「シリウスミステリー」フランスか、宇宙生物か。謎の天文学的知識

エーリッヒ・フォン・デニケンの古代宇宙人説

 「古代と呼ばれる時代に、地球に宇宙人が飛来して、文明の種をまく」という、SF作品ではお馴染みのシナリオを一般的に有名にしたのは、1968年公開の映画『2001年宇宙の旅(2001: A Space Odyssey)』とされている。
そして、それが単なるSFのアイデアではないかもしれないという思想を広めたのは、エーリッヒ・フォン・デニケンが書き、上記の映画と同じく1968年に出版された『未来の記憶(Erinnerungen an die Zukunft)』という本であった。
この本はまた、「Chariots of the Gods?(神々の戦車)」という英語タイトルでも有名である。

 もっともデニケンは後年に数多くの間違いを指摘され、いくらか意図的な嘘すら判明したために、現在では、古代宇宙人説の信者にすら、たいていの場合、真剣に読まれていない。

間違いとインチキの暴露

 例えばデニケンは、ピラミッドのような建築物や、イースター島のモアイのような巨像は、当時の技術では作れるわけがなく、すでに高度な文明を持っていた宇宙生物が作ったとしか思えないとしていた。

 しかし、ピラミッドに関しては、当時のエジプトには「ロープもなかった」という主張は、多くのエジプト学者から「普通に絵に描かれてたりする」と反論を受けている。
モアイに関しては製作はともかく、運べるかは確かに問題とされていたこともあったらしいが、トール・ヘイエルダール(1914~2002)が、実際に島の住人と、木の棒のローラー(ころ)や縄などを使い、可能であることを実演して証明した。

 ほぼ決定的になったのが、「神々の黄金(The Gold of the Gods)」という本で語られた、「エクアドルの遺跡で古代の図書館を発見した」という彼の話であった。
これは後に嘘だと、同行していた探検家に暴露されたのである。
デニケン自身も「大衆の人気を得るために誇張した内容を書いた」と認めるにいたったのだ。

 デニケンは他には、マヤの(一般的には7世紀くらいのパカル王と、トウモロコシとか、大地の怪物とかを描いたとされる)「パレンケの石棺の絵」が宇宙船に見えるという説を広めたりもしている。
ただし、これが宇宙船だとしても、むき出しで乗っているように見えるから、明らかに妙である。

シリウス・ミステリーとは何か

 デニケンの本で有名になった情報は一つ残らず怪しいとされているのが通例だが、「シリウス・ミステリー」と呼ばれる、アフリカのドゴン族という人たちに関する謎だけは、比較的真面目に検討する必要があるものと考えられている。

ドゴン族の天文学的知識

 ドゴン族は、アフリカのマリ共和国の民族である。
シリウス・ミステリーが世に知られるようになった1940年代くらいの頃は、フランスの植民地であった。
古いオカルト本などでは、まるで未開の部族の人たちかのように扱われている場合もあるが、実際には、フランス人の民族学者や、宣教師などと普通に接触や交流もあったようである。

 しかしそれでも、このドゴン族が、妙に天文学的な知識を持っていたことは確かに謎ではある。
よく言われているのは、ドゴン族は、(当然、望遠鏡など持っていないだろうに)木星に四つの衛星があることや、土星に輪があることなどを知っていたということ。
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そして、19世紀まではヨーロッパでも知られてなかった、おおいぬ座のシリウス星の「伴星(Companion star)」の存在を知っていたこと。
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また、彼らは月に関しては「乾いて死んでいる」と主張していたらしい。
他に、寺院には、地球の自転や公転。
星は無限に広がっていること。
公転する星の軌道が楕円であること(ケプラーの法則?)まで知っていたらしいが、この辺りの話は、より怪しい。
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白色矮星シリウスB

 シリウスは古くから知られている「恒星(fixed star)」であるが、肉眼では単体に見えるので、長らく「連星(Binary star)」であると知られていなかった。

 しかし1841年に、フリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(1784~1846)が、星の挙動から、伴星の存在を予測。

 1862年にはアルヴァン・グラハム・クラーク(1832~1897)が実際にその星、最初から知られてた方を「シリウスA」として、「シリウスB」と呼ばれるようになった、その星を発見した。

