ディンカ。天地の分離、槍の英雄の伝説
ディンカ族(Dinka)、あるいはジエン族(Jieng)は、南スーダンのナイル河流域近く、森や叢林が時々ある草原で生きてきた、伝統的には牧牛民の部族。
大規模な家族が、畑に囲まれた家に住み、そうした家の集まりとして村を形成し、村の集まりの亜部族、部族のさらに集まりが、ディンカ族という全体。
ディンカの生きてきた地域では、水辺の多くが干上がる乾季(12~4月頃)と、逆にあちこちで水が氾濫する雨季(5~10月頃)のサイクルがかなり明確にある。住居は小高い丘陵につくられるのが普通だが、それは雨季に洪水を避けるため。
「雲と雨の仕組み」それはどこから来てるのか?
乾季と雨季の境目は、畑に種をまく時期で、それ以外の大半の時間、老人を除く男たちは、ほとんど家から離れて暮らすという。つまり、乾季には水辺がどんどん少なくなる中で、どうにか生きやすい場を求めて放浪生活。雨季には、どんどん溢れてくる水から逃れて、高地でキャンプ生活。そして種まきの時期に、家畜たちを伴って家に戻ってくる。
ただし女たちは、家に留まって畑の世話をする。
雨季のキャンプには、最終的に(そもそも水が覆っていないところ自体がかなり少なくなるため必然的に) 多くのクラン血縁集団が一緒になる。
普通、放浪キャンプには、それを代表するクランがあり、聖なる指導者たる『漁槍の首長(masters of the fishing spear)』は、その成員から選ばれるという。
また、ディンカは理想的には一夫多妻とされていて、異母兄弟間の対立が分離の力として常に働くことがある。そういう訳で、妻のそれぞれが新しい血縁集団の始祖となることも多い。
象徴であり、犠牲であり、友であるウシ
彼らの実際的な生活、精神の柱となっている宗教、あらゆる側面でウシ(牛)という動物が重要視されている。ウシは富の象微で、人間と自然の精霊が繋がるために必要な犠牲で、人間のよき友でもある。
花嫁の父が、持参金としてウシを用意することは結構ある。
宗教儀式の犠牲として、ほとんど常にウシは第一候補だが、まれにヒツジ(羊)が代用となる。
そしてディンカの男子は、成年式に、ウシの相棒を1頭用意される。少年は、その牛の名前を成年の名としてもらい、以降、かけがえのない絆で繋がった彼らは 運命を共にする。もし少年が何かで死んでしまったなら、ウシもすぐに殺されるという。
ウシは、ただ食べられるために殺されることはない。ただし、自然死したり、儀式の犠牲にされた場合には食べる。
天空神ニアリク。精霊ヤト。ジョクに属すること
伝統的なディンカの世界観において、あらゆる事象は2つに類別されるという。
世界は「『ジョク(Jok。力)』に属するもの」と「人間に属するもの」で成り立つ。これは聖なるものと、世俗的なものの区分とも考えれるようだ。
「アフリカ大陸の神話基礎」四つの力、天空神、大地の精霊、秘密結社
ジョクというのは、 超自然的な力あるいは霊的存在(精霊。または祖先)とされる。アフリカ神話の根底にある、万物は宇宙の力の形態であるという考え方においては、それは人間よりも上位の存在とされる。
宗教的に支配的でもあり、ジョクは時に、人間社会に介入してきて、個人や集団に幸福や災難をもたらす。
ディンカの宗教の教えは、人間と超自然的力との調和を目指すものとも。
ジョクにも2つの種類、『ニアリク(Nhialic)』と『ヤト(Yath)』がある。
宇宙の諸力の中心にあるニアリクは、「天空」や「高くあるもの」というような意味があるらしいが、普通に「創造主(至高神)」として扱われることが多い。
時にニアリクは、存在するもの全てを含んだ意味として解釈されもするが、その外のジョクが想定されることもある。そうした、いわばニアリクに属していないジョクが、ヤトだという。ニアリクが神だとして、ヤトが精霊と考えてもいいのかもしれない。
偉大なる守護霊に触れる術
ヤトはそれ独自の特性をもつ力(精霊)ではあるが、それはニアリクの(より人間に近い?)あらわれとも考えられる。ヤトには血縁集団の守護霊となるものがあり、それはトーテム(氏族などと特別な関係と考えられる動植物や自然物)的に捉えられることもある。そうしたヤトは、「クランの守護霊」だが、もっと直接的に個人だけと結びつくヤトもあり、それは普通「自由な守護霊」と呼ばれる。
「自由な精霊」は、人間と関係を持つことを好んでいるのだが、病気とか不幸を与えて、それが何かの警告になってたりもする。さらには人にのりうつったり、夢に現れて、自分の名前と要求を告げることもあるという。「霊が憑いた」という現象を、ディンカは「自身の中に精霊(あるいは創造主の一部)が入った」と解釈する。
そして呪術師(占い師)というのは、自らの方の意思で精霊を自身の中に招き入れ、ジョクを利用する。時に優れた師は、ヤトを介して、ニアリクにまで通じる。
ただし、ニアリクは普遍的な至高神。生命の創造者であり源。そして人事からは最大に遠いジョクともされる。だから、ニアリクにまで繋がるためには、ヤトの生命(犠牲)まで必要とすることもある。それでウシの生け贄が捧げられる。
至高神デング
至高神としてのニアリクのあらわれは、『デング(Deng)』または『デングジト(Dengdit)』と呼ばれる。
彼は全ディンカ族の始祖だと語られることもある。また単体の神として、彼はよく雷と関連付けられるが、その場合、稲妻はデングの棍棒とされる。
地上に降り注ぐ雨は、人類に対する彼の怒りであるが、しかし慈悲深き彼の妻、あるいは母の大地が、それを吸ってくれるのだ、という説もある。
かつては、ニアリクそれ自体の直接的あらわれであるデングや、クランの精霊と比べると、自由な精霊をディンカが知るようになったのは比較的新しい時代らしい。
そして、ディンカの長老達が語る神話、クランごとに受け継がれている古い話には地方差があるが、、テーマ的にはかなり共通性が見られるとされる。
創造は続いているか
ディンカの創世神話において、全ての霊を司る創造神ニアリク(デング)は、普通に実態的な存在として登場する。彼には性格が与えられ、妻が登場することも珍しくはない。けっこう人間的である。
しかし、物語外でニアリクの存在が語られる時は、普通もっと抽象的なイメージとされる。
ニアリクの創造の業は、現在まで続いているという見方もある。
女の胎内に新たな生命が宿るのは創造であり、それにはニアリクの力が関わっていて、物質的な性的繋がりだけでは不十分なのだという。
また、ニアリクは、決して無から世界を創り出している訳ではないと考えられる。彼自身という存在も含めて、その力の影響が及ぶ万物は素材群は、最初からすでにこの宇宙に存在していたと考えられている。
神を打ってしまったアブク
昔、天と地はとても近くにあった。天地は1本のロープ(綱字)でつながれていて、人はそれを伝うことで、創造者たる天空神(ニアリク)のもとに簡単に行けた。 またその時代には、死というものはなかった。
創造の神は最初の男ガラング(Garang)と最初の女アブク(Abuk)に、1日に1グレーン(約0・065グラム。1粒分?)だけ小麦を食うことを許していた。そもそも2人にはそれだけで十分でもあった。
また、天空が近すぎるために、2人は、わずかな小麦を育てる際に、鍬や杵などの農具が、神にあたらないように気をつける必要があった。
ある日、アブクは(実用的な理由でなく、好奇心のためか?)許されている量より多く小麦を植えた。そして彼女は、後世のディンカたちの間で一般的となる、長い柄の農具をはじめて使った。だが、ふりあげたそれが神を打ってしまう。
神は怒り、地上近くから去ってしまった。そして、ずいぶんと遠くから小鳥を放ち、天地を繋いでいたロープを切らせた。
別の説では、毎日お腹が完全に満たされないことに不満だったアブクは、食べ物を長持ちさせるために穀物でペーストを作る。神はそうした工夫が気に入らず、怒りのままに天地を結ぶロープを切る。
こうして天空は遠くになってしまった。
人間は最低限の食物を得るのにも苦労しなければならなくなり、さらに神の直接的な加護を失ったことで、死を避けることもできなくなった。
死を受け入れたガラング
創造の神は、最初の人間であるアブクとガラングを東方の地のタマリンドの木の下で造った。
彼らは粘土で造られたが、かなり小さく、壺の中に閉じこめられていた。正確には、彼らの大きさは、現在の人間の腕の半分くらいだったらしい。
やがて神は壺を開けたが、立ち上った2人は完全な成人となっていた。ガラングは自身の槍(ペニス)をもっていて、アブクの胸は大きく膨らんでいた。そして、結婚した2人の間には、子供も生まれた。
別の説では、最初の人間は、粘土ではなく、空の一部を素材としてとって、川の中で混ぜて造られた。その場合は壺には入れられず、最初から2人は成人であったとされる。
創造主は2人に言った。
「お前たちの子はいったんは死ぬが、十五日の後に生き返るだろう」。
しかしガラングはこれに反対したという。
「もし人々の誰もがいつまでも生きていたり、死んでも蘇ったりするなら、人間の数はすぐに多くなりすぎて、それぞれの人が最低限必要な食料すらも確保できなくなってしまうでしょう」と。
