「特殊領域の生物」高熱低温の極限環境、右利き分子、現実内の仮想

高温世界の生物

 おそらく1840年代。イギリスの博物学者エドワード・フォーブズ(Edward Forbes。1815~1854)は、太陽光は水深600メートルくらいまでしか届かないから、植物プランクトンはそれより深いところでは生きられないはずと主張したとされる。

 太陽光、『養分(Nutrients)』、水中に溶けた『二酸化炭素(Carbon dioxide)』などを利用し、微小な『動物プランクトン(Zooplankton)』に食される役割になることで、『食物連鎖(Food chain)』というものを始めている植物プランクトンがないと、つまり食物連鎖の基盤がない。ならば『深海(Deep sea)』は生命が見られない不毛の世界に違いない。
実際にはそういう予測は間違っていた。太陽光など全然届いていなさそうな真っ暗闇の(ついでに水圧も大きい)深海の世界で、生きている生物は実は結構いる。
海の上の方の領域から、ゆっくり沈下してくる動植物の『死骸(Corpse)』とかも、下の領域の食物となる。しかし古くは、上層の海域の『腐敗物(Decomposing matter)』の利用は、もっと完全な、非常に効率的なものだと考えられていたのである。

潜水艇の海底探査

 海底地図の作成、つまり海洋の『測量(Surveying)』をするため、アメリカ海軍が開発した高度な技術を、研究者が共有して使えるようになったのは、1970年代の半ばくらいかららしい。
それは3段階方式で、『海底面(Seabed)』を探査する方法。
まず調査船が、複数の『トランスポンダー(Transponder。信号中継器)』を海底に降ろすが、海底は平坦でないために、それぞれが異なる深さに置かれることになる。そしてそれらの位置を『ソナー(SONAR。Sound navigation and ranging。音響測定装置)』によって測定すれば、海底地形の低解像度地図が得られる。
さらに船を使い、カメラとストロボ照明を載せたケージを、対象領域の海底20メートル上、(例えば毎時4キロメートルくらいの)慎重な速度で曳いていく。数時間ごとに装置を引き上げ、フィルムを抜いて、現像していく。

 地図制作のために撮影された画像、そこに生きている何かが写っていたという話。
1977年の春頃。
ウッズホール海洋研究所の研究者たちを乗せた調査船クノールは、ガラパゴス諸島から280キロメートルほどの北東の海で、海底地図を作成していたのだが、深さ2キロほどの深海のエリアで撮影されたフィルムには、白いニマイガイ(Bivalvia)が複数写っていた。そこで潜水調査艇『アルビン号(DSV-2 Alvin)』により、その地点がしっかりと調べられることになった。

 1960年代に、アメリカ空軍の爆撃機B52が、地中海上空で空中給油機と衝突、墜落したため、海中にもたらされた水素爆弾を不発状態のまま引きあげるべく、爆弾探査に使われたアルビン号は、1977年までに何度かの改良も重ねていた。その年の深海探査に使われた時のアルビン号は、最高速度が時速4キロメートルほど、照明の範囲はほんの15メートルくらいだったようだ。しかし探すべき範囲が絞られている状態での探索、観察に関しては、これはとてもよい『潜水艇(Submersible)』と言えたという。
アルビン号に乗っていた地質学者のジョン・コーリス(John B. (“Jack”) Corliss)らが、海底斜面3メートルくらいのところで、丸窓から見た光景は、海底マグマが冷え固まった『玄武岩(Basalt)』である『枕状溶岩(Pillow lava)』ばかり。彼らは水温を測定してみたが、本来その水深から予想される温度よりも4度ほど高かった。そして斜面の上の方に来た時、サーチライトは、イガイ(Mytilus coruscus)やニマイガイ、カニ(Brachyura)やイソギンチャク(Actiniaria)や魚たちのいる『岩礁(Reef)』を照らし出した。

確かめられたこと

 アルビン号の地質学者たちは、とにかく限られた時間を最大限に使って、『電気伝導率(Electrical conductivity)』、『水素イオン濃度指数(pH。Hydrogen ion concentration index)』、『酸素保有量(proportion of oxygen)』などを測定。潜水艇のアームがつかめる限りのサンプルも採取した。

 pHというのは、『水質(Water quality)』が『酸性(Acidity)』か『アルカリ性(Alkalinity)』かを示す尺度。デンマークのセーレン・セーレンセン(Søren Peter Lauritz Sørensen。1868~1939)という人が導入したもの。
アルカリ性は『塩基性(Basic)』の強さとも言える。
液体中で、アルカリの性質の原因とされる水酸化物イオン(OH-)を放出するか、または酸から水素イオン(H+)を受け取る物質を『塩基(Base)』と言う。そして塩基の示す性質を塩基性、さらに塩基の溶けた液の性質がアルカリ性である。さらに水素イオンが原因となる酸性は、アルカリ性の対となる性質。
『濃度(Concentration)』というのは、溶液中に溶け込んでいる物質、つまり『溶質(Solute)』の割合であるが、普通pHは、水に溶け込んだ水素イオンの濃度、1/pH+(これ自体は普通1よりもかなり小さな数)を基準にして示される数値。それは0~14内の数だが、pHが7の場合を『中性(Neutral)』とし、7より低い場合が酸性、高い場合がアルカリ性とされる。
ある『水溶液(Aqueous solution)』、つまり何か他の物質が混ざってる水が酸性かアルカリ性かは、簡単には、実験室とかで、いわゆる『リトマス試験紙(litmus test paper。リトマス紙)』を使って確認されたりする。 基本的に、青色のリトマス紙は酸性水溶液に浸された時に赤に変わり、逆に赤色のリトマス紙はアルカリ性の水溶液に浸されると青に変わるとされる。リトマス紙は、リトマスゴケ(Roccella)のような『地衣類(Lichen)』から得られる染料を染み込ませた紙。ようするにpHは、それにより変色する『色素(Pigment)』を利用しても確認される訳である。

