レンヌ・ル・シャトーについて
南フランスのオードにある、少しばかりの丘に建設されている『レンヌ・ル・シャトー(Rennes-le-Château)』という村は、秘密結社『シオン修道会(Priory of Sion)』にまつわる陰謀論を信じる者にとっては、最重要な場所のひとつである。
北東のセヴェンヌ山脈、南のピレネー山脈に囲まれる位置にある、この小さなコミューン(フランスにおける最小の自治体)は、先史時代には野営地(野外の宿泊場所)だったらしい。
それが後のローマ帝国では植民地とされ、ちゃんとした屋内がある宿泊施設や寺院などが建設された。
それから5世紀ぐらいに、この地域はゲルマン民族が建てた新たな西ゴート王国の領地であるセプティマニアの一部となる。
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さらにそのセプティマニアは、8世紀にはイスラム教徒に征服され、支配下に置かれた。
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そして9世紀には、ここはまた新しくカタロニア(カタルーニャ君主国)となった。
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レンヌ・ル・シャトーは今ではフランスの村だが、実は17世紀くらいまではカタロニアの一部だったとされる。
また、西ゴートの領土だったころから長い間、この町の人口がどの程度の規模だったのかは諸説あるが、基本的にはたいてい数百人程度のものだったようだ。
おそらくは11世紀。
トゥールーズ伯の管理下におかれたレンヌ・ル・シャトーには城が築かれたようだが、その時代にそれらしき城の痕跡は残っていないという。
ちょうどこの時代は、トゥールーズを中心としたいくつかの地域で、カタリ派というキリスト教系の一派の活動が盛んとなる。
カタリ派はカトリック教会からは異端と見られ、敵対していた。
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レンヌ・ル・シャトーの城もその戦いの舞台になったと考える向きもある。
そしてまたこの村には、おそらくセント・メアリー・マグダレン、いわゆるマグダラのマリアのための教会が何度か建設されてきたとされている。
マグダラのマリア
メアリー・マグダレンは、新約聖書の四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書)によると、イエス・キリストの初期からの弟子の1人とされる。
そしてまた、磔にされて処刑される時のキリスト、さらにその後の彼の復活も目撃した人物とされている。
基本的に彼女がマグダラのマリアと呼ばれるのは、マグダレンというのが、彼女がガリラヤ湖(イスラエル北部)の西にあった漁業の町マグダラから来たことを意味していたと考えられているからである。
マリアの名は単純にメアリーの変化形である。
伝説は創作か。アンリ・ロビノーの秘密文書
ピエール・プランタール
シオン修道会は1956年に、その時の総長だったらしいピエール・プランタール(1920~2000)により、正式な組織として登録された。
彼は詐欺師だった説が有力で、そうだとするとこの組織は彼の捏造の可能性が高い。
後に彼自身や、彼の周囲の人が詐欺だと白状したらしい。
また、そもそも公式には組織として登録されてから、わずかな期間で解散したらしい。
またいかにも詐欺師が作った組織らしく、その本部はプランタール自身の自宅だったようだ。
一応1962年に、プランタールは組織を再建したが、それは書類上だけのことで実体はなかったとされる。
ジェラール・ド・セード。ヘンリー・リンカーン
1960年代にはパリのフランス国立図書館に『アンリ・ロビノーの秘密文書(Dossiers Secrets d’Henri Lobineau)』と称されたいくつかの文書が寄贈された。
シオン修道会の名を広く一般に広めたジェラール・ド・セード(1921~2004)やヘンリー・リンカーンの著作は、基本的にその秘密文書を重要な参考文献としているらしい。
ジェラールに関しては、はなからプランタールと一緒に、この伝説を創作した関係者であるという説もある。
基本的にリンカーンだけは何も知らなかったピエロとされる。
メロヴィング朝からの
しかし、とにかく秘密文書には、フランク王国最初の王朝とされるメロヴィングからプランダールへ続く家系図などが書かれていたという。
