海に関する基礎知識
『海(Sea)』とは、地球における陸地以外で、塩分濃度が比較的濃いめの水、いわゆる「海水(Seawater)」で広く満たされた領域のこと。
より広い範囲の大きな海は「海洋(oceansea)」と呼ばれる。
また、地球上の大部分の水域とされる五つの海洋、『太平洋(Pacific ocean)』、『大西洋(Atlantic ocean)』、『インド洋(Indian ocean)』、『北極海(Arctic ocean)』、『南極海(Southern ocean)』は、まとめて「大洋(ocean)」などと称される。
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たいてい流体の物質が、 他の物質の領域を削ったり、染み込んだりして、食い込んでいく現象を「侵食(erosion)」。
「流体とは何か」物理的に自由な状態。レイノルズ数とフルード数
そして、海の一部が陸地を侵食し、大半が陸地に囲まれているような形になった(海の一部の)水域を「湾(bay)」と言う。
比較的小さな湾は「入り江(Cove)」と呼ばれる。
また、英語では小さい湾をbay、大きい湾をgulfと使い分けたりもする。
それと、(普通は)ふたつの海、湾、入り江などを繋ぐ、陸地により狭められた水路を、「海峡(Strait)」。
船による移動などを実現するために人工的に作られた水路を「運河(canal)」と言う。
あと、一部が列島とかに囲まれて、部分的に閉じた海を「縁海(Marginal sea)」。
完全に大陸のみによって囲まれた海を「地中海(mediterranean sea)」と呼ぶ。
それほど大きくないものを含めた、海から閉ざされた水域全般を指す「湖沼(lake and marsh)」という総称もあり、これはさらに細かく分類されることが多い。
例えば、大きいものを「湖(lake)」、小さいものを「沼(swamp)」とか。
太平洋。なぜ平和な海と名付けられたのか
太平洋は、アジアの日本側の方にある、アジア以外に、オーストラリア、南極、南北アメリカの各大陸に囲まれている、海洋。
地球表面の1/3ほどを占めている領域とされ、文字通りこの星で最大の海である。
また最大の海だけあって、もちろん島の数も多く、おそらく2万5000ぐらいとされている。
そしてその数は、太平洋以外の全ての海の島を合わせた数よりも多いという。
ただ大陸プレートの移動の関係で、毎年数センチずつぐらい狭まってきているとされる。
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太平洋という名称は、1602年の中国にて、イエズス会宣教師のマテオ・リッチ(Matteo Ricci。1552~1610)が作成したとされる『坤輿万国全図』とかいう世界地図を参考に、日本でも作られるようになった世界地図において、幕末くらいまでに、Pacific oceanの訳語として定着した表記らしい。
マテオ・リッチは、著名人を含む多くの中国人をカトリックに改宗させた宣教師として、キリスト教の歴史の中でも評価が高い。
彼の弟子には例えば、ユークリッドの原論を漢字に翻訳したとされる、徐光啓(1562~1633)がいる。
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徐光啓はまた、孔子の古典などのラテン語への翻訳にも関わっているらしい。
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Pacific oceanは、探検家のフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan。1480~1521)が、世界一周航海の途中。
マゼラン海峡を抜け、太平洋にきた時に、ずいぶん穏やかだったものだから、Mar Pacifico(平和な海)と表現したことが由来とされる。
太平洋は、アジア側、マレーシアやインドネシアの方(西方向)。
スマトラ島とマレー半島の間を走る「マラッカ海峡(Strait of Malacca)」を通してインド洋と繋がっている。
また、 南アメリカ大陸の方(東方向)。
チリやアルゼンチンの方の端(大陸南端)と、 南アメリカ最南端とされるティエラ・デル・フエゴ(フエゴ諸島)のフエゴ島との間の「マゼラン海峡(Strait of Magellan)」。
それにフエゴ諸島のオルノス島南のホーン岬と、南極海のサウス・シェトランド諸島(南極の北側の諸島)との間の「ドレーク海峡(Drake Passage)」を通しては、大西洋と繋がっている。
ドレーク海峡は世界最大の広さを持つ海峡とされていて、最も狭いところでも600キロ以上もあるという。
