トラウマは心の傷
トラウマ、『心的外傷(psychological trauma)』は身近な衝撃である。
それがなぜ身近なのか、あまりにも当たり前のこと。
自分にとって一番近いもの、それは自分の心。
そしてトラウマは「心の傷(wound on my heart)」、あるいは「傷痕(scar)」のことだ。
トラウマができる原因は、肉体的なもの、精神的なもののどちらもある。
親からの暴力、知り合いからのいじめ、社会に馴染めない者へのあらゆる仕打ち、恐怖の出来事や戦争。
「自閉症の脳の謎」ネットワークの異常なのか、表現された個性なのか
そういう原因となり得る体験を『外傷体験(traumatic experience)』とか、『トラウマ体験』と言う。
一般的に強烈なトラウマ体験は、感情の起伏、社交性、生理的作用などに影響を与えたりする。
もっと大規模な場合もある。
時には、ある一族に闇を被せたり、歴史や文化に影響を与えることすらあるとされる。
様々な、本来想定してないことや、想定せずともよいはずであることの根底には、トラウマがある。
トラウマのせいで怒りやすくなったりした人を周囲は恐れたりするが、その根底にあるトラウマ体験を直接的に恐れているのは、なにより本人であろう。
普段はそんなことを忘れたというように振る舞っていても、何か少しでもそれに関連するような出来事と出会うと、突如として、精神的にその体験がよみがえり、どうしても反応することをやめられない。
どれだけ考えたくなくても考えてしまうことがある。
そして、自分のコントロールを失うことは恐い。
脳システムのバグなのか
我々のあらゆる感情や行動には、脳のシステムがあることが今ではよく知られている。
トラウマは脳のシステムのバグみたいなものと言えるかもしれない。
神経系は、代謝、呼吸、感覚知覚、睡眠、排泄、ストレス、成長、運動、気分などの生理的なことの調節をするための『ホルモン(hormone)』という化学物質を分泌し、生物をコントロールしている。
「ストレス」動物のネガティブシステム要素。緊張状態。頭痛。吐き気
トラウマは、ホルモン調整を狂わせる。
それは、この領域を破壊する場合もある。
社交性の欠如、学習能力の低下、意思の弱さなど、すべて脳システムに起きた変化が原因となる。
そしてそういう変化を急激にもたらすものこそトラウマ。
帰還兵とPTSD
PTSD、心的外傷後ストレス障害の原因になりうること
戦場から帰還した兵士などは(おそらく戦場でどれほどに活躍したかには関係なく)、自分は役立たずなのではないか、というような考えにとらわれることが多いという。
そういう人たちは、自分の殻に閉じこもり、他の物事に対する関心を失ってしまう。
何よりも、自分をそのような状態にまで追い詰めたほどの恐怖を、いつまでも忘れられないでいる。
その恐怖が彼らの心身を縛るのだとされている。
そういう状態を、我々は『PTSD(Post Traumatic Stress Disorder。心的外傷後ストレス障害)』と呼んでいる。
戦争体験以外にも、自然災害、事故、犯罪被害などもPTSDの原因になりうる。
常につきまとうような不安、緊張から、頭痛がしたり、眠れなかったり、何事にも無気力になったりする。
ただしそういう症状が起こったとしても、一時的なものにすぎず、以降に再発したりすることもないのなら、PTSDとは見なされない場合もある。
少なくとも、一時がすぎて、すっかり治って再発しないような程度なら、一般的にはそれほど問題はない。
複雑化する心の問題
PTSDは、 ただすべてから逃げているわけではない。
これに関する問題はかなり複雑な場合が多い。
例えば目の前で地雷が爆発し、仲間を失ってしまった人は、平和な生活に戻ってからも、何度も何度もその光景を夢に見る。
一般的にそのようなものは悪夢だ。
そして今は、そのような悪夢に悩まされる人に対しての薬というものがある。
だが精神科に、自分の苦しみを訴えに来た人ですら、薬を拒否する場合がある。
