「金魚の文化」夏の風物詩の生態

風鈴の金魚

金魚と文化

日本の夏の風物詩

 で、あるのだけれど、金魚は中国原産である。

 フナというがいるが、金魚はそれの突然変異。
4世紀くらいに、中国南部の川に生息していたフナが変異して、ウロコの色が赤くなった『緋ブナ』が、最初の金魚だとされている。
「魚類」進化合戦を勝ち抜いた脊椎動物の始祖様  
 その緋ブナが、1810年くらいからは『和金(わきん)』と呼ばれるようになる。
そしてそのように呼ばれだすより、ずっと昔から、和金は品種改良されつつ、日本にも伝わってきた。

 金魚が最初に日本に伝来したのは1502年の事だったとされている。
それからは日本でも、さらに独自の品種改良が成され、現在の多くの種類の金魚が生み出されたという訳である。

 『ジキン(地金)』、『ナンキン(南京)』、『トサキン(土佐金)』、『シュブンキン(朱文金)』、『キャリコ』、『アズマニシキ(東錦)』、『エドニシキ(江戸錦)』、『サクラニシキ(桜錦)』などの品種は、日本生まれだという。

江戸時代に一気に広がった

 日本では、金魚は最初、高価であり、貴族が富の象徴のひとつであった。
しかし江戸時代の中頃には、(副業で養殖する人が多く、数が増大したため)値段もわりと安価になり、庶民の間で一大ブームになったという。
 
 一説によると、安達喜之(あだちよしゆき)という人が書いた、『金魚養玩草(きんぎょそだてぐさ)』という、金魚飼育のマニュアル本が、ブームを急加速させたらしい。

 江戸時代後期には、天秤棒にぶら下げた桶に、金魚を入れて、売り歩く商人もいた。

 「金魚はいかがでっかあ?金魚、金魚おりますよお」
このような道行く金魚商人は、その内にリヤカーなどを使うようになり、昭和時代まで見られたようである。

水槽への拘り

 金魚への愛ゆえか、単にインテリア的な意味合いか、お金に余裕のある人達は、金魚を飼う水槽にも拘った。
足がついたもの、八角形や小判型、風鈴のように吊るしていたと見られる丸いもの。

 水槽は最初、単に形の変わったものに始まり、江戸後期には家具に仕込まれたタイプや、一面のみ、あるいは全面ガラス張りのタイプなど、様々なアイデア水槽が生み出されていった。
 ただし形や作りが独特であるほどに、高価な水槽だったようで、職人への特注品だったようである。

戦争と金魚

 1853年の黒船来航をきっかけに日本が開国してから程なくしてから、世界は、世界規模の戦争への道を歩み始める。

 日本も、日清戦争(1894~1895)、日露戦争(1904~1905)を超えて、二度の世界大戦(1914~1918。1939~1945)でも、それなりに重要な役割を果たした。
実はこの間(1894~1945)、金魚の人気は著しく落ちていたという。

 原因は明らかである。
つまり、それどころではなかった、という事だ。
世界規模の戦乱の時代、日本がなくなるかもしれないような時代に、単に愛でる対象でしかない金魚に金を使うなんて、非国民もいいとこだったという訳だ。

 金魚屋には、政府から直々に、「金魚でなく、フナを作るように」というお達しまであったという。
フナは金魚と違い食糧となるからである。
 しかし「はい、そうですか」と金魚を諦めるほど、この国の金魚屋の心は弱くなく、国のお望み通りにフナを生産しながらも、密かに金魚も買い、それほど人気はなくとも、売買も続けていたのだという。

 もちろん戦後、金魚は再び人気を取り戻し、現在まで夏の風物詩となっている。

金魚はどのくらい生きるのか?

 金魚の寿命は1年くらいのイメージが強い。
金魚すくいで取った金魚が、1年くらいで死ぬパターンが多いからだ。
しかしこれはたいてい、金魚すくいみたいな野生では確実にありえないような強烈なストレスや、素人な飼い方が原因の早死らしい。

 実際は、金魚の寿命は上手く飼った場合で、12か13年くらいとされている。
ギネス記録なんかは43歳とかなり長い。
 
 基本的にご先祖様たるフナから、あまりかけ離れてない容姿の品種ほど長生きの傾向にあるようである。
 金魚に詳しい者は、ウロコに刻まれた皺的なものから、個体の年齢を識別する事が出来るのだという。

 また、金魚は主に、飼育下で進化してきた歴史のためか、あまり争わない、平和主義な一面を持つ。
同じ水槽でも金魚同士で争う事など全然ない。
オスが、メスを巡って争う事すらないという。

