「ジョージ・フォーダイス」平熱の概念を命懸けで示した紳士

熱部屋

医師、研究者としてのキャリア

 ジョージ・フォーダイス(1736〜1802)は、スコットランドのアバーディーンで生まれた。
地元の学校で優秀な成績を収めていて、14歳の時に、大学で修士号を取った後、医学(medicine)を学ぶために、ラトランドのアッピングハムという町で、医師をしていた、叔父のジョン・フォーダイスに弟子入りした。

 叔父の下でしばらく学んだ後、エディンバラで1958年に博士号を取得。
彼の正式な医師としての最初の論文は、風邪(catarrh)に関するものだった。
 さらに彼は、オランダのライデンに渡り、高名な解剖学者、ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌス(1697〜1770)から、解剖学(anatomy)を学ぶ。

 1759年。
フォーダイスはロンドンに移り、開業医を始めた。
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一方で彼は、化学や物理学への関心も強く、よく講義なども行っていたとされる。

 医師としても、順調にキャリアを重ねた彼は、1770年、セントトーマス病院の医師として選出される。
 1776年には、王立協会のフェロー(研究職に従事する者にあたえられる、ある分野に大きな貢献した者に授与される称号)。
1778年にも、王立医師大学のフェローに選ばれている。

 また、1783年には、解剖医のジョン・ハンターと共に、医師のコミュニティを立ち上げたりもしている。
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人間はどれだけ熱に耐えられるのか

 フォーダイスは、 医学以外にも農業(agriculture)、消化(digestion)、鉱石(ore)、運動力学(kinetics)など、幅広く興味を持っていて、特に 強い関心を寄せていたのが熱であった。
 彼は、熱を利用して病気を治すことはできないだろうか。
熱というのは、どんな影響を人間に与えるのだろうか。
人間は、どれほど熱に耐えれるのだろうか。
というような疑問を持っていた。
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 そして1774年。
38歳にして、彼は決心した。
人間はどれだけの熱に耐えられるのか、自分の体で試してみようと。

仲間達と、高温の部屋へ

ひとりでの実験

 彼はまず、蒸気で温めた部屋に、シャツ一枚を着て、入り、温度をだんだんと上げていった。
床の熱に耐えれるように、足には木のサンダルを履いていた。

 部屋の温度が摂氏40°を超えたくらいで、 流れ落ちた汗が 床に水溜りを作った。
彼は、濡れすぎて気持ち悪いシャツも脱ぎ捨てた。

 50°近い時に心拍数を数えてみると、平時の倍ほどの速度。
さらに静脈が浮き上がり、全身の皮膚が真っ赤。

 外に出てみると、空気が氷のように冷たく、立っていることも難しかった。
しかし数時間で、すべて正常に戻った。

 こういう実験を何度か繰り返し、フォーダイスはある事実に気づく。
彼は60°近くまで一人で耐えたようだが、自身の体温が37.8°を超えることがなかった。
平熱に比べたら、ほんの少しは高くなったが、しかしそれだけだった。
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みんなと一緒に実験

 フォーダイスは、部屋の温度をもっともっと高くしようと、蒸気に代わって、ストーブを採用した。
それでまた、彼は気づいた。
湿った空気よりも、乾いた空気の中にいる方が、同じ熱さでも、我慢するのが楽だったのだ。

 そして1774年1月。
ここでようやく、一人だけで、この実験を続けるのは、少々危険すぎるという事に気づいたのか。
彼は四人の友人を招待し、一緒に高温の部屋に入ってもらった。

 招待されたのは、フォーダイスと同じく医師であり、 ロンドン王立協会の事務総長を務めていたチャールズ・ブラグデン。
イギリス海軍大佐で、探検家のコンスタンティン・フィップス。
植物学者のジョゼフ・バンクスと、ダニエル・ソランダー。

 実際問題。
このような実験に、どれほどの危険性があるのか、当時は全然わかってなかったとされているが、いくつかの実験結果は参考になったと考えられている。
 だいたい水生動物は約38°で死ぬ。
鳥や四足動物は、65°くらいで死ぬ。
一方で、100°以上の高温の空気に数分間堪えた事がある、というような実験結果もあった。

 チャールズ・ブラグデンは、報告書に書いた。
「我々はみな喜んでいた。なにせ、生物の限界とされているよりも高温の空気にさらされた時に、人間がどうなるのかを、身をもって確かめれる機会に恵まれたのだから」

 ちょっと頭がイッちゃってるようにも思えるが、少なくとも、とても勇気があるとは言えるだろう。

恐ろしい熱さと、驚きの冷たさ

 勇気ある五人は、一歩間違えれば笑い話にもならないくらい、危険な実験を開始した。
早い話が、90°を超える高温の部屋に10分間留まった。

 息を吸い込むたびに鼻の中が焼けるようで、顔や足がまるで焦げるような気がして恐ろしかったと、ブラグデンは記録している。

 しかし、金属には熱すぎて触ることもできない。
めまいまで起こし、本格的に危険を感じるような熱さでも、体温はやはり37°程度。
試しに自分の体に触れてみたら、驚愕するほど冷たく感じたという。

体温が一定な理由は汗か

 フォーダイスは、さらに、仲間を増やし、 もっと熱い温度に、何度も挑戦した。
 そして、いくら熱かろうと、体温が上がらない事に関して、フォーダイスも、ブラグデンも、原因は汗でなかろうか、と思い至る。

 実際、フォーダイスらの推測は、わりと的中していたとされている。
我々は高温環境にいる時、普通は、体の熱が上がらないように、汗をかき、それを蒸発させて、熱を体外に逃がす。

 最終的には120°以上の温度まで耐えたらしい、フォーダイスらの実験結果は、重要なサンプルとなった。

そして我々は、体調が悪い時に、熱を計るようになった

 フォーダイスの時代。
体温が常に一定であるなど、考えられる事すらあまりなかったとされる。

 また、地球上には様々な環境がある。
そして寒い環境にいる人の体温が低い事、熱い環境にいる人の体温が高いというのは、(はっきり確かめられる事もあまりなかったのに)常識であった。
 それどころか、冷酷な人間の体は冷たく、優しい人間の体は温かい、というような話が、素で広く信じられていた。

 フォーダイスの実験結果は、非常に重要であったと言える。
何せ、普通に生きている人間の体温が、高温環境の中においても変わらないということを証明しているから。
それはそのまま、平熱よりも体温が高くなっている状態が、異常である、という事でもある。
 そうして、フォーダイスらの後、医者は、患者がどれほど異常な状態にあるかを確かめるために、熱を測るようになっていった。
今は、医者でなくとも、みんなそうする。

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