「ベーオウルフ」聖書の影響。人食いの悪鬼グレンデル。炎のドラゴンの伝承

ファンタジーの源流ともされる古典英語文学

 イギリスにおける(ある程度ちゃんとした形式で現存する)最古の文学作品の1つともされる『ベーオウルフ(Beowulf)』は、8世紀頃に成立したという説があるが、現存する最古の写本と考えられる『ノーウェル写本(Nowell Codex)』のヴァージョンは、11世紀くらいに書かれたものらしい。

 有名なファンタジー文学作家のトールキン(John Ronald Reuel Tolkien。1892~1973)は、このベーオウルフという物語の研究家であり、彼のフィクション世界観にも強い影響を与えているとはよく言われる。
そこで、トールキン作品(主に『指輪物語』)をファンタジー創作の歴史において特に重要と評価する者たちには、この作品を「ファンタジーの源流」の1つと捉える向きもある。
王の帰還「指輪物語」ホビット族。剣と魔法と仲間たち。ひとつの世界のファンタジー  単に物語としてみると、豪勇でならした英雄ベーオウルフの戦いと、王への道、そしてその最期までの記録を描いている。だがその中で描かれる、巨人とも鬼とも言えるそうなイメージの怪物グレンデル(Grendel)や、火を吐くドラゴン(Dragon)の描写は、 確かに典型的な西洋ファンタジーへの影響を強く感じさせる。
ドラゴン「西洋のドラゴン」生態。起源。代表種の一覧。最強の幻獣 スカンジナビアを舞台としているイギリス文学だが、やはりキリスト教の要素も普通に取り入れられている。
また、その世界観は明らかに、どこまでも続くような大地というものではなく、海に囲まれた島が舞台。

キリスト教の影響。英雄物語のパターン

「いざ聴き給え、誉れ高きデネ人のいさおし、民の王たる人々の武名は……
天が下に栄え、栄光に充ちて時めき、遂には四隣のなべての民が、鯨の泳ぐあたりを越えて彼になびき、貢を献ずるに至った。げに優れたる君主であった……
やがて館に世嗣ぎの男子が生れ出でた。民を安全にせんと、神がこの世に遣わし給うたのだ。統べるべき君主なきままに民が久しく耐えたる苦難を神は見そなわした……
忠義なる郎党は、王を助け、仕えまつるであろう。いかなる民にあっても、人は名誉ある行いをもって栄えるもの……
すぐれたるシュルド王は、定命尽きて、主の御許へとみまかった。臣らは、シュルディング人の王が、死しても未だその言葉に力あることを示すべく、仰せ付けられていたとおり、亡骸を波打ち寄せる渚へと運び、そこには、王の御座船が、氷もて覆われ、船出せんと繋がれていた」

 デネ(デンマーク)人の王を讃える序盤に、すでに海の巨大生物であるクジラ(鯨)が出てくる。
そして民を苦難から救うための偉大なる君主の生まれ。その君主を人々が慕うはずであろうこと。そしてその死後、(おそらく)王自身の遺言により、その遺体が海へと船で運ばれることになる流れがある。
地上の者の単なる自由意志では、おそらくどうしようもないような、文字通りに次元が違うような領域から決定付けられている運命とか、宿命とかいうようなもの。筋書きを決める万能の神の力のような考え方が見られもする。人々のために英雄を選ぶのは神。だがこれは、ある立場から見ればそれほど「素晴らしい」とは言えないような行為も行うことがあろう、力任せの英雄を正当化するための典型的な解釈のようにも思えるか。
そして、今に至るまで英雄物語の典型と言っていいだろうパターン、善を行う者に、結局人々はついていくだろうという理想も見える。

 やがて偉大な王の子の一人が『ヘオロット(Heorot)』という、 特別な館、あるいは宴会場(Mead hall)を建てたが、ここがさらに後に、怪物グレンデルに狙われることになる。 

