「幽霊船」実話か、幻覚か。ありえない発見、海の異世界の記録

沈没船

フライングダッチマン号。さまよえるオランダ人船

 広大な海洋を漂っているという幽霊船は、よく『フライング・ダッチマン(さまよえるオランダ人船長)』の、『フライング・ダッチマン号(さまよえるオランダ船)』と呼ばれる。
これは最も最初の、あるいは、最も最初に有名になった幽霊船伝説が、オランダ人船長の話だからとされる。
オランダの家 「オランダ」低地国ならではの習慣と特徴。水と風車と倹約家主義
 しかし、様々な人に伝わっていきながら、 様々な伝説のパターンが生まれたために、最初の話がどのようなものだったのか、正確にはほぼわからない。
ただ典型的な話と、派生的な話があるようである。
それぞれ一例を挙げる。
海洋 海はなぜ塩水なのか?地球の水分循環システム「海洋」

呪いを受けた船長。典型的な話

 おそらくは17世紀のいつか。
(ヘンドリック・ファン・デル・デッケンという名前らしい記録がある)オランダ人船長の船が、希望岬の辺りで嵐に見舞われた。
エンリケの羅針盤 「エンリケ航海王子」世界史における、大航海時代を始めたポルトガルの王子
 ひどい嵐で、船員たちは船長に、一旦沖へと引き返すように言ったが、酔っぱらいの(あるいは怒り狂っていた)船長は、全然話を聞かない。

 そのうちに、怒り狂った船員たちは反乱を起こしたが、船長はその反乱のリーダーを殺害し、遺体を海へと投げ捨てた。
だが投げ捨てられた遺体が、海面に当たった瞬間、謎の影が現れて、船長に言った。
「お前は本当に頑固な野郎だ」
 船長は返した。
「私はこれまでの人生、楽な道を選んだことなどない」
 影はさらに言った。
「お前のせいでお前の船は呪われた。もうお前の船が港に着くことは永遠にない。そして、お前の船を見た者は、誰であれ死ぬであろう」

最期に残された乗組員の悪夢。派生的な話

 1752年の夏。
アメリカに行こうとしていたオランダ人たちの老朽船ろうきゅうせんパラディン号は、酔っ払いの船長と長く続いた悪天候のせいで、目的地であるフィラデルフィア港にたどり着けなかった。
それどころか、自分たちの船の正確な位置すらわからなくなり、船員たちの間ではケンカが始まった。

 そうするうちに、船長は殺された、あるいは海へと落ちてしまった。
しかもその後、船員たちの何人かが、他の者たちのあり金を奪い、救命ボートで逃げてしまった。
航海技術もあまり持たない残された者たちは ただ あてもなく海をさまようしかなかった。

 やがてパラディン号は、ロングアイランドから18キロほどの距離にあるブロック島という島の海岸に乗り上げた。
貧しい暮らしを送っていた土地の漁師たちは、パラディン号の船員たちを降ろすと、金目の物を回収してから、船は燃やして海へと返した。

 しかし実は、デッキに隠れていた女が一人、船に取り残されていた。
燃えながら流れていく船の上で、助けを必死で叫ぶ彼女を見て、人々は驚いたが、もうどうしようもできなかった。

 それから、ロングアイランドの人たちはよく、海上を漂う謎の帆船や、赤い火の玉を見るようになったのだという。

本当にあった、謎の海難事故

 これまで多くの船が作られ、そして海難事故も多く起こってきた。
残された記録の中には、不可思議なものも多くある。

 GPSのようなシステムもなかった時代。
海難事故は、遭難者や救助者が港へ帰ってくるまで、まさに当事者たちだけの物語であった。
その真実が、異常な状態の時に起こりうる、幻覚や思い込みの闇に隠されている可能性も、もちろんある。

ピカルディ号。死者の幻のSOS信号

 (「当船は沈没する、ただちに救助されたし。当船の名はピカルディ号」)

