コミュニケーションの手段として
キス、口づけという行為は、多くの文化で重要なコミュニケーションの手段として認識されているという。
また、世界中のさまざまな文化の90%が、何らかの形でコミュニケーションの手段としてキスを使っているとされる。
残りの10%においても互いの鼻を舐めあったり、軽く噛みあったりとするような似たような交流手段があるらしい。
インターネットが普及するにつれてコミュニケーションとしてのキスはさらに世界的に標準的になってきている。
キスという行為がかなり普遍的になっているような文化においては、友達同士や親子同士でもキスをすることがあるが、恋愛関係にある男女のみがそれを行うような文化も結構多いという。
人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」
それは結局どのような意味の行動なのか
キスという行為には謎が多いとされる。
例えば臨床的に、つまりは医学的、生物学的に見た場合、 この行為は 特定の二人が、体内から分泌される粘液や、バクテリアなどを交換する行為に等しい。
つまり体内に住む微生物を交換する行為に等しいが、普通それは、我々のようなマクロな生命体にとっては、あまりメリットある行動ではないのでなかろうか。
我々がキスをする理由
簡単だ。
たいていの人がそうだろうが、ある種の快楽を得るためだ。
問題は、なぜ我々がそういうふうな行為で快楽を得られるような存在に進化してしまったのかということだ。
適当な男女の愛しさを上げるための行為としてもキスは使われてるかもしれない。
たいてい恋愛を描いた映画とかで、仲良くなった男女は愛をささやきあうよりもむしろキスをしたがる(というよりそれを作る人たちの多くはキスをさせたがる)。
世界中の様々な文化がたいていキスをするといっても、しない文化もあるし、どのくらいの親愛度でそれをするのかは、文化というよりもむしろ人によって基準が異なるだろう。
しかし子供の頃から、我々の多くは、楽しんでいる多くの物語で、愛し合う男女がまずキスをするような場面をたいてい見ている。
そして普通に育てばある程度の年齢になる頃には、キスという行為に対し、大なり小なりフェチ的に(つまりそれを何らかの満足感を得るための行為かのように考えるように)なる。
個人個人を、ある社会を構成する要素として考えた場合、社会的な利益を求めるなら、若い人には恋愛しまくってもらって、子供をたくさん産んでもらう方がいい。
そうなると遠慮なく、それをできるような関係、つまり恋人関係になった場合に、とにかくキスをしたがる人たちが大勢いるのは、それが親密度を引き上げる効果を持っているというのなら、なかなか有意義なことであろう。
狙ってやってるのかどうかはともかくとして、誰もが楽しむような物語の中でキスシーンが出てくるのは、長い目で見たら社会のために有効な戦法のひとつかもしれない。
上手い下手はあるか
人を(おそらく特に男性が女性を)口説くのにもキスは使えるとされる。
まずキスには上手い下手があるようだ(あるいは相性もあるようだが、これは下手くその言い訳かもしれない)。
これはむしろ奇妙なことにも思えるが、たとえ相手を好きに思っていたとしてもキスが下手くそだと、恋熱が冷めてまうということもあるという。
逆にキスが上手いと、その体験が恋に繋がることもあるとも言われる。
上記のような話は、接触に関して堅い考えの人には、想像すらしにくいのでなかろうか。
よく恋は、容姿か性格かって言われるが、ここにさらにひとつ加えるべきかもしれない。
つまりは、容姿か性格か体験かである。
この最後のこれは、普通そんなにおかしいようなことではないだろう。
恋人がいる人が、好きな人を好きである理由に関して、一緒に何かしたりするのが楽しいからとか考えることはよくある。
上手いキスというのは楽しいことなのだと感じる人が結構多いのかもしれない。
楽しいという感覚
キスが楽しいという感覚は、快楽を楽しいと結びつける人ならではのものにも思える。
それとこの世界には異性と接触することが何よりの楽しみ(むしろ生きる目的)という人がいくらか(かなり?)いる。
しかし肉体的な快楽を、楽しみとは明確に分けて考える人は、そういう考えには至りにくいと思われる。
たいていキスが上手いということは、それが気持ちいいということにも等しいだろう。
そこで好きな人だからこそ、そんな気持ちなんだというような方向から恋に発展するというのはわからなくはない。
相手が好きな人だからこそキスという行為が楽しみに変わる、と考える人も多いとされる。
多くの異性と関係を持ちたがる人というのも、実際にその不特定多数全員に対して、恋をしていると言っていいのかもしれない。
だからこそキスが楽しいのである。
それに嫌悪感を感じる人もいるとされるが、おそらくはそれこそ文化的な問題にすぎない。
幻想的で素敵な恋の話に恋しているような人の中には、それが架空の話なのだと気づいていない人もいるだろうか?
