ゴータマ・シッダールタと最初の仏教
仏教開祖、偉大なるシッダールタ王子
仏教という宗教は、紀元前6世紀頃の人物らしい、ゴータマ・シッダールタがひらいたとされる。
日本では釈迦や釈尊、仏陀(ブッダ)などの呼び名でも知られている、このシッダールタという男は、インドにあった小国の王子であった。
そして、まるでキリストのように、伝説的でオカルトチックな逸話が多く伝えられている。
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例えば産まれる前に、占い師が、「偉大な王か、宗教の開祖となる子が生まれるだろう」と泣いて予言したとか(泣いたのは、その偉大な姿を自分が見れぬ運命だから)。
生まれた瞬間から歩き、言葉を話したとかである。
伝説によると、俗的な社会から隔絶された城内で、大切に育てられていた彼は、ある時、修行の旅へと出た。
当時のインドでは、精神修行として、いわゆる苦行が流行っていたようで、シッダールタも、最初は厳しい苦行に身をさらしたという。
だが、極限までの苦行に身をやつしながら、何も得る事が出来なかった彼は、それが答ではなった事を悟る。
かといって、王族という恵まれきった生まれの彼は、最初からそれが答だったとは考えられない。
そこで彼はついに悟る。
全ては、よきも悪くもなし、中間こそが、真の悟りへの道だったのである。
中道。無常。慈悲
本来の仏教は、『中道』を行くのこそをよしとする。
苦しみの道でも、贅沢の道でもない。
中道である。
この世界のものは、どんなものでも、永遠たりえない。
幸福も、また悲しみも、やがては滅び消え失せてしまう。
少なくとも、その存在は変わりゆく。
決して永遠ではない。
そのような考え方を『無常』という。
なればこそ『慈悲』が必要であるのだ。
自分こそが苦しみにあるのでも、自分の贅沢をめざすのでもない。
ただ中道を行く事で、自己中心的な考え方を捨て、慈悲をまわりに与え、抗えぬ無常に抗うのである。
仏教の種類
ネオ・ブッティズム
仏教は、キリスト教、イスラム教と合わせ『世界三大宗教』と言われている。
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だが、仏教は特に、キリスト教やイスラム教に比べて、宗派が多い事で知られる。
それらの宗派の内、現在でも有力な多くが、中国で誕生したとされている。
そして、その流れをくんで、日本の仏教も多くの宗派に別れている。
一方で、仏教誕生の地であるインドでは、6世紀頃に誕生したというヒンドゥー教が、より人気を集め、仏教は廃れていった。
ヒンドゥー教では仏教を取り込み、釈迦をヴィシュヌという神の化身のひとつだとしているという。
しかし、特にイギリスに植民地化され、独立した後は、より世界的に人気な仏教を見直す、『ネオ・ブッディズム』なる動きもある。
また、インド世界に含まれる傾向のあるスリランカは、多くの信者を抱える仏教国であるという。
上座部仏教。大乗仏教
初期の仏教は、自らの悟りを目指すのが主目的とされた。
そのような仏教を『上座部仏教』と言う。
そして紀元前後くらいに、修行のあり方を、他の者にも伝え、救うことをよしとする『大乗仏教』が生まれたとされる。
上座部仏教は出家主義で、仏を崇拝する者は基本、出家する。
出家とはすなわち、お坊さんとなり、寺院などでの暮らしを送る行いである。
また、崇拝する仏とは、すなわち釈迦である。
大乗仏教は、より自由性が高く、信者であってもわりと出家しない。
そして釈迦はもちろん、他にも無数に存在する仏を崇拝する。
スリランカを始め、タイやカンボジア、ラオスやミャンマーなどの国は、上座部仏教を取り込み、発展した。
一方、中国や朝鮮、それに日本では、主に大乗仏教が取り入れられ、今日に至っているとされる。
チベット仏教。ラマ教
ヒマラヤ山脈は西洋の錬金術師などにも、秘密の集会場として人気だとされる。
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このチベットには、元々ボン教という宗教があったが、6世紀頃からは、伝わってきた仏教と勢力争いを繰り広げる事となった。
結局、仏教はチベットでも、広く信仰されるようになったが、それはボン教の要素も取り入れたもので、独自性が強い。
そこでチベットの仏教は『チベット仏教』、あるいは『ラマ教』と呼ばれる。
ラマ教の特色として、「国の指導者は仏の力を得た者であるべき」という『転生活仏(てんじょうかつぶつ)』という思想がある。
また、鳥に食らわれるのが死者への供養となるという考え方があり、葬式は鳥葬が基本だという。
中国と日本の仏教
中国に仏教が伝わったのは、有名な交易路『シルクロード』を通ってだとされる。
時期はおそらく1世紀頃。
そして中国にて、様々な人が仏教を伝え、独自に広まり、様々な宗派が新たに誕生。
それらが日本にも伝わってきた訳である。
釈迦というのは、シッダールタに漢字を当てはめたものである。
日本への仏教伝来は欽明天皇の時代だとされている。
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欽明天皇は、宮廷の役人達と、仏教を受け入れるべきか話し合ったそうである。
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華厳宗(けごんしゅう)
審祥(しんじょう)、あるいは道璿(どうせん)という人により伝えられた。
伝えられた当時は最新の仏教ともてはやされ、聖武天皇は、華厳宗の為に、奈良に東大寺を作ったとされている。
華厳宗は『華厳経』という経典の教えにもとづいた宗派。
時空間を越えて広まる仏の力、何よりこの世界こそ仏そのものなのだと説く。
「全世界の小さなものの中に全世界は反映していて、一瞬の内にも永遠がある」そうである。