 ピカルディ号は、フランスのタンカー船だった。
しかし、その船から送られてきた救助信号のメッセージは、 存在するはずのなかったものだと、後に判明する。
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 1940年のことである。
ピカルディ号は、グランドブルターニュから、メキシコ湾に向かって運航していた。
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 ある日の食事中だったらしい。
急に船が揺れた。
一等航海士が「潜水艦だ」と叫んだ。
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夜の暗闇の中、目も慣れてきた船員たちに見えたのは、かなり絶望の光景だった。
タンカー船の半分ほどがなくなっていたのだ。

 ただその半分の部分は、亜空間へと消えてしまったとか、そういうわけではない。
搭乗員の一人が、すぐに300メートルほど先に、おそらくはそれらしき塊を確認した。
それは暗闇の海へと、あっさりと吸い込まれていった。

 自分たちの方の船体部分は、半分とはいえ、まだそれなりの浮遊力があるのは、間違いなく幸運だった。
それにボートも、一応はこちら側だった。

 船がそうなってしまった原因についてはわからない。
戦時中だし、潜水艦に攻撃された可能性はある。
当時、海は荒れていたから、タンカーの船のタンクに、何らかのダメージを受けたのではないか、と考えた者もいた。
ただ船が真っ二つに割れた原因についてはこの事件に関しては些細な問題とされている

 重要だろう問題は、あまりに突然の出来事すぎて、誰も救助信号を送っていなかったこと。
だから、自分たちを探しにくる救助船が来る可能性に関しては、かなり絶望的だったはずだ。

 しかし彼らは、本当に運よく救助された。
救助してくれたのは、中立国ノルウェーの船、サーミュエル・ビュルケ号だった。
助けられた者たちの前で、ビュルケ号の船長ヤーコブス・オールセンは、笑顔で言ったのだった。
「しかし、あのSOS信号がなければ、私たちは、あなたがたを決して発見できなかったでしょうな」

 ビュルケ号は、誰も送っていないはずの救助信号に導かれて、やって来たわけであった。
しかも、ピカルディ号の名ははっきりとメッセージに含まれていたから、偶然近くで不運な目に遭っていた、他の船の信号という可能性は、絶対に考えられない。

 ピカルディ号の事件は、普通は、海の闇に消えたもう半分の部分の船に乗っていた者たちの誰かが、救助信号を送ったのだろう、というふうに考えられる。
だが、すぐに沈んでいった側に、そんな暇があっただろうか。
すでに沈んだ船内で、すでに死んだ誰かが、救助信号を送ったのではなかろうか。
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 もっとも、救助信号が送られてきた時間帯に関しては、おそらくはタンカーが真っ二つに割れた時刻と、ほぼ一致するくらいだそうである。

オーラン・メダン号。燃え上がる遺体だらけの船

 1949年のこと。
バタヴィアとシンガポールの無線局は、オランダの貨物船、オーラン・メダン号の、SOSを受信した。

 しかしその内容が少し奇妙だった。
自分たちの位置を正確に知らせてきているのに、なぜ遭難状態に陥ったのかを明らかにしなかったのだ。

 その位置の天候は晴れているようだった。
しかし船が遭難状態に陥る原因は悪天候だけではない。
他の船や障害物との接触事故や、貨物が爆発してしまったとかいう話もある。
だがSOSを求めた船員は、その原因を話そうとはしない。

 複数の船が、知らせられた位置へとやってきた。
だが遭難した者たちを見つけることができない。

 誰もが最悪の状況を思い浮かべる中、無線士たちが、モールス信号らしき音をキャッチした。
通信途中、おそらくキーを連打してしまっているような意味のないモールス信号がなかなか邪魔となった。
これは、送信機を叩く人の手が震えているのだということを示唆していた
しかし無線士たちは、慎重に、本来の信号を単語へと移し替えていく。
「船長も航海士も全員死んだ。ブリッジにも操舵室にも、もう誰もいない。多分、彼らも死んだ。それから、私も、死ぬ」

