ピリ・レイスの地図、オロンテウスの地図「南極大陸のオーパーツ」

オロンテウスの地図

謎の地図の真相。未知の南の大陸

テラ・オウストラリス・インコグニタ

 古代ギリシャ人は、地球が丸いことは知っていたとされている。
そして紀元150年くらいまでには、南半球に、自分たちがまだちゃんと知らない大陸があるということは想像されていたそうである。

 クラウディオス・プトレマイオス(127~160)が150年頃に書いた「地理学」を基に書かれた『プトレマイオス地図』に南極大陸が描かれていたという説もあるが、これは誤解らしい。
ただアフリカをはじめ、いくつかの地域を大きく描きすぎているから、旧大陸と陸続きの南極があるようには見えるという(注釈)

 そして古代ローマの時代。
世界地図にはよく、仮想的存在である『テラ・オウストラリス・インコグニタ(未知の南の大陸)』が描かれた。
「世界地図の海」各海域の名前の由来、位置関係、歴史雑学いろいろ
 そういうわけで、まだ南極に誰かが行ったという記録がなかった時代から、ギリシャやローマの影響のある文化圏の者たちの地図に、まさしくまだ見つかっていない南の大陸が描かれるということは、珍しいことではなかった。

(注釈)偉大なプトレマイオス

 プトレマイオスの地図は、むしろ当時としては、迷信的な架空の大陸をなるべく排除した、かなり実用的な地図だったとして、評価する向きもあるらしい。
 また、プトレマイオスの地理学には、「経度けいど(longitude)」と「緯度いど(latitude)」の概念を用いれば、 自分が現在地球上のどこにいるのかを示すことができるということも書いているという。
渦巻く風 「風が吹く仕組み」台風はなぜ発生するのか?コリオリ力と気圧差

巨大大陸メガラニカ

 大航海時代には、テラ・オウストラリスは、『メガラニカ』という名前でも知られるようになっていく。
エンリケの羅針盤 「エンリケ航海王子」世界史における、大航海時代を始めたポルトガルの王子
 メガラニカという名称は、有名な探検家であるフェルディナンド・マゼラン(1480~1521)の名前が由来とされる。
この大陸は、時期によっては、地球の南側の大部分を占める、かなりの巨大大陸としてイメージされていたようだ。

 最初に誰が発見したかは諸説あるが、それはともかく、実際に、氷河に覆われた南極大陸が発見されたのは、1820年頃のことらしい。
オーストラリア大陸はそれより早く、17世紀初頭に発見され、 最初それはメガラニカの一部と考えられたという。

 そういう事情でオーストラリア大陸が南極までは続いていないことを、ジェームズ・クック(1728~1779)が直に確認するまで、ヨーロッパでは、オーストラリアにまで及ぶ巨大なメガラニカが、普通に想定された。

 また、マゼランは、南米の南のフエゴ島を発見し、それもやはりメガラニカの一部と考えられていたとされる。

知られていないはずの大陸が描かれた地図

 1513年に書かれたとされる、アフメット・ムヒッディン・ピリ(1465~1553)の『ピリ・レイス(総督)の地図』。
1531年に書かれたとされる、オロンス・フィネ(1494~1555)の『オロンテウスの地図』の他。
有名なオカルト研究家グラハム・ハンコックの本(神々の指紋)で有名になったという、1538年作の『メルカトルの地図』、1737年作の『ビュアッシュ』の地図など、南極大陸らしきものが描かれた、 南極大陸の発見以前の時代の地図は多い。

 しかしこれらに描かれた南極大陸は、仮に南極大陸のつもりなのだとしても、時期的に考えて、まず巨大と想定されていたテラ・オウストラリス(メガラニカ)の可能性が高い。

 本当にすべてが架空の大陸にすぎないのだろうか。
また、架空の大陸でないとしたら、それらの地図に描かれた南極大陸は、何を意味しているのか。

チャールズ・ハプグッドの、ポールシフト仮説

地殻のズレで、大陸配置は変わったのか

 ピリ・レイスの地図と、オロンテウスの地図を、1958年の本にて、広く紹介したのはチャールズ・ハプグッド(1904~1982)であった。
彼は、激変的な「ポールシフト仮説」の支持者であり、南極大陸が描かれた古い地図は、自説の証拠になりえると考えたのだった。
ポールシフト 「ポールシフト」ハプグッドの地殻移動説。極は急速に動いたか
 ハプグッドのポールシフト仮説とは、「世界規模の氷河期など実はこれまでになく、周期的に地殻がズレることで、極地が変わり、その度に極地となった大陸などが氷づけになる」というようなもの。