相対性理論との関連は不明。
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律宗(りつしゅう)
鑑真(がんじん)により伝えられたとされる。
律宗は、特に戒律を重んじ、五戒だの八斎戒(盗みはよくないとか、嘘をついたら駄目とか)だのと言った、ユダヤの十戒のようなものを強く定めている。
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その戒律を守るべきは精神にまで及び、例えば他人の物を欲しがるだけで、盗みと同じ扱いになるという。
法相宗(ほうそうしゅう)
道昭(どうしょう)により伝えられた。
全ては意識、認識により存在しうるという『唯識論(ゆいしきろん)』という思想が特徴的。
「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で
つまり、宇宙をよきものとするには、自らの認識こそをよくしろ、と説く。
仏教はけっこうこのような科学的、哲学的な面がある。
仏教をテーマとしたSFとしても、ロジャー・ゼラズニイの「光の王」などはおすすめである。
「光の王」感想と考察。ゼラズニイ的神話SFの金字塔
天台宗(てんだいしゅう)
最澄(さいちょう)という人により、最初にはっきりと特別な仏教だと主張された宗派。
それまでは仏教はなんだかんだ仏教というひとつという考えがあったらしい。
天台宗は、『法華経(ほけきょう)』の教えにもとづいているという。
これによると、誰でも、どんな道を選ぼうとも、成仏出来るらしい。
というように自由性が高い為に、派生として新仏教が多く誕生したとされている。
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真言宗(しんごんしゅう)
開祖である空海は、弘法大師という名で、全国におとぎ話的な逸話が残ってるという。
つまりその魔術めいた力で、困っている人々を救いまくっていたらしい。
天台宗と共に、密教めいた、どこか神秘主義的な面を持っているという。
つまり、生きたまま仏となった者は、仏の超能力を使えるという思想である。
「真言宗。真言密教」弘法大師、空海とは何者であったのか
融通念仏宗(ゆうずうねんぶつしゅう)
良忍(りょうにん)という人が開祖。
十二世紀くらいの貴族の間では、極楽浄土に旅立つ為に念仏を唱えるのが流行っていたという。
良忍も念仏ばかり唱える日々を送っていたが、阿弥陀如来とか言う仏から、「念仏をもっと広めなさい」と告げられて、この融通念仏教を開いたという。
人間それぞれが唱える念仏は、他の全ての人達の念仏と混じり、溶け合って、またそれぞれに返ってくる。
というような助け合いの精神を説く。
浄土宗(じょうどしゅう)
法然(ほうねん)によって開かれた。
権力を奪い合う先輩や師匠達に嫌気がさして、もっと多くの人々を救いたいと考えた結果が、この宗派であった。
元々、念仏を唱え、極楽浄土に旅立とうとせん『浄土教』という思想があり、法然は、これに強く影響を受けていた。
しかし、念仏は敷居が高く、多くの人にとっては馴染みが薄い。
そこで、『専修念仏(せんじゅねんぶつ)』。
すなわち、簡略化した、わかりやすい念仏をひたすら唱える教えとして、浄土宗が生まれた、
つまり、「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」とだけひたすら唱えなさい、というものである。
浄土真宗(じょうどしんしゅう)
法然の弟子であった親鸞(しんらん)が、開いた、まさに新たな浄土宗。
親鸞は、出家者は結婚してはならないとか、肉を食べてはならないという、それまでの仏教にて常識であったいくつかの教えを、大胆にも放棄した。
また南無阿弥陀仏は誰にでも平等。
出家してようがしてまいが、南無阿弥陀仏により誰もが救われると説いた。
時宗(じしゅう)
開祖である一遍(いっぺん)は、『遊行上人(ゆぎょうじょうにん)』とも呼ばれる。
南無阿弥陀仏により誰もが救われる。
つまり誰もが阿弥陀仏に救われてるのだから、もっと我々は感謝を示すべきであると説く。
具体的には楽しく躍りながら念仏を唱えよというのである。
そうした、念仏躍り、仏様への感謝の躍りが、『盆踊り』になっていったのだとされている。
時宗は、出家してるかどうかとかでなく、そもそも仏教など信仰してなくとも、南無阿弥陀仏と唱えたら救われると説く。
だから信者だろうが、そうでなかろうが、みんなで踊ろうというのである。
臨済宗(りんざいしゅう)
栄西(えいさい)が開祖。
心穏やかに、自然と調和するような境地、そういうのを『禅(ぜん)』と言う。
禅はもともとは、天台宗の修行法のひとつであったが、この禅を中心的に捉えた最初の宗派が、臨済宗であるとされる。
栄西がおこした日本で最初の禅寺は、九州の『聖福寺(しょうふくじ)』だとされる。
禅は、強き心を得るのによいとされ、特に武士に好まれたとされる。
曹洞宗(そうとうぜん)
道元という人に日本に伝えた。
臨済宗同様に禅を中心とする。
『一生不離叢林(いっしょうふりそうりん)』という考えを説く。
これは、悪への誘惑ばかりの世間など離れ、静かな場所で質素に暮らすのがよいとする思想である。
無欲な生き方こそが、釈迦の目指したものであり、真の悟りへの道だという訳だ。
日蓮宗(にちれんしゅう)
日蓮という人が開いた、独特な宗派。
彼は天台宗などのような学的な信仰も、南無阿弥陀仏などでも、現世は救えないと考えた。
現世を救えるのは釈迦如来と、法華経のみ。
そして南無阿弥陀仏でなく『南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)』と唱えよと説くのが、この宗派である。
自分達がより正しいというより、他が間違っているという立場をとっている為に、他宗派より批判されやすいとされる。