「ロズウェル事件」経緯と真相。真実と嘘。証言記録。本当にUFOだったのか

ロズウェル事件

ロズウェル事件に関する基礎知識

世界で最も有名なUFO墜落事件

 UFO(未確認飛行物体)の 墜落事件の噂は数多くあるが、その中でも最も有名なものは、まず間違いなく『ロズウェル事件』。

 1947年の7月。
アメリカ、ニューメキシコ州のロズウェル付近にて、 謎の飛行物体が墜落し、その残骸を政府からの使者が回収していったという事件である。

なぜこの事件は、これほど人々の関心を集めるのか

 確かにこの事件に関しては、UFO現象を考える上で注目すべき点がいくつもある。

・ 事件の発端とされる「空飛ぶ円盤を回収した」という発表が、自称研究家とかでなく、軍の公式見解としてだされたこと。

・そもそも空飛ぶ円盤という言葉が誕生したきっかけとなったケネス・アーノルド事件から、ほんの数週間程度で起きているということ。
レーニア山 「ケネス・アーノルド事件」空飛ぶ円盤、UFO神話の始まりとされる目撃譚
円盤の墜落時期自体に関してはそれ以前という可能性もある。
 いずれにしても、まだ「空飛ぶ円盤が宇宙人の乗り物」という発想もあまりなく、ただ単に、そのまま「謎の飛行物体」というような意味でとらえられていた頃に起きた円盤墜落事件であること。

・ アメリカ政府と地球にやってきた異星人が極秘裏につながっているというような陰謀論において、その始まりの事件、あるいは重要な事件として語られることが多いこと。

最初の報告。最初の記事。翌日の否定

ロズウェルの牧場にて空飛ぶ円盤を捕獲

 まずこの事件が民間に知れ渡ったきっかけは、ロズウェルの夕刊紙『ロズウェル・デイリー・レコード(ロズウェル日報)』の、1947年7月8日付けの大見出し記事だった。
見出しには「RAAF(ロズウェル陸軍飛行場)が、ロズウェルの牧場にて空飛ぶ円盤を捕獲(RAAF Captures Flying Saucer On Ranch in Roswell Region)」と大きく書かれていた。

謎の装置の回収と、少し前に目撃された飛行物体

 記事の内容としては、以下のようなものだった。

 その記事自体は、情報将校のジェシー・アントニー・マーセル(1907~1986)の承認を得て、公表された情報に基づいているのだという。

 本日(おそらく7月8日)、ロズウェル陸軍飛行場(後のウォーカー空軍基地)に駐屯していた第8航空軍所属の『509爆撃隊(509th Bombardment group)』の情報部が、空飛ぶ円盤を入手したことを発表。
 ここでの空飛ぶ円盤とは、おそらく現代で言う「UFO(未確認飛行物体)」 と近いニュアンスである。
また、509爆撃隊は、原爆投下も任されていたエリート部隊である。

 円盤はロズウェル郊外の牧場で発見され、牧場主W・W・マック・ブレーゼルが、保安官のジョージ・ウィルコックスに通報。
そしてウィルコックス保安官が陸軍に、さらに通報し、マーセル少佐らが来て、円盤を回収した。
 しかし円盤の構造などについては、この時点では不明としている。
また、マーセル少佐らは、その場(あるいは自分たちの基地)で(記事ではinstrument(機器)と書かれている)残骸をある程度調べた後に、より調査のしやすい軍本部へと運んでいったそうである。
 それとこの記事では、牧場主の名前は明かされていない。

 さらに記事は続けて、地元に住むウィルモット夫妻が、7月2日の夜10時頃に、輝く大きな物体が南東の空から現れ、北西の方向へと飛んでいくのを目撃したことも紹介している。
 
