「キャディ(キャドボロサウルス)」死骸が発見され、論文も書かれている怪物

シーサーペントか

 古くから、公式には未確認とされている『シーサーペント(Sea serpent)』、いわゆる大海蛇の伝説は多い。
シーサーペントは、世界中の海で目撃証言があるが、信奉者しんぽうしゃにせよ、懐疑論者かいぎろんしゃにせよ、古今東西のあらゆる記録に残るこの生物の正体が、単一の生物であると考えている者などほとんどいない。
どの程度のレベルでかはともかく、いくらかの種に分類できるのは、まず間違いないとされている。
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 そうした考えの立場に立った時、キャディ(Caddy)という愛称で親しまれるキャドボロサウルス(Cadborosaurus)は、シーサーペントの1種。
あるいは、シーサーペントを神話的、文化的産物とした場合の、現代に残った系譜の端の1つとされる。

現代の神話か、実在する生物か

 キャディがシーサーペントと関連付けられることがあるのは、その典型的な見た目のためである。

 一般的にキャディは、クジラウシ目(のラクダとかウシ)やウマ目(のウマ)に似た頭部。
その頭部から首にかけての(やはりウマのような)タテガミか、毛。
細長い体に、背中にコブらしきもの。
先端が二股の尾に、前部と後部の両方にある足ヒレなどの特徴を持つとされている。
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 ウマのような頭部やタテガミ、長い体はもちろん、しばしばコブがあるように見えるのは、シーサーペントに関してよく伝えられる話でもある。

 また、キャディの目撃情報というのは、明らかに1933年以降に多いともされ、足ヒレなどは、やはり同時期に、急速に目撃証言が増え始めた、ネス湖のネッシーの影響があるのでないか、と考える人もいる。
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ヒレという特徴は、これまでにいくらか発見されているらしい死骸のいくらかが、(よくプレシオサウルスに似ていて、間違われやすいとされる)腐敗したウバザメである可能性も高める。
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 キャディが、古くからの大海蛇伝説に影響を受けた現代の神話の1つと考えるのは容易い。
(自分たちよりも優れた存在である神様の奇跡を、自分たちよりも優れた科学力由来の超テクノロジーに置き換えたエイリアン神話みたいなものである)

 だが現にキャディは、(エイリアン神話と同じく)その真実は何にせよ、まだまだ現代(リアルタイム)の謎の1つである。
実際に具体的な目撃証言もかなり多く、死骸が発見されるのみならず、生け捕りにされた、というような話すらあるという。
ついでに、この生物の存在に関して公式の論文が書かれたこともあり、「Cadborosaurus willsi」という学名まで与えられている。

キャドボロ湾の怪物伝説

 キャディが生息しているのは、カナダはブリティッシュコロンビア州のバンクーバー島(Vancouver Island)の沖の辺りとされている。
キャドロボロサウルスという名前も、この生物がよく出没するという『キャドボロ湾(Cadboro Bay)』にちなんだもの。
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古くから知られていたか

 キャドボロ湾の近くには、1800年代半ばくらいまで、8000年間くらい、先住民族たちの村(コミュニティ)があったらしい。
ちなみにキャドボロは彼らのつけた呼び名でなく、最初にこの湾に入ったヨーロッパの船である、ハドソン湾会社(Hudson’s Bay Company)の船の名前に由来しているそうである。
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 北米先住民族は、大海蛇の伝説を多く伝えているが、キャディと自信を持って関連付けられるかというと、やはり難しい。
よくある伝説というだけの話でなく、北米の先住民たちは、新しく判明した事実とかを、神話に後付けするのをあまり問題としない傾向があるのも、それをちゃんとした記録としたい場合には厄介な話である。
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ビクトリア・デイリータイムズ紙の記事

 キャディの目撃は1933年以降、急速に増えたようだが、その直接的なきっかけは、『ビクトリア・デイリータイムズ紙(Victoria DailyTimes)』という新聞の記事だったようである。

