「エンリケ航海王子」世界史における、大航海時代を始めたポルトガルの王子

エンリケの羅針盤

信心深い王子

エンリケの誕生

 航海王子ことエンリケ(1394~1460)がポルトガル北部のポルトで生まれたのは、1394年3月4日。
父はポルトガル王ジョアン一世。
母はイギリスはランカスター公ジョン・オブ・ゴーントの娘フィリパ。
エンリケという名は、母方の祖父であるランカスター公ヘンリーのポルトガル語読みである。
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 エンリケは、幼くして死んだブランカとアフォンソ。
それにドゥアルテ、ペドロに続く、第五子。
 ポルトは、ジョアンとフィリパが結婚式を挙げた町でもあり、市民達は、この新王子の誕生を盛大に祝ったという。

欲望に負けず、第一は神への奉仕

 仲のよかったふたりの兄に比べると、エンリケは幼い頃より知的、というタイプでなく、活動的で、狩猟や馬術や武術を好んだという。
信仰心は篤く、それは母親譲りだったとされる。
神への奉仕を生きる最大の目的としていた。
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 彼は生涯独身で、女性との過剰な付き合いも行わず、酒も若い頃に少しばかり試しただけで、決して口にしなかったと伝えられる。
とにかく人間的、生物的な欲に強かったそうだが、その篤い信仰心ゆえだったのかもしれない。

 しかしエンリケの幼少時代はあまり知られていない。
あるいはこの時期はまだ、精神的にも未熟で、それほど自制心も強くなかった可能性はある。

カスティーリャとの和解。新たな征服計画

 ポルトガルは、古代ギリシャ、古代ローマからの伝統的な呼び名である『ヒスパニア』の地域である。
そこでエンリケの時代でも、ポルトガル人は、自分達を『ヒスパニアの民』として、その伝統を守っていた。

 ヒスパニアの伝統では、14歳で成人である。
なのでエンリケも、そのくらいの歳になると、領土や財産を与えられた。

 そしてエンリケが成人してから数年ほど経った頃、ポルトガルは、いがみ合っていたカスティーリャ王国と和解。
これにより、心身共にゆとりが出来たジョアン1世は、一説によると、国際的な馬上試合の開催を提案。
しかし財務長官は、それならむしろと、北アフリカのセウタ攻略を進言。
エンリケを含め、成人していた三人の王子達は、父以上にその話に乗り気であったという。

戦いを求めた貴族達

 実のところ、カスティーリャ王国と和解した時、平和な時代がようやく訪れたと喜んだのは市民達であった。
 長く他国との戦争をしてきた貴族達の心には、むしろわだかまりがあっともされる。
武を重んずる彼らは、戦にこそ自分達の存在意義を見いだしていたのである。
 また、特にブルジョアジー(中流階級)の人達は、海運事業に力を入れていた者も多く、事業の拡大、つまり新たな海外市場を求めていた。
 そういう訳で、財務長官ジョアン・フォアンソの、セウタの征服計画という案は、それは再び栄光ある戦いや、商業の新舞台を求めた貴族達を代表した希望であったと見る向きもある。

 標的にされたセウタは、当然のごとくキリスト教世界から敵視されていたイスラム教徒が中心の都市である。
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この都市はまた、豊かな資源に溢れていたモロッコの中心都市でもあり、交易の盛んな街でもあった。

父王の決断

 王ジョアンは、しかし迷った。
ただでさえカスティーリャとの戦争が一段落した後で、財政難であるのに、また新たな戦いは、確実に民の反発を招く。
さらにセウタという海外の標的に軍事力を注ぎすぎると、その隙を、カスティーリャや他のヨーロッパ諸国に突かれる危険性もあろう。

 だが結局、セウタ攻めを決意したジョアンが、真っ先にその事を伝えたのは、三男であるエンリケであった。
これは、ジョアンがエンリケを贔屓していたからではなく、単にこたびの計画にエンリケが一番乗り気であったかららしい。

臓器を食べる人。ユダヤ教徒への差別

 セウタ攻略の為の遠征の準備は1412年に始まったが、それが完全に整ったのは1415年。

 国民達の多くが新たな戦争事業に反対の手をあげる中、ポルトに駐在していたエンリケは、市民達をこの事業に乗り気にさせる事に成功した。
ポルト市民達は、肉を遠征隊にまわし、自分達は内蔵だけを食べたという。
そこでこの街の市民にはトリペイロ(臓器を食べる人達)というあだ名がつく事となる。

 だが、市民にとっては普通、海外での戦争など税金が増えるだけのいらないイベントである。
特にユダヤ教徒は、キリスト教の人達の差別に対し、王の保護を受ける代償として、多めに税を納めなければならなかったという。
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王妃フィリパの死。セウタの征服

 1415年7月頃。
いよいよセウタへ船団を出立させようという時、エンリケの母である、王妃フィリパが病死。
それは不吉の前兆ではないかとも考えられたが、王は予定通りに遠征を決行。