また、その秘密文書と、セード、リンカーンの著作が、基本的に現在知られているシオン修道会の伝説の発端だとされる。
メロヴィング王朝は基本的にはダゴベルト2世(~679)という人を最後に途絶えたとされている。
しかし、密かに救出されていた彼の息子はレンヌ・ル・シャトーに逃れ、西ゴートの王の娘と結婚し、その血筋を継続させたのだという。
大きな問題は、その最初の秘密文書自体が、すでにプランダールが用意した偽書の可能性が高いとされていることであろう。
それを書いたとされるロビノーなる人物も、架空の人物とされる。
一説によるとこのロビノーなる人物は、薔薇十字団、あるいはフリーメイソン薔薇十字派の一員らしい。
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ベレンジャー・ソニエールの財産伝説
莫大な金はどこからか
秘密文書の元となった羊皮紙を発見したのは、レンヌ・ル・シャトーの修道院で司祭をしていたベレンジャー・ソニエール(1852~1917)なる人物なようだ。
彼は基本的には、神父らしい質素な暮らしをしていたようだが、教会の改築などにけっこうな金を使っていて、その財源に関して黒い噂が囁かれてたりもしたという。
かつてレンヌ・ル・シャトーの近場には、莫大な財宝を隠し持っていたとされる秘密結社テンプル騎士団の支部もあったようで、彼はその隠し財宝を見つけていたという説もある
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一般的な陰謀論においては、ソニエールは、レンヌ・ル・シャトーの秘密文書に加え、イエス・キリストとマグダラのマリアに関する驚愕の秘密を発見していたとされる。
それは、実はイエスとマリアは結婚していて、その家系がメロヴィング王朝に繋がるという証拠らしい。
マリアはキリストが処刑された時、子供を連れてフランスに逃れた。
その後フランク人と交わって、新たな王朝に繋がったのだという。
このシナリオが語られる時。
ソニエールの富の財源は、秘密を隠蔽しようとしたローマ教皇かシオン修道会だとされることが多い。
あるいは、繋がりはよくわからないが、ハプスブルク家が彼に資金援助していたという噂もある。
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秘密文書の経緯
レンヌ・ル・シャトーのマグダラのマリア教会に、新しい司祭として、ソニエールが赴任してきたのは、1885年のことだった。
すぐに、地元の少女マリー・デナルノーが家政婦として彼の下で働くことになったが、彼女はソニエールが死ぬまでそこで働いていた。
また、ソニエールの前任であるアントワーヌ・ピグーなる男は薔薇十字団だったという噂がある。
ソニエール自身はレンヌ・ル・シャトーからそう遠くないモンタゼルの町の出身。
彼がレンヌ・ル・シャトーにやってきた時の教会は、ボロボロの壁に、穴の空いた天井と、かなりひどい状態で改修が必須に思われたが、ほぼ無一文だった彼は、教区民に頼るしかなかった。
最初はギリギリ生きるだけで精一杯だった彼だが、1892年に、カルカソンヌの司教に借金もして、改修工事を本格的に始めた。
するとどうか。
教会の板石を剥がした時に、そこから大量の金貨と謎の聖杯が入った袋が見つかったのだという。
ソニエールは以降、改修工事のための材料の石を集めるふりをして、教会周囲の探索をするようになった。
そしてある時、工事を手伝ってもらっていた地元の男が、1枚の羊皮紙が入ったガラスの小瓶を発見した。
その羊皮紙に何が書かれていたかは諸説あるが、よく、隠し部屋への地図だったのでないかとされる。
ソニエールはその後も、教会の改修工事と見せかけた発掘を、しばらくは二人の男に手伝ってもらっていたが、何か光るものが出てきたと聞いてからは、しばらく教会を閉鎖した。
その間は自分で発掘作業を続けていたのだとされている。
彼を手伝った者たちには、発掘されたものは何か光るメダルのようなものに見えたらしい。
とにもかくにも協会にはやたら多くの光る品物が隠されていたようで、それらはフランス革命の時に隠されたなどという説がある。
さらに彼は地下の隠し聖堂を見つけたが、秘密文書のいくらかはそこで発見されたのだという。
それらの文書は暗号で書かれていたが、ソニエールはそれを解読できず、他の何人かの司教に助言を求めた。
