「今昔物語集天竺篇」仏様とその弟子たちの伝説。カーストが目立つ世界

仏様伝説から始まる天竺編

 それぞれ、前の話が関連してるような話が次々語られるこの説話集を、 1つの壮大な物語と考えるなら、その始まりは天竺(インド)の釈迦しゃか伝説より始まる。

つまり仏教という信仰がいかにして興り、多くの人を導くにいたったのかについての物語が綴られる。
お寺 「仏教の教え」宗派の違い。各国ごとの特色。釈迦は何を悟ったのか

釈迦菩薩が人間の世界に生まれ落ちた時

 一番初めの話からして、「釈迦如来しゃかにょらい、人界に宿り給へること」という話である。
釈迦の宮殿 「釈迦の生涯」実在したブッダ、仏教の教えの歴史の始まり
 天界の1つである『兜率天とそつてん(Tuṣita)』の内院ないいんという所に住んでいた、後に釈迦如来となる釈迦菩薩しゃかぼさつが、そこから人間界に生まれようと思い立った時のこと。
釈迦菩薩は天人が天上界から退転することを示す、『五衰ごすいの相』を現しなされたという。

 五衰の相とはすなわち、まばたきが一、 頭の華鬘けまん(髪飾り)が萎むのが二、衣に汚れがつくのが三、脇の下から汗をかくのが四、自らの座から離れて場所を移動するのが五。とされている。

 そして、「神羅万象はことごとく止まることなく移り変わるものということを知らねばなりません。私もやがて、久しからずしてこの天上の宮殿を捨てて、人間界に生まれることになるのです」と釈迦菩薩は語り、すべての天人が嘆き悲しんだという。

 そして迦毘羅衛かびらえ(Kapilavastu)という国の浄飯王じょうぼんおう(Śuddhodana。シュッドーダナ)を父、その妻である摩耶夫人まやぶにん(Māyā。マーヤー)を母に選んだ釈迦は、彼らの子、悉達太子しっだたいし(Gautama Siddhārtha。ガウタマ・シッダールタ)として、人間の世界に生まれる。

生まれから、悟りを得るまで

 生まれる前の、「この子は仏になるか、あるいは出家なさらないなら転輪聖王てんりんじょうおう(cakravartiraajan。チャクラヴァルティラージャン。 全ての支配者たる王の中の王)となろう」という予言。 それに生まれてすぐに歩いた話など、いくらか有名な伝説の話もやはりある。

 転輪聖王になった場合、「その治める世界中に七宝が満ち、1000人の子を持つことになりましょう」とされているのだが、豊かな大国に、たくさんの王子がいることになったのだろうか。

 もちろん悉達太子は、 この世界に生きているものの現実をいくらか見て、出家を決意するのだが、そう考えた時期が19歳の時ということになっている。
悉達太子の父は子の出家を恐れされていて、なんとかそれを止めようとする。しかし天からの助けが、結局、仏の運命を導いたというような印象もある。
例えば太子には、3人の妻と、2000人の侍女がいたが、宮廷に来た法行天子(?)が神通力により、女たちの装いがきちんとしないようにさせてしまう。そして、女たちが裸のまま、大口を開けたまま、大便小便を垂れ流しながら眠っている姿などを見た太子は、「女なんて汚いものだ。なんでこんなのに執着することがあろう」などと悟ったりする。

 そしてボダイジュ(菩提樹。Tilia miqueliana)の下にて、釈迦が悟りを得ようという時。天龍八部衆てんりゅうはちぶしゅうは歓喜し、虚空の諸天人は賛嘆の声を発した。 そして第六天の魔王の宮殿は振動。魔王は、「釈迦が正しい悟りを得ようとしている。わしは彼が悟りを得る前に、彼の瞑想を乱し壊してやろう」と考える。

 天龍八部衆は、仏法を守護する八尊の護法善神で、釈迦如来の眷属ともされる。
第六天というのは、欲界、色界、無色界という三天界の内、欲界に属する六欲天の第六である、他化自在天たけじざいてん。そして魔王とは、欲界の王のこと。

魔王が差し向けた魔の軍勢

 魔王は美しい自分の娘のを差し向けたりして、釈迦の心を惑わそうとするが、そのような策略は失敗する。そこで、彼を力ずくでも攻略しようとする。
虚空に大軍が満ち溢れ、その姿はどれも様々。矛や剣や金剛杵こんごうしょといった武器を持つ者。頭に大樹を頂く者。イノシシや竜の頭を有する、恐ろしい姿をした者たちが無数にいた。魔の姉妹がいて、1人は弥伽みか、もう1人は迦利かり(Kālī?。カーリー)と言ったが、その2人がそれぞれの手に髑髏の食器を持って、菩薩の御前に近づいてきて、様々に姿を変えた。その他の多くの魔たちも、醜悪な姿をして、菩薩を脅したが、菩薩の眉毛1本動かすことはできなかった。
魔王は憂い嘆いたが、その時、員多いんたという神がいて、それが身を隠して言った。「私が今、釈迦牟尼尊しゃかむにそんを見申し上げると、心は安らいで、害しようなどという心は全く生じない。魔の者たちよ。悪心をおこして、非道に釈迦牟尼尊を害しようとする心を抱いてはならぬ」
悪魔たちは空中のその声を聞いて、悔い恥じて、慢心や嫉妬心を永久に捨て、天の宮殿に帰って行った。と語り伝えられているらしい。

生き仏になってからの物語

 最初は悉達太子であったのに、悟りを開いてからは、(普通にまだ生きてはいると思われるが)仏とされている。
仏となってからは、多くの外道たちが敵となって、彼や彼の教義を陥れようとするのだが、それをことごとく打ち破っていく様を描く話が多くある。
とにかく外道たちは、直接的に仏を殺そうとしたり、語った予言を間違えた事にしようとしたりするのだが、ことごとく失敗。そして結局は、負けを認めて去っていくか、改心して自分たちも仏の道に入れてもらう、というパターンが基本となっている。

 しかし、仏となった釈迦が、人に説明をする時などに、例え話を上手に使う様は、ちょっと新約聖書のキリスト的である。

外道の者たちとの術比べ

 釈迦の優れた弟子となった舎利弗尊者しゃりほつそんじゃ(Śāriputra。シャーリプトラ)が、元は外道の家の子であったという話がある。
この舎利弗もまた特別な人間のようで、母の胎にいる時から知恵があり、その腹を破って生まれようとしたとも。

 舎利弗は、外道を捨てて、仏の方に出家したため、多くの外道の者たちに憎まれることになった。そして秘術比べをすることになる。
この争いは十六大国の大評判になり、見物人が市をなすという有様。そして勝軍王しょうぐんおうという大王の前で、術勝負が始まる。
舎利弗はたった1人、外道たちは無数。
まず外道たちは、舎利弗の頭上に大木を現出させて頭を打ち砕こうとしたが、舎利弗は毗嵐びらん(vairambhaka)という風を起こし、その木を遠くへ吹き飛ばした。次に外道たちは洪水を現出させが、舎利弗は大きなゾウを呼び出し、水を吸い干させた。外道たちはさらに山を出すが、舎利弗は力士にそれを打ち砕かせた。外道たちが青龍を出した時には、舎利弗は金翅鳥こんじちょう(Garuda。ガルーダ)でそれに迎え撃った。外道の巨大ウシには、ライオン(獅子)。外道の夜叉やしゃ(yakkha。ヤクシャ)には毘沙門びしゃもん(Vaiśravaṇa。ヴァイシュラヴァナ)で対抗した。
そして、結局舎利弗が勝って、釈迦の法力の偉大さが知れ渡ったという。

 仏の道の者にせよ、外道にせよ。どうやらかなりとんでもない力を持っていたようである。

善き者への救いの手

 敵との戦い以外の話に、やはり救いの話も多め。

 例えば外道らの影響によって、仏に全く供養物を与えてくれない街にて、仏を気の毒に思ってくれたが、貧乏ゆえに供養できなかった女に対し、彼女が捨てようとしていた米のとぎ汁の腐ったものを受け取り「そなたはこの功徳で、もしも天界に生まれたなら、忉利天とうりてん(Trāyastriṃśa)の王となり、人間界に生まれたなら国王になるだろう」と告げるなど、その善性のおかげで仏に救われる話などもわりとある

 忉利天は、六欲天の第二天。

蓮華の花と甘露の薬

 ある時に、仏を殺害しようとした外道たちが、彼を食事の席に招いた。
仏はあらかじめ、一緒に来ていた弟子たちに、「決して私の前を歩かず、そして食事を食べる時は私が箸をつけてからにするように」と言っておいた。

 外道たちは、まず火と剣を詰めた落とし穴を用意したが、仏が が近づくや、落とし穴からはレンゲ(蓮華。Nelumbo nucifera)の花が咲き満ちて、仏はその上を普通に歩いた。
さらに外道たちは、仏たちに、様々な毒を混ぜた料理を用意した。しかし仏は平然とその食事を食べる。すると、なんと彼が食べると共に、お供えした毒料理は、逆に甘露の薬となった。

なぜ女性の出家は難しいとされていたのか

 外道の者が、仏道に属する女を妻とすることは、基本的に難しいというようにされる。妻は夫に従うものであるから、外道の妻になった女はやはり外道に改宗しなければならないという訳である。
そして、仏道の女との結婚を望む外道の男の話を聞いて、「いいじゃないか、相手の男を仏の道に改宗させれば」と仏がわりと楽観的な話もある。

 ある年老いた長者(富豪)の夫婦は、自分たちに子供がいないことを悲しんでいた。「天上界、人間界にあって、子供がいる人は富裕者、子供のいない人はいたましいこと」だと。
夫は樹神に祈り、そして妻は懐妊。
それから、家に来た舎利弗に、長女は聞いた「妻の腹の子は、男なのでしょうか、女なのでしょうか」。舎利弗が「男だ」と告げると、長者はより一層に喜んだという。
一方である外道は、「生まれる子は女だ」と言ったが、どういうわけだか、しばらく後には、本当はそれが男であることに感づいて悔しい思いをしたようである。そこで外道は、仏に負けるくらいならと、その子を殺して産ませないようにしようと考えた。そこで長者に対し、「これは女を男に変える薬です」と毒薬を渡した。
そして母になるはずの女は死んだ。舎利弗はこの次第を仏に伝えた。
仏は長者に尋ねる。「お前は、母と子とどちらを生かしたいと思っているか」
長者は、「男の子さえ生まれたならば、私は嘆かないです」と答えた。
仏は、「その他の子は死なずに元気でいるよ」と言った。
それから妻の葬式の日。外道たち、仏もその場にいたが、火葬の炎の中から13歳ほどの童子が現れる。仏は、それを自然太子じねんたいしと名付けた。母なしで生まれたゆえの命名だという。