バチスカーフの発見

 1940年代に、オーギュスト・ピカール(Auguste Piccard。1884~1962)は『バチスカーフ(Bathyscaphe)』なる潜水艇を設計。それは、それまでに一般的であった球形の『耐圧容器(Pressure resistant vessel)』を浮力を確保するフロート部分と別になっている新設計であった。
ピカールの2代目のバチスカーフの『トリエステ(Bathyscaphe Trieste)』は、1958年にアメリカ海軍に売却され、さらにその2年後に、オーギュストの息子であるジャック・ピカール(Jacques Piccard。1922~2008)と、海軍のドン・ウォルシュ大尉(Don Walsh)は、それでマリアナ海溝の底に潜った。そして水深11キロメートルの深海にて、彼らは1尾のカレイ(Pleuronectidae)を目撃したのだった。
ただこのような例はあっても、そういう、深海で目撃される生物は、孤独な放浪者だろうというのが、多くの海洋生物学者の一般的な見解だった。
ところがそれもまた間違っていた。

熱水噴出孔生物群集

 地球上の海は実質的に、『蒸発(Evaporation)』くらいしか水が消えていく出口がないはずの『閉鎖性水域(Enclosed water area)』というものである。海水の『化学的組成(Chemical composition)』などから考えると、大規模な閉鎖性水域の海は、時間経過とともにアルカリ性を高めていくはずなのだが、なぜか世界中のあらゆる領域の海水は、pHが7.5~8くらいまで、つまり中性に近い数値に保たれている。そこで海底には、いくつか(いくつも?)温泉があって、それが 海水を『濾過(Filtration)』しpHを維持するシステム、つまりは海水から増える塩基性物質を取り除くシステムを構成しているという仮説は、すでに提唱されていた。
海洋 海はなぜ塩水なのか?地球の水分循環システム「海洋」
1977年に地質学者を乗せた潜水艇が降りてきた場所は、 まさにそのような温泉源だったとされている。つまり、今では普通に『熱水噴出孔(Hydrothermal vent)』として知られる領域である。
回収された海水サンプルを調べると、高濃度の『硫化水素(Hydrogen sulfide)』が含まれていた。知られている多くの生物が『光合成(Photosynthesis)』をエネルギーシステムの源としている。化学合成により硫化水素からエネルギーを取り出すバクテリア(Bacteria。細菌)は、地上では例外的であった。太陽光など全然届かない深海の世界では、そのような、地上では特殊な化学合成が非常に重要となりうる。
光合成 「光合成の仕組み」生態系を支える驚異の化学反応 「生化学の基礎」高分子化合物の化学結合。結合エネルギーの賢い利用
地球の内部の『天然放射性物質(Natural radioactive material)』が発生させた熱が、岩を溶かしマグマにする。そして『中央海嶺(mid ocean ridge )』の裂け目にまで押し上げられたマグマは、冷やされながら海底に広がり、新たな『海洋地殻(Oceanic crust)』となる。地殻に浸透した海水中の『硫酸塩(Sulfate)』は地殻中の鉄と結びつき、硫化水素と『酸化鉄(Iron oxide)』も発生。地殻に浸透した後、熱せられて割れ目からまた押し出されてきた海水は硫化水素を含んでいる訳だが、それを利用するバクテリアが水中に溶けた酸素を吸収し、一部の酸素は『亜硫酸塩(Sulfite)』と結びついて硫酸塩となる。そのような反応の連鎖が放出するエネルギーが『代謝(Metabolism)』を実現している生物たちの社会がそこには見られた。今ではそのような生物の領域は『熱水噴出孔生物群集(Hydrothermal vent biotic community)』とか呼ばれている。太陽光に依存しない食物連鎖の世界である。
プレート地図 「プレートテクトニクス」大陸移動説からの変化。地質学者たちの理解の方法

チムニー、ブラックスモーカー、地殻生物

 アルビン号の最初の発見から間もなく、カリフォルニア湾近くの海底を調査していた研究者たちが、硫化鉱物でできた2メートルほどの高さの『天然噴出孔(chimney。チムニー)』を発見した。硫化鉄を含んでいるために真っ黒な高温の熱水が吹き上がっている光景がそこには見られた。吹き上がる水の温度は300°ぐらいで、水深2キロメートルの水圧が、その沸騰具合をある程度おとなしくさせていた。
チムニーの内、特に海水と反応して黒色になるものを『ブラックスモーカー(Black smoker)』。逆に、鉛、銅、鉄などの硫化物より、硫黄などが多く白色の反応を示すものは『ホワイトスモーカー』と呼ばれることもある。