そうして、人は死の運命を受け入れることになった。
アルー・パベク
この大地がいつから存在しているのかを誰も知らない。もしかしたら、最も初めの時からすでに存在しているのかもしれない。
だが光は、長い間なかった。原初の闇の中で、天地はひと続きになっていた。
神は闇の中で、最初の人間アルー・パベクを造った。神はアルーに眼を与え、それで彼は、自分の生きている果てしない闇を理解できるようになった。
人間は神の内部で造られ、鼻から吹き出されてきたという説がある。
ある時に、アルーはロープで獣を捕えて、その前肢を神の妻に与えた。それで、彼女はアルーに報酬を与えるよう神に進言。神がアルーに何が欲しいか聞くと、彼は「この世を見るための小さな隙間」を望んだ。しかし神はその願いを拒んで、アルーに槍を与えたが、今度はアルーがそれを断わって、結局斧が与えられることになった。
その後アルーは斧を振りあげ、「分かれて明るくなれ」と言って、大地を打った。すると2つに別れた片方は上に昇り、片方は下に降りた。
こうして天地は分離した。
神はアルーの行いに怒り、彼を地上へと突きおとした。さらに人間のために一筋の道をつくり、その途中にヨシ(葦)の垣をとりつける。そして、道を歩いてきた人が葦に触れると、神は漁槍で頭を突いた。「通れるものなら通るがいい」と神は語り、そこに待伏せて、たくさんの人間を殺した。
人々はアルーに助けを求めた。
それでアルー自身が、神の罠の道を進むことになった。彼は石を頭にのせて、神の漁槍の突きをそれで受けた。槍はまがった。
神は「お前を戻す必要がある」と言い、アルーの首をつかみ、「人間みたいだな」と続けた。
結局こうして、神と共にアルーも去った。
アイウェル・ロンガー。漁槍の首長の始まり
ディンカ系の創生神話において、普通最初の人間の名前は、ガラングとアブク。しかし現在においては彼ら自身も、神として信仰の対象になっている。
ガラングは、時に太陽と関連づけられる「奔放な神」とされていて、時に空から人の上に落ちてきて、その体のなかへ入り、人を神的にする。そうした神人はヒョウの皮を着るが、素晴らしい医者と考えられた。また、ガラングは赤混じりの白い動物、特にヘビがトーテム(宗教的表象)とされる。
アブクは水との関係が見出だされる一方で、(害虫などから)庭を守護する女神ともされる。そのトーテムはやはりヘビだが、小さなヘビとされる。
ディンカの文化においては、地域社会の聖なる指導者である漁槍の首長が重要だが、おそらくガラングとアブクの時代には、そのような者はいなかった。
ディンカでは、その漁槍の首長の起源に関連する神話もよく語られてきたという。普通、最初の者はアイウェル・ロンガー(Aiwel Longar)という名前だが、彼は、人と精霊の混血とされる。
たいてい、どの話のパターンでも、どこかに必ず(アルー・パベクの話にあるような)待ち伏せて槍で突き殺す者と、それを硬い物で防御する者というモチーフが見られる。
未亡人と精霊の子
昔は、ライオンはよく大勢集まって踊った。
ある時、ライオンたちの踊りを見物していたジールという男の腕輪を見たライオンの1頭が、「それをくれ」と頼んだが、ジールは断わる。しかし次には、ライオンはジールの親指を噛みきって腕輪を奪う。そしてこの時の怪我のせいでジールは死んでしまった。
ジール亡き後、年老いた彼の妻と1人の娘は悲しみ、妻は河のほとりへで泣いた。そこに河の精霊(力)が現われて、夫が死に、息子もいないと悲しむ彼女を、精霊は、河の中へと誘った。それから彼女にスカートを持ちあげさせると、彼は彼女の中へと入った。しばらくして、彼は彼女からまた出てきて、彼女に槍を与えた。
槍は男の子の象徴という思想がある。
とにかく、彼女は男の子を身ごもったから、家へ帰るとよいと、精霊は言った。
間もなく生まれた男の子は、アイウェルと名づけられる。彼は生まれつき、歯が完全に生えそろっていたという。
そのアイウェルがまだ赤ん坊であった頃。母は、彼と姉を小屋に残して外出。戻ってみると、ひょうたんに一杯あった牛乳がなくなっていた。彼女は娘が勝手に飲んだと決めつけて叱った。しかし、また同じことが再び起こったので、母は試しに、アイウェル1人だけを残して外出したふりをし、こっそり様子をうかがっていると、アイウェルが牛乳を飲むのを目撃。母は、アイウェルを叱ろうとしたが、彼は彼女に、「もしこのことを誰かに喋ったなら、お前は死ぬだろう」と警告。
それから、母はそのことを知り合いに喋ったために死んだ。
母の死後、アイウェルは河の父に会いに行った。
父は息子を受け入れて、彼らはしばらく共に暮した。
やがて成人となったアイウェルは、1頭の、非常にカラフルな毛並みの雄牛と共に村へと戻ってきた。雄牛の名はロンガーだったから、それ以降、アイウェル自身も、ロンガーと名乗るようになった。
アイウェル・ロンガーは父に与えられたそのウシを世話しながら、村の中で暮らし始める。しばらくして、ひどい早魃が村を苦しめ始めたが、他の家畜が痩せおとろえるのに対し、ロンガーの家畜だけはずっと元気なまま。
村の若者たちは、ロンガーの家畜の秘密、あるいは彼の放牧の特殊技術を知ろうとして、ウシたちを連れて外出するアイウェルをこっそりと追った。そして彼の放牧地へ見つけた若者たちは、そこに生えている草を一掴み抜いてみた。すると、そこからすぐにきれいな水が沸き出てくる。
ロンガーは実は全てを把握していた。だから、村に帰ってきた若者たちは、自分たちの体験を他の村人に話したとたんに全員死んだ。
その後、アイウェル・ロンガーは長老たちを呼び集め、家畜たちのエサを求めて旅立つべきだ、と語った。ロンガーは、草と水が豊富で、誰もがいつまでも不死でいれる楽園へと、みなを導くことを約束したが、彼の提案は却下された。
だから、ロンガーは1人で出発した。
そして彼が旅立った後、しばらくして、村人たちは、結局彼に従い、彼と同じ場所を目指すことに決めるのだが、その頃にはもう、神(ニアリク)が、アイウェルと人々との間に山や河をおいていた。
神は、人々が目的地にたどり着くために、絶対に避けては通れない川に、簗(木や竹を並べて水の流れを操作し、魚を誘導して捕らえる罠)を仕掛ておいた。アイウェル・ロンガーは、対岸で待ち伏せ、川を渡ろうとする人が、葦に触れるのを察知するや、槍で突き殺した。
ところで、アゴティアティク(Agothyathik)という賢い男がいた。彼は人々に1つの策を与える。それは、牛の肩甲骨を長い棒の先に縛りつけ、それで葦にさわるというもの。結果、アイウェルは見事に、人がまた来たのだと感違いし、骨に槍を突き刺し、槍は離れなくなる。アゴティアティクは、その隙を逃さず、すぐさま対岸まで泳ぎきり、背後からアイウェルを襲った。
格闘はしばらく続いたが、最終的にはアイウェルも疲れて、もう意地をはるのもやめにした。彼はアゴティアティクを通して「もう安全だから、川を渡ればいい」とみなに伝えた。しかし、恐れてなかなか来ない人たちもいた。
ロンガーは、すぐに来た人たちに、精霊に近しい漁槍と、それの使い方、その他いろいろな祝福や呪いを与えた。彼は、自分の雄牛の骨を切りとり、それも守護霊として与えた。この時に受け取った者たちが、漁槍の首長の始祖たちである。
アイウェルは、最初の漁村の首長たちに、「これからはお前たちが、同族たちを導かなければならない。だが、どうしてもお前たちだけで解決できないことがあった時は、また私を呼ぶがいい」とも語ったという。
分配される肉、隠されていた肉
ずっと昔の人間たちは河の中で暮らしていた。そして最初に河から出てきたのが、ニアリクの長男であるロンガーであった。しかしロンガーは、彼の後に続いて陸に出ようとする者たちが、葦に触れたところで、槍を突き殺した。
ニアリクの真ん中の息子だったアジークは、一計を案じる。つまり、ウシの肩甲骨に槍を突かせる例の作戦を決行。見事にロンガーを捕らえる。
ロンガーは人々に、彼の特別祈りの言葉を繰り返し唱えるように要求したが、その通りにした者はみな死んだ。
そこでニアリクの最後の子アドヒューが、ロンガーの挑戦を受け、祈りの言葉を繰り返して唱えた。しかし平気だった彼に、ロンガーも驚かされ、続けて新しい試練を与えた。アドヒューは足を漁槍で刺されて、ウシの肉を首にぶら下げた状態で大地にはりつけにされた。しかし肉は腐っても、アドヒューは死なない。
さすがのロンガーも、彼の死を祈るのに疲れ、ついには彼を解放して、告げた「私は疲れた。もし今夜私が眠ってしまったら、その時は起こしてくれ」。
その夜、ロンガーは眠ったが、アドヒューはその間に、ロンガーが生け贄に使う予定だった8頭の牛たちを全部殺し、屍体のさまざまな部分の肉片を隠した。
翌朝ロンガーに、ウシを殺したことを正直に伝えたアドヒュー。
そして彼は、ロンガーの「全部の肉をまぜたのか?」とう問いに、「混ぜなかった」と返す。ロンガーは、「アドヒューよ、もう誰もお前を殺せないだろう。知慧のある男よ」と言った。
アドヒューはロンガーに言われて、他の人々に肉を一片ずつ与えたが、少しは隠したままにしていた。