 海賊の襲撃にあったのでないかと、多くの者が考えた。

 やがて、オーラン・メダン号は発見された。
船に目立ったダメージはなかった。
ただ不気味なほどに静か。

 乗り込んでいった者たちが見たのは、あちこちに放置されていた、船員たちの遺体であった。
無線室では、無線士が装置を置いているテーブルにもたれかかり、息絶えていた。

 船内のどこにも争った形跡や、暴力の形跡は見られなかった。
船長室の航海日誌には、その日の進路、海の状態、風向きなどが記録されていたが、遭難に関しては何の記載もなかった。
救命ボートは、全て吊るされたままのようだった。

 その時、周囲の船からサイレンが聞こえた。
オーラン・メダン号に乗り込んでいた者たちに対する、「戻れ」という合図だった。
船の倉庫から煙が上がっていたのである。
幸いにして、二次被害はなかったようだ。
やはり原因不明の火災により、謎の遺体だらけの船の全体が燃えてしまう頃には、もう乗り込んでいた者たちは全員、自分たちの船へと戻っていた。

 それから謎の船は、とどめとばかりに爆発し、完全に海の藻屑と消えたらしい

 オーラン・メダン号に何が起きたのか。
とりあえず搭乗員たちの死亡の原因は、伝染病や、汚染した食料による中毒や、火災による有毒ガスの発生など、 様々な説が出された。
最後の火災や爆発については、まったく別の偶然にすぎなかったのだろうと解釈された。

遭難事故の怪奇

 幽霊船の乗組員たちは、ずっと船の中で過ごしているのだろうか。
あるいは帰るべき場所があるのだろうか。
帰るべき場所があるならばそれはどこなのだろう、生者には知られていない異世界のようなものがあるのだろうか。
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 遭難者が時に絶対にありえないような幻を見ることがある。
死ぬ前に見るのではない。
助かった人たちも、遭難した時にそういうのを見ているからこそ、ちゃんと記録に残っているのである。

漂う氷河での冒険

 1826年のこと。
フランスはグランヴィルからカナダへ向かっていた、ナタリー号という船が、 ラブラドル半島とニューファンドランド島の間の、ベルアイル海峡の辺りで沈没した。

 副船長だったジャン・ウイストと船員のベルナール・ポティエは、2人必死で泳いでるうちに、白い氷塊にたどり着いた。

 だが、氷の上に立ったところで何だというのか。
食料も何もない。
助けが来ない限り、野垂れ死ぬしかなかった。

 しかしどういうわけか彼らは、檻に閉じ込められた鶏や、りんご酒やバターの入った樽を見つけ、空腹や渇きを癒すことができたという。
彼ら自身、おそらくそれらは、沈んだ船に乗っていた物が、海面に広がり、流れてきたのだろうと考えた。

 やがてボートを見つけた2人は、別の氷塊に避難していた、ジュリアン・ジョレという仲間とも再会することができた。
それから三人は、一か八か陸地を目指して、ボートを漕ぎ始めた。

 しかし行けども行けども、たどり着くのは氷塊だった。
3人の体力も限界に近づいていた。
そしてその時、彼らはまさしく奇跡的な光景を目にした。
氷が陸に近づいていた そして彼らはその陸に飛び移ることもできた。

 それは島だった。
彼らはその海岸で、貝や草を食べながら二日間生き続けた
だが、 最後まで歩く気力を保っていたウイストも、ついに倒れ、眠りについた。

 その後、最初に目覚めたのはジョレだった。
そして彼は大声で叫んだ。
「船だ」
それは間違いなく本当の話で、やってきたイギリス船は彼らを救助してくれた。
イングランド 「イギリス」グレートブリテン及び北アイルランド連合王国について
 この話は記録があまりにも曖昧と言える。
しかし、おそらく3人が助けられたのは、どこかの島だったのだろう。
だが、彼らがいかにしてそこに辿り着いたのか、その冒険の話は信じがたかった。

