「ケネス・アーノルド事件」空飛ぶ円盤、UFO神話の始まりとされる目撃譚

レーニア山

空飛ぶ円盤という言葉が、世に知られるようになったきっかけの事件

 20世紀の神話と称される、UFO事件の数々だが、その中でも最も重要な一つとされているのが、1947年に、パイロットのケネス・アルバート・アーノルド(1915~1984)がフライト中に謎の飛行物体と遭遇した、いわゆる『アーノルド事件』である。

 アーノルド自身がはっきりとそう言ったのではなく、あくまで誤解とされているが、『空飛ぶ円盤(Flying saucer)』 という有名な言葉は、彼の事件以降、広く知られるようになった。

 また、UFOが地球外生物の、あるいはそうでなくとも、何者かに作られた人工物なのでないかという発想も、この事件以降に広まったものである。

 そこでアーノルド事件は、それが真実だったにせよ、そうでなかったにせよ、UFO現象の歴史において、一つの重要なターニングポイントだったろうとされている。

レーニア山上空を飛ぶ複数の光

三日月かブーメランのような形の、謎の飛行物体

 1947年6月24日。
アメリカ、ワシントン州。
コールエア社製の自家用航空機で、チェハリスからヤキマへのルートを飛行していた、実業家のケネス・アーノルドは、途中、レーニア山近くに寄り道しようとした。
報酬目当てに、最近そこで墜落したらしい海兵隊の輸送機を捜索するためであった。

 そしてアーノルドが、レーニア山頂から、南西に40キロほどの距離を、2.8キロくらいの高度で飛行していた時。
突然どこからかの光が、彼の飛行機に反射した。

 時刻は3時頃。
アーノルドは謎の光がどこから来るのかを目で探し、北の方角の35キロくらい先に、かなり明るい複数の物体を見つけた。
それらは、おそらくはかなりの速度で、まるで編隊を組んでいるかのようだった。
 そして、ジェット機だとしたら尾部が見当たらないことが奇妙だった。

 物体の形に関しては、三日月かブーメランのような感じであったらしい。

おかしな飛び方をしていて、異常に速い

 アーノルドは、物体の飛行経路になりそうなレーニア山からアダムス山までを基準に、計器盤の時計を使って測定してみたところ、編隊の速度は時速2720km(マッハ2くらい)ほどという結果だったという。
 音速(マッハ1)の壁が破られたという最初の公式記録も1947年だということを考えると、当時の航空機としては、普通にありえない速度に思える。

 また、物体は異常に速いだけでなく、その飛び方も奇妙だったようだ。
アーノルド自身は「それまで自分が見たどんな飛行機とも違う飛び方をしていた」と、後に証言した。
ゆらゆらと揺れながら飛んでいて、しかし不規則ながら、編隊を組んでいるのはほぼ間違いなさそうだったという。
 そしてアーノルドは、「イースト・オレゴニアン」の記者ビル・ベケットのいる時に、飛行物体の飛び方を「水面を跳ねる円盤のような」と表現した。
ベケットは何か勘違いしたのか、飛行物体の形が円盤である、というふうに世に広めたのだった。

軍の調査報告。懐疑論者の見解

蜃気楼だったか

 アーノルド自身が、「その日の空は穏やかで、大気が非常に澄み渡っていた」と報告している。
そのように見える空において、『蜃気楼(mirage)』という現象が発生しやすいこと はよく言及される。

 蜃気楼は、大気の密度の違いなどが原因で生じる光の屈折現象で、遠くにあるものが近くに見えたり、逆さまに見えたりする。
温度 「気温の原因」温室効果の仕組み。空はなぜ青いのか。地球寒冷化。地球温暖化
 軍が後に提出した、正式な調査報告においても、おそらく「原因は蜃気楼であった」という結論されているという。
それとこの事件に関しては、知名度の高さからか、定期的にUFO研究家が再調査しているそうだが、たいていの場合、「結局は軍の最初の調査報告が正しかった」と判定されるらしい。

物体からの距離と、認識の信憑性

 おそらく物体までの距離が35キロくらいだったとアーノルドは述べている(あるいは70キロほどという記録もあり、はっきりしない)。

 実際問題、35キロも離れていたなら、物体のはっきりとした形を人の目で確認することは非常に困難である、という指摘もある。
 結局、物体の形や、速度などの異常性についても、単に間違いだった可能性も高いとされている。