そして今度はアジークが姿を見せて、歌い踊った。ロンガーは、「あれは誰だ? そして彼は何を歌っている?」と考え、彼を呼び寄せた。
アジークは、ロンガーの祭壇で生け贄にするための白い子牛を連れていた。清めの儀式に用いるミルクを入れたひょうたんも持っている。ロンガーはアジークに問う。「アジーク、お前はロンガーの言葉を心にとめたのか」。
アジークは「だからこそ、私は生け贄を連れてきました」と答える。
ロンガーは生け贄のウシの後足は彼に与えた。
夜、アドヒューは隠しておいた肉片をロンガーのところへ持ってきて、「父よ、ここにもまだ何かがある」と言った。ロンガーは「お前は私が肉を与えた者のうちら最も強力な存在となるだろう。私も、お前を害することは決して出来ないだろう」
こうしてアドヒューは漁槍の首長となり、人々は彼とともにその地で生きることを決めた。
恐るべき太陽の光
アイウェルの母の名はアシエンといったが、彼女はアイウェルを河の中で身ごもった。アイウェルは河から出てくると、「私が首長になろう」と言った。
その後、食糧を欲した彼は、3人の男を太陽のところへつかわした。太陽の妻は、夫に焼き殺されるといけないから小屋にかくれ、日光を避けるよう彼らにすすめた。忠告に従わず外にいた1人は死んだ。
太陽は河から出てきて、自らの力を示すため、死んだ男に水をかけて生き返らせた。太陽はさはに、小屋にかくれていた2人も呼び出し、小さな壷に一杯の麦かゆを与え、「それは食べてもなくならないものだ。ただし、もしそれをなくしたり、粗末に扱ったりしたなら、私はお前たちを殺す」と説明。
ところがアイウェルは男たちの持って帰ってきたかゆが(実際に、食べても食べてもなくならなかったのに)「こんなのは少ない」と怒った。そして彼は、かゆを河の中へ投げ捨て、さらに、河の中に葦の簗をつくると、河を渡って来るように人々に言った。(例によって)しかし彼らがいざ河を渡ろうとすると、アイウェルは漁槍で突き殺した。
ある時、アイウェルの娘アトンの恋人も河を渡ろうとした。娘は、クウォクという円板状に草を編んだものを恋人に渡し、さらにその上に石を置いた。男は葦の中を進む時、娘に言われていた通りに、そのクウォクの石を前にしていた。アイウェルはそれを突いたが、槍は折れた。男は水から出ると、すぐにアイウェルを捕まえた。
アイウェルは、自分を捕らえた男に策を与えたのが、自分の娘だと気づいていた。そこで彼は娘を槍で突き殺し、男に埋葬させてから告げた。「いつかお前が窮地に陥ったなら、私の娘に言うがいい。アトンよ、アイウェルの娘よ、われわれを救ってくれ、と」。そしてアイウェルは、娘を突いた槍を男に与えた。
その後、ボル(Bor)の地から来た男がアイウェルの娘の1人を誘拐したため、彼はその後を追った。渇いた地方でも、アイウェルが一束の草を抜いなら、そこから水が湧き出てきた。
アイウェルはそこに連れの者達を待たせ、
小さな子供に変身し、ボルの放牧キャンプに紛れ込むと、すぐに本来の姿に戻った。彼は漁槍の首長だった彼の頭髪は死霊を思わせるほどに長い。そして彼が到着と共に豪雨が降った。しかしボルの人たちは、アイウェルにキャンプ掃除をさせ、まずい牛乳ばかり飲ませた。
アイウェルはひどい待遇にもしばらくは耐えたが、やがて本気で怒り、雨を止めた。そして娘の夫と子供達を生け贄にして、再び雨を降らせる。彼は娘に、次の夫は、父と同じような精霊(特別な力)にするようにと忠告した。
ボルの地に何人かの漁槍の首長を残して故郷の家に帰ったアイウェルは、みなに言った。「私はもう夜にしか外に出ないことにする。かゆを棄てたために、太陽に殺されたくはない」。そして、夜だけ外に出る彼を太陽は殺せなかった。
そこで太陽は、月に漁槍を与えて頼んだ。「アイウェルが夜に家から出てきたなら、この槍で彼の頭を突き刺しておいてくれ」
頼まれた通り、月は、夜中に外に出てきたアイウェルを大地に突き刺して、彼を帰れないようにした。
キャンプの者たちは、焼け死んだ彼を埋葬した。
こうしてアイウェルは死んだが、漁槍で祈る術と、それで繋がるべきクランの守護霊を残した。
祝福された者たち
昔、河に、年老いた女性と、彼女の娘が住んでいた。
ある日、老婆は、河の精霊(または魚人間)の水しぶきにあたって、妊娠した。そして8年後に息子を出産し、アイウェルと名付けた。
しかし、かなり年上となる彼の姉は、母親が年齢から考えて、子供が生まれるなんてありえないと考え、アイウェルを本当の兄弟と認めなかった。そのため、アイウェルは周囲からひどく扱われた。
村の長ファドル(Fadol)は、アイウェルを牧夫として雇い、自分の息子と分かち合うようにとウシを与えた。ところが、このウシが乳が搾られた時、ミルクはアイウェルの側にばかり流れた。それでファドルは、そのウシをアイウェルにのみ与えることにした。
そのウシは黄色の子牛を産み、さらにそれは斑点のある雄牛に成長して、人々を驚かせた。アイウェルは、この奇跡を偲んで、アイウェル・ロンガーと呼ばれるようになった。
雨が降らない時期にも、アイウェル・ロンガーのウシは元気だった。
ある日、ファドルは、ウシと出かけたアイウェルを追いかけたが、彼はアイウェルを見つけるや、すぐに死んだ。
アイウェルはファドルの息子に会って、父の死の復讐をするように頼んだが、ファドルの息子は「いいえ、あなたはファドルの牛を生かすことで、ファドルに命を与えているのです」と言った。
その後、アイウェルはファドルに触れて、彼を生き返らせた。
それから、村に戻ったファドルはすべてのウシの群れを集め、2人の美しい女性とウシたちをアイウェルに与え、首長の座も彼に譲った。
ずっと後。
ヤギ(山羊)を放牧していたアイウェルの息子たちは、謎の牧夫がウシを放牧しているのを見つけた。
彼らはその知らせを父に伝えようとしたが、牧夫は自分自身を激しい炎に変えた。しかしアイウェルの息子たちは、水の壁になって火に報復し、火を石に分解した後、本来の姿に戻った。
彼らが持ち帰ったこの石を、父は自分で家に置いて、女の子だけがそこに入り、石のそばにいるように言った。もし石が再び人間になった場合、女の子はそれが望むことを何でもしなければならない。やがて、とても美しい女が家に入った時に、石は牧夫に戻り、女は彼の妻となった。それから2人は去った。
その牧夫もまた、アイウェルと同じく、祝福されたもの(別の部族の首長になるべきもの?)だったという。
エイジン・ノイ
昔、あるところに、エイジン・ノイという豪勇でならした戦士がいた。しかし好戦的で殺戮を重ねる彼を、父はわずらわしく思っていた。それで父は彼を、殺人鬼であるシコムのところへ、タバコ(煙草)をとりに行かせることにする。
エイジンはシコムに家に行ったが留守だった。しかしシコムの妻には挨拶した。彼女は彼が来たことを悲しみ、「あなたは早く去った方がいい。しかし、おそらく夫はあなたを追うでしょう、殺すために」と言った。
彼女はエイジンに、しばらく行ったところにある河で、彼は夫に会うだろう、と語る。夫は、河を渡る彼を槍で首を突き殺そうとするはずと。そこで彼女はエイジンに、槍を避けるためのウシの肩胛骨を与え、やはり、それで槍を防御するという策を与える。
シコムの妻の言った通り、河の対岸にいたシコムと会ったエイジン。シコムは、父のために煙草を取りに来たというエイジンの目的を聞くと、「ここに煙草はないが、もし父のもとに帰りたいのなら、河を渡ってこい。この俺が生け贄を捧げて、祝福をさずけてやろう」と言った。
事前に警告されていた通り、シコムは、河を泳ぎ渡ろうとするエイジンを槍で突いてきたが、エイジンはどうにか肩胛骨で、それをガードした。
エイジンは無事に川から出てきたが、シコムは驚き、言った。「父とうまくいってないのは気の毒だが、どうやらお前はニアリクの加護のもとにあるらしい。お前はこのまま父のところへは戻らず、別の地に行くのがよいのかもしれない」
そしてエイジンは、ナイル河の東岸にあった、父の放牧キャンプに戻り、仲間の若者たちを連れて旅立ったが、彼らはトウィ(Twic)の地の諸クランの始祖となる。
シャムベの地でナイル河の水辺に出た時、エイジンたちは水が2つに分かれ、通り道ができるように祈った。祈りは聴き入れられ、彼らは無事に河を渡ることができた。
エイジンの父は息子の出発に気づくや、追いかけたが、その途中でリスを殺し、腸をとった。だが川岸についた時、すでに道はなくなっていて、エイジンたちは対岸。彼は息子にむかって叫んだ。「もし私の身内のものを連れ去るなら、彼らを乾いた土地へは導くな。必ず「魚を食らう鷙」の声の聞こえる地へ行け。お前たちの子孫はリスの腸のように増えるだろうが、お前たちの一族はリスの腸のように縮少していくだろう」。
その後、エイジン一行は、旅の途中で立ち寄ったいくつかの地で、他の部族との戦いを経験。たいていは、貴重な腕輪欲しさに少女の腕を斬ったとか、家畜を盗んだとか、エイジンたち側が原因であった。
また、エイジンは2人の姉妹を連れていたが、メシュラの近くの深い河で、家畜がおぼれそうになった時、エイジンは姉妹の1人を生け贄にして、道を開こうとした。姉妹の残った方は、生け贄にされた方の死を悲しみ、1人立去ったが、彼女の子孫がクァク族になったのだという。