 さらに1915年、ウォルター・シドニー・アダムズ(1876~1956)のスペクトル分析の結果から、シリウスBはおそらく「白色矮星(white dwarf)」と考えられるようになった。
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 ドゴン族は、そのシリウスBをなぜか知っていたらしいというのが、シリウス・ミステリーである。

起源はヨーロッパ人か、シリウス人か

 シリウス・ミステリーで重要なのは、ドゴン族は、20世紀までにヨーロッパで知られていた以外の天文学知識に関しては、なかなかデタラメとされていることである。

 ドゴン族たちは「我々のシリウスの知識は、そこからやってきた宇宙人から伝えられた」というふうに語ったりもしたらしい。

 シリウスの伴星のことは知っていて、他の多くの天文学的知識がデタラメだとしても、シリウスの話のみ、そこから来た宇宙人から特に重要として伝えられたから、と推測することはできる。

 一方でシリウスは、挙動から観測されていない伴星の存在が予測された最初の星であり、1910年のエリダヌス座オミクロン2星の伴星に続く、二つ目にそうだと確認された白色矮星である。
つまりシリウスBは、20世紀初頭くらいの知識人の間では、よく知られていた話題性の高い星であったと思われる。
そこで、ドゴン族と接触した誰かが、天体に興味を持っていた彼らに対し、最新のホットな話題として、シリウスBに関する話を語ったのではないか、という説もある。

 ただ、比較的遅れてる文明の民族達と接触したとして、わざわざ天文学の講義なんてするか、という疑問を持つ者は多い。
シリウスの話題くらいならともかく、土星の輪や、木星の衛星などまで、熱心に彼らに伝えた者たちがいたのだろうか。

 もっとも、土星の輪や、木星の四つの衛星などは、理想的環境で、優れた視力の持ち主であれば、肉眼で確認できるという話もある。

人類学研究の難しさ

半魚宇宙人ノンモ

 ドゴン族が、シリウスの伴星の存在を知っているという事実を最初に報告したのは、マルセル・グリオール(1898~1956)とジェルメーヌ・ディテルラン(1903~1999)の二人であったという。

 1931年くらいからドゴン族と実際に暮らしたりもした二人は、1946年に部族の宗教的に特別な地位を授かり、それでようやく神話の形で、シリウスに関連する話を伝えられたらしい。

 どうも、昔に「ノンモ」という半魚人みたいな宇宙生物がシリウスから地球にやってきて、地球人に文明というものをもたらしたのだという。

伴星はふたつある

 ドゴンの伝承によると、トポロ(シリウスB)は地球に比べてとても重い星らしいが、実際にシリウスBは白色矮星であり、地球と比べるとかなり重い。
それと、伴星はさらにもうひとつあるという。

 グリオールら以前には、ドゴン族のシリウスに関する伝承などなかったのでないかと疑う声もある。
しかし、彼らが、親密になってようやく、少数の者だけに伝わる秘密を教えられたというのなら、彼ら以前に知られていなかったのは、あまり妙な話でもない。

 そして、ドゴンは宣教師などからシリウスに関する情報を得たのでないか、という疑惑に、ディテルランは、三つの星のシリウス星系の図は、数百年前の道具にすでに描かれているとも反論しているという。

トポロは本当にシリウスBか

 実際のところはどうか。

「それがシリウスに近づくと、シリウスはより明るくなり、離れた時は光は途切れ途切れになり、それはあたかも複数の星のようになる」というようなグリオールの報告もあるようであるが、これは実際問題、どういうものを想定しているのか。

 グリオールは、シリウスをドゴン族は「シグトロ」と呼ぶとしていたようだが、後に、グリオールらと同じように、ドゴンと長期間付き合ったウォルター・ファン・ビークは、シリウスミステリーの発端となった最初の調査報告は怪しいと結論した。
ビークの発表は1991年である。

 まずシグトロとノンモ関連の神話は、秘密の教義というだけあり、グリオールへの情報提供者は比較的少数であった。
そのグリオールは、彼自身が天文学に強い興味を持っていて、フィールドワークの際にも、星図を持ってきていたのだという。
当然ながら小さく重い白色矮星シリウスBの発見も、彼はよく知っていた。