太平洋が大きすぎて、このスケールでも、陸地に狭められた水路とみなせるわけである。
そしてこれの太西洋側の方には、大西洋と南極海にまたがった海域とされる『スコシア海(Scotia Sea)』がある。
さらに、 ロシアと北米の間の方(北方向)。
アリューシャン列島を越えた先は『ベーリング海(Bering Sea)』と呼ばれていて、さらに先に進んだ、北米はアラスカのスワード半島と、ロシア連邦は東シベリアのチュクチ半島との間の「ベーリング海峡(Bering Strait)」を通しては、北極海と繋がる。
太平洋に含まれることが多い海の代表格としては、ベーリング海以外にも、『オホーツク海(Sea of Okhotsk)』、『日本海(Sea of Japan)』、『黄海(Yellow Sea)』、『東シナ海(East China Sea)』、『南シナ海(South China Sea)』、『スールー海(Sulu Sea)』、『セレベス海(Celebes Sea)』、『ジャワ海(Java Sea)』、『バンダ海(Banda Sea)』、『フローレス海(Flores Sea)』、『アラフラ海(Arafura sea)』、『珊瑚海(Coral Sea)』、『タスマン海(Tasman Sea)』などがある。
ベーリング
ベーリング海は、シベリア東とアラスカ北、アリューシャン列島北に囲まれた海で、太平洋の最北部にあたる。
サケやカニがよくとれる、いわゆる好漁場として知られている(注釈)。
しかし波は荒れやすくもあり、難破や遭難事故もけっこう多い。
その名は探検家のヴィトゥス・ベーリング(Vitus Jonassen Bering。1681~1741)から。
彼は、アリューシャン列島の一部を発見した人物でもあり 実際に航海して、ユーラシア大陸(アジアとヨーロッパの大陸)とアメリカ大陸が陸続きでないことを証明した功績で知られている。
(注釈)好漁場とは潮目か
ある程度決まった方向に流れる「海流(Ocean current)」を、特に温度により、暖かい「暖流」と冷たい「寒流」に分ける場合がある。
また、温度とか塩分濃度とかみたいな化学的な性質がかなり一様なものを「水塊(Water mass)」と言う。
「潮境(boundary of water-masses)」とは、異なる水塊の境界で、ふつうは暖流と寒流の収束領域である。
それは表面的には、魚がよく集まる場ともなり、そうした魚がよく集まった場としては、「潮目(current-rip)」という名称もある。
基本的に好漁場は潮目であることが多い。
そこには異なる水塊に適応した魚のどちらもが集まりやすく、 流れてきた豊富なプランクトンが溜め込まれるような形となるために、大量の魚が育つ場となる。
つまり魚を狩る場としても、非常によいものとなるわけである。
オホーツク
ロシア連邦のカムチャツカ半島と、日本の千島列島、 それにロシアらしい樺太(あるいはサハリン)とかいう島に囲まれた、日本的には北海道のさらに北にある海。
北海道の東から、カムチャッカ半島へ伸びているような形になっている千島列島が太平洋との境目となっている。
名称は、ロシア人が、この海沿いに都市として用意した、オホーツクに由来する。
日本
その名称について韓国と多少揉めてるようだが、世界的な標準は日本海らしい。
朝鮮語では、トンへ(동해、東海)とか、チョソントン(조선동해。朝鮮東海)と呼ばれているらしいが、 どのみち名称なんて時代や言語によって違うのだから、わりとどうでもいい話である。
ロシアと樺太の間の「間宮海峡(タタール海峡)」。
それに、樺太と北海道の間の宗谷海峡で、オホーツク海と繋がる。
また、北海道と本州の間の津軽海峡を通しては太平洋と繋がっている。
それと、九州の北西の、「玄界灘」という海域に、長崎県に属している対馬という島がある。
その対馬と、九州の間、それに朝鮮半島(韓国と北朝鮮)との間の「対馬海峡」では、東シナ海と繋がっている。
東シナ
九州から台湾にかけて連なるような南西諸島(沖縄や尖閣諸島を含む島々)、それに、中国と朝鮮半島に囲まれている海。
特に中国と朝鮮に挟まれている海域は黄海とも呼ばれる。
チベット自治区に水源がある、 中国大陸最大の長さの川、「長江」は、この海に注がれている。
南西諸島の向こう側は太平洋であるが、そこからミクロネシアぐらいまでを『フィリピン海(Philippine Sea)』とする場合もある。
そして、台湾と中国の間の「台湾海峡」で、南シナ海と繋がっている。
シナ(支那)という名称に関しては、かなり古くからあって、はっきりしない部分もあるが、例えば秦に由来しているという説などがある。
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黄
