海底二万里、月世界へ行く、地底旅行、悪魔の発明「ジュール・ヴェルヌ」

海底二万里

 謎の(超自然的と表現される)巨大海生生物の噂から始まる物語。しかし噂の巨大生物は実は、巨大潜水艦「ノーチラス号(Nautilus)」。そしてその驚くべきテクノロジーを秘密にしながら、陸の世界から目を背けるように生きる者たちと、3人の招かれざる客たちの冒険譚が描かれている。
日本では「海底二万マイル」というタイトルでも有名であろう。

海の生物、怪物

 広大な海に生きる様々な生き物たちが登場するが、キャラクターたちの興味も、そうした生物にけっこう向けられがち。また比率的に、分類学(というか同時における分類の知識)の話がかなり多いように思う。ノーチラス号に乗り合わせることになった3人の内、2人がこれを重視する傾向にあり 残り1人も漁師で、実用的観点(例えば食べれるか食べれないか、うまいかまずいか、獲物としてどれくらいに厄介かなど)から魚類について詳しいという設定で、ある動物種について「詳しい」とはどういうことか、みたいな話もある。
分類の話としては、まず「鉱物界、植物界、動物界という三つの相がある」とされている。さらに動物界を代表するのが「大まかに植虫類の四亜門、関節動物の三綱、軟体動物の五綱、脊椎動物の三綱。脊椎動物の三綱とは、哺乳類、爬虫類、それに無数の魚類」と、おそらく当時としては標準的な理解だったと思われる。だがこの脊椎動物の分類だけでは、鳥類と両生類がどのように考えられていたのかは、やはりちょっと気になるか。

 物語の語り手は、一応命を救われる形でノーチラス号に乗ることになる前、怪物について考えていた学者で、様々な報告例を前に、怪物の存在を真実だと考えるようになっていた彼の論文は、白熱的な議論も呼んでいた設定。
「人間は、超自然的生物というような雄大な考えを好む。そして海というものは、そういう生物がいると考えるのに最適の場所であり、そういう巨大な生物(それに比較するとゾウとかサイといった地上の動物は矮小な小人でしかない)が生まれ育つことのあり得る唯一の場所なのである。海には哺乳類のなかで知られている限り最大の種が現実に生きているし、ことによると比較するもののないほどの大きさの軟体動物や、たとえば100メートルのザリガニとか、200トンの重さのカニというような、恐ろしい甲殻類なども隠れているかもしれない……かつて地質時代に地上に生きていた動物は、四足獣、四手類も昆虫も鳥類もきわめて大型だった。創造主がこれらを巨大な鋳型に押し込んで作ったものを、時が少しずつ小さくしてしまったのだ。地殻がほとんど休むことなく変化しているのに対し、決して変化することのない海が、人に知られぬ深部に前時代の生命の巨大な標本を守りつづけていないとどうして言えよう?……」
ここに見られるような、ダーウィン的な進化論が一般的になる前のヨーロッパにおいては主流だったと思われる、創生論と地質時代の知識をうまく合わせたような生物世界観は、これ以外の作品でもよく描写されている。
だが、巨大生物を時が小さくする時、そうした変異の原因をヴェルヌはどのように考えていたのだろうか。
進化の分かれ道「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか  怪物を追跡することが決定すると、怪物は出現しなくなってしまう。「そういう現象はしばしば起こるものだ」というのも、なかなか興味深い記述か。

 専門家の意見として、「タコは軟体動物で、名が示すとおり身体があまり固くないから。巨大なクラーケンのような怪物がいたとしても、船に危害を加えるなどということはありえない」とも。規格外に強力な脊椎動物。つまり超巨大クジラとかの方が現実的だろうというように。
終盤には実際に巨大なタコが出てくるのだが、クラーケンと呼ぶには少し控えめで、大したものてはない。
「クラーケン」海で最大、島ほども巨大とされた怪物の伝説の起源と変化  他、紅海にしかいない珍しさで、かつ人魚に間違えられるような生物としてジュゴンが登場するが、その場面では、人間のハンターのやりすぎにより絶滅してしまう動物という可能性が、普通に語られてもいる。
基準がおそらくその凶暴性とかなのだと思われるが、絶滅してもいい生物、絶滅するべきでない動物というような、そういう考え方も見える。