 ハプグッドの説がプレートテクトニクス理論におけるプレートよりも、さらに表面の地殻が動く説であることは注意。
彼の本が出版された頃はまだ、こちらの理論は一般的ではなく、そもそもがまったく考慮されていなかったはずである。
プレート地図 「プレートテクトニクス」大陸移動説からの変化。地質学者たちの理解の方法
彼のポールシフトシナリオは、プレートテクトニクスが受け入れられる以前のいくらかの謎を解決しているように思えるし、南極の氷河に関する調査もあまり進んでいなかったので、かなり過激ではあっても、それなりに説得力がある説と考えられていたという。
相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタイン(1879~1955)も、ハプグッドの考えに感銘を受けて、本の序文を書いたことがよく知られている。
時空の歪み 「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙

アインシュタインも支持していた?

 晩年のアインシュタインは、どうも地球科学の分野に興味を持っていた感じがある。
ただし、いくら世紀の物理学者と言っても、彼は地質学、考古学に関しては門外漢であるし、しつこいようだが、彼の時代はプレートテクトニクス理論も知られていなかったということも注意だ(これは非常に重要である)。

 アインシュタインが支持していたのだから、 これはまず間違いなく凄い説だろう、みたいな書き方をしている本も多いらしいが、時代などを考慮すると別にそうでもない。

 また、ピリ・レイスの地図などに関しても、アインシュタインが支持していたかのように言われる場合もあるが、彼が感銘を受けたのはポールシフト説であり、地図ではない。

 実際問題、アインシュタインは、地図に関しては知っていたかどうかも不明。
ハプグッド自身、南極が描かれた古い地図の話に関して知ったのは、1958年出版の本の執筆中くらいの時期であったらしく、その本が世に出るよりも前に、アインシュタインの方が世を去っている。

 ポールシフト説に関しても、真面目に検討する問題と考えていた程度のことで、信じていたかどうかはまた別の話である(アインシュタインは、いろいろな研究者から、本などの序文を書いてくれるように頼まれていて、それなりに興味深い内容のものを、その中から選んでいたらしい)

南極大陸が氷河が形成されだしたのは、ほんの1万年前か

 ハプグッドの説では、他の地域が代わりに氷河に包まれていた時代に、南極大陸は暖かい地域にあった。
そして1万数千年くらい前に、劇的なポールシフトで大陸の分布が変わった。
そして極地に移動した南極大陸は氷に包まれていき、極地からズレた大陸の氷河は溶けていったわけだが、当然すぐさまそうなったわけではない。
極地に南極があって、しかしまだ氷がなかった時代があったはず。

 地図の製作には、より古い地図を参考にすることは多かった。
ハプグッドは、南極大陸は一万年くらい前にはまだ氷河に包まれておらず、その時の人類の記憶が伝わり巡って、ピリ・レイスらの地図に繋がったのだと考えたのだった。(注釈)

 しかし普通に考えるなら、 紀元前一万年くらいの時代に南極大陸に氷がなかったのだとしても、そこにそういう大陸があったという情報が紀元の頃にまで残るかは怪しい。
地球上に、ちゃんと文明と言えるような文明が誕生したのは、せいぜい紀元前5000年くらいの頃とされている。

 つまりは、ハプグッドのポールシフト仮説は、単に氷河期の謎に答を示すだけでなく、先史時代とされる頃に、高度な超古代文明が存在したという仮説と整合性があるように見える。
そのように考えた者は多いが、そういった人たちの中で、おそらく最も強い影響力を得たのがグラハム・ハンコックであった。

(注釈)少し優れた文明説

 氷に閉ざされていない南極大陸(あるいは超古代文明)に拘らなくても、古い時代にそれなりに発達した航海技術を持っていた文明があって、氷河に包まれた南極大陸にまでたどり着いていた可能性はある。