男女間での認識の違い
ところでキスは、口説くための手段としては、普通は男性のものだ。
男性が女性を口説く場合にはキスはよく使われるのに、女性からのアプローチとしてキスはあまり有効的でないようなイメージもある。
これは実際にそうである。
ほとんどの文化で、女性の方がキスという行為を重いものと見る傾向があるからだ。
例えば付き合っていない相手とキスをしたくないと考えるのは女性に多い。
またキスをするという行為は、ふたりの愛を確かめる行為として重視する傾向が女性の方が圧倒的に強いようだ。
キスがどれだけロマンチックかを、結婚を考える基準にする女性すら結構いるという。
一方、恋愛において男性の方はキスをそんなに重視しない傾向もあるという。
例えば好きになった女性が、キスが下手だと思ったとしても、それで愛が消えることは、女性の場合に比べるとかなり珍しいようである。
ドーパミンが増加するからか
上手くキスすると神経系のドーパミンが増加するとされる。
これは快感とか、幸福感とか、あるいは何かをするための意欲のようなものを、我々の中に発生させるような神経伝達物質とされている。
結局我々が何かを楽しいとか感じるのは、脳がそういうふうな反応を示すからであろう。
ということは、あまり上手くないキスでドーパミンが増えなかった場合、楽しいという感情がそこに芽生えず、感覚的に気持ちよくない。
だからこそキスが下手だと、まるで、恋熱が冷めてしまうことがあるのだろう。
逆に上手くキスをして、ドーパミンを高めると、それがとても楽しいような感覚として感じられる。
同時に、もっとそういうことをしたいという意欲も芽生える。
もし我々の神経伝達物質を自在に操れるような技術が確立されたとするなら、我々はそういうキスのようなことをしなくても、それを上手く体験した時と同じようなくらいの興奮を味わえることだろう。
キスという行為自体が、実際はどういう類のものであるのかは、その時にこそ本当にわかるだろうか。
それと、やたら異性にモテる人というのは、興奮に繋がるような神経伝達物質を、上手く引き上げるのを得意としている人なのかもしれない。
遺伝子の陰謀か
ドーパミンの高まりは、恋に落ちたとされる時の症状を引き起こすともされる。
例えば相手のことばかり考えて眠れないとか、食欲がないとか。
最初はどれだけ仲のよかった恋人同士でも、長く付き合えば付き合うほど相手への愛着は消えていくとされるが、それはドーパミンがあまり増加しないようになってくるからとされている。
神経伝達物質というものの黒幕は遺伝子であろうか。
もしそうならば、遺伝子の観点からした場合、ある一組のカップルの愛が永遠に続かないことはむしろ望ましいだろう。
即座に熱が冷めることがあまりないというのも、また重要である。
子供を産んでもらって、ある程度は育ててもらわないといけないからだ。
しかしその後は分かれてもらって、さっさと別のパートナーを見つけてもらった方が遺伝子からすると確かにありがたいかもしれない。
ドーパミン以外
甘いキスはまた体のセロトニン濃度も増やすらしい。
それは感情の調節とか脳の情報伝達に関わる神経伝達物質とされていて、ドーパミンと同じように、脅迫的な観念(つまり考えようともしてないのにどうしても考えてしまったりすること)の原因となりやすいとされる。
恋をした相手のことを考えたくなくても考えてしまうような経験のある人は、その時のセロトニン濃度が非常に濃いともされる。
またノルアドレナリンのようなストレスホルモンが、キスした時に体の力を抜いたりするのに役立っているという説もある。
一方で心拍数を上げたり、ストレスを軽減したり、気分を高めるアドレナリンも、そのキスがとてもいいキスとか、相手を愛しく思ったりするような感情に関係しているかもしれない。
