アンドロイドは電気羊の夢を見るか。高い城の男「ディック長編」

アンドロイド

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

 荒廃系SFの大家とも言うべきフィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick, 1928~1982)の代表作のようなこの作品。
なぜだかタイトルだけやたら有名である。

 タイトルからは哲学的な感じを思わせるが、作中ではあまり(アンドロイドに限らず)特定の哲学的テーマについて議論などはされない。
ただ作中のキャラのやりとりから、読者は様々な生命という哲学テーマについて考えさせられる。
そういう構成になっている。そしてそういう構成はディック作品ではよくあるが、これはかなり顕著に思う。

科学技術は進歩してるのに、荒廃した世界

 世界観は、人間たちの幾度の争いの末に、もうほとんど自然というものが地球から失われてしまった未来。
この世界観は、1982年にこの作品が映画化されると、SF小説をあまり読まない層にも衝撃を与えたらしい。
そういう、「未来でしっかり科学技術も進歩してるのに、荒廃してしまってる世界観」というのは、当時は珍しかったそうだ。

 この作品の世界観は、単に病んでるというより、何か、アンドロイドでなく、人らしい何かを、誰もが忘れてるような雰囲気。
だからこそアンドロイドは、人になれない。
人らしさを、人すら忘れているような。
そんな世界が構築されている。

ディックの短編でよくある作風を、そのまま長編にした感じ

 主人公のリック・デッカードは、地球に不法に移住してきた指名手配中のアンドロイドを、賞金目当てに破棄する仕事をしている。
彼の作中での主な目的は金である。
誰しもが、動物を飼っているのだが、彼の飼っているのは電気羊、つまりはアンドロイドの羊で、それは恥ずかしい事なのである。
それで彼は、本物の羊を買いたい、というわけで金がほしいのだ。

 ディック作品は基本、キャラに青臭さというか、そういうリアルな未熟さが感じれて、多くの人にとって共感しやすい面がある。

 また、この作品は長編だが、個々のガジェットは、ディックの短編のテーマとしてもよく使われてるようなものばかりと思う。
例えば、本物の動物が社会的ステータス。
何が真実かもわかってない者たちの真相の探りあい。
欠落した者とアンドロイドとの交流。
それに独特な印象の宗教など。

 つまり、とりあえずディックの短編を読んでみて、面白かったという者にもオススメ出来る。

自らを生命体と認識するアンドロイド

 この話に出てくるアンドロイドの中には、自分をまるでアンドロイドと自覚出来ていないような描写をされる者がいる。
人間に近く作られているのに、人間についていくつかを理解出来ない者も出てくる。
主人公のリック・デッカードは、そんなアンドロイドたちを追う内に、そして殺す度に、だんだんと彼ら(それら?)についての考えを変化させていく。

 アンドロイドは人間と同じように考えられるのか?
自ら知能を持ち、自己を持ち、そして死を恐れるアンドロイドたち。
ディックはこの小説を通し、読者に明らかに問う。
本当に人間は人間であるのかを。
あなたは間違いなく人間であるのかを。

バカ、欠陥品

 作中で特殊者、スペシャルと呼ばれる存在であるイシドアは、プリスという変わり者な女性と関わる内に、自分にもちゃんと価値があるんだと認識し、物語が進む度に、自信を手にしていく。

 特殊者というのはつまりバカの事。
低い知能。
脳に欠陥を抱える人。
現実の人間社会でもそういう人は「役立たず」とか「使えない」とか散々に言われる。
言われなくたって思われる。
この社会では。

 イシドアはこの小説の物語に、絶対必要なキャラというわけではない。
しかしディックは彼を使い、人間だけが持つはずの感情をいくつか描いている。
「お願いだ。かたわにしないでやってくれ」
あるシーンで彼が放つこのセリフは、あまりにも考えさせられる。

 それは同情だろうか?
それは人間だからこそなのだろうか?
ディックは多分そう考えてたんだと思う。

 アンドロイドは確かに(そういう風に作れば)人間のような知能を持ち、自己を持ち、もしかしたら電気羊の夢だって見るだろう。
でも人間のように、他人との間には何も生じさせられない。
友達になっても、恋をしたって、おそらくは同じ気持ちを共有する事は出来ない。
その機構は人工的には作れない。
この小説の描きたかった事ってそういう事じゃないかなって思う。
そういう主張。

高い城の男

 ディックの作品の中でも特に高い評価をされがちな作品(理由が、プロットが破綻していないからとか、わりとものすごかったりもする)