 記事が扱ったのは、キャドボロ湾で時々目撃されるというシーサーペントで、その生物に「Cadborosaurus」の名を与えたのも、同紙であったという。

 ネッシーブームの始まりも1933年。
さらに言うなら竜脚類恐竜らしき生物が出てくる(大ヒットした)怪獣映画の「キングコング」の公開とも、見事に年代がかぶっているという事実の重要性を語る懐疑派もいる。
そういう人はたいてい、(怪物が本当にいるかどうかにも関わらず)この事実は過小評価されすぎていると述べる。

クジラではないのか

 大見出しとなったビクトリア・デイリータイムズ紙の1933年の記事は、特に同年にその怪物を目撃したというラングレー(W.H. Langley)と、前年の目撃者であるケンプ(F.W. Kemp)なる人物のインタビューに基づいているらしい。

 ラングレーの目撃は、妻と一緒に、帆走はんそう(セーリング)を楽しんでいる最中のこと。
シューシューというような、鼻息にも似た巨大な音が聞こえたかと思うと、30メートルほど先に巨大な物体が見えたのだという。
見えていたのは、おそらく巨大生物の背中で、それは数秒ほどの後に、水中に消えたらしい。

 この目撃は、証言からして、クジラでないかと疑われたが、ラングレー自身は、 大きさ以外はあまりクジラぽくはなかった、というように反論もしていたそうである。
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恐竜という認識

 ケンプの方の目撃は、ラングレーの目撃地点と近い小島で、家族とピクニックをしていた時のもの。
彼と彼の家族は、ワニのように動く、首の周りにタテガミや、背中にノコギリみたいなギザギザが確認できる巨大生物を、数分間ほどにわたって目撃した。

 この目撃自体は1932年のことだが、これに関してケンプが語ったのが1933年なことには注意である。

 その生物は400メートルくらいの幅の海峡で、自分の位置を確かめようとしているかのように頭をあちこち動かしていて、そうしてる間、うねった胴体の盛り上がっている部分が、水面に見えては沈んでいたという。
そして、数分くらいの後に怪物は去ったらしい。

 ケンプは、怪物との距離は正確には不明だが、その大きさはおそらく20メートルほどだったと推定した。
さらにケンプは、「怪物が波を巻き起こす様子は、ヘビというよりトカゲのような印象だった」とも。
さらには、ビクトリア・デイリータイムズの編集長宛に、この怪物の正体はディプロドクスなのではないか、というような意見を書いた手紙が届いたことを知った時には、確かにそれをディプロドクスと解釈するのが一番合理的だと思うというようなことまで述べたという。

 ただその手紙には、おそらく怪物の足にはヒレが付いていて、それによって素早く泳ぐことが可能なのだろうというというような説も書かれているらしい。
首長竜と混同されている節がある。

 参考までに、1930年代なら、まだディプロドクスのよう竜脚類恐竜は、水生(あるいはほぼ水生の半水生)だという説が有力だとされていた時代のはずである。
その巨体で陸上生活は難しいのではないかと考えられていたためだ。
実際には体を水没させての呼吸こそ、形体的、圧力的に困難だったということが、カーマック(Kenneth Alexander Kermack。1919~2000)という人の研究(1951年)で明らかになっている。
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衰えない人気という根拠

 キャドボロサウルスの名前が与えられてからの目撃報告における説明は、わりと一貫性があるともされる。
この生物が実際には存在しないとするのなら、神話はやはりビクトリア・デイリータイムズに始まったと考えるのが妥当と思われる。

 ただ真実はともかくとして、これがちょっとしたブームですませるには、あまりに息が長いことも注目に値すべきであろう。
そもそもこのキャディという生物は、現在まで目撃証言が絶え間なく続いているという事実こそ、存在するという最大の根拠、と言われるくらいに、しっかりと現在まで目撃証言があるらしい。

 ひょっとすると、この、まさしく現代的シーサーペント伝説は、いつか本当にこの生物が発見されるか、バンクーバー島沖全部の生物確認システムとかみたいなのが作られるまで、人気を保ち続けるかもしれない。