例えば、彼らは悪夢からの苦しみから逃れたいと考えながらも、もう一つ大事なことを忘れたくないと思っていることもある。
目の前で死んでいった仲間たちのことだ。
それを忘れてしまえば、楽であろうに。
それを忘れてしまう事は、仲間たちに対する裏切りのように考えてしまうのだ。
もしかしたら、真なる苦しみを知ったような人こそ、本当の友情とか思いやりいうものを理解できるのかもしれない。
しかし苦しみから逃れようとするなら、それらの要素がどうしても足かせにもなる。
酷い目にあわされた時、酷い事をしてしまった時
また、トラウマというものは、自分が酷い目にあわされた時にだけ生じるものではない。
戦争ではよくあることだという。
自分と寝食を共にしていた仲間が、突然に敵にやられた場合、それが悲劇の始まりにすぎないこと。
翌日。 自分の仲間を殺したのは誰かもわからないのに。 その敵と同郷の者であるというだけで、 無抵抗な民間人たちを復讐として攻撃し、残虐な行為をする。
どういう精神状態なのか想像できるという人もいるが、確かなことは、おそらくその瞬間の本人にしかわからない。
ただそうことをした人(戦争の場でなければ、罰として死刑になってもおかしくないような行為をした人)が戦場から帰還した後、遠くからずっと励ましの手紙を送ってくれた家族や友人や恋人、自分の子供に対して、引け目を感じないでいられるだろうか。
当時の自分の精神状態がどういうものであったにせよ、そうでない時の自分がどういう人物であるにせよ、思い出の中に自分として存在している限り、それは自分だという認識からは逃れるのは難しい。
恐ろしいものを抑えられない
戦時中に行われる残虐行為はよく、身の毛もよだつような行為と言われる。
そんなことをする人はひどいやつだと、多くの人が思うだろう。
だが自分は普通であると信じていた人が、もしもそういう行為を行なってしまった場合、その人は自分の中に存在していた残虐性に苦しむ。
人によって怒りを感じることは違うだろうが、一度でも怒ったことがないという人は珍しいはず。
だがどれほどに怒ったとしても、ほとんどの人は、 後で口にするのもはばかられるような残虐行為を怒りの対象に行いはしない。
それは我々に『理性(intellect)』と呼ぶような。 ストッパーが働いているからだ。
理性は、我々の脳の典型的なシステムの一つだが、もしも強いショックなどで、その機能が麻痺している場合はどうなるか。
強い怒りを抑えられず、それを発散しようと恐ろしい行動に出ようとする自分を、自分だけで抑えることは難しいと考えられる。
それに、ストッパーが効かずに、普通は考えられないぐらいの高まった感情を自分の中に悟った人は、普通の状況ではありえないような、その憎しみとか恐怖とかの強さ自体が、恐ろしいだろう。
想像力を利用したロールシャッハ・テスト
精神科医ヘルマン・ロールシャッハ(1884~1922)が考案した『ロールシャッハ・テスト』というものがある。
これは、カードなどについたインクの染みを、被験者に見てもらい、そこから想像してもらったことから、精神状態などを検査するというもの。
科学的根拠に乏しいとされる一方で、どう答えるとどのような診断をされるかが、被験者に想像しづらいということで、効果を期待しやすい精神分析テストである。
トラウマ研究家として知られる精神科医のベッセル・ヴァン・デア・コークは、戦場でのトラウマを抱えた帰還兵の多くは、このテストで何でもないような染みから、個々のトラウマを思いだすことを示した。
あるいは妙に落ち着きある態度で、「ただの染みです」などと答えることが多いのだという。
どちらの反応でも、想像力の欠如でないかという疑いがある。
人は想像力豊かな生物である。
なんでもないような染みから、いろいろなものを想像することができる。
だが帰還兵の上記のような答は、何も新しいものを想像してはいない。
ただ過去のトラウマを思い出しているか、何も想像しなかっただけだ。
動物実験とストレス
動物に心があるかどうかという議論がある。