 海底の地下も含めた、地球上のあらゆる地下の岩石領域に、『地殻内生物(Crustal organisms)』と呼ばれる微生物も、かなり発見されている。

極限環境微生物

 60~80°cの水温中に住む微生物は、『好熱性生物(Thermophilic organisms)』。80°以上の熱水中に住む微生物は『超好熱性生物(Hyperthermophilic organism)』と呼ばれる。
トーマス・デール・ブロック(Thomas Dale Brock。1926~2021)が、イエローストーン国立公園で、 そのような生物を発見したのは1964年のことだが、その発見が注目を集めたきっかけは、やはり熱水噴出孔の生態系が発見されたこと。
とても高い熱中のような、極端な環境に生きている生物がいないということは、知られているというよりも当たり前の常識であった。 だからそういう生物を探そうという人自体がほとんどいなかった。そういう状況も、1980年代には変わっていた。
好熱性生物の他に、低温を好む『好冷性生物(Psychrophilic organisms)』、高圧を好む『好圧生物(Barophile)』、酸性を好む『好酸性生物(Acidophilic organisms)』、アルカリ性を好む『好アルカリ性生物(Alkaliphilic organisms)』、塩を好む『好塩性生物(Halophile)』、放射線を好む『放射線耐性生物(Radiation resistant organisms)』などが次々と発見されていた。人間はとても長い間、生命というシステムの適用範囲を大きく見誤っていた訳である。

 チェルノブイリの原子炉の炉心の水中で見つかった、ある種の菌類は、放射線を利用するエネルギーに変換するが、各細胞に同一染色体のコピーを保管することで、放射線によるダメージに対処しているようだ。

 極端な環境に住む生物の総称とされる『極限環境微生物(Extremophiles)』という名称は、R・D・マクロイ(R.D. Macelroy)という人が、1974年に提案したという説がある。

水の生物の限界

 極限環境微生物という存在は、地球外の、極端な環境しかないと考えられるような、例えば火星のような惑星の生物を探そうとする場合に、大きなヒントになりうるかもしれない。そこで、NASAの大きな資金援助もあって、20世紀末頃くらいから、そのような生命体の研究はかなり進んでいる。
「地球外生物の探査研究」環境依存か、奇跡の技か。生命体の最大の謎
 かつて、思い込みによって決められていた、生物が存在できる限界の領域が間違っていたことは確かだが、そのような限界は実際にあるのだろうか。それも思い込みと言えるかもしれないが、普通はあるとされている。だが問題はそのような限界はどのくらいか。

水さえあれば生命体はありえるか

 最低条件としての水というのは、なかなか妥当に思える。
水は『溶媒ようばい(solvent)』、つまり他物質を溶かす液体としては非常に優れた物質とされる。様々な化合物が自由に移動でき、混ざり合えるような環境をよく作る。そして液体状態で入れる温度(つまり、摂氏0~100°c)の幅が広い。さらに周囲の高い圧力や、水に混ぜられた物質によって、その『沸点融点(Boiling point and Melting point)』は結構変わる。
水の珍しい特性として、固体状態(つまり氷の状態)になった時の密度の低下(体積の増加)もある。ようするに水は凍ると膨らむのである。そしてこの特性のために、氷は基本的に水に浮かぶ。このことはたいていの場合、多くの水生生物にとってありがたいこととされる。

 しかし、仮に水さえあれば生命体が誕生できるのだとすると、つまり生命体の存在できる範囲とは、液体としての水が存在できる範囲ということだろうか。
おそらくそうではないと思われる。なぜなら理論上は想像を絶するような圧力さえ用意できるなら、想像を絶するような温度の液体の水を用意することも可能だろうから。どんな高い圧力にも耐えられる生命体というのはさすがに、どこの常識を無視したとしても考えにくい。では逆方向の限界はどうだろうか。
つまり低温環境での限界は?
氷は溶媒としての水のようには働かない。細胞内の水が凍ることは普通、死を招くとされる。水はそれに溶けた溶媒によって凍りつく温度を下げられるし、実際にそのような原理を利用している生物も確認されているという。もしかしたら、「(適切な溶媒さえあれば)酸素活動、細胞成長に低温の限界はないかもしれない」というような考えは、もはやそれほど珍しくもない。

エウロパの内海

 現在、木星の衛星の1つであるエウロパは、太陽系内の地球外で、生命体の存在が最も期待されている領域である。理由は簡単で、その表面の厚い(数キロメートルくらいと考えられる)氷の下に、太陽光などほとんど届かないだろう暗黒の海が存在していることがかなり確かだから。エウロパの地下の海の化学的性質についてはまだ謎が多いものの、地球の熱水噴出孔付近で生きてるような生物が存在するかもしれないとは、やはり考えやすいだろう。
また、エウロパよりかなり小さいエンケラドゥスという土星の衛星も、内部に水域がある可能性が示唆されている。