 他に、最初の女性の仏教徒(出家修行者、比丘尼びくに)とされている、釈迦の叔母、憍曇弥きょうどんみ(Mahā-prajāpatī。マハー・プラジャーパティー。摩訶波闍波提まかはじゃはだい)の出家の話もある。
仏は最初彼女の出家に反対していたのだが、弟子の阿難あなん(Ānanda。アーナンダ)の説得もあって、最終的には折れる。
出家反対の理由として、「女が仏法において、清浄に戒律を修行する沙門しゃもん(出家修行者)になってしまったら、男子を産んで家の繁栄させ、その男子たちに仏法を修行させられない。この世に仏法を長く維持させるために、女に男子を産ませることを止めさせる訳にはいかない」というように 説明されているが、釈迦はどうも、自分の修行団体(宗教団体)に関して、かなり未来のことまで考えていたようである。
出家を許すにあたっても、「もしも女が沙門になろうと思うなら、『八敬法はちきょうほう(女限定の追加修行。garudhamma)』を学ぶ必要がある。例えて言うなら、洪水を防ぐために堤防を強固に築き、水を一滴も漏らさぬようなものだ」などと語っている。

 男の出家修行者は比丘という。
そして比丘尼が追加で守らなければならない八敬法とは、以下のようなもの(実は釈迦の教えでないという説も有力らしい)
(1 )100歳の尼であっても、初受戒しょじゅかいの比丘によく礼拝し、清浄な座は比丘に優先しないといけない。
(2)尼は比丘を恭敬に悪口を言ってはならない。
(3)尼は、比丘の罪を挙げてはならない。
(4)すでに戒を学んだ尼は、(比丘のもとで?)大戒を求めること。
(5)尼に過失あれば、比丘、尼いずれも含む衆の中で懺悔すること。
(6)尼は半月ごとに、大徳の衆僧(比丘衆?)のに、教えを求めねばならぬ。
(7)『夏安居げあんご(主に夏に行われるという、特定の場所に篭っての修行)』を、比丘のいない場で行ってはならぬ。
(8)安居が終った時は、衆僧(比丘衆?)に懺悔相手を求むべき。

舎衛城の貧乏な夫婦。前世の罪に関して

 天竹の『舎衛城しゃえいじょう(Śrāvastī。シュラーヴァスティー)』での話がある。
そこには9億もの家があったらしい
舎衛城とは、コーサラ(Kosala)という国の首都のようだが、9億の家というのは、かなり大規模すぎる気もする。

 ある貧乏な夫婦が、話し合いの末に、自分たちが差し出せる唯一のものであった着物を仏様に差し出す。反対する夫に対して、妻は「この身は無常の身です。無常の死に帰したなら、塵土になってしまう身です。私たちは前世に『布施ふせ(dāna。檀那。施し)』の心がなかったので、今貧乏で蓄えがないのでしょう。こんなのはこの9億もの家の都の中で私たちだけです。これが前世の報いでなくて何なのでしょう。そしてこの世において罪を償わずに死んだと言うなら、来世には地獄に落ちて餓鬼となり、堪えがたい苦を受けることでしょう」と説得している。

 コーサラの波斯匿王はしのくおう(Prasenajit。プラセーナジット)は、感激した仏から放たれた光から、この出来事を知り、多くの財産をこの夫婦に与えたという。

 前世の行いの報いに関するものとしては、乳を供養したウシに、仏が「この功徳により、このウシは天に生まれるだろう」と告げる話などもある。

呼ばれると、祇園精舎より来る仏

 天竺のある長者は、子に、いかなる時も「南無仏なむぶつ」と唱えるように教えていた。
そしてある時、空から鬼神が降りてきて、この子を捕らえて殺そうとした。だがその時も子は、南無仏と唱えた。そしてその声がたちまち祇園精舎ぎおんしょうじゃ(Jetavana-vihāra)に聞こえ、仏が一瞬の間にその場所においでになり、子を保護した。そして仏が「仏法の守護者よ、来たれ」と呼ぶと、十方(東、西、南、北、北東、東南、南西、西北、上、下。あらゆる世界)に無尽(無尽蔵)の執金剛神しゅうこんごうじん(Vajrapāṇi)が現れて、鬼神を降伏させ、神呪しんじゅ陀羅尼だらに)を説いた。そしてその鬼神もまた、仏法の守護者になって、人を護ることになる。

 南無仏、つまり仏を呼ぶことで得られる絶大な加護を示唆した話。また、陀羅尼は、あらゆるものを忘却から保護する念の力ともされる。

 祇園精舎は、舎衛城にあった、釈迦が説法を行った精舎(寺院)とされているが、今昔物語集の中には、須達しゅだつ(Sudatta。シュダッタ)という長者が、その祇園精舎を造った時の話もある。
彼は妻とともに、何度も貧乏にもなっているのだが、その時の状況にかかわらず、いつでも仏への供養を忘れなかった。
そしてある時、祇陀ぎだ(Jeta)という太子が所有していた、『伽藍がらん(寺院の主に建物)』を建てるにふさわしいと感じた土地を、仏のためにくれるように頼む。太子が、「仏のためならば惜しみもせぬ」と 了承してくれたために、そこに祇園精舎が建てられたのだという。

釈迦と浄飯王の前世

 (ここから2巻の話)
仏が、自分の前世の話を自ら語る話しがある。

 それは仏が弟子たちを連れて、伽頻国かひんこく(迦毘羅衛?)に来た時のこと。
喩山陀羅樹ゆせんだらじゅの下にあった卒堵婆そとば(供養塔、墓標である仏塔)を礼拝した釈迦を、阿難、舎利弗、迦葉かしょう(Mahākāśyapa。マハーカーシヤパ)、目連もくれん(Maudgalyāyana。マウドガリヤーヤナ)などの弟子たちはこれを不思議がり、仏に問う。
「なぜこの卒堵婆を礼拝なさるのです? 仏は人にこそ礼拝されるのであり、仏よりすぐれて貴いものなどないはずでしょう」

 そして、仏は語りだすのである。
「昔、この国に大王があったが、子がなかったので、天に乞い、龍神に祈って、子が欲しいと願った。そして妃は懐妊し、1人の男の子が生まれた。
男の子が10歳くらいになった時、父王は病に侵され、神に祈ろうが、医薬を飲もうが治らなかった。そのうち1人の医師が、「生まれてこのかた1度たりとも起こったことのない人の眼と骨髄を取って、それを混ぜ合わせて体につけたならば、この病はたちどころに治るでしょう」と言った。だが、そもそも仏以外に怒りの心を起こさぬものなどあろうはずはなく、それは全く無理なことだと、みな嘆いた。だが太子はこれを聞いて、自分こそまだ怒ったことのない者だと、母に告げた。
「生まれるものは必ず滅するものです。誰がこのことから免れえましょうか。いたずらに死ぬより、私はこの身を捨てて、父をお助けいたしましょう」
母はこの決心を聞くと、涙を流し、答える言葉もない。
太子は、自分の孝養(親孝行)のためには命を惜しむべきではない。もし惜しむ心があろうものなら、不敬の罪を得るだろう。と考えていた。
そして、1人の『旃陀羅せんだら(caṇḍāla。チャンダーラ。カースト外ともされる最下層の社会階級の者。不可触民ふかしょくみん)』を呼び、太子は自分の骨髄を取るように頼んだ。旃陀羅の者も、恐れおののき断ろうとしたが、全く退くことのない太子の命令を聞かないわけにもいかなかった。
そして、息子の命のおかげで生きながらえた王は、後でそのことを知って悲しみ、喩山陀羅樹の下に卒堵婆を造らせたのだった。

 その生きながらえた王が、釈迦の父である浄飯王で、父のために命を捧げた息子こそ釈迦だったのだという。

金色の体の者たち

 舎衛国しゃえこく(Śrāvastī)の長者の子は、金色の体をしていたので、金天こんてんと名付けられた。この男の子が生まれた日、屋敷内には自然に1つの泉が生じたという。そしてその澄んだ水の泉からは、食べ物、金銀、珍宝などが出てきた。
一方、『宿城国しゅくじょうこく』の長者にも、金色の子がいて、そちらは女の子で、金光明こんこうみょうと名付けられた。そしてやはり、その子が生まれた日には、屋敷内で泉が生じて、その泉からは財宝、衣服、食べ物が出てきたという。
やがて、金色の2人は夫婦となって、共に出家した。
仏曰く、2人の前世は貧乏な夫婦だったが、それでも、家中探してやっと見つけた金貨1個と、鏡と瓶をお布施した功徳によって、金色夫婦として生まれ変わったのだという。

 この話以外にも、幸福である人たちについて、「彼らはいったい、前世でどんな徳を積んだのでしょうか?」と弟子が仏に尋ね、仏が「つまりこういうことだ。……」と答える話がいくらかある。
逆に不幸な目にあっている者がいて、「これは前世でどんな罪を犯したために、こんなことになっているのでしょう」というパターンもある。

 また、 少しあとにも長者の家に生まれた金色の体を持つ子供の話がある。その子の体から放たれた光明は、周囲1面までも金色にし、ついでに名前まで金色と名付けられた彼は出家。
彼の前世での徳は、『仏舎利ぶっしゃり(Śarīra)の塔が壊れて、その修理をすることになった時に、金箔を買って、塔に塗って、願を立てたこととされている。

 金色の体にイノシシの頭をした天人の話もある。
その天人の前世は女で、夫が乞食沙門に金をお布施するのを止めた罪によって、そんな姿(イノシシの頭?)になった。 しかしその沙門に対して、1度だけしっかりと礼拝した功徳によって、金色の体となって、光を放つようになった。そして一応は天にも生まれた。