 夫妻が物体を見ていた時間は、1分はなかったようである。
おそらく450メートルほどの高度で、 速度は時速700キロほどもあったように思えたという。
 形は楕円形で、一枚の皿の上に、もう一枚の皿を逆さにして重ねているような感じ。
 また、ウィルモットは何も音は聞かなかったが、夫人の方は、揺れるような音を少し聞いたそうだ。

正体は観測用気球であった

 マーセル少佐が回収した残骸は、テキサス州フォートワースの第8航空軍の司令部へと運ばれた。

 マーセル少佐は、確かに残骸を空飛ぶ円盤のものだと信じていたようだった。
しかし、彼とともに牧場から残骸を回収した部下のシェリダン・キャヴィットは、それが何かおかしなものとは、特に思わなかったらしい。

 残骸を前にした司令官のロジャー・レイミー准将も、 それを見た瞬間から疑いを抱いていたと考えられている。
 だからこそレイミー准将は、気球に関して詳しいアーヴィング・ニュートン准尉を、司令室に呼び、残骸を見せた。

 ニュートン准尉は、残骸を見るやすぐに、レーウィン(飛ばした気球の位置をレーダーなどで追跡し、上空の風の状態を観測する手法)用の気球でないかと判断したという。
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 キャヴィットもまた、後に残骸を見た感想として、「そもそもが気球にしか思えなかった」と述べている。

 そうして、最初の円盤回収の記事が出されたその日の夜には、レイミー准将はラジオで、「正体は気象観測用気球であった」と公表。

 さらに翌日のデイリーレコード誌も、やはり大見出しを使い、書いた
「レイミー将軍が、ロズウェルの円盤を空にする(Gen.Ramey Empties Roswell Saucer)」

ブレーゼルの証言。円盤回収の経緯

 円盤の発見者とされる牧場主のブレーゼルは、当時のインタビューで、「物体の残骸自体を発見したのは6月14日だった」と述べているという。
それが事実なら、少なくともウィルモット夫妻が見た飛行物体は、その残骸とは別の物ということになるだろう。

 残骸は、200メートルほどの範囲に散らばっていて、最初ブレーゼルは、そんなに気にしなかったそうである。
しかし結局は考えを改めて、7月4日に、家族とともに残骸を回収した。
 当時の新聞記事は、残骸の内訳うちわけは、「スズはく(スズを薄く紙のようにした物)、紙テープ、花柄のテープ、木片、アルミホイル、焦げたゴム」などと伝えている。
 あまり異星人の乗り物の残骸という感じはしない。
それと残骸の合計の重さは、2キログラムほどだったようである。

 例によって、後にキャヴィットは、「それは誰かが乗る乗り物としてはあまりにも小さすぎるように思えた」と述べた。

 また、ちょうど6月24日に起きたアーノルド事件から、「空飛ぶ円盤」の噂がアメリカ中に飛び交っているらしいことを、ブレーゼルが知ったのは回収の翌日、7月5日のことであったともされるが、その辺の記録はちょっとはっきりしない(「すでにはっきりしない」と言った方が適切かもしれない)。

 ブレーゼルは「気象観測用の気球ならこれまで何度か回収したことがある。しかし今回の残骸は、間違いなく気象観測用気球なんかじゃなかった」とも、しっかり述べていたそうである。

モーグル計画。アメリカ軍当局の公式見解

 1994年以降は、 ロズウェル事件の空飛ぶ円盤の正体は、 当時は極秘とされていた『モーグル計画(Project Mogul)』の気球の可能性が高いというのが、アメリカ軍の公式見解である。
 それは、ソ連の核実験によって発生した音波を検出するための特殊機材を積んだ気球で、当時は極秘扱いであったという。

 モーグル計画が行われていた時期は、1947年から1948年にかけての時期であり、ロズウェルのみならず、アーノルド事件での謎の飛行物体なども、実はこれなのではないか、とよく言われる。

 モーグル計画においては、観測用気球に近しいものも使われていたようである。
それにマイクロフォン(音波を電気信号に変換する装置)などの特殊機材を積んでいた。
 とすると確かに、ニュートン准尉が「それはレーウィン用だろう」と判断したこと。
ブレーゼルが「それまで自分が見てきた気象観測用気球とは違う」と考えたことの、どちらも説明がつくように思える。 

再調査が明らかにした驚くべき真実(?)

