「幻肢痛のメカニズム」原因。鏡の治療法。本当に脳は現実を作ってるか

鏡

我々の意識という存在は、脳が作ったものか

我々はロボットとどれほど近しいか

 『脳』の多くは『ニューロン(神経細胞)』 というもので構成されている。
生まれたばかりの赤ちゃんでも、1000億ほどのニューロンがあるとされ、基本的には成長するにつれてその数は増えていく。

 我々は我々を「人間」と言うジャンルとして考えたがるが、「ロボット」のような部分があることも確かである。
我々がロボットだとするなら、脳は中枢回路と言ったところだ。
 それが我々という存在を自己認識させ、体を動かさせている。
脳がなければ、骨も筋肉も、内蔵でさえも、分解された機械のパーツと大して変わらないだろう。
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で  そこらに転がっている石ころを、我々はただの「物」と思う。
同じように心臓がひとつだけあっても、それはただの物だ。

 我々はよく、ロボットを、何らかのプログラムにより動く、生物を真似た物と考えたがる。
人工知能の基礎「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで しかし我々も、少しばかり複雑なだけで、脳という情報処理機関の中で処理されているプログラム通りに動くロボット的な存在でない、と考える根拠はない。
 明らかなことである。
脳を破壊されて、それでも人間であり続けた者など、歴史上に存在していない。

ニューロンのシナプスが形成する脳内ネットワーク

 この世界は、物質のエネルギー量(質量)や、その相互作用で成り立っていると思われる。
脳が処理する情報も、それらに関することだ。

 個々のニューロンは、情報を互いに発信しあい、脳内で完結するネットワークを形成している。
機械学習「機械学習とは何か」 簡単に人工知能は作れないのか。学ぶ事の意味 我々は、自身の体の動作や知識などのディスプレイを使うことで、その脳内ネットワークの情報を外部に放出しているもといえるだろう。
レンダリング中「ブラウザの仕組み」レンダリングはいかにして行われるか?  ニューロン同士の繋がりは『シナプス』と呼ばれ、 連結するニューロン同士の間のシナプスの数は、普通、数千以上あるとされる。

 基本的にシナプスには、オンとオフと表現されるような2パターンがあると言われる。
オンのパターンは、ある情報の利用を促す。
オフのパターンは、ある情報の利用を止める。
 例えば、脳のネットワークが何かを危険と判断した時、「その危険なものに近づかないように」というオフのシナプス(おそらく我々が恐怖と呼ぶような感情)が大量に、ニューロンの間を飛び交ったりする。

 数千億のニューロンが、数千以上のシナプスのオンオフを、個々にやり取りすることで、我々の脳は、我々という存在を維持している。

脳の一部分だけが壊れる時

 脳の一部分だけが壊れるということがある。
例えば神経学の歴史においては有名なH・Mという人は、病気の治療のために、「海馬(Hippocampus)」と呼ばれる脳の一部分を取り除いた。
結果、彼は新しいものを記憶する能力を失ってしまった。
海馬を取り除くまでの記憶は普通の人と変わらない程度にあるのに、それ以降、何かを学んだとしても、次の瞬間にはもうそれを忘れているようになってしまったのだ。

 H・Mの話は、海馬が、新しい記録を作るのに重要な役割を担っていることを示唆している。
 同じように、脳の一部を失ってしまった人の記録から、脳のどの部分がどういう能力に影響しているのか、ある程度わかってきている。

 脳の一部分が壊れた時に現れる症状が、何らかの能力の喪失のみであるとは限らない。

 とても奇妙なことに、 自分とは別の意識が生まれたりすることもあるらしい。
 例えば、自分は笑っているつもりなんてないのに、しかし明らかに笑顔になっているらしいことが現実にあるのだという。

 さらに奇妙なことがある。
それは脳でなく、体に何らかのダメージ、例えば腕を失くした患者が、その無くしたはずの腕をまだあるかのように意識する『幻肢げんし(phantom limb)」と呼ばれる現象である。

 我々の意識は脳が作り出したものである。
そして複雑なコンピューターにトラブルがあった時、プログラムを修正するのに手間がかかるように、我々の脳も、 予想外の体の損失に対して、プログラムを組み直すのがなかなか難しいらしい。