天地創造の一日ずつと地質時代

 聖書の関する記述については「聖書にある天地創造の一日一日というのは、実は一地質時代ずつで、太陽が二度出る間の間隔とは違っていり。なにしろ太陽は創造の最初の日から存在したのではないのだから」というのも、なかなか有名な解釈であろう。
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説  それに、「この宇宙の中で冷えていく地球を温める熱は太陽だけでは足りず、初期の頃の地球には非常に多く活動的だった多くの火山が、だんだんと死火山になっていき、やがてはついに生命を保つ地熱が完全に失われてしまう日も来るだろう。おそらく月がそうした歴史過程をたどったように」という仮説も、他の作品でも見られるものだ。

電気潜水艦というオーバーテクノロジー

 ノーチラス号は、原子力潜水艦を予言してるようなものと言われることがある。実際のところ、この小説が書かれた当時は、広大な海を長時間探索することを想定してるような潜水艦は現実にはなく、機能としては、それほど的外れな考えではないだろう。
潜水艦「潜水艦の構造と仕組み」空気と海水。浮力と推進力をいかに得るか  作中でネモ船長は、この驚くべきテクノロジーの産物について「電気で動いている」と説明する。「それは強力で、従順で、迅速で、使いやすい原動力です。すべてのことに利用され、この船を支配しています。何もかもがこれによって動かされます。照明や暖房その他、この船の機器の生命です。その原動力とは電気です」と。
だがそれを聞いた語り手は、「電気による動力は限度があり、わずかな力しか出せないはず」と驚く。
そしてネモ船長はさらに「わたしの使っている電気は地上の電気とは違う」と語る。原動力を産むのに要する原料は、海底の鉱床より採取される亜鉛、鉄、銀、金など。電気は海から得る。「いろいろ方法はある。実際、異なった水深の位置に電線を設置して回路を作り、その各々の水温の相違によって電気を得られる。が、もっと実用的な手段もある」そしてネモ船長は、海水を構成する成分のナトリウムを抽出し、それと水銀との混合物を亜鉛の代わりとし、それで作れるナトリウム電池は非常に強力だと説明。水銀は消費せず、消費されるナトリウムの方は海水からいくらでも補充が効く。問題はナトリウムを海水から抽出するための方法だが、それ自体に電気を使うと消費量が抽出量を上回ってしまうだろうから、それ(抽出)には電気でなく、石炭の熱を使って抽出するとも。
化学反応「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か雷「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係  また、新鮮な(酸素を必要量含む)空気を内部で作り続けることはできないので、ノーチラス号は、1日に1回ぐらいは換気のために海面に浮上しなければならない。この地球で、人類がまだしっかり見たことがない海底を調べ尽くすという物語のスケールも、地球自体のシステムを気にさせてくれよう。

 テクノロジーに関する細かいガジェットは、ヴェルヌ作品の中では多めな方と思う。海底の森でのハンティングを楽しむための、背中のタンクの気圧調整によって陸地と同じような動きが可能な潜水服とか、水中でも使える、命中した標的に電気を流すカプセル銃など、いろいろ。

ネモ船長の謎

 内部に図書館まで備えているノーチラス号の船員たちは、そこで生きている。
この物語はネモ船長という人物がなぜその巨大潜水艦に自らこもるようになったのかという謎に迫る物語でもある。

 閉鎖的なその世界の例えとして、さらに壮大なスケールが持ち出されることもある。太陽系の中でそれぞれに全く閉ざされた環境と言える各惑星のように、陸地と完全に隔絶された海底の世界というような世界がここには描かれている訳である。