この世界で怪物という存在

 ベーオウルフの話には、彼と敵対する三つの強力な敵が出てくる。グレンデル、グレンデルの母(Grendel’s mother)、ドラゴン。その中でもグレンデルは全体の中で、比率的には出番が多い。

「時に、大胆不敵なる悪鬼、暗闇に住まう者……
やがて一人の者が、地獄の悪霊が禍事をし始めた的には……
彷徨者は、グレンデルと呼ばれた。この幸せ薄き者は、創造主が彼をカインの裔として追放し給いしより後は、妖怪の族の巣くう所に久しく棲んでいた。アベルをあやめし故により、永しえなる主は
この殺害の罪を罰し給うた。神はかかる怨恨の業を喜び給わず、主はこの私の故に彼を人類の間より遥か彼方へと追い放ち給うた。そのカインより、ありとあらゆる邪まなる末裔が、妖怪と妖精と悪霊とが、また久しきにわたり神に刃向かいし巨人どもが生れ出た……」

 カインとアベルは、もちろん聖書の創世記に出てくる、アダムとイブの最初(?)の子供たちである。その努力のために神に褒められた弟アベルに嫉妬した(?)兄カインが、 その弟を殺すことで、人類史上初めてとされる殺人者になってしまった話は有名であるが、聖書においては、その後に追放されてからのことは、多く謎に包まれているカインの物語を、この世界の人間を脅かすような怪物が存在する理由として設定している。
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説  しかし、暗闇に住む悪鬼とか、地獄の悪霊とか、妖怪とかみたいな記述が、全く比喩的な意味でもなく、そのまま素直に受け取るべきならば、グレンデルは、単に恐ろしい生物というよりも神秘的な要素も強く思える。
もちろん、いくらかはただ、大げさな文学的表現かもしれない。

カインの謎

 そもそも聖書において、カインは追放される時、神に対して「自分は殺人者だから、出会う者は誰でも自分を殺すだろう」と語り、神は「だからカインを殺すものは7倍の復讐を受けるだろう」というように返している。
しかし聖書から読み取れる事実として、この時点での世界に人間はアダムとイブとカインしかいないはずだから、カインがいう出会うものすべてとは、誰を想定していたのか、という謎がまずある。これは一応、当時の人の寿命は今に比べてとてつもなく長かったから、カインもそうして長く生きてさまよってる間に、新たに生まれるアダムたちの子供達とどこかで出会ってしまう可能性を考えたのかもしれない、という考え方もできなくはない。
またカインは追放された後に、やはりイブではないと思われる女と出会い、普通に子供を作っているというような記述もある。

 現代のファンタジーフィクションでは、カインが最初の人殺しという大きな罪を背負った罰として、永遠にこの世界を彷徨う不死身の存在にされてしまった、というような設定が時たまあるが、そういう発想自体は、ベーオウルフが(少なくとも現存する物語文学の設定として描かれているものとしては)最初期かもしれない。
ベーオウルフでは、明確に、カインが不死者になってしまったとは読み取れないだろうが、後の怪物は、この罪深き男から生まれた存在としている。

 しかし、ここで最も気になるのは、 やはりカインとアベルの話と同じく、創世記に書かれている「ノアの洪水」の物語であろう。聖書によると、(洪水の原因はともかくとして)神が目をかけたノアとその一族以外の人間は、この事件の時に一度絶滅してしまっているはず。そうすると、もしもカインが不死身でないなら、そして彼が罪を背負っていようとも、それでも人間として考えてよいなら、このノアの洪水の時点で彼は死んでいると考えるのが妥当な推測なはず。
だがだとすると、カインの生んだ怪物たちはどうなのだろうか。ノアは、 自らの方舟に多くの動物たちとともに5つも載せたのであろうか乗せて行ったのだろうか 怪物が洪水後の世界において神が新たに創造したとかあるいは 他の原因で生まれたと考えるなら問題ないだろうが会員の子供という設定においてはこの洪水事件はどうしても厄介であろう。