ヌエル。トーテムの数
ヌエル族(Nuer)は、南スーダンにおいて、ディンカ族に次いで、大きな民族グループとして知られる。
宗教的にウシを重要視しているなどディンカと共通するところもあるが、両部族の間には、歴史の中で様々な紛争が起こってきた。
ヌエル族は、集団の年配のメンバーだけ数える文化を持っていたらしい。例えば、1頭の牛の数を数えるごとに不幸につながる可能性があり、報告する子の数は必ず実際より少ないことが好ましいと。
特別な神などいない
ヌエル族の間でも、ディンカの神デングは知られているが、しかしそれは「外国の神」であり、「病気の持ち主(bringer of disease)」と考えられている。
デングは最も強力な精霊とも。
他に、戦争、狩猟、雷の神などが重要視されている。そうした精霊たちは、多くはトーテムとして機能する。鳥は特に神聖なトーテムとされ、基本的に人々は鳥肉や卵を食べないという。
時たま創造神として、クウォト(Kwoth)の名が挙げられる。
しかしそれは未知なる存在、神秘的な神であり、彼はどこにでもいるのだが、一方でどこにでもいないとされる。
そのような曖昧な定義と関連しているのか、ヌエルには「特別な神などいない」という感覚が強いとも。
誰かの死は、天空神の意思であるため、あまり不平は言わない方がいい。また、人が落雷に見舞われたりして、突然死んだ場合、天空神が肉から霊を取り除き、空に持って行ったと信じられた。
トーテムの癒しと予知。魔女の邪眼。ピラミッド
特定の男性が、トーテムの魂を所有した結果として、癒しや予知の特殊能力を得ることがある。
そのようなシャーマンの一部は共同体の中で幅広い影響力を持つ。ただし雨乞い師(レインメーカー)の地位は、ディンカ族と比べると、低めらしい。
ヌエル族には、悪意を込めて見ることによって、他人に害を与える能力、いわゆる邪眼がよく知られていて、普通それは、魔女により死から蘇った者、あるいは蘇った魔女自身の力らしい。
時に、生き残った親戚の魂を支配するために、魔女は死んだ人の体を利用した儀式を密かに行うとも。
かつては、魔術で告発された魔女が、コミュニティの同意のもと、殺されることもあったと推測されている。
ヌエル族は、特定の神や精霊に敬意を表し、焼き土と灰のピラミッドを作ることがあるとされる。それはよく、直立させたた象牙で周囲を囲まれているという。
トリックスターのハイエナ
昔、天と地はロープで繋がっていて、その頃は、人間の誰もが天空(神)の祝福を直接に受けることができ、不滅であった。
神々は定期的に、食べ物を求めて地上に降りていたのだが、ある時に、少女の神、あるいは神の娘が、地上で出会った男と恋におちて、共に地上に来ていた友人たちと共に、天の国に戻ることを拒否した。彼女の友人たちは怒ってロープを切った。
こうして、地上の人間たちも天から遠ざかり、死すべき存在となってしまった。
別の説では、ある時にロープを切ったのは、悪戯者(トリックスター)のハイエナだったという。
浮かぶヒョウタン、沈む壺
神が人類を創ったとき、ヒョウタンが水に浮かぶように、人間が永遠に生きる証として、神はヒョウタンを水に投げ入れたという。それから神は、そのこと人類に知らせるために、石女を使いにだした。
しかし石女は説明の時に、ヒョウタンでなく、土の壺を水に投げた。壺は沈み、だから人間は死ななければならなくなった。
個々の一族の始まり
昔、天空で生きる者たちの中に、大きな木を伝って、地上に降りてきた者たちがいた。地面に降りた彼らが、最初の人類となった。
最初の頃の人類は、全員が兄弟姉妹であったのだが、彼らを率いていたガー(Gaa)は、 彼らを2つのグループに分けて、それぞれ結婚は別のグループと行うようにと命じた。
こうして、個々の一族という思想が生まれた。
ザンデ。クモの文化英雄
ザンデ族は南スーダンから、中央アフリカへと分布してきた民族グループ。
ザンデの神話、あるいは単に昔話に登場する、いたずら者(トリックスター)のトゥレ(Ture)はよく知られている。
トゥレという名は、ザンデ語でクモ(蜘蛛)らしいが、この名はほとんど個有名詞みたいなものとして扱われることも多いという。つまり、「クモ」という名前のキャラクターと。
トゥレは、ガーナなどで知られる、同じくクモの意味を有する神話のキャラクター、アナンシと比べられることも多い。
トゥレの話には、人々に、それまでになかった技術(テクノロジー)をもたらすパターンがよくある。ようするに(例えばギリシア神話のプロメテウスのように)文化英雄的な側面も強い。
「ギリシア神話の世界観」人々、海と大陸と天空、創造、ゼウスとタイタン
トゥレはどこに消えたのか
トゥレは、かつて身近な存在であったが、いつのまにか遠くへ去ってしまった。
だが長い間、トゥレがいったいどこに消えてしまったのかは謎だった。
しかしある時に、ヨーロッパ人たちがアフリカの地に現れたことで謎は解けた。ヨーロッパ人の持ちものは、全てトゥレが造ったものだったのである。
しかしヨーロッパ人はトゥレを隠して、それについての話もしたがらない。そうしてヨーロッパ人たちは、トゥレの偉大なテクノロジーを独占しているのだ。
世界中に食物をばらまく
ある時、地上の食べるものが全部なくなってしまった。
しかしただ1人、天空から降りて来た男だけは食物を持っていた。
人々は男のところに食物を買いに来たが、彼は拒否した。
それで飢えた人たちはトゥレに男のことを話した。
それで、男のところに来たトゥレは、言葉巧みに、まず男と仲良くなり、彼と兄弟の契りを交わす。さらにトゥレは、兄弟として食物を分けてもらう。その際、男は、食物を置いている天空にトゥレを連れていくのに、彼の首を股に挟んだ。
トゥレは、自分の家に戻って食物を妻に渡してから、男のことを「飛ぶために股に首を挟まなくちゃならない」とバカにした。それを聞いた男は激怒して、またしばらくして食料のなくなったトゥレを天空に連れてきた時に、彼だけ放置して地上へと去った。
雨が降り、天のトゥレは水びたしになりながら、食物を入るだけ袋の中につめ込んだ。それから彼は探しに探して、ついに地上へと繋がる細い道を見つける。
地上に戻ったトゥレは、石の台でドラムを叩き、それで世界中から集まった人々に、トゥレは食物を分け与えた。
こうして、人々は食物に不自由しなくなった。
ヤムイモ畑の魔女との戦い
昔、巨大なヤム芋の畑を管理している老婆がいた。彼女の畑で働く人たちは、老婆の煮たヤム芋を食べることができた。しかし彼女が水を提供することはなかった。当時、水を持っているのは彼女だけだった。
老婆は、悪意ある魔女でもあり、自分の与えたヤム芋が喉につかえた人を見つけると、庖丁でその喉を切り、殺した。
ある時、噂を聞いたトゥレが、老婆の畑に働きにやってきた。トゥレは、老婆が水を隠していることを最初から知っていたから、まずはその隠されている水を探し、実際に見つけると、いくらかを壺の中に隠した。
いくらヤムを食べても、中が空洞になっている草を介して、こっそり壺の水を飲んでいたから、トゥレは喉をつまらせないですんだ。
そして、イラつきだした老婆の前で、トゥレはわざと、喉を詰まらせたようなしぐさを見てた。老婆はすぐさま、トゥレに襲いかかろうとしたが、トゥレは老婆の水の隠し場の方へと駆け出す。
老婆は「そっちに道はないぞ。糞の山ばかりだ」言ったが、トゥレは無視して、水を貯めている囲いまで来ると、彼はそれを壊した。
四方にあふれ出た水を見て、トゥレは満足した。
駆け回る火
ある時トゥレは、アバレ族(ザンデ族に含まれるとされるが、言葉が違っているらしい部族)の村へと来た。彼らは鉄を打つ仕事をしていて、トゥレに彼らを手伝った。
この時代、人々は火というものを知らなかったが、トゥレは突然に、すり切れた着物用獣皮をいっぱい身に纏い、炉のところへ来て、火に触れた。すると火は獣皮に燃えうつり、人々は駆け回る火に大騒ぎ。
トゥレは走りつづけながら、「どんどん行くよ。誰もが火を持つようになるまで」と歌った。
こうして誰もが火を知るようになった。
ルグバラ。怪物的英雄の系譜
ルグバラ族(Lugbara)は、コンゴとウガンダの国境近くの高原地帯を主に暮らしの場としている。土地が肥沃で、規則正しい豊かな雨にも恵まれ、農耕生活は安定している方らしい。
地形の高低差が他部族を遠ざけがちで、孤立傾向にあり、ルグバラ独自の世界観を形成しているとも。
ルグバラ社会では、系譜がかなり重要視され、様々な人間関係が、血のつながりによって説明されるという。
ある地域社会の成員たちは、その中心となる血縁集団の始祖を共通の始祖とみなす。その代表血縁集団の首長が、地域共同体の首長でもある。共同体の家族群は土地と家畜を共有するが、首長はその管理の責任を負う。
小規模な地域社会が集まった大きな社会においては、個人的な人間関係まで、系譜関係と関連付けて考えられる。例えば、何らかの個人的争いが、当事者同士がそれぞれに属している集団間の問題となったり。
アドロア。創造者であり、未知なるすべて
