「新約聖書」神の子イエス・キリストの生涯。最後の審判の日の警告

旧約聖書の予言が実現されていく物語

 新約聖書では度々、旧約聖書の預言者たちの予言が実現されてきたという物語、その経緯が語られる訳だが、新約聖書を正式な教典として認めない立場(ユダヤ教)である場合、もしかしたら預言者たちの予言は、まだ実現されていなかったりするのかもしれない
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説
 主に参考にしているのは、上記ページ(旧約聖書)と同様に、新共同訳版の聖書。

 記録者が違うだけで、基本的には同じ話を書いている4つの福音書の他、旧約同様に、別々の章で同じ話が語られていることも多い。ここでピックアップしているいくらかの記述も、かぶっている場合は、やはり適当なものを1つ選んでいる。

マタイによる福音書

聖霊により身ごもった子イエスの代

──アブラハムからダビデまで14代。ダビデからバビロンへの移住まで14代。バビロンへ移されてからキリストまでが14代である──

母マリアはヨセフと婚約していたが、2人が一緒となる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかとなった

天使が夢に現れて言った
「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。マリアは男の子を産む」──

 イエスの母マリアが、処女のまま妊娠したというこの話は、非常に有名であろう。
別に聖書に限らず、古い神話の中で、清らかな乙女である処女が、神秘めいているというか、すごく特別感を与えられている神話は珍しくない。ただ冷静に考えると、感覚的にはともかく、論理的にはファンタジックすぎるかもしれない。

まるで悪夢や悪霊が普通に存在しているかのような

──イエスは悪魔から誘惑を受けるため、霊に導かれて、荒れ野に行かれた。そして40日間断食し、空腹を覚えられた。すると誘惑するものが来て、イエスに言った

「もしもひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」
するとイエスは言われた
「退け、サタン。「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ」と書いてある」
そこで悪魔は離れ去った。
天使たちが来て、イエスに仕えた

人々がイエスのところへ、いろいろな病気や苦しみに悩む者、悪霊に取り憑かれた者、てんかんの者、中風の者など、あらゆる病人を連れてきたので、これらの人々を癒された──

 天使や悪魔に関する描写は新約聖書の方が旧約聖書よりもかなり はっきりしている感じがする。
「天使」神の使いたちの種類、階級、役割。七大天使。四大天使。 悪魔の炎 「悪魔学」邪悪な霊の考察と一覧。サタン、使い魔、ゲニウス
旧約聖書ではそれらが登場するのは、夢の中のお告げとか、そういう場面でのことも多いが、新約聖書のイエス・キリストの物語においては、悪魔とか悪霊とかが普通に現実のものとして描かれてる場面が増えている。
十字架 「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束

地上の災い。イエスの魔法か奇跡

──あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは虫が食ったり、錆び付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりもする。富は天に積みなさい。そこでは虫が来ることも、錆び付くこともなく、また盗人が忍び込むことも、盗み出すこともない。

「なぜ怖がるのか、信仰の薄い者たちよ」
そして起き上がって、風と湖とお叱りになると、すっかり凪になった。人々は驚いて言った。
「いったいこの方はどういう方なのだろうか。風や湖さえも従うではないか」

イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた──

 イエスの語る、天に関するなんてことない描写だが、ここで錆び付きはともかく、虫や盗人も、地上の災いとして語っているのは印象的。
虫取り網 「昆虫」最強の生物。最初の陸上動物。飛行の始まり。この惑星の真の支配者たち
 また福音書の記録が本当だと言うなら、イエスは少なくとも魔法のような力をいくつも使っているし、それこそ本当に奇跡と言えそうな出来事を、平気で起こしている。

イエス自身の預言

──イエスは、自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて、殺され、3日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明けられ始めた。

イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた

一同が山を降りる時、イエスは弟子たちに命じた。
「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」──

 イエスは、自分が苦しみを受けて殺されるのは、必ず起こる出来事であり、それどころか本当は何とかすることができるのに、その預言を叶えるために、あえて流れに身を任せている、というような感じの描写もけっこう多い。
だから死ぬ間際に「主よ、なぜわたしをお見捨てになったのですか」というような叫びを上げたりする、後の場面のことを考えると、ちょっと奇妙な感じもする。しかし、すべては演出なのだろう、多分。