 共生し、岩石化したかのようなポリプ群(サンゴ群)の森の海底墓地と、そこへの墓参りのシーンなどは、豊かな海の生物たちの描写と同じくらいに幻想的にも感じれる。

 ただ未知の世界への冒険を描くのではなく、自由に生きることの意味を考えさせられるような内容でもある。

海底に消えた古代国家アトランティス

 古代に海底に消えてしまった大国家アトランティスの遺跡も描かれ、特に冒険もの小説としてのロマンを高めている。
それが伝説に過ぎないと否定した者たち、実在するはずだと考えた者たち、様々な哲学者の名前に「その大陸はアフリカとアジアを合わせたものよりも大きく……支配する範囲はエジプトにまで及び、さらにギリシアをも支配下におさめようとしたが、古代ギリシア人の抵抗には退却せざるをえなかった。その後、数世紀の後で、地殻の激変により洪水と地震が起こり、大陸は一日一夜のうちに海中に没してしまった。ただ、その大陸のもっとも高い山々が、マディラ島、アゾレス諸島、カナリア諸島、ベルデ諸島などとして、まだ海面に現われてもいる……地質時代に近い、何万年も以前の廃墟……おそらくアフリカ大陸とアメリカ大陸をつないでいるこの広い土地、ノアの洪水以前の大都市……好戦国マクヒモス、信心深い国エッセペスが広がり、そこに数世紀のあいだ住んだ巨人たちが今なお水の作用に耐えている石を積み重ねた跡……」というようにいろいろと興味深い説明が続く。
幻の大陸「アトランティス大陸の謎」実在したか。オリハルコンとは何だったか  特に一日一夜という表現、これは創世記の場合と違って文字通りなのだろうか。アフリカとアジアを合わせたよりも大きいような大陸が、そんな短時間で沈むなどとても信じがたいが。
ノアの洪水以前というのもかなり注目すべき所かもしれない。もしかしたら、この大陸を水中に沈めた大災害自体が、ノアの洪水というような説も想定されてたのだろうか。

月世界へ行く

 当時月に行くというのはどんな大冒険だったのだろうか。現在的には、宇宙の旅としてはあまりスケールを大きく感じないが。
これは月の世界を直接に冒険するような話でもない。話の大半はいかにして月に行くのか、そしてどのようにして月にたどり着くことができたのか。そういった事象に関する様々な議論ばかり。強力な大砲によって打ち出された巨大弾丸の乗り物により月にまで到達したものの見事にその引力に捕まって衛星のような状態に。そしてそうした中で次々と入ってくる確認できる月の様々の情報から推測できる色々な事を話し合うというのが大半を占めている内容。

 おそらくこの小説にも影響を受けているだろう、H・G・ウェルズの『月世界最初の人間』と比べると特に、ともにSFの父と呼ばれる2人のスタンスの違いがわかりやすいかもしれない。
リアリティなんてものは完全に気にせず、月へ行く方法として重力を遮断する特殊な素材を用意し、現在の月の世界の地下において、進化した架空生物を描いたウェルズ。それに対してヴェルヌは、単に勢いよくぶっ飛ばすという、どうにか現実でも実現できそうな方法で、しかも当時想定できたろう様々な数字を駆使し、さらには帰りの旅まで捨てる徹底ぶりで、人が月へ行くという夢を描いた。
タイムマシン、宇宙戦争、透明人間、モロー博士の島「H・G・ウェルズ」

宇宙から見た地球。宇宙全体のスケール

 今はネット上にも、宇宙から見た地球の写真が転がっている。それがわれわれの目にどのように見えるのかよく知っている。当然この当時は、実際に宇宙から地球を見たことのある者などいなかったろう。

 月から地球を見る場合、地球で月を見る場合のように、その時間によって不完全な形で見える。確認は出来なくてもそうなるだろうということは地球月太陽の位置関係から推測はされていたただし問題は地球全体の色合い。
見事な三日月形の地球が見られる場面がある訳だが、その色は銀色とされている。おそらくはヴェルヌが想像していたよりも、実際の地球は美しかったと言えるだろう。 

「各人それぞれ、側面の窓や底部のガラス越しに空間を観察する……無限の天球の拡がりは驚くほど滑らかな星や星座に満ちて、そのありさまは天文学者を狂喜させるようなものだった。いっぽうには灼熱した炉の口のように、暈もなくまばゆい円盤の太陽が、空の黒から浮き出していた。他方では、月は太陽の光を反射し、星の世界のただ中に不動のように見えていた。そして、天空にあいた穴のように見える、半ば銀色のふちどりに囲まれた濃い汚点、それが地球であった。ところどころ、星に降る雪の大きな粒のようにかたまった星雲、天頂から天底までひろがって、こまかい星屑のつくる巨大な神秘、それが銀河であり、この中では太陽も四番目に大きい星にすぎないだろう」
ここの描写では地球が汚く見えるとまで書かれている。また、星でいっぱいの無限の天球とか、星屑が作る銀河とか、いろいろ興味深い。しかし、太陽が4番目に大きい星、とはどういうことだろうか。