ルグバラ族は、全ルグバラの統合意識を、漠然と「アドロア(Adroa)という至高神に由来するひとつの血統に属する者たち」と認識しているとされる。
アドロアは、この世界の創造者でもあり、男と女と家畜を創造したと語られる。しかし彼が宇宙そのものも創造したかは、ルグバラの間でも、意見があまり一致しないようである。
アドロアは、人間には理解することも操作することもできない力のあらわれで、未知なるすべての事象のことを指すとも言われる。
グボログボロとメメ
(現在の南スーダンのどこからしい)ロロイ(Loloi)の地で、昔、神(アドロア)は、最初の男グボログボロ(Gborogboro。天空から来た者)と、最初の女メメ(Meme。ひとりでやって来た者)を生んだ。彼らは兄妹だったが、結婚して次の男女を生み、その子たちがまた次の子供たちを生むということが何度か繰り返された。
これらの男女は子を生むのに性交の必要がなかったという説もある。女は、ヤギの血を足にかければ身籠ったらしい。さらに、生まれてくる子供は最初から歯が生え揃っていたとも。
いずれにしても、兄妹だった彼らは結婚のための持参金を必要としなかった。
グボログボロとメメと、彼らに続く一連の夫婦兄妹たちはみな、自分たちの発明した魔術や技術に関係する名が与えられていた。
別の説では、実はそれらの男女の名は全て、偉大な同一人物の異なる呼び名にすぎないという。
幾世代か経た後、2人の英雄的祖先、ジャキ(Jaki)とドリビドゥ(Dribidu)が生まれた。
2人は現在のルグバラの地に住み着き、彼らの息子たちが、現在のルグバラの諸クランの始祖となった。
ジャキとドリビドゥ
ジャキとドリビドゥは、人間というよりはむしろ超自然的な存在に近く、どちらも魔術的な力を有していた。
特にドリビドゥは毛むくじゃらの獣のようで、自分の子を食う者としても知られていた。むしろ怪物だったから、元々住んでいた場所を追い出されたという説もある。
ジャキとドリビドゥは、別々にルグバラの地へ来たとも言われるが、語られるどちらの話も、似ているというか、ほぼ同じらしい
つまり、ルグバラの地でハンセン病の女と出会い、その女から肉を料理するための火をもらったお礼に、今はもう失なわれた呪術(あるいは薬)によって、女の病を治してやる。そして女と一緒に寝て、身ごもらせたために、女の親族と争うことになり、罰金と持参金の支払いで解決。これが人間が結婚のために金を支払った最初の例。
そして、ドリビドゥはエティ山(Eti)で死に、ジャキはリル山(Liru)で死んだという。
アドロアンジ。邪悪なヘビ、あるいは死者の守護霊
世界が創造されてまだ間もない時代、人間は天地を繋ぐ竹の塔(あるいは巨大な樹)を伝い、自由に天地を行き交うことができた。
やがて(原因は不明だが)この繋がりは断たれて、天にいた人間たちもみな地上に落ちてしまった。
天地が離れるまでは、人間はみな1つの同じ言葉を話したが、地上のいろいろな地域に集団ごとに別れてからは、異なる言葉を話すようになった。
また神も、善き存在と悪い存在の2つに分裂した。悪い存在はアドロ(Adro)と呼ばれることもあり、天に去った善き神に対し、それは地上に定着し、時に人間たちの暮らしにも介入するようになった。
アドロは、邪悪な水蛇の神ともされ、『アドロアンジ(Adroanzi)』と呼ばれる、様々な危険な生き物を生んだともされる。それらの生き物たちは、川や岩影に隠れて待ち伏せ、夜道を行く人を連れ去り、なぜか唇を舐めたりする。
それに、夜を怖がる人間を追いかけるのが好きで、見られていると感じて振り返ってしまった人は殺されるという。ただし、決してそれを見ようとしないならば実はそれほど危険はなく、むしろ強盗や野生動物などの危険から実質的に守ってくれるとも。
アドロアンジは死者の守護霊という説もある。単に自然のあちこちに宿っている精霊として扱われることもあり、その場合はたいてい、これはアドロアの子たちとされる。
ブガンダ。キントゥの冒険物語
ウガンダのブガンダは、かつて伝統的な大王国に支配された地域。
ブガンダの多くの河には、人間、あるいは神から発生したという伝説があるとも。
また、キントゥ(Kintu)という始祖を語る説話が多いという。
神の国での試練
昔、神の国からやって来たキントゥは、ただ1匹の牝ウシと一緒に、そのミルクを飲みながら生きていた。
そのうちに、天空神グル(Ggulu)の娘のナンビ(Nambi)が来て、キントゥと恋に落ちたが、彼女は天空の父のもとへ帰らなければならない。
ナンビの身内は、ミルクしか食物を知らないキントゥを軽蔑して、結婚にも反対していた。
グルは彼を試そうとウシを奪った。それでキントゥは、草ばかり食べなければならなかった。ナンビはキントゥに、彼のウシが天国にいることを教えて、さらに実際に天国へと連れてきた。
キントゥを、グルと、ナンビの兄弟たちの試練が待っていた。
まず百人分の料理を全部食わなければ殺すと言われたが、彼が料理とともに閉じ込められた一軒の家の床には穴があって、 彼は食べきれない分をそこから落とすことで切り抜ける。
次に彼は銅の斧を与えられ、岩から薪を切り出すようにと言われた。キントゥははなから割れ目のあった石からかけらを切り取って、グルに見せた。
霧だけの水を取って来るようにとも言われた。彼が野原に壺を置いて、どうするか悩んでいる間に、壺は霧でいっぱいになっていた。
グルは、キントゥは素晴らしい生物と認め、娘との結婚も承諾。だがまだ最後の試練が残っていた。
グルはキントゥに、群れから自分の牝ウシを選びだすようにと言ったが、その群れというのがかなり大きい。しかしハチが飛んできて「自分が降りた角のウシを選べばよい」と言った。キントゥは、言われた通りに、ハチが止まったウシを「自分のものだ」と言った。さらにハチはつづいて3匹の子牛にとまったから、キントゥは、「それらは彼の牝ウシが天国で生んだ子供たちだ」と言った。
グルは喜び、誰もキントゥを欺くことはできないと言った。
実はキントゥは、ナンビに密かに助けられていたのだと考えられている。
死との戦い
キントゥと妻のナンビが天国を去る時。グルは彼らに「死(ワルンベ。Warumbe)が一緒に行きたがっているから、お前たちは急いで行け。たとえ忘れものに気づいたとしても、決して戻って来てはならない」と警告。
しかし、ニワトリにやる穀物を忘れたことに気づいたナンビは、キントゥの説得を無視して、穀物をもらいに一旦グルのところに戻った。それで、再び出発した彼女に、兄である死がついてきた。
地上にて、夫婦の間にたくさんの子供が生まれた。
ある日、死はキントゥに、子供を1人料理番にくれと頼んだ。キントゥは、もしグルが来た時に、自分の子が死の料理番をしていることを伝えるなんて恥ずかしいと、断った。死は彼の子を殺すと脅したが、キントゥには「殺す」という言葉の意味がわからなかった。
まもなく子供たちは次々と死に始めた。
キントゥは天国に言って、グルに死についての苦情を言ったが、グルは「警告を無視したのはお前たちだ」と返す。しかしグルは慈悲深さをみせて、兄弟のカイクジ(Kayiikuuzi)を派遣して、死がすべての子供たちを殺すのを止めさせようとした。
カイクジは死と戦った。だが死は逃げてしまった。そしていかなる策を持ってしても、死を捕まえられなさったカイクジは、結局あきらめて天に帰った。
死は、今でも地上に住んでいる。彼は隙あらば人を殺して、地中に逃げる。
キクユ。ケニア山の唯一神
キクユ族(Kikuyu)はケニアにおける最大の民族グループとされる。
17世紀以降に、中央ケニアの領土を占領し、主にケニア山とその周辺において、農耕民族として生きてきた人たち。
イギリスの植民地だったケニアで、1952~1960年に起きた、民族主義的な独立運動である『マウマウ団の乱(マウマウだんのらん、英語:Mau Mau Uprising)』においては、彼らが大きな原動力になったという。
その神話には、隣の民族であるマサイ族(Maasai)やカンバ族(Kamba)と共通性がかなり見られ、それらの民族のそれぞれの起源が明かされる話もある。
ケレニャガに時々現れるンガイ
キクユ族の語り継いできた伝説によると、その世界観における宇宙を分かつもの、創造の神ンガイ(Ngai)は、その強大な力の証、あるいは休息の場として、大きな山を造ったのだが、それが標高5000メートル以上もある『ケニア山(Mount Kenya)』。
ケニア山は、ヨーロッパ人が勝手に付けた名前で、キクユの人たちはこれを『ケレニャガ(Kĩrĩnyaga。輝きの山)』と呼ぶという。
ケレニャガは地上、あるいはこの世における神の住居であるが、神自身は人には見えず、遠く離れている。人々は神に祈る時には、山の方に両手を向けて、生け贄を捧げてきたとされる。
至高神ンガイは、全能の唯一の神と語られる場合もある。この世界観は、キリスト教(ユダヤ教)の影響を受けるよりも以前から一神教の可能性が高い。
「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束 「ユダヤ教」旧約聖書とは何か?神とは何か?