 物体の編隊の組み方は、斜め1列。
アーノルドの話の中には、鳥の群れのパターンによく似ていたというのもあり、まさにその通り、普通に鳥の群れだった可能性もなくはない。
風切り羽 「鳥類」絶滅しなかった恐竜の進化、大空への適応
 しかし、遠くにあるのにはっきり見えたのならば、その物体はよほど強大であったのかもしれない。
アーノルド自身は、物体が成す列の長さは、おそらく8キロくらいだったとしている。

「空飛ぶ円盤」は誤解か。同じ物体を見た地上の人たち

 空飛ぶ円盤という表現は、完全に誤解と考えられているが、アーノルドの報告には、「編隊を組んだ物体の内の何機かは、時に円形に見えた」というような文もあるようだ。
ただし彼自身が言ってるように、そもそも完全な状態で観察できた期間はかなり短かった。
そして基本的には、ほぼ黒の線みたいに見えたという。

 アーノルドが何を見たにせよ。
彼以外にも、地上から、「おそらくはそれと同じ物体を見た」という者も結構いたようで、 そのうちの何人かの報告(例えばユタ州シーダーシティの空港の三人や、オクラホマシティのパイロットの報告)に関しては、アーノルドも「確かに彼らは自分と同じものを見たのかもしれない」と認めている。
 一方で、物体のおおよその速度や、地上からの距離を考えると、それを地上からはっきりと確認するのは難しかっただろうとも、彼は述べている。

UFOはどう考えられるか

ソ連の新兵器か

 アーノルド自身は、自分の目撃した物体に関して、鳥や民間の飛行機の見間違いでないと自信があるようだったが、それが決して、現在の技術で作ることが不可能なものとも考えなかった。

 彼はそれを、軍が極秘に開発してる新型の飛行兵器か何かではないか、と考えたようだ。
アメリカのものでないとしても、緊張状態にあったソ連の新兵器、あるいは偵察機器なのでないか、というような疑いは強かった。
 特に当時は、終戦からまだ間もない。
高い性能の航空機と、原爆と組み合わせた場合の、恐ろしいシミュレーションが、多くの人の頭に、嫌でも浮かんでいたことだろう。

マロック飛行場での目撃と、軍のUFO本格調査

 アーノルドの目撃以降、未確認飛行物体の目撃情報は一気に増えたようだが、軍は当初、それらの目撃情報を組織的に受理しただけで、まともに対応しようとはしなかった。

 しかし7月8日に、カリフォルニア州のマロック飛行場(後のエドワーズ空軍基地)で、軍人や技術員たちに、彼ら曰く「 プロペラのエンジン音のような推進手段を思わせる 要素が一切なかった」謎の飛行物体が、数時間にわたって、次々と目撃されるという事件も発生。

 「UFO(未確認飛行物体)に関する報告を調査せよ」という指令が軍内に通達されたのは、 そのマロック飛行場での目撃事件のすぐ後だったという。

 アーノルドのもとにも、すぐに技術情報部の将校が二人、話を聞きにきた。

 二人の将校の結論は、ケネス・アーノルド氏は誠実で、またその報告自体にも疑わしき点が少なく、「もし彼が、実際には何も目撃していないのに、そのような報告をしたというのなら、彼はSF作家にでも転向した方がよい」というものだった。

 もちろん幻であった可能性もあるが、アーノルドが何かを見たことは間違いなさそうである。

アーノルドと、この事件のその後

 アーノルドは、この一件がきっかけとなり、UFO研究家となったらしい。
また彼は1952年に、UFOの正体は地球外生物の円盤だという思想を世に広めたとされている(懐疑論者の間では悪名高い)レイモンド・アーサー・パーマー(1910~1977)と共に「The Coming of the Saucers(円盤が来る)」という、UFOについての本を出版。
大きな反響を呼んだそうだ。

 アーノルドが目撃した物体に関しては、当時は極秘にされていた、ソ連の核実験探知用の特殊な気球であったという説もあるようだ。
ただアーノルドが目撃したのが、確かに三日月形だったなら、それが気球の見間違いとするには苦しいのでなかろうか。

 懐疑論者はよく「熟練のパイロットでも、ある程度以上距離の離れた飛行物体に関して、正確に認識するのは難しいだろう」と述べる。
(おそらくはそのような意見に対して)アーノルドは「まともなパイロットなら、あの場合に関して間違いをおかすはずがない。私は確かに蜃気楼などでない何かを見た」と何度も主張したそうである。

 アーノルドは確かに誠実な、いわゆる信頼できる目撃者であったと思われるが、後の頑なな見解は、もしかすると強い思い込みからくるものだったのかもしれない。
そういう感じはする。

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