「グラフはどう使われるか」変化するデータの視覚化。便利な対数スケール

グラフから、いったい何を読み取れるのか

 『グラフ』というのは、数学的状況の意味をはっきり理解するための有効な手段の1つとされる。 数学におけるどのような鍵も同様だが、それは決して万能なものとは言えない。
それでも、物事の様々な意味をはっきりさせるために、いつでも、「ここでグラフを使えないだろうか、使うとわかりやすくならないだろうか」と考えるような習慣を作るべき、と言われることすらある。

 適当なグラフを観察した場合、そこからどんな情報を読み取れるだろうか。グラフには必ず最高点と最低点、つまり山の頂上と谷の底がある。
どのようなものを表したグラフでも、どこかにそれを書く時は、どうあがいても削れ取られた、部分にならざるをえないはず。しかし仮に、その真の全体を見るとする。その場合には、最高点、あるいは最低点が、無限の上、あるいは下に存在している場合もあるだろう。
波の関数「三角関数とは何か」円弧、動径、サイン、コサインの振動と波。  グラフで表せられるものは、基本的に「変化していく何か」と言えるかもしれない。
グラフを見ていて、そこに曲線部分があったら、そこでは何かの『減少』、あるいは『増加』という変化が起こっていることを意味する。仮に変化しない、ただ直線のグラフだったとしても、ゼロという変化をしていると考えることは可能かもしれない。

 部分的な変化が、急速なものであるか、ゆったりとしたものであるかも、グラフのある程度の大部分を見れば、よくわかるはず。

オオカミとヤギのグラフ

 無限に続くグラフなんて、実際的にはそんなにないかもしれない。例えば多く見られるのが、特定の期間内における物事の変化のデータを示すためのグラフ。

決して増加することはない

 例えばある山に生息するオオカミとヤギに関して、仮にヤギが平均で13年生きるとしたら、その13年の内、オオカミによって死んでしまう割合はどのくらいか、というグラフとか。
オオカミの影「日本狼とオオカミ」犬に進化しなかった獣、あるいは神  これをグラフにする場合、縦がヤギの数ならその『目盛り(scale)』は最高1000となる。横は、ヤギの13年間という時間として、目盛りはもちろん最高13。
このようなグラフを実際に書く場合、横はともかく、縦に関して、普通に1、2、3……と1ずつ書いてく必要もない。例えば1/10の長さごとに、100、200、300……とかでも、たいてい問題はないだろう。

 このグラフは必ず、ヤギの数1000の、0年から始まる。
明確に言うなら、これはある年に生まれた1000のヤギが、13年目までにどのくらい生き残るか、そしてその変化(減少)は、年毎にどのくらいなのか、というようなことを表したものである。
つまり次の年、その次の年とかに新しいヤギが何頭生まれようが、別に関係はない。このグラフには追加はなく、ひたすら減少していくだけ。仮に13年目まで、ヤギの数が減らない(1頭も死なないとしても)グラフの線が平坦な直線となるだけで、増加傾向を示すことは絶対にない。
ヤギの数も0以下にはならない、だから例えば10年目にして最後の1頭まで死んでしまったとしても、それから以降はずっと、ヤギの数0のまま平坦な曲線を描くだけだ。

末期には生き残りが少ないから、死ぬ数も少ない

 普通なら、このヤギの生き残りを示すグラフで、最初の1年が明らかに急速な下り曲線を描いているなら、それは生まれたての時期というのが、補食動物にとって狙いやすい無防備な時期だからと推測できる。
最初の誕生日まで無事に生きれたヤギは、群れとして生活できる見込みが立って、オオカミからも上手く逃げれたり、場合によっては強く抵抗することすらできるようになるかもしれない。

 しかし年を取って体が弱ってくると、また危険が増すだろう。そこでこのグラフは、年月が進むとともに、また曲線を険しくしていっておかしくない。
だが最後の方、例えば11年をすぎたぐらいで、またグラフが水平に近づく場合はあるだろうか。その頃まで生きていると、もうかなりおじいさんヤギで、オオカミに襲われても、子供よりも逃げれそうにないかもしれないというのに。
実際には最後の方に変化曲線が平坦気味になるのは別におかしい話でもない。その理由も簡単で、最後の2年ともなると、ヤギの数自体がかなり減っているから、そのグラフにおける横の最高の目盛り(1000)に比べて、減りも少なくなるというだけだ。
仮に12年目に生き残っているヤギの数が10頭だけなら、全員が死んだとしても、グラフの上では1/100の分の曲がりにしかならないだろう。