この海の内陸側の方はさらに、「渤海」と呼ばれる。
そしてその渤海には、長江に続き、中国で2番目に長い川である「黄河」が注いでいる。
黄河の水源もまた、チベットの方である。
ところで砂より小さく、粘土よりざらざらな感じの、シルトとよばれる泥が堆積して形成した、黄色みの強い土を黄土と言う。
黄河の水路には、黄土の地もあり、その際に侵食されたシルトの細かい粒子が溶け込んでくる。
そしてそのまま、その黄土の粒子が黄海まで流されていくから、黄河で、黄海なのである。
南シナ
ここはユーラシアの、中国とその南の方の地域(例えばベトナム、カンボジア、タイ、マレー半島)。
さらに、インドネシア、マレーシア、ブルネイの3ヵ国が領土を分け合うボルネオ島(あるいはカリマンタン島)。
それにフィリピンに囲まれた海。
フィリピンの先は太平洋である。
そしてボルネオ島をインド洋側に回り込むと、そのままボルネオと、スマトラ島、それにジャワ島に囲まれたジャワ海。
太平洋側に回り込むと、フィリピンとボルネオ島を繋いでるような、パラワン島とスールー諸島に挟まれたスールー海がある。
ジャワ海をさらにオーストラリアの方に進むと、フローレス海。
スールー海をさらにオーストラリアの方に進むと、セレベス海。
そしてボルネオ島との間に「マカッサル海峡(Makassar Strait)」を置くスラウェシ島を回り込むように、フローレスとセレベスはどちらも、バンダ海に続いていく。
そしてバンダ海をさらにオーストラリア側に進むと、 オーストラリアとニューギニア島に挟まれる形の、アラフラ海がある。
そしてニューギニア島よりもさらに先、オーストラリアから太平洋側には珊瑚海が広がり、ニュージーランドとの間にはタスマン海がある。
ジャワ
ジャワという名前の由来はかなり謎である。
とりあえずは、古くジャワ島で一般的であったらしい植物、ジャワウット(アワ。Setaria italica)にちなんでいるという説がある。
一応は5世紀頃に島にインド人が到来してから、インド人がつけた名前だという説が最も有力らしい。
だがそれ以前に存在していた名前はちゃんと記録に残っていない。
当然のように、紀元前1500年ぐらいに台湾からやってきたらしいオーストロネシア人がすでにつけていた名前という説もある。
その説的にはどうも「家」を意味する語に由来しているようだ。
また有名なギリシャの科学者であるクラウディウス・プトレマイオス(Claudius Ptolemaeus。100~170)は、150年くらいの「地理学(Geography)」という書で、イアバディウ(Iabadiu)とかいう島に言及しているという。
それはジャワ島ではないかともされ、さらにその名の由来は、 アジアの広い地域に強い影響力を持っていたサンスクリット語のYavadvipa(麦の島)でないかともされる。
JavaはこのYavadvipaからという説もある。
スールー
スールーは、かつてその海の島々の多くを支配したというイスラム教国のスールー・スルタン国(Sultanate of Sulu)から。
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スールーの国は、15世紀ぐらいに成立したらしい。
その支配勢力は、パラワン島やボルネオ島にまで及んでいたという。
元は、ちょうど15世紀くらいにマレー半島で栄えていた、マラッカ王国とかいう、やはりイスラム教国から、スールー諸島にやってきたシャリフ・ウルハシム(Sharif ul-Hashim)という探検家が、新たに作った王国らしい。
しかし、彼が来るよりもっと早くに、すでにこの国が成立していたとする資料もあるようだ
フローレス
なぜその名がつけられたのかはよくわからないが、フローレスは「花」という意味のポルトガル語。
フローレス島は、現世人類(サピエンス)が移住してくる、 おそらく5万年くらい前より以前に、そこに住んでいたとうホモ・フロレジエンシスという人類種がけっこう有名。
大人でも1メートルくらいの小人だったとされる。
また、コモドオオトカゲで有名なコモド島が近くにあり、フローレス島の一部でも、その大トカゲは生息しているという。
セレベス
スラウェシ島は、セレベス島と呼ばれていたことがあり、そこからであろう。
セレベスというのは、おそらくはその地にポルトガル人が来た時に、スラウェシを勝手にヨーロッパ的な響きに変えたものと思われる。
では、スラウェシとは何であろうか。
おそらくは、インドネシア語の、sula (島) とbesi(鉄)に由来するという。
おそらく歴史的に、この地ではよく鉄鉱石が取れたのだろうとされている。
バンダ
バンダ諸島はナツメグとメースが有名で、19世紀半ばくらいまでは、世界で唯一の産地だったらしい。