コスロウ号とトリコロール号。六年前の船との遭遇

 貨物船コスロウ号との遭遇は、 合理的な説明を付けるのも難しい まさしく本当の幽霊船の話であり、実際に報告された記録である
その報告は、実際にコスロウ船に乗っていた航海士のG・E・ロビンソンによってなされた。

謎の船長の超能力

 ロビンソンは、貨物船コスロウ号の船長は、風変わりであるが、船乗りとしては超一流の、というよりもむしろ超能力的なものを備えていた、と記録している。
サイキック 超能力の種類研究。一覧と考察「超感覚的知覚とサイコキネシス」
 その船長は口数少なく、仕事以外では人とあまり関わろうともしない、無愛想な男だった。
しかし例えば、突然に「水深を探れ」などと言い、航海士が渋々と水深を探ったところ、予想していたよりもかなり浅瀬で、座礁の危機にあるということが判明したりする。
その男は、そういう船乗りに必要な、危機を察知する能力に、異常なレベルで長けていたという。

意味不明な命令

 そのありえない遭遇は、1937年1月5日のことだった。
コスロウ号は、スリランカはセイロンの西海岸に近づいていた。
風はなく、海上は濃い霧に包まれていたという。

 午後5時頃のことだった。
船長がいきなりブリッジに現れ、「今すぐにエンジンを全て止めろ」と命令を告げた。

 普段の倍いた見張りたちの誰も、特に何か障害物などは見つけていない。
その命令は意味不明だったが、しかし船長の能力をみな知っていたから、誰もが、驚くというより、不安に駆られた。

霧と共に消え去った謎の船

 エンジンを全て止めたので当たり前の話だが、海上の真っ只中で、コスロウ号は動かなくなった。

 船長は最初じっと前方を見つめていたが、突然に、汽笛を鳴らす装置を作動させた。
驚くべきはその後だった。
鳴り響かせた汽笛に対し、どこか別の船からの汽笛が返されてきたのだ。
しかし霧で音が反響し、いったいどの方角から、その汽笛が聞こえてくるのかは、ロビンソンにはわからなかった。

 船長は何度か汽笛を鳴らし、どこか別の船も、毎回しっかりと音を返してきた。

「あそこだ」と誰かが叫んだ。
それはコスロウ号より400メートルほど先であった。
大型の貨物船が、もしも止まっていなかったら、コスロウ号とちょうどぶつかっていたろうくらいのタイミングで、その海の道を走っていった。

 船長は望遠鏡を覗き込み、すぐさま呟いた。
「トリコロール号だ」
それから呆然とする他の者たちに告げた。
「さあ、前進だ」
ちょうど霧も晴れてきていて、謎の船は、さっさと消えていた。
それは、通常考えられるような速度で運行しているのならば、絶対にありえないくらいの時間での消失だったという。

 船長以外の者も、望遠鏡を覗いたが、船の名前を確認できた者は他にいなかった。
もし確認できて、かつその名前をみんなが知っていたなら、パニックが起こっていたかもしれない。
トリコロール号は、ちょうどその海域で、6年前に沈んだはずの船だったのだ。

トリコロール号の謎

 ありえない遭遇のちょうど6年前である。
1931年1月5日だ。
セイロンの西岸、ドンドラ岬の沖。
風はあまり吹いておらず、穏やかな海の上で、巨大な黒煙の柱が発生していた。

 運よく近くを通りかかっていた船に救助された者たちもいたが、彼らの誰も、急にそんなことになった理由を知らなかった。
とにかく突然に爆発が起こり、水が船に入り込んできて、船内を炎が包み、命からがら逃げるのだけが、やっとだったという。

 その突然の爆発で、突然に沈んだノルウェーの大型貨物船の名前が、まさしくトリコロール号であった。

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