ロズウェルUFO回収事件

 1980年。
『The Roswell Incident(ロズウェルUFO回収事件)』という本が出版された。
この本は、UFO研究家スタントン・テリー・フリードマン(1934~2019)の調査報告などにより、徐々に再熱しつつあったロズウェル事件ブームの最大の発火剤になったとも言われている。

 本は、ウィリアム・レナード・ムーアとチャールズ・ベルリッツ(1914~2003)の共著扱いで、基本的な内容は、ムーアがフリードマンと共に、ロズウェル事件に関して調査した結果のまとめ的なもの。

 ムーアらは、 ロズウェル事件の報告を徹底的に見直し、また、マーセルその人を含む、 多くの事件関係者にインタビューもおこなった。
 そして、例の驚くべき(少なくとも一部のUFO研究家にとっての)真実が明らかになったわけであった。

円盤本体の墜落と、小さな搭乗員たち

 ブレーゼルは、UFO発見の日付を偽るように指示されたのではないかと言われる。
つまり、実は7月2日にウィルモット夫妻が目撃した謎の飛行物体こそが、墜落した物体の正体だったのではないか、というわけである。

 ムーアらはさらに、実はブレーゼルが発見したのは、「物体の全てではなかった」という説を提唱。
それに関して、ロズウェルから300キロほど離れたソコロ西方のセント・アグスティン平原にいた、エンジニアのグレイディ・L・バーネットの(おそらく7月3日の)証言を重要な根拠としている。

 その日。
バーネットは仕事中に、金属製らしい謎の物体から光が放たれているのを確認。
彼は最初、それを墜落した飛行機と考えたが、近づいてみるとそれは9メートルほどもある円盤型の物体であった。
 そして、その物体の周囲と中には、手のない小人のような謎の死体が何人かあった。
ワンピースのスーツのようなものを着ていたが、ファスナーが確認できなかったそうである。

 それから、ペンシルバニア大学考古学部の学生たちの一団も、その場にやってきた。
 それから次には、アメリカ陸軍のジープがやってきて、陸軍の者たちは、「ここは軍管理下の立ち入り禁止区域だ」と告げたという。

 バーネットや考古学部生ら含む民間人たちは退去を命じられ、「ここで見たものを口外しないことは、国家の義務だ」とも言われたそうだ

墜落した物体は二つあった説の始まりか

 バーネットの証言から、ムーアらは物体墜落の経緯に関して、独自のストーリーを組み立てた。
 つまりその円盤は、7月2日にはロズウェルでいくらかパーツを落とし、ブレーゼルが見つけたのはそれだった。
それから円盤本体はセント・アグスティンで墜落した。
というような筋書きである。

 おそらくムーアらの考えた真相は、(結構よく言われている)「ロズウェル事件において墜落した物体は二つあった」という仮説の最初期のものである。

マーセル少佐が手にしたもの

 マーセル少佐は、第二の墜落の話も、異星人の遺体の話もしていないようだ。
ただし彼は、自分が回収した残骸が地球外生物の物であることは、かなりはっきり確信しているようだった。

 彼は、フォート・ワース基地で写真が撮られた後に、残骸はまったく別のものへとすり替えられてしまったのだと主張した。
彼が回収した残骸は、薄っぺらなのに非常に頑丈で、火にもハンマーの衝撃にもびくともしなかったのだという。
一方で簡単に曲げたりねじったりできたようである。
しかし手を離すと すぐさま元の形に戻ったらしい。