 とりあえず金色の体というものが、とてもよきものだと考えられているのは間違いない。

仏世界観のキメラ

 イノシシの頭をした天人など、キメラ(合成獣)の話ともいえるが、ひとつ前の話に出てくる魚はもっとすごい。

 それは天竺で、仏が弟子たちと『梨越川りおつがわ』という川のほとりを歩いていた時のこと。川では多くの人が魚を捕っていたが、網に1匹の魚がかかった。その魚は、ウマやウシやヒツジやイヌといった、100の畜生の顔を持っていたという。
その魚はものすごい力で1000人もの人が力を合わせて引かなければ水からも出せなかった。仏は魚のところに来て、「お前を教えた母は今どういうところにいるのか」と聞いた。魚は「無間むげん地獄(阿鼻あび地獄)に落ちています」と答える。
阿南が、その魚の母子の因縁を仏に尋ね、仏は語った。
「昔、迦葉仏かしょうぶつ(Kāśyapa。釈迦以前の仏の1人)がこの世に現れた時代。知恵に優れた迦毗利かびりという子がいた。
迦毗利は「私よりも沙門の方が優れているでしょう」と認めていたが、彼の母は、「それなら沙門に教えを受ければいい」と言った。
彼は「私は俗人であり、仏法の教えは受けられません」と言ったが、母は「それなら偽って沙門となり、仏法を習得してから、家に帰って来ればいい」と提案した。
しかし、仏法をなかなか習い終わらない息子に、母はさらに「お前はこの先、師を罵りはずかしめればいい。そうすれば師に勝ることになる」とそそのかし、その通りにした罪のため、子は百の畜生頭を持つ魚に、母は無間地獄に堕ちたのだ」

 無間地獄は、仏教において「八大地獄」とされる地獄階層の最下層であり、最も恐ろしい責め苦を受けるとされる地獄とされる。

魚に飲まれた美しい王子

 天竺のある国王の子は美しい男の子だったが、生まれて間もない頃、大きな川に落ちて行方不明となってしまった。
皇子は、実は川に落ちてから大きな魚にひと呑みにされていたのだが、その魚は彼を飲み込んだまま、はるか遠くまで泳ぎさった。そして隣国の領内で漁師に捕らえられた。
大きな魚だったので、漁師は喜んで、その腹を裂こうしたが、その腹の中から声が聞こえてくる。「この腹の中には私がいるんだ。刀を深く刺し込んで裂かないでね」
そして魚の中から美しい男は再び生まれることになった。さらにその国の王は、子がいないことに悩んでいたところにこの話を聞いて、「その男の子こそ、神仏がお授けくださった私の子供に違いない」と喜び、彼を引き取って大切に育てた。
しかし後に、事情を知った、子を流してしまった方の王が、「その子は自分の子供なんだ、返してほしい」と言ったが、拾った側の王は「この子は天の神がお授けくださった子なのだ。絶対返すわけにはいかない」と返答。
そして言い争いはいつまでも終わりそうになかったので、両国が従属していた、さらに隣国の優れた大王が、どうするかを決めることになった。
大王は、「両国の王がそれぞれに訴えていることはどちらももっとも。どちらか1人が、その子を自分のものとし得るようには決めがたい。そこで、両国の境目に1つの城を築き、その城にこの王子を置いて、各々彼を自国の大使として、親として養育するのがよかろう」と結論を下し、ふたりの国王もそれを了承。
後にこの太子は、両国の王位について、2国を領有するようになった。

 仏はその太子に関して、「この人は、人として生まれていた前世に、『五戒(pañcaśīla)』を守ろうと思ったが、その全ては守らなかった。ただ『不殺生戒ふせっしょうかい(prāṇātipātāt prativirataḥ)』だけは守ったために、今、夭折ようせつ(早死に)という目にあわず、命を全うすることができて、最後は2国の王となれたのだ」
さらに「まして、五戒のすべてを守る人の福徳は計り知れないだろう」とも付け加えたという。

 五戒は、『在家ざいけ』の者、つまりは出家せず、家庭にあって、仏道に帰依する者が守るべきとされる5つの掟。
普通は、不殺生戒(生き物を故意に殺してはならない)不偸盗戒ふちゅうとうかい,(adattādānāt prativirataḥ。他人のものを盗んではいけない)。不邪婬戒ふじゃいんかい, (kāma-mithyācārāt prativirataḥ。不道徳な性行為はいけない)。不妄語戒ふもうごかい(mṛṣāvādāt prativirataḥ。嘘をついてはいけない)。不飲酒戒ふおんじゅかい(surāmaireya-madyapramāda-sthānāt prativirataḥ。酒を飲んではいけない)、の5つ。

 子が魚に呑まれたが、生きて生還するのは、聖書のヨナ書を思わせるが、両者が切り裂いた魚の中から出てくる子というのは、微妙に桃太郎も思わせるか。

ある女が体験した悲劇の連続

 ある時に天竺にいた、阿羅漢あらかん(arhat。アルハット)、つまりすでに悟りを得た聖者である、微妙みみょうという比丘尼がいた。
そして彼女は多くの尼に向かって、自らが前世で造った善悪の業を語った。

 あるところに夫婦がいて、妾が初めて子を産んだ。
本妻もその男の子を可愛かったが、内心は嫉妬の念を抱いていて、ある時、ついにその子を殺してしまった。
子の母は、「本妻が殺したに違いない」と思ったが、本妻は、「私は絶対に殺していません。誓い事を立てて、罪のあるなしをはっきりさせましょう。もしも私があなたの子を殺したなら、私が後の世に夫を持った場合、その夫はヘビのために刺し殺され、子を持った場合、その子は水に溺れ、オオカミに喰われてしまうでしょう」と述べた。

 やがてその本妻は、子殺しの罪によって地獄に堕ち、長く苦しみの罰を受けた後、また人の娘として生まれた。
しかし彼女は結婚してから、前世で自分が誓った内容そのままの悲劇を体験する。
つまり、毒ヘビのために夫を失い、2人の子供のうちの1人は川で溺れ死に、1人が狼に食われてしまったのである。そしてついでとばかりに、彼女の父母含む一族みんなも火事によって死んでしまった。

 その後に彼女は、また別の男と結婚し、子供を産んだ。
しかし、ある時に酒に酔って帰ってきた夫が、閉じてあった門を叩いたが、妻はちょうどお産をしようとしていたので、門を開けられなかった。
門を壊して入ってきて、殴りつけてきた夫に、妻は「お産中でした」と弁解したが、怒り収まらぬ夫は、その産んだ子を殺し、さらには練乳で煮て、無理やり妻に食わせた。
女は、「自分がこんな酷い目に遭うのは前世に善行を積まなかったからに違いない。だからこんな夫を持つことになったのだ。逃げるよりない」と考えて、実際に逃げた。

 次に『波羅奈国はらなこく(Bārāṇasī)』に来た女は、今度は前妻を亡くしたばかりの長者と出会い、また妻に迎えられたが、この夫もほんの数日で急死してしまう。そして、この国では夫婦が生前愛し合っていた場合、夫が死ぬとその妻を生きたまま土に埋めることが通例となっていたので、群賊(盗賊)がそれを実行しようとやってきた。
すると今度は、賊の首領がその女の美しい容姿を気に入って、上手く騙して自分の妻とした。だがまた数日後に、この賊の夫も、襲った家の主人に返り討ちにされ、殺されてしまう。そして今度こそ、妻は夫と共に生きたまま埋められてしまった。
しかし3日後には、キツネやオオカミがその墓穴を掘りあばいたため、女は外に出ることができた。

 それから、「いったい自分は、前世でどのような罪を行い、このように数日の間で、ひどい災難に遭って、死ぬ目を見て生き返ったのだろう。これから先どこへ行けばよいだろうか。もし自分にまだ命があるならば、釈迦仏が祇園精舎においでになると聞いているから、そこにお伺いして出家させていただこう」と彼女は考えた。

 そうして微妙は仏に出会い、その道にも入ったが、それでも過去の善悪の果報はかくのごとくであり、最後まで消えない。「悟りを得た今となっても、常に苦痛が残っています」と彼女は語っている。

 過去に誓った罰が、完全にプロローグのような感じである。しかもその前にも彼女は地獄で苦しみを味わっているから、人を殺すということ(それに加えてそれをごまかそうとしたこと)がどれほど重い罪として考えられていたのかがわかる。
2人目の夫の残酷さは、なかなかに衝撃的。波羅奈国の生き埋め文化も、これはこの国だけの異質だったのか。それとも当時としては、それほどおかしな風習でもなかったのかも、気になるところか。

浄名居士の不思議な浄土

 (ここから3巻の話)
天竺の『毗舎離びしゃり(Vaiśālī。ヴァイシャーリー)』に、浄名居士じょうみょうこじ(Vimala-kīrti。ヴィマラ・キールティ。維摩居士ゆいまこじ)というおきながいた。そしてこの方が住んでいた大した広さもない部屋の中に、十方の諸仏が集まっておいでになって、法を説いた。諸々の仏は、おのおの無量無数の菩薩、聖衆しょうじゅを引き連れ、めいめいその部屋の中に美しく飾られた椅子を立てて、3万2000に及ぶその仏たちがお座りになり、法を説かれるのだ。無量無数の聖衆は、みなその仏に付き随っている。居士もそこにおいでになり、法を聞く。それでも部屋の中はまだ余裕があった。その浄名居士の不可思議な神通力によるものである。居士はこの仏の部屋を、十方の浄土に勝る、この上のない不思議の浄土であると説いた。

 80歳をこえて、歩くことも難しい身にあった居士は、しかし40里離れている、仏が説法しているという場所にやってきて、そしてついに仏の御前に歩み出て、尋ねた。「私は年老いて足を運ぶこともできかねる身ですが、説法を聞くために、この道を歩いてまいりました。これにはどれほどの功徳がありましょうか?」
仏は答えた。「そなたは法を聞くためにやってきた。その功徳は無量無辺であるといってよい。そなたの歩いた足跡の土を取って、それを塵とし、その塵の一片を一劫いっこうに相当させて、その塵の数に応ずるだけ長い間にわたる罪を滅しうるだろう。また命の長さもその塵の数と同じだ。また仏になる事も疑いない。およそ、その功徳は計り知れないものといえよう」
居士は、歓喜して帰った。

 浄名居士は釈迦の在家弟子として有名な人物だが、不思議の浄土なる部屋を用意している神通力の描写が凄い。
仏の教えには明らかにそういうところがあるが、この話など特に、ポイントプログラム的な印象が強い。つまり善行を積めば、功徳が貯まり、それを罪を置かした場合のセーフティに変換できるというような。
劫とは、1つの(ただし古代インドで考えられた)宇宙の寿命ほどに長いともされる、途方もなく長い時間のようである。

