「我々の宿命だ」
by.レオポルト・クロネッカー(1823~1891)
「我々は知らねばならない」
by.ダフィット・ヒルベルト(1862~1943)
「数学が役に立たない事の何が悪いのか、役に立つものがあれだけ悲劇を生んでるのに」
by.ゴッドフレイ・ハロルド・ハーディ(1877~1947)
「知ることが出来るのに、知らないでいるなんて悔しいじゃないか」
by.エドワード.チャールズ.ティッチマーシュ(1899~1963)
原論とはどのような書か?
幾何学と数論の書
『原論(Στοιχεία)』という書は、人類が書いた最も偉大な書のひとつとされる。
これが書かれたのは紀元前300年頃のギリシャ(が支配する地域)。
著者は、普通、エウクレイデス、あるいは(英語読みで)ユークリッドなる人物とされている。
様々な幾何学と数論の問題に関して、その役割、意味、応用方、存在の確かさが次々証明されていく。
というような構成。
聖書とどっちが偉大か
原論は、史上最も研究された書としても、おそらく聖書に次ぐ。
しかしその価値は、聖書より上だとする者も多い。
「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
異論もあろう。
あなたがキリスト教やユダヤ教の人でなくとも、あるかもしれない。
「なぜ顔を伏せる?あなたに悪の心がないなら堂々とすればいい」
「わたしには、あなたが尊く見える」
「誰か罪のない者は石をなげろ」
聖書は神を解こうとする。
喜びや悲しみ、あらゆる、感情を解こうとする。
この心は、気高いと証明しようとする。
一方、原論は解く。
点とは何かを、線が何かを定義する。
そして、およそ原論の著者が知り得たのであろう、全ての(単なる)形を解く。
神については触れない。
つまり聖書は、大切な挑戦なのである。
本当はあるのかもわからない、けれど最も大切だと考えられたものを理解しようとした天上の書なのだ。
で、原論は、限界までの妥協。
大した事でないのだとしても、理解可能なものを理解する、地に足つけた書なのである。
今では、原論のアプローチが正しかったと自信を持って言える。
千里の道は一歩から。
少なくとも、原論の一歩は、今でも、おそらく一億年後の未来でも重要な一歩だ。
けど千里を一気に越えようとした聖書は、一億年後どころか、多分現在でも、もう一歩分の価値もない。(注釈1)
だから個人的には、偉大なのは原論だと思う。
(注釈1)あまりに宇宙は広い
ここで言う一歩は、月での一歩などに比べても、ずっと大きな一歩である。
世界を理解しようとする試みで、原論が一歩目だとしたら、おそらく人類は今二歩か三歩目くらいであろうと思う。
エウクレイデス。その人の謎
アルキメデスとアポロニオスの著書にて
原論の著者であるエウクレイデスという人に関しては、実はほとんど何もわかっていない。
時代も古ければ、彼自身に関する記録も全然ない。
一応同時代の人達とされるアルキメデスや、アポロニオスが、それぞれの著書で、エウクレイデスの名を出している。
しかし彼らも、エウクレイデスに関して、引用元と書いてたりするだけで、その人柄などについては一切言及されてない。
アレクサンドリアにて。パッポスの記述
エウクレイデスがどのような人物だったのかの(現存するかなり確からしい)記録は、紀元後のローマまで待たなければならない。
3世紀頃のパッポスは、エウクレイデスがエジプトのアレクサンドリアにて活躍していた事を書いている。
どうも彼には弟子達がいたらしい。
また彼は身分や人柄に関わらず、純粋に数学への貢献を持つ者達に好意的で、かなり公平を重んじていたという。
数学は何の役に立つのか?ストバイオスの記述
5世紀にはストバイオスとプロクロスが、エウクレイデスについて書いている。
ストバイオスの話は、あまりに教訓めいてるところがあるが、原論の内用から想像される、エウクレイデスのイメージとはむしろ近いといえるかもしれない。
ある時、エウクレイデスのもとで幾何学を学んでいた人が、その最初の定理(おそらくピタゴラスの定理)を学び終えた時に、エウクレイデスに質問した。
「それでこれは何の役に立つのでしょうか?」
エウクレイデスは助手を呼んで告げたという。
「あいつに金をやれ。どうも利益の為に学んでるらしいから」
(何の訳にも立たないのに)なぜ数学を学ぶのか?
