「アイヌ民族」日本の先住民(?)どんな人たちだったのか?

アイヌ文化

アイヌ民族の世界だった頃の北海道の自然について

 日本列島は、気象条件や地形、文化などの関係から、人類史の中においては、わりと最近まで、森林が多く残る地域であった。
北海道という地域は特に江戸時代の江戸時代の頃は ほぼ全域に近い面積が原生林だった。

 原生林(primeval forest)とは、ある程度の昔から現在まで、ほとんど破壊されたことも、人手が加えられたこともない、森林の事。
ちなみにほとんどでなく、一切、破壊も人手が加えられたこともない森林は、原始林という。

 そんな自然豊かな北海道では、豊富な山菜や木の実を餌とする、野生動物もたくさんいた。

 木々が生い茂る大自然、そしてそこに生きる動物たちと共に、アイヌ民族という人たちは生きていた。

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アイヌと和人の結婚

 アイヌ人は北海道の先住民族と言われる。
アイヌ語で、北海道は『アイヌモシリ』という。
これは、「アイヌ(人間)のモシリ(大陸)」という意味である。

 アイヌ語で、和人(日本人)の事をシサム(隣人)という。

 アイヌには、こういう伝承もあるらしい。
「かつてアイヌとシサムは、兄弟も同然だった。
元々、大陸にいたのはアイヌだった。
そこにシサムの人たちが、船でやってきた。
アイヌは、シサムと結婚し、ふたつの民族は混じり合い、そうして今の日本人が誕生した。
日本語とアイヌ語も、実はもともと一つの言葉が枝分かれしたもの」

 ちなみに、アイヌ人は、ロシア人のことをフレシサム(赤い隣人)と呼んでいたという。

アイヌとカムイの意味。人間と神々の交流

 アイヌという言葉の意味は「人間」である。
これは、アイヌ民族という特定の民族を指す言葉というよりも、実質的には、文字通りに、人間という存在全てを指す言葉とされる。

 アイヌ(人間)以外の存在は、カムイ(神)なのだという。
ただし、アイヌ文化における神、カムイとは、ヤハウェのような創造神というニュアンスではなく、精霊などのような意味合いである。
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 アイヌと同じくカムイもたくさんいる。
善きカムイもいれば、悪しきカムイもいる。

 伝承などでは、人間を指す言葉としてピトというのも出てくる。
このピトというのは、霊界の性格を帯びた人間。
半神半人。
あるいは、神と対話できる特別な人間(シャーマン)を意味する。
しかし、カムイの対義語として、普通に人間の意味で使われる事もあるようだ。

 アイヌという言葉自体は、カムイの対義語としてもいいし。
宗教上の意味を排して、動物に対しての人間という意味でも使える。
また、例えば、クコルアイヌ(うちの人)というような、女性に対する男性や、子に対する父の意味にも使える。

 アイヌという言葉は少し、尊称のような意味もあり、アイヌ人はとても立派な人のことを、アイヌネノ アンアイヌ(人の中の人)などと言ったりする。

アイヌ人はどこから来たか

 北海道の最も古い遺跡は、2万年から3万年ほど前のものとされている。
しかしそれらの遺跡を築いた人たちが、アイヌ人の直系の先祖かどうかはわからない。
伝わる伝承や神話からは、あまり大規模な民族移動や多民族間の戦いがあったかのような印象はないともされる。
なので、少なくとも北海道にもともといた人たちの血は、アイヌの人たちに混じっていると考えられている。

 7、8千年ぐらい前から、北海道でも土器が作られ始め、2千年ほど前には、他の大陸から鉄が入ってきている。
この当時(2千年くらい前)の北海道の住人は、アイヌの直接的な祖先だろうと考えられている。
もしそうなら、紀元後の日本人にも、アイヌの血が混じっている可能性はある。

 遺伝的調査では、日本人より琉球人(沖縄の人たち)の方が、アイヌとDNA的に近いという結果が出てるという。

日本語とアイヌ語の起源の謎

 北海道という大陸で、アイヌという文化が完全に完成したのは、8世紀〜13世紀ぐらいの時期だとされている。

 日本史、アイヌ史の謎のひとつが、日本で古くより伝えられる伝承などに登場する、東北の蝦夷(エゾ)がアイヌなのかどうかという事。
また、日本語とアイヌ語は、いずれも起源がまったくと言っていいほどわかっていない。