文殊菩薩の物語

 文殊もんじゅ(mañjuśrī。マンジュシュリー)という方が、中天竺の舎衛国の『多羅たら村』にいた。彼は梵徳婆羅門ぼんどくばらもんという人の子である。

 文殊は、母の右脇から生まれたのだが、生まれた時、その周囲の様々なものがレンゲとなった。その体の色は金色で、天上界の童子さながら、七宝の天蓋がその頭上を覆った。
庭にも10の吉兆が現れる。すなわち、甘露の雨。地中の財宝の現出。金のアワ(粟。Setaria italica)に変じた倉。咲き乱れるレンゲ。家に満ちる光。らん鳳凰ほうおうを生んだニワトリ。麒麟きりんを生んだウマ。白蛇はくだを生んだウシ。ブタを生んだイノシシ。そして六牙ろくげ白象びゃくぞうの出現。

 後に釈迦仏の弟子となった文殊は、全宇宙を覆い尽くすような如来の力、全ての如来の知恵、全ての如来の神変遊戯じんぺんゆげの動きを身につけた。
文殊はもともと釈迦仏にとっては九代の師だが、しかし仏がこの世に現れ、1つの世の中に2つの仏が並んで現れることはないから、この世には菩薩として現れたのだった。無数の衆生しょじょう(sattva。生類)を教化きょうけすることになっていた。
仏は末世の衆生のため、『宿曜経すくようきょう(Su-yao-jing)』を説いたが、この説法を文殊に任せた。文殊は、仏が入滅されてから後、150年目に高山の頂上において、そこの仙人のためにこの法を説いた。
仏の教えのみならず、様々な教えを世に広め、末世の衆生に、「善悪の行為には必ずその報いなること」を教えになれたのは、この文殊の力とされる。

 菩薩(bodhisattva。ボーディ・サットヴァ)とは、そもそも、仏に次ぐ者ともされる。
衆生は、生きとし生けるもののことだが、仏や菩薩を含める場合と、含めない場合があるという。ここでは含めない場合の意味で使われていると思われる。

 釈迦と同格かそれ以上くらいの印象すらある文殊だが、さすがにその生まれから凄い。古代インドでは、偉人というのは決して普通には生まれないものだったようだ。
また、(あえて取り上げもしなかったが)説話の中には、卵から生まれる(人の)子供が出てくる話もいくらかあるが、 その手の話の場合、母親はたいてい複数の卵を産んで複数の子供が生まれている訳だから、ある種、早すぎた生まれというようなイメージとかあったかもしれない。

 10の吉兆の内、いくつかは、本当に元々あったのか怪しい(中国や日本で付け加えられたように思えるものがある)。特に、鸞、鳳凰、麒麟といった、中国の幻獣の名前が見られるから。
それにしても、ブタを生んだイノシシだけ、微妙なリアリティがあるか。

弟子たちの戦い

 ある時、仏が祇園精舎にて、弟子たちを集めていた時。
弟子たちの中で1番の知恵者だという舎利弗は、自分を呼びに来た別の弟子、目連に対し、地面に置いた帯を指差して言った。
「目連。そなたは我らの中でも、神通力第一の人だ。わしが地面に置いてあるこの帯を取って動かしてみなさい」
だが、目連がその神通力を振り絞って、大地を揺らしても、その帯は全く動かない。
次に「そなたはわしよりも先に仏のもとへ行きなさいよ。わしは後から行こう」と言った舎利弗だったが、目連が仏の御前に帰ってきた時、その側にはすでに舎利弗がいた。
目連は驚き、そして知った。
「自分は神通力一だと言われているが、舎利弗は自分以上の人だ」
そういうわけで、舎利弗は知恵、神通力共に第一の人らしい。

 仏の弟子ですら、よく優劣を競いあう。多くの者が、互いに知恵や験力を競うなんてまさに当然。という話。

竜が出てくる物語

 竜に関する話がいくらか連続する。

 天竺の大雪山だいせつせんの頂上に池があって、そこに1匹の竜が住んでいた。
そしてある羅漢が、その竜から招かれ、供養を受けるため、縄床じょうしょう(縄を張り巡らせた敷物)に座ったまま、空を飛んで、日ごとにその竜のとこへと出かけていた。

 ある時に、仏道に達していないからと、同行を拒否されていた弟子が勝手についてきた。竜は、2人ともに食事を供養したが、明らかに師に出したものの方がご馳走であった。弟子は師匠の食器を洗っている時に、その食器についていた米粒を取って口に入れたところ、あまりにも美味しいために、師匠が特別なものをもらっていたことに気づいたのである。そして怒りを覚えて、「俺が悪竜となって、この竜の命を絶ち、ここに住んで王になってやろう」と心に誓う。
帰ってからすぐ、心の底からの増悪で、悪竜になろうと念じた彼は、その夜のうちに死んで、願いどおり悪竜になった。そして、竜の住処へ行って、その場所を征服して奪った。

 師である羅漢は悲しみ、国王であった迦膩色迦かにしか王(Kanishka I?)に事の次第をいくらか話した。王は驚いたが、早速その池を埋めた。
すると、恨みを増幅させた悪竜は、岩石や土砂を雲のように飛ばし、暴風で樹木を根こそぎにし、雲や霧が地上一面を覆い尽くし、闇夜になった。大王の方も怒って、2つの眉から猛烈に炎を出し、煙を出した。悪竜も恐れ入って、たちまち復讐を思いとどまった。
大王は池跡に寺を建てさせたが、まだ恨みは捨ててなかった悪竜はそれを焼いた。
大王は再び寺を建てさせると、次には卒堵婆も建てさせ、仏舎利を安置した。すると悪竜は婆羅門の姿となり、大王に謝罪もした。
ただ、そこでは後にも雲の気配が出てくることがよくあるという。

 仏が生きてた頃(紀元前6世紀?)の話ばかりがまだ続いている説話集3巻において 、この話は、例外的に仏の死後からかなり経ってからの話と考えられる。迦膩色迦という王は、2世紀ぐらいの人とされているから。また、大雪山とは、ヒマラヤ山のことのようである。
羅漢に供養する竜に、その住処を奪った元弟子の悪竜。そしてその復讐の災害に対する、大王の仕返しなど、なかなかすさまじい戦いが描かれている。

ナーガという竜王

 全ての竜王は大海の底を自分たちの住処としているのだが、彼らは必ず金翅鳥による恐怖を受けている。
そして、無熱池むねつちという池があるのだが、その池の竜王には金翅鳥の被害がなかった。
しかし、海の底に住んでいる竜王が子を生んだ時、金翅鳥がその羽で海をあおぎ干しあげ、子を取って食おうとした。
竜王は仏に助けを求め、仏は「比丘の着ている袈裟けさ(僧侶の衣服)の一切れを、子の上に乗せておけばよい」と教えた。 そして竜王がその通りにすると、金翅鳥は竜王の子を見つけられなくなった。
龍 「東洋の龍」特徴、種類、一覧。中国の伝説の最も強き神獣
 話は、袈裟の一切れだけでも、金翅鳥すら退けられる。袈裟を着た比丘は敬わなければならない。などと語られて終わりだが、金翅鳥がどのような存在かについての説明もある。
「その鳥は別名を迦楼羅鳥かるらちょうとも言い、両翼の間は336万里もある」

 この話からまずわかることは、少なくとも天竺の物語に出てくる竜というのは、ナーガであろうということ。

ガルーダと阿修羅王

 さらに金翅鳥の話。

 この鳥は須弥山しゅみせん(sumeru)の側面にある洞穴に巣を作って、そこに子供らは置いていた。
須弥山は、高さ16万由旬ゆじゅん(yojana。ヨージャナ。1ヨージャナは、7キロ~14.5キロくらいとされる)山、水面より上と下それぞれ8万由旬。そして上4万由旬の所に、金翅鳥は巣を作っていた。そしてこの鳥は、雄大な体を持つ阿修羅王あしゅらおうに脅かされていた。
海のほとりと大海の底の2箇所をすみかにしている阿修羅王は、山を揺り動かし、金翅鳥の子供を取って食おうとするのだ。
やはり金翅鳥は、仏に相談し、仏は「最難を逃れるために、人の死後49日にあたって法事を営む家において、供養を受ける比丘がとる布施の食事を手に入れ、山の一隅におくのだ」という解決策を教える。
そして仏の言う通りにすると、阿修羅はどうあっても山を動かせなくなってしまったのだった。

竜宮と竜王の娘

 ガン(かり)に連れて来られた、池のほとりで眠ってしまっていた、流浪の釈種しゃくしゅ(Śākya。シャーキヤ。釈迦族)の男を夫にしようとした、竜王の娘の話。

 竜娘は、「これは人だ。私はこのようにむさ苦しい土の中に住む身だ。この姿ではきっと気味悪く思うだろう」と人の姿となったり、打ち解けてから「実は私はこの池に住む竜の娘。高貴な釈種の方たちが何人も追放されなさっているとは聞いたのですが、幸いなことに、この池のほとりでお遊びになっておられたので、このようにやってきたのです。どうか親しくしていただきたいです。私は前世に罪を作ったので、このような魚類の身に生まれました。人と動物とはもともとかけ離れた世界のものですから、何かにつけ恐れ多くて仕方ありませんが、私の家はこの池の中にございます」と告白している。
釈種男は、「私が釈種として生まれたのは前世の功徳のためでしょう。どうかこの竜女を人にしてください」と願ったが、その通りに、竜女は人となった。

 娘が人となったことに竜王はとても喜び、 男はとても歓迎された。そして水中の彼らの城、すなわち『竜宮りゅうぐう』に関する描写がある。
七宝で飾られた宮殿。金の垂木、銀の壁、瑠璃るり(濃い青の宝石)の瓦、摩尼珠まにしゅ(珠玉)の瓔珞ようらく(貴族、仏の仏の装身具)、センダン(栴檀。Melia azedarach)の柱、それらが光を放って浄土さながら。
七宝の帳台に、無数の装飾。その他幾重にも重なり合った素晴らしい宮殿が数多く。
あたりには種々の樹木が立ち並び、どれにも宝の瓔珞がかけられている。また、大きな池があり、美しく飾った船がいくつも浮かんでいる。百千人もの音楽が一斉に奏でられ、多くの大臣と公卿の他、百千万の人々が身分に応じた席に連なっている。あらゆる楽しみがあって、心に叶わぬものは何1つない。
しかし釈種は、「いかに素晴らしくあろうとも、これらはみな、実際にはヘビがとぐろを巻き、うごめきあっているのだろう」と恐ろしさも感じていた。