月にテクノロジーはあったのか

 月へ行く方法に加えて、月世界そのものもメインテーマであるから、当然、その世界の歴史と、そして現代についての話題も多い。
「もし月に何か住んでいるものがあるとすれば、それは地球の生物よりも明らかに数千年は進歩しているはず。なぜなら月が地球より古いものということは疑いないことだから。もし月世界の人が何十万年も前から存在していたとして、彼らの頭脳が人間のようなものだとしたら、彼らはわれわれがすでに発明したものをすべて発明しているだろうし、そのうえ今後何世紀かの後にわれわれが発明するものまでも発明しているだろう。彼らにはわれわれから学ぶべきものはないし、われわれのほうがすべて彼らから学ぶべき」
そして、地球の歴史の中で存在していたような、素晴らしい才能を持った芸術家たちや学者たちが、(月に先に生物がいて、長い時間があったのなら)月の歴史の中にもいたはずという考えが、かなり当たり前のことみたいに語られている。
生物がいるなら、そこからは必ず人間が生まれるはずという考えどころではない。生物のパターンがかなり固定的に思える。

「もし月人が地球人よりも強力でならば、なぜ月世界の人たちは、地球と連絡をとろうとしないか。なぜ地球の領域にまで月の砲弾を発射しないか」という疑問も出されるが、これについて2つの説が示される。
「彼らはそれをしなかった訳でない……実際、地球の場合より、月のほうが(重力が弱いため)砲弾を空に飛ばすのは容易なはず……何千年も前に、地上に人類が出現する以前に……たいていは地表の六分の五を占める海に落ちた」というように、つまり昔に実際いくつも砲弾が放たれていた説が1つ。
もう1つはとてもシンプルで、そして生物のパターンが固定的ならばそれはそれで特に興味深いものだ。つまり「古い月世界の人たちは、地球人よりも賢こかったから、火薬を発明しなかった」という説。

 しかし、昔に砲弾を撃たれたという時期が何千年程度の前というのはちょっと気になるか。この頃にはまだ多くの物理原理が知られていなかったこともあり、地球も太陽も月も、そしてこの宇宙自体も、今普通に考えられるよりもずっと短い時間しかなかった、というのが普通の世界観だったろう。地球の歴史において数千年というのは大したものに感じないが、この当時の基準で言うと、それでも相当長い時間だったのかもしれない。

真空とエーテル

 空気のない、絶対の真空について、そこには空気の代わりに「エーテルがあるだけ」とされている。
そしてエーテルついての説明。
「エーテルというのは重さのない原子の集まり。分子物理学のいうところによれば、その大きさに比較すれば、天体が空間で離れているのと同じくらいに、互いに離れている。しかしその距離は、300万分の1ミリメートル。振動性の運動によって光と熱を産み出す原子。1000分の4~6ミリメートルの振幅で毎秒430兆回振動する」
エーテルをはっきり原子とする説明は、意外と少ないのでなかろうか。ただ、ここにはいろいろ気になる数字が書かれてはいるが、どのような計算で算出されるのかは詳しく語られない。

 流星が「エーテルの海にばらまかれた暗礁のようなもの」とされている。空間を移動するものは常にそれに注意しなければならないと。
ただそれが、爆発などによって思いがけない光を与えてくれることもある。「この稀にしか見られない花火によって、わずか数秒間だが、見えない月の裏を見ることができた。その瞬間的な光明の中に、大陸や海や森林が……」
月がただただ不毛の地帯ではないということを描き、そしてそこから、生命誕生の謎という話題を持ってきている。
「見えた気圏は、この未知の面に生命を与える分子をもたらしたであろうか? これはいまだに未解決な問題」

月と地球の起源

 もっと実用的に「月は生存しうるか? あるいはかつて生存していたことがあったか?」という問題も提示される。
その話の中でも、月にはいくらか十分ではない水があって、植物も限られているが存在しているとされる。明らかに、生物というものがイコール動物界に属しているものという前提で語られている。
あるいはこの時代の方が、地球外生物の存在は考えにくいものだったかもしれない。
「地球生物がそのまま生きることはできなくても、異なる組織の生物が生きることはできるか」とも問われるが、異なる組織とはどういったものを想定していたのだろうか