ナツメグとメースはどちらも、ニクズクという木の種子、あるいはそれを粉末にした香辛料。
わりと古くから、西洋との交易などにおいても重要な品だったらしい。
バンダという名称の由来は完全に不明。
アラフラ
アラフラは「自由な人(Alfours)」という意味のポルトガル語に由来するという説が有力。
その名称を最初に使ったのは、ジョージ・ウィンザー・アール(George Windsor Earl。1813〜1865)というイギリス人らしい。
彼は優れた冒険家で、その記録を書いた著書も結構貴重とされていて、進化論で有名なチャールズ・ダーウィン(Charles Robert Darwin。1809~1882)とアルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace。1823~1913)に参考にされてたりもしたそうである。
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マイナーだが、付近のモルッカ諸島の住人が、自分たちのことをharaforas(山の子)と称していて、それが名称の由来とする説もある。
珊瑚。タスマン
グレート・バリア・リーフ(Great Barrier Reef)と言えば、オーストラリア北東の、世界最大のサンゴ礁地帯であるが、ここを含んでいるからして、珊瑚海の名は納得できようものだろう。
タスマン海は、探検家のアベル・ヤンスゾーン・タスマン(Abel Janszoon Tasman。1603~1659)にちなんでいる。
彼は最初に、ニュージーランド、フィジー、タスマニア島までやってきたヨーロッパ人として知られている。
大西洋。ギリシャの、世界を囲っていた伝説
大西洋は、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカの間の海。
プレートテクトニクス的には、かつて北米とユーラシア大陸の分裂、 南米とアフリカ大陸の分裂が近しい時期に起きて、そこに生じた隙間が、現在の大西洋になったのだとされている。
そこで北米とユーラシアの方を北大西洋。
南米とアフリカの方を南大西洋と呼ぶ分類もある。
Atlantic oceanの名前は、 その海に沈んだとされる伝説の大陸アトランティスか、そのアトランティスの由来となったギリシャの神アトラースからとされている。
「アトランティス」大西洋の幻の大陸の実在性。考古学者と神秘主義者の記述。
そしてマテオ・リッチの『坤輿万国全図』には、すでに大西洋という訳語が見られるそうである。
古くはこの海は「Western Ocean(西洋の海)」と呼ばれていたようで、大西洋という訳語はその名残とも言える。
というかどうも、Atlantic oceanというのは、しっかり太平洋と区別された海として認識されるようになってから、正式に決まったようである。
大西洋というか、例えば世界の周囲をめぐる川とか、本来とは全く違うようなイメージを抱かれていた頃は、やはりギリシャの神のオーケアノスとか、なぜだかエチオピア海(Aethiopian Sea)という名称もあったらしい。
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一般的に、よく大西洋に含まれる代表的な海としては『ラブラドル海(Labrador Sea)』『ノルウェー海(Norwegian Sea)』、『北海(North Sea)』、『バルト海(Baltic Sea)』、『地中海(the Mediterranean Sea)』、『黒海(Black Sea)』、『カリブ海(Caribbean Sea)』。
それに部分的に南極海と分けあっているスコシア海。
普通に北極海ぽいが『グリーンランド海(Greenland Sea)』も含まれる場合がある。
ラブラドル
カナダのラブラドル半島とグリーンランドの間にある海。
この海は大西洋に含めない場合も結構ある。
ラブラドルという名称は、その半島の辺りと、グリーンランドを探検したジョアン・フェルナンデス・ラヴラドール(João Fernandes Lavrador。1453~1501)という探検家にちなむ。
記録に残る最後の探検で消息不明となったので、実際にいつ死んだのかは謎。
ラヴラドール(作り手)というのは、称号で、本名はジョアン・フェルナンデス(João Fernandes)。
近しい時代に、アフリカで活躍していた探検家に、同じポルトガル出身かつ同姓同名の人物がいる。
カナダ側の方のラブラドル半島とバフィン島の間の「ハドソン海峡(Hudson Strait)」の先には「ハドソン湾(Hudson Bay)」があり、ハドソン湾はさらに、 ケベック州とオンタリオ州に挟まれた「ジェームズ湾(James Bay)」と接している。