 その後に「国に帰りたい」と男が願ったこともあり、竜王は彼が天竺の国の新たな王となれるように、今の王を殺すための計画も授ける。それは玉の箱の中に剣を入れているのを国王に差し上げ、それを国王が自分の手で取った時に、剣で刺し殺す。というもの。
計画は成功し、王を殺した男は、騒ぎ立てる周囲の大臣たちに対し、「この剣は神が私にくださって、これで王を殺し、その位につけ」と言って、納得させる。
そして王となり、竜王の娘を妃と迎えたのはよかったが、彼女は人間になりきれていなかったようで、一緒に寝ている時、彼女の頭からヘビが9匹首を差し出して、舐めてくる。それを国王は不快に思って、それらのヘビをみな切り捨てた。妃は「あなたにとってはあまり悪いことはありませんが、あなたの子供たちは何世代にもわたって頭の病にかかってしまう。そしてこの国の人たちも、同じような病に悩まされるでしょう」と言って、その通りにもなった。

 竜というのは魚類なのだろうか、それともヘビなのだろうか。それともヘビは魚と考えられていたのだろうか。
王を殺した後の男の説得に、あっさり納得する大臣たちというのも、なんだかすごい話である。

人間としての悉達太子

 仏に関する大量の話のほとんどは、この何者かが、悟りを開く以前も以後も、前世のどんな時でも、まるで聖人君子だったかのように描かれている。しかし、一部例外的な話がある。

 仏になる前の悉達太子には3人の妻がいたが、その1人である耶輸陀羅やしゅだら(Yaśodharā。ヤショーダラー)は、とても大切にしてくれて、多くの珍宝を与えていた太子に、全然感謝の心を持ってくれなかった。
そして仏が、仏と成ってから、その耶輸陀羅との前世での因縁についてを語る話。

 天竺に迦羅国からこくという国があり、邪な心を持っていたそこの王は、ちょっとした過ちを犯した太子を追放した。
妻と一緒に放浪し、弓矢で様々な獣を殺し、食物とする日々を過ごした。そして、ある時に飢饉、渇水の時期に遭遇し、死にかけていたところ、どこからともなく現れた大きなカメ(亀)を殺した太子は、それの甲羅を剥いで、鍋で煮ようと考え、「お前は行って水を汲んできてくれ」と妻に頼んだ。
ところが、耐えがたい空腹のためにつまみ食いをしている内、妻が帰ってくる前に、生のままのカメ肉を、太子は全て食べてしまった。
太子は帰ってきた妻に「実はまだ生きていたカメは逃げてしまった」と 苦しい嘘ついたが当然のごとくバレて、かなり怒られた。
その後、悪い父王は死んで、太子は王となり、妻は后となったが、いくら財宝を与えても、「昔、私が餓死していたとしたら、今みたいに全てを思い通りにできることなんてなかったでしょう。今あなたがこうしてくださっているのは、ただ国を支配し、財宝をたくさんお持ちだから、遊び半分にしていることでしょう。空腹で耐え難い思いをしていた時に、あなたはカメの肉を1人で食べてしまって、一切れすら残しておかなかったのですから」と妻は夫を許してくれなかった。
そして、この因縁のために、2人の生まれ変わりである悉達太子と耶輸陀羅も、夫婦としてなかなか上手くいかないのだという。

仏の死と、舎利の行方

 仏が自らの死を悟ってから実際死ぬまで、そして死んだ後の葬式の話などもある。

 仏が、体中に痛みを感じ、もうしばらくで涅槃に入るだろうと悟ったのは80歳ぐらいの頃とされている。
仏としては、「自分が病気になることはないのだが、ただ1つだけ、前世においてシカの背中を打ったことがあり、そのために、涅槃に入る時には背中が痛くなる」のだという。
最後の供養の食事を提供することとなった、鍛治工の子であった純陀じゅんだ(Cunda)の話。
「紛れもない我が子、十方の仏たちよ、どうかこの子に哀れみを」という、実子である羅睺羅らごら(Rāhula。ラーフラ)への最後の言葉の話などもある。

 葬式の話では、まず、その遺体を焼こうとして、火をつけてもつけても自然に消えてしまう。しかし仏の死を悲しみ泣く者たちの、世界中に響く声に慈悲を見せて、 仏は自らその胸の中から火を出して燃え上がる。
次に、仏の残された舎利(骨)を得ようと、天の四天王や、大海や川の竜王たちが、その火を消そうとするが消せない。そして彼らは、暴風の神である楼逗るずに「あなたたちは欲が深い。天上界にいるあなたたちが舎利を持って行ってしまったら、地上の人たちは何を営んで供養すればいいのでしょうか」と諭される。
その後、帝釈天たいしゃくてん(Śakra-devānam-Indra)が、七宝の瓶と、供養の道具を持って荼毘だび(火葬)の場においでになると、火は自然と消えた。帝釈天は、宝棺を開き、牙舎利げしゃり(歯)1つを請い受けて、天上界へと帰り、塔を建てて供養した。

仏が涅槃に入られてから

阿育王の造った地獄

 (ここから4巻の話)
 阿育王あいくおう(Aśokaḥ。アショーカ。紀元前304~紀元前232)は、国内の罪人を裁くために地獄を造った。さらに、その近くにやってきた人たちも、帰らせずに地獄へと入れていた。

 ある時に、海意比丘かいびく という聖者が地獄を一目見ようとやってきた。するとすぐに獄卒が現れて、彼をとらえて地獄へ入れようとする。彼は「わしは罪など犯していないぞ。この地獄に入れられる謂れなどない」と言ったが、獄卒は「この地獄にやってきた者は、貴賎、上下、僧俗を問わず、全てこの地獄に入れよ。と命令されているのだ」と言って、海意比丘を捕まえて地獄の釜の中へと投げ込んだ。
だが海意比丘が投げ込まれた途端に、地獄は清浄なハス(蓮。Nelumbo nucifera)の池となって、獄卒は驚く。王もこのことを聞くと、自ら聖人を拝みに来た。
海意比丘は、「先に聞いた話によると、地獄の近くに来たものは身分の上下を問わず地獄に入れようということですよね。それでは大王様、お入り下さいよ」
王は、「わしは王は除外せよ、という宣旨せんじ(命令伝達文書)は出さなかった。そなたが言うことは至極当然。ただしまた、獄卒を除外せよ、という宣旨も下していない。されば、その方をまず地獄に入れよう」と言って、獄卒を地獄に投げ入れると、帰っていった。
その後、もう地獄は無意味なものであるとして、これを壊してしまった。

優婆崛多と天魔

 
 天竺に、優婆崛多うばくったという、悟りの境地に達した羅漢がいた。
ある時、彼の説法の場に1人の女がやってきて、羅漢の教えを聞いていた人たちは、そのあまりの美しさにすぐ心を奪われ、説法どころではなくなってしまった。
優婆崛多は、その女が、天魔てんま(pāpīyas) が化けたものと気づいていた。
そこで優婆崛多は、そばに寄ってきた女の首に華鬘を掛けてやった。
女は最初それをただの華鬘にすぎないと考えていたが、よく見てみると、人やウマやウシなど、様々な汚い骨を輪に通して首にかけてしまっていて、臭く、気味が悪かった。そして元の天魔の姿に戻って、それをどうにか捨てようとするも、どうしたって捨てれない。
天魔たちの首領である大自在天だいじざいてん(Maheśvara。マヘーシュヴァラ。シヴァ)にも助けを求めるも、「これは仏の弟子のしたことであろう。わしでも取り除けることはできぬ。これを掛けた者にとってくれと頼むしかない」と言われ、結局優婆崛多に直接謝ることになる。
そして、ちゃんと取ってくれた優婆崛多に、天魔は「恩を返すために、どのようにお報いしたらよろしいでしょうか」と聞き、優婆崛多は、「それなら、そなたを仏の姿に似せて、わしに見せてくれ」と頼む。
「それはたやすいことなのですが、その姿を見て拝まれてしまったら、私にとっては非常につらいです」と言う天魔に、優婆崛多は「わしは拝んだりはせぬよ」と言いはしたが、太陽から初めて出てきた光のように、金色に輝くその姿を見て、優婆崛多は涙を流して拝んでしまう。
天魔は、首に様々な不気味な骨を掛けて、それを瓔珞としている姿で戻ってしまい、「ですから、忠告しましたのに」と悲しんだ。
三神一体 シヴァ、ヴィシュヌ、ブラフマー「インド神話の三神一体」 インドの寺院 「インド神話の神々」女神、精霊。悪魔、羅刹。怪物、神獣の一覧
 優婆崛多の不覚から察するに、天魔の変身能力は非常に高いのだろう。それこそ仏を完全再現できるほどに。
それとも、単に優婆崛多の妄想力の問題か。

碁を打つ修行

 天竺に陀楼摩和尚だるまかしょう(bodhidharma。ボーディダルマ。菩提達磨(ぼだいだるま)という、五天竺を行脚あんぎゃ、つまり修行として徒歩で巡っていた、聖人が来た。
ある寺では、様々な比丘がそれぞれに修行を積んでいた。そしてその寺にあった、ある僧房そうぼう(僧侶が住む施設)は、あたり一面に雑草が生い茂っていて、中の部屋には、仏像も経文もなかった。ただ、2人の老比丘が碁を打っていた。
気になった陀楼摩和尚が、他の比丘に聞くと、どうやらその老比丘2人は、若い頃から碁を打ってばかりで、何も修行をせず、仏法のあるなしさえ知らない。だから寺の他の比丘たちは、みんな彼らを嫌っている。とのことだった。
しかし、陀楼摩和尚は、何か訳があるのかもしれないと、碁を打つ2人を観察する。すると2人は、時々消えて見えなくなり、またしばらくしてから現れる。陀楼摩和尚は、他の比丘たちの考えは間違いであり、2人は立派な聖人だと悟る。
そして碁ばかり打って年月を送っている理由を聞いてみると、2人の老比丘は答えた。「わしらは長年碁を打つ以外は何もしていません。ただ黒石が勝つ時には我が身の煩悩が勝って、白石が勝つ時には我が心の菩提が勝る。煩悩の黒石を打ち従えて、菩提の白石が勝ったと思う。こういうことをしながら、我が身の無常を観じているうち、その功徳が現れ、阿羅漢果あらかんかを得る身となったわけです」
陀楼摩和尚は、「このような功徳ある修行を長年隠して、寺中の人に役立たずとか、恥知らずとか思われせていた心は、実に貴い」と感動し、寺の他の人たちには事の次第を語り、比丘たちは「愚かなのは自分たちの方だった」と、悔い悲しんだ。