だが少なくとも、 いくつかの動物はまず間違いなく、ストレスを感じるし、トラウマを負うことがある。
電気ショックから逃げない犬たち
1960年代くらい。
心理学者のマーティン・セリグマンとスティーヴン・マイヤーが共同で行った動物実験はよく知られている。
彼らは檻に閉じ込めた犬たちに、電気ショックを繰り返し与えた。
「人間と動物の哲学、倫理学」種族差別の思想。違いは何か、賢いとは何か 「犬」人間の友達(?)。もっとも我々と近しく、愛された動物
犬はあらかじめグループ分けされていた。
先に電気ショックを何度も繰り返し浴びたグループと、まだ受けていないグループだ。
檻を開き、セリグマンらは、また全員に電気ショックを与えた。
すると、そこで初めてショックを受けた犬たちはすぐさま檻から逃げ出したが、何度も電気ショックを受けていた犬たちは逃げださなかった。
その逃げなかった犬たちはその場に横たわり、泣きながら脱糞していたという。
なんでも電気ショックをあげたことで、犬たちは逃げる機会にすら無力感を持つほどにトラウマ状態になってしまったのだろうか。
おそらくはそうなのだろう。
ただし、犬の心理ははっきりわからない。
人間ならば、なぜ逃げないのかは、ある程度想像して説明をつけることはできよう。
まるで世界の全てが、そのようなショックにあふれているような気がしてしまっているなら、逃げるのは無意味である。
あるいは、これほどひどい目にあわされた末に解放されるなど信じられず、もっとひどい罰があるのではないかと恐れてしまうとか。
つまり少なくとも犬は、はっきりと我々がトラウマというようなものを抱えうる。
しかし、それが我々の感じるようなトラウマとまったく同じものであるかについては、まだ確かなことは言えない。
恐怖しかなくとも、居場所であるのか
ネズミや猫、ゾウやサルなどを使った動物実験においても、トラウマに関するデータはとられている。
「ネズミ」日本の種類。感染病いくつか。最も繁栄に成功した哺乳類 「象」草原のアフリカゾウ、森のアジアゾウ。最大級の動物
普通に育てられたマウスに、大きな音を与えてやったらすぐさま逃げ出す。
しかし騒音ばかりの環境で、わずかな餌で育てられたマウスは、その後に、明らかにもっと楽ができる環境で、ある程度の時間を過ごしたとしても、結局、不快しかないような住みかへと戻る傾向にあるのだという。
これは注目すべきことであろう。
怯えた者は、自分の居場所がどのような場所であろうが、結局そこに戻る。
戻っていく。
このようなことはまた、やはり人間にもあるとされる。
家で理不尽な暴力や支配を受けて、ひどいトラウマを植え付けられた者は、そこから逃げるチャンスがあったとしても、逃げない場合がある。
つまり、電気ショックの恐怖から、あえて逃げない犬たちと同じなのかもしれない。
ストレスホルモンの数値
ストレス反応を引き起こすホルモンを『ストレスホルモン(Stress hormone)』と言う。
ストレスホルモンには、「副腎皮質刺激ホルモン(adrenocorticotropic hormone。ACTH)」。
「プロラクチン(Prolactin)」。
「バゾプレシン(Vasopressin)」
「オキシトシン(Oxytocin。OXT)」
「コルチゾール(Cortisol)」
「アドレナリン(adrenaline)」
「ノルアドレナリン(noradrenaline)」など、いろいろ種類もある。
マイヤーは、トラウマを負った犬は、ストレスホルモンの分泌が激しい事実を確認している。
そしてこのことは、人間のトラウマ研究でも、似たような結果が発見されている。
トラウマを負った人は、 その出来事がすっかり過ぎ去った後になっても、ストレスホルモンの分泌を休めないのだ。
一方でPTSD研究者のレイチェル・イェフダは、PTSD患者の場合、ストレスホルモンであるコルチゾールの生産率が低いことを確認。
