてたおらず、北極近くの恐るべき寒さに、驚愕的な精神で堪えていたと思われる。

サッカック。捕鯨の開始

 インデペンデンスIと、似たような時期に始まったとみられ、石器の形状などによりはっきり区別できるという「サッカック文化(Saqqaq)」には、石のランプが存在していたとされる。
また、新たな狩猟道具としてもりを獲得していて、捕鯨ほげい(クジラ漁)が可能になった。

 東を除く グリーンランドの各地域に散らばっていたとされるサッカックの各小集団だが、 石材の流通事情などから、集団ごとに交流があったと思われる。

ドーセット文化

シャーマニズム、竪穴住居

 インデペンデンスIやサッカックは、 まず間違いなくパレオイヌイットの系統であるが、紀元前800年頃にカナダから広がってきたとみられる「ドーセット文化(Dorset)」の集団は、パレオなのかネオなのか、意見が分かれる。
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 ドーセット文化はさらに、紀元前800~紀元0年くらいの「前期ドーセット」と、800~1300年くらいの「後期ドーセット」で分けられる。

 シャーマニズム的な意図を持っていたとらしい芸術品は、前期と後期のドーセット文化に、はっきり共通する特徴と考えられている。

 前期ドーセットは、サッカック文化と、分布域も生活模式も近かったらしい。
ただし彼らは、グリーンランドで初めて「竪穴住居たてあなじゅうきょ(pit-house, pit-dwelling)」を使っていた可能性がある。
犬が飼われていたのはほぼ確かなようだが、ソリをひかせることはなかったともされる。

謎の空白期間

 前期ドーセット文化の消滅後。
グリーンランドには奇妙な、文化の空白期間があるとされる。
おそらくは1300年ほど前に、やはりカナダからやってきたとみられる後期ドーセット文化の者たちが北西に分布するまで、グリーンランドは700年ほどの間、完全な無人島となっていたようなのである。

 空白期間の原因として、急激な気候変動や、社会的要因など、いくつか説はあるが、決定的なものはない。

ロングハウス。他部族との交易事情

 後期ドーセット文化の大きな特徴として、「ロングハウス(Long house)」というのがある。
長さ40メートル、幅5メートルほどの構造物で、 初期のものは、おそらくは一つの屋根を共有する大きな建物というわけではなく、テントを並べたような構造だったと考えられている。
内部にはだいたい30くらいの炉址ろし(屋内で火を焚いた跡)が見られるという。

 それまでのイヌイット文化と異なっていて、あまり海の生物が狩猟対象になっていない。
陸上動物はもちろん、鳥類もよく狩られたようである。

 隕石に由来しているらしい隕鉄いんてつという鉱物は、グリーンランド以外ではあまり取れなかったとされるが、カナダに持ち込まれていたらしいから、かなり広い範囲での交易があった可能性がある。
また後期ドーセットの末期の遺跡から、後の『チューレ文化(Thule)』や「ノース人」の入植地のものとされる品が発見されていて、何らかの関係があったと推測されている。

チューレ文化

ネオ・イヌイットの系譜

 1000年くらいにアラスカにいて、1200年くらいには、グリーンランドにも進出していたチューレは、現在のカラーリットの直接的な先祖集団とされている。
少なくても遺伝的、文化的にネオ・イヌイットに属しているのはほぼ間違いないとされる。

 チューレは、犬ゾリや、「カヤック(kayak)」や「ウミアック(Umiak)」といった皮張りの船など、交易活動を支える、新たな交通手段を有していた。
また、大きなクジラの骨を骨組みとして利用するなど、竪穴住居にも改良が見られる。
他に、「イグルー(igloo)」、つまり雪小屋も開発されたらしい。

 そして、優れた交通手段を利用したネットワークや、便利な道具を駆使した生活を営むチューレの台頭と共に、ドーセット文化は消えていった。

カヤックとウミアック

 カヤックは、現在ではクローズドデッキ(人や荷物が乗る部分以外は封鎖されているような形状)のカヌー(伝統的な小舟)を指す名称。

 本来カヤックは寒冷な海での使用を前提として開発された船である。
発祥はアリューシャン列島という説が有力で、イヌイット先住民族以外にも、アイヌ民族などに使用されていたともされる。
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どうも狩猟目的がメインで機動性に特化したものと、 輸送がメインで積載力に特化したものの、2系統があるらしい。
グリーンランドの伝統的なものは前者である。

 ただ、現在カヤックといえば、スポーツ目的のものがほぼ全てなようだ。

 一方で、ウミアックはオープンデッキタイプの船で、 グリーンランドにおいては、こちらが主に移動や交易用だったとされる。
こちらはまた、「女性の船(woman’s boat)」と称されたりしていたらしい。

イグルー。雪で作る多用途シェルター

 イグルーは雪で作られる、ある種のシェルターである。

 伝統的には、主にカナダとグリーンランドの一部地域だけで利用されていたともされる。
雪を使う場合、空気の隙間を作ることで、 内部の熱を閉じ込める、よい断熱材になりうる。

 現在は雪で作られたもの限定であるイメージが強くなっているが、本来イグルーという名称自体は、建物全般に使われるものらしい。

 伝統的なイグルーには3つのタイプがあるという。
つまり、一時的な避難所として建設される最小のタイプ。
一家族の半永久的な住居用となるタイプ。
そして、特別な祭りやコミュニティなどに使用されていたという、 複数の空間をトンネルで繋ぎ、大規模なものとしていた、最大のタイプである。