 イエスが神の子であり、主自身でもあるというように考えるなら、過去に神に選ばれた預言者たちと語り合う場面も、なかなかに興味深い。

女という存在の扱い

──あなたたちは読んだことがないのか、創造主は初めから、人を女と男とにお造りになった

人は父母を離れて、その妻と結ばれ、2人は1体となる。だから2人はもはや別々ではなく1体である。したがって、神がむすび合わせてくださったものを人は離してはならない

あなたたちの心が頑固なので、モーセは妻を離縁することを許したのであって、初めからそうだったわけではない。言っておくが、不法な結婚でもないのに、妻を離縁して、他の女を妻にする者は姦通の罪を犯すことになる──

 旧約聖書、新約聖書、そして後のコーランの記述をすべて考慮すると、(あくまで相対的に) ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の中で、最も女性を、男性と同じような人間として扱っているのは、キリスト教かもしれない。

イエスと天使軍団。復活の時

──「剣を鞘におさめなさい。
わたしが父にお願いできないとでも思うのか。お願いすれば、父は12軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう」

この時、弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった

イエスは、再び大声で叫び、息を引き取られた。その時に神殿の垂れ幕は真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出てきて、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。百人隊長や、一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、様々な出来事を見て、非常に恐れ、言った
「本当に、この人は神の子だった」

マグダラのマリアともう1人のマリアが、墓を見に行った。
天使は婦人たちに言った
「恐れることはない。十字架につけられたイエスを探しているのだろうが、あの方はここにはおられない。かねて言われていた通り復活なさったのだ」──

 追いつめられた時であっても、イエスにはかなり余裕があるように描かれている。自分が拷問を受けて十字架に磔にされることも、弟子の裏切りすらもわかっていたのだから、当然かもしれないが。
しかし父にお願いすれば天使軍団を呼べるというのは、なかなかに興味深いか。

 イエスが死んだ後に起こった大災害は、彼が神の子であるがゆえに起こった避けられぬ現象なのだろうか。それとも何か裁き的なものなのであろうか。その辺りのことは、ちょっと曖昧な感じがある。

 新約聖書の四つの福音書は、細かな技術の違いがまた興味深いのだが、復活の瞬間の描写に関しては特にそうと思われる。それを目撃する人物、天使の言葉、そして復活した後で、弟子たちと再会するまでの流れなど。

マルコによる福音書

イエスより前の者であるヨハネ

──洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼(パプテスマ)を宣べ伝えた。

「わたしよりも優れた方が後から来られる。わたしは屈んでその方の履物の紐を解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる」

その頃、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼(パプテスマ)を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、霊が鳩のようにご自分に降ってくるのをご覧になった。すると「あなたはわたしの愛する子、私の心に適う者」という声が、天から聞こえた──

 福音書の中では、基本的に、イエスの少し前の、偉大な預言者というふうな感じで、洗礼者ヨハネの記述がある。
ここで彼自身は、「自分はイエスに比べると全然大したことがない」とかなり謙遜していたと書かれている。

 それにしてもイエスは、まさに洗礼を受けた瞬間から、なかなかに豪快な奇跡を起こしている。ただ彼は、この時に自分が神の子だと自覚したのだろうか。また彼が主自身でもあると言うなら、それもこの時、あるいは別のどこかの瞬間で自覚したのだろうか。

例え話と普及活動。悪霊レギオン

──イエスは人々の聞く力に応じて、このように多くの例えで御言葉を語られた。例えを用いずに語ることはなかったが、ご自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された

彼は昼も夜も、墓場や山で叫んだり、石で自分を叩いたりしていた。
「いと高き神の子イエス。かまわないでくれ、後生だから」
イエスが、「名は何と言うのか」と尋ねになると、「名はレギオン、大勢だから」と言った。

汚れた霊どもはイエスに願った
「豚の中に送り、乗り移らせてくれ」
イエスがお許しになったので、汚れた霊どもは出て、豚の中に入った。すると2000匹ほどの豚の群れが、崖を下って湖になだれ込み、湖の中で次々溺れ死んだ。

人々は何が起こったのかと見に来た。
レギオンに取り憑かれていた人が服を着て、正気になって座ってるの見て、恐ろしくなった

悪霊に取り憑かれていた人が一緒に行きたいと願った。イエスはそれを許さず、言われた。
「自分の家に帰りなさい。そして身内の人に、主があなたを憐れみ、あなたにしてくださったことを、ことごとく知らせなさい」──