 そして「月が現在居住不可能であるとしても、過去には人が住んでいたのか?」。
この疑問に関しては普通に肯定される。
つまり、月にはかつて、地球人と同じような人類が生きていたと。ならなぜ月は地球よりも先に生物を育み、そして現在は消滅してしまったのか。
「月は地球より古い訳ではない……それは急速に老成化した世界。その形成も変形もじつに迅速だった。それに関連して、物質を構成する力も、月の内部のほうが地球の内部よりも烈しかった。月表面のか起伏に富んでいる現況こそがそれをよくそれを説明している。月も地球も起源はガス状の塊でしかなかった。ガスがさまざまな影響によって液体化し、その後に固い塊になった。しかし地球がガス状態、あるいはまだ液体段階の時には、すでに月は冷却によって固くなっていたのであって、生物の生息しえる状態になっていた。そのとき気圏がそのまわりを包んだ。そのガス気体の覆いによって内蔵された水分は、蒸発しなかった空気、水、光、太陽熱、地熱、それらの作用を受け、植物が育った。その時代には、すでに生命が存在したはず。なぜなら、自然は無意味に消費することはないものだから。そうした恵まれた世界には、必然的に……さらにたとえ現在の月の状況のように、昼夜が長く、それが人体組織にとって耐えがたい気温の差をつくるものとしても、他の条件があった。気圏が流動性の外被となり、月表面を保護していた。その自然のスクリーンは太陽光線の熱を調節し、夜の光の放射を阻んでいた」
生物のパターンというよりも自然のパターンが固定的というような印象でもあるが、それだけならむしろ現代的な考え方にも近いか。だが生物の世界までの連続が、現在ほど複雑なものと思われていなかったのかもしれない。しかしランダム性というのは、宇宙のどの階層で発生するものか

 そもそもさらに後には、地球が月に与えていた影響が現在と異なっていたという可能性が示されている。興味深いのが、地球が流動体でしかなかった時代は、その引力が月の運動を変えるほど強力ではなかった可能性。これは流体状態の質量が、個体とは異なるというような世界観なのであろうか。

地底旅行

 地球の地下に広がる世界への探検を描いた作品。
ヴェルヌの作品で登場する様々なガジェットは、さすがにかなり実現したと言えるようなものも多いのだが、この作品に関しては、どちらかというとメインテーマ(地球の地下世界)からして、かなり否定されてしまっているということで、現在でもIF世界的なSFとして楽しみやすいかもしれない。また、絶滅した生物の生存という展開も、一応現在でも使われるものか。

 プロット的に、他の作品に比べてもさらに冒険もの(の王道)という感じが強い気がする。300年くらい前のアイスランドの錬金術師アルネ・サクヌッセンム(Arne Saknussemm)が残した暗号の記録、それを解読すると浮かび上がってきた、彼が旅した地底世界の話。
「アヴィケンナ、ベーコン、ルルス、パラケルススというような錬金術師たちは、その当時のほんとうの学者だった」と、科学の歴史における錬金術の重要性を、ヴェルヌは理解していたのかもしれない。
しかし暗号解読術というのは、有名なコナン・ドイルのシャーロックホームズシリーズでも丁寧に描かれてたりするが、わりと知的な興奮を起こさせるものだったりしたのだろうか。