「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気
アルコールの恐ろしさ
ところでアルコールというのは神経伝達物質に刺激を与えることで、適度に快楽的な気分にさせる。
そこで酒に酔った状態でキスをすると、通常のそれよりも明らかに強烈な感覚で、その時点ではその素晴らしい体験が恋なのだと勘違いしやすい。
異性を口説くのに酒に酔わせるという方法があるのはそのためだろう。
ただたいていの場合、酒が覚めると共に夢も冷める。
遺伝か、文化か
普通に考えて、キスの時に交換しているのは微生物だけではない。
その時に我々は互いの「フェロモン」、つまりは感覚を伝えるのに使われるような化学物質もやり取りしているだろうと思われる。
言うなればキスという行為は、互いの感覚を少しばかり共有することに等しい。
意識として認識されるレベルかはともかくとして、なんとなく自分に対する相手の関心とか、二人の遺伝的な相性まで、キスでわかるものなのかもしれない。
「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
というふうに考えると、キスという行為は、我々の行動習性としてそんなにおかしなものではないのだろうか。
例えば進化論で有名なチャールズ・ダーウィン(1809~1882)などは、キス、あるいはそれよりも多く見られるらしい鼻と鼻を擦り合わせるようなキス的行動は、親密な相手との接触から喜びを得たいという遺伝的な欲求ではないか、と推測していたという。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか 「ダーウィン」進化論以前と以後。ガラパゴスと変化する思想。否定との戦い
一方でキスというのは、遺伝子に刻まれてるような行動ではなく、文化的に発生した習慣だという人類学者、社会学者も、当時からけっこういたらしい。
当時からそうかはよくわからないが、現在はダーウィンの考え方が主流とされる。
むしろキスという行為自体は普遍的で、そのスタイルやテクニックなどが文化的な産物だともされる。
遺伝的にせよ、文化的にせよ、素敵とされるような愛情や、気持ち悪がられるような欲望、相手を慰めようとする意図まで、キスする理由はとにかく多岐にわたっているが、それはこの行為がおそらく様々なルーツが複合し合ってきたものであることを示している。
生物はなぜキスするか
人間の唇はなぜ魅力的か
人間の唇の特徴としては、めくれあがっていて妙に目立つことだとされる。
女性はよく男性を誘惑するのに赤い口紅を唇に塗るが、そんなことをせずとも人の顔の中で唇というのはいやでも目につく特徴である。
これは動物と言うか、他の霊長類と比べても明らかに人間の特徴と言える。
我々が赤色(でなくとも赤っぽい色を)を魅力的に感じる(というか興奮させる?)という趣向は、数百万年ぐらい前の我々の先祖、おそらくは類人猿と我々との共通祖先が、 熟した果実を効率よく見つけるために遺伝子に刻まれることになったコードだという説がある。
我々にとって赤色は、精神的な報酬となっているわけである。
赤いものだからか
唇に限った話ではない、我々がフェチ的になりやすいものには赤い要素がある。
形状的に最初は気持ち悪い場合ですら、それにやがて魅力を感じるようになったりする。
それは色の影響があるだろうか。
しかし真っ赤な血なんてどうだろうか。
アレが苦手という人はそうだと思うが、慣れようと思っても絶対に無理としか考えられない。
我々はヘビのようなヌルヌルしたものが苦手な傾向があるからその影響もあるか?