 今、重要なことの1つは、エウロパの海はもしかしたら、地球生物のいくらか(極限環境微生物)が普通に移住できるような環境であるかもしれないこと。だが生命は誕生できただろうか。

低温世界の生物

 水素と酸素の化合物という意味での水が、必ずしも必要な存在だけが生物とは限らない。
生命体がその活動を行うために、必要なエネルギーを得るには何らかの化学反応が起きる場、つまり媒体が必要となるはず。この点だけは、なかなかに奇妙な生物を想像する人でも、たいていは意見を同じくするところである。
化学反応 「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か
その中で、分子が浮くことができて、移動したり相互作用しあったりできるような領域だ。そしてそのような領域は、そういう条件だけを重視するなら、かなり多くある。
物質の状態で見ると、分子同士の結びつきが強力な個体は、その結びつきの強力さのために、分子が自由に動きにくい。また気体は逆に、それぞれの分子同士が自由すぎて、相互作用を生命のようなシステムにまで発展させにくいと思われる。生命を生み出す、そして存続させる領域としては、液体が非常に適していそうというのは、簡単に理解できるだろう。

液体の中の生命

 水が触媒となる場合、基本的には水素イオンが上手く機能し、細胞が生きるために不可欠な代謝という活動の役に立つ。しかしそのような化学反応を起こすことが可能である液体が唯一水だけというのはかなり無茶な考え方である。例えば硫酸、アンモニア、フッ化水素、過酸化水素など、生命体が利用できた可能性があるとされる化合物は数多い。

 代謝を行うために必要な分子は、どのような生物であれ、似たようなものであるはずという意見はある。そのような考えはたいてい、進化における有利不利の観点を根拠にされている。タンパク質やDNAのような分子は、生物システムを構成する要素(コンポーネント)として非常に優れているという考え方だ。
卵かけご飯 「タンパク質」アミノ酸との関係、配列との違い。なぜ加熱はよいか 細胞分裂イメージ DNAと細胞分裂時のミスコピー「突然変異とは何か?」
 宇宙のどこか別の場所の生物が、どんなに異様で変わった姿をしているとしても、普遍的(ユニバーサル)なことが2つほどあるはずと、考える人は多い。つまり、生物はダーウィン流の自然淘汰か、それに近しい何らかの過程(プロセス)によって進化をする。そしてタンパク質(でなくとも、似たような何か)を部品とすること。
自然淘汰の過程に必要不可欠だと思われるものが、何らかの(DNAやRNAのような)遺伝物質。
そしてタンパク質(というより自ら折りたたみ、多様な形を作り出せる分子)は、やはり生物の部品として非常に優れてるように思える。小さなスケールの折り紙の巨匠と讃えられることもあるタンパク質分子は、自然界の局所的スケールに適用されたローカルルールが何をできるのか、その見事な見本でもあると言われる。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか

ケイ素生物の環境

 生体要素に使われている分子といえば、すでにそれ自体が大きめの集合体としても考えられる『高分子(Macromolecule)』と呼ばれるものである。
多くの小分子を繋ぎとめておくためには骨格が必要だ。我々がよく知る地球生物においては、そのような高分子の骨格として炭素が使われているのは有名な話。そこで(同じように多くの分子と結びつきやすい性質から)炭素でなくケイ素を高分子骨格に使う生物を想像する人は多い。ケイ素生物というのは、SF創作ではもはやお馴染みであろう。

 この地球では酸素が豊富だが、それに次いで多い元素がケイ素とされている。ただしケイ素は酸素と反応しやすく、多くが結合した、つまり二酸化ケイ素(Silicon dioxide。シリカ)、砂の状態でいる。
地球生物では、ごく一部の植物が細胞壁に使ったりするくらいで、ケイ素などほとんど、生命体システムの中で使われない。
地球上で豊富にあるのに、ケイ素が全然使われない理由は、ケイ素生物なる存在に大きな疑問を投げかけてきた。しかしこれは地球の全体的な環境そのものがケイ素生物に適応していなかっただけと見る向きもある。
まず地球環境ではケイ素は、炭素に比べるとかなり結び付く元素を選り好みする傾向が強いとされる。水が液体であるような温度では、ケイ素自体が分子と結びつく力も炭素に比べて弱いとも。なにより、ケイ素は酸素と結びつきやすく、しかもそれが強力で、数は多くてもそれほど自由ではないかもしれない。
しかし、邪魔な酸素がそれほどなく、それにもっと低温の環境ならば、ケイ素は多くの分子と結びつき、それこそ生命システムを構築できるという説がある。

タイタンのメタンの海

 土星の衛星タイタンが、表面に大陸と海を有する、その極的な低温環境にも関わらず、地球に見た目が似ている惑星だという仮説は、探査船が飛ぶ前の時代からあった。
大気があり、氷の大地に、液体状態の(炭化水素)メタンやエタンでできた湖、水とアンモニアが溶けてドロドロになったような低温マグマを放出する火山すらあるという。
さらに地球よりかなり低温でも、化学反応ができなくなるようなレベルではない。