地質時代の連続の物語

 古代に絶滅したさまざまな生物、地質時代の物語などが地下世界に残された手がかりを通して描写されている。
「シルル紀には、海中には動植物の種が1500以上もあった……完全に原形をたもっている貝がらを拾った。それは現在のわらじ虫に似た動物……今はなくなった三葉虫に属する節足動物のからだ。それにきまっている」
「壁の片岩や石灰石や赤い砂岩は、電灯の光を受けてきらめいた。この種の地層はデヴォン紀とよばれている……壁にはみごとな大理石の標本があったが、それにはきわだってはっきりした白い縞のある灰色のもあれば、赤い斑のある肉色や黄色のもあった。さらに進んで行くと、石灰石のまじったくすんだ色の大理石も見えた。こういう大理石にはたいてい、原始的動物の痕跡が見られた。けれども、前の日に比べて地球の歴史はあきらかに進んでいた。原始的な三葉虫ではなくて、もっと完全な種類の化石が見つかった。とくに、光鱗類の魚、鰭竜目があった。古生物学者は、この鰭竜目を爬虫類の初期の形だと見ているのである。デヴォン紀の海には、この種の動物がたくさんすんでいた。そして新しくできた岩の上に無数に打ちあげられたのだ。私たちは人間が頂上を占めている動物の生命のはしごを登っていることがあきらかであった」
頂点に人間をおく生命のはしご。この表現が進化理論的なものとしてかどうかはよくわからないが、実際にこのような流れが普通のものとして考えられるとしたら、それは神の業の順序なのだろうか。つまり創造する時に必ず守らなければならないルールのようなものなのだろうか。それとも創造神という存在そのものが何らかの比喩であり、この宇宙の中で発生した特定の自然環境が生物を発生させる過程は、やはりある程度決定論的に見れる、というようなものとしていたのだろうか。
「進歩史観的な進化論」複雑性、巨大さ、賢さへの道は誤解か 「石炭紀の歴史は、この暗い壁の上に完全に書き残されていた。地質学者なら、そのさまざまな時期をたやすくたどることができる。石炭の層は、砂岩や粘土の層でへだてられ、上の層によっておしつぶされたようになっていた。中世代にさきだつこの地質学的時代には、地球は熱気と湿気との作用を受けて、植物がしげっていた。蒸気が地球の全面を包んで、太陽の光線をさえぎっていたのである。そうすると、高い温度は太陽からきたのではないという結論になる。たぶん、太陽はそんなに輝いてはいなかったのだろう。気候というものはまだ存在していなかったのに、赤道にも極地にも同様の高温が地球全面に広がっていた。その温度は地球の内部からきていたはず。地球のはらわたには激しい火がかくれていた。その作用は地殻の最後の層にまで感じられたろう。植物は太陽のめぐみ深い光がないために、花も匂いももたなかったが、その根は初期の熟した地盤の中から強い生命力をくみとっていたのだ。樹木はほとんどなく、ただ草類ばかり。シダ、ヒカゲノカズラ、封印木(シギラリア)など、当時は無数の種類があったもの……このたくさんの植物によって石炭ができた。まだ弾力のあった地殻は、表面をおおっていた水の運動の影響を受け、割れ目やくぼみがたくさんできた。水の底に沈んだ植物はしだいに大きなかたまりとなった。そこで、自然の化学的変化が生じた。海の底で、植物のかたまりが初めは泥炭となった。それからガスの影響を受け、また地中の火に焼かれて、完全に鉱物となってしまった。こうして広大な石灰の層ができあがり、それはまだ数世紀にわたってあらゆる民族が使っても使いきれないほどになった」
植物の夜明けといわんばかりだが、太陽の光がなく、地熱から生命力を得ていたというのは、少し神秘的てすらあるか。
そして地上に大量の石炭ができた理由。生物の歴史がこのようなものとしてもし決まっているとしたら、本当にこうした流れを決めた神の存在を信じたくなるというのも無理はないのかもしれない。まるで、ずっと後に登場する壮大な生命の物語の主役、つまり人間という特別な生物のために、それらが形作られる過程が事前に挟まれているかのようだ。

古代の怪物、古代の人間

 ただ地質時代の記録がそこにあるのでなく、実際に古代に生きていた生物も、多くその姿を見せる。

 しかし動物とは、つまり四足獣のことだったのかもしれない。まるで「神様がノアの洪水以前の世界を保存した巨大な温室かのような」その地下世界で、マストドンなど古代の四足獣の骨が見つかった場面。
「動物は地球が中生代になって、原生紀のもえる岩のかわりに沖積層の地盤ができた時にはじめて発生したもの」
こうした記述は、少なくともダーウィン的な進化論世界観を、ヴェルヌがあまり重視していなかったことをはっきり感じさせる。動物とか植物とかがどこかで(無生物から)発生したかのような印象があり、祖先から枝分かれしたという考え方とはまるっきり違う。