また、バフィン島とグリーンランドの間の「デービス海峡(Davis Strait)」、それに「バフィン湾(Baffin Bay)」と繋がっている。
そのバフィン湾をさらに進むと、クイーンエリザベス諸島があり、そこを越えると、太西洋から見たカナダ大陸の向こう側、つまり北極海に属する『リンカーン海(Lincoln sea)』である。
グリーンランド。ノルウェー
グリーンランドから見てカナダから反対側には、いかにもどこの大海にも属していないような雰囲気のグリーンランド海がある。
そしてそのグリーンランド海の、スカンジナビア半島までの領域だが、途中でノルウェー海へと変わる。
こちらは普通に大西洋に含められることが多い。
そして、スカンジナビア半島とブリテン島の間にある北海は、このノルウェー海と接している。
グリーンランド海は北極海に含まれることもけっこう多い。
北
北海はさらに、ブリテンとフランスの間の「イギリス海峡(English Channel)」を通って大西洋と繋がっている。
イギリス海峡で最も狭い北海への出入口となる部分は、「ドーバー海峡(Strait of Dover)」として区別されることが多い。
さらには、 ヨーロッパ内陸の方向にある海峡や運河を進んで行くと、スカンジナビア半島とヨーロッパ大陸に挟まれたバルト海につく。
バルト
ヨーロッパのかなり内陸に入り込んでいるために、この海は、スウェーデン、フィンランド、ロシア、エストニア、ラトビア、リトアニア、ポーランド、ドイツ、デンマークと、わりと多くの国に囲まれている。
これらのうち、エストニア、ラトビア、リトアニアは、マイナーなためか、バルト3国としてまとめられがち。
この海を最初にMare Balticum(バルト海)と記述したのは、11世紀頃の年代記家、ブレーメンのアダム(Adam von Bremen)とされている。
なぜそういう名前なのかは謎なのだが、普通にbelt(帯)の意味だったのでないかという説がある。
この名称は、ヨーロッパのあちこちの言語における、水や海に関連する物質の名前に関連しているという話もある。
元は「囲まれた海」を意味していたとも。
また、スウェーデンの歴史家の中には、北欧神話の神バルドルに関係しているのではないかと指摘する者もいるという。
地中。黒
地中海もまた、名前から明らかなように、かなりの範囲を大陸に囲まれている縁海である。
大西洋とはイベリア半島とアフリカ大陸の間の「ジブラルタル海峡(Strait of Gibraltar)」を通して繋がっている。
そして地中海のさらに内陸の方。
バルカン半島(ギリシャ)とイタリアの間には「イオニア海(Ionian Sea)」。
バルカン半島と、小アジアことトルコのアナトリア半島の間には「エーゲ海(Aegean Sea)」。
そしてエーゲ海から、トルコのヨーロッパ領域とアジア領域の間の「マルマラ海(Marmara Sea)」を挟んだ先に、黒海がある。
この海と地中海は、実質的には、ほとんど隔絶されているようなものであるともされる。
カリブ
アメリカの方の、北米と南米の間にあるような「メキシコ湾(Gulf of Mexico)」と「カリブ海」もまた、大西洋の一部として語られることが結構多い。
これらもやはり、アメリカ大陸の内陸にかなり入り込んでいると言えるような海なのだが、ヨーロッパの方の地中海などに比べると、その出入り口はかなり大きい。
特にカリブ海には島が結構あり、それらをまとめて、カリブ諸島とかカリブ地域とか言う。
カリブという名称は、その海の小アンティル諸島から南米本土の方にかけていた先住民族であるカリブ族からきてるらしい。
メキシコ湾は、カリブ海と区別されない場合もけっこうある。
スコシア
南極半島、サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島、それにフエゴ島に囲まれた海。
ウィリアム・スペアズ・ブルース(William Speirs Bruce。1867~1921)という海洋学者が、探険のために使った船の名前が由来らしい。
ブルースは、南極に気象観測場を設置した功績などでよく知られている。
インド洋。なぜこれだけ国名か、地理学史上最大の謎
アフリカ、アラビア半島、アジア、オーストラリアに囲まれ、南の方は南極海と繋がる海。
この海がなぜ「インド」洋なのかは、地理学、世界史における大きな謎である。
北極、南極はともかくとして、昔は大西洋もエチオピア海と呼ばれることもあったわけだが、まるで、それがそのまま後にも採用されたかのような名称である。
