道教の最高神格
道教における最高神といえば『太元(万物の発生)』の神格化ともされる元始天尊である。
この元始天尊の同格、あるいはまた別格の神が、霊宝天尊こと太上道君。
それに、道徳天尊こと太上老君である。
上記三神は、まとめて『三清』とも呼ばれている。
道徳天尊。変わり者な老子、異形の太上老君
道教の開祖とされ、道教における最高神、老子の本名は李耳聃
姓が「李」、名が「耳」、字(古い中国でよくつけられた実名以外の名前)が「聃」。
この名前から、後世の李の姓名を持つ多くの貴族や道士が、老子の直系を自称したともされる。
出身は、楚という地域の苦県(河南省鹿邑県)の辺りという。
出生譚の時点で、すでに奇妙な伝説がある。
曰く、老子の母は不妊の、あるいは男を知らぬ女であったが、ある日、巨大な流れ星が家の近くに落ちて、その衝撃により妊娠したらしい。
別の説では、老子の母はなんと、72年の妊娠期間の後に、白髪で、杖を持った老人を生んだという。
李の木の下で生まれ落ちてすぐ、木を指差して「これを私の姓名としよう」と述べたという話もある。
老子が生まれたのは、春秋時代(紀元前770年~紀元前5世紀)、つまりは周王朝(紀元前1046~紀元前256)の頃である。
ある程度の年齢になった彼は、周の守藏室之史、つまりは王室図書館の司書となった。
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孔子の評価
生前の彼は、地位や名声を求めず、本の管理という仕事にひたすら没頭していたそうである。
だがその博識ぶりは世間にかなり知られてもいた。
そこで、彼に会いに来た知識人の客も多くいたが、たいていが、彼のその貧相の身なりに驚かされたという。
彼に会いに来た客の1人は孔子(紀元前551~紀元前479)だったそうだから、老子は少なくとも、彼と同じ時代に生きていたはずである。
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老子と会った孔子は、道や徳についての教えを乞うた。
それから孔子は、 自分なりに思うところを いろいろと説明してみたが、老子は楽しげな笑みを見せて、以下のような言葉を返したそうである。
「本当によき商人は、品物をたくさん持っていても、それは店の奥に閉まっていて、表では何も持っていないようなふりをするものです。徳の高い人も同じ、どれだけ徳を積んでいても、それを隠して愚者のふりをするのが、真の賢者なのです。しかしあなたは、大層な知識を鼻先にぶら下げて、野心が外に現われすぎているようですね」
孔子の方は、老子の教えを受けて、以下のような感想を述べているという。
「老子という人は、天に昇る龍が如くで、私のような、たかが人間には測り知ることもできない」
道徳経と尹喜
老子が理想としていた、優れた知識を持ちながらも、それを決して表には出さない賢者という姿は、タオの体現でもあった。
タオは、万物を生成するものでありながら、その痕跡を決して残さず、その結果だけがあり、形は見えない。
タオの哲学は、本来は「聖人の道の教え」として、孔子の「儒教」が使っていたものともされる。
老子は、『道徳経』という書で、タオを万物の根源たるものとして、明確に概念化した。
道徳経は、老子が語る教えを、尹喜という人が記録した書という伝説がある。
老子は、周の終焉を悟ってから、隠居を決意し、辞職して、牛に乗って西に向かった。
その道中で、関所の番人をしていた尹喜と出会ったのだという。
わりと知識人であった尹喜は、 偶然出会った老人がただ者ではないと一目で悟り、弟子入りを志願したとされている。
いくつかの生まれ変わり伝説
尹喜としばらく暮らした後、彼と別れてからの老子の消息は不明である。
時々、天から降臨して、道士たちに施術を授けたとか。
仏陀に生まれ変わり、新しい宗教(仏教)を興したとか。
「釈迦の生涯」実在したブッダ、仏教の教えの歴史の始まり 「仏教の教え」宗派の違い。各国ごとの特色。釈迦は何を悟ったのか
なんども新しい名前で生まれ変わっては、様々な時代の皇帝の先生になったとか。
怪しげな伝説はいくつか残っている。
後世には、哲学博士の老子というより、彼は道教の神として知られるようになっていく。
道教における最高神、太上老君は、神格化された老子なのである。
最高神の座を譲ってからも別格の扱い
前漢(紀元前206年~紀元8年)に書かれた歴史書である司馬遷(紀元前145~紀元前87)の「史記」には、すでに老子は謎大き存在として記録されているという。