イェフダはコルチゾールについて、「カテコールアミン(catecholamine)」という構造を持つ、(ホルモン調節に関わっている)「ドーパミン(dopamine)」や、アドレナリン、ノルアドレナリンなどの生成を抑える働きをする場合があることも突き止めた。
つまりPTSD患者は、なんらかの危機の時、その危機を回避するために分泌されたストレスホルモンが、正常になかなか戻らない。
そして、過剰に分泌されるストレスホルモンが、結果的に動揺やパニックとして現れる。
トラウマを受けた直後には、コルチゾールが高まり、徐々に低下して、すっかりPTSDの状態に陥る頃には、通常以下になる、という流れがあるともされる。
なぜ自分を傷つける誰かを愛してしまうのか
普通に考えて酷い環境であっても、そこが戻るべき自分の場所なのだと考えてしまう人も、確かにいるのだという。
また、著名な心理学者リチャード・レスター・ソロモン(1918~1995)は、人間は、一般的に不快だったり、苦しかったりする刺激にすら順応することがある、と述べた。
これは重度ののものでないならば、かなり多くの人が経験することではなかろうか。
例えば、最初食べた時まずいと思ったものでも、なぜかそのまずさがクセになってしまったりとか。
これはよくあるだろうか。
自分の事を傷つけたり、あるいは傷つける者を愛しく思ったりすること。
こういうことがあることは確かである。
だが明らかに自分から傷つきたがってる人を、そうでない人が理解することは難しいともされる。
普通とはそもそも何か
誰かを傷つけるということは社会的に悪い。
だからたいてい法律で禁止されている。
自分を傷つけるのはどうだろうか。
それは誰かを傷つけるよりは、少なくとも悪いことではないという人が多いのでなかろうか。
ところでイェフダは、PTSD向きに変わってしまった神経系は、 親から子に引き継がれる可能性があることも示唆している。
とりあえず、ショック状態から立ち直りにくい人と、そういうものに強い人とがいる可能性は高そうである。
どういう精神状態にせよ、自分を傷つけたがる人を最も理解できないという人は、おそらく強い人なのでなかろうか。
心が強い人。
だが、そういう人も普通に生きてたら普通の人だ。
もし普通に生きていて、普通に大切な誰かができたとしたら、その大切な誰かが自分で自分を傷つけてしまうことを見ること。
その辛さも相当かもしれない。
それとも、なんて馬鹿なんだ、意味がわからないと怒るだろうか。
代表的な三つの治療法
トラウマに対する、治療方法として代表的なものは三つ。
まず脳が、人という存在のコントロールを様々な化学物質の量の調整などによって行なっていること利用し、それらを直接的、強制的に調整する『薬(medicine)』などを使う方法がひとつ。
次に、(たいていが他者と話したりすることで、比較的に)自らの受けた体験に関しての理解を深め、その処理を意識的にわかりやすくし、軽減に努める方法。
「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
さらに、トラウマによってもたらされた不安定な精神状態や、無力感などをふきとばしたような感覚を得るくらいに、楽しめたり、喜びを感じるような体験をすること。
適切な方法は人によって異なるが、たいてい、何らかのトラウマに関して治療を受けようという人は、複数の方法を試す。
薬物治療の効果と限界
プロザックの登場
いくつかに分けた脳の部分の内、一番大きな「大脳(Cerebrum)」は、さらに「脳葉(Cerebral lobe)という部分部分に分けられる。
その脳葉のひとつであり、言語や記憶や聴覚に関わっているとされる「側頭葉(Temporal lobe)」の中に、アーモンド(の果実)に形が似ているとされる「扁桃体(Amygdala)」という「神経細胞(neuron)」の集まりがある。
扁桃体は、記憶や感情について重要とされていて、迫る音や光景が危険かを判断する組織でもあるとされる。
脳機能と意識に関して研究していたジェフリー・アラン・グレイ(1934~2004)は、扁桃体の感度が、部分的には神経伝達物質のセロトニン(serotonin)が関係しているのでないかと示していた。
