「方術」仙人、道士の魔法。不老不死になる術。古代中国の錬金術、占星術

基礎知識。タオから成り立つ万物

 『道教』の理論に基づいた魔術めいた技を『方術ほうじゅつ』という。
道教における理想的存在、仙人は、その方術の達人でもある。

 方術といってもいろいろ種類があり、まだ仙人でなく修行中の身である道士どうしにも使えるものがある。
というより、ある意味で仙人とは、不老不死となる方術を身につけた道士と言えるかもしれない。

 方術を使う道士の呼び名として、『方士ほうし』というのもある。
そもそも方士は、道士の古い呼び方でもあるらしい。

道家の思想

 道教という宗教は、老子のタオの思想を基盤とし、様々な民間宗教や伝説などを取り入れて発展した。
老子のタオ 「老子の言葉。道の思想」現代語訳、名言、格言。千里の道も一歩から 「道教」老子の教えと解釈。タオとは何か、神仙道とはどのようなものか
道家どうか(タオの思想)』においては、すべての物質は、その魂(霊)まで含めて、気(エネルギー?)の状態にすぎない。
素粒子論 「物質構成の素粒子論」エネルギーと場、宇宙空間の簡単なイメージ
 すべてはタオであり、それはすべての入れ物である時空間すら含む概念。

 ようするに道教の思想というのは基本的に一元論なのである。
たった1つの基本的要素、すなわちタオがまず始めにある。
それが器として働くことで時空間ができる。
そこに気という形が取られることで、全物質が現れるわけである。

丹田、経絡、風水

 道家思想では、万物も宇宙も、同じ原理にて存在している。
なので、万物の入れ物のような役割を果たすマクロコスモス(大宇宙)、万物の1つずつをミクロコスモス(小宇宙)とし、その様々な動作に、照応しょうおうを見いだせるとする説もある。
錬金術 「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石
 また同じ原理で成り立っているからして、宇宙と人体の構造は、 同じシステムとして捉えることができる。
宇宙の中心に相当する人体の中心が『丹田たんでん』である。

 丹田は気の田であり、『経絡けいらく(Meridian)』の交叉こうさする場。
あるいは、それを流れる気が貯まりやすい場ともされる。

 経絡とは、人体において(そして宇宙においても)、気が巡るルート。
または、気や血液、様々な栄養素のような、生体を維持するために不可欠な代謝物質などの通り道。
経は『経脈けいみゃく(縦の脈)』。
絡は『絡脈らくみゃく(横の脈)』とされる。

 大地の経絡を読み取る技術は、『風水ふうすい』と呼ばれる。

神、気、精

 丹田は、上中下の3つがあるというのが通説。
すなわち、頭頂部中央あるいは眉間の辺りの『上丹田』、心臓の辺りの『中丹田』、へそから少し下の辺りの『下丹田』である。
よく、上丹田はしんを、中丹田は気を、下丹田は精の貯蔵庫のようになっている。

 神、気、精は、広義的にはどれも気とされる。
区別される場合の違いは、おそらくその役割、または動作パターンである。
神はおそらく神経、意識、知能の形成。
気はそのまま活動のためのエネルギー。
精に関しては特に解釈が難しいが、性別に関連しているか、または、本能や衝動的、無意識敵なものの原理かもしれない。

 また、頭頂の一点を「頂丹田」、股下の一点を「底丹田」とする二丹田説もある。

陰陽、太極図

 いかなる創造も、対極のものとして存在する「いん」の気と「よう」の気の結合によって生じるという説がある。

 あるいは気の循環とは、陰が陽に転じ、陽が陰に転じることであり、あらゆる動作はその過程と考える。

 この陰陽の循環を、最も一般的な形で表した図は、『太極図たいきょくず』と呼ばれる。

不老不死を実現する術

 丹田を中心として経絡を巡る気に問題が生じれば、それが生命体の病や傷にも繋がってしまう。
つまりは、気の消耗は命の消耗であり、気の枯渇こそが死。
熱力学 エントロピーとは何か。永久機関が不可能な理由。「熱力学三法則」
 もちろん上記の考え方が正しければ、気の流れを永遠に続ける限り、生命も続けることができる。
周囲のあらゆる影響による気の変化を理解し、それによる消耗を無くし、自分というミクロコスモスの循環を続けることこそ、道教における究極の目的のひとつ、不老不死を実現する方術というわけである。