 地球の大気の化学組成は、窒素が78%、酸素21%で他みたいな感じとされる。金星や火星の大気はほぼ二酸化炭素。
タイタンの大気は、窒素が98%、メタンが1.4%で、水素が0.2%くらいらしい。ただし高所で凝結するため、低所ではメタンの量は増えるようだ。
タイタンは磁場を持たず、太陽エネルギーの影響をわりともろに受ける。それで、タイタンの大気中のメタンを、5000万年以内に、より複雑な炭化水素に変換しきるような化学反応が推測されている。
だからタイタンには、火山噴火などで大気にメタンを補給するような化学システムがあるともされる。しかしもちろんこれは、地球で地球生物によって酸素が補給されるようなものかもしれない。

 全米研究評議会(NRC)報告書『惑星系における有機生命の限界(The Limits of Organic Life in Planetary Systems)』においては「生命現象が化学反応に本来備わる性質なら、タイタンには生物が存在するはず」として、重要視している。

 つまり、地球でおける化学反応の媒体である水の役割を液体炭化水素が、エネルギー利用過程における酸素の役割を大気中の水素で補えるかもしれない。そういう地球外生物がタイタンには存在するかもしれない訳だ。

真空の知的生命体システム

 原子核や、磁場でできた生物のようなものも考えられる。
そこまで柔軟に生命体システムを設定するなら、中性子星やブラックホールの周辺(あるいは内部)、真空のような物理的に極端と言えるような環境における生物も考えられるかもしれない。
実際にSFの世界においては、そのような生物が時に見られる。
「竜の卵」中性子星に生まれた知的生命の進化。高速で進む歴史 ブラックホール 「ブラックホール」時間と空間の限界。最も観測不可能な天体の謎
 精神とか魂とか呼ばれるものの正体が、はっきりとした物質に由来するようなものではなく、まだ我々がよく知らないような未知の エネルギー領域と関係している何かだとするなら、それをもっと直接的に利用できるような、うまく言えないが精神生物のようなものもありえるだろうか。そういうのはおそらく、SFよりもファンタジーにおいてよく見られるが。
コネクトーム 「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で

ネットワークの謎

 現代の知見から言うと、知性というのが何らかのネットワークのように思えるのも奇妙なことだろうか。
もし知性というのが何らかのネットワークにすぎないというのなら、やはりどうしても考えたくなるのが、知的無生物とでも呼べるような、つまり生物でない領域に生まれうる知性であろう。そういうものありえるのだろうか。

生命の起源について

 実際には生命の起源について、もっともらしい理論は必要ないはずという説もある。むしろもっともらしい理論が発見されれば、それが不安に繋がることすらありえると。

 銀河系には10億以上の惑星があるとされ、さらにそういう銀河の数も10億以上あるのでないかと考えられている。銀河系限定でも、地球が生命を持つ唯一の惑星なのだとすれば、つまりある1つの惑星に生命が誕生する確率は1/1000000000より、大きいとしてもそれほどではないと考えられる。
だが、地球のを含むあらゆる生命の起源理論が、納得しやすい(例えば、必要十分な環境が整えば、いくらかの確率でその始まりの化学反応が発生するというような)ものなら、たいてい、ある惑星に生命体が誕生する確率は、1/1000000000くらいに低いとは考えにくい。銀河系の大量の惑星の中には、地球と似たような環境の星もかなり大量にあるという推測は、まあまあ一般的である。そしてここまでで考えてきた、(普通の地球生物から見た場合に)特殊な生物たちも、存在しうる(生まれうる)と考えるなら、生命誕生可能領域は、ものすごくその範囲を増やすと思われる。

 ようするに、もしも地球にしか生命体がいないというのなら、その起源に関する理論は、おそらくとても不可思議なものと考える方が、妥当と言えそうな訳である。
この点に関して、創造主(クリエイター)を持ち出すのは、つまりそのクリエイターはどう発生したのかという問題を生むだけで、実質的には何の解決にもなっていないという意見もあるが、そのクリエイターの生きている世界が、もっともらしい生命体の起源のある、つまりあちこちの惑星(あるいは領域)に生命が存在しているような宇宙なのだと考えると、多少は納得しやすいだろう。
よく、唯一の神か、たくさんの神かみたいな議論もあるが、もしかしたら、この宇宙には神がひとつとか、たくさんの神がいるとか、そういうふうに考えることが可能なのかもしれない。

 宇宙自体に寿命というものがあるのかわからないが、銀河系には始まりと終わりの時がある可能性がそれなりには考えられるだろう。ではこの銀河系が、誕生した瞬間から滅びるまでの時間で、一瞬でも生命体(あるいは知的生命体)が誕生したのが、地球だけだった場合には、もっともらしい生命の起源というのは、さらに奇妙さを増すだろう。

右利きの生物

 絶滅した大型動物だろうが、賢い人間だろうが、目に見えない微生物だろうが、極限環境に生きるヘンテコな奴らだろうが、どれもみな同じような化学物質(ごくごく一部の例外を除いて(?)、4つの塩基を使った情報遺伝物質に、20種類のアミノ酸で造られるタンパク質)で自らの構成システムを作っているという共通点は、どれくらい驚くべきことなのだろうか。この事実は、我々が今知っているすべての現生生物が、ある共通の祖先を持っているということの強力な証拠とされている。
ただし、我々が発見できている生物の数というのは、おそらく全体に比べてあまりにも少ない。よく言われるように、庭の砂を適当に拾い集めたらその中には大量の微生物がいるだろうが、その中に知っている生物しかいない可能性などかなり0と考えてよいだろう。そうした、いまだに大きく研究不足の領域に、最初っから別の存在であった、つまり我々とは子孫を共有しない生物の存在を推測する向きもある。