 ところがマスコミの前に披露された残骸は、なんてことない柔らかい素材だった。

 ただ、彼の言葉が真実だとするなら、なぜそれほどまでに頑丈な特殊素材が、粉々になって散らばったのかは謎である。

 また彼の息子は後に、「父はそもそも機械に明るく、レーウィンについてもかなり詳しかったから、 もしもそうだったなら間違えるはずがない」と述べたそうだ。

 それとマーセル少佐はあまり信用できない人物ともされているが、それは彼が、彼の話を聞きにくるUFO研究家たちに話した軍での経歴が、後に嘘だったと明らかにされたからである。

 一方でよくよく考えてみると、円盤の本体の墜落現場が別にあったとするなら、マーセル少佐が搭乗員を見ていないことは、実に納得できる。

何が嘘だったのか

 マーセル少佐は、墜落した物体が異星人関連のものだったと考える研究家たちには、(立場に関係なく) とても立派な人物として語られることが多い。

 もし彼がレーウィンに詳しく、しかし、すり替えられた偽の残骸を前に、「観測用気球と間違えたことにしろ」なんて言われたのだとしたら、かなり屈辱的なことであったろう。

 世の中には、一つでも嘘が明るみになると、「そいつはもう嘘つき」みたいに判断する人もいるけど、冷静に考えてほしい。
30年くらいもの間、真実を胸に秘めたまま、しかも屈辱のような記録を残されたままで生きていたとする。
久しぶりにその件について話をする時、多少見栄を張ってしまったのだとしても、仕方ないのでなかろうか。

再び、モーグル計画の話

 90年代になる頃には、「宇宙人と政府の密約」というテーマは、 まさしく宗教的と言えるようなレベルで信じられるようになっていた。

「当時極秘だったモーグル計画の気球の可能性が高い」という再調査結果を報告したのはアメリカ軍(空軍)であり、しっかりと再調査するように命じたのはアメリカ政府なのだ。
これは明らかに国民の関心に応えてのことである。

 より正確には、ニューメキシコ州選出のスティーヴン・H・シフという政治家が、 ロズウェル事件に関する文書を探すように(機密文書を観覧できる権限を持つ)『アメリカ会計検査院(GAO)』に命じ、調査が開始された。
 それから、空軍は、事件と関係がありそうな文書をまとめた報告書を公表。
GAOも、隠蔽工作の証拠などは発見できなかった。

 モーグル計画の話に関しては、とりあえずロズウェル事件に関する、ある一つの可能性を徹底的につぶしてくれたと言える。
それは「ロズウェル事件に関して、軍の隠蔽工作は確かになかったが、しかし墜落した円盤は単なる気球なんかではなかった」という可能性である。

 モーグル説はかなり合理的なものに思える。
もし軍の隠蔽工作なんてものがないのなら、この仮説に強い疑いを投げかける必要性はあまりないはず。

 そうなってくると、もし墜落したものが単なる気球でなかったとするなら、残された可能性は「やはり軍の隠蔽工作はあった。そもそもモーグル計画説なんていう調査報告も、デタラメにすぎない」
あるいは、「強力な権限を持つ会計検査院にすら、一切知ることができないような秘密組織がある」というようなパターンくらいであろう。
『ロズウェル・リポート』と銘打たれた90年代の軍の調査がデタラメか間違ってるなら、隠蔽工作の規模はかなり大きいと考えられる。

どんどん増えていく伝説

 モーグル計画はともかくとして、90年代には、ロズウェル事件に関する怪しげな話はさらに増えていく。

 多くのUFO研究家たちが、1947年のその時、ロズウェルで本当はいったい何が起こったのかを追い求め、(彼ら曰く)真実を暴いてきた。
 また、恐怖を克服したのか、記憶を取り戻したのか、理由はわからないが、新しい証言者もどんどんと増えてくる。