辟穀。三尸の糧を絶つ

 『辟穀へきこく』は、仙人になるための、最も基本の修行ともされる。
というか、これは最低限の準備のようで、仙人の修行を始めるためには、必ず前段階として、この辟穀を行わなければならないらしい。

 辟穀というのは、早い話が食事制限である。
五穀ごこく」と呼ばれる、米、きびむぎあわ、豆を絶つのだ。

 こんなことをする理由は、丹田に住むという『三尸さんし』なる虫を排除するためとされる。
その虫は、老衰やら、病気やらの原因になることがあるらしい。

 三尸は、名前通りに3種。
上丹田には、道士(人)のような姿の『上尸』、あるいは『青古せいこ(青き老人)』。
中丹田には、獣姿の『中尸』、あるいは『白姑はくこ(白き姫君)』
下丹田には、牛の顔と人の足を合わせた異形の姿の『下尸』、あるいは『血尸けつし(血の屍)』が住まう。

 青古は、鼻づまりや咳、抜け毛などをもたらす。
白姑は、心肺や精神の不調をもたらす。
血尸は、胃腸の不調、 神経衰弱や、皮膚や骨の病気をもたらす。

 三尸はさらに、宿主の悪事を、天の北極の皇帝(北帝)に伝える役割も担っている。
そして北帝は、三尸から伝えられた悪事の内容に応じて、その者の寿命を減らしてしまうのだとされている。

 最終的には永遠の命を得ようという道士にとっては、三尸なんてのは百害あって一利なしである。
そこでまずはこれを体から消去するための手段として、辟穀が行われた。
三尸は、宿主が摂取した五穀を糧とすると考えられていたため、それを食べるのを止めれば、自然、三尸も力尽きる道理なわけだ。

 また食事制限は、気の流れを読み取りやすくするための調整にもなるという。
(肉とか、臭いのきつい野菜とかも、気の乱れを起こしやすいために、あまり推奨されない)

栄養不足は薬で補う

 現代的な観点から見ると、米や麦や豆に加えて、肉や野菜にも制限をかけた食生活なんて、逆に健康に悪いような感じがする。
実際そのような食事制限を実践した場合、栄養失調などの問題を引き起こしてしまう場合があるだろう。
実は昔の人も、そのことを理解していないわけではなかったようである。
そこで辟穀による身体への負担を和らげるために、道士たちは様々な『薬石やくせき』、つまりは薬を利用した療法りょうほうを研究した。

 特に、仙人の肉体を得るための、特殊な薬を摂取することを『服餌ふくじ』という。
服餌に用いられた薬の中には、現代まで残っている伝統的漢方薬なども、けっこうあったようである。

錬丹術と不老不死の霊薬

 身体の治療どころか、不死の霊薬とされることも多い『たん』を作る道士の技は、『錬丹術れんたんじゅつ』と呼ばれる。

 錬丹術は、さらに『外丹がいたん』と『内丹ないたん』とで区別される。

 外丹は、 自然界の材料を用いて丹を作るというもので、単に錬丹術と言った場合、こちらのみを指している場合も多い。
概念的には西洋錬金術のエリクサー(あるいは賢者の石)に近いとよく言われ、あちらと同じように、非金属を金属に変えたりする、物質変質の効果を有していたとも伝えられる。
外丹により作られる不老不死の霊薬は、『神丹しんたん』とか『金丹きんたん』という。
また、外丹の研究は、火薬の発明にも繋がったと考えられている。

 内丹は、特別な修行などにより、自身の内部に、外丹服用時のような効果を発生させる術。
外丹に比べて、内丹はより根源であるタオに近しい領域のコントロールとされる場合もある。

導引。健康体操と呼吸法

 気の流れのかなり直接的な調整法として『導引どういん』がある。
これはいわば健康体操だが、単に体を動かしたり曲げたりといった動作の他に、明確なリズムに則った呼吸法などとの組み合わせも重要とされている。

 自分という存在は、肉体と精神を合わせたその全てであるからして、それらの調和なくして、気の流れの調節などできようもないわけである。

 通常、気のスムーズな循環が妨げる要素として、人体構造のバランスの崩れによる物理的障壁と、心的な負担を原因とする霊的障壁が想定される。
導引は、それらの障壁が生じにくい体作りでもある。