エウクレイデスからの回答である。
幾何学に王道なし。プロクロスの記述
プロクロスが記録しているのは、おそらくエウクレイデスの最も有名な話である。
エウクレイデスは、一時期、エジプト王プトレマイオス一世を教えていて、プトレマイオスは聞いた。
「原論は難しい。もっと簡単に幾何学を学べぬものか?」
エウクレイデスは答えた。
「王よ。幾何学に王道はなしです」
またプロクロスによると、エウクレイデスは、エウドクソスという人の研究成果をまとめ、テアイテトスという人の研究を完成させたという。
他にも多くの偉大な先人達の成果を、完璧な証明と共に記録していった。
原論はほぼ間違いなくそうして出来たものだが、もしかしたら他の著作もそうだったのかもしれない。
さらに、エウクレイデスは、プラトンの弟子達よりは後、アルキメデスやエラトステネスよりは前の世代だという。
プラトンに学んだ?
プロクロスは、エウクレイデスがプラトン主義者だったとしていた。
実際どうだったかはともかく、エウクレイデスがプラトンの弟子達に学んでいたか、少なくとも強い影響を受けているのは確かなようである。
紀元前387年頃にプラトンが立ち上げたアカデメイアの学校の生徒であった可能性もあろう。
そもそも原論は、プラトンの弟子達、友人達(エウドクソスやテアイテトスら)の成果をまとめあげた書とも言えるような内容である。
実は存在しなかった説
エウクレイデスなる人物は、実は存在しなかった説もある。
エウクレイデスは、魔術書の著者名にソロモン、錬金術の著者名にヘルメスを設定するようなものであった、のかもしれないという考えである。
「ソロモンの72柱の悪魔」一覧と鍵の基礎知識
「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石
つまり、エウクレイデスは人気のペンネームであったというのである。
もしくは単に、エウクレイデスという組織的なものがあったという説もある。
原論は全体に、記述が一貫していないように言われることも多く、それも複数人著者説の根拠とされる事もある。
しかしエウクレイデスは、過去の偉人たちを強くリスペクトしていたそうだから、その業績をまとめた原論では、功績を帰すべき者に合わせた書き方をしていた可能性はある。
なので、原論の記述の一貫性のなさを、エウクレイデスが個人でない証拠とするのは、ちょっと微妙。
その他の謎
原論は幾何学の本だが、エウクレイデスが書いたものとして、他にも光学や天文学、音楽理論の書などが(完全にではないが)現存しているという。
いずれのテーマでもプラトンの影響が見受けられるようである。
出身はいろいろ言われるが、アレクサンドリアではおそらくない。
アレクサンドリアだとする伝承などは乏しい。
非ユークリッド幾何学。原論の不完全性について
原論第一巻にて、記述された5つの公準を簡潔に書いてみる。
1、任意の点と点を結んで直線を作れる。
2、有限な直線をさらに伸ばす事が出来る。
3、任意の点に半径を設定して円を作れる。
4、あらゆる直角は、重ねられる。
5、(平面上の)平行線は必ず交わらず、平行線でない線同士は無限に延長すれば必ずいつか交わる。
1~4までは、簡単に納得しやすいが、問題は5である。
例えば有限の世界では、平行線でなくとも交わらない線同士がありえる。
この第5公準問題は、後に『非ユークリッド幾何学』として発展していく事になっていった。
「第五公準、平行線問題とは何だったのか」なぜ証明出来なかったのか
非ユークリッド幾何学とは、つまり第5公準(でなくともエウクレイデスが論証したはずの何らかの定義)が通用しないような領域の幾何学である。
例えばアインシュタインの相対性理論にも利用されたリーマン幾何学(曲がった空間の幾何学)も非ユークリッド幾何学である。
「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
そしてそのような幾何学は、つまり原論が、完全なものとは言えない事の証明にそのままなっている。
数学という学問の不完全さ自体も、エウクレイデスよりずっと後の時代に、ゲーデルという人が証明した。
彼は、数学の問題には必ず証明できない事がある、と証明したのだという。
ユークリッド幾何学(原論)は不完全。
そもそも数学は不完全。
それでも我々はピタゴラスの定理を使う時。
正弦定理、余弦定理の求め方、三角形いろいろ「三角比の応用」
素数を数える時。
「素数とゼータ関数」リーマン予想に晒された架空の実領域
平行線問題を考える時。
エウクレイデスの偉大さを実感できる。
それは確実である。