グレイの研究データによると、セロトニンの数値が低い動物は、ストレスに対して過敏であった。
そこでセロトニンは、感情や精神の安定に関わっていると考えられる。
グレイのデータは、トラウマを体験した人もまた、セロトニンが下がっているために、ストレスに対し過敏になるのではという推測に繋がる。
そして精神薬である「フルオキセチン(Fluoxetine)」 、あるいは「プロザック(Prozac)」が開発された。
1988年2月8日。
製薬会社のイーライリリーから発売されたプロザックは目覚ましい成果をあげたという。
主として、意欲や興味、悲しみや不安の持続などが続く「うつ病(Clinical Depression)」。
自分でも嫌であることがわかっているようなことを繰り返してしまう「強迫性障害(Obsessive–compulsive disorder。OCD)」。
過剰なまでの断食や、食い過ぎが危険な「摂食障害(Eating disorder。ED)」などに、プロザックは有効であった。
プロザック以降も、「ジェイゾロフト(セルトラリン)」、「セレクサ(シタロプラム)」、「サインバルタ(デュロキセチン)」といった、同じようなセロトニン関連の精神薬は次々開発され、やはりそれなりに有効であるという。
並行群間比較試験による証明
ベッセル・ヴァン・デア・コークも参加した、トラウマを負ったPTSD患者へのプロザックの有効性を調べる最初の公式実験は、64人を対象としていたという。
実験は二ヶ月間、プロザックを使ってもらい経過を見るというものだが、巧妙な「ダブルブラインドテスト(DBT/二重盲検試験)」という形式のひとつである「並行群間比較試験(Parallel group comparison test)」という方法が用いられた。
並行群間比較試験は、対象グループを二つに分けて、片方のグループには実験の薬を、もう片方のグループには偽物の薬を与える。
ただし被験者の誰がどちらのグループかは、薬を与える医師側も知らないというもの。
こうすることで、いわゆる「プラシーボ効果(Placebo effect。偽薬効果)」の結果への影響を減らすことが目的である。
で、結果はどうであったか。
プロザックは確かに、多くのトラウマに苦しむ患者に対して、明らかに症状(不眠症や感情のコントロール)を改善した。
しかし、帰還兵にはほとんど効果がなかったという。
なぜそうなのかは謎として残った。
もっとも一般的な推測は、障害者手当などの金が改善を妨げているというものだが、コークなどは、扁桃体が金に影響を受けるとは考えにくいとしている。
副作用のリスクと依存の問題
薬には限界があると考えている人は多い。
まず薬は、根本的な出来事の解決にはなっていない。
受けた傷に対してどう対処するのかというのが問題であろうが、薬は物理的に考え方に影響を与え、かなり強引な対応をさせている。
深く考えるなら、薬による物理的な治療は誰かを救うでなく、救う存在を消し去っているみたいなものなのかもしれない。
それにとにかく、薬の効果はややシンプルすぎるのでなかろうか。
苦しみをなくしたいだけの場合には有効かもしれないが、帰還兵の中に芽生えた友情のように、トラウマはただとにかく苦しいというだけでなく、複雑な問題になっている。
また薬は、通常はないような、神経系の動きをもたらすことがある。
そこから、本来は想定されないようなどんな副作用があるか、予想は難しい。
使う薬の量が増えれば増えるほど、そのリスクも増えていくだろう。
もちろん、薬自体の依存症という問題もある。
金はどれほど重要か
精神関係にはただでさえプラシーボ効果も有効なことが多いらしいから、本当に効果のある薬ならば、おそらく他の分野の病気などに比べると、かなりの効果が期待できるのも確かであろう。
しかし、トラウマに苦しむ人が、薬が開発されて以降、劇的に減少したというわけではないようだから、薬がまだまだ役立たずという患者も多いと考えられる。