ただ凶暴な怪物なのか、それとも邪悪なる知性か

 ヘオロットを乗っ取って、好き勝手に悪さを重ねるグレンデル。なんとそれが12年も続く訳だが、この怪物はそもそも、どのくらい長く生きれるような存在なのだろうか。
グレンデルというのが、生物の種名とかでなく、個体の名前というのは、ほぼ間違いない。そしてこれがカインの怪物の系譜にあることも。

「荒ぶる者は、凶暴残忍の形相ぎょうそう凄まじく、やにわに臥所ふしどより三十人の従士を掴み取った……獲物を得てしたり顔に、その場を後にした……
悪鬼は、デネの軍勢の何人とも和解を望まず、怨みを取り除き、贖罪金しょくざいきんをもって事を治めようとせず、またいかなる賢人も殺戮者に償いをさせることできなかった……
人類の敵は夜ごと開深まる頃、豪華に飾ったヘオロットの館に住んだ。ただし主の御前にあっては、王が財宝を下賜かしする玉座、 この御座には、いささかも近づくこと許されず、また神の御心を惟おもんみることもなかった」

 これが見た目からしてすでに恐ろしいのはまず間違いないだろう。そして30人を掴み取るような怪力(むしろこれは大きさに驚くべきか)。
金でカタをつけようとしなかっただの、賢い人が説得できなかっただのというのは、そういう話がそもそもできないということか、それともそういう話が通じないような怪物と解釈すればよいか、微妙なところかもしれない。
怪物自体の表現より、主の御前、あるいは王の財宝に関連するような、つまりは聖域的な玉座に近づくことは許されないというのは、 比喩としてはむしろ解釈しにくいと思う。ここでも、邪悪なものは近づけない神の特別な領域というような、 キリスト教的世界解釈が少し見れるだろう。例えばそれは、悪魔とか吸血鬼とか呼ばれるような異端の存在が、十字架や聖水とかを恐れたり、教会に近づけないとかいう現象と、同じ理屈と考えてよいのかもしれない。

武器を使わないのはなぜか

 グレンデルという怪物の悪事の噂を聞いて、デネの王を訪ねてきた、イェーアト人の英雄。それが物語の主役となるベーオウルフ。
彼はすでに力自慢の英雄で、巨人の種族や、水に棲む妖怪を打ちのめした話なども語る。
そしてまた彼の噂の中で、気になる点が出てくる。

「聞き及びまするには、かの妖怪は向こう見ずにも武器を用いるを好まぬとのこと……
それがしは剣を、また木造りの楯をば戦の場に携え行くことを潔しとは致しませぬ。さにあらず、敵と真向から組み合い、命を賭して戦わねばなりませぬ……」

 これもやはり、武器を扱うだけの知能がないのか、それとも武器を使うことを好まないのか、どちらと考えればよいか。しかし仮に後者だとしたら、それは何故なのだろうか。
作中ではっきりとした理由は示されない。ただ、ある程度の知能を持っているかどうかは関係なく、この怪物がとても残虐な存在として描かれている事は間違いない。すぐに思いつきそうな理由といえば、やはり直接的な感触を求めているとか。

海の底の魔物たちの集まり

 ベーオウルフ自身については、基本的には過去の武勇伝を通してその超人ぶりが示される。
エッジラーフの子息ウンフェルスは、人気者のベーオウルフを嫌って、彼をバカにしてやろうと、かつてベーオウルフがブレカという人に泳ぎ勝負で負けた噂を持ち出す。だがベーオウルフは、その勝負に関する、噂とは違う、むしろ自分の勇猛さを誇示できるような話を語る。

