「カブトガニ」研究小史。種類ごとの大きさ、生息地による生態の違い。

カブトガニ

アジアでは古くから知られていた?

 カブトガニという生物は、西洋社会では大航海時代に入り、大陸間の交流が増えるまであまり知られていなかったが、東洋では古くから知られていたとされる。
中国においては、南北朝時代(439~589)の文献である、『文選もんぜん』にはすでに、カブトガニ(鱟)と考えられる生物のことが書かれているのだという。

 実は鱟は、中国の『福建省ふっけんしょう』の辺りでは、 古くから身近な生物だったらしく 食料として利用されてきたのはもちろん、病気に効くと言う噂話などもあったらしい。
 ただし、漢方薬の素材としてはあまり使われなかったようだ。

 今は一般的に、カブトガニは、クモやサソリに近い、『鋏角亜門きょうかくあもん(Chelicerata)』の系統と考えられている。
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しかし、昔の中国の文献では、この生物が、あたかも魚であるかのように扱われているという。
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日本の文献の記述

 日本では、惟宗具俊くれむねともとしの『本草色葉抄ほんぞういろはしょう』に書かれた記述が、カブトガニに関する最も古いものと考えられているようである。
本草色葉抄は13世紀の書で、その記述は、中国の文献からの引用的な感じとされる。

 カブトガニに対する、日本人の興味は強かったようである。
中村惕斎なかむらてきさい(1629~1702)の図鑑的な書である訓蒙図彙きんもうずいに載っているカブトガニの図は、すでにかなり特徴を捉えている。
 また、この生物のことをはっきりカブトガニと書いているという。

ヨーロッパとアジアのカブトガニ研究

 特にカール・フォン・リンネ(1707~1778)が分類学という分野を確立してからは、カブトガニ類がいったいどのような種に属しているのか、ヨーロッパでは大いに興味を持たれたとされる。

 文明が始まって以降、カブトガニ類の現存種の中で、アジア外に生息していたのは、アメリカカブトガニのみとされ、ヨーロッパに最初に標本がもたらされたのも、その種のようである。

 19世紀中頃ぐらいから、三葉虫との共通性が指摘されだし、起源的には三葉虫から生じたのではないか、と考えられるようになっていった。
また、クモガタ類との関係について言及されるようになったのも19世紀からと考えられている。
1880年頃からは、クモガタ類の中のサソリに最も近縁ではないかという主張も見られるようになっていく。

 1970年代くらいから、カブトガニ類の研究は日本でかなり飛躍した。
アジア地域のカブトガニ類に関しては、それまであまり調査が進んでいなかったというのもある。
歴史的な興味に比べると、近代アジア人たちのカブトガニ類への興味は薄かったようで、たいてい標本でしかそれを見られないヨーロッパ人の研究が最も盛んというような状況だったからである。

カブトガニの形態

 単にカブトガニと言う時、カブトガニ類の一種であるカブトガニを指す場合と、カブトガニ類を指す場合とがある。

 カブトガニ類の特徴としては、 その名前の由来と言われる、巨大な『背甲(甲羅)』がまず挙げられよう。
普通それは、体のほとんどを覆い隠すほどに大きい。
 形態は、『前体(prosoma)』と『後体(opisthosoma)』が連なっているような感じで、付属肢(関節肢)はすべて腹(前体)側についている。
 後体に対となっている棘がついていて、針のような尾もある。
後体の棘は、特に『尾節(telson)』とか、尾剣とか呼ばれている。

 また、現存種はどれも似たような姿だが、化石種も含めば、それなりに多様な形態をとっているという。

現存種の分類

 一般的にカブトガニの現存種は、『アメリカカブトガニ(Limulus polyphemus)、『カブトガニ(Tachypleus tridentatus)』、『ミナミカブトガニ(Tachypleus gigas)』、『マルオカブトガニ(Carcinoscorpius rotundicauda)』の4種類に分類できる。