そこから彼は、カトリック教会に潜り込んでいたシオン修道会のメンバーと接触することになったのだとされる。
ところで秘密文書自体が偽装の疑いがあることについて、上記のようなソニエール神父の伝説が真実だと考える者は、たいていプランタールやセードが用意した文書がオリジナルのものに勝手に手を加えたものだとすることが多い。
テンプル騎士団とシオン修道会の関係
シオンはエルサレムの山
テンプル騎士団に関しては、そもそもシオン修道会と同じ組織か、あるいは派生とされる場合もある。
秘密文書にも、両組織が最初は総長を共有していたかのような記述があるそうだ。
12世紀頃。
第1回十字軍はイスラム教徒たちのものになっていた聖地エルサレムを奪回し、そこで自分たちのエルサレム王国を始めた。
「十字軍遠征」エルサレムを巡る戦い。国家の目的。世界史への影響
その第1回十字軍の指導者であり、エルサレム王国の実質的な最初の支配者とされるブイヨンのゴッドフリー(1060~1100)が、シオン修道会の設立者という説があるのだ。
その場合、シオンというのは、エルサレムにあった山(丘)の名前とされる。
またテンプル騎士団は、本来はエルサレム王国に巡礼に来るキリスト教徒たちを守護するために結成された、自警団的な組織である。
シオン修道会と同一視する説においては、巡礼者の護衛ははなから表向きの理由で、最初からこの秘密結社における武装勢力だったとか言われたりもする。
いったい何を見つけていたのか
あるいはテンプル騎士団の生き残りが、シオン修道会を作ったのだという説もある。
テンプル騎士団結成の本来の目的は、実はエルサレムに存在しているはずの、キリストとマリアの結婚と、子供がいたことを証明する為の証拠の探索であった。
そしてその決定的な証拠となる機密文書を入手したテンプル騎士団は、自分達の存在を承認してもらうためという名目でヨーロッパに帰国。
様々な王国やキリスト教会に革命を起こしてしまいそうなその機密文書がどこに渡ったのかは諸説ある。
しかし少なくともローマ教皇とフランス国王は、その文書の存在を知っていたとされ、その秘密を闇に覆われたままにしておきたいと考えた。
そして、その思想が後のテンプル騎士団の弾圧に繋がっていった。
結果的に騎士団は壊滅させられたが、その生き残りは秘密結社シオン修道会となって、秘密を守り続けているのだという
歴史的に豪華な歴代総長リスト
秘密文書にはシオン修道会の歴代総長の名前が載っていたようだが、その中には歴史上の有名人も多くいたという。
テンプル騎士団と総長が同じだったのは、1188年まで、以降は以下のような系譜らしい。
ジャン・ド・ジゾール(1188〜1220)
マリー・ド・サン・クレール(1220〜1266)
ギヨーム・ド・ジゾール(1266~1307)
エドゥアールドバール(1307〜1336)
ジャンヌ・ド・バー(1336〜1351)
ジャン・ド・サン・クレール(1351〜1366)
ブランシュ・デヴルー(1366〜1398)
ニコラ・フラメル(1398〜1418)
ルネ・ダンジュー(1418~1480)
イオランド・デ・バー(1480~1483)
サンドロ・ボッティチェリ(1483〜1510)
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1510〜1519)
コネタブル・ド・ブルボン(1519〜1527)
フェランテ・ゴンザガ(1527~1575)
ルドヴィコ・ゴンザガ(1575〜1595)
ロバート・フラッド(1595〜1637)
J・バレンティン・アンドレア(1637〜1654)
ロバート・ボイル(1654~1691)
アイザック・ニュートン(1691~1727)
チャールズ・ラドクリフ(1727~1746)
シャルル・ド・ロレーヌ(1746〜1780)
マキシミリアン・ド・ロレーヌ(1780~1801)
チャールズ・ノディエ(1801〜1844)
ヴィクトル・ユーゴー(1844〜1885)
クロード・ドビュッシー(1885〜1918)
ジャン・コクトー(1918〜1963)
※()内は総長をしていた時期。
錬金術師としての伝説を持っているニコラ・フラメル(1330~1418)。
「錬金術」化学の裏側の魔術。ヘルメス思想と賢者の石
画家であるサンドロ・ボッティチェリ(1445~1510)やレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)。
