「2001年宇宙の旅」モノリス。人工知能HAL。エネルギー生命。今も人気なガジェットいくつか

個人的には映画版よりもこちらがオススメ

 「これは、この広大な宇宙に多くいるだろう地球外生物と、我々地球生物との接触が、いまだに起こっていないのはなぜなのか、という疑問に対する回答の1つである(ただしもちろんフィクションでもある)」と結論する前書きからすでに、(とてもシンプルで、かつ古くさいながら)興味深いテーマの尽きない、名作SFである。

 小説の執筆と同時に製作されたという、スタンリー・キューブリック監督の「映画版」もまた有名であるが、 個人的には原作(というか小説版)のこちらの方が好き。
とりあえず映画版は、説明をほとんど映像のみですませているために、けっこう退屈だと感じた人でも、こちらは面白い可能性はある(実を言うと僕はそうだった)
一方で映画版は、おそらくは意図的に説明を極力省いていて、それはそれで様々な解釈が可能な作りになっていて、いい感じかもしれない。

リアルなSFは難しい

 非常に重要なこととして、この作品は、「地球生物と地球外生物が接触していないのはなぜか」というより、実質的に「ある惑星の知的生物が、別のある惑星の知的生物と接触しないのはなぜか」を前提としている。
明らかに作者であるアーサー・C・クラークは、地球的な化学特性、知性、意識、進化論を適用できるような生物を、他に数多く存在するであろう宇宙生物としても描こうとしている。
「生化学の基礎」高分子化合物の化学結合。結合エネルギーの賢い利用進化の分かれ道「進化論」創造論を最も矛盾させた生物学理論 ただクラークが、それが唯一の可能性と考えていたのかどうかは、この小説からは読み取れない。
クラークは明らかに、(執筆の時点で最大限の)リアリティにも拘っているみたいだから、生物のパターンを唯一のサンプルである地球生物型に絞るのは(というか絞らざるをえないのは)、当然といえば当然の話だろう。

 もちろんそもそも、それは決しておかしなアプローチではない。
少なくとも観測可能な宇宙の観測からは、宇宙のあちこちでの物理法則の決定的な違いなどは見つけられていない。
また、地球以外に生物は見つかっていない(他のサンプルがない)。
こんな状況では、少なくとも地球生物のような存在を探そうとする地球外知的生物がどこかにいるなら、それは地球生物のような生物と考えるのはかなり妥当だろうから。
「地球外生物の探査研究」環境依存か、奇跡の技か。生命体の最大の謎「宇宙生物が地球に来る目的」いくつかの問題点、ロボットの可能性  気になることがあり最新科学の本とかを読むと、「結局我々は何もわかっていないのではないか」と途方に暮れる場合が時々あるという。
それは、このようなリアリティを描こうとしたSFの方でも同じかもしれない。
我々の知見ごときで、リアル感のある地球外SFを描くなんて、未知の世界への適当な大冒険も同じなのである。

もしもの2001年の物語

 まずこの小説の物語を簡単に要約すると、以下のような感じ。

 20世紀末期。
明らかに知的生物が残したような直立石、モノリスが月で発見され、 しかもそれは太陽光線を浴びると、何かの合図かのようなエネルギー波を発した。
そして、おそらくは土星の衛星ヤペタス(イアペトゥス)に、 そのエネルギーに反応する、また別の何かがあるはずという事実を踏まえ、探査船ディスカバリー号が送られる。
いくつかの困難をこえ、仲間たちを失いながらも、1人、ヤペタスの巨大モノリスに到達した、宇宙飛行士のボーマン。
そして彼は、そのモノリスが発生させたのだろう、時空の通り穴を越えて、自分の知らない宇宙のどこかの領域にまでもたどり着く。
それから彼は、おそらくは永遠の存在となっているエネルギー体の謎の生命体たちによって、自身もそのような段階へと変化させられる。
太陽系「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性

月への有人飛行寸前の、月のイメージ

 この小説が書かれたのは1960年代の後半、まさしく、初めて月への有人旅行に成功したとされるアポロ計画の時代である。
当時はアポロ計画がどのような結果になるとしても、人類が月の地を踏むのは時間の問題だと考えられていた。
そして、その後は太陽系の地球以外の惑星への有人旅行や、月に人が住むようなエリアの設立なども、数十年以内くらいには行われるだろうと考えてる人は多かったという。
そのような、今となっては儚く聞こえる希望的観測が、この小説の設定の背景にもあると思われる。