 アメリカカブトガニは60センチほどにもなる大型種。
前体の背甲が盛り上がりぎみ。

 カブトガニは、日本沿岸の種で、70センチにも達する、現存種で最大の種とされている。

 ミナミカブトガニは、最大40センチくらいの中型で、尾節が控えめで、わりとなめらかな形態をしている。

 マルオカブトガニは、 現存種では最も小型の種で、最大でも20センチ程度とされる。

カブトガニの生息環境

 わんとは、陸に浸透してきて海となったような領域である。
そして、幅のわりに奥行きがある湾を内湾という。
 内湾は、基本的には比較的波が静かとされていて、カブトガニ類は大抵そういうところ。
 特に岸(水辺と陸との境目)で、干潮かんちょう(引き潮)時、干潟ひがた(泥とかで形成されている地帯で、生物相がわりと多用とされている)が形成されるような内湾に生息しているという。

カブトガニの産卵

 カブトガニ類は基本的に産卵時期になると海岸の方に来て、砂の中に卵を産む。
 特に、幼生ようせい(個体として生まれた後、成体になるまでに、形態的にかなり異なる時期のある生物の、その成体と異なる時期)の生態について、アメリカカブトガニとカブトガニは、そこそこ観察調査がされているようだ。

 幼生はまた、尾節がまったく発達しておらず、三葉虫に似ているとされている

よく泳ぐ、アメリカカブトガニの幼生

 カブトガニは水底みなとこを歩く生物であり、成体は基本的には泳がない。
泳ぐ必要に迫られた時は、ひっくりかえり背泳ぎの格好で泳ぐようだが、あまり上手ではないと言われる。
 タツノオトシゴほどでないだろうが、 波の抵抗を下げるのに最も優れたフォルムである、流線型をなしていないからだろう。
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 しかしアメリカカブトガニの場合、生まれたばかりの幼生の頃。
一週間ほど達者に泳ぐ。

 幼生は、 自由に泳げるのに 生まれた朝からあまり離れようとしないようだ そして水底に落ち着いてから、沖(岸から離れた海の領域)をゆっくり目指す。
 成熟して、産卵時期になると海岸へ戻って来るわけだが、 その時には数キロくらい離れた沖まで移動しているとされる。

砂中で冬を超す日本のカブトガニの子たち

 カブトガニは、 日本で観察されてきた限りは、生まれてすぐ泳ぎ始めるということはあまりなく、砂の中でしばらくを過ごした後、生まれた翌年の春か夏くらいに、砂中から出てくる。

 カブトガニの産卵期は7月か8月ぐらいとされていて、まず砂中で冬越しをするのが、通例らしい。

 砂中暮らしの頃でも、砂の中に食料が保存されてあるわけではないのか、時々は餌を求めカブトガニの子たちは地上に現れる。
 古くは、満潮時(海面が一番高くなってる時)に砂中から出てくると考える人が多かったが、 そうでもないようだという調査報告もあるという。
むしろ中途半端な干潮時の方が、多くの幼生が姿を見せたりもするそうだ。

つがいの傾向、アジアとアメリカの種の大きな違い

 アジアでは、カブトガニは夫婦仲のよい生物として知られている地域もある。
産卵時期になると、浅瀬に近づいて来ることは古くから知られていたようで、それを利用してカブトガニを捕える方法を確立してきた地域があるが、浅瀬に向かって来るアジアのカブトガニは、すでにつがいを作っている場合がほとんどなのである。
 それにアジアのカブトガニは産卵時期にパートナーを見つけるのでなく こういう生活をしている時から、多くがつがいで行動しているのだという。

 アメリカカブトガニの場合は少し文化が違うようで、基本的に産卵時期になると、まずオスが浅瀬に来て、後からやって来たメスの中からパートナーを見つけて、子を生むのだという。
 ちなみにパートナーを見つけられなかったオスは、結局一頭で精子を放出するが、それで海面が真っ白に染まったりすることもあるそうだ。

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