キンバエの世代交代グラフ

 1950年代に、オーストラリアの昆虫学者アレクサンダー・ニコルソン(Alexander Nicholson。1895~1969)は、ヒツジの害虫であるキンバエ(L cuprina)を研究した。

閉鎖環境で、どのくらいの数のウジが、どのくらいのハエになるのか

 ニコルソンは、生まれたばかりのキンバエの幼虫、つまりはウジ(蛆虫)を養うために、食料を入れた大量の試験管を用意。食料の量は同じで、ウジの数だけをいろいろ変えて、それぞれの試験管でどのくらいの数のハエが発生するかを観察。得られた大量のデータを統計学的に分析した。
この研究のほとんどの成果は失われたという説もあるが、少なくともいくらか、発表されたデータに関しては、後世にも残っている。
虫取り網「昆虫」最強の生物。最初の飛行動物  様々なウジの、初期数から成虫(ハエ)発生までのパターンのグラフから、この実験がどのような結果を示したのかはよくわかる。
ウジの数が30を超えないうちは、ウジの数が増えるにつれて、成虫の数も増えた。しかしそこがグラフのピークであり、以降はウジの数が増えるにつれて、成虫の数は減っていった。食料の量自体は変わらないために、ウジの数が増えすぎると、餌の取り合いが深刻な問題となり、最終的な生き残りの数も減ってしまうのである。
ウジの数が200匹以上、試験管に入っている場合においては、成虫は1匹も生まれることなく、全員が餓死する運命となってしまった。

 あくまでも実験環境の中とはいえ、食料がいつも一定だというような系は、現実にもあるだろう。

必ず絶滅してしまう虫が、なぜ今も生きているのか

 とりあえずニコルソンの実験環境で、ウジとハエの未来を見届ける。つまり一定期間ごとに用意する決まった量の食料以外は一切関知せずに、ただ観察だけ続けたとする。
また、仮に1匹の成虫のハエは、(平均で)25個の卵を産むとする。

 グラフによると、最初に100のウジがいたとすると、成虫として生き残る数は4匹である。するとその1匹ずつが25個の卵を産むとしたら、次の世代もやはり100となる。この完璧なサイクルは続くだろうか。そんな奇跡はないだろう。実際には4匹のハエは、次の世代に90のウジしか残さないことだってあるはず。いつも確実に子の数が決まっているなんて、まるで現実ではない。

 そしてそのような不安定さが引き起こしてしまった偶然のズレは、たった1回でいいのかもしれない。

 やはりグラフ的には、90匹のウジからは5匹の成虫が発生する。 5匹の成虫は120個の卵を産む。しかし120匹のウジからは2匹の成虫しか発生しない。2匹の成虫は50個の卵を産む。
食料問題的にはマシなためか、この50匹というこれまでの中では一番少ない数のウジは、10匹というこれまでで最も大量の成虫を生む。だがこの10匹という親世代の数は、次の世代にとっては致命的な数である。10匹の成虫は250個の卵を産むが、そうするとデッドラインである200をそこで超えてしまうことになる。
ニコルソンの研究のグラフから素直に解釈するなら、100匹以外のどの数から出発しても、キンバエは絶滅する運命であり、絶滅しないで何十世代と続けるためには、驚異的な幸運が必要になると思われる。

自然に手を伸ばす人間への警告

 ニコルソン自身は冷静に「わたしの試験管の中には、いつも一度でウジが入るけど、自然界では、いろいろな世代が重なりあっていている」と指摘もしているそうである。
また、ある成虫が、卵を1つも産まないことも、普通にありえるのだという。
実際に、もっと大きな集団で観察データを取ると、成長が非常に増える時期と、ほとんど卵がない状態が周期的に起こることが、あったりしたようだ。

 ニコルソンは、「自然のメカニズムは非常に複雑なため、昆虫を殺そうとするキャンペーンは、昆虫を増やしてしまう結果につながる危険もある」と示唆してもいるらしい。

 ところで、厄介な害虫だけじゃなく、もっと小さな、目に見えない病原菌などに関しても、同じことは言えるだろうか。
普通、医学的な問題が一般に説明される時は、かなり単純化されているとされるが、実際には、そこにどのような複雑さがあるだろうか。

