「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」感想と考察。

アンドロイド

とりあえずタイトルがあまりに有名

 荒廃系SFの大家とも言うべきフィリップ・K・ディックの代表作のようなこの作品。
なぜだかタイトルだけやたら有名である。
 しかしこのタイトルからどんな話が想像されるだろうか?
世の中にたくさんいると思われる、(かつての僕含む)この小説のタイトルのみご存知の方々は、この小説をどのようなものと考えているだろう。

 アンドロイドは電気羊の夢を見るか?
アンドロイドとはもちろん、人工知能の擬似生命体の事。
そのアンドロイドは夢を見るかどうか、議論される話?
なんか哲学的な話?
人工知能の基礎「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで

かなりディックらしい作品

 実際は、哲学的な部分はあるが、作中ではあまり、(アンドロイドに限らず)特定の哲学的テーマについて議論などはされない。
 例えばディック作品でいうなら、(アンドロイドに関してではないが)『高い城の男』の方がよっぽど議論してた。

 ただしディック作品自体が、あまり何らかの作中議論が挿入される作風ではない。
高い城の男も、他よりは、という程度である。
ちなみに実は、純粋なSF小説では、ディックのような作風は珍しい。
単にSFと呼ばれるたいていの小説では、その作品で扱われるテーマについての作中議論が頻繁に描かれる。

 ただ作中のキャラのやりとりから、読者は様々な生命という哲学テーマについて考えさせられる。
そういう構成になっている。
 そういう構成はディック作品ではよくあるが、これはかなり顕著に思う。

科学技術は進歩してるのに、荒廃した世界

 世界観は、人間達の幾度の争いの末に、もうほとんど自然というものが地球から失われてしまった未来。
 この世界観は、1982年にこの作品が映画化されると、SF小説をあまり読まない層にも衝撃を与えたらしい。
そういう、「未来でしっかり科学技術も進歩してるのに、荒廃してしまってる世界観」というのは、当時は珍しかったという。

 この作品の世界観は、単に病んでるというより、何か、アンドロイドでなく、人らしい何かを、誰もが忘れてるような雰囲気。
だからこそアンドロイドは、人になれない。
人らしさを、人すら忘れているような。
そんな世界が構築されている。

ディックの短編でよくある作風を、そのまま長編にした感じ

 主人公のリック・デッカードは、地球に不法に移住してきた指名手配中のアンドロイドを、賞金目当てに破棄する仕事をしている。
彼の作中での主な目的は金である。
誰しもが、動物を飼っているのだが、彼の飼っているのは電気羊、つまりはアンドロイドの羊で、それは恥ずかしい事なのである。
それで彼は、本物の羊を買いたいという訳で、金がほしいのだ。
 なんかディック作品て以外と、キャラに青臭さというか、そういうリアルな未熟さが感じれて、共感しやすいかもしれない。

 また、この作品はディック作品の中では長編だが、個々のガジェットは、ディックの短編のテーマとしても使われそうなものばかりと思う。
 例えば、本物の動物が社会的ステータス。
何が真実かもわかってない者達の真相の探りあい。
欠落した者とアンドロイドとの交流。
それに独特な印象の宗教など。
 つまり、とりあえずディックの短編を読んでみて、面白かったという者にもオススメ出来る。

自らを生命体と認識するアンドロイド

 この話に出てくるアンドロイドの中には、自分をまるでアンドロイドと自覚出来ていないような描写をされる者がいる。
 人間に近く作られているのに、人間についていくつかを理解出来ない者も出てくる。
 主人公のリック・デッカードは、そんなアンドロイド達を追う内に、そして殺す度に、だんだんと彼ら(それら?)についての考えを変化させていく。

 アンドロイドは人間と同じように考えられるのか?

 自ら知能を持ち、自己を持ち、そして死を恐れるアンドロイド達。
 ディックはこの小説を通し、読者に明らかに問う。
本当に人間は人間であるのかを。
あなたは間違いなく人間であるのかを。

バカ、欠陥品

 作中で特殊者、スペシャルと呼ばれる存在であるイシドアは、プリスという変わり者な女性と関わる内に、自分にもちゃんと価値があるんだと認識し、物語が進む度に、自信を手にしていく。

 特殊者というのはつまりバカの事。
低い知能。
脳に欠陥を抱える人。
 現実の人間社会でもそういう人は「役立たず」とか「使えない」とか散々に言われる。
言われなくたって思われる。
この社会では。

 イシドアはこの小説の物語に、絶対必要なキャラという訳ではない。
しかしディックは彼を使い、人間だけが持つはずの感情をいくつか描いている。
「お願いだ。かたわにしないでやってくれ」
あるシーンで彼が放つこのセリフは、あまりにも考えさせられる。

 それは同情だろうか?
それは人間だからこそなのだろうか?
ディックは多分そう考えてたんだと思う。

 アンドロイドは確かに(そういう風に作れば)人間のような知能を持ち、自己を持ち、もしかしたら電気羊の夢だって見るだろう。
 でも人間のように、他人との間には何も生じさせられない。
友達になっても、恋をしたって。
同じ気持ちを共有する事は出来ない。
その機構は人工的には作れない。
 この小説の描きたかった事ってそういう事じゃないかなって思う。
そういう主張。

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