「事の真相を言うなら、それがしは他の如何なる者より、海にては力優るよ……
われらは若気の至りで、二人して命賭けて海原に泳ぎ出た……
われらは、海に泳ぎ入ったる時、練り鍛えたる抜身を手にし、鯨より身を守らん所存だった……
われらは共に海原の上に五夜の間浮かび……
恨みを抱く害敵はそれがしを水底へと引き摺り込み、怒り狂って
それがしを引っ掴んだ……幸運にも剣の切っ先にて妖怪を捉える。激しき格闘、獰猛なる海の獣をたおすことができた……
禍事をなす邪まなる輩、それがしを餌食に、海の底に囲んで宴を開き、楽しむこと許さなかった。それどころか、刀傷のために命落し、浜に打ち上げられ、むくろをさらした……
ともかく、それがしは剣で、海の物の怪を九頭退治した……」

 まず五夜というのは、5日分の夜とかでなく、ある日の一夜の時刻を5段階的に分けた呼び名で、ようするにベーオウルフたちは、夕方から一晩中かけて水泳していたということであろう(甲夜こうや(初更。19~21)→乙夜いつや(二更。21~23)→丙夜へいや(三更。23~1時)→丁夜ていや(四更。1~3時)→戊夜ぼや (五更。3~5時))
しかし、いつのまにか海の怪物退治の話になっていく。
ベーオウルフ自身の語りで、しかし大げさな文学的表現と思えるような部分もわりとある。

 競泳を海で行うのが危険と認識していて、だからこそ、命がけの若気の至り。だが身を守るための抜身(の刀)を持っていたなど、特に恐れられていたのは広大な水域に生きる怪物だったのだろう。 具体的にクジラ(鯨)とも言っているが、 ベーオウルフを襲った海の怪物はクジラだったのだろうか。もしかしたらそれは、クラーケンとかシーサーペントとか呼ばれるようなものだったのかもしれない。
「クラーケン」海で最大、島ほども巨大とされた怪物の伝説の起源と変化『シーサーペント』目撃談。正体。大海蛇神話はいかに形成されたか 最終的には9頭を退治したらしいが、それもいくつかの種だったのか、それとも同じ種の怪物を9頭殺したということか。実のところ、(この時のベーオウルフの活躍のおかげで)「海を行く人たちが恐れる脅威が去った」というように書かれてたりもするから、9頭というのは、この辺りの怪物の総数だったのかもしれない(とすると、 絶滅寸前の古代生物だったか、あるいはわずかな数でも長く生きられる特別な生物か、本当に生物でない怪物だったか)
返り討ちにあってしまったために、哀れな餌食となったベーオウルフを海の宴会場に連れて行くことはできなかった、というようにも書かれているが、この辺りが一番素直に受け取りにくそうな部分ではあるか。だがこのあたりは(現代ファンタジー的に)クラーケン、シーサーペント、邪悪なクジラなどが、海の底の怪物の領域で 集合しているようなイメージを彷彿とさせてくれよう。
怪物の死骸は浜に打ち上げられたようだが、この頃は基本的に、( その泳ぐ様子を、図鑑の写真や、ドキュメンタリーの映像で気軽に見ることができる現在と違って)海の巨大生物が生きている場面が一般的ではなく、打ち上げられた死骸こそが 一番の手がかりだった事実も思わせる。

悪霊の最後の道

 しかしこのベーオウルフという物語において、海の怪物はわずかな尺の過去編における脇役でしかない。当然話の焦点はまた、地上の怪物グレンデルに戻る。

「おぞましきグレンデル……
眠っている一人の戦士を引っ掴んで、はばかることなく引き裂き、生身の肉にかぶりつき、生血を飲み……
いかなる兵刃へいじん(戦闘用の剣)でも、この極悪非道の者に痛手を負わすことはあたわぬ……怪物はいかなる大刀も、魔力によって効なきものにした。
現し世のかの時において、哀れにも彼が命から離れるのは必定で、幽界の悪霊は、悪鬼どもの支配する界へと遥々赴くべき定めだった……
グレンデルの手、そして腕と肩。そこには鉤爪がすべて備わっていた……」

