「キラキー邸」黒猫の幽霊屋敷。地獄の火クラブ。小さな人の呪い

家

アイルランドの幽霊屋敷

 キラキー邸(Kilakee house)は、アイルランド、ダブリンにあり、特に1960年代後半から、1970年代前半にかけて、心霊現象が多発した幽霊屋敷である。
それは、ウィックロー山地の丘のふもと
マッシー家の未亡人のために、18世紀の初めくらいに建てられたものだという。

 頑丈な石造りの邸宅で、その背後には、急な傾斜のモンペリエの丘がある。
そのモンペリエの丘には、かつてロス伯爵なる人が建てた狩猟小屋があったが、それは、1750年代くらいに焼失してしまったそうだ。

ロス伯爵と恐ろしい歴史の噂

ダブリンの、ヘルファイア・クラブ(地獄の火クラブ)

 ロス伯爵が1720年代に建てた狩猟小屋は、彼を含む若い不良貴族たちによって、『ダブリン・ヘルファイア・クラブ』の本部として使われていた。
ダブリン・ヘルファイア・クラブは、フランシス・ダッシュウッド郷という人が始めたらしいヘルファイア・クラブ(地獄の火クラブ)を真似たもの。

 ヘルファイア・クラブは、悪魔主義の秘密結社であるが、実質的には、やや趣味の悪い貴族たちの社交場程度のものだったようである。
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一応、黒ミサなどは行なったりしたようだ。
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 キラキー邸の怪異は、どこかから始まった呪いの連鎖という説があるが、その最初が、そのヘルファイア・クラブの狩猟小屋だったのではないかとも言われる。
どうも、その小屋を建築するのに使用した石が、そこにあった古代遺跡のものらしいのである。

黒猫の火あぶり

 ロスは、性格の残忍さに加え、極度の黒猫嫌いで有名であった。

 ダブリン・ヘルファイア・クラブは、コーク・ヒルの丘にあるイーグル亭で、よく御前会議を開いていたらしい。
そしてある時の会議中。
ロスは突然に、黒猫にアルコールをかけて火をつけた。
猫は悲痛な声を発しながら、丘を駆け下りていったという。

 また、ロスの仲間であり、地元で一番くらいに裕福な家庭の者だったリチャード・バーンチャペル・ホリーは、生きた黒猫をサタンと称しながら火あぶりにするのが楽しい、と周囲に話していたそうである。

かわいそうな小人の呪い

 ロスの残忍性はまた、時には人間にも向けられた。

 ある時、狩猟小屋に頭の大きい小人を連れてきて、ロスは友人たちとともに、その小人に暴力をふるい、ついには命を奪ったそうである。
狩猟小屋が原因不明らしい火事で焼失したのは、そういうことがあって、わりとすぐのことだったという。

 ずっと後。
1970年代初期に、その小人らしき遺体が悪魔の銅像と一緒に、キラキー邸の台所の地下に埋められているのが発見された、という話もある。

 他にも女が火あぶりにされたという話もある。
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流行っていた決闘

 ロスはキラキー邸の所有者にもなっていて、そこではよく仲間たちと乱痴気騒ぎを起こしていたらしい。
彼らはどういう訳だか、ピストルの決闘にはまっていて、少なくとも3人が、その屋敷内で行われた決闘によって、命を失ったという。

 当時、決闘は法律で認められていたから、それに関しては、おそらく合法的だったと考えられる。

マルキエヴィッチ伯爵夫人。オブライエン夫人

 ロスらの全員が亡くなった後、少なくともしばらくの間は、そこには大した噂もなかった。
しかし20世紀の始め頃、キラキー邸でまた、流血騒ぎが起こる。

 当時、キラキー邸には「赤い伯爵夫人」と称されていた、英国下院議員に選出された最初の女性である、コンスタンス・マルキエヴィッチ伯爵夫人が住んでいた。
伯爵夫人は、シン・フェイン党(アイルランドのナショナリズム感の強い政党)の反乱に加担していたという。
そして、彼女がその邸宅で過ごしていた数年間の間に、IRA(アイルランド共和軍)の兵士が5人ほど、 銃撃戦で亡くなったらしい。