精神病の薬は、医療界に莫大な利益をもたらしているようだから、金の問題で帰還兵を疑う人は、金の問題で薬の効果を疑うかもしれない。
実際、薬物療法に関する研究は、話題になりやすいという。
(エッセー)役立たずだから、嫌いなものを消す
自分が嫌いというトラウマ患者が、嫌いな自分を消し去るために薬を使っていたりする場合もあるのでないだろうか。
例えばコンプレックスとかがあって、見た目や、表に見せる性格を変えても、別にその人はその人だろう。
だが薬で心まで変えた場合はどうなのだろう。
薬でないにしても、複雑化している精神問題を物理的に回復させようとすると、かなりの改造がいるのでないだろうか。
まるで、苦しむ人を、別の人に変えて対処しているようなものでなかろうか。
しかし、本当に物理的に心を変えれるのだろうか。
変えれるとしたら、心は物質的ということになるが、自然にだってそれは変わるだろうに、都合がよいように調整することが、何か悪いだろうか。
それが何かいけないだろうか。
だが、まるで社会だ。
社会のために不要な者を(病気と称して)抹殺しているようだ。
自分で自分をコントロールするために
情動と理性
脳システムには大まかにふたつの大要素があると言える。
感情の動きである『情動(emotion)』。
物事を考える『理性(reason)』のふたつ。
一般的には情動は『大脳辺縁系(limbic system)』。
理性は『大脳新皮質(Cerebral neocortex, isocortex))』という部分が重要になっているとされている。
情動は理性で抑えられるようになっているようだが、時に情動が強くなりすぎると、理性で抑えるのが難しくなる。
トラウマ患者は、理性が弱まっているか、情動が強くなりすぎているかで、結果として現れる自らをコントロールできない苦しみを味わうともされる。
薬もおそらく、神経系に影響を与えることで、理性を強くするか、情動を弱くしている。
世界の理解。失われたバランス
我々が我々と言う時、たいていの場合それは、我々の理性のことなのでないかともされる。
理性は進化的には後から現れたとされているが、いつから現れたのかはともかくとして、確かなことは、実際に我々(理性)はここにいる。
「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか
そして理性ある生物にとって、情動はおそらく道具みたいなものだ。
我々は理性だけでは、何もできない、何をするべきかをわからない。
例えば正しいことをしたいと思っても、喜びや苦しみの感情がなければ、何が正しいのかもわからないだろう。
しかし、例えば苦しみを理解しているなら、そこから救ってあげることは正しいと考えたりもできる。
感情があってはじめて個々が認識する世界に、形や色がつく。
しかし、どんな形や色を、いいとするか、悪いとするかを決めるのは理性と言えよう。
正確には、それを勝手に決めること、定義付けることができるのが理性なのだろう。
そういうふうに考えると、(おそらくトラウマ患者がそうであるように)ささいなことでも情動が高まり押さえられないのは、 自分が自分の(理性による)コントロールを失っているに等しいとも考えられる。
そこで、トラウマ治療は、情動と理性の失われたバランスを取り戻し、自らの支配をその人に取り戻させる行為という人もいる。
最低限の生存機能が感知するもの
心理学者のジョセフ・E・ルドゥーは、例えば生存に負の影響を与えるような脅威を感じた時、それを避けようとする機能は、あらゆる生物が持っているとしている。
あらゆる生物が脅威を察知し、それを避けようとする能力があるということは簡単に確認できる。
例えば、小さな虫とかを叩こうとしたら逃げるではないか。
死を恐れているから逃げるのだろうか。
死ぬということがどういうことか認識するような思考回路を持っていると考えることもできようが、それよりは危機を察知して回避する機構がシステム的に備わっていると考えた方が妥当だろう。