 ここでの説明はむしろ、生物的には考えにくくなり、グレンデルがはっきり、神秘的存在であるような印象が強くなる。グレンデルに刃物が通じないのは、 単にその体の硬さのためというよりも魔法的な防御のため。さらには、現し世のかのと表現されるような時(審判の時?)に、悪鬼どもの支配する界(地獄?)へ、と。
また、捕らえた戦士を殺して食べてしまう時、生血を飲むとあるが、もちろん血が生命力の源というような思想は、聖書の時点ですでにある。キリスト教世界が民間伝承より恐ろしい吸血鬼を取り入れるのはまだまだ後の時代のことだが、ここにもその原型が少し現れているか。

湖に潜みしもの。グレンデルの母

 ベーオウルフと彼とともにある兵士たちは、ヘオロットからグレンデルを退けたものの、彼はまだ朽ち果ててはいない。そして新たな敵としてグレンデルの母が、物語の舞台に登場。その子グレンデルの出自に関する話も。
そして再び、カインという、悪霊を生んだ罪深き者の話も出てくる。

「グレンデルの母親、女性の妖鬼が……
女怪は、カインが同じ父から生まれた肉親を刃にかけて亡き者にしてより後、恐ろしき水、冷えわたる湖に棲む定めであった。その時カインは罪に穢れ、人々の集い暮す喜びを棄てて逃れ、荒野に住むこととなった。運命のなせる業により、彼から妖怪悪鬼の族が生まれ出た……
巨大な体の辺境を歩む者、幽界の悪鬼二人、沼地に住み……
彼奴きゃつを、その昔、地に住む者らがグレンデルと名づけた。人々は彼奴の父親が何者なるか知らず、彼奴らの縁につながる者として、かつていかなる妖怪悪鬼がおったかも知らぬ。彼奴らは人跡の及ばぬ地、狼の徘徊する山坂、索々さくさくと風吹き荒ぶ岬、おぞましき沼地を通う小径に住み……
その湖の上には、霜の降りたる山林の樹木が枝を伸ばし……夜な夜な恐ろしくも不思議なる光景、水面に浮かぶ火を見れる。人の子らのうち、湖の底を見た者は存命しておらぬ……」

 悪鬼にも一族の系譜というようなものが認められるなら、そこは普通の生物ぽいだろう。
グレンデル、少なくともその母は湖に住む怪物。 今は湖の怪物といえば、ドラゴンあるいはプレシオサウルス的な未知動物が一般的と言えよう。しかしそういうものではないにしても、濁った広い湖とかは、そこに何か得体の知れない存在が潜んでいるのではないかというような想像を掻き立てるのかもしれない。
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巨人が造った古の宝剣

「五十年にもわたってこの水の界に棲みおる、獰猛にして貪婪なる魔物は、一人の男が魑魅魍魎の住処を探らんとて、水面より降りて来るのを見て取った。魔物は勇士に掴みかかり、恐ろしき手力で彼を引っ捉える……
湖に棲む牝狼は、水底に到るや……彼をおのが仕処しどころに拉致……数知れぬ怪物が水中にて彼を悩まし、数多の海獣が恐ろしき牙もて彼の鎖鎧くさりかたびらを破らんとした……
やがて戦の庭となるべき広間に来たが、そこには水が一向に邪魔にならず、天井のため、寄せ来る水も彼の許まで達しない。明りが煌々こうこうと輝いている……
勇士は深淵の底に棲む呪われたる者、力強き水の魔女をはっきり見た……彼が剣で一撃を加えるや、大刀は魔女の頭に当って激しき戦の歌を響かせる。煌めく名剣も相手に傷を負わせられない……」

 そして、結局刀が通じなかったため、その身一つで戦いを挑んだベーオウルフ。貴公子と魔女の戦いにしては、かなり激しく強引な戦い。
ただ、やはり幸運なことに(あるいは神に選ばれているからこそなのか)、そこにあった武具に勝利を呼ぶ剣があったのである。