 この話はタイトル通り2001年前後くらいの時代の物語という設定であるが、そこで描かれている2001年は、人が住むようになったどころか、月生まれの子供がすでに存在しているような時代である。

 ちなみに多くのSFで、月は低重力環境のために子供の成長が早く、また肌にシワなどがあまりできないとされているが、この作品でもそうである。

 月面の岩の分析調査により、月が地球から分離したものでないことが証明されたという記述もなかなか興味深いか。
実際のところ、アポロ計画で採取された月の石は、地球の岩石との(化学組成や発生年代の)類似性が多く発見されたために、 無関係説の否定につながっている。

 月への有人飛行ももちろんだが、この小説が書かれた当時は、原始の地球に巨大天体が激突した結果、月が形成されたとする、ジャイアント・インパクト説がなかったことも重要であろう。
(地球や月に関する話とは全く別の文脈ではあるが)この小説でも指摘されている通り、物体の運動量(エネルギー)は保存されるために、分離したら、個々の運動量は減ることになる。
古くは、激突天体なしの分離に関しては、原始地球が後の地球と月の合計の運動量を持っていたとは考えにくい、という指摘が結構多かったようで、クラークもそう考えていたのかもしれない。

ディスカバリーはまるで有人版ボイジャー

 ディスカバリー号は、木星の重力を利用した加速、 いわゆるスイングバイを行って、さらに先の土星の衛星へ向かうが、 その辺りの描写は宇宙船が有人であるということを除けばかなり、1977年に打ち上げられた無人探査機ボイジャーをイメージさせられる。
(年代的に)そうじゃないのは確実なのだけど、カール・セーガンの本などを参考にしているんじゃないかと思ってしまうくらい。

 それと、木星の衛星が新しく発見されているという設定だが、その発見が、月に設置されている望遠鏡からなされた、というのも時代を感じさせる。
(実際、この小説以降にも、木星の衛星は多く発見されているが、その発見は月の望遠鏡ではなく、ボイジャーや地球の望遠鏡によるものである)

 他に、長い時間かけて宇宙を旅するための1つの手段にもなりうる技術として、人工冬眠が実用化されている。
「クライオニクス」冷凍保存された死体は生き返ることができるか

インターネットは存在していないが……

 現実の21世紀と比較した場合に、進みすぎているものばかりではない。
例えば、様々なニュース情報をリアルタイムで取得し、更新して、表示する『ニュースパッド』という装置が出てくるわけだが、描写的には、インターネットの劣化版のような感じである。
また、紙による情報発信が、もうすでに過去のものと言っていいくらいに時代遅れになっている点が、現実と比較して、なかなか面白いかもしれない。

 そのニュースパッドの操作に、コード入力を行ったりする描写もあるから、MacとかWindowsのような、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)も開発されていないのだと思われる。
「OSとは何か」直感的なGUI、仮想の領域。アプリケーションの裏で起きてること  ある意味、インターネットとかGUIが、どれほどに衝撃的な発明だったのかがよくわかる。

 ただしAIを介した、声の命令によるコンピューターのコントロールは実用化されている。
人工知能の基礎「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで

知性の進化

 序盤には、やがて知性を持つようになる人間の祖先たるヒトザルたちの物語が描かれている。
そこでは、たとえ感情が生じようとも、それを理解して、記憶していくだけの知性はないように描かれている。

 やがてヒトザルの〈月を見るもの〉は、地球外の別の知性がもたらした人工のモノリス(直立石)とも接触する。
結局はそのモノリスは、ヒトザルたちを、賢き存在への進化に導く道具でもあるようにも描かれている。

 つまりそこでの「知性の誕生」は、他の知性から与えられた、少なくとも影響を受けたためによる誕生である。

 確かに進化論が適用できるような生物、つまりは変化するような生物であるならば、別の知性が意図的に、それらの生物が知性を持つような変化(進化)を促すことも可能と思われる。