ンガイには、人間的な姿のイメージがあり、空や雲の中に住んでいるという説もあるが、普通は別の世界にいて、時々、祝福や罰を誰か、あるいは何か与えるために、山に現れるのだと語られる。
雷はンガイの動きであり、稲妻はある神聖な場所から別の場所に移動する時、道を切り開くのに使用される武器。
マサイ、カンバ、キクユの選択
神はかつて、3人の息子にある選択を迫った。
神は槍と弓と土掘り棒を用意し、それらを「1人に1つずつ与えよう」と言った。
槍を選んだ男は、平原でウシの群れの世話をするように言われた。彼はマサイの父となる。
弓を選んだ男は、獲物を狩るようにと森に送られた。彼はカンバの父となる。
そして土握り棒を選んだ男に、神は農業を教えた。彼はキクユの父となる。
9人の娘と、イチジクの木の下の9人の男
ある時に、神は最初のキクユを山頂に連れてきて、谷や河や森など様々な自然と、獲物となるべき動物など、あらゆるものがある土地を見せた。国の真ん中ではイチジクの木が群生していて、神はキクユに「お前はあそこに住めばよい」と言った。
その地に着いた時、キクユは、神が用意してくれてくれた妻とも出会った。それはムンビ(Mumbi)という名の美しい女で、夫婦の間には9人の娘たちが生まれた。
キクユは幸せを感じてはいても、息子がないことはやさり不満であった。そこで、彼は山に来て、神に「男の子が欲しい」と願った。神は言った。「もう心配する必要はない。私の指示に従うならば」。
それからキクユは、神に言われた通り、1匹ずつの子ヒツジと子ヤギを家のそばの大きなイチジクの木の下で生け贄にした。動物の脂と血を木の幹に注ぎ、焼いた肉を神に捧げた。
しばらくすると、イチジクの木の下に9人の若い男たちが現れた。
別の説では、 生贄を焼いてなおも燃えあがる炎の中から、9人は出現した。
男たちは、それぞれ同じ身長の娘達と結婚し、彼らはキクユに属する9つの氏族の父と母になった。
ムンビの部族。男と女の戦い
キクユは若者たちの出現に喜んだが、彼らが娘たちとの結婚を望んだ際には、ある条件を出した。
キクユは彼らに、母系、女系の組織の中で共同生活することを承知させた。
それでキクユ族は「ムンビの家族」として知られるようになった。両親が死んだ後は、財産は娘たちの間で平等に分けられた。9つの氏族にも、彼女たちの個人名が与えられた。
ムンビの家族は、ムンビの部族となった。
ムンビの部族には一妻多夫の風習があり、男たちは同じ女の夫として、性的な嫉妬に悩まされた。夫たちは不貞を働くこともあったが、その場合かなり厳しく罰せられた。
ある時、男たちは反乱計画を立て、実行した。彼らは女たちに次々と性的な行為をしかけた。しばらくすると、前にはたくましい戦士だった女たちは家庭的になった。もはや男たちの堂々とした反乱を止めることも難しかった。
そうして男たちは共同体のボスとなり、それまでとは逆に一夫多妻を風習とした。ところが、勝利を手にしたはずの男たちが、氏族の名前まで自分たちのものに変えようとした時、女たちがまた反撃した。彼女たちは、生まれてくる男の子供を殺し始めた。男たちは降参するしかなかった。
ムクンガ・ムブラ。恐ろしい虹
ムクンガ・ムブラ(Mukunga M’bura)は、キクユと周辺部族の間で知られる、主にヤギやヒツジを食べるという、水生の怪物。
空の虹はこの生物の反射した像とされるが、時には虹そのものがこの怪物なのだとされる。
水辺で生き残った太古のワニ、タイガー、恐竜たち「アフリカの湖の怪物たち」
彼が夜に水域から出てくることがあるが、しっぽだけは水に残る。
雨が降った時には、頭を水から出して、仰向けになって赤くなり空に映る。しかし普段、その体色は緑とも。
虹に食われた者たち
昔、ある少年が、ムクンガ・ムブラの土地でウシを放ったが、怪物は報復として、少年を除くすべての人、家畜、家を飲み込んだ。
時が経ち、少年は大人の男になった。彼は剣を手に、ムクンガ・ムブラのところに来て、戦いを挑んだ。
男はムクンガ・ムブラを追いつめたが、怪物は、「剣を刺すなら、心臓ではなく、指にしてほしい」と懇願する。男はそうしてやったが、ムクンガ・ムブラの穴が開いた指からは、これまでに怪物が飲み込んだものすべてが現れ出た。
それから男は、ムクンガ・ムブラを許そうかとも考えたが、結局は、その悪が再び悲劇を起こすことを恐れて、それを殺した。
一説によると、怪物の切り刻まれた肉片の片足だけ行方知れずとなったらしい。
マサイ。ウシを与えられた者たち
普通、マサイ族が語る至高神エンカイ(Enkai)は、キクユのンガイと同一とされる。
ただ、 いくらかの物語において、創造神なのか微妙な印象もある。
また、エンカイの妻とされるオラパ(Olapa)は月の女神であり、エンカイは太陽神のイメージもわりと強い。
かつて人間だったエンカイ
エンカイはかつて人間で、彼は世界のすべてのウシを所有していた。
ある時、空と大地は分裂したが、彼はウシたちを、長い樹皮のロープをたどらせ、空から降ろした。
ウシたちが降りたのは、マサイの人々が暮らしていた土地だった。しかしウシを受け取るのを拒否した人たちがいたため、空から伸びている樹皮を切った。それでマサイへのウシの流れも止まってしまった。
別の説では、かつてケニア山、あるいはキリマンジャロ山に住んでいたエンカイは、大災害が起きた時にウシたちと共に天に逃れた。しかし、天空には、ウシたちの餌がなかったから、エンカイはウシたちは地上に帰して、牛を世話させるためにマサイの人々を新たに創造した。
いずれにしてもマサイ族には、ウシはエンカイからの贈り物で、全てのウシは元々マサイ族のためにあったという信念を持っているらしい。
ルイア。アフリカ的な創世記か
ルイア族(Luyia)、またはルヒア(Luhya)、あるいはアバルイア(Abaluyia)は、ケニア西部で生きてきた部族。
ルイアの人々は伝統的に「唯一の天空神(The One On High)」として知られるウェレ(Were)またはウェレ・ハカバ(Wele Khakaba)、あるいはニャサイェイ(Nyasaye)を崇拝してきたとされる。
通常、この宇宙すべては、創造の神ウェレによって、6日間で造られたとされている。彼は7日目は「悪い日」だと考えて休息したらしい。
ただ、彼は自らが造った世界に関して、所有権を主張しなかったために、結局世界中の様々な神が、自らを創造神と語るようになったという説もある。
「旧約聖書」創造神とイスラエルの民の記録、伝説
創造されたもの、それぞれの役割
ウェレは全てを造る前に、まず自分の住処である天を造った。天は落ちないように周囲の柱に支えられていた。ウェレは天を造るのに誰の助けも借りなかった。
それから彼はふたりの助手、ムクソヴェとムルムワを造り、天にふたりの住処も用意してやった。
天を造った後、神はそこに何か置こうと考え、最初に土を固めた月を、続いて太陽を造った。その頃、天は常に明るく輝いていた。太陽だけでなく月も輝いていたからだ
最初、月は太陽よりもはるかに大きく明るかった。それで月に嫉妬した太陽は、月を襲ったが、太陽は月に打ちのめされた。月は太陽を許してやった。
ところがしばらくして、太陽はまた月を襲い、今度は月が負けた。そして太陽は月を泥の中へ投げ込み。ほとんど輝くことができなくなるほどに泥まみれにした。
それから神はふたりの間に入って言った。「今後、太陽は月より明るく輝やき、全てを照らすことになる、それが昼だ。月はただ盗人や邪術師など闇の者だけ照らす、それが夜」。
太陽と月の後、神は雲を造り、稲妻のもとになる大きな赤い雄鶏も造る。その雄鶏は雲の中に住み、稲妻はその翼の羽ばたきから生じ、その鳴き声が雷鳴。
太陽と月を助けるよう星々も造った。
神は雲の中に雨を置き、その雨が地上の全ての水の源となった。必要がない時には雨を止ませることができるように2つの虹も造った。男の虹は狭く、女の虹は広いが、片方の虹だけでは雨を止ませられない。
神は暖かな空気と冷たい空気を造ったが、この冷たい空気が天の水を雹にする。
神が、天とそこに存在するものを造るのにかかった時間は2日。
そして造ったもの全てが、どこかで働けるように、大地をつくることを決める。
また、「太陽は誰のために輝いているのか?」と悩んだので、人間を造ることにする。