 碁が出てくる話である。

象に芽生えた慈悲

 天竺にいたある国王は、法を犯す者たちの処刑に、1頭の大象を使っていた。酒に酔わせられ、目を赤くし大口を開けさせた象を、罪人の前に放し、踏み殺させたのである。
象は国の第一の宝であり、これを恐れて、隣国の敵も攻めてこようとしないから、守護獣にもなっていた。
そしてある時、厩舎きゅうしゃが火災によって焼失し、建て直しが完了するまで、象は僧坊(僧房)に繋がれることになった。そのため僧が読誦どくじゅする『法華経ほけきょう』を、この象は一晩聞くことになった。
翌日、象の前に、いつものように多くの罪人が連れて来られたが、酒に酔わされても、この象は罪人を攻撃しようとしなかった。
原因は、僧房で読まれた法華経を聞いた象に、慈悲の心が生じたため、と賢い家臣が気づく。そして彼の命令により、次は屠殺場とさつじょうで一晩を過ごした象は、また罪人に容赦しないようになった。

 畜生でさえ、仏法を聞いたなら善の心を持つ。という話。
罪人の処刑に動物を使うというのは、わりと普通だったのだろうか、それとも変わってる方法だったか。

透明になる外道の術

 西天竺に来た、竜樹菩薩りゅうじゅぼさつ(Nāgārjuna。ナーガールジュナ。150?~250?)という聖人は、まだ俗人だった時に、外道の典籍てんせきの法術を習っていた。
ある時に、竜樹を含む3人の俗人が、ヤドリギ(宿木)を5寸(15センチメートルくらい)に切って、100日陰干かげぼしにしたものを用いて、隠形おんぎょうの薬を作った。その木片をもとどり(たぶさ。髪の毛を頭の上で束ねた部分)の中に入れておくと、隠れ蓑(着ると透明になる衣服)を使ったがのごとく、誰にも姿が見えなくなるのである。
そして3人は、隠形の薬によって透明になると、国王の宮殿に忍び込み、多くの后をものにした。「姿の見えぬ者たちに襲われるのです」という彼女らの訴えを聞いた、聡明な王は「誰かが隠形の薬を作って、このようなことをしているに違いない」とすぐに感づく。
そこで王は、宮殿中に粉をまかせ、例え透明な者であっても、逃げようとする時に足跡が残るようにした。
王の作戦が上手く働き、3人の内の2人は、足跡を追った兵士に斬り殺された。しかし、竜樹だけはなんとか行けることに成功。「外道の法なんて無意味だ」と悟った彼は、出家して、仏法を習得したのだった。

 これは、外道の術が悪かったのか、彼の行いが悪かったのか。
仏の道が、宗教というよりも、ある種の魔法体系であるというようなことを強く感じさせる話でもあろう。

 ある比丘は、羅漢になろうと修行を続けていたのだが、60歳になっても羅漢になることができず、ついに還俗げんぞくした。
その後、男は妻をめとり、その妻は男の子を産んだ。だがその子は7歳の時に死んでしまった。
悲しみ、子の遺体を外に捨てようともしないこの父を、近所の者たちは「捨てないでいたって、いつまでもそのままあるというものでもないのに。愚劣きわまる」と言って、遺体を奪って捨てた。
それから、やはり悲しみに耐えられないでいた彼は、自分の子をもう一度見たいという一心から、閻魔王えんまおう(Yama。ヤマ)のいるところに行こうと決心した。
男は、閻魔王がどこにいるのか知らなかったが、ある人が、その宮殿への道を教えてくれる。「その方向へひたすら行くと、大きな川があり、その川の上には、七宝の宮殿があって、その中に閻魔王様がいる」
実際に宮殿に来た男は、宮殿近くにいた身分高そうな人に「死んだ子供を見たい」という願いを告げ、その人から話を聞いた王は、「ではすぐに見せてやれ。その子は後ろの庭にいるから。自分で行って見るがよかろう」と言った。
父はそうして、我が子と再会できたが、あまりの嬉しさに涙する父に対し、子供は無反応で、ただ遊び続けるだけ。

 この話において1番興味深い点は、最後の「現世から離れて、死後の世界に住むようになったなら、元の世にいた時の心はなくなってしまうのだろうか。父はまだ現世に生きたままでいるので、このように恋い悲しんだのであろう」という推測感想かのような書き方かもしれない。

女ばかりの島という、羅刹たちの狩場

 (ここから5巻の話)
500人の商人を引き連れた、僧迦羅そうからという人の乗っていた船が、海上で逆風に見舞われてしまい、どこか大きな島に流れ着いた。
そこは素晴らしい美女ばかりが住んでいた島であり、最初は見知らぬ土地に漂着してしまったことを悲しんでいた商人たちだったが、すぐに欲情を持ち、前向きになった。
とても美しいばかりでなく、友好的であった女たちは、それぞれ男たちの妻となり、いくらかの日々を過ごした。しかし僧迦羅は、普段はとても美しい女たちの寝顔がどこか不気味に感じていた。
そして僧迦羅は、女たちが昼寝をしている間に、1軒の離れ家を見つける。その門は固く閉ざされていたが、僧迦羅は塀をよじ登って、中を覗いてみた。するとそこにあったのは、死んでいる者、生きている者、うめき声を立てる者、泣いている者と、とにかくたくさんの人たちと、たくさんの骨。生きていた者の1人は、僧迦羅に 真実も教えてくれた。
実は、その島の女たちというのは羅刹らせつ(鬼)が化けたものであり、羅刹らは島に漂着してきた商人船の者たちを、美女に扮して毎回夫にする。だが新しい者たちがやってくれたびに、古い夫たちは、膝の筋を切られて逃げられなくした上で閉じ込められ、日ごとの食い物にされてしまう訳であった。
僧迦羅はすぐに、羅刹女たちが寝ている間に、仲間たちにこのことを知らせたが、逃げようにも、彼らの船は壊れてしまっていた。 そこで彼らは海岸にて、『補陀落ふだらく(Potalaka。観音菩薩が降臨する霊場とされる伝説上の山)の方に向かって、観音を念じまつった。
やがて大きなハクバ(白馬)が、波をたたきながら現れる。それこそまさしく観音様の助けであり、ウマは、商人たちが背に乗るや、海を走った。
目を覚ました羅刹の女どもは、商人たちが逃げたことを悟って、すぐにその真の(鬼の)姿となって、追いかけてきた。
逃げるウマに乗っている男たちの中には、自分が妻にしていた女の顔が美しかったことを思い出した者がいて、そういう者たちはウマの背から転げ、海に落ちた。そして海に入った羅刹たちに貪り喰われた。
ウマに乗り続けれた男たちは、そのまま南天竺の陸地に行き着き、生還を喜んだ。しかしこの出来事は、誰もが誰にも話さなかった。

 2年ほどして、僧迦羅の妻だった羅刹女が、彼が1人で寝ている時にやってきて、告げた。「私たちは定められた前世の契りがあって夫婦となったのです。なぜあなたは私を捨ててお逃げになったのでしょうか。あの国には、夜叉の一党があって、時々出てきては人を捕らえて食うのです。そのために城を高く築き、守りを強く固めています。あの時、多くの人が浜に出て大声を出しているのを聞いて、その夜叉たちが出てきて、恐ろしい姿を見せたのですが、それをあなたがたは私たちだと勘違いしてしまったのです。決して私たちは鬼ではないです。あなたが帰ってしまってから、私はひたすら恋い悲しみ続ける日々」
だが、そんな言葉を嘘だと見抜いていた僧迦羅は、剣をふるって女を追い返す。
女は、夫の振る舞いを国王に訴え、僧迦羅は「その女は羅刹なのです。信用しないでください」と忠告したが、美しい女の方を信じてしまう。そして、やはり欲情に囚われてしまったために、王は羅刹女と夜を共にし、殺されてしまう。
王の跡を継いだ皇子は事情を聞くと、「軍を貸していただけるならば、女の羅刹国にいって征伐してきましょう」という僧迦羅の提案に乗った。
そういう訳で、弓兵と、剣を持った兵士それぞれ1万人ずつを引き連れ、100艘の船で出発した僧迦羅は、 例の羅刹国に再びやってきて 、女たちを追い詰めた。彼女たちは羅刹の姿に戻って抵抗したが、2万の軍勢を前に勝ち目はなかった。
僧迦羅は無人の国となったその島を国王から与えられて、自身も王となった。だからその国は僧迦羅国と呼ばれる。

 僧迦羅国とは、ようするに後のスリランカ(セイロン島)で、これは建国神話のようである。
美しい女たちばかりの島という、愛欲深い男にとっての理想郷に漂流したかと思ったら、そこは羅刹たちの用意した、偽りの楽園という狩場。という冒険話から、最後の軍勢を引き連れての征伐話までの流れが、テンポよく進む。

姫とライオンの子

 次の話も、『執獅子国しゅうししこく』という、セイロン島に関わる話で、仮に物語内の年代が近いとするなら、おそらく普通に矛盾する。

 洞穴に住むライオンにびびった家臣に置き去りにされた姫が、一緒に過ごしているうちにライオンとの子を産む。そして、国王の元へ帰りたいという母の頼みを聞いた子は、父譲りの駿足で逃げる。
その後、家族を追いかけて都にやってきたライオンを、人々は恐れ、国王は「このライオンを殺した者には国の半分を与えよう」という宣旨を出した。
ライオンの子は、「父を殺すことは大きな罪だが、自分が半国の王となって、人間である母を養おう」と決意。
息子と再会したライオンはただ喜ぶばかりで、毒の矢で刺された時も、全く抵抗はしなかった。
それからライオンを殺した報告とともに、子は自分と母の素性も国王に明かした。
だからこそ自分の孫だと納得はしたが、どういう理由があろうとも、父を殺した者に報償を与えたならば、罪は免れない。だが約束を破るわけにもいかない。そこで離れたところの国を、彼と母、つまりその自分の孫と、行方不明だった娘に与えることにした。
その国は、執獅子国と呼ばれるようになった。