 単なる健康体操として見た場合でも、非常に多くの種類があるという。
古代中国に存在した導引の様々なパターンの数は、今日の世界中に存在するあらゆる体操の数に匹敵するほどという見解もある。

 導引は内丹と同一視される場合もある。

外気、内気の循環

 導引には、呼吸法が要素としてあるが、道教において、この呼吸法というのは2種類ある。
すなわち、『外気法がいきほう』と『内気法ないきほう』である。

 外気法は、だいたい一般的にイメージされるような呼吸法といえる。
正しい形式、リズムに従い、効率よく外気を取り込む方法。
外気は、鼻から吸って、口から吐くのがよいとされる場合が多い。
呼吸の速度も、なるべく静かにゆっくり、しかし無理にではなく、自然体な流れで行うのが望ましいようである。

 息を吸い込むと、吐くまで止めておく。
その間、精神の気が 体内を循環するとも言われる。
そして、息を吐くと共に、循環により体中のにごりを取り込んだ「濁気だき(汚れた気)」も排出される。
外気法は、 体内の効率的な空気清浄化とも言えよう。

 『胎息たいそく』とも呼ばれる内気法は、道教内で、独自に生まれた呼吸法ともされる。
外気を取り込むのでなく、内部にもともと備わった気を呼吸するという、閉鎖的な技。

 では、内気とはどのようなものであろうか。
万物には、それぞれの『元気げんき』という根源たる気がある。
そして、人間の元気を内気としているのである。
内気は生命の根源であり、外気を取り込まない胎児すら、内気による呼吸は行っていると考えられていた。

 内気があらゆる生命に等しく分配されているかどうかに関しては 議論がある。
ただ、これを増やすことは困難であり、だんだん消耗して、ついに枯渇してしまうと、それはその物の終焉を意味しているとはよく言われる。
不老不死となるべく、その循環を永遠に保つべき気とは、つまり内気なわけである。

房中術に関して

 万物は陰と陽の交わりから成るという思想から、男女の交わりも気を高める(創造する?)術として、よく研究されていた。
いわゆる『房中術ぼうちゅうじゅつ』である。

 正しき交わりは、正しき循環の過程でもあり、不老不死とも関係があるとされる。
黄帝こうてい(古代の伝説の王)は2000人の女性と交わることで仙人になった、という説もある。

 男女の交わりにおいては、互いの感情の高まりが重要だとされるのが基本。
なるべく多くの相手を見つけることが有効らしいが、それも、感情の高まりを保つためなのかもしれない。

 また、異性との関わりによる意識的、無意識敵な興奮により、人の身体から分泌される様々な体液は、なるべくなら出さない方がいいらしい。
つまり、本来は原理的に、正しき交わりによって発生させた気は外部に放出され、宇宙の他の部分のものになってしまう。
だがそれを、生成はしても、放出はさせずに、自らの中に循環させることで、結局自分の気を高めるという技が房中術なわけである。

 ただ房中術は、時代が下るごとに、本来の道家、道教からは離れていったようだ。
より禁欲的な仏教の影響があったのでないか、という指摘もある。
だんだんと胡散くさい感じが強まっていったのも確かである。
仙人を自称する男性詐欺師が、女性を口説くためにそれを利用したりする例も多かったようだから。
現在でも、房中術は怪しげで、新興宗教の教祖がハーレムを作るためによく利用する概念のひとつ、というようなイメージは強い。

尸解。一度死んで蘇る

 仙人になるため、少なくとも不死になるための方術ともされているのが、『尸解しかい』である。
正確には、生まれつきには人間にすぎない者が、仙人になるための方法らしい。

 一度死んで蘇る、あるいは死んだように見せかけて実は生きているという、術とされる。

 具体的に何が起こっているのかは諸説ある。
一般的なのは、死の前からさっさと、神仙界に霊体を構築するというもの。
つまり、生身の体が死に絶える前に、自分という存在そのものを、仙人たちの世界に転移させるわけである。
そうすると残された身体はまるで死んだようになるが、生きたまま構築された霊体は、意識的に再び体を持つこともできるのだという。