 王妃の死は悲しみではあったが、不吉の前兆ではなかったようで、結局ポルトガル軍は、セウタをあっさり征服。
そしてこの成功を機転とし、ポルトガルはヨーロッパより、海外の開拓事業に力を傾けるようになっていく。

航海王子

セウタの防衛責任者。深い信仰心。そして騎士団長へ

 20歳くらいの若造ながら、エンリケは、セウタの防衛と補給の最高責任者に任命され、総督として船団も有するようになった。
 セウタはアフリカでキリスト教を信奉する数少ない(唯一(?))都市となり、教会からの支持も得る事が出来た。

 エンリケ自信、熱心なキリスト教徒であり、その神の加護が、大きな原動力となった。

 セウタは、しかし敵対するイスラム世界に囲まれた孤立したエリアであり、防衛自体大変で、期待されていたような利益はまったくうまなかった。

 そこで、エンリケの兄、ペドロなども、セウタの放棄を提案したが、エンリケはセウタの放棄に断固として反対した。
信心深い彼にとって、利益など二の次。
全ては異端の中にある小さなキリスト教世界を守るため。

 1419年9月には、エンリケは、セウタを攻めてきたイスラム軍を15日ほどの戦闘で、撤退させている。

 そして1420年5月。
セウタから帰還したエンリケに、教皇マルティヌス五世は、キリスト騎士団長の称号を与えたのだった。
キリスト騎士団は、有名なテンプル騎士団の伝統を受け継いだ、騎士修道会である。
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ボジャドール岬。占星術。伝説のプレスター・ジョン

 エンリケの時代、地球は丸いのだとしても、現実的には果てがあった。
その果てとされていたのが北西アフリカ沖のカナリア諸島からほど近い『ボジャドール岬』であった。
その先の海には怪物が住まうとか、冥界に続いていくとか、いろいろ言われていたようである。

 十字軍的な冒険、開拓精神溢れるエンリケは、財力の多くを航海事業に注いだ。
航海に関係する(天文学などの)学問を学ぶ傍らで、彼は占星術に通じ、その結果に導かれていたとする説もある。
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東方に存在するという、伝説的なキリスト教国『プレスター・ジョン』を探す意図があったという説もある。

 しかしボジャドール岬を越えて、その先に進もうという者はなかなか現れなかった。

 そしてある時、業を煮やしたエンリケは、従士ジル・エアネスに命じた。
「迷信などに囚われるな。今度の航海では間違いなくボジャドール岬を越えて行け」

 そうしてエアネスは、死をも覚悟して、1434年。
ついにボジャドール岬の先へと船を進めた。

試練の先に

タンジール戦。敗北と弟の死

 ボジャドール岬を越える事で、最大の障壁とも言える迷信を打ち砕いたエンリケであったが、この後、彼は一時、航海事業を棚上げせざるをえなくなる。
身内であるポルトガルの王族達の間に、新たな征服計画が持ち上げられたのである。
標的はまたモロッコの、タンジール。

 だがセウタの時と違い、今回の征服は見事に失敗であった。
敗北を喫したポルトガルに突きつけられた降伏条件は、セウタをムーア人(アフリカのイスラム教徒達)に返還する事だった。
そして約束を保証する為に、ポルトガルから王子のひとりが人質としてイスラム側に差し出される。

 エンリケは最高司令官でもありながら、自らが人質になる事を望んだが、猛反対され、人質は、弟のフェルナンド王子がなった。

 最終的にはセウタの返還も仕方がないとされたが、エンリケは弟を危険にさらしてでもセウタを守るべきだと考えていたという。
そして互いに一枚岩でもなかったポルトガルとムーア人達とのその後の交渉も、なかなか進展しないまま、囚われの身のフェルナンドは5年ほど後に、解放される事叶わず死んだ。

再び航海事業へ

 エンリケにとっての悲劇は続いた。
兄王ドゥアルテも死。
王妃レオノールともうひとりの兄ペドロの権力争い。

 そして、結局ドゥアルテとレオノールの子であるアフォンソ五世が王となって、ようやくポルトガル国内の政治的混乱も一段落する。

 そうして、エンリケは、ポルトガル最南端のアルガルヴェの港町ラゴスを起点として、再び航海事業を再開した。
 大航海時代と呼ばれる時代の始まりがいつであったかは諸説あるが、そのひとつは、ジル・エアネスがボジャドール岬を越えた時というもの。
 つまりエンリケは、彼自身が始めた大航海時代を、再び始めたのである。

エンリケの偉大な功績

 1460年11月にその生涯の幕を閉じるまでに、エンリケは航海事業を継続したとされる。
 そして、エアネスの記念すべきボジャドール岬越えを初め、そのほとんどの成果が、地理的、利益的には、決して成功と言えるようなものでなかった。

 しかしエンリケは、そのキリストへの深い愛を武器に、文明により弱められていた未知への挑戦という、人の本質のひとつを決定的に蘇らせたのだった。

 ただボジャドール先の怪物同様に、プレスター・ジョンもおそらく迷信であった事は、歴史の妙と言えよう。

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