最初の人はムワムブ(Mwambu)と呼ばれる男で、さらに彼の会話の相手として、最初の女で、彼の妻となるセラ(Sela)が造られる。
2人が飲み水を欲した時、神は天の水を地上へ注いだ。そして、天からの水が、大地のあちこち窪みに溜り、湖や河となった。
神は植物を造ったが、植物を食うものとして、あらゆる動物も造った。
神は、ムワムブとセラに、2つのひづめのある動物の肉と、湖と河の魚以外の肉は食べないよう命じた。特にヘビやトカゲのように地上を這う動物、またハゲタカのような屍体を喰う鳥を食うことは強く禁じられた。
ある野牛を神が驚かした時、その野牛は子を残して逃げたが、その残った雌雄2頭の子牛はムワムブとセラに与えられて、それらの子が家畜となった。
ムワムブとセラは蟻塚の上で子牛を飼っていたのだが、家畜は蟻塚の中から現われたという説もある。
地上の怪物アマナニ
ムワムブとセラは、柱に支えられ、地表から離れている家に暮らしていた。家の出入りには梯子で昇り降りする必要があったが、彼らは家にいる時には、必ず梯子を上げていた。これは地上に人間を襲う怪物アマナニ(Amanani)がいたから。
彼らは性交の方法を知らなかったため、最初夫婦には子供がなかった。
しかしある日、夫は妻が木に登っているのを下から見て、彼女の特有の部分に気づく。その夜に夫は結合を求め、妻は最初は、そこには潰瘍(表皮が欠損状態である部分)しか見たことないと言って拒否したが、結局は夫を受け入れた。
彼女は大きな苦痛を味わったが、やがて息子を産んだ。
夫婦の子供たちは、危険を恐れず地上に住むようになった。
カメレオンの死の呪い
昔は、人間は死んでも四日後に生き返った。
ある時、部族の始祖の息子マイナは、屋外で食事をとっていた。そこにカメレオンがやって来て、「とても空腹だから、少し食物を分けてくれ」と言った。マイナは少しあげるべきだったのに断った。一緒に食事をするのが気持ち悪いと感じたからという説もある。
カメレオンは何度かお願いしたが、ついにマイナは怒りも見せた。カメレオンは彼を呪い「彼も、彼の部族も死ぬだろう」と言った。
その後、カメレオンはヘビに遭ったが、ヘビはすぐに食物を分けてくれた。だからカメレオンはヘビを祝福し「ヘビは永遠に生きるだろう」と言った。
こうして、人間には死がもたらされたが、ヘビは殻を脱いで生き続ける術を得た。
別の説では、ある少年が死んでから帰ってきた時に、彼の母は彼を「死んだのなら、そのままそこにいるべきだ」と追い返した。
少年は去ったが、歩きながら人々を呪い、「もうこれからは死んだ者たちは戻らないだろう」と言った。
雨乞い師の秘密
昔は、雨を予言したり操作したりできる者はいなかった。
しかし、家族を失ってから、全ての土地をさまよい歩き、多くの人々との出会いを重ねた老婆が、ついにそのための知識を得た。
ところが、彼女がその力を見せると、雨と共に、這いまわる生き物たちが家に入ってきた。それで人々は恐れ、彼女を町から追放する。
女は死ぬ前に、結婚した男に雨を降らす術を明かした。やがて、彼のところに雨を降らせてほしい者たちが頼みに来るようになった。彼は雨を降らしてやる見返りとして、いつも贈り物を要求した。
そして早魃の度に、彼の仕事の重要性は認識され、彼へのお礼の品は、どんどん貴重なものになっていった。そしてその対価が魅力なためか、雨を降らせる術を心得た人たちの数はどんどん増えたのだという。
チャガ。妙に独特な世界観
ケニアとタンザニアの国境近くのキリマンジャロ山(Mount Kilimanjaro)。その肥沃な南斜面で、チャガ族は農耕民として生きてきた。
好ましい肥沃な土壌という環境で、何千年も実践されてきたらしい大規模な灌漑システム。それに継続的な有機肥料法を成功させたことで、特にアフリカの民族グループの中でも、近代的イメージが強いという。
彼らの至高神ルワ(Ruwa)は、やはりキリマンジャロ山と関連付けられている。また、名前が似ていることもあって、古代エジプトの太陽神(ラー)との関係を推測されることも時たまある。
語り継がれてきた神話の世界観に、妙に独特なものがある。
月の酋長の村
月の酋長とその従者たちが地上の人間よりもずっと遅れ ていたのではないかと言う。
昔、ムリレという少年がいた。彼は母に叱られてばかりの毎日に嫌気がさし、父の腰掛けに呪術を吹きかけ、空中へと浮かばせた。そしてそれに座って呪文を唱え、それを動かした。
空中から見下ろすとたくさんの人が見える。彼は、何人かに話しかけ、月のruby>酋長の村への道を聞いた。人々は、少しの間ムリレを自分たちのところで働かせ、その見返りとして望みの場所の方角を教えてやった。
そのうちに、ついにムリレは月の酋長の村に到達した。
彼はその村の人たちが、肉を生のまま食べているのを見て驚き、月の酋長に挨拶した際、「なぜこの村では火を使わないのでしょうか?」と尋ねてみた。答は簡単、つまり彼らは火を知らなかったのである。
ムリレは木片と乾いた草に火をつけたが、それだけで彼は大呪術師だともてはやされた。その村でムリレは、妻たち、子供たち、大量の家畜をもつ大金持ちになった。しかし、やがて帰郷が恋しくなり、その旨を知らせる使いとしてモノマネドリを家族のところへ送った。
ところが家族の者は、もうムリレは死んでいると思っていたから、モノマネドリの知らせを信じないで、追い返した。しかし、誰が信じようと信じまいと彼は帰ることに決めた。
道は長かったが。彼は家畜の群れを引き連れていたので、魔法の腰掛けで飛んで行くことはできなかった。そしてくたびれたムリレに、大きな牡ウシが、「もし自分の肉を決して食わないと誓うなら、私があなたを運んでいこう」と提案。ムリレは同意し、彼はウシに乗って家に帰った。
ムリレは再会に喜ぶ家族に、例の牡ウシには絶対手をつけないことを約束させた。ところがある時、年老いたウシを彼の父が勝手に殺し、母がその脂を少しムリレの食事に入れた。彼の舌にそれが触れるや、肉は約束を破ったことを非難してきた。
地中に沈みはじめたムリレは、母に向かって「よくもだましたな」と怒り、間もなく消え去った。
地下世界の国とライオン
昔、ウシをもらうために神を探していた男がいた。彼は長く歩き、虹のふもとを発見。しばらくは祈りを唱えながらそこに立っていたが、ウシは来なかった。彼は怒り、槍で虹を2つに切ってしまった。
切られた虹の半分は空に舞い上がり、もう半分は大地に深い穴を開けた。
男は去ったが、他の人々が穴を見つけた。
彼らは地下世界に降りたが、そこには、ウシが大量に飼い慣らされた豊かな国があった。彼らは、このことを故郷の者たちに話そうと思ったが、話だけでは信じてもらえないと考え、その地下の国のウシたちの牛乳でいっぱいにした鉢をいくつか持ち帰った。
その後、最初の者たちから話を聞いた別の者たちが、地下へと降りていった。ところが彼らは、例の豊かな国は見つけられず、それどころかライオンと遭遇して、慌てて逃げ帰る羽目になった。
バニャルワンダ。いつの日にか天に帰る
バニャルワンダ(Banyarwanda)族は、主にルワンダの民族グループ。
創造者、至高神としてイマナ(Imana)が知られる。
イマナの約束
天地創造以前には何もなく、ただ神(イマナ)だけがいた。
美しい世界である天空で、神は全ての植物、全ての動物の兄妹を1組ずつ造った。人間たちもそこで神と共に暮らし、病や苦しみはなかった。
ある時、幸福に満ちているはずの天の世界に生きながら、子を生めないことを悲む1人の石女がいた。彼女は神に、子供を与えてくれるよう嘆願。神は誰にも秘密をもらさないことを条件に彼女の願いを聴き入れた。
神は粘土を唾液で湿らせてから、こねて小さな人の像をつくった。さらに神はその像を壺に入れ、9ヶ月間ミルクを注ぎ、四肢が丈夫になったら取り出すようにと教えた。
女は言われた通りにした。そして、ついに女は子を壺からとり出した。その子の名は今はもう忘れられてしまったが、天から降りてきた子だから、キグワ(Kigwa)と呼ばれる。
キグワが離乳してから、また女は神に次の子供を要求。神は前と同じ条件でニイナキグワ(Nyinakigwa。キグワの母)の願いを叶えた。
2人目の子供はルトゥツィ(Lututsi)と呼ばれた。キグワは王が属するバニイギニヤ一族の始祖で、ルトゥツィはバガ一族の始祖である。
ルトゥツィも離乳すると、ニイナキグワは今度は女の子が要求。神はまた、同じ条件で子を与えてくれた。女の子はニイナバトゥツィと呼ばれた。
