「ボーリー牧師館」イギリスで最も有名な幽霊物件の怪奇現象と研究記録

不気味な扉

イングランドで幽霊が最も頻繁に出没したところ

 幽霊屋敷として世界的に有名な『ボーリー牧師館(Borley Rectory)』、あるいは『ボーリー司祭館』は、イングランド、エセックス州のボーリーという村に、かつて存在していた。
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この館は1939年に焼失しているのだが、その翌年である1940年に出版された「イングランドで幽霊が最も頻繁に出没したところ(The Most Haunted House in England)」という本で、幽霊の出没する場として、広く知られるようになった。
上記の本の著者であるハリー・プライス(Harry Price。1881~1948)は、1946年にも、この館を扱った「ボーリー司祭館の終焉(The End of Borley Rectory)」という本を出版している。
それによって、この館はさらに有名になったそうだ。

一般的にはインチキとされる

 一般的にボーリー牧師館の怪異は、インチキと思い込みが生んだものとされている。
プライスも、生前はもてはやされたが、死後、さまざまなペテンの疑惑が浮かび上がってきて、今では彼の調査報告を疑わない者はほとんどいない。

 しかし、プライスのペテン師としての顔が知られるようになってからも、ボーリー牧師館を調査する心霊現象研究家は多い。

 プライスがあまり注目していなかった教会堂の方こそが、真の幽霊スポットという話もある。
ただし、教会の方での心霊現象は紛れもなく、よそから来た観光客や、研究家が遭遇しているだけで、地元の人たちにはほとんど経験がないらしい。

誰が幽霊屋敷と言いだしたか

ヘンリー・ブル

 ボーリー教会堂が建てられたのは12世紀頃とされている。
その教会堂の近くに、例の牧師館が建てられたのは、1863年のこと。
元々は、当時の地方の地主で、ボーリー教会の司祭であったヘンリー・D・E・ブル(Henry Dawson Ellis Bull)が、妻と14人の子供たちを住まわせるために建てた館である。

 ボーリー牧師館はレンガ造りの2階建てで、部屋は23室あるが、そのほとんど、周囲に植えられた樹木じゅもくの影になって薄暗かったという。

ブル家の女たちの幽霊話

 ハリー・プライスが、ボーリー牧師館を幽霊屋敷にしたわけではない。
少なくとも、ハリーが世間に広める前から、そこが幽霊の出る館という噂はあった。

 牧師館が建てられた地には、13世紀に僧院があったという。
どうも司祭館に後に現れた幽霊は、かつての僧院にいたある僧侶が、尼と駆け落ちした罪で処刑された。
具体的には、男は首を斬られて、女は壁に生き埋めにされたとか、という話と関連付けされていたらしい。
かつて僧院があったという話はかなり怪しいようだが、ボーリー牧師館を建てたヘンリーその人は、そう思っていなかった。

 ヘンリーと、1892年に亡くなった彼の後を継ぐことになった息子のハリー(Harry Foyster Bull)は、 幽霊の話をよく人に語ったという。
ブル家の者たちはよく、尼僧の幽霊が歩くのを見たそうである。
またブル家の女たちは、メイドに、「ここは幽霊屋敷」と楽しそうに語った。
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 当時の彼らの友人や知人の証言によると、館ではいつも誰かがいたずらをしているような音がしていたようだ。
館の中にいる時も、裏庭を歩く音や、隣接した納屋から、話し声や うめき声が聞こえてきたりもしたという。
馬に乗った首のない幽霊を見たとかいう話もあるらしい。

 しかしとにかく、ハリー・ブルも亡くなり、ブル家の他の者たちもこの館を去った1927年までには、もうそこはすっかり幽霊屋敷として定着していた。

記者と研究者

最初の記事。追加された(?)首なし馬車

 1928年の10月。
ボーリー牧師館に新しい司祭が赴任する。
G・エリック・スミス(Guy Eric Smith)という人だが、事前に聞かされていた話と違っていたのか、牧師館に関して、彼も、彼の妻も、ひどくがっかりしていたという。

 スミス夫妻は、この地に来るまで幽霊話のことは全然知らなかったし、そういう話があると聞かされてからも、単なる迷信と考えていたようである。
ただそういう話を信じて、夕方の集会に来たがらない人がいることが悩みだった。
そこで彼らは迷信を消しさるために、『心霊研究協会(Society for Psychical Research。SPR)』に調査を依頼しようとした。
だがその所在を、「デイリーミラー紙(Daily Mirror)」の編集長に、手紙で聞いてしまったのが失敗であった。