 この辺りの描写は、デイヴィッド・ブリンの「知性化シリーズ」などにも影響を与えているかも。

HAL。まるで本当に生きているAI

 微妙にあまり必要なさそうな気もするが、生命体の定義の問題を浮き彫りにするためにか、ただの演出か、ディスカバリー号の船員の1人は、ハル(HAL)というコンピューターとされている。
ハルは単に、宇宙の旅を安定させるためのサポートを行う高度なコンピューターでなく、チューリングテスト(ある機械がとる反応、行動が、どれほど人間的かどうかを診断するためのテスト)にも 普通に合格しうるAI(人工知能)として描かれている。
命令に従うだけでなく、自分で意思を持っているかのように、対話の相手となったり、勝手な行動を行おうとしたりする。
(そして終盤、その自我、あるいは(少なくとも人類的には)プログラムバグが、大きな問題を引き起こすことになる)

コンピューターの半分架空の歴史

 コンピューターの革命は20年ごとに起こるとして、その発展の歴史が簡単に語られてもいるが、半分は(この小説が書かれた時点での)未来の話なので、架空である。
20年ごとの革命は、1940年代のENIAC(最初期のものとされるコンピューター)開発を最初。
SFゲームコンピューターゲームの誕生「ゲーム機以前のゲーム機の歴史」 そして、1960年代の集積回路(IC)などの開発によるコンピューターの小型化を第二次としている。
コンピュータの操作「コンピューターの構成の基礎知識」1と0の極限を目指す機械 そして史実に沿っているのはここまでである。
1980年代には、ミンスキーとグッドという2人が、学習プログラムに従い、神経ネットワークを自動的に発生(自己複製)する方法を発見したという設定となっている。

 21世紀以降にも大いに発展し続けている現実の人工知能と比べると結構興味深いだろう。
現実でも、学習方法はともかくとして、実際の人間のように振る舞う人工頭脳は、1つの大きな目標とされている。
ここではすでに、その成長プロセスの原理の時点から、人間の神経系と実質同じというような感じの人工知能が描かれているみたいである。
機械学習「機械学習とは何か」 簡単に人工知能は作れないのか。学ぶ事の意味深層学習「ディープラーニング。深層学習」 画像認識する仕組み、原理

我々に理解できる限界

 神経系や意識の原理が完全に解明されたわけではなく、利用できるようになっているだけ、再現できるようになっているだけというのもポイントかも。
細かい仕組みの解明はまだできそうにもないし、おそらく真実は、人間が理解できるレベルの100万倍以上複雑であろう、というような記述もあったりする。
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で「視覚システム」脳の機能が生成する仕組みの謎。意識はどの段階なのか  実際そうなのかもしれないが、この世界の原子以下の原理を利用した様々なシステムは、そのうち再現できるようになるだろうと考えている人は多い。
しかし、そういう人であってもたいていは、それらの原理自体を知識的に理解することは、結局不可能かもしれないと考えていることは多い。
多くのSFで、そこは悲観的な点である。
これのような、知性というものをテーマに含んだSFですら、理解できる限界がはっきり示唆されることが多いというのは、多くの人が、そういうものがあると信じているからだろうか。

普通にかなりすごそうな5割勝率プログラム

 それと個人的に興味深いのが、退屈しのぎのために、ハルにはゲームの相手をしてくれるという機能も備わっているが、あまりに強すぎるとそれはそれで面白くないために、あえて5割の勝率を維持するようなプログラムを組まれているということ。

 そんなプログラム、実際問題組めるであろうか。

 はっきりそのあたりの説明はないが、まさか5割を超えそうなら、あからさまにわざと負けるというようなシステムではないだろう。
おそらくは、対戦相手と同じくらいのゲームの実力を、ごく自然な形で発揮するというようなプログラムに違いない。
だが、そんなものどうすれば作れるものか。

地球外生物についての議論

 やはり終盤に、地球外生物(ET)についての議論があるが、今となっては、古くさいというより、ワンパターン的なイメージがある。
ようするに、知的生物は人間的なフォルムをしているかしていないか。
進化の結果は、人間とは似ても似つかない知的生物を生み出す可能性があるのかどうか。
我々のような有機物(炭素化合物)の生命体は、もっと頑丈な機械の体を持った存在に、自分たちの知能を移す進化もするのか。