 人類学のフィールドワークにおいて古くからある問題が、情報提供者たちが見返りを期待して、調査員たちの期待に沿うような話や材料を用意したがるということ。

 グリオールは長くドゴンと付き合った上で、シグトロの話を聞いたのだ。
だとすると、上記の問題点がそこに発生していたという可能性を、無視はしにくい。
シリウスの話(天文学の話)はグリオールがまさしく期待していたものなのだ。

 可能性の裏付けとしてベークは、グリオールがシリウスと言っていたシグトロなる星について、実際に情報提供者であった複数人に話を聞いて回った。
すると、人によってシグトロは、どのような星か意見が違い、金星がある場所からはそれに見えるという者もいた。
しかも全員が、そのシグトロを、グリオールから教わったという部分は共通していたという。

 ベークは、ドゴンに共有知識として知られていたシリウスは「ダナトロ」という名称であり、シリウスBに関して知っていたのは、グリオールの情報提供者だけだったと報告した。

 また、マルセル・グリオールの娘であるジュヌヴィエーヴ・カラメ・グリオール(1924~2013)もまた、ドゴンの研究に熱中した。
その彼女は、難解な伝統に対する調査方法を誤ったのはベークの方だと、彼の主張を批判したそうである。

ノンモは実在していたか

 ノンモは、基本的には水中に適応しているが、一応陸に上がってくることもできる生物だったそうである。

 バビロニアには、 「オーネ」あるいは「ダゴン」と呼ばれた、魚の尾を持つ生物が科学をもたらしたという伝説があり、ノンモと何らかの関係があるのでないかという指摘もある。

 ロバート・カイル・グレンヴィル・テンプルは、『知の起源―文明はシリウスから来た(The Sirius Mystery: New Scientific Evidence of Alien Contact 5,000 Years Ago)』なる著書で、グリオールらの報告を手がかりとした文明半魚宇宙人起源説を大きく広めた。
しかしテンプルは、大げさな記述や、検証の際のデータ不足などを 問題視されることもある人物らしい。

 ノンモの乗ってきた宇宙船は、地上に近づいてきたとき土が巻き上げられ、着陸は小型カプセルで行われたという。
さらに、着地の際には炎が起こった。
またその時、空に星のごとく輝く物体があったようだから、それは母船だったのでないかと勘ぐる者もいる。

 とりあえず、宇宙船やらカプセルやらの話を、天空神の神話などから解釈し持ち出すことは、そう難しくないだろう。

 グリオールは、ドゴンの天文学の知識が深いことを望み、テンプルは、ノンモが地球に文明をもたらした宇宙生物だったということを望んでいたから、結果的にそのような物語が創作されることになったのだろうか。

失われたエジプトの叡知は関係あるか

 シリウスはともかくとして、木星の衛星や、土星の輪は、ガリレオの時代の精度の望遠鏡があれば、発見するのはそう難しくないだろう。
それなりに高度な文明を持っていたと考えられる古代エジプト文明では、レンズは知られていたそうだから、それを組み合わせ、望遠鏡を開発していたのでないか、という「古代望遠鏡説(Ancient telescope theory)」は、ありえそうではあるが、根拠は薄い。

 しかし、(宇宙人説とはまた別に)ドゴン族の(特にシリウスに関する)天文学的知識がエジプト文明から伝わったものでないか、と考える者は多い。
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 ガイウス・ユリウス・カエサル(紀元前100~紀元前44)がもたらした火災は、アレクサンドリア図書館の4万巻にもおよぶ巻物を、そこに記録されていた様々な叡知とともに、破壊してしまったとも伝えられている。

 また642年には、アムル・ブン・アル=アース(583~664)率いるムスリム(イスラム教徒)の軍にアレクサンドリアが征服され、図書館は二度目の大規模破壊を受けたという。
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真実かはやや怪しいようだが、カリフのウマル・ブン・ハッターブ(592~644)が部下に、「ここに保管されている書物に書かれてることが、コーランと同じならば無用であり、もしもコーランと異なっているのならば有害なものだ。いずれにしても燃やしてしまえ」と命じたらしい。

 そうして消失してしまった知識の中に、シリウスBの存在を推測できるほどの、高度な物理学、数学の知識もあったのかもしれない。

 ドゴン族に伝わっていたシリウスに関する神話は、失われたエジプト文明の偉大な記録の断片なのではなかろうか。
そう考えるのもまた面白いだろう。

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