「巨人が造った刃の堅固なる古剣……それは数ある武器の中でこよなく優れたもの……ただし、巨人の手になる造り、かなり巨大なるもの……
シュルディング人の剛勇の士は、柄頭つかがしらに環のついたこの宝剣を抜き放ち、女怪の首筋に手応えあり、その首の骨は砕けた。剣は敵の体を両断した……
今やグレンデルがさきに、ヘオロットにおける戦で痛手を負って、命を喪って横たわっている……怪物は、死して後に一撃受け……勇士はその頭を刎ねた」

 まずグレンデルの母は、牝狼なのか、水の魔女なのか。そしてこの湖というのはどんな深さだったのか。ベーオウルフは、大量の海獣たちを皆殺しにしたのか、それともそれらは魔女の支配下で、つまり魔女さえ倒せばよかったのか、その辺りはわりと謎。
元々ベーオウルフが持ってきていた剣フルンティングも、そもそも有名な名剣らしいが、それは通じない。しかし、かつて巨人が作ったという巨大な古の剣は魔女にも通じる。
巨人というのは何者なのだろう。ベーオウルフとも関係あって何もおかしくないエッダの北欧神話では、 よく知られているように強力な武器を作ったりする職人は、基本的に醜い地下の小人たちである。
「古エッダの世界」ユグドラシルの生物たち。古の魔法の数々北欧神話のあらすじ「北欧神話のあらすじ」オーディン、ロキ、トール、エッダの基礎知識 だが、聖書に登場する初期の登場人物たちは、基本的に現代の人たちよりも大きかったという説があり、ここでいう巨人とは、単に昔の、今よりも大きかった人たちというような程度の意味合いなのかもしれない。
「巨人伝説」巨大な人間は本当にいたのか。どのくらいならありえるのか もっと普通に、(そのパターンは北欧神話よりもギリシア神話で有名だが) 人間たちの時代の前に巨人たちの時代があってその頃に作られた古の武器というような発想かもしれない。
大地が浮かび上がる様子「ギリシア神話の世界観」人々、海と大陸と天空、創造、ゼウスとタイタン

聖なる領域、不浄なる領域

 とにかく 物語の適役としての第2の怪物グレンデルの母を殺したベーオウルフは、邪悪な者たちが生きる湖の底の世界より帰還する。

「フロースガール王とともに湖の面を見つめていた賢き面々は、波立ち騒ぐ水が到る所にて揺れ、湖水が血に染まるのを見た……
……かの剣、戦の大刀は、闘いに流れた血の故に、垂氷たるひさながらに融け細っていった……その剣が融け去る様は摩訶不思議なる光景であった……
海を行く民イェーアト人の頭領は、怪物の住処にて七珍万宝しっちんまんぽうを目にしたが、グレンデルの頭と、金玉飾った柄を除いては、何の宝も持ち去らなかった……
剣は燃え尽きていた。毒を持つ幽界の悪霊の体内を流れる血は、さほどに熱かった……
勇士は泳ぎ、水を掻き分けて浮び上がって行った。
幽界の悪霊が、定命尽きて束の間のこの世を去った時、立ち騒ぐ波、広大なる住処はすっかり浄められた……
人々がつねづね酒を飲む館の床に、グレンデルの首が恐ろしき形相にて頭髪を捕まれたまま……摩訶不思議なる光景であった……」

 怪物たちの所有していた宝は、おそらく略奪により得たものだったのだろう。
湖の底での戦いにより、切り倒された怪物の血が湖を赤く染める。その血は毒を持っていて、古の剣をも溶かしてしまう。怪物を退治した証拠品とばかりに持ち帰ったその首とともに、この物語の中の基準においても、それはかなり不思議そうな現象として描写されている。
湖に潜む怪物、悪霊が死ぬことで、その領域が浄化されたというような流れは、単にキリスト教的というだけでなく、それこそ不思議な世界観を感じさせもする。穢れとは何であろう。悪霊がそこにいるということは、その場が何か汚染地域的な状態にあり、そして悪霊を殺したなら、浄化されるということなのか。そうしたことから考えると、不浄なる行為、不浄なる行為を行う悪なる存在は、神が用意したこの美しき世界を汚染していく存在というようにも解釈できよう。悪を倒すのはまるで、汚れを取り除く修復行為かのようだ。
審判の日のさらに後、あるいは様々な変化を越えて最終的に現れる、あるいは最初に存在して失ってしまった、まったく不浄なる要素の存在しない楽園というような世界観は、キリスト教に関連する多くの信仰においてよく知られている。 ならどこかで一瞬それが生まれるとかでなく永遠に存在する領域としてそういうものを考えて よいのだろうか。そんなもの想定することが本当に可能だろうか。