「ヘビ」大嫌いとされる哀れな爬虫類の進化と生態
順序はけっこう曖昧な謎かもしれない。
まず果実などを見つけるための能力、赤色に強い関心を持つような趣向が生まれる。
そしてどこからもその赤色を探り、やがて異性の体の赤色の部分に魅力を感じるようになる。
やがて食べるように赤色の部分に口づけをする行為を快楽と認識した。
このようなシナリオはわかりやすく納得しやすいために人気が高い。
他の動物もキスするか
人類が赤色を顔の方に用意したのは、直立歩行に関係があるとする説がある。
深い毛を失い、防寒対策に服を着るようになったことも、あるいは関係しているのかもしれない。
もっともそんなに深く考えすぎるようなことでもないかもしれない。
仲間とつつきあうマナティーとか、鼻に軽く触れ合うヘラジカとか、鼻をこすり付け合うモグラとか、頭をお互いに叩き合うカメとか、相手の顔を舐め合う猫や犬とか、鼻で相手の体を触り合うゾウとか、類人猿まで進化の段階を待たずとも、様々な動物でキス的行動は見られるという。
「モグラ」目を退化させて手に入れた謎だらけの生態 「象」草原のアフリカゾウ、森のアジアゾウ。最大級の動物
人の場合、そのような生物(あるいは哺乳類)がとる普遍的行為が、互いの口を付け合う行為というだけなのでなかろうか。
哺乳類の分類だいたい一覧リスト
キス的行動には味覚、嗅覚、触覚が関わり、相手の情報を知るのにかなり役に立つ行動ではある。
またそのような行為を互いに嫌がられずにできる距離感にある相手というのは、かなり社会的に親しい存在であるともいえる。
好ましい相手がそのような行為を受け入れてくれるというのは喜びにつながり、長続きするような愛着を発生させるのに役立つ。
また、それをされてそこまで嫌じゃないことが相手の好意の自覚というように捉えられもする。
すでにある愛を増幅させるだけでなく、新しいそれを生み出すことにもつながるわけである。
両者の絆を強めたり、互いの立場を確認しあうような行為としてみた場合、キスというのはある種の自己保存行為、 つまり自らの安全を高めたり確認するための行為である。
チンパンジーやボノボの場合
ヒトに近しい類人猿であるチンパンジーやボノボ(ピグミーチンパンジー)は人間のそれのような口づけをするが、少し違う面もあるらしい。
たいていの理由は緊張を和らげたりするためとされる。
「チンパンジー」人間との比較、ニホンザルとの比較。どこに違いがあるか
それは人のそれとは何が違うだろうか。
例えばチンパンジーはしっかり口を開けてキスをしても、多くのヒトが好むように、唇を絡めるというようなことをしない。
それは恋愛的な親密さとはあまり関係なく、ただの友好関係を表すような挨拶のようだ、とよく報告されているという。
チンパンジーのキスは人間で言うと、むしろハグに近いともされる。
またチンパンジーの社会において、キスは仲直りの手段として使われることもあるようだ。
ボノボはもっと頻繁にキスを使っているようで、人間を除けば最もその行為を利用している生物と言われることもある。
彼らのキスは、よくあるというだけでなく結構長かったりするという。
必然的なパターン
好む好まざるに関わらずキスをする必要がある場合がある。
特に自然界では。
例えば、ちゃんとものを食えないような子供に対し、親がまず口で噛み砕いて柔らかくしてやり、それを口移しで食わせてやるというパターンである。
このような行動は鳥や哺乳類でよく観察されている。
「鳥類」絶滅しなかった恐竜の進化、大空への適応 「哺乳類」分類や定義、それに簡単な考察の為の基礎知識
考えてみれば、親が吐き戻して柔らかくなった食べ物というのは、我々の社会にある離乳食みたいなものなのかもしれない。
社会がそれを作ったか
ただ口を合わせるだけ
現代の普通の社会でキスといえば、合法的なものと非合法的なものがあるだろう。
合法的なものというのは恋人同士がするような愛情深いもの。
非合法なものというのは望んでいない相手に行ったりする行為だろう。
これをされた場合は、法的に訴えることができる場合もある。
そして実際にそういうことで裁判になった時は、合意だったかどうかが焦点になる。
このことから、多くの人がキスという行為自体はそんなに悪いものではないと考えていることも推測できる。
それとよいキスというのに、社会的な雰囲気というのが関係していることはほぼ間違いないだろう。
例えば美しい夜景をバックにキスするのと、教会みたいな禁欲的な雰囲気の場でするのとでは、明らかな違いがあるのでなかろうか。
気持ち悪いという感覚
明らかなことは、それが例え遺伝的なことから生じた行為だったとしても、我々の社会においては文化の違いによってキスはいくつかの種類に分けられること。