 イエスは 相手が理解できるように、その知識に応じた例え話を使っていると、なんとか語っている。

 レギオンと名乗る大量の悪霊たちを、豚へと憑依させて死なせ、憑かれていた人を 助けるという描写に関しては、神の奇跡というより、悪霊を相手にする霊能力者ぽい印象がある。
また新約聖書には度々、イエスが、その奇跡を目の当たりにした人たちに、自らの宗教の普及を進めている描写がある。

審判の日に関する警告

──「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」と言って多くの人を惑わすだろう。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。
兄弟は兄弟を、父は子を死に追いやり、子は親に反抗して殺すだろう。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる」

主がその期間を縮めてくださらなければ、誰1人救われない。しかし主は、ご自分のものとして選んだ人たちのために、その期間を縮めてくださったのである。

その日、その時は誰も知らない。天使たちも子も知らない。父だけがご存知である。気をつけて目を覚ましていなさい──

 新約聖書、福音書、イエス・キリストの伝説を考える上では、決して避けて通れないのが、彼自身が必ず来ると予言している、天地の最後の日、いわゆる「審判の日」のことであろう。

 イエスは、主がその期間を縮めてくださったために助かる人がいるとも語っている。これはいったいどういうこと意味するのであろうか。
元々、変えれることはできるのに、予定だからと、すべて滅ぶことを決めていて、しかし慈悲深い神は人間に同情して、その期間を短くしてくださった、ということなのだろうか。
そもそもその期間をなくすことはできないのだろうか、と思ってしまいたくもあるが。

ヨハネの黙示録

多くの人間を滅ぼす天使たち

──イエス・キリストの黙示。この黙示はすぐにでも起こるはずのことを、神がそのしもべたちに示すためにキリストにお与えになり、そしてキリストがその天使を送って、しもべヨハネにお伝えになったものである。

わたしは見た。そして玉座と生きものと長老たちとの周りに、多くの天使の声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。

「大きな川、ユーフラテスのほとりに繋がれている4人の天使を放してやれ」
4人の天使は、人間の1/3を殺すために解き放たれた。

「もはや時がない。第7の天使がラッパを吹く時、神の秘められた計画が成就する。それは神がご自分の僕(しもべ)である預言者たちに良い知らせとして告げられたとおりである」──

 ただ、その天地の最後の日は、恐ろしいというだけでなく、けっこう「すぐにやってくる」というような、警告めいた感じに語られる。

 ちょっと興味深いのは、語られている内容からして、滅びをもたらすのは悪魔とかより、むしろ天使ということだろう。人間を堕落させたりするのは確かに悪魔のようだが、そうして堕落した人間に裁きを下すのは天使という訳だ。この辺り、神様はどのくらい意図した上で世界を造ったのだろうか。

ドラゴンのサタンと、恐ろしき災い

──1人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には12の星の冠をかぶっていた。女は身ごもっていた。

見よ、火のように赤い大きな竜である。これには7つの頭と10本の角があって、その頭に7つの冠をかぶっていた。竜の尾は天の星の1/3を掃き寄せて、地上に投げつけた。そして竜は、子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだらその子を食べてしまおうとしていた。

天で戦いが起こった。ミカエルとその使いたちが竜に戦いを挑んだのである。竜とその使いたちも応戦したが勝てなかった。

この巨大な竜、年を経たヘビ、悪魔とかサタンとか呼ばれるもの

ここに知恵が必要である。賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして数字は666である。

聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を整えて、神のもとを離れ、天から降ってくるのを見た──

 ヨハネの黙示録は「まるで怪獣映画のようだ」とか言われることもあるが、個人的にはちょっと大げさな言い方に思う。確かに、怪獣の出現というような描写もあるが、別にそればかりではないし、それは大いなる災いの一部という程度の扱いでしかないようにも思う。

 ミカエルは天使で、相手にする竜がサタンのようであるが、サタンとはいったい何者なのだろう。最初から決まっていた堕天使だったのだろうか。
「西洋のドラゴン」生態。起源。代表種の一覧。最強の幻獣
 そして何かの暗号かのような示唆の上で、紹介される獣の数字666。

 しかし結局は、邪悪な者たちは敗れ去って、新しい新時代がくるのも、決まっていることのようである

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