 派遣されてきたのは協会の研究員ではなく、新聞記者のウォール(V.C. Wall)という人物であった。
そして1929年に、ウォールは、その牧師館に関する、最初の記事を書いた。
その内容は「首無しの御者が操る不気味な馬車、孤独な尼僧の幽霊の、戦慄の物語」といった内容で、おそらくは若干の思い込みか、創作が混じっている。

心霊現象と降霊会

 ハリー・プライスに、ボーリー牧師館の情報を与えたのも、デイリーミラーの編集長だったようだ。
話を聞いた彼はすぐに、ボーリーの地を訪れた。
そしてそこで彼は、様々な怪現象に見舞われることとなったのである。

 彼が屋敷に足を踏み入れるとすぐに、石が飛んできて廊下の窓ガラスが壊れた。
さらに階段には、小石やコインなどが大量に降って、呼び鈴がひとりでに鳴り、壁の鏡からはコツコツと叩くような音がした。

 死者とのコミュニケーションを図る儀式である『降霊会(Séance)』も開催されたが、見事に心霊現象は起きた。
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ホイスター夫人のペテン

 なんにせよ、迷信は消えてくれそうになかったからか、1930年頃に、スミス夫妻は牧師館を去った。
次にやってきた司祭は、ハリー・ブルのいとこだったライオネル・A・ホイスター(Lionel Algernon Foyster。1878–1945)だった。

 ホイスターの赴任中、プライスが訪ねてきたのは一度だけだったようである。
しかしこの時期、この館での心霊現象は、2000件を超えるほどに起きたとされる。
声、足音などの謎の音、壁に書かれた謎のメッセージ、不審火。

 1931年。
プライスはハリー・ブルの未婚の姉妹に、ボーリー牧師館をあらためて調査するように依頼を受けたという話がある。
このブル姉妹の依頼の理由に関して、彼女らがいた頃の幽霊騒ぎは彼女らのペテンであったか、あるいは彼女らはその原因を知っていたのでないか、と考えている人も多い。
つまり自分たちがいなくなった後に発生した、発生するはずがない幽霊騒ぎが、今度こそ本物なのかどうか、気になったわけである。

 プライスは、「ヒステリーな気のあるホイスター夫人のペテンだろう」と結論をだした。

館の本格調査と焼失

 ホイスター家がボーリーを去ったのは1935年10月。

 また新しく赴任してくることになったヘニングという人が住まなかったために、ボーリー司祭館は空き家となった。
そして1937年5月19日。
プライスは牧師館を借りて、その館で起こる心霊現象をまた調べ始める。
その研究の成果をまとめて、本の形で出版したのが「イングランドで幽霊が最も頻繁に出没したところ」だった。

 プライスの賃貸契約が切れた後、牧師館を買い取ったウィリアム・グレグソン(William H Gregson)は、超常現象ツアーで一儲けしようとしたが、館が火事で焼失してしまったので、計画は中止になったという。

マリー・レールは実在したか

 1938年に「エセックス考古学協会(Essex Society for Archaeology & History。ESAH)」が、 幽霊の研究家であったシドニー・グランビル(Sidney H. Glanville)に宛てた手紙によると、かつてボーリーに僧院があったというのはデマらしい。

 ただし、そのグランビルは息子と娘の三人で行った降霊会で、ボーリーで殺害されたらしいマリー・レール(Marie Lairre)なる尼僧の話を聞いたそうである。
もっとも娘のヘレン(Helen Glanville)は、この事に関して、ボーリーの幽霊の本を読んでいたせいで暗示状態にあったかも、と『英国心霊研究協会(The Society for Psychical Research)』に報告している。

 グランビル家が出処かはいまいち不明だが、マリー・レールなる女が、ボーリー牧師館の尼僧幽霊として、広く信じられるようになったのは確かである。
プライスなどは、地下に埋められた、彼女らしき骨すら見つけたという。
それはあごの骨だったようだ。

 なぜかその発掘の際に、電線なども出てきたという話がある。
ボーリー牧師館は電気を利用してなかったそうだから、これはペテンの証拠とする意見もある。
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教会堂の方の怪異

 プライスは、1929年頃に、ボーリー牧師館でなく、教会の方のある噂を聞いていたらしい。
教会の地下には、ウォールグレイブ家のひつぎがあったが、19世紀に何者かが運びさってしまった。
しかしこの件について、プライスが深く追求することはなかった。

 教会の方が注目されるようになったのは、プライスの名声もだいぶ怪しくなっていた1970年代くらいかららしい。

 基本的に教会で起こる怪異は音のようである。
何かがこそこそと動いているような音や、何かが叩きつけられるような音、かなり大げさな足跡などが、心霊研究家の録音機などでもしっかりと記録されているようだ。

 ただし前述したように、教会での現象は、外部から訪れた調査者たちの体験談ばかりである。

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