 いずれにしても、進化論が適用できないような、あるいは有機物が最初からまったくいらないような生命体は、ここでは仮定されない。

「地球外にも知的生物がいるなら、知的生物としてこの上なく理想のフォルムである人型に違いない」という考えは、過去に囚われた偏見的なもの。
「我々のような形は、長い年月の進化が選択した偶然のものにすぎない。発生学のサイコロは別の結果を示すこともあり、単純に良いか悪いかで言っても、もっと良い形体もあるかもしれない」という考えが、宇宙時代のスタンダード。
そして「科学知識が進歩すると、遅かれ早かれ生物は、自然が与えた肉体というもろい住みかを逃れ、実質的な不死の体、つまり機械の体を得るはず」というのが、やや異様な見解とされている。
この辺りも、結構時代を感じる。

精霊か神か、エネルギー生命体

 さらに、神秘主義に傾く少数の生物学者の意見として、「そもそも精神はいつか物質の束縛をもがれるはずだ。それこそ我々の理想だろうから」というようなものも語られる。
それは多分、我々が精霊と呼ぶようなもので、もしもその先があるのなら、それこそ様々な宗教で語られる神のような存在であろう、ともされる。
神はいるか「人はなぜ神を信じるのか」そもそも神とは何か、何を理解してるつもりなのか  物語の最後に登場する、あるいはそうではないかと示唆されている、謎のエネルギー生命体は、まず間違いなくそのような進化をたどった生物という設定なのだろう。

 しかしこのエネルギー生命体、 あるいは精霊、または神たるその存在は、簡単に言ってくれるが、人間と実質的に同じような意識を有する機械とかの、それこそ100万倍も奇妙な存在でなかろうか。

 おそらく映画版と最も重要な相違点であろう、かつて地球生命のためにモノリスを残した知的生物の視点での歴史の描写は、個人的には最も興味深くもある。

 「地球に生命を見つけ、進化の実験のためにモノリスを残した時はまだ、彼らは地球の生物と同じように、しっかり血と肉からなる(ただし見た目は、人間とはまったく似ていない)生命体だった。
それがやがて機械の肉体を持つようになり、さらにその段階もある時急に終わった。
休みない実験を続けるうちに、空間構造というものを理解した彼らは、 放射されるエネルギーに思考を保存する仕組みすらも学び、純粋エネルギーの生物に変貌していった」
そういう感じに説明されているが、この時空間に置かれたエネルギー自体に、意識(思考) を保存する方法とは、いったいどのようなものであるというのか。

 まずエネルギーをどう考えるべきなのか。
それは粒子の塊と考えてよいのだろうか。
少なくとも現在の知見的にはそれでよいような気はする。
素粒子論「物質構成の素粒子論」エネルギーと場、宇宙空間の簡単なイメージ 我々のような存在に限らず、何かの情報を保存するには、たったひとつだけの粒子が単体では、無理だと考えるのが普通ではある。
だから、それがたとえ、はっきり我々が物質と定義するような状態でなくとも、エネルギー生命体とやらが、何かの形をとっているのは間違いなさそうな感じがする。
結局、状況によってそれが崩れるということはないのだろうか。
例えば、ブラックホールに入ってその特異点の極限状態に追いやられた時に、エネルギー生命体は結局消滅せざるを得ないのではないのだろうか。
つまり真の意味の不死身ではありえないのでなかろうか。
特異点のような極端なものでなくても、銀河系内を好き勝手動き回ってるうちに、唐突な悲劇に出くわしたりしそうなイメージはある。
ブラックホール「ブラックホール」時間と空間の限界。最も観測不可能な天体の謎  明らかにこのエネルギー生命体は、有機生命体が、さらに機械生命体を経ての最終進化形態のように描かれていることも興味深い。
生物が時々知能を生み、知能は、生物をより高度な段階へと進化させていく、というような感じか。
宇宙という世界は、知能を作り、そして知能は、この世界を作り替えることができる、と言い換えてもいいかもしれない。
だがそうだとすると、知能は何者なのだろうか。

 純粋にリアル志向なSFとして考えると、クラークは、この辺りの事に関しては、ちょっとファンタジー的に描きすぎな気がしないでもない。