女のために神通力を失ってしまった一角仙人

 天竺に、一角仙人いっかくせんにん(Ekasringa。エーカシュリンガ)という、名前の通り、額に角を生やした仙人がいた。深山で修行した彼は、雲に乗って空を飛び、山を動かして動物たちを従者とする。
ある時、大雨のため泥のようになっていた道でこけた彼は、「世の中に雨なんかがあるから悪いんだ。コケ(苔)の衣も水に濡れて気味が悪い。 こんな雨を降らすのは竜王の仕業だな」と腹を立てて、多くの竜王を捕らえ、1つの水瓶すいびょうに閉じ込めてしまった。
そして天竺に雨が降らなくなってから12年もの歳月が過ぎた。十六大国の王たちは、様々な祈祷を行ったが雨は降らない。そしてある占い師が言った。「ここから東北の方に深山がありますが、その山に1人の仙人がいて、雨を降らせる竜王たちをどこかへ閉じ込めてしまったのです。えらい聖人たちが祈祷をしても、その仙人の霊験には到底及びません」
それからある国の大臣が策を立てる。「どんなに尊い聖人であろうと、女の色香に惹かれない者はあるまい。十六大国の中でも、特に美しい女たちを集めて、あちこちの山で楽しみに歌わせて歩かせたら、その声を聞いた仙人も、心がとろけて神通力を失ってしまうだろう。
そうして、女の一団が山を歌いながら歩いたが、ついには、骨と皮ばかりかのように痩せ細り、 なんとか杖にすがって立っているかのような、頭に角が一本生えている仙人が、彼女らの前に姿を見せた。
仙人の心が、自分にひかれていることを悟った女の1人は、(しかしその仙人の姿が不気味だったために) 迷いはしたが、自分に触りたいという仙人の願いも叶えてやる。するとその瞬間、すべての竜王が大喜びして、仙人が持っていた水瓶を蹴破って、空に昇っていった。するとすぐに空は真っ黒に曇って、雷鳴が轟くとともに稲妻が走り、大雨が降ってきた。
それから女は、身を隠す場所もなく、かといって帰ることもできなかったが、5日ほどたって空も晴れてくると、「このままいつまでもそばにいるというわけにもいかないので、そろそろ帰ろうと思います」と仙人に告げる。仙人はつらそうではあったが、了承した。
仙人は心底女に惚れていたので、「帰り道がわからない」と言う彼女を案内してやり、谷などの危険な場を渡る時にはおぶってやった。そうして、結局国王の宮殿まで彼女を送ってきた仙人は、もうすっかり神通力を失って、ただの痩せ細った老人になっていた。その姿はとても滑稽だったという。

 特に水瓶から解放され、空に昇っていき、雨をすぐ降らす竜王のイメージは、文だけなら中国的な龍を思わせるが。

転輪聖王の時代

 ある時、天竺に転輪聖王がいた。そして一切衆生いっさいしゅじょうに幸福な生活を送らせようと考え、それにふさわしい教えを求め、自らが治める地上世界に「仏法を知っている者が誰かいるか」という宣旨を下した。
そして、ある1人が言った。「遠くの辺地の小国に、1人の婆羅門がいます。その人が仏法を知っております」
王はすぐに、その婆羅門を自分の元へと呼んだ。しかし王が、種々の美膳びぜんを整えて供養しようとしても、彼はそれを受けようとしない。
婆羅門は、「もし仏法を聞くために私を供養しようと思っているなら、王の御身の1000の箇所に傷を彫りつけ、そこに獣脂じゅうしを満たし、燈心とうしん(灯芯)を差し、火を灯して供養なさるがよい。そうすれば私は供養を受けて、仏法を解き聞かせましょう。そうでなければ、私はすぐ立ち去るつもりです」と告げた。
王は婆羅門を抱きとめ、「大師よ。しばらくおとどまりください。私は限りない遠い昔から今に至るまで、何度となく生まれ変わり、死に変わりしてきましたが、いまだ仏法のために身を捨てて尽くしたことはなかったのです。しかし今日がその時です。私はこの身を捨てて、あなたを供養いたしましょう」と宣言した。
それから、多くの后や王子らに、「 わしは今日の仏法を聴くために身を捨てる。なのでお前たちの顔を見るのもこれで最後になろう」としっかり語ってから、婆羅門の言ったことを実行した。
王が自らに火を灯している間に、婆羅門は、「それ生ずればすなわち死す。死滅を楽と為す」という、半偈はんげの法文を説き聞かせた。王はそれを聞いて喜び、彼の民たちも、その慈悲心に感謝し、菩提心を覚えた。
婆羅門は実は帝釈天であり、その自らの姿を見せて、王に尋ねた。「そなたはかくも至難な供養をなして、いかなる報いを願っておるか?」
王は答えた。「私は人間界、天上界の素晴らしい楽しみを求めはいたしません。ただ無常菩提を求めています。たとえ灼熱の鉄の輪が我が頭上に置かれたとしても苦しくはないでしょう。そのような苦行をもってしても、無上菩提を求める心は絶対に失われません」
信じがたいという帝釈天に、王はさらに続ける。「私の言葉がもし真実でなく、帝釈天を欺いていると言うなら、私の1000の傷は決して治らないでしょう。また、もし真実の言葉であるなら、この血は乳となって、1000の傷は元のように治るでしょう」
すると1000の傷はことごとく治り、彼は元のような姿となった。帝釈天は消えてしまった。
その王こそ、今の釈迦仏。

 これも釈迦の前世譚の1つと思われるが、重要なことは、これがまさしく地上世界の大王である転輪聖王の治世を描いている物語であるということであろう。
はたしてそれは、すべてを支配する王であったのか。いつの時代かにそのような王が本当に存在していたとされていたのか。
5巻の前世には、仏以外の者も一緒に登場することが多いが、 この話は彼だけである。
特に、悪役というか、欲に溺れて失敗する役回りの者は、基本的に提婆達多だいばだった(Devadatta。デーヴァダッタ)が担っている。悟りを得る前の釈迦のいとこで、 その頃から 競争相手のような 存在だったらしいが、釈迦が仏となってからは、一旦は弟子となり、しかし後に袂を分かった。1巻にはいくらか、若かりし日の釈迦と彼の話もあるが、基本的には、人間だった頃からすでに慈悲深かった釈迦に比べて、提婆達多は心貧しい男だったという格差話である。

月のウサギの伝説

 天竺にウサギとキツネとサルがいて、獣ながら深い求道心ぐどうしんを起こし、菩薩道の修行していた。今、卑しい獣に生まれてしまったわけである前世の重い罪をしっかりと理解し、しかし再びその身を捨てるために、良い行いをしようと決めていた。
この3匹の獣たちを見た帝釈天は「獣ながらこれらはかなり殊勝しゅしょうな心を持っている。だが人の身に生まれた者でさえも、生き物を殺したり、他人の物を奪ったり、父母を殺したり、兄弟同士で争ったりするものだ。また、笑顔をしながら悪意を抱いていたり、恋い慕っているように見せながら内心は深い怒りを含んでいたりする。まして、このような獣が真に誠実な心などいられるものなのだろうか。にわかには信じられない。1つ試してみようか」と考えた。
そうと決めると、弱々しくどうしようもないような老人の姿となった帝釈天は、3匹の獣たちの前に現れて、告げた。「わしは年を取りすぎて疲れてしまったのだ。そなたたち3匹でわしを養っては下さらぬか。わしには子もなく、家も貧しく、食い物が手に入らないのだ。聞けば、そなたたち3匹は哀れみの心が深いということだが」
3匹の獣はこれを聞いて、「 これこそ我々が願っていたことだすぐに養うではないか」と老人を世話してやることに決めた。
サルは木に登ってはクリ(栗。Castanea crenata)、カキ(柿。Diospyros kaki)、ナシ(梨。Pyrus pyrifolia)、ナツメ(棗。Ziziphus jujuba)、コウジ(柑子。ウスカワミカン。Citrus leiocarpa)、タチバナ(橘。Citrus tachibana)、コクワ(獼桃。サルナシ、ベビーキウイ。Actinidia arguta)、ツバキ(椿。Camellia japonica)、ムベ(郁子。Stauntonia hexaphylla)、アケビ(山女。Akebia quinata)などを取り、村里からはウリ(瓜)、ナスビ(茄子)、マメ(大豆)、アズキ(小豆)、ササゲ(大角豆)、アワ(粟)、ヒエ(稗)、キビ(黍)などを取ってきた。
キツネは墓小屋のあたりに行っては、 人がお供えした、餅や飯、それにアワビ(鮑。Haliotis)やカツオ(鰹。Katsuwonus pelamis)などの種々の魚を取って、持ち帰ってきた。
こうして数日を、ひたすら好きなものを食べて過ごした老人は、「このサルとキツネは、誠に深い哀れみの心がある。もはや菩薩ともいってよい」
しかし問題はウサギであった。ウサギも、やる気がないわけではなかったが、いくら必死で探しても、サルやキツネのように、食べ物を見つけることができなかった。サルもキツネも、老人までもが、ウサギを辱しめ、軽蔑し、嘲笑うことで尻を叩いたが、まったくどうにもならなかった。
そこでウサギは「自分は老人を養うために、東西南北あちこち食べ物を探したけれど見つけられなかった。野とか山を探しに行った時はとても恐ろしかった、人に殺されたり獣に食われたりしそうだし。無駄に命を落とす危険も多すぎる。だがそれならいっそのこと、この身を捨てて、この老人に食べられ、永久に獣の身から離れよう」と決心した。
ウサギは言った。「私はこれから出かけて行って、美味しいものを探してきます。それまでに枯れ木を拾い集め、火をつけて待っていてください」。しかしサルとキツネが焚き火を燃やし続ける中、帰ってきたウサギは手ぶらであった。
サルとキツネは言った「お前は何も持ってきてない。思っていた通りだ。嘘っぱち並べて人を騙して、火をたかせてお前が温まろうと思っていたに違いない。憎らしいやつめ」
ウサギは「私には食べ物を探して持ってくる甲斐性がありません。ですから、どうぞ私の体を焼いてお食べ下さい」とすぐさま焚き火の中に入って焼け死んだ。この時、帝釈天は元の姿に戻り、ウサギが火に飛び込んだその姿を月の中に移し、それを一切衆生に見せようがために、月の中に残した。
つまり、月の表面に雲のようなものが見えるのは、このウサギが火に焼かれた時の煙なのである。そして月の中にウサギがいるともいわれているが、まさしくこのウサギの姿なのである。全ての人は、月を見るたびにこのウサギのこと思い出すべきなのだ。