 他には、外丹を用いて、生き返るような調整をかけた上で、自らの命を一時終わらせている。
刀、あるいは木の棒などを変化させた、偽物の死体を使い、天の目を欺いているというような説もある。

 尸解仙は、仙人としての地位は低いという話もある。

占い。易経の発展

 かつて、占いに関して人並外れた能力を持った者は「日者にっしゃ」。
また、陰陽五行に基づいた予言と、それを書き記した書は、「讖緯しんい」と呼ばれた。

卜筮。伏羲の教え

 中国古来の占い方法である『卜筮ぼくぜい』は、道教においても重要である。

 卜は、亀の甲羅や、獣の骨などを焼いて、発生した亀裂により占う方法。

 筮は、50本ほどの、「筮竹ぜいちく」と呼ばれる竹の小枝などを使って行う占い方法。
古くは竹でなく、めどぎという多年草が使われていたとされる。

 卜筮は『易経えききょう』という書が基礎となっている。
易経は、古代の王、あるいは神である伏羲ふくぎが書いたとされる書。
いわゆる『八卦はっけ』は、易経において、卜筮が結果として示す、天地に起こりうる様々な事象の記号である。

三式。奇門遁甲、太乙神数、六壬神課

 易経占いと、星の動きから宇宙の詳細を読み取る占星術を合わせた技として、『三式さんしき 』というのが知られている。
占星術 「占星術」ホロスコープは何を映しているか?
 三式は、すなわち『奇門遁甲きもんとんこう(遁甲式)』、『太乙神数たいおつしんすう(太乙式)』、『六壬神課りくじんしんか(六壬式)』という3つの「式占しきせん」である。
式占とは、「式盤しきばん」という、時間や方角の定義によく利用される「干支」という概念や、八卦に基づいた、星の配置などがされた特別な盤を使う占いのこと。

 奇門遁甲は、方位術的な要素が特に強い。
その時々の状況において、方角の吉凶をよく知ることができる。
また、やがて来る運命を知るだけでなく、その運命をよい方向へ改善するのにも使える。

 太乙神数は、個人よりも集団に対して、例えば国家の未来を占ったりする場合に、特に使える。

 六壬神課は、自分と相手というような二者の関係に関する占いによく使われた。
日本の陰陽道おんみょうどうにおいては、かなり重要視された占術だったようである。
有名な陰陽師の安倍晴明あべのせいめいが書いた「占事略决せんじりゃっけつ」は、六壬神課の実践指南書ともされる。
「陰陽道入門」干支と五行についての理解。占いと式神、祓いの術
 三式はいずれも、兵法に応用することができ、諸葛亮孔明しょかつりょうこうめい(181~234)が、それらの達人だったという話も残っている。
蜀の国 劉備、関羽、張飛、趙雲、諸葛亮「蜀の国の武将7人」
 三式は完全に機械的なシステムであり、特別な才能はいらない。
本当のそれは口伝で伝えられると言うから、記録にもほとんど残っていないが、その正しい手順さえしっかり行えば、誰でもその恩恵を受けることができる。

 とう(618~907)の時代に、皇帝のみが利用を許されていたという「雷公式らいこうしき」という式占もあって、三式と合わせ、四式とする場合もある。
「唐王朝」最も安定していたとされる治世、中国唯一の女帝の影
ただ、雷公式に関しては、いったいどのようなものであったのか、記録がまるでないという。

扶乩。中国のコックリさん

 『扶箕ふき』とも呼ばれる『扶乩フーチ』という占いもある。
これは民間にも広く普及していた(している?)とされる。

 まずは砂地の上、乩木けいぼく(二股の木)の下に、筆か、筆代わりになる棒などをつける。
そして神降ろしを行うことで、筆が砂上に神意の印などを書くというもの。

 その現象の内容から、日本のコックリさんや、西洋のウィジャボードと同種の自動現象という説もある。

召鬼。鬼を呼び出し、命令を聞かせる

霊と呼ばれる、あらゆる存在

 道教において、『おに』という言葉が指す範囲は非常に広いという。
精霊、邪鬼、樹木じゅもく霊、動物霊、人霊(人魂ひとだま)といった、いわゆる、存在するが目に見えない者たち全般を意味する。
筆使い 「鬼」種類、伝説、史実。伝えられる、日本の闇に潜む何者か
 だから道教において、鬼を操る術、『召鬼法しょうきほう』の対象は多い。