「漢王朝」前漢と後漢。歴史学の始まり、司馬遷が史記を書いた頃
老子道徳経を書いた李耳は、老子と呼ばれている人物の候補にすぎないという説もある。
史記は、他の老子候補として、160歳か200歳くらい生きた老莱子。
周の太子であり、優れた預言者でもあった儋なども挙げているという。
老子(太上老君)が神として祀られるようになったのは2世紀頃からのようである。
その後に、道教の最高神の座は元始天尊のものとなったが、それからもずっと、太上老君という神は別格の扱いである。
黄色い体に五色の雲
伝承における太上老君は、かなり異形の姿とされている。
晋(265~420)の頃の、神仙術の書である『抱朴子』によると、彼は黄色い体に五色の雲を纏い、鼻が高く、口はカラスの嘴のようで、全身に八卦が浮かびあがっているという。
「魏晋南北朝時代」分裂した中華、異民族たちの国家、中国史上の大混乱時代 「カラス」都会に紛れ込む生態系。ガーガーカーカー鳴く黒い鳥
黄金に輝く玉堂(玉で飾った美しい宮殿)に住まい、亀をベッドに使っている。
前後左右には、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神が陣取り、頭上では雷が荒れ狂っているという。
錬丹術のスペシャリスト
太上老君は仙人修行の神様ともされる。
例えば、神仙になるために必要な御札は、老子から生じたもの。
また、不老不死となるための薬を作る技である「錬丹術」を行う際にも、邪神に対する守りのために、太上老君に祈りを捧げるのは重要とされている。
「方術」仙人、道士の魔法。不老不死になる術。古代中国の錬金術、占星術
やはり老子は、人間がタオを完全に体得したことで仙人となったというイメージが強いためか、錬丹術と関わりが強いともされやすい。
有名な古典小説である西遊記に登場する太上老君も、霊薬のスペシャリストとして描かれている。
その薬を勝手に食べられるという流れで、悟空の強化にも一役かっている。
元始天尊。民間神話の盤古の変異か
中国の典型的の創世神話のパターンとして、以下のような話がある。
はじめに、天と地ができる以前の、混沌の状態があった。
その状態はタオの本質的姿だったという説もある。
とにかくその混沌こそが万物の根源であった。
そのうちに混沌の中から、盤古という巨人(神)が誕生した。
盤古は、天と地の誕生のきっかけとなった。
彼は背筋を伸ばして、それらをはっきりと離したわけである。
それから彼も死にたいでその体が、万物の素材になったのだという。
この盤古の神話は、 かなり古くから語り継がれてきたもののようだが、道教にも取り込まれ、盤古は元始天尊と名を変えたとも言われている。
万物のコントロールを今も続けている
元始天尊は万物の基盤であり、すべて神の頂点に立つ存在ともされる。
この(おそらく)最初の神にして、最初の存在が、いかにして誕生したのかについては、実質的に謎である。
ただ宇宙が何の形もなしていない時に、混沌の状態の気(エネルギー)に触れて、発生したらしい。
ようするに謎である。
元始天尊は、過去、現在、未来において、この宇宙が存在し続ける限りの永遠で、全ての名前と意味の根源である。
道教には、天の世界が36の階層構造になっているという説があるが、元始天尊はその最上階である「大羅天」に住まうともされる。
そこで元始天尊は、宇宙の万物のコントロールをひたすら続けているらしい。
霊宝天尊。最も地味な太上道君
太元の神格化である元始天尊。
老子の神格化である太上老君に対して、太上道君は、タオそのものの神格化とされる。
伝承も、文学作品での登場も少なく、三精の中では、もっとも地味な存在といえよう。
宇宙の始まりの混沌がタオであったのなら、その神格化というのは、元始天尊と一見かぶっている。
実際には、元始天尊は万物の始まりで、太上道君は始まりすらまだの混沌なのかもしれない。
一方で、元始天尊に続いて、つまりは2番目に現われた神という説もある。
また、最初の神が元始天尊で、最初の聖人が太上道君という説があるが、この場合、今度は太上老君とかぶっているような感じがする。
この場合は、タオの神が元始天尊で、タオを極めし聖人が太上道君、タオを極めし人間が太上老君なのだろうか。
万物が元始天尊、哲学や思想が太上道君、あらゆる実践的教義の担い手が太上老君という説もある。
そうだとすると、太上老君が一番理解しやすいのも納得というものであろう。