 5巻の半分くらいは、イソップ寓話などを思わせる、擬人化した動物の話となっている。動物が明確に、愚かな畜生として描かれてる他の多くの話と比較すると、なかなか興味深いかもしれない。
このウサギの話は、我々にも馴染み深いと思われる、月のウサギ伝説と関連するもの。
サルとキツネが 用意したたくさんの食べ物から、当時のインドの食生活(あるいはそれに日本人が抱いていた)イメージが伺える。

獣の王たるライオンの自己犠牲

 ある深山の洞穴に1頭のライオンが住んでいた。このライオンは、「わしはなんといってもあらゆるの獣の王だ。だから全ての獣を守り、慈しんでやろう」と考えていた。
その山にサルの夫婦も住んでいて、2匹の子を育てていた。
幼い頃は、夫婦のそれぞれが1匹ずつの子を抱えて、山野に行き、木の実や草の実を取れたが、子がある程度大きくなると、抱えながらというのは難しくなった。
住処に子を置いて山野に行けば、空飛ぶ鳥に襲われてしまう可能性がある。かといって食べ物を取りに行かないことには、自分たちの命すらも危うい。
悩んだ末にサル夫婦は、自分たちが食べ物を取りに行っている間、全ての獣を慈しんでくれる王であるライオンに、子供たちを預かってもらうことにした。ライオンも承知する。
しかし、ライオンがつい居眠りしている間に、1羽のワシ(鷲)にサルの子たちはさらわれてしまう。ライオンはすぐに、ワシに対して説得を試みた。「そなたは鳥の王であるが、わしは獣の王である。そのサルの子供たちは、どうかわしに免じて許してやってくれ。もしわしが激怒して咆哮したら、あなただって決して無事ではないはず」
しかし、「おっしゃってることはごもっともですが、この2匹は今日の私の食料であります。もしこの子たちをお返しするというのなら、私は餓死してしまう」というワシに、代わりとしてライオンは、自ら噛み千切ったサル2匹分の自分の肉を分け与え、ようやくサルの子たちを返してもらう。
ライオンは帰ってきた親のサルたちに、「わしがこのようなことしたのは、お前たちの頼み事の重大さのためというより、約束してそれを破ることがこの上なく恐ろしかったからだ。それにわしは、全ての獣を愛しむ心が深いからな」と語った。
ライオンは釈迦仏、父親サルは迦葉尊者、母親サルは善護比丘尼ぜんごびくに、2匹のサルの子たちは阿難と羅睺羅、ワシは提婆達多である。

 5巻は動物の話が多いわけだが、その中には釈迦の前世譚、つまり動物であった頃の釈迦の物語もある。
これはその1つだが、こんなふうに動物の話の場合、同じく登場する関連人物たちも、やはり動物であることが多い。
提婆達多の役割は、他の話よりも少しマシな感じがする(悪役ぽさが薄め)。また、善護比丘尼というのが何者であるかはわりと謎。
しかし、彼らはどうしても関わりあう運命にあるのだろうか。それとも、数え切れないほどの世代があるわけだから、中にはこのように偶然近しい立場に生まれた時もあった、というだけの話(そしてそういう時代の話だけ後の世に残った、というだけのこと)なのだろうか。

恩を決して忘れない動物たち

 天竺にいた、ある道心有する人が、ある漁師から、釣られていたカメを買って、水に逃がしてやった。
数年後、カメを逃がしてやった男が寝ていた寝室に、3尺(0.9メートル)くらいとなっていた、その(逃がしてやった)カメが現れ、「恩返しの機会を伺っていたのですが、数年経ってしまいました。今日ここに来たのは、近くこの辺り一帯に起こる大変なことをお知らせするためです。川が増水して、人と言わず様々な動物、あらゆるものがみな流されて死んでしまうのです。この家も水の底になってしまうでしょう。すぐさま船の用意をして、親しい人々と一緒に、お命をまっとうなさってください」と告げた。
その人は、少しばかり疑いながらも、しっかりと船の用意をして、家の前につなぎ、それに乗る手はずも整えた。それとその日の夕刻から大雨が降って、強風が吹き、一晩中止まない。夜明け近くには川上から増水し、山のように水が流れてきた。しかし船を用意していたおかげで、その人の家の者たちは、みな溺れないですんだ。
あちこち海になってしまった中、高みを目指して船を漕いで行く途中、大きなカメが流されながらも近づいてきて「私は昨日お伺いしたカメですが、私も乗せてくれないでしょうか」と言った。男はすぐに「早く乗れ」とカメも乗せてやった。
次には大きなヘビが、流されながらも「どうか乗せてください、死にそうです」と助けを求めてきて、男が何か言うより早く、カメが「乗せてあげましょう」と言った。男は「乗せたくはない。小さなヘビさえ恐ろしいというのに、こんな大きなヘビをどうして乗せられるのか。呑まれてしまうに違いない。そんなことになったら」と拒むが、カメは「決して呑んだりしませんよ、このようなものを助けるのがよいことなのです」と説得。結局「このカメが心配ないと言うからにはよかろう」と、ヘビも船に乗せてやった。
さらにしばらくして、今度はキツネが流されていて、男はそれも船に乗せてやった。
そして次には、流されて、助けを求める1人の男を発見。船主は 当然その男も助けようとしたのだが、今度はカメは「あれは駄目です。助けてはいけません。獣は恩を知っているのですが、人は恩を知らないのですから。このままではあの男は死ぬでしょうが、それは人の罪にはならないです」と反対した。だが船主は「恐ろしいヘビでさえ慈悲心を起こして乗せてやったのだから、同じ人の身で、乗せぬわけにはいくまい」と、男も乗せてやった。助けられた男は、喜んで手をすり合わせ、とめどなく泣いた。
その後、水が引いて、川が元のようになると、みんな船から降りて、それぞれの家に帰っていった。

 数日して、船主の男の前に、助けてあげたヘビが現れた。「命を助けてくださったお礼がしたくてやってきましたどうか私の後についてきてください」と言われた通りに着いて行くと、辿り着いたのは大きな墓。ヘビは「この墓の中にはたくさんの財宝がありますが、みんな私のものです。命を助けてくださったお礼に、すべて差し上げましょう。ある限り全部持って行ってください」とだけ言い残して、去った。
こうして、墓の中の財宝を家に運んだ男は裕福となった。とそこで今度は、助けてあげた男がやってきた。しかし、「命を助けていただいたお礼を申しに参ったのです」と最初言った男は、家の中の財宝に気付くや、「いったい、この財宝はどうしたのでしょうか」と聞いてきた。家主の男が一部始終を語ると、例を言いにきた男は「ではこの財宝は思いがけず手に入れたものなのですね。1つ私にも分けてくださらないでしょうか」て言った。
家主の男は、財宝を少し分けてやったが、恩知らずの男は「いやにちょっぴり分けてくださったものですね。長年かかって蓄えた財宝というわけでもなく、思いがけず手に入れたものじゃないですか。半分わけてくださっていいはずだ」と言い出す。「無茶なことを言う。これは私がヘビを助けたから、ヘビがその恩に報いようと私にくれたものだ。あなたはあのヘビのように私に恩返しをすることはないだろう。だがそれだけでなく、私が貰ったものまでもそのように欲しいと言うなんて、けったいなことだと思ったが、少々は分けてあげた。ここまででもすでに筋が通らぬのに、さらに半分くれなどと言われるなんて」と家主が突っぱねると、恩知らずは怒りを見せて分けられたものも投げ捨てて去った。

 その後、恩知らずが「ある人が墓を暴いて財宝を盗んでいます」と国王に訴えたため、裕福となった男は捕まって、牢獄に入れられてしまった。そして獄中で彼は縛られ、ひどい拷問をされた。
いくらかの時間が経ってから。
拷問された男が、苦しみのあまりに倒れ伏していたところ、枕もとの方で何か動く音が聞こえてきた。見ると、またいつかのカメがいた。
「どうしてここに?」と聞く男に、カメは答える。「非道なことで悲しい罪を被っておいでになっていると聞いたので、やってきたのです。だから前に申したでしょう。人を船に乗せてはいけないと。人というのは、このように恩を知らないのですから。まあ今そんなこと言っても仕方がありませんね。とにかく、こんな耐え難い辛い目をいつまでもみなさることありません」
そして、恩をしっかり覚えているカメとキツネとヘビが集まって、彼を助ける方法を話し合った。「まずキツネを王宮の中でさかんに鳴かせよう。すると国王は驚いて、占い師に吉凶を尋ねるだろう。そして国王には、この上なく大切になさっている姫君が1人おられるが、その時にその姫君に重大なことが生じるのだと占わせよう。その後、ヘビとカメとで姫君が重病になる手段を講じる」
翌日、作戦は決行された。王宮内で百千万のキツネが鳴き、国王は占い師に、どういうことかを尋ねた。その占い師は「国王と姫君に重大なことが生じるのです」という占いを立てたが、そのうちに姫君が重病にかかってしまって、今にも死んでしまいそうだった。姫路の病気について、「いったいこれは何の祟りなのか」と、国王が占い師に尋ねると、占い師は「罪のない人を非道に獄につないだ祟りなのでしょう」とした。 そうして 牢獄に収容されていたものは片っ端から調べられ、本来罪のなかった男は解放された。
どうにか自由となった男は、呼び出してきて事情を聞いてきた国王に、全て正直に話した。
国王は「罪のない者を罰してしまった。彼をすぐ釈放せよ」と言った。そして、「濡れ衣を着せたやつは罰すべきだ」と、訴え出た男を重罪とした。
カメは「人は恩を知らぬものだ」と言ったが、それは正しかった。

 長めだが、あちこち楽しめる感じの話。似たような話で、助けた男を釈迦、助けられた男を提婆達多とする前世譚パターンもあるようだが、今昔物語においてはその要素はない。
序盤の話は、やはりノアの洪水伝説のようなものを想像する。
「動物は恩を忘れないが、人は恩を忘れる」というような教えは、他に「畜生でさえ、~なのだから」みたいな話もあることを考えると、 この話独自の要素としてなかなか興味深い。

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