古の巨人の物語

 悪鬼をついに倒した、巨人の造った古の剣。溶けたのは葉の部分であり、柄は残ったが、それは結局デネの君主に献上される。

「黄金造りの柄、巨人の造りなしたる細工……摩訶不思議の技をもつ鍛冶の手細工の品は、デネの君主の所有するところとなった……
フロースガール王は語った。この時、王は柄を伝来の秘宝を眺めたが、そこには澎湃ほうはいたる水、滔々とうとうと寄せる潮が巨人の族を滅ぼし、彼らが痛き目に遭った戦の起こりの模様が彫られていた。彼らは永遠の主にとって縁なき衆生しゅじょうであった。神は彼らに対し、蕩揺とうようする水をもって最後の応報を下し給うた……
つばに差し込まれた輝く黄金の銘板めいばんには、かの鉄の名剣が、誰のため造られたか、ルーン文字で刻まれていた……」

 ここで語られる巨人の、あるいは巨人の時代の物語は、洪水伝説を思わせるかもしれない。
洪水神話「洪水神話」世界共通の起源はあるか。ノアの方舟はその後どうなったのか 巨人族は神に縁がなかったため、神はそれを滅ぼしたというのは、つまり巨人は、この世界に本来生まれるべき存在ではなかったということだろうか。不浄なるもの、悪しき存在もそうと考えていいかもしれないが、巨人に関しては出自についてより謎がある。
しかし普通に考えるなら、その巨人たちというのは、元々は異教の世界観におけるキャラクターなのであろう。

神が運命を決めた世界における自由意志

「親愛なるベーオウルフ、こよなく優れたる者よ、禍の元なる
いかなる恨みにも囚われることなく、これを戒められよ……
高名なる戦士よ、ゆめ傲慢に陥るまいぞ。今や、そなたの力の盛りは一時のものでしかない……」

 英雄は神に選ばれし者、宿命づけられた存在、そのような決定論的世界観の中において、しかし苦難の時を彼に救われたデネの王は、まだ若きベーオウルフに、誰もがその栄光の時がずっと続くわけではない、決して自分の特別な部分のために、自惚れてしまうのではないぞ、と忠告する。
つまりベーオウルフは、選ばれし英雄といえど、ここでは自分の道を、あくまでも自分の意志で選ぶ選択者というように描かれている。怪物を倒し、一国の危機を救った偉大な男であっても、堕落してしまうことはありえる。それはおそらく神にすら予測のつかないこと、悲劇的なこと。思えばカインから生まれた悪鬼たち、そのカイン自身の最初の殺人という罪、それに巨人たちのようなイレギュラー的存在、あるいはもっとはっきりと、様々な異教の神々、文化、人々。
この世界を作ったのが神であるとしても、この世界の全てがその万能の神の手のひらの上にあるわけではないことは、数え切れない説話が示していることだ。そしてここでもそうした、物語、世界観の構造のために、個々の自由意志というものが示唆されている。
だがそうした自由意志こそ、万能でもなんでもなく、例えば普通の平民として生きるように造られた誰かが、努力で英雄になれる可能性があるとか、そういうものではないだろう。
もちろんこういう(ある程度個人個人の運命は、生まれつきに決まっているものというような)設定は、神話の中で考え出されたというより、政治的な理由が関わっているかもしれない。