 ほぼ確実に確かな事は、アイヌ民族、 少なくともアイヌの名前で、アイヌ語を喋る人たちが、本州にも存在していた事。
東北地方北部では、江戸時代までアイヌ語が普通に話されていたコタン(集落)もあり、津軽藩には、通訳の者もいたという。

 村などを示すコタンという言葉だが、この言葉はかなり幅広い意味を持つらしい
例えば、モシリと同じく、国土や世界というふうな広い意味に使われることもあれば、家一軒しかなくてもそれはコタンなのだ。
さらには、ある期間だけ仮に住まう場合もコタン。
とにかく一時的にせよ永住的にせよ、家のあるところがコタンなのである。

チセとは。厚い屋根のアイヌの家

 家はアイヌ語で、チセ。
アイヌ民族は寒い地域に暮らしていた人たちだから、伝統的なチセは 寒さをしのぐための、創意工夫が見てとれるという。

 チセは、主にカヤで作られる。
カヤとは、イネ科、あるいはカヤツリグサ科の、チガヤやスゲなススキなど、葉と茎が家の 材料などに使いやすい植物の総称である。

 そのカヤで作られた屋根や壁は、30cmほどと厚く、冬にはさらに、オトイプッカ(土の塊)が60cmほども積み重ねられた。
さらに屋内では、火を絶やさなかったため、とても暖かく過ごせていたという。

アイヌの生活模式

意味は獲物。鹿狩り。鹿肉。鹿笛

 特にクジラウシ目シカ科のシカ(エゾシカ)は、狩猟民族であったアイヌ人にとって、重要な地位を占めていたという。
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アイヌ語で、シカは「ユク」と言う。
これは同時に、「獲物」を意味する言葉である。
特に冬の寒い時期にはシカ猟が盛んとなった。
アイヌの狩り人たちは、積もった雪で動きを鈍くしたシカたちを、猟犬(アイヌ犬)とともに追い詰めたという。

 イパプケニ(シカ笛) で鳴き声を真似て、シカをおびき寄せたりもする。
主にオスの真似をして、縄張りを守ろうとする、オスのシカをおびき寄せるのだという。

 こうして、一時の時期に、大量に狩られたシカは、沸騰中の湯を使って脂肪分などを除去する『サカンケ』という製法で干し肉にし、保存食とされた。

神の魚、鮭

 アイヌ人にとって、大地の豊かさの象徴がシカだとすれば、川の豊かさの象徴はサケであった。
サケ目サケ科のサケ(シロザケ)である。

 川の中では、川の水が盛り上がるほどのサケの群れ。

 北海道日高の辺りより流れ、太平洋に注ぐ沙流川(さるがわ)のサケの様子を、アイヌ人は、アイヌの叙事詩ユーカラの中で、上記のように詠っている。

 この、サケという、毎年の安定した食料源のために、アイヌの家は、たいてい川に沿って並んでいたという。
アイヌ語で魚(チェプ)といえば、つまりそれはサケを意味し、時々は神魚(カムイチェプ)というふうな呼ばれ方すらしたとされる。
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日本人化による悲劇

 しかし実り豊かで幸せだったアイヌの時代は、明治時代になると、本州の日本人たちの手によって、終わりとなった。

 壮大な大森林は、大規模開拓によって、次々と伐採されていった。
シカはかなり乱獲された。
シカ皮は西洋諸国(特にフランス)への輸出商品として重宝され、 角などは薬用として中国に、さらにアメリカにも、シカ肉の缶詰が大量に輸出された。

 サケも、日本人の漁船が、海で乱獲するようになり、 北海道の川へは、あまり渡って来なくなってしまった。
おまけに、運よく川へ上ってきたサケを、アイヌが取ると、密漁として、罪に問われてしまったという。