そういう危機回避のための生存機能は、目に見えないような細菌にすら備わっているという。
そして我々には理性が備わっている。
この理性によって、脅威に対する生存機能を意識した時、そこに見つけたものを我々は、恐怖の感覚と呼んでいるのではないかと、ルドゥーは指摘する。
このようなことは、理性が自己認識を介して、情動にアクセスしていると考えられる。
仮に理性と情動を分けて考えられるなら、理性が感情的な行為を止める時、 その瞬間は確かに、理性が情動をコントロールしている。
つまり理屈的には、我々は意識的に自分を変えることができる。
自分の好きなもの、自分の興味の対象を変えられる。
それらは生きる目的であり、それらが悲惨とされるものである場合は、精神がおかしくなっていると考えられてきた。
だがそれらを変えられるなら、それは精神を正常と呼ばれる状態に修正できる可能性を意味している。
実際にトラウマ治療において、患者本人が、そのトラウマである原因や、そこから出てくる感情をしっかりと自覚することが、改善に繋がることもあるという。
だがそれには、とてつもなく勇気がいる場合も多い。
トラウマ患者は、なんとかしてトラウマを受け入れたいのではなく、それをなんとかして忘れたいと考えている人が多いからだろうと考えられる。
調整は何のためか
そういうこと(自分の心を理性で変えるようなこと)が本当に可能だとしても、なぜ社会とか、その他大勢のために、自分を調整しなければならないのか。
もしかすると、気に入らない人もいるかもしれない。
また、ここでも薬の問題が出てこよう。
仮に我々が情動をコントロールする能力を持っているなら、その能力が弱っているからといって、代わりに薬を使い高まる情動を抑えれば、本来の理性のコントロール力は、ますます弱くなるのでないだろうか(普通、使われない機能は劣化していく)。
そうなると、ますますずっと薬に頼らなければならなくなっていく。
自分の心と向き合う
愛する人が頼れない時
本当は一番有効なのは、自分にとって安全な居場所を手に入れることなのだろう。
子供は外でひどい目にあったとしても、優しい両親がいる部屋で安心感を得られ、それが救いになっていることもある。
人によっては友達も恋人でも、居場所になりうる。
だが本来は愛すべき対象である、そういう人たちがトラウマの原因になってる場合はどうなのだろう。
ひどいトラウマの原因が、両親や(ほんとにそう言えるか疑問だが)友人や恋人からの暴力であることは珍しい話ではない。
本来は助けてくれるはずの人たちがトラウマになっている場合は、いったい誰に助けを求めればよいのだろうか。
また、トラウマの原因でなくとも、重なることが問題にもなりうる。
子供の命を奪ったことがトラウマとなっている人は、子供を安心させてあげることを難しく感じたりする。
父親に虐待されたトラウマを持つ女性は、恋ができないかもしれないし、さらに母親がまったく助けになってくれてなかったなら、同性の友人も作れなくなるかもしれない。
アート、好きな物語に触れる
音楽でも詩でも絵でも、文字で書かれる物語でもいいから、自分の好きな芸術や創作作品を見つけ、それらに触れることは、心のショックを和らげることはよく指摘される。
実際の因果関係は複雑で、どういうふうに役立っているのかは、 謎なこともあるが、呼吸法や瞑想を含む武道を学ぶことが、心のコントロール力をも高めるという説も根強い。
自分への手紙を書く
また誰かと触れ合う事が怖い人でも、自分自身と対話する方法はある。
それは自分に対して手紙を書くことだ。
誰かに対して書くわけではないから、相手の思想とか気持ちとかを気にする必要もない。
思うままに自分への気持ちを書けば、それで気持ちが楽になるということも多いとされる。
また、手紙を保存しておけば、少ししてからそれを読み直して思わぬ発見があったりすることもある。
新しく発見した自分が、トラウマとなっている自分よりも嫌なものである可能性は、相当に低いと思われる。
ニューロフィードバック。機械的方法