 そしてグレンデル母子という強敵を倒してから、次には、自分の国で王となったベーオウルフと、彼の国を襲ったドラゴンの話に続いていく。

炎のドラゴンの圧倒的な強さ

 有名な指輪物語の前日譚である『ホビットの冒険』において出てくる、財宝を守るドラゴン。その描写は、まず間違いなく、ベーオウルフにおけるドラゴンの話に影響を受けている。

「竜に甚だしき損害を与えた者は、怪物の守る秘宝の在処にこれの意志にて進んで侵入したのではなく……これの犯した罪のため、身を寄せるべき家なく、厳しき咎めを免れようと逃れ出て塚に潜入した……
土の館の中には、古来の宝があった。誰かは知らねど、身分高き一門の者がその昔、大いなる遺産、貴重なる宝を、そこに隠したのだった……」

 ドラゴンが暴れる原因は、宝を勝手に持ち出されたからである。

「さて、夜中に災をなすこうを経た(つまりとてつもなく長い時間を生きてきた)竜……炎に包まれて夜ごと宙を翔る。肌のすべらかなる魔物は喜びの源なる秘宝が荒されているのを知った……
竜は眠りより醒め、未だかつてなき闘いが起った……
竜は熱気を発し、猛り狂って……
夜が訪れるのを一日千秋の思いで待つ。塚の番人は怒りに燃え、炎をもって怨みを晴らそうとした……
日が落ちた。もはや塚の斜面にて待ってはおられず、炎を身に帯び、火焰に包まれて発った……
この竜は炎を吐き、家屋敷を焼く……敵意を抱く天翔る妖怪は命ある物を些かもそこに残すまいとした……
竜は夜の明ける前に、人の目に触れぬ館へと戻った」

 もう少し後では「とぐろを巻いた怪物」というような描写もある。とするとこのドラゴンは、いわゆるトカゲ型でなく、ヘビ型のドラゴンなのだろうか。西洋の怪物で空を飛ぶ場合、それは基本的に翼を持つ。だから、これがヘビ型のドラゴンであったとしても、空を飛ぶ以上は、翼を持っていた可能性は高い。あるいは炎を身にまとって飛ぶということから、もしかしたらその翼は炎を具現化したものかもしれない。
かつてなき戦いと言われるほど、ドラゴンの暴れぶりは凄まじかったようだ。しかしその怒りに燃えた理由に関しては財宝。それが自分が所有していることか、あるいはそれ自体の美しさに喜びを感じているような印象もあるだろう。ドラゴンはどういう認識を持つのか。
住みかの外で暴れられるのは夜限定かのように、そうでないとしても、どうやらこの生物(?)は夜行性のようだが、夜の魔物という発想は、むしろドラゴンの神がかり的要素を薄めているように思う。おそらくドラゴンは恐ろしい存在ではあるが、あくまでも魔物にすぎないのだろう。そういうところは、西洋的なドラゴンのイメージによくあっていると思う。

 ところでベーオウルフは、その時には賢き王とされていて、木製の盾では炎に対抗できないと、すべて鉄製の特注盾を用意してドラゴンに立ち向かう。
ベーオウルフ曰く「その昔グレンデルを相手になしたる時のごとく、この怪物に対しても正々堂々とを心得ておるならば、予は武器を竜の許へ携えて行こうなどとは思わぬ。しかしあれには猛火の熱気、毒を含んだる息があり、それ故に予は楯を携え、鎖鎧を身にまとっておるのだ……」
ようするに、その魔法的な力自体が強力な武器のようなもののため、武器で対抗するしかないということなのだろうか。

 最終的には、ウィーイラーフという勇士が助っ人にきて、共に戦う。 このドラゴンとの戦い自体は、グレンデルや、グレンデルの母の魔女戦よりも、かなり苦戦である感じがあり、単純な強さだけで言うなら、ドラゴンの格の高さがわかりやすい。
そして王は、戦いの中で受けたドラゴンの毒のために死んでしまう。