科学者のロバート・ボイル(1627~1691)やアイザック・ニュートン(1643~1727)。
「ニュートン」世界システム、物理法則の数学的分析。神の秘密を知るための錬金術
作家のチャールズ・ノディエ(1780~1844)やヴィクトル・ユーゴー(1802~1885)
作曲家のクロード・ドビュッシー(1862~1918)などが名を連ねるこのリストが本当ならば、確かに驚愕すべきことかもしれない。
上記の総長リストは、一見有名人を適当に並べただけのようにも思えるが、どうも異端派の考えに大なり小なり興味を持っていた者たちを採用しているようだ。
また一時期、総長が空白だった時に、ミシェル・ノストラダムス(1503~1566)が闇の総長をしていたという噂もある。
そこで彼の予言集には、シオン修道会に関するものが比較的多いという説がある。
「ノストラダムス」医師か占星術師か。大予言とは何だったのか。
ちなみにコクトーの次の総長が、プランタールということになるらしい。
多くの証言。次々と追加される物語
実際、シオン修道会は詐欺師が遊びで作った些細なコミュニティにすぎなかったのだろうか。
まず間違いないことは、このような組織がそれより古くから存在していたのだとしても、世間の話題にその名が登場するようになったのはプランタール以降ということ。
それまでは、シオン修道会なる組織はその名前すら一般に知られず、存在していたという一切の根拠はない。
しかし肝心の秘密文書が創作である可能性が高いと考えられるようになってからも、この組織に関する伝説を語る者は後を絶たない。
基本的に新しい情報は、このシオン修道会に所属しているか、または所属していたという者の証言からのようだ。
どうも元々シオン修道会には、もっと外部に自分たちのことを公にしたい、という考えを持っている者がけっこういたらしい。
それで、偶然か意図したものか、その名が一般人にも知られるようになってきたから、丁度いい機会だと考えられたのだという。
シオン修道会には共有する思想もあるが、基本的には所属する個々人で結構考え方が違ってたりするようだ。
ただ、絶対的に秘密にしなければならないこともあるようで、例えばシオン修道会に所属している者から話を聞いたというジャーナリストなどは、たいてい共通して、彼らがシオン修道会であるという証拠は確実にあるのだが、それは秘密にする約束だから言えないなどという。
ただシオン修道会としては、自分たちが守っている秘密を、いつか全て一般に公開しようという考えは共通にあるとされる。
内部では、それをいつにするかで揉めているらしい。
シオン修道会はあくまでも秘密を守っているだけで、それ自体が秘密(結社)というわけではないという意見もある。
薔薇十字団の影響
実のところシオン修道会というのはかなり大規模な組織であり、その全ての中心にあるのが、「秘教部門」、あるいは「霊部門」らしい。
それは錬金術師の少数精鋭で、全員がその奥義を極めし者(つまり賢者の石を作った者)とのこと。
このトップの少数精鋭は、薔薇十字団か、あるいは薔薇十字団の者が作ったという説もある。
逆に、薔薇十字団を結成したというクリスチャン・ローゼンクロイツが、このシオン修道会の錬金術師たちに教えを受けたのだという話を語る者もいる。
またシオン修道会は、優れた芸術作品を使って、社会の人の心を向上させようとしてきたらしいが、どうも達人の奥義は芸術に繋がるらしい。
秘密結社同士のつながり
シオン修道会という組織内部の者たちは、共通の目的を持っているだけという話もある。
この組織には明確な階級というものがなく、それがテンプル騎士団と袂を分かつ原因になったのではないかと推測されたりもする。
そのテンプル騎士団や、フリーメーソン、薔薇十字団など、シオン修道会は他の秘密結社との横の繋がりが比較的強い組織でもあるようだ。
というよりシオン修道会は、その理念から、自分たち自身がそのまま表に出てくるというようなことはなく、歴史の中において何か活動する時は、常に他の組織に加わることでその役目を果たしてきたのだという。
シオン修道会の名が近年まで全く知られていなかったのは、この行動方法のためだされる場合もある。
シオン修道会は組織というよりも共通思想で、テンプル騎士団の一部の修道僧たちがその時共有したもの。
そこからこの修道会がテンプル騎士団の派生という伝説が生まれたという説もある。
そこから、実はシオン修道会の思想は、キリスト以前からあると言われたりもする。