 道教には、死んだ後の、天界やら地獄やらの概念もあるが、動物や人などの霊が地上に残っているのはどういうわけであろうか。
どうもそれらは、不幸な死に方をした、地上に恨みの対象を残している者たち、「怨鬼えんき」らしい。
さらにはこの状態の生物霊たちは、身代わりの肉体を、生きている者から奪うことで、復活することが可能なのだとされる。
そこで、召鬼法に長けた者は、召使いとして鬼を扱うというよりも、生者に迷惑をかける怨鬼たちを、打ち負かして征服してやることも多い。

水と符と剣

 召鬼法には、水と(お札)と剣が重要。

 方士は、(たいてい符に書いた)まじないによって鬼を招く。
そして鬼を意図的に操るわけだが、そのためにはまず、対象とする鬼の正体を見破らなければならない。
水は、鬼の正体を映し出す鏡になるとされている。
それからまた、鬼の招待に応じた符の使い方により、その攻撃から身を守りながら、一方で命令を下す。
剣は、具体的な命令をするのに必要なのだという。

隠形法、明目法、不溺法

 方術の中でも、『隠形法おんぎょうほう』、『明目法めいもくほう』、『不溺法ふできほう』は、かなり基本的なものとされる。
これらの方法は、外丹によって実現されることが多い。

 隠形法は、姿を消してしまう術だが、姿を消した後に変形したりできる場合もある。
消えかたとしては、壺などの小さなところに入り込んでしまう(小型化?)パターンと、普通に透明になるパターンが一般的。
透明になる場合、それはたいてい視覚的な話に限るようである。

 明目法は、真っ暗闇の中でも、はっきりとものを見る術。
「視覚システム」脳の機能が生成する仕組みの謎。意識はどの段階なのか
 不溺法は、溺れない術、というよりも、水上歩行の術らしい。

剪紙成兵術。紙に命を吹き込む

 紙で人形ひとがたを作り、呪いによって操る、『剪紙成兵術せんしせいへいじゅつ』という方術がある。
「剪紙成兵(紙を切って、兵を生じさせる)」という名称からすると、軍事目的に使われることも、けっこうあったのかもしれない。

 一般的には、『禹歩うほ』の技術が必要。
これは片足を引きずるような特殊な歩き方で、邪気を払う意味があるとされる。
例によって古代中国の伝説的な王、(足が不自由だったらしい)禹が行った歩き方なようである。
夏王朝 「夏王朝」開いた人物。史記の記述。実在したか。中国大陸最初の国家
 剪紙成兵術の典型的な方法としては、まず並べた紙の前で、剣を持って禹歩を行う。
それから呪いをかけてから、口に含んでいた水をかける。
すると「紙人しじん(紙)」は、まるで生きているように動き出す。
紙人は与えられた目的を終えると元の場所に戻って来るが、完全に元の紙に戻すためには、動かすためにおこなった動作を、再び行う必要があるらしい。

 紙人以外にも、木を使った「木人ぼくじん」や、草を使った「草人そうじん」などの方術もある。
あるいは同じ方法で動かせるという。

禁呪。究極の方術

 道士が使う『禁呪きんじゅ』は、呪いに関する術の中でも、かなり代表的なものとされている。
文字通り何かを禁じる技だが、どうも元々は、山の中で修行する道士が、毒蛇から身を守るために使っていたらしい。
その動きを禁じることで、自らの安全を確保していたのだという。

 ただ、この禁呪という術の汎用性はかなり高く、様々な道具や武器、時には生物までも自由自在に動かしてしまうとされる。
風や水を禁じて、災害までもコントロールできる。
どうも、自由な動きを禁じた後は、物理的、あるいは気によって、ある程度操ることができるようである。

 禁じる動きの中には、変化も含まれてるらしい。
例えば、水を禁じて、氷点下でも凍らなくしたりできるらしい。

 禁呪はほとんど最強の技でもある。
火を禁じて、その中で本を読むこともできる。
水を禁じて、その上を馬で走ることもできる。
そして人を禁じることで、どんな悪党にも有効な護身術となりうる。

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