 研究家のケヴィン・D・ランドルとドナルド・R・シュミットは、バーネットの証言には事実と食い違いがあるとして、やはりUFOの墜落現場は、ブレーゼルの牧場にほど近い場所と結論。
バーネットの証言に関しては、おそらくは証拠隠滅を図ろうとする軍の指示によるものと考えた。

 フリードマンは、やはり墜落現場はセント・アグスティンとし、 事件当時5歳だったというジェラルド・アンダーソンはじめ、新たな証言者を何人も見つけていった。

 しかし新しい証言者が増える一方で、シェリダン・キャヴィットは一応、ほぼ確実に残骸を見た人物であるというのに、その証言を無視する人もけっこう多いようだ。
ちなみに彼は後に、「その物体に関して気球以外のものであるという発想を抱いたことすらない」と、異星人伝説を信じる人たちに関して苦笑したという。

再ブーム以降の証言のいくつかの例

軍関係者の証言

 当時、ロズウェル陸軍航空基地にいたスティーヴ・マッケンジーは、ホワイト・サンズのレーダー基地に呼ばれた。
それは7月2日のことで、他に二人の男が呼び出されていた。
 実は、前日(7月1日)からニューメキシコ州南部の上空を飛行する未確認物体があり、それをレーダーで見張るようにという命令をマッケンジーは受けたのだった。
 結局マッケンジーが見張っていた期間、 謎の物体は特に大きな動きも見せず、定期的に消えたり現れたりを繰り返しただけだった。
そして担当時間が終わると、彼は基地へと帰されたという。
 後にその物体が墜落した時、彼は同僚数名と現場に駆けつけ、 奇妙なヒューマノイドの遺体を見たそうだ。

 マッケンジーと共に現場に駆けつけた一人である、509爆撃隊所属らしいエドウィン・イーズリー少佐は、「ほぼ本体と言える残骸は飛行機に積まれてどこかへと運ばれていった。残されたのは小さな破片ばかりだった」と証言。
 彼は1992年、亡くなる少し前に、当時、異星人を見た事実を暴露した。 

 どうも、顔が妙に大きかったらしいヒューマノイドの遺体だが、 まずロズウェル陸軍基地に運ばれ、一次的に格納庫に安置されたらしかった。
フランク・コーフマンという人は、 「武装した兵士が格納庫の周囲を固めていて、誰も近づくことはできなかった」と述べている。

 さらに、空軍のアーサー・E・エクソン准将は1947年7月に、ライト・フィールド基地(オハイオ州のライト・パターソン基地の一エリア)でUFOの残骸や異星人の搭乗員に関する調査の話を聞いたことを明かした。

 最終的に異星人の遺体がどこに行ったのかは大きな謎とされるが、回収から、それがどこかへと運びさられるまでの数日ほどの間、多くの軍関係者がそれを目撃したようだ。

民間の証言者たち

 軍関係者以外の証言は、むしろより不気味なものが多い。

 ブレーゼルの近所に住んでいたフロイド・プロクターは、ブレーゼルの周囲には、いつもさりげなく誰かがいるようで、「後になって思うと、まるで監視されているような感じだった」と証言。

 葬儀屋のグレン・デニスは、陸軍基地の病院で、何か異質な雰囲気を感じ、そこで働く知り合いの看護婦に何があったのかを確認してみた。
看護婦は、そこで人でない何かの解剖がおこなわれていることを語った。
そしてそのことを聞いた日を最後に、デニスは彼女と連絡が取れなくなってしまったそうである。

 また、おそらくは7月5日、何かの墜落騒ぎをうけて、 出動してきた消防士のダン・ドワイヤーは、その現場で二つの遺体袋を車に乗せている軍人たちを見たのだという。
さらに別の車に、生存者らしき一人が乗せられるのも、彼は目撃した。
彼の話は、娘のフランキー・ロウが聞いた話であり、彼女の父は、「あれは人でなかった。十歳児くらいの大きさしかない大人で、髪の毛がなかった」と言っていたらしい。 