 知られている生物が、根本的な部分で同じ化学物質を利用していることは、生物の限界を考える上でも、まったく別の始まり方をしたと考えられる別の生物のことを考えるうえでも重要となろう。一般的に使われる20種類のアミノ酸のタンパク質では耐えられないような高温だが、(20種以外の)別のアミノ酸を使っているタンパク質なら耐えれるような温度の領域を想定することもできるだろう。また、DNAというのは、その構成要素となる塩基であるアデニンとシトシンのアルカリ性、チミンとグアニンの酸性のために、pHの限界がある程度推測できる(だが、別の塩基の遺伝物質を使う生物がいるなら……)。
例えば、『応用分子進化基金(Foundation for Applied Molecular Evolution。FfAME)』という組織の研究者は、すでに、自然界に見られないアミノ酸構成のタンパク質の作成に成功しているという。

キラリティ、キラル、アキラルの幾何学

 ある三次元物体や現象が、その鏡像(鏡に映る像)と重ね合わせることができない場合(そういう性質を有する場合)、その三次元物には『キラリティ(Chirality)』があると言われる。そしてキラリティがあることは『キラル(Chiral)』なと表現される。
キラルなものとは、例えば手がそうである。鏡に映った右手はまるで左手に見えるが(それらに互いへの透明性を与えたとして)重ね合わせることはできないだろう。キラリティという語の語源も、ギリシャ語で「手」を意味するχειρ (cheir)とされている。
逆にキラリティがない、つまり鏡像と重ね合わせられることは『アキラル(Achiral)』と言う。
キラルな図形とその鏡像を指して、『エナンチオモルフ(Enantiomorphs。反対)』とか、『対掌性たいしょうせい』とか言う場合もある。

 普通、鏡像を取るような操作は『鏡映(Reflection)』とか『鏡映変換(Reflection conversion。鏡映操作)』と呼ばれ、さらにその鏡像に回転操作を加えることを『回映操作(Improper rotation。Rotoreflection。Rotary reflection)』と言う(この操作は可換である。つまり回転させてから鏡像をとっても結果が同じになる)。これはまた、回転操作とその軸上の1点についての反転操作を合わせる『回反操作(Rotoinversion。Rotary inversion)』と結果がかぶる(本質的に同じ)。
アキラルは、回映操作に対して『対称性(Symmetry)』、つまり「そのような操作を行った場合に性質が変わらないという性質」を有しているとも言える。もちろんそのような『回映軸対称(Reflection axis symmetry)』を持たないものがキラルである。

LUCAはキラルな分子構造を持てたか

 キラリティは分子構造にも適用できる。つまり、ある分子の構造式と、その鏡像を用意して、 そのどちらかを回転させた時に重ならない、つまり回映軸対称を持たない分子を「キラルな分子」と言える。
そして定義的に、キラルな物質を考える時に、それを定義するために持ち出す鏡像と、元の構造を、右手左手(あるいは右利き左利き)に例えることは容易く、わかりやすいと思われる。つまり、分子構造に右手型、左手型というものを定義することができる。
時々、我々、地球生物は左利きだと言われることがあるが、これはタンパク質に使われるアミノ酸が、全て左手型と定義されているからである(しかしDNAに使われている糖は右手型)。タンパク質や DNAが互いにくっつき、より大きな構造体になるためには、必ずその要素となるそれぞれが(右にせよ左にせよ)同じ型でなくてはならない。だからそれらが全て同じというのは納得できる。問題は、別に同じでさえあるなら、別に逆の型でも全然問題ないだろう ということ。我々の、最も始めの共通祖先、いわゆるLUCA(Last Universal Common Ancestor。最終普遍共通祖先)がどのように誕生したにせよ、利用する分子の型に関して意図的な選択があったなんて考えにくい。我々が左利きなのは、単に1/2の確率で偶然そうなっただけのことと考えられる。

 分子式は同じだが、原子の結合の仕方の違いのために、別の物質と考えれるような化合物を『異性体(Isomer)』と言う。その異性体には2種あるとされる。平面的な構造式から異なる『構造異性体(Structural isomer)』。そして、平面的な構造式は同じに見えるが、立体的な視点にさらされた場合に別な物になる『立体異性体(Stereoisomer)』。
キラルな分子は、1対の立体異性体を持つが、互いに鏡像である場合のそれら2つの異性体を、互いに『エナンチオマー(Enantiomer。鏡像異性体)』とか『対掌体たいしょうたい(Antipode)』と言う。
また、鏡像異性体でない立体異性体は『ジアステレオマー(Diastereomer。偏左右異性体)』と呼ばれる。