互いの口と口を合わせるのは基本的にヨーロッパ式とされていて、これは今、世界中にかなり広がっているという。
タバコとかファストフードとかみたいな西洋人が世界中に広めていった様々な習慣の中でも、キスという行為自体は最も害が少ないものという説もある。
口を合わせたキスが気持ち悪いという感覚の民族の多くは、歯を磨く習慣がないらしい節もあるという。
日本とアメリカ。そういうモラルは本当に低いか
インターネットが普及してからは、日本というのは男女のそういうことに関するモラルがかなり低い国と言われたりもしている。
実際には伝統的にそうであるように、例えば人前でキスをしたりするのははしたないというような感覚を持ってる人は今でも多いだろうにもかかわらずである(例えば昔は、ハリウッド映画を日本で公開する際にキスシーンがカットされたりしたらしい)。
多分、普通に子供向けとされてる少年少女漫画とかでも、そういうシーンを含む(あるいは連想させる)作品が普通に見られる(上にけっこう多い)からであろう。
人間はもしかしたら本質的には悪党的で、ルールを破るっていうのがけっこう面白いものなのかもしれない。
日本という国が、キスという行為に対して結構厳しい目で見ていた時期があったことは確かなようである。
だからこそ、日本人はもしかしたら(それが普通に日常である文化の人が、その程度というような)そういうものに特に敏感なのかもしれない。
(今は多分数が増えてるであろう)快楽主義の人たちは、特にそのスリルに溺れやすいだろうと考えられる。
今、ハリウッド映画では平然と舌を絡ませるシーンが出てくるが、実はそのハリウッドがあるアメリカですら、そういうのは、第1次世界大戦以前までは、そんなに一般的ではなかったらしい。
歴史的にあれはフランスで古くからあったとされ(てるけど実際は諸説ある)、それでフレンチキスとか言われるのだという。
男性社会陰謀論
それと、いつの時代でも触れあうだけでなく、絡みたがる傾向は男性の方が強いらしい。
映画とか漫画とかでそういうシーンが増えて、女の人の間でもそういうことに抵抗がなくなっていくというような流れは、なんだかんだ男性に都合がいい社会構造の形成の一環と考えられなくもない。
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まあ男だから女だからというよりも、個人個人の認識の違いが問題なのだと思うが。
上記のようなある種の男性社会陰謀論は大げさかもしれないが、男性と女性でたいていの場合、キスに対する考え方が異なっていることも事実とされる。
これに関しては、多くの人がキスに対する考え方というか、欲望というか、そういう思想が異性の相手であっても、そんなには変わらないと考えている人が多いという説もある。
ロマンチックはまやかしか
男性の方がベトベトしたキスを好む傾向にある事に関しては、例えば男性の方が感知能力に乏しいからという説がある。
相手のことを唾液に含まれた伝達物質などから知りたい場合に、その感知能力が弱い男性が女性よりも、そういうことを好むようになるのは自然なのではないか、というわけである。
また、すでに述べたが、上手く神経伝達物質を刺激することができれば、相手はその感覚をキスによるものだと思ってくれる。
そして多くの女性がそうであるように、キスを重要なものだと考える人は、その感覚を自分が相手に好意を持っているからと解釈してしまったりしやすい。
人間の感覚においては、自分が相手を好きになるよりも、相手が自分を好きになってくれる方が喜ばしいことが多い。
だから多くの場合に、男性がそういうキスを好む傾向は納得しやすい。
しかし、実のところパートナーのベトベトキスにウンザリしているような女性はけっこう多いようだ。
普通に女性は、ただ唇と唇を触れるようなキスを好む傾向にあるとされる。
だが考えてみればそういうキスという行為自体は生物学的にはそんなに大した意味がない。
どちらかと言うと男性が好むようなベタベタキスの方が、神経伝達物質との交換という観点から見ればあきらかに有用である。
なぜ女性は触れ合うだけのキスにロマンと呼ばれるようなものを感じやすいのだろうか。
これはもうおとぎ話のお姫様が王子様のキスで目覚めるという定番を思い返してみれば予想つくようなものでないだろうか。
だからそれこそ社会が作ったようなものなのである。
ようするにキスの中でもロマンチックなものは、ほぼ確実に社会的に作り出されたものだろう。
もし今ベトベトキスに抵抗があるような人が少なくなっているとするなら、それも社会的なコントロールの成果であろうと思われる。