 同じような証言はいくつもある。
上記に挙げた例はほんの一例にすぎない。

真相はどこにあるか。結局、ロズウェル事件とは何だったのか

 この事件の宇宙人関連の部分が真実にせよ、そうでないにせよ、事件から30年ほど経ってからの再ブーム以降に、怪しげな情報が一気に増えたことは重要なことと思える。

懐疑論者の着眼点。後々の証言は信頼できないか

 一般的に懐疑論者は後に出てきた情報はあまり重要視できないとする。
 特に事件当時に明らかになっていた情報のみで考えると、そこまで矛盾した話はないのに、再ブーム以降に登場した証言者たちの話には、矛盾しているところが多いということはよく指摘される。
どの証言者を信じるかによって話は大きく変わり、ロズウェル事件が異星人の乗り物の墜落事件だと信じている者たちの間でも、 話の整合性があまり取れていないくらいなのである。

 そもそもが十数年以上前の出来事など、たいていはっきり覚えていない方が当たり前のことである。
年月が経ってからの証言という時点で、信憑性は大きく落ちると考えている者も多い。 

UFO神話信奉者の発想。何もかも隠蔽工作のせいか

 ロズウェル事件ブームが再熱してから情報が増えたことに関しては、肯定的な観点から解釈するならば、事件当時は情報が隠蔽されていたから、と考えることができよう。
 懐疑論者はよく、「1947年に起きた事件なのだから1947年の情報を最重要視すべし」と説明するが、本当に隠蔽工作なんてものがあったのなら、その限りではないと思う。

 もっと言うなら、おそらくはこのような隠蔽事件はいくつもあって、どれが研究家に掘り起こされるかなど予測できないために、いざそのうちの一つであるこの事件が取り上げられたときに、とっさに政府も対応できずに、様々な情報が明らかになってしまった。
というような可能性もあるかもしれない。

 そういうふうに考えると、証言者たちの話の矛盾も、(隠蔽工作の一環で)政府が紛れ込ませた偽の証言者の話が混じっているからと、考えられなくはない。

個人的な見解

 あくまでも個人的な見解。
この事件に異星人は一切関与していないと思う。

 普通に考えて、地球人の乗り物ですら、今はけっこう安全である。
星間旅行をするような、高い技術を持った異星人の乗り物が墜落してしまうなんて、かなり可能性の低いことなのではなかろうか。

 もちろん、この地球には想像を絶するような数の異星人がすでに来ている。
あるいは、異星人が乗り物を動かす方法が(科学)技術によるものでなく、そういう意味で我々の常識は通用しない、ということなのかもしれない。
しかし、それらの解釈はいずれもちょっと強引に思える。

 ただ、隠蔽工作は本当にあったかも、と考えてはいる。
異星人ではなく、軍は何かを隠した。
そしてその隠した何かを異星人ではないかと、UFO研究家たちに疑われてしまった。
あるいは本当に隠したいもののために、そういうふうな話を広めたとか。

もし本当に異星人が関与してるなら

 仮にもし本当に異星人がこの事件に関与しているなら、「墜落したのは、軍が異星人の技術を参考として作った(あるいは作ろうとした)、まだまだ未熟な造りの円盤だった」みたいな感じのシナリオが一番ありえそうに思う。

 そもそもよく言われてるように、実際に当時、隠蔽工作があったというなら、それすなわち、空飛ぶ円盤という言葉が生まれてまだ数週間程度の時期に、政府はその正体を知っていたということになる。
異星人説を信じるなら、その時にはすでにアメリカ政府と異星人の間の関係は成り立っていたと考えるのが妥当だ。

 いつからか知らないが、当時すでにアメリカ軍が異星人と知り合いで、その技術を真似たりしようとして、ちょっと失敗してしまった。
そういう真相だったならば、当時の話とも、新しく明らかにされてきた話とも、そんなに矛盾しないのでなかろうか。

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