プロヴァンス、カウンティ、リージョン
アイルランド(南アイルランド)という国の大まかな地域の分け方として、だいたいアイルランド島の東側の『レンスター』、西側の『コナクト』、南側の『マンスター』、北側の『アルスター』というのがある。
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これらは古い時代に大きな勢力をもっていた、王国ごとの領域とされ、それらは『プロヴァンス(地方)』と呼ばれる。
各プロヴァンスはさらに、「Co.~」と表記される『カウンティ』という県的なものに分類される。
カウンティとは別の区分として、たいていカウンティ複数で構成されている『リージョン』という区分もあり、首都『ダブリン』は、そのリージョンのひとつとされている。
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ダブリンの名前の意味
ダブリンという地区は、一応「タブリン・シティ」、「フィンガル・カウンティ」、「ダンレアリー・ラスダウン・カウンティ」、「サウス・ダブリン・カウンティ」の四つの地方自治体で構成されている。
これらの地区は、以前は『カウンティ・ダブリン』とも呼ばれていた。
タブリン郊外の「カウンティ・ミーズ」、「カウンティ・キルデア」、「カウンティ・ウィックロー」をさらに含んで、『グレーター・ダブリン』とする場合もある。
ダブリンという名は、9世紀に侵略してきたヴァイキングにつけられたもの。
「黒い水溜まり」という意味らしい。
アイルランド語では、ケルト人が名付けた「バリャ・クリーア」という名称があるが、こちらは「防壁で囲まれた街」という意味。
パブとビール。酒と酔っぱらいの国
アイルランドというば、酒と酔っぱらいの国というイメージがある。
まさに酔っぱらいの国的なジョークも多い。
例えばアイルランドにおいて、ヴァイオリンにはフィドルという別名もあり、同じ楽器なのに、あたかも別のように言われる。
曰く「酒を飲んだら弾けなくなるのがヴァイオリン、酒を飲まなければ弾けないのがフィドル」らしい。
しかし、別に酒を飲まない人も多いらしいから、アルコール消費量が他国より特別多いとかそういうことはないという。
ただし、ビールは本当に、世界の中でも大人気。
そして、実は家庭で飲む習慣は意外となく、ビールが消費されているのは、イングランド発祥である酒場「パブリック・ハウス」、いわゆるパブであるとされる。
パブを経営するためのライセンスの取得はなかなか難しいようで、経営者には権力者が多いともいう。
また、どうも伝統的にレストランは、ビールを出せない決まりになっているようで、パブはビールを飲める場として、古くから重宝されてきたのだそうだ。
それと、 昔からの伝統的なパブは、 酒を飲む場であるバーと、客たちの憩いの場として使われるラウンジとで、分かれている形式が普通だったが、今はそうとも限らなくなっているらしい。
ジャガイモ飢饉をこえて
イングランドの植民地であった時代。
アイルランドではジャガイモが主食だったから1845年後半からのジャガイモの凶作による飢饉は、かなり大きな被害をだした。
この大飢饉の時、外国へ逃れようとする多くのアイルランド人たちを移民として受け入れてくれた国がアメリカで、そのため、アイルランドでは今でも親米感情が強いと言われる。
そしてこの悲劇を教訓としてアイルランド政府はこれまで多くの疫病に強い品種のジャガイモを開発してきた。
最も有名なアイルランド料理とも言われるアイリッシュシチューにも、ジャガイモは基本たっぷり入っている。
たいていがジャガイモ、肉、タマネギなどを煮込むのだが、野菜の中で、ニンジンだけは別に茹でるという習慣を持つ者もいるようだ。
これは伝統的な方法らしい。
島国として考えた場合、魚介類の人気は控えめなようだが、サケなどは「霊感を授かる」という言い伝えなどもあって、人気とされる。
白身魚は衣をつけて、ジャガイモと一緒に揚げる「フィッシュ&チップス」という調理方がスタンダードなようだ。
競馬とドッグレース
アイルランドは、優れた競走馬やジョッキーの育成実績から「競走馬大国」と言われることもある。
アイルランドにおいて「競馬」の歴史は古いという。
1660年代に、イングランドではニューマート競馬場が、本格競馬の場として大きく発展したが、レンスターのキルデアは、「アイルランドのニューマート」と呼ばれていたのである。
競馬は、アイルランド内に文化として根深い。
1880年に国内では初のスポーツ専門誌「アイリッシュ・スポーツマン・アンド・ファーマー」でも、馬に関連した話題は豊富に扱われていた。
アイルランドはまた、馬の障害物競走の発祥地とも考えられている。
他、「ドッグレース(犬の競争)」もアイルランドではよく楽しまれてきたそうだ
宗教対立とサッカー
スポーツははやり、庶民のスポーツ、サッカーが大きな人気を持っているという。
アイルランドでサッカーが楽しまれるようになったのは19世紀後半からで、スコットランドから北アイルランドにまず伝わってきたようだ。
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イギリスに含まれている北アイルランドと、独立している南アイルランドの間には、政治的、宗教的な様々な衝突もあるが、20世紀半ばまでは、サッカーの国際試合に関しては、統一チームとなっていたようだ。
カトリックが多い南に対し、北はプロテスタントも多い。
そして多くのスポーツにおいて、カトリック、プロテスタント人口はどちらかに偏っているのに、サッカーだけはどちらの宗教に属する者も多く、これまで衝突が起きたこともけっこうあったようだ。
また、そういうわけだから、宗教対立を緩和する薬としても、サッカーは期待されてる節があるという。
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国章としてのアイリッシュ・ハープ
アイルランドは国章、つまり国家のシンボルとして、1945年に楽器のハープのデザインを制定した。
古い伝説などで、ハープはよく感情を操る魔法の道具として活躍してきたようで、神秘的なイメージも強いようだ。
12世紀くらいからの伝統的なアイリッシュ・ハープは小型で、16世紀くらいのハープ奏者は貴族たちに非常にいい扱いをされたという。
ハープをアイルランドの象徴とした最初の人物は、それを硬貨のデザインに設定した、イングランドのヘンリー八世だった。
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ハープのデザインは、アイルランドを象徴するものとして、北アイルランドに残り、さらに南アイルランドも独立後にハープを国章にしたので、それはアイルランド南北を合わせた象徴となった。
権力を持ちすぎたカトリック司教たちのスキャンダル
プロテスタントが台頭した後のヨーロッパにおいても、アイルランドは特にカトリックとの結びつきが強い国であったとされる。
これは植民地支配をするイングランドがカトリックを弾圧したのに対し、この国がカトリックを中心に団結することで、それに抵抗してきたから、という歴史が関係していると考えられている。
さらに政府の宗教には干渉しないというスタンスが、カトリックの司教たちの汚職を招いてしまった。
2002年のテレビ番組をきっかけに始まった公式の調査によって、ダブリン司教区の神父数人が、数百人の児童を虐待していた事実が明るみとなったのである。
しかも事件が明るみにならないようにするための、司教たちや、彼らに遠慮する警察の隠蔽工作まであったという。