人間のシステムの中にあるパターン、例えば心拍とかをセンサーで検出して、関知しやすい音や光などに変換し、対象者に自覚させる「バイオフィードバック(Biofeedback)」という技法がある。
単純に創作などの能力の向上に使われたりもするれしい「ニューロフィードバック(Neurofeedback)」は、そのバイオフィードバックのひとつであり、精神治療に利用される場合もあるという。
脳波を電極などを介してコンピューターに受け入れ、音や映像に変化し患者に見せる。
そして、スクリーンに移る映像パターンを患者に動かしてもらうように指示し、脳の動きを意図的にコントロールするというもの。
ニューロフィードバックは、特に恐怖の記憶の影響の軽減に使えるという研究報告がある。
EMDR。眼球運動による脱感作および再処理法
『EMDR(Eye Movement Desensitization and Reprocessing。眼球運動による脱感作および再処理法)』という方法は、特にトラウマとなっている出来事がずっと続いているように感じている、PTSD患者に有効であるとされている。
これはその単純さからは、まったく想像もできないような、とんでもない技とも言える。
素早い眼球運動という発見
1987年のある日。
心理学者のフランシーヌ・シャピロ (1948~2019)は、辛い思い出で頭を満たしている状態で、ふと公園を歩いていた。
そして唐突に気付く。
「素早い眼球運動(Rapid eye movement)」をすると、苦しみが明らかに軽減する。
シャピロ自身、本当にそんなことで、辛い思い出の苦しみを減らせるだろうかと、最初はかなり懐疑的であったようだ。
しかし彼女は、 その方法をしっかりと研究し、実験を繰り返して、 標準的な手順を構築していった。
基本的なEMDRは、患者に、左右に動く指を見てもらいながら、トラウマに関する出来事について思い出してもらうこと。
トラウマに関して、医師側が質問し、それに答えてもらうのだが、別に口で言わなくても、心に思い浮かべるだけでも十分な効果が期待できるという。
視覚障害のある人などには、手を叩いたりする音で、眼球運動を誘導することもある。
ずっとトラウマの出来事が自分の身に降りかかっているような気がしていたのに、EMDRを受けた後は、まるでそれが(実際にそうであるように)もう過去の出来事のように、感覚が明らかに変わったという人も多いという。
EMDRは、それなりに有効性が認められている治療法として、多くの精神科医たちが待ち望んでいたようなものであった。
トラウマ体験について話をしたがらない患者。
言葉の通じない患者。
医師を信頼してくれない患者などに対しても、この方法は使えるとされているのだ。
レム睡眠と記憶の定着。なぜ有効なのか
一つの説として。 急速な眼球運動を伴うとされる「レム睡眠(Rapid eye movement sleep。REM sleep)」が関係しているのではないかとされている。
一般的に哺乳類(と鳥類)の睡眠には二種類あるとされる。
「哺乳類」分類や定義、それに簡単な考察の為の基礎知識 「鳥類」絶滅しなかった恐竜の進化、大空への適応
身体は休息しながら、脳は活発に(名称通りに眼球も)動いているレム睡眠。
脳も活動を止めている、深いとされるノンレム睡眠。
ノンレム睡眠が、脳や肉体の疲労回復のために重要とされる一方で、レム睡眠は、記憶の整理や定着の作業が脳内で発生していると考えられている。
睡眠障害はPTSDの典型的な症状のひとつであり、それでなくともトラウマを夢に見てしまう人はレム睡眠をとりにくい。
さらには、トラウマに苦しむ人がよく頼りがちなアルコールや薬物も、レム睡眠の邪魔になりうるという話もある。
レム睡眠は記憶の整理に重要。
それはつまり、出来事を過去にしてしまうことに重要なのではなかろうか。
EMDRは、擬似的なレム睡眠なのかもしれない。
だとすると、これが今そこにあるようなトラウマを過去にすることに役立つことも説明がつく。