 そして1960年代の終わりごろに、 空き家となっていたキラキー邸を、画家や彫刻家のための制作場兼展示場とするために、マーガレット・オブライエン夫人が買い取った。

キラキー邸の幽霊騒動

巨大な黒猫

 オブライエン夫人は、キラキー邸を買う時すでに、その屋敷には大きな猫が出没する、という噂を聞いていた。
彼女は最初、話半分だったようだが、そのうち実際に、大きくて黒い何かが、庭の茂みに消えていくのを目撃し、恐怖に震えたという。

 また、1968年3月に、オブライエン夫人の友人である画家のトム・マッカーシーと、彼の二人の仲間は、不思議な体験をする。
玄関のドアに鍵をかけて、作業をしている時、 鍵をかけて閉めていたはずのドアが開いていることに、マッカーシーたちは気づいた。
開いたドアの隙間から、黒い人影のようなものが見えていたので、最初彼らは誰かのイタズラだと思った。
そこでマッカーシーは「中に入ってこいよ、見たぞ」と言った。
すると低いしわがれ声で、「俺が見えるもんか、このドアは開いておけ」と返ってきた。
三人は恐ろしくなり、ドアを閉めて、屋敷の奥へと逃げていった。
そして、ギャラリーを半分ほど過ぎてから振り向くと、ドアはまた開いていて、広間に巨大な黒猫が見えたという。

複数人の複数回の目撃

 マッカーシーは、同じくキラキー邸に絵を展示していた仲間であるバル・マックガンに、 自分が見た猫の話をしたが、マックガンはあまり驚かなかったそうである。
というのも、彼もまたキラキー邸の周囲で、何度か大きな猫を目撃していたからだ。

 その猫は、大型の犬くらい大きく、とにかく目つきが鋭くて、恐ろしげだったという。

女の幽霊と交霊会

 さらに、マッカーシーが猫を見てからは、キラキー邸でよく、 作業員や芸術家が、尼僧のような女の幽霊を見るようになったという。

 キラキー邸に幽霊が出没するという話は、新聞やテレビでも紹介されて有名になり、ちょっとしたオカルト系のグループも興味を持つようになる。
そういうグループのうちの一つが、オブライエン夫人を説得して、ついにはキラキー邸で降霊会を行うこととなった。

 グループは、アルファベットを書いたカードや、コップを使って、いろいろ霊と会話するための儀式を行ったようだが、返事は意味不明なものばかりだったという。
しかし、その交霊会の後は、さらにおかしな現象が増えていくことになった。
夜中にドアを叩く音がしたり、電灯がいきなり点滅したりしたそうである。

ポルターガイストとカトリックの僧侶

 そしてついには、家具が勝手に倒れたり、時には壊れたりするような、ポルターガイスト現象まで発生し始めた。
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 オブライエン夫人は、ついに僧侶に助けを求め、僧侶のローマ・カトリック式のお祓いにより、破壊行為は収まったという。
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 しかしお祓いによって鎮まったのは破壊的なものだけだった。
瓶のフタがなくなっては全く別のところから出てきたりとか、夜中のドアのノックとか、そういう怪奇現象自体は、むしろひどくなっていったのだ。

小人の遺体。心霊現象の終わり

 1970年の終わりくらいには、ポルターガイスト現象は完全になくなったようだが、謎の音はまだ消えようとしなかった。
そうした中で、台所の改築工事中に、頭蓋骨の大きな小人の遺体が骨格が掘り起こされる。
また僧侶が呼ばれ、埋葬の儀式を行うと、怪奇現象は完全に起きなくなった。

 それから6年後、オブライエン夫人は、キラキー邸を売却した。

その後のキラキー邸

 1977年に、オブライエン夫人から、キラキー邸を購入したのはジョゼフ・フライという人で、彼は邸内にレストランを開いた。
ジョゼフ氏も、彼の家族も、特に黒猫にも女にも出くわさず、もう完全に呪いは消えたようである、というのが一般的な結論である。

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