とりあえず、Oceanus Orientalis Indicus(Indian Eastern Ocean。東インドの海)という名称は、16世紀くらいには、すでにあったという。
ただ18世紀くらいまでの地図には「Eastern Ocean(東洋の海)」というふうに書かれることが多かったようだ。
世界の各海がちゃんと区別されるようになってから、Atlantic oceanはわりとすぐ定着したようだが、こちら(Indian ocean)はなかなかだったとされる
一方で、当たり前といえば当たり前なのかもしれないが、中国では、その海を「西洋海」とか言ってたらしい。
大航海時代のヨーロッパ人たちの多くは、特に香辛料を求め、インドを目指したために、アジアといえばインドみたいな認識が強かった可能性はある。
また歴史的に、大インドと呼ばれるように、アジアのかなりの広範囲が、インドとして認識されていたともされる。
これとつながる代表的な海としては『アラビア海(Arabian Sea)』『紅海(Red Sea)』、『ラッカディブ海(Laccadive Sea)』、『アンダマン海(Andaman Sea)』などがある。
アラビア
アラビア半島とインドの間の海。
オマーンとイラクの間を抜けて、内陸に入っていくと、『オマーン湾(Gulf of Oman)』、『ホルムズ海峡(Strait of Hormuz)』に続き、『ペルシア湾(Persian Gulf)』がある。
このペルシア湾には、メソポタミア文明で有名な、ティグリス・ユーフラテス川(シャットゥルアラブ川)が注いでいる。
一方でアラビア海自体には、チベットの方からインダス川が注いでいる。
紅
アラビア半島から見ると、ペルシア湾と逆。
半島とアフリカとの間にあるのが紅海。
ヨーロッパの方向へ行くと、エジプトの端とアラビアの間くらいに「スエズ湾(Suez Bay)」があり、さらには「スエズ運河」で、地中海と繋がる。
インド洋側へは、「バブ・エル・マンデブ海峡(Bab-el-Mandeb)」を境に、ソマリアとイエメンの間くらいの「アデン湾(Gulf of Aden)」からアラビア海へ繋がる。
もともと、別に赤くもないこの海を、最初に赤だと言ったのはギリシア人だったとされる。
おそらく、地図などで地域ごとの海を色で区別していた。
あるいはエジプトの大地を赤の大地として、その赤の大地の海という意味で、赤い海だったという説もある。
ラッカディブ
この海は、アラビア海から見て、アラビア半島自体との反対。
インドにスリランカ、それにモルディブ諸島とラクシャディープ諸島に囲まれている。
ラクシャディープ諸島を構成する領域の内のひとつに、ラッカディヴ諸島があるが、 古くはこの名が、ラクシャディープ全体を指す言葉としても使われていたようだ。
そしてこの海の名もそれに由来している。
ラクシャディープ、あるいはラッカティブは、サンスクリット語で「10万の島」を意味する「ラクシャディーパ」に関連しているという説がある。
アンダマン
インドの、アラビア海とは反対側。
バングラデシュやミャンマー、それにマレー半島との間には、「ベンガル湾(Bay of Bengal)」がある。
そしてこのベンガル湾のマレー半島の方。
半島とアンダマン諸島とニコバル諸島の間にあるのが、アンダマン海である。
アンダマンという名は、どういう意味でつけられたのかさっぱりわかっていない。
ただとりあえず15世紀頃には、中国に「安得蛮(アンダマン)」という記録が見られたりするという。
だがやはり、何のことかは謎である。
北極海。寒く、氷ばかりで閉じられている
ユーラシア大陸、北極大陸、グリーンランドに囲まれている。
塩分濃度などから、大西洋に属しているように扱われることもある。
北極海に属しているとされる代表的な海としては、『バレンツ海(Barents Sea)』、『カラ海(Kara)』、『ラプテフ海(Laptev Sea)』、『東シベリア海(East Siberian Sea)』、『チュクチ海(Chukchi Sea)』、『ボーフォート海(Beaufort Sea)』、リンカーン海などがある。
ノルウェー海を、ロシア目指して、スカンジナビア半島からロシアへと進むと、バレンツ海である。
そこからはさらに、同じくロシアの海岸沿いにあるカラ海、ラプテフ海、東シベリア海と連続していく。
そしてチュクチ海で、ベーリング海峡とは反対方向をアラスカ海岸沿いへと進むと、ボーフォート海がある。
リンカーン海はさらにもう少し先である。
バレンツ
フィンランドからロシアにかけて森と湖沼が多く広がるカレリア地域と、山地と平坦な地がまあまあ極端らしいコラ半島の間の湾である、「白海(White sea)」と繋がっている。
バレンツの名は、ヨーロッパの北の海の探検で有名なウィレム・バレンツ(Willem Barentsz。1550~1597)から。