 感染率の高い細菌やウイルスを絶滅させようとすることは、かえって増加に繋がる可能性もあるかもしれない。
最も、今となっては、「自然はそれ自体完成されているものだから、まったく干渉すべきでない」と言い切るのも、逆に難しいかもしれないが。
「ウイルスとは何か」どこから生まれるのか、生物との違い、自然での役割 しかしいずれにしても、複雑な自然に、ちゃんと理解できないまま手を出すことは、危険を招く可能性がある。というリスクは常にあることは、かなり確かなのかもしれない。

対数スケール、対数目盛り

 グラフの変化を方程式で表す場合。普通は、直線グラフに対応する方程式は必ず「y = mx + c」、または「x = k」というような一次方程式となる。

直線グラフを曲げる。曲線グラフをまっすぐにする

 一次方程式は、未知数であるxに何を代入したとしても、全体のどことどこを比べた相対的変化率も0になるような方程式とも言える。
例えば「y = 5x + 9」という方程式があった場合、xがどの数の時のyも、1だけ前のyとの差は必ず5となる。そして、そのような性質のグラフは、普通は直線になる訳である。
代数式「代数式は何のためか」変数と関数。二次方程式の解の公式  しかし実は1つ、グラフという概念には、便利な(と思われる)罠がある。
そもそもグラフの線とは、ある方程式の答の(普通は一定間隔な)羅列を、それを示す特定位置の各点として用意し、それらを結んだものと言える。
自然数1、2、3……と、等間隔に点を打つためのエリアがあるグラフなら、普通の一次方程式は直線になるだろうが、点のエリアが等間隔でないのなら、(例えば1~2までの距離は1ミリメートルなのに、2~3までは3ミリメートル開いてるとかなら)「y = mx + c」の形の方程式は、直線でなくなることがあるだろう。
ただし「x = k」の場合は、やはり直線のままである。「y = mx + c」が、変化しない増加量を有する方程式なのに対して、「x = k」は(グラフの特定方向に対して)増加量を持たない方程式だからである。

 逆にグラフのスケール(目盛り)を調整することで、例えば本来は(つまり普通の自然数等間隔スケールでは)直線グラフにはならないはずの「y = x^2」や「y = x^3」なども、直線グラフとして表現ができる。
それは方程式じゃなく、そのグラフを描く用紙に与えられた仕組みにより実現された表現である。

logとIn。常用対数と自然対数に関して

 ある数xを、冪乗k^nとして表した場合の、冪指数nを『対数(logarithm)』と言う。
例えばnは「底をkとするxの対数(logarithm of x to base k; base k logarithm of x)」などと表現される。

 対数に関して、「log x」みたいに表記もあるが、普通はlogとxの間に、小さく底の数kが書かれる。底の数が省略されている場合は、暗黙の了解で10を底としている場合が多い。
例えば「log 10」=「「10^n = 10」の時のn」であり、すなわち「log 10 = 1」。「log 35」=「「10^n = 35」の時のn」であり、すなわち「log 35 = 1.54406804435……」。

 また、「In x」という表記もあるが、これは『自然対数(natural logarithm)』、すなわちeと表記されることが多い、『ネイピア数(Napier’s constant)』という定数を底とした対数を表しているのが基本。
微積分とe「微分積分の関係」なぜ逆か。基本公式いくつか。指数対数関数とネイピア数  e = 2.718281828459……

 ネイピア数を底とする自然対数に対し、10を底としている対数は『常用対数(Common logarithm)』と呼ばれる。

ログとセミログ

 1、2、4、8、16……というような数字(k^n)を等間隔にしたスケールを『対数スケール(logarithmic scale)』とか、『ログスケール』、『対数目盛り』などと言う。
対数スケールは完全に、ただわかりやすくするための仕組みとも言えるかもだが、そういう実用的な観点から、グラフの目盛りの片方だけを対数スケールにしているグラフもよくあり、そういうのは、『片対数グラフ(semilog graph)』とか『セミロググラフ』とか呼ばれる。

 例えば、常用対数(log x)を基準とした対数スケールでは、1のところが「10(log 10 = 1)」、2のところが「100(log 100 = 2)」、3のところが「1000(log 1000 = 3)」となる。
縦だけ「log x」の対数スケールのグラフは、1時間ごとに数千単位で 数を変えていく微生物群の変化を表現したりとか、状況次第で、普通のグラフよりよっぽど扱いやすいはずである。