アイヌの食生活サイクル

 北海道の典型的な(沙流川付近の)アイヌ民族の食生活のサイクルは、以下のようなものだったとされる。

 通常、川は、12月中旬から、4月頃まで凍結する。
4月に氷が溶けると、5月いっぱいぐらいまでかけて、まず産卵に上ってくる魚がアカハラ(コイ目コイ科ウグイ亜科のウグイ)。
また、この時期は、畑をおこすための種まきの頃でもある。
そうした種まき作業の最中に、ネキリムシ(コガネムシの幼虫)などが捕獲できるから、それを餌に、アカハラをとるのだという。
アカハラの産卵場は浅瀬なので、手づかみで取ることもあった。

 4月中旬から6月にかけては山菜もよくとる。
一番初めに大量に取るのは、アイヌ語でプクサ、あるいはピトと呼ばれるギョウジャニンニク(ネギ属の多年草)である。
ギョウジャニンニクはまた、アイヌネギとも呼ばれる。
次にプクサキナ(イチリンソウ属の多年草であるニリンソウ)がとられる。
これらの収穫期間は1ヶ月程度だが、特にプクサは、一年中通しての主要野菜として、大量に干された。
主に汁物などに入れて食されたという。

 他にはソロマ(ゼンマイ)やコロコニ(フキ)も取られた。

 5月は、ドレプ(オオウバユリ)を大量にとり、 臼でついてデンプンをとり、干し団子の保存食にした。
ニセウ(ドングリ)も大量にとれるので、一年通しての食料となる。

 6月くらいから、川には、サケ目サケ科であるマスが上ってくる。
マスは、8月末から9月くらいの産卵時期に、横腹に赤い斑点を帯びる。
この状態のマスは『アペケッケソ(夕やけ雲のような)』と呼ばれ、一番美味しいのだという。

 マスはウジがつきやすく、干し肉にしにくい。
そこで保存用には、燻製くんせいにするが、脂肪がきつく、冬になる頃には酸化し、まずくなる。
なので、そんなに大量にはおいておかず、すぐに食べきる。

 最も重要な魚であるサケは、9月から11月にかけてとられた。
他には、キュウリウオ目キュウリウオ科のシシャモも、アイヌ民族にとっては、重要や糧であった。

 シカ猟が始まるのは、10月頃からである。
そこから雪が消える初夏までシカはとられる。 
あまり取れない時期は、6月から10月の4ヶ月間ほどだけ。
この時期は干し肉の保存食で乗りきる。

 ウサギ(エゾノウサギ)やタヌキ(エゾタヌキ)も、基本的には冬にとる。
キツネ(キタキツネ)の肉は、料理してもまずいので、あまり取らないという。
ウサギのような小動物は、もっぱら罠を使ってとる。

 クマは食料として、量的には優れている。
よくとれるのは、穴に入っている冬ごもり中の、特に子が生まれて間もないクマ。
クマの親だけを狩り、子は生け捕りにする場合もあり、「クマの子を迎える」と言った。

 生け捕りにされたコグマは大切に育てられる。
『イオマンテ(クマ送り)』という儀式のためである。

イオマンテの意味。神の感謝の贈り物

 アイヌ文化的には、動物たちもカムイである。
あるいは、動物たちの中にもカムイがいる(人間たちの中にもカムイはいて、アイヌラックル(人間神)と呼ばれたりする)

 アイヌは時々イオマンテという儀式を行う。
これは神送りと呼ばれ、動物としてアイヌ世界に現れたカムイを、その器としての動物を殺すことで、魂を解放し、カムイの世界へ返してあげるというもの。
動物でいた時に世話をしてやり、それは神々をもてなしたという事になる。
そうして、もてなされたカムイは、お礼として自らの器を置いていく。
そうして残された動物の亡骸は、カムイのお礼であり、アイヌはその肉を食べたり、皮を利用したりする。

 主にイオマンテで神送りされた動物はクマであるが、地域によっては、フクロウやシャチを重要視する場合もあった

 クマはキムンカムイ(山の神)。
シャチはレプンカムイ(沖の神)。
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フクロウはコタンコロカムイ(村の守り神)とされる事が多いという。
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