 この作品は、第二次世界対戦に、日本、ドイツの二大国家が勝利したif世界を描いている。
このような設定は、いわゆる歴史改変ものという、SFではわりとメジャーな小ジャンルであり、第二次対戦の勝敗逆転も、人気な設定。
ただ、この『高い城の男』という小説の個性的なところは、その日本とドイツに支配された世界において、さらにアメリカ、イギリスが勝利したという歴史改変小説、「イナゴ身重たく横たわる」が登場する事である。

なぜか流行っている易教という、変わったガジェット

 この小説の世界では、どういうわけか易教(占術をテーマとした中国の古典)が大流行しており、各キャラは度々迷った時の答を易教に書かれた占いに頼る。

 実はこの小説の作者であるディック自身、これを書いてた時期、易教にハマっていたらしい。
物語終盤、メインキャラのひとりジュリアナがある選択を迫られた時、彼女がどういう選択をするのかを(作中のキャラが、とかではなく、作者当人が)占いで決めたのだという。
  
 つまりこの小説は、まさに易教に導かれて書かれたものなのである
これは大切な事なのでもう一度言っておいてよいと思う。
「この小説は易教に導かれて書かれた」

 この作中世界自体がどのようなものなのか。
「何が真実なのか」
を考えたくなるかもしれない。

日本人描写はステレオタイプ

 ある意味、日本人は完全なステレオタイプで描かれる。

 作中で、日本人はとにかく真似をするのが上手いと皮肉られる。
易教も、しっかり中国由来だと作中でツッコまれている。
なのでそこに関してはディックの勘違いではない。

 ただし、日本人は紳士的に描きすぎてる感じを、日本人なら抱くと思う。
まさに「勤勉で真面目な日本人たち」という、典型的なイメージのような感じ。

しかし宇宙開発が早い

 
 この小説、if世界ではあるが、一応、設定的には、現実の冷戦期くらいの時代が舞台である。
アフリカを熱心に開拓する呑気な日本に対し、ドイツは早くも太陽系惑星開拓を始めているという話が出てくるのだが、これはちょっと場違い設定感がある。
まあアポロ計画成功時(成功と言っても、ロケットで数十日程度の距離の月に、有人船を送って、ちょっとの間はしゃがせただけ)、「次は火星だ」なんて世迷い言をNASAが言っていたような時代らしいので、科学者でなく作家のディックが夢見ててもしょうがなかったのかもしれないが。

 地球に最も近い惑星である金星は熱すぎて、そもそも開拓どころではない。
一方で二番目に近い火星も行き来に数年はかかるし大気も薄い(というかオゾンがない)から、太陽からのエネルギーの影響を直に受ける為、危険と、当時の科学水準で考えるなら、惑星開拓など夢の夢である。

どうすれば連合軍は勝てたか

 大まかな話は、起こる前から失敗した花嫁略奪。
計画はよかったかもしれないが、見事にから回る商売活劇などと、ありきたりなエピソードが多い。

 ただこの小説の本領は、SFらしい、作中キャラたちの議論である。
まさにifの中でのifの議論であり、素晴らしい出来。
日本とドイツが世界侵略を成し遂げた世界で、「どうすればアメリカやイギリスは、日本やドイツに勝てたのか」という議論が繰り広げられるのである。

 現実の第二次対戦について知ってても、知ってなくても、楽しめると思う。
いわゆる、後で知ったら2度おいしい、でもある。

ifのifのif

 作中では、ユダヤ人は根絶やしにされているのが、世間の認識となっている。
実際には、ひっそりと容姿などを変えて生き延びているという設定。

 ただ実際に、枢軸側(日本とドイツ)が勝ってたとして、ユダヤ人全滅させられてただろうか?
現実は後になって、日本人も含む多くの人に、実はユダヤ人は助けられていた事が判明している。

 それらの行動は無駄になってただろうか?
なってないと思う。
敗戦後、連合軍に、強制収容所を見せられたドイツ軍の中には、戦意喪失した者もいたという。

 ifのifのifを想定する楽しさを、まさに小説の形で、表面化させたのが、この小説の素晴らしいとこであろう。 

イナゴ身重たく横たわるの作者

 タイトルにもなっているが、この高い城の男の描写は、正直微妙だった。
ただ、彼自身の人物設定はべつとして、エンタメ的な恋愛描写は、彼の意思なのか、ちょっとディックに聞いてみたい。

 日本人には「イナゴ身重たく横たわる」は普通に人気という設定はよかった。