ヴァイキング。ヨーロッパからの移住者たち

 チューレと似たような時代(1000年くらい)。
その時にはおそらく、イヌイットはいなかった、グリーンランドの南に、それまでとは全く異なる人たちが、陸路でなく海路を使ってやって来た。
つまりノース人、北欧の『ヴァイキング(Viking)』たちである。
それは彼らの故郷である、ヨーロッパの歴史的視点においては、『ヴァイキング時代(Viking Age。800~1050)』と呼ばれる時期のことであった。

 ヴァイキングは主に、250年ほどの間に、ヨーロッパのいくつかの土地を侵略したりして、領土を広げた、スカンジナビア、バルト海沿岸地域の武装集団(あるいはその地域の人々全般)を指す名称。
基本的にはゲルマン系。
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海賊や植民のイメージが強いが、平時には農民、あるいは漁民であったともされるし、主な収益は略奪よりもむしろ交易で得ていたという。

 デーン人(デンマーク人)やノース人(ノルウェー人)など、ヴァイキング内でも、いくつか分類があるが、アイスランドを足がかりに、グリーンランドにやってきたのはノース人とされている。
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 グリーンランド(緑の島)、アイスランド(氷の島)という名称はヴァイキングたちが考えたものらしい。
実際の環境からすると、逆ではないかと言いたくなるが、 おそらくは、いろいろと思惑があったのだろうともされる。

ノース人がもたらしたもの

 ノース人たちはグリーンランドに、家畜や農業を持ってきた。
彼らが植民地にした南の方は、比較的温暖な気候の草が茂る地域で、グリーンランドという名称も、あながち的外れな認識でもなかったのかもしれない。
ただし農業が営まれていたといっても、人骨の同位体分析などによると、狩猟された海獣をメインの食事とするノース人たちも多かったらしい。
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 北欧からも別に孤立せず、そちらから穀物や塩や木材や金属などを輸入した。
代わりにホッキョクグマやアザラシの毛皮、イッカクやセイウチの牙などを輸出したが、ユニコーン伝説との関連を考えるとなかなか興味深いかもしれない。
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 15世紀くらいにノース人はグリーンランドから消える。
その原因としては、グリーンランドの方の気候の問題(寒冷化)などもあるが、ヨーロッパ側の方の政治的問題なども一因だとされる。

 (北半球の小氷河期とも呼ばれる)寒冷化は、イヌイット社会にも影響を与えたようで、ノース人たちにも影響を受けてたと思われる、相対的な大集団などは崩壊している。
18世紀以降から民族誌などで取り上げられる、季節移動する小集団というような、伝統的なイヌイット像は、この頃に再開発されたようなものなのかもしれない。

デンマークによる本格的な植民地化

 デンマーク(1814年までは、王を同じとするデンマーク=ノルウェー連合)のグリーンランドに対する植民地化は、1720年代くらいに始まったとされる。
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 それまでも限定的な影響は、ヨーロッパから受けていたイヌイット社会だが、本格的な植民地化が始められたことにより、その影響は顕著になっていく。

 18世紀以降は、銃を手に入れた部族も現れる。
動物を簡単に狩ることができるようになったことは、ソリをひかせる犬の餌の増加にも繋がり、交通事情などの発展にも繋がったという。

 ところでグリーンランドは、北と西と東で、環境が大きく異なっているとされる。
そこで、北の「イヌフイト(Inuhuit)」、西の「キターミウト(Kitaamiut)」、東の「トゥヌミウト(Tunumiut)」というふうに、 そこには異なる社会や文化が形成されていた。
特に北は、17世紀くらいから、西東との交流が途絶えていて、孤立していたため、より独特な面が強くなっているという。
一方で、夏には氷が少なくなり、船が来やすい環境の西は、ヨーロッパからの影響を素早く受けやすかったようである。

孤立していた北グリーンランド

 北の孤立は20世紀まで続き、他の地域に比べると、デンマークからの影響を受けるのがはっきり遅れているそうである。

 この孤立時期か、その少し前くらいから、北グリーンランドのイヌイットたちはなぜか、カヤック船や、弓矢など、いくつか便利な道具を失い、従来の生活を送ること自体、結構苦労していたようである。
1860年代くらいに、カナダから新たに移住してきたバフィ島イヌイットから、それらの道具は再度もたらされたが、そもそもなぜ失ってしまったのかが謎である。

二つの社会の交わり

 グリーンランドにおいては、イヌイットたちの伝統的狩猟生活は、19世紀末くらいまで普通にあったとされるが、 これには植民地当局側の思惑も関係していたらしい。
ようするにデンマーク側は、自分たちの社会になれきったイヌイットたちが、経済的援助を求めてくることを嫌がった。
自分たちの利益的にも、イヌイットにはそれまでと同じような自給自足の生活を送ってもらう方が、都合がよかったというわけである。

 しかし、銃はもちろん、タバコのような嗜好品なども、イヌイットの人たちにとっては魅力的だったらしく、交易はだんだん盛んになって、結果的には西洋人的社会にイヌイットも取り込まれていくことになった。

 20世紀には、イヌイットたちの多くは、自分たちが食べるための狩猟ではなく、市場で儲けるための狩猟を行うようになっていた。
家も、西洋的な木造の家に変わり、季節移動もあまりしなくなった。

 今は、グリーンランドは自治区となり、デンマークの影響からむしろ離れていってる感もあるようである。

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