 テラ・オウストラリスも、適当に考えられたものでなく、ちゃんとそういうのを見たことがある人の証言をもとにして、想定されたものだったのかもしれない。

グラハム・ハンコックの、神々の指紋についての報告

超古代文明という全ての起源

 ハンコックは、例えばエジプトやメキシコのピラミッドには関連性があり、かつ、それらの建造物を作ることなど、一般的な古代の年代(せいぜい紀元前数千年程度)の文明には不可能であったと考えていた。
そこで彼は、何らかの理由でその技術を失いながらも、世界の様々な地域に文化の名残が伝わった、大いなる超古代文明があるという説を考えた。
メキシコの遺跡 「メキシコの歴史」帝国、植民地、そして自由を求めた人々
 あらゆる文明の起源である超古代文明があるという思想は、かなり古くからあるのは確かだが、具体的にいつ頃に期限があるのかは謎である。

 実際に多くの文明、特にエジプトは、いきなりそれなりに高度な文明が紀元前4000年くらいに誕生したようにも見えるとして、「どこかから遺産を受け継いだのでないか」と推測されることもある。
もっとも、単にその頃に文字が発明されたということだけで、説明としては十分かもしれない。
エジプト学者は時々、「まるで、ある日に目が覚めたら突然に本があった」などと言ったりもするが、どちらかというと、「ある世紀に、突然本があった」の方が実情には近いと思われる。
言葉がすでにあって、そこで一旦文字が開発されたなら、一世紀もあれば本くらい書くようになってもおかしくないだろう。
人間は好奇心が強いのだ。
古代エジプトの歴史 「古代エジプトの歴史」王朝の一覧、文明の発展と変化、簡単な流れ

アトランティス、ムーは、海に沈まず、氷づけになったのか

 とにかくハンコックは、様々な文明の起源となる超古代文明の存在していた時期を紀元前1万年ぐらいと考えたらしい。
彼は、神話や伝説というのが、かつての超古代文明に関連していると想定していたから、アトランティスの伝説から、そのくらいの時代に起源文明を設定するのは当然であろう。
幻の大陸 「アトランティス」大西洋の幻の大陸の実在性。考古学者と神秘主義者の記述。
もとはアトランティスの別名という仮説から誕生したとされているムー大陸文明も、そういう事情もあって、時代的にはアトランティスと同じような時代の文明とされているから、やはり、このくらいの年代に超古代文明を設定するのは妥当だ。
「ムー大陸」沈んだ理由、太陽神信仰の起源、忘れられた世界地図、機械仕掛けの創造宇宙
 だが、ハンコックは、海洋の調査が進み、アトランティスやムーのような大陸が、ほんの数万年前程度の昔に存在していた可能性が低くなってきていることは無視しなかった。
彼はそこで、ハプグッドのポールシフト仮説を引っ張ってきた。
ようするに、失われた超古代文明が存在した大陸は、海に沈んだのではなく、氷に閉ざされたのだと考えたわけだ。

 ハンコックが自説を紹介する本を書いた頃には、南極の氷河の調査も進み、南極大陸は、一万年前はもちろん、数十万年前も氷に覆われていた可能性が高まっていたが、彼はその点は無視した。

大災害があったのか

 ハプグッドの説が正しいと想定したハンコックは、エジプト第四王朝(紀元前2500年くらい)のクフ王のピラミッドや、メキシコのオルメカ文明(紀元前1200年くらい)の巨石人頭像きょせきじんとうぞうなどは、実はかつて(紀元前1万年くらいに)栄えた超古代文明が残した遺産と推測。

 そして、南極大陸が描かれた多くの古い地図は、その参考として、超古代文明の生き残りが、南極大陸が氷河に覆われる以前に描いた、さらに古い世界地図を使っているから、という理由を提案した。

 さらに超古代文明が滅びた理由に関しては、劇的なポールシフトを引き起こしたほどの大災害であるとした。

空白期間の謎。秘密の知識の秘密結社か

 ハンコックの説は、彼の主張を全て鵜呑みにするのだとしても、大きな問題点を残している。
ハンコック自身の主張によれば、超古代文明が存在したのは紀元前1万年くらいまでのこと。
そして、彼らが遺産を受け継がせた新世代の文明が、ようやくまともに機能しだしたのは紀元前4000年くらいから。