彼は主に北ヨーロッパを探検して、寒さと氷に苦労しながらもスヴァールバル諸島に到達したりしたという。
ノヴァヤゼムリャは、バレンツ海とカラ海を分割している列島であるが、バレンツの探険隊はある時、氷に閉ざされてしまったせいで、ここでけっこうな時間を過ごさなければならなかったらしい。
彼らは4弾の火薬や、商人が持っていた生地などで暖をとった。
食べ物も、魚のほか、ホッキョクギツネや、時にはホッキョクグマを罠にかけて狩り、食した。
そして最終的には何人かは救出されたが、バレンツは帰らぬ人となってしまったようである。
カラ
カラはこの海に注いでいる川の名前でもあるが、どうも「寝床の氷」という意味らしい。
この海は古くは、Oceanus Scythicus(スキタイ人の海)とか、Mare Glaciale(氷河の海)という名前で知られていて、16世紀くらいの地図には、普通にその名で記されているという。
スキタイ人は黒海の辺りから、南ロシアの広い草原地帯にかけてに広い影響力を持っていた騎馬民族と、古代ペルシアやギリシャ人に記録されている者たちである。
しかし3世紀くらいに、東ゴート人に滅ぼされたらしい。
「ドイツの成立過程」フランク王国、神聖ローマ帝国、叙任権闘争。文明開化 「フランスの成立」カトリックの王、フランク王国の分裂、騎士の登場
しかし彼らの支配が及んでいた地域から、カラ海はけっこう離れていると思うのだが、なぜ「スキタイ人の」なんて呼ばれていたのかは謎である。
年間を通して、ほとんど氷に閉ざされている領域のために、19世紀までほとんど調査が進んでいなかったそうである。
ラプテフ
古くは、「ノルデンショルド海(мо́ре Норденшельда)」と呼ばれていたらしいが、この名前はニルス・アドルフ・エリク・ノルデンショルド(Nils Adolf Erik Nordenskiold。1832~1901)という人が由来。
彼は鉱山学者でもある探検家で、北欧から東アジアまでの最短ルートを開拓した功績がよく知られる。
改名されたラプテフというのは、ハリトン・プロコフィエヴィッチ・ラプテフ(Khariton Prokofievich Laptev。1700~1763)とドミトリー・ヤコブレヴィッチ・ラプテフ(Dmitry Yakovlevich Laptev。1701~1771)の二人から。
この二人はいとこ同士で、どちらも軍人で探検家だったという。
東シベリア
とりあえず、厳しい気候などにより、なかなか調査の進めづらい北極海の中でも、最も調査が進んでいない海域として知られている。
東シベリア海の海岸には、ユカギール(Yukaghirs)やチュクチ(Chukchi)などの先住民族が古くから住んでいるという。
物資運搬や狩猟に不可欠だったから、ソリをひかせるトナカイの飼育に関しては、かなり長けていたとされる。
また時代が進むと、モンゴル人などから追い立てられ、北へ逃げてきたいろいろな部族とも、交流を持ち、混じり合ったそうだ。
それらの諸部族は、言語はけっこう違えど、そのシャーマニズム的宗教世界には、共通する部分がかなり多いらしい。
チュクチ
チュクチは、前述した、その辺りに生きてきた先住民族からきている名前であろう。
ボーフォートに関しては、アイルランド出身のイギリス軍人、フランシス・ボーフォート(Francis Beaufort。1774~1857)から。
「アイルランド」伝統的なパブの特徴、ジャガイモ、ハープ、競走馬 「イギリス」グレートブリテン及び北アイルランド連合王国について
彼は水路学(Hydrology)の権威だったらしい。
水路学とは、実用的な海図作成に加え、水域の形や深さ、水の流れなどを対象とした、ようするに安全な航海を行うための研究を主としている学問。
南極海。やはり寒く、また境目が曖昧
この海は五大洋の中でも、他の海との境目をどこにするかで、最も意見が割れている海洋らしい。
ただ一般的には、北極海よりは大きいとされている。
南極海に属している代表的な海としては、「ロス海(Ross Sea)」、「アムンゼン海(Amundsen Sea)」、「ベリングスハウゼン海(Bellingshausen Sea)」、「ウェッデル海(Weddell Sea)」、「ラザレフ海(Lazarev Sea)」、「リーセルラルセン海(Riiser-Larsen Sea)」、「コスモナウント海(Cosmonauts Sea)」、「コーペレイション海(Cooperation Sea)」、「デービス海(Davis Sea)」、「モーソン海(Mawson Sea)」、「デュルヴィル海(D’Urville Sea)」などがあり、それらは南極大陸の周りを囲んでいる。