 そして、化石の生物の時代の物語を、想像によって逆にたどる描写。「聖書に書かれてある天地創造の時代、人間が生まれるよりも以前のこと。動物の出現よりも過去。哺乳動物は消え、鳥も、爬虫類も消える。とうとう魚も、甲殻類も、軟体動物も、関節動物もいなくなる。過渡期の腔腸動物さえも消えた。そのさびしい世界では季節もない。気候もない。地球の熱がしだいに高まり、植物がしげる……」
そして実際に、哺乳動物と鳥より前、爬虫類が陸上を支配したのかもしれない、そんな時代の怪物も登場する。
「世界を支配していたのは爬虫類であった。この怪物どもは、ジュラ紀の海をわがもの顔にのしまわっていた。彼らは完全な体組織をもっていた。なんという大きさ、なんという力、現在のワニなどは、どんなに大きくておそろしいやつでも、古代の先祖に比べたらその縮刷版にすぎない。人間は生きている彼らを見たことがない。彼らは人間よりも一千世紀もまえに地上に現われたから……ノアの洪水以前の生物の代表者……」
10万年前が爬虫類の時代とされている。そしてやはりノアの洪水以前。しかし度々触れられるその洪水が自然災害にせよ、神の業にせよ、どういうタイミングでそれが起こるかまで生命の歴史の中で決定論的とは、さすがに考えにくいだろう。世界規模の天変地異、大洪水があったとして、それはいったい何を滅ぼすためで、何かを変える役割を担ったのだろうか。もしそれがなかった場合、それでも生命の世界はやはり同じような道を歩むとされていたのだろうか。

「鼻づらはイルカ、頭はトカゲ、歯はワニ。古代爬虫類のうちでいちばんおそろしい魚竜」と「カメの甲らをもっているヘビで、魚竜の強敵、長頸竜」の戦いは、その場面の危機感と合わせて、なかなか手に汗握るかもしれない。
しかし首長竜(長頸竜)がカメの甲羅を持っているというのは、シルエットそのままの解釈か。
プレシオサウルス「首長竜」恐竜時代の海の覇者。種類、進化、化石の研究記録魚竜「魚竜」恐竜より早く誕生し、絶滅した海生爬虫類。収斂進化の妙。  また、人類という種がいつの時代に登場したかの話に続き、地底人も登場するのだが、地下に適応した人類とかじゃなくて、普通に地下に保存されていた古代世界に生きる原始人設定。

気球旅行の5週間

 かなり初期の作品らしい。特別なテクノロジーを用いた乗り物を使う冒険ものの原点的作品。その乗り物とは気球。ただしガスの圧力調整や、電気を利用した化学反応による量の調整などで、積み荷を捨てたり載せたりをあまりしなくていいというもの。空気に浮かせるための気体素材として(当時は発見されていなかった)ヘリウムでなく、水素が使われている。

 しかし世界をどんなふうに理解していただろうか。自然界のあちこちで電気が存在していることははっきりわかっていたのだろう。そして嵐の前触れの時、静まり返る重くるしい空気の中で、多くの動物たちは、迫り来る大災害を察知する。それは神秘的なものでなく、物理的な現象かのような印象を受ける。空気中を走る稲妻の影響を感知するというような。