金魚いくつか

和金

 500年ほど前に、日本に最初に伝来した品種だから、ワキン。
という説が有力だという。

 胴体が長く、頭部とヒレが小さい。
色は白と赤と混合で、白の比率が多い個体ほど、しょぼいとされている。
金魚すくいでも、よく見られる、馴染み深い、いかにも金魚な金魚。

琉金

 『リュウキン(琉金)』は18世紀頃に、琉球(沖縄)から伝来した金魚という事でこの名がついた。
ただし生産地は中国。

 全体的に丸みを帯びていて、口の先が尖っている。
ヒレが長く、特に尾ビレの形で価値が変わるらしい。
体色はワキンとかなり似ているという。

ランチュウ

 丸っぽい体に、もし野生に放り込まれたら、致命的になりうるレベルのヒレの短さ(つまり泳ぎの下手さ)が特徴。
頭部に発達したコブがかなり印象的で、その堂々たる風格から、「金魚の王様」と称される。

 コブが頭部に均等に広がっている個体を『シシガシラ(獅子頭)』、頭頂部が特別大きく発達してる個体を『トキン(兜巾)』と呼ぶ。

 コブのない、あるいは小さい『マルコ(丸子)』という種から変異したと見られている。

出目金

 おそらくはもっとも有名な品種であろう。
この『デメキン(出目金)』はさらに、『赤デメキン』、『黒デメキン』、『三色デメキン』の3タイプに分けられる。
 どのタイプも目が左右に突き出ていて、その名の由来となっている。

 歴史的には最初に誕生したのは赤デメキンで、リュウキンから変異したようである。
さらに赤から黒と三色が作られたらしい。
 もちろん赤も黒も名前通りの色合いなのだが、三色は、三色でなく、赤、青、黄、紫、黒など様々な色の班を持ってたりするという。

 英語名がかっこいい。「テレスコープアイ」

名前がややこしい奴ら

 『オランダシシガシラ(和蘭獅子頭)』という品種は、名前のわりに、国のオランダとは何の関係もない。
江戸時代、鎖国していた日本が一応は国交していたオランダは、当時の日本人から見て、西洋風、ハイカラ風の全ての基準であった。
 それでランチュウに似ているが、どことなくハイカラなイメージを誰かがこの品種に抱いて、この名がついたらしい。

 同じようなのにナンキンがいる。
見た目はコブのないランチュウという感じだが、オランダシシガシラと似てるというのはその姿の話ではない。
実はこのナンキンという名も、いかにも中国ぽい名前だが、この金魚は完璧日本産である。
やはり誰かが勝手に抱いた中華なイメージから、この名がつけられたらしい。

 さらに言うなら『オオサカランチュウ』という品種もいて、こいつもやはり大阪とは関係ない。(ただしこいつは少しは可能性ある)
とにかく古いという事以外には、どこで誰がどのように生産したのか、よくわかっていないこの品種の誕生は、妙な事にただのランチュウよりも早かったとされる。
 単にこの金魚の品評会がよく大阪で開催されていた事から、ランチュウと区別する意味もあって、このような名前がついたらしい。
 ちなみに1862年に開催されたというオオサカランチュウの品評会は、日本で初の金魚の品評会であったと考えられている。

赤色はよろしくない

 遺伝的にではなく、直接、物理的に金魚の改造する技もある。
例えばジキンなどは、本来赤い体色なのだが、生後3ヵ月くらいの個体のウロコを、ヘラで剥がしてしまい、その後再生するウロコを白色に染めたりする。

 これは、赤色が下品だとされていた江戸に発達した、いわば金魚のコーディネートの技である。
熟練者ならば数十秒程度の仕事で、金魚への負担も少ないという。

 またナンキンも、本来は白と赤の金魚だが、梅酢を塗る事で赤色色素を破壊し、白みを強くするのだという。
これも江戸に、赤が嫌われていたゆえらしい。

キセキンギョ

 金魚は中国では幸運のシンボルであるという。

 昔の日本には、金魚の身は薬の素材としても使えるという民間伝承もあった。

 その付き合いの古さと文化との関わりから、日本人にとって、金魚というのは、犬や猫に匹敵しうるほどの友であるという人すらいる。
東日本大震災や、同じ年に起きたニュージーランドの大地震にて、数ヵ月世話もされずに水槽の中で生き延びていた金魚は、まさに「キセキンギョ」の驚異の生命力としてニュースになり、多くの人に笑顔を戻した。

 実際に実験により、金魚には癒し効果がある事も証明されているという。
だからこそ、戦争時代にも、非国民になる覚悟で、金魚を買い求めた人もいたのだろう。

 ちなみに我が家の金魚は10数年生きました。

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