 鏡像異性体同士は、物質量も結合エネルギーも等しく、違うとは言っても、融点や沸点、屈折率や熱伝導率など多くの性質が共通する。しかし厳密には同じと言えない。

利き手を決定する旋光性

 右手型と左手型というのは、2種類あるから片方を適当に右手としてるみたいに定義している訳でもなく、一応ちゃんとした基準がある。
それは、『旋光せんこう(Optical rotation)』という現象と関連が強く、その特性はまた、多くを共通する鏡像異性体の重要な違いとされる。

 光(電磁波)というのは、進行方向に垂直に揺れながら(振動しながら)進む波(横波)と考えられる。その波の振動が時空間的に 規則的な状態と考えてよいような状態の光を『偏光(Polarization)』とか、『偏波(Polarized wave)』と言う。
基本的に光(電磁波)は原子の放出するエネルギーとも言えるが、単体の原子からは偏光が放たれる。しかし太陽光を含め、多くの自然光源からの光は、向きのバラバラな大量の原子の光の寄せ集めで、全体としては偏光でない状態、つまり『非偏光(Unpolarized)』として観測される。
『レーザー(Laser)』は、振動方向の揃えた光を重ね合わせたような、意図的に偏光を用意する装置とも言えよう。
偏光と非偏光の混ざった光は、『部分偏光(Partially polarized light)』と言われることもある。
雷 「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係 電波 「電波」電磁波との違い。なぜ波長が長く、周波数が低いか
 偏光はさらに、光の振動の尖端が描く軌跡の違いにより、『直線偏光(Linearly polarized light)』、『円偏光(Circularly polarized light)』、『楕円偏光(Elliptically polarized light)』と分けれるが、名前通りに、円偏光は進行しながら円(というか螺旋)の軌跡を描くような偏光である。円を描くような動きは回転だが、当然、回転には右回り左回りというものがある。時計回りの軌跡を描くのが右円,逆時計回りのが左円偏光である。

 鏡像異性体は、左円偏光と右円偏光に対して、屈折率(円複屈折。Circular Birefringence。CB)と、『吸光度(absorbance。円二色性。Circular Dichroism。CD)』が異なる。そして直線偏光は、同じ強度の右円偏光と左円偏光を重ね合わせた偏光とできるが、その重なってる2つの円偏光に、キラルな分子は速度差を生じさせ、結果的に、そのような分子は自らを通過する直線偏光の偏光面を回転させる(と表現される現象を起こす)。そのような直線偏光の回転現象を旋光、旋光を引き起こすような性質を『旋光性(Optical rotation)』と言う訳である。
物質の旋光性は、『光学活性(Optical activity)』と呼ばれることもある。
鏡像異性体の、CBとCDの違いは、絶対値が同じで正負が逆と考えれるような違う偏光性を示すが、一般的に+が右回転、-が左回転と定義され、それぞれに『右旋性(Clockwise turning)』、『左旋性(Counterclockwise turning)』ともされる。

 アミノ酸のようなキラルな分子に直線偏光を通した時に、通常、光を右回転させるのが右利きとされる『D体(dextro)』で、光を左回転させるのが左利きとされる『L体(levo)』である。
ただ、旋光性は分子配列にはっきり関係するような法則性がないともされ、今はRS法と呼ばれる、構造式の立体配置の、右回り(『R体(rectus)』)、左回り(『S体(sinister)』)を基準とした分類もよく使われる。

 旋光性について確かめようとする場合、ある光がどのように偏光しているかを測る機器である『偏光計(Polarimeter)』を用いたりする。

 鏡像異性体が互いに等量存在する混合物は旋光性を失いもするが、そのような化合物は『ラセミ体(Racemate)』と言う。

紛れ込んだ右利き、閉鎖環境の右利き

 自然淘汰はどのように働くのだろうか。地球生物は地球生物になるような進化の道筋を経て今に至っているのだろうか。
もし生命、というか左利きの生命が誕生した時とは別に、右利きの生物が誕生していたとする。その生物が誕生した時には、利き腕に関係なく似たような生物だったろうか。または地球における新川 利き腕は異なる程度の違いしかない異なる生物を同じような生物にしてしまうだろうか。
確かなことは、 似たような生物であれ、全く違う生物であれ、分子の利き腕が違っている生物は、多くの領域で繋がりを持てないだろうこと。