南極大陸にかなり食い込んでいるようなロス海から、時計回りに、アムンゼン、ベリングスハウゼン、ヴェッデル、ラザレフ、リーセルラルセン、コスモナウント、コーペレイション、デービス、モーソン、デュルヴィルである。
ロス。アムンゼン。ベリングスハウゼン。ウェッデル
ロスは、探検家軍人のジェイムズ・クラーク・ロス(James Clark Ross。1800~1862)にちなむ。
彼は、この海にあるヴィクトリアランドやロス島で、 いくつか火山などを発見した功績で知られている。
アムンゼンは、やはり探検家のロアール・アムンセン(1872~1928)から。
彼は南極点に到達した初の人類とされている。
また北極点にも行き、二つの極点のどちらにも行った初の人となった。
ベリングスハウゼンもまた、探検家のファビアン・ゴットリープ・フォン・ベリングスハウゼン(Fabian Gottlieb von Bellingshausen。1778~1852)に由来。
彼は、南極大陸を最初に発見した可能性がある一人である。
ウェッデル海の由来のジェームズ・ウェッデル(James Weddell。1787~1834)は、やはり探検家だが、アザラシハンターとしても有名らしく、探検の動機に関して、数が少なくなってきていたアザラシの新たな狩場を求めていたという話もあったりする。
ラザレフ。リーセルラルセン
ラザレフの名は、ロシアの海軍大将だったミハイル・ラザレフ(Mikhail Petrovich Lazarev。1788–1851)に由来しているという。
探検家としての彼は、1813年から1816年に地球を巡ったらしい。
サンクトペテルブルクからそう遠くないクロンシュタットから、アラスカまでを旅したそうである。
ラザレフは、太平洋はクック諸島のスワロー環礁を発見したことも知られている。
リーセルラルセン海はインド洋に含められることもある。
その名前は一応、極地探検家のヒャルマー・リーセルラルセン(Hjalmar Riiser-Larsen。1890~1965)にちなむようだが、国によっては、ここに正式な名前を設定しておらず、けっこう揉めてたりするらしい。
宇宙飛行士と、みんなで協力した証
コスモナウント(宇宙飛行士)海は、まるで意味不明だが、 1960年代のソビエトの探検隊が、 宇宙開発の飛躍を称えて、そういう名前をつけたらしい。
コーペレイション(協力)海は、こちらは結構わかる。
南極大陸を調査するために、様々な国が協力した証としての名前である。
多くの人類が、好奇心のために一つになった、その歴史的記録の証明である。
モーソン。デービス。デュルヴィル
地質学者で探検家のダグラス・モーソン(Douglas Mawson。1882~1958)は、1911年〜1914年に探検隊を率いて、オーストラリアより南の、南極の広い範囲を旅した。
オーストラリア南極遠征(Australasian Antarctic Expedition)と呼ばれたりするその探険において、福隊長だったジョン・キング・デイビス(John King Davis。1884~1967)と、彼自身の名から、モーソン海とデービス海は名付けられた。
そしてデュルヴィルの名もまた、探検家の名前から。
ジュール・デュモン・デュルヴィル(Jules Sébastien César Dumont d’Urville。1790~1842)は、軍人で、植物学者で、地図作製者としても知られているフランス人。
「フランス」芸術、映画のファッションの都パリ。漫画、音楽、星
多才な彼は、探検の経験を生かして、The New Zealanders: A story of Austral lands(ニュージーランドの人たち。南の大地の物語)という小説を書いたらしいが、それはニュージーランドの先住民であるマオリ族(Māori)が登場する、史上初の小説ではないかともされる。
普通に海ではないけど海と呼ばれることもある湖
一応、ただのでかい湖なのだが、伝統的に海と呼ばれているものも結構あったりする。
『カスピ海(Caspian Sea』や『死海(Dead Sea)』などがその代表格であろう。
どちらも、塩分濃度が濃い、塩湖(salt lake)である。
カスピ海は、イラン、トルクメニスタン、カザフスタン、ロシア、アゼルバイジャンに囲まれた世界最大とされる湖。
その名前は、これの岸辺りで生きていたカスピ族に由来しているのだという。
死海は、イスラエルとヨルダンに挟まれた湖。
歴史的には、いろいろな名前で呼ばれてきたようだが、死海というのは、生息する生物がかなり少ないことから付けられたものらしい。
ここの付近のクムラン洞窟(Qumran Caves)で、1946年くらいに、かなり古い聖書の写しらしい死海文書(Dead Sea Scrolls)が発見されたのはかなり有名。