真の最初の目撃はいつか

 実際にキャディと呼ばれる生物が目撃された最初の事例に関しては諸説ある。
それこそ、ヨーロッパからの貿易船がやってきて間もない頃から、この辺りの海域(バンクーバー島沖)で、謎の生物を目撃したという噂はある。

 一般的に、記録に残る最初の遭遇は、1905年、あるいは1906年の9月とされることが多い。
アダムス川で漁をしていた地元の漁師が、全長、あるいは首の長さが2メートルくらいで、頭部に2つのコブを持った、茶色い生物を目撃したのだという。

 しかし、何にせよ、キャディの名前が付けられる以前の記録はかなり曖昧である。
(おそらく関心を持っている人自体が少なかったろうから、仕方がない話ではある)

消えた死骸の謎

 キャディは、わりと何度も死骸が発見されているという点で、他の多くの未確認動物と一線を画する(かのネッシーですら、最大の問題点のひとつは、死骸が発見されないことだとされている)
だが、当然、決定的とされているものがないから、まだ未確認生物と呼ばれているわけである。

 キャディと考えられた死骸に関して、ほとんどは、サメやクジラやアザラシなどが正体と考えられている。

ナデン湾の死骸

 1937年の『ナデンみなとの死骸(Carcass of Naden Harbour)』は、確かに決定的ではなくても、かなり惜しい、キャディ最大の重要証拠とされている。

 その年の7月(あるいは10月)。
どちらかというとブリティッシュコロンビアよりアラスカ州に近いらしい、2010年まではクイーンシャーロット諸島(The Queen Charlotte Islands)と呼ばれていたハイダ・グワイ(Haida Gwaii)のナデン港に運ばれてきた、マッコウクジラの胃から、キャディらしき死骸が回収され、写真も撮られた。
(しっかり写真が残っている上に、非常に有名なので、ネットで少し検索すれば簡単に見れる)

 それは奇妙な生物だが、細くて長い体や、ウマに似た頭など、伝えられるキャディによく似ていた。

 また、肋骨などを省いたアザラシぽいという指摘がある。

有名な学術論文

 Cadborosaurus willsiという学名と共に、もう普通にキャディを認めてはどうかと提案した、1992年の有名な学術論文でも、ナデン港の死骸は重要な根拠とされているという。

 例の論文を書いたのは、ブリティッシュコロンビア大学(University of British Columbia。UBC)の地球海洋科学部長であるポール・ルブロンド(Paul LeBlond)と、カナダ自然博物館の元主任動物学者エドワード・ブラスフィールド(Edward Blousfield)。

 古生物学者のダレン・ナイシュ(Darren Naish)などによる、「根拠のない推測があまりにも多すぎる」などの批判があるものの、この論文は、キャディが科学的にしっかり認められているという根拠として、やたらよく持ち出される。

 だが、ルブロンドとブラスフィールドの熱心な調査にも関わらず、写真に撮られた後の死骸の行方は謎として残った。

 この死骸のサンプルが、ブリティッシュコロンビア州立博物館に送られ、検査の結果、消化によって細々となったヒゲクジラの胎児と判明したという噂もある。
しかし、この博物館自体に、そんなことがあった記録もないらしい。

生け捕りされたのは本当にキャディだったのか

 1968年。
作家のウィリアム・ヘーゲルンド(William Hagelund)は、デ・コーシー島(De Courcy Island)付近で、幼体(juvenile)のキャディらしき生物を捕まえたそうである。
ヘーゲルンドは捕鯨船に乗っていた経験もあり、海洋生物に詳しかったが、それは彼が今まで見たこともないような生物だった。
彼は当初、その生物をちゃんと連れて帰るつもりだったようだが、バケツの水の中で、興奮する生物の様子を観察する内に、おそらく長くは生きられないと悟って、哀れみから逃がしてやったらしい。

 また、1991年にも、サン・ファン諸島(San Juan Islands)で、フィリィス・ハーシュ(Phyllis Harsh)という人が、赤ちゃんキャディを捕まえたが、やはり逃がしてやったと主張しているという。

 これらは、タツノオトシゴと近縁である、ヨウジウオ(Syngnathus schlegeli)という魚だったのでないか、という説がある。
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