 創世記関連の話としては「山頂の氷(雪)が、古代の水(洪水?)によるもの」とか。
洪水神話「洪水神話」世界共通の起源はあるか。ノアの方舟はその後どうなったのか

人類の未来の道

 この話自体は、当時まだ未踏の地がたくさんあったというアフリカを、ハイテクな気球に乗って冒険するという物語なのだが、文明の発展についての話がいろいろと語られる。
「いつかこの地方が文明の中心になろうと、誰が知ろうか?……ヨーロッパ地帯で住民を養いきれなくなったとき、未来の人たちはきっとここへ移ってくるだろう……歴史の移り変わりを見ると、移民が引きつづいて行なわれていることがわかる。アジアは世界一の穀倉地帯だった。おそらく四千年ものあいだアジアは耕され肥沃にされ食糧を生産しただが、ホメロスがうたった黄金色の収穫のあった土地に石ころが出はじめたとき、その子供たちはやせてしなびた母親の乳房を見捨てた。そのとき彼らは若くてたくましいヨーロッパに移ってきた。それから二千年この方、ヨーロッパは彼らを養ってきた。だがすでにその地の生産力は目に見えておとろえ、農作物はいままで知られていない病気で毎年被害を受け、収穫はへり、それを解決する名案もない。そういうことはヨーロッパの生産力が落ちてきたことを示すわけであって、近い将来の衰弱を意味する。だからいま人びとは、アメリカの滋養のある乳房に飛びついている。尽きることのない、くみつくされない泉だと思って。だがやがてはこの新大陸も老いるときがくるだろう。その処女林も工業のための斧で伐採され、土地も過大な要求にこたえる過大な生産のためにやせおとろえていく。アフリカが何世紀にもわたって蓄積してきた宝を新しい世代に与えるのはそのとき。外国人にとっては健康上よろしくない風土も輪作や排水設備によって改良されていくだろう。あちこちに流れている川も一つの何床に集められて、船が通れるくらいの大きな川になるだろう。わたしたちがいま飛んでいるこの国、どこよりも肥沃で、どこよりも豊かであり、どこよりも活力のあるこの国は、強大な王国になるだろう。きっとここで、蒸気や電気よりももっと強い、驚くべき動力が発明されるだろう」
アフリカ人(黒人)たちの国が発展するというよりも、移民が移民たちによって新しく継承される場として、アフリカを最後の大大陸みたいに表現しているわけだが、これはかなり楽観的な予想みたいな感じである。逆に悲観的な予想として「機械が発展しすぎて、やがて人間の方が機械に喰われてしまうかも。超強力な圧力のボイラーが地球を吹き飛ばしてしまうような日も来るかもしれない」というような恐れも語られる。

悪魔の発明

 恐ろしい武器になりえるような発明をしてしまった孤独な天才トマ・ロックと、その発明を利用しようとする者たち。何よりも、突然に強力な武器を持った者たちの野望をどう防げばいいのか。単なるエンターテイメントでなく、メッセージ性が強いようにも思える作品。
作中に描かれるその恐ろしい発明『ロック式フュルギュラトゥール(Le Fulgurateur Roch)』は、標準を定めて放たれると敵の位置にまで自ら飛び、そこで強力な爆発を起こすというようなもの。今日のミサイルみたいなものだとよく言われているようだ。

 月の話の場合と同じく、核戦争の恐怖を描いたウェルズの『解放された世界』と比べれるような作品といえるかもしれない。

 武器としての脅威だけでなく、地球を滅ぼす物になるかもしれないというスケールでも、その恐怖は語られる。
「その薬の爆発効果は人間の想像の限度を超えている。それが数千トン装填されていたら、充分われわれのこの廻転天体を粉砕し、その破片をかつて火星と木星のあいだで爆発したあの惑星のそれのように空間にばらまいてしまうだろう」
いくらか数学的な法則の抜け穴などを埋める意味などもあって、火星と木星の間にはかつて惑星があったが、何らかの理由で崩壊してしまったというような説が昔は結構普通だった。ここでもその考え方が当たり前のようにある。
しかしヴェルヌは、惑星が崩壊するような爆発が自然に起こることもあると考えていたのか、それとも人間のような生物がそれを破壊する兵器を開発しない限りそういうことはないと考えていたのか。後者だとすると、火星と木星の間にはかつて知的生命体の惑星があった、というような世界観を想像してしまうが。
太陽系「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性

十五少年漂流記

 SF要素はほぼ無いが、かなり有名な作品。
どこか知らない海の、知らない島に漂流してしまったらしい状況の少年たちが、前向きにそこで生きていこうとする、いわゆるロビンソン・クルーソー的な漂流島もの。
終盤には、その島がいったいどこの何なのかも明かされ、さらには、流れ着いてきた海賊たちとの戦いという展開。

チャンセラー号の筏

 漂流もので、島ではなく、沈みゆく船と、途中からはタイトル通りにイカダ上での話がメイン。極限状態のヒューマンドラマを描いている作品。

 やはりSF要素はほとんどないといっていいが、しかし、人間の精神とか、そういうのに関連する様々なものが、いったいどこから得られているものかとか、そういう問いかけが少しあるような気もする。