 しかし一部の微生物は、キラリティの異なる分子を、自らに対応させるように変換する能力を持っているという研究報告もある。
かつては右利きの(ほとんどにおいて左利きと似たような生物だが、化学的な関わりを持てない、あるいは持つのが困難な)生物も 存在したかもしれないが、どこかのタイミングで数で劣っていた彼らは、自然淘汰により絶滅したかもしれない。
ただし、左利きに紛れ込んだ右利きたちが絶滅しているとしても、どこかの閉鎖環境(何らかの極限的環境)に対応した、いわば孤立している右利きの生態系が存在しているということは(生物の存在できる環境を甘く見積もられていた昔よりは)ありうる。
「絶滅」クレードはどのように進化し、そして消滅してきたのか
 絶滅はしていないにせよ、ある程度以上の大きさの生物で右利きの生物は、かなり考えにくい。巨大な生物はまず数が少ない。生物全体のうちのごく一部にすぎない。巨大生物というそのものを狭いニッチとして考えることすらできるかもしれない。
今、核戦争が起こったとして、目に見える大きなな生物がほぼ絶滅したとしても、多くの微生物にはあまり影響がないとも言われる。 そして地球で起きてきた何度かの大絶滅というのは、基本的に目に見える大きさの生物の大絶滅のことである。
つまり右利き生物が、左利きの生物の生態系に紛れ込んでいるとするなら、まだ我々がその多様性の一端しか知らないような微生物の中と考えるのが妥当だ。
とはいえ、例えば中生代(恐竜の時代)には、右利きの多細胞生物もどこかに存在していたと考えるのは楽しいことだろう。
考えられるとするなら、もっと古い時代には地理的な問題、つまり、マクロな独自生物(右利き生物)が存在できるような大規模な閉鎖系も存在できたかもしれない。中生代よりもっと古い時代、例えば空を飛ぶような生物が存在していなかった時代の離れ島などでは、そういうものがもしかしたらありえたかもしれない。

仮想領域の生物

 この世界をコンピューターシミュレーションのように考える、つまり大量のデータ(情報)こそが本質であるという考え方は、もはや(そういう考えは別におかしくないという認識が普通にされるくらいに)一般的となりつつある。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性
 時に、現実と変わらないような仮想空間を、いつか(できないとはむしろ考えにくい)造れるようになるなら、そのような架空(?)の現実に、用意できるだろう多くの生物が、実質的に実在していると考えてよいというような見方もある。
しかしここでは、仮想現実に生きる生命体というよりも、仮想現実を利用して生きている、しかし真のリアルな生物とかを少し考えてみたい。

生命の設計図か、マニュアルか

 ある生物を構成している(単独にせよ複数にせよ)細胞という生体要素には、基本的にDNAと呼ばれる、よく生命の設計図に例えられるような高分子が含まれている。あるDNA(でなくとも、ある生物が生命体として存在するための情報を何らかの形で保存している生体分子)が単独で生物と呼ばれることは基本的にないだろう。いくら動作プログラムが完成されていたとしても、現実に動かす部品(我々のような普通(?)の地球生物で言うならタンパク質)がないならば、それは物理世界に存在するシステムとして機能しないはず。

 だいたいにおいてDNAというのは、A、T、C、Gというアルファベット(名前というのは区別のための便宜的なものにすぎない。ようするに4つの文字)で書かれた、身体の構成に関する一組の指令セットと考えられる。
ただし、DNAが身体を作るための青写真(完成図)とは考えにくい。完成した構造を表した図としての青写真は、紙と最終生産物との間に一対一対応があり、可逆的(リバーシブル)と言える。ある建築物から逆に青写真を作れるが、それは一対一対応があるから。
しかし、もしある動物の体を詳細に計測し、そうしたマクロ的な調査から得られた情報だけを使って、そのDNAを復元しようとしても、おそらく無理だろうから。
どちらかと言うとDNAは完成図というよりも、利用可能な周囲の分子群という設計者たちのための手引き書(マニュアル)という方が本質に近いかもしれない。設計者たちは自らも構成部品として使い、手引き書通りのものを造ろうとするが、勝手なアイデアや環境による影響とかが入り混じって、手引書が仮に同じであっても、結果的には個性というのが生じる。そういうもの。

架空の存在である本体

 原因はともかくとして、例えば我々は、身の回りのものを道具として使う。食べ物を調理する道具とか、寒さをしのぐための服とか、(精神の狂いを防ぐこととかにもつながるのかもしれない)退屈を紛らわすための楽器とかみたいな。
そしてまた我々は仮想の何かのために行動を起こせる。例えば体の動きなどで何かを表現する『パントマイム(Pantomime)』。目の前に壁があることを想定して、 まるでそれが邪魔で前に進めないかのように振る舞うことができる。もっと単純に、例えば妄想上のキャラクターのために、何かを頑張ることができる。

 道具を扱うことや、何かを妄想することも、進化の、つまり自然淘汰の産物と考えることは可能だ。単に、この複雑な自然世界の中で、それが生き残る事に何かしら有利に働いたということだ。あるいは、生き残るために役に立つ何かの機能の副産物として、そういうものがありえると考えられよう。

 では人の妄想のような、仮想的に存在する何か、それのために働くシステムを、人の精神というようなものでなく、もっと機械的な存在として考えれる、そういうものを想定できないだろうか。
もしも、何か現実に存在しない、仮想のもののために働くような(むしろそのための全命令セットかのような)DNAコードがあるとする。それによって多くの生物が何らかの共通の架空のもの、いわば自然界の中にでっち上げられた(それこそ神秘なると言えるようなものかもしれない)何かを、あたかも存在するかのように生きることが可能だとする。
そういう領域において、もし架空のものをより強力になるような自然淘汰が働き、周囲の者がそのための糧(というより道具)のように考えれるなら、まるで架空の何かを寄生生物のように捉えることも可能かもしれない。

 様々な妄想のために生きるような人間は、実はそのような仮想領域生物の道具。という妄想は、やはりつまらない妄想にすぎないだろうか。

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