子供達は立派に成長し、他に並ぶものがないほどに、とても美しい者たちとして知られるようになった。
ニイナキグワには妹がいて、彼女も石女だった。
姉は秘密を守っていたが、姉妹で楽しく飲んでいたある夜に、ついに全てを喋ってしまった。
当然、神は怒った。「お前は約束を破った。子供たちをお前から奪い、悲しみと労苦の国に追いやってやる」。そして神は、3人兄妹を地上へと追放した。
しかし姉に同情した妹は、姉と共に神に許しを請うた。神もそれで子供たちを憐れみ、彼らの運命をやわらげ、母が天の裂目から子供たちを見えるようにすることも約束した。それに、いつの日にか彼らは許されて、天上に帰ることができるのだと明かされた。
ロジ。王国の正当性
ザンビアのロジ族(Lozi)は、他の多くのアフリカの部族の場合と対照的な、血縁関係にそれほど縛られない共同体、高度な階層社会が特徴的
1つの村は、親族関係に人々で構成されることが多いが、そうした村の歴代の村長は、ロジ族の社会全体、ロジ王国の君主が与えた称号を継承する。
ロジのすべての土地と、そこから得られる恵みは、王を通じて国家に帰属する。住民はその地に住まわせてもらっていて、その地で何かを得られるのも王のおかげと考える。王は国土だけでなく、そこに住むすべての動植物の所有者ともされる。そしてすべての住民に居住地と耕地を与え、彼らを守護する義務を負う。
その神話も、基本的には王国という政治体制の正当性を高める機能を有しているとされる。
ニャンベとカムヌ。最初の人から逃げる創造神
昔、創造の神ニャンベ(Nyambe)は、妻のナシレレ(Nasilele)と一緒に地上で暮らしていた。
ニャンベは地上の王であり、ナシレレ以外にも多くの妻を持っていた。また、彼の宮廷の主要な顧問官であるサシショ(Sasisho)とカゴンベは、人と神との仲介者となっていた。
ニャンベは、森、草原、河を造り、それらの環境に生きる様々な生物を造った。それから、最初の人であるカムヌ(Kamunu)とその妻も造った。
間もなく、カムヌの賢さは、ニャンベを当惑させるようにもなる。カムヌはニャンベから何でも学ぶことができた。立ち聞き、盗み視、大工と鍛冶の技術、動物を殺す方法。
一説によると、この頃、カムヌがあまりに動物を殺してばかりいるので、ニャンベは罰として死を与えたらしい。
やがてニャンベは、カムヌが自分も殺してしまうかもしれないと恐れ、ある島へと逃げた。ところがカムヌは、丸木舟を作ってその島までニャンベを追いかけてきた。ニャンベは、カムヌの好奇の目にいい加減うんざりして、ついにはナシレレとサシショを連れて、クモの巣を伝って天に去った。
天への道がカムヌに知れるのを防ぐため、案内してくれたクモの目をくり抜く用心ぶりであった。
カムヌは、高い塔を建ててニャンベを追おうとしが、それは失敗。人間はこの時から、神を見つけることができないでいる。
王国をつくった娘
ニャンベは地上に住んでいた頃に、多くの女を妻として創造し、それらの女との間に多くの子供たちを生んだ。その子供たちそれぞれが、互いに異なる言語や慣習をもつ国々の創始者となった。
ニャンベと、特別な妻ナシレレには、ムワンブワ(Mwambwa)という娘がいた。
ある時、その娘にまでニャンベは恋してしまい、彼女と近親相姦し、彼女は子を身ごもる。
ナシレレは夫と娘の間で起きたことを知り、夫とケンカし、娘を殴った。
ニャンベは妻の振る舞いに怒り、天の国に戻ることを決めた。そしてニャンベは蜘蛛に糸を伝って天に去った。残されたナシレレは、数週間後に死んだ。
ムワンブワはロジ国の創設者となり、天の父との間に生まれたその娘ムブユ(Mbuyu)も、母の死後に主権を引き継いだ。
イラ。愚かな間違いのいくつかの戒め
イラ族(Ila)もザンビアの民族グループ
たくさん食べて、たくさん焼いて
昔、神が人間を造って地上に送った時、神は人間に穀物の世話を義務づけた。
人間たちは言われた通りに穀物を世話して、収穫を得た。
しかし人々はたくさん食べて、腹いっぱいになると、もう誰もが満足したし、穀物に火をつけて焼こうと決めた。それで穀物を全部焼いてしまったが、その後に飢饉が起こった。
人々は、なぜこんなことになってしまったのか、神に聞きに行った。神は言った「なんと愚かな者たち。飽きるほど食ってから、残りは焼いてしまうとは」。
神は人々に新たに果物を与えた。
美しさに目がくらみ、空腹を我慢できなかった
ある時、神は最初の男と女に選択を迫った。2つの袋のうちのどちらを選ぶのか。袋の一方には「生」が入っていて、もう一方には「死」が入っていた。
愚かな夫婦は、輝いていて美しいという理由で、死が入っている方の袋を選んだ。
数日後、夫婦の子供の1人が死んだ。
神は彼らにもう1度だけチャンスを与えようと考えた。そして神は夫婦に告げる。「もしお前たちが3日間何も食わないでいたなら、お前たちの子供を蘇らせてやろう」
しかし、彼らは空腹に耐えきれなかったので、結局人間は死ぬ運命になった。
虫と鳥たちと火
まだ地上で、火というものが知られていなかった頃。
鳥と昆虫たちが集まって、どうすれば温かくいれるかを話し合った。
物知りな誰かが「火は神様のところにあるはず」と言った。
トックリバチが「自分が神様のところに行って、火をもらってこよう。だけど誰かが付いて来て欲しい」と言った。
ハゲタカ、フィッシュ・イーグル(大型のワシ)、カラスが旅の仲間に立候補した。そして彼らは神様のいる天空目指して舞い上がった。
10日ほど経って、地上にハゲタカの骨が落ちてきた。またしばらくして、今度はフィッシュ・イーグルの骨が、さらに少ししてカラスの骨も落ちてきた。
トックリパチは、雲の上で時々休みながら、30日間ひとりで飛び続けた。そして、ようやく神と出会うことができた。
トックリバチは「私はあなたの火を分けてもらいたくて、長い間さまよっていました。仲間たちはみんな落ちてしまいましたが」と、ここまでの旅路について語った。
神は、トックリパチだけが神のもとへ着いたのだから、今後は彼が鳥と昆虫の長になるのがいいと決めた。そして神は「炉端に子供たちのために家造り、卵生み、何日も経ってそこに帰れば、それが次世代のトックリバチに変わっているのを見るだろう」と言った。その通りになった。
マラガシ。命を与える業
マダガスカルは、世界で4番目に大きな島である。
大陸からは数百キロメートル離れているものの、アフリカの一部として扱われている。
一応、人種の系統的にはアジア系の血が濃いらしい。
木造りの少女
昔、造物主は2人の男と1人の女を造ったが、彼らは地上で、お互い知ることもなく別々に暮らしていた。
第一の男は、木で等身大の女を彫って、それをひたすら愛した。
ある日、第二の男が藪をかき分け歩いてきて、その像を見つけ、あまりの美しさと、裸であることに驚き、それに着物を着せてやった。
またしばらくして、独り身を嘆きながら通りかかった女も、像を見つけ、それに生命を与えてほしいと造物主に頼んだ。主は「それをお前自身のベッドにもっていけば、そうしてやる」と約束。彼女はベッドで、その像を一晩中抱き締めていたが、朝には、それは生きた少女だった。
そして2人の男もやって来て、それぞれが、少女は自分のものだと主張。女もそれを手放すことを拒んだ。
そこで神が介入してきた。神は、第一の男が木から像を作ったのだから少女の父。女はそれに生命を与えたのだから母。第二の男は愛情をこめて彼女を慕ったのだから少女の夫と決めた。
この2組の夫婦が、全人類の始祖となった。
大地の粘土小人たち
神には大地という名の娘がいて、彼女は粘土で小人を作っては遊んでいた。
ある日、神は小人たちを見て興味を抱いた。そこで神は息を吹きかけてやる、すると粘土像は生命をもった。神は大地に彼らをヴェロ、つまり「生きもの」と呼ぶように言った。
ヴェロ人は死ななかった。増えるばかりの人々が土地を耕したので、大地は栄えた。それで高い山の上から、大地を見た神は嫉妬した。
神は宮殿に大地を呼び、「お前の人間たちを半分くれ」と言った。大地は「すべては神のものですよ。ですが彼らは私の富ですから分けることはできません」と返す。
神は怒り、ヴェロにかかっている生命の息を取り去った。
そうして人類というのは必ず死んでいく。
大地は悲しんだが、彼女にはどうしようもない。