 6000年くらいの空白期間は何だったというのか。
ただこれに関しては、新世代の人たちが、自分たちの文明を受け入れれる程度に成熟するまで、ひっそりと待っていたという説明がある。
超古代文明の知識を伝播する、秘密結社的なものが存在し、時期をみて知識をばらまくという使命を果たしたらしい。
実はそれがフリーメーソンの起源とか、現在でも文明の歩みをコントロールしているとか、そういう説すらある。
フリーメーソンのイギリス 「フリーメイソン」秘密結社じゃない?職人達から魔術師達となった友愛団体

ピリ・レイスの地図。最もよく知られた地図のオーパーツ

トプカピ宮殿での再発見

 ピリ・レイスの地図は、地図の『オーパーツ』の中では、おそらくもっとも有名。
ピリはオスマン帝国の軍人であったが、現在では地図製作者としてかなり知られている。
おそらく全体図は現存しておらず、現在残っているものは破れた一部分とされている。

 この地図は1929年に、トルコの「トプカピ宮殿」という博物館で、神学者のグスタフ・アドルフ・ダスマン(1866~1937)によって再発見されたという。
この地図に、南極大陸が描かれていると最初に主張したのは、退役軍人のアーリントン・ハンフリー・マレリー(1877-1968)だったようで、ハプグッドも、彼からこの地図について教えられたらしい。

人工衛星と一致する謎

 この地図は、エジプト上空の人工衛星から地上を映した写真と比べて、南米とされている辺りの地形の輪郭が、奇妙なほど一致することがよく知られている。
しかしこれは、単純に偶然とするのが通説である。

 南極大陸とされる部分は、南米とされる部分と繋がっていたりといった明らかな間違いがあるから、ピリ自身が人工衛星から見たことあるくらいに世界の地形に詳しかったわけでないことは間違いない。

 ピリは、古いのから最新(コロンブスの地図)まで、20ほどの地図を参考に、この地図を作ったと書いているが、その参考にした中には、プトレマイオスの地図もあったらしい。
ハンコックや彼の支持者は、そのプトレマイオスの地図も、実はさらに古い時代の地図を参考にしたのだろうと主張している。
ここに、南極大陸が描かれているのはそのためだという。

 しかし、その南極大陸が、南米と繋がっているのはどういう理由なのだろう。

実際に地図として、どんなレベルなのか

 とりあえず、ピリと同時代(16世紀)において、優れた地図とされているものと比べると、ピリ・レイスの地図は、 純正の地図としてあまり優れているとはいえないという意見もある。

 例えば、中南米海岸を非常に優れた精度で描いたとされるディエゴ・リベイロ(?~1533)。
オランダの地図学の黄金時代を始めた一人とも称されるアブラハム・オルテリウス(1527~1598)。
多彩な才能の数学者であったエメリー・モリンウー(?~1598)とエドワード・ライト(1561~1615)の地図などは、特に評価が高い。

オロンテウスの地図。最近発見された謎

 オロンテウスの地図は、はっきりとテラ・オウストラリスの名称がはっきり書かれた最初期のものともされ、その名前に続き、「Recenter inventa sed nondum plenè cognita(最近発見されたが、まだ調査はされていない)」と書かれている。
おそらくは最近の発見とは、マゼランの(フエゴ島の)報告であろう。

 その書き込みから、オロンテウスの地図の南極大陸は、明らかに(半)架空大陸メガラニカであり、そもそも謎でも何でもないという意見は多い。

 地図を書いたオロンス・フィネという人は、数学者であり、天文学者で、占星術師でもあったらしい。
ただし彼の生きていた時代においては、天文学者と占星術師との区別はかなり曖昧であった。
占星術 「占星術」ホロスコープは何を映しているか? ノストラダムス 「ノストラダムス」医師か占星術師か。大予言とは何だったのか。
 ハプグッドは、このオロンテウスの地図を、まさしく正真正銘、それほど昔でなく、かつ氷に覆われていない南極大陸の、重要な証拠であると考えていたらしいが、その「最近発見された」という書き込みについては、どのように考えていたのであろうか。

 もちろん、この「最近発見された」という言葉が、参考にされた地図に書かれていて、深く考えないまま、(あるいは逆に何らかの深い意味があって)そこに写したとか、そういうふうに想像することはできる。

コメントを残す

初投稿時は承認されるまで数日かかる場合があります。
「※」の項目は必須項目となります。
記事内容の質問などについて、(残念ながら管理人の知識的に)お答えできない場合もあると思います。予めご了承ください。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)