 幻肢の原因こそまさしく、神経学の大家であるヴィラヤヌル・スブラマニアン・ラマチャンドランが、「脳の中の幽霊」と称する何かである。

脳の中の幽霊研究

存在しないはずの腕の感覚と痛み

 ラマチャンドランは、医者として様々な患者と向き合う内に、幻肢という現象は、少なくとも実在のものであるという確信へと近づいていった。

 彼の患者であったトム・ソレンセンという人は、事故で左腕を失った。
しかし、事故の後も長きにわたって、トムは自分の腕があるような感覚を持ち続けたらしい。

 指を動かすこともできるし、何かを掴むこともできた。
驚くべきことに、こけそうになるのをその腕で、防ぐことすらできたそうだ。
しかし、実際にそんなことができたはずはない。

 ラマチャンドランによれば、幻肢という現象はそう珍しいことでもなく、例えば麻酔中に腕を切断され、それから目覚めた患者はよく、自分の腕が亡くなった事を信じたがらない。
実際に腕がないのを見た時に、ようやくその事実を実感するのだという。
麻酔薬「全身麻酔手術の仕組み」薬の種類、麻酔科医の仕事、リスクはどれほどか  驚くべきは、幻肢に見舞われる患者は時に、ないはずの腕に強烈な痛みを感じることがあるということ。
それもたいていの場合、いっそ死んで楽になりたいと思うくらいのレベルらしい。
そういう症状は『幻肢痛(Phantom Pain)』と呼ばれ、世界中で多くの患者が苦しんでいる。

幻肢研究の初期

 幻肢という名称は、南北戦争(1861~1865)から間もない時期に、サイラス・ワイアー・ミッチェル(1829~1914)という医師が 考案したものとされている。
彼は外科医として、戦争から帰還した負傷兵たちを診察するうちに、この現象に気づき、それに関する論文を匿名で発表した。

 論文を匿名で発表した理由に関しては謎だが、幻肢というものがそれだけ奇妙で、同業者から笑われる可能性があったからだろうと考える者もいる。

 ミッチェル以前から、そういう現象があること自体は知られていた。
古くは、自分の体の一部が失われたにも関わらず、存在している感覚が続くのは、「魂が存在していることの根拠」と言う者も多かったらしい。

 幻肢は、本当に文字通り、自分を構成するパーツのどれを失った時にも起こりうるということが奇妙だ。
 腕や足だけでなく、内臓を失った人にまで、失われた内臓が関わる痛みを感じたりするそうである。
例えば盲腸を切除したにも関わらず、盲腸炎としか思えない症状を訴える患者もいるわけだ。

脳の感覚領域

 脳外科医のワイルダー・グレイヴス・ペンフィールド(1891~1976)は1940年代、1950年代に、 自分がよく局所麻酔下で 露出した 脳を目にする機会があるのを利用して、患者にとっては少々恐ろしい実験を何度もおこなった。

 シンプルな実験で、ただ単に脳の様々な部分に電気刺激を与え、患者にどのような感覚がするかを尋ねてみたのである。
そして彼は、脳のどの部分が、体のどの部分の感覚に関係しているのかということを、図にすることができた。

 「脊髄(Spinal cord)」は、脳へと繋がる神経である。
その脊髄へ、腕の感覚情報を伝える神経を切除したサルを使った実験で、ティモシー・ポンズという人の研究チームは、脳の感覚情報の領域は移動することがあることを示唆した。
 彼は猿の腕に触ってみたが、脳には何の反応もなかった。
当然であろう。
しかし、猿の顔面に触れた時、顔の感覚に相当する脳の部分だけでなく、本来なら腕の感覚の部分にも反応が見られたのである。

ネットワーク構成の変化

 ポンズの論文に刺激を受けたラマチャンドランは、腕を失った患者に、ちょっとした実験に協力してもらった。
それはただ体の様々な部位にちょっとだけ触れるというものであるそうしてどういう感覚があるのかを簡単に聞いてみたのだ。
すると、顔面や上腕部に触れた時に、失われたはずの腕の感覚がある、と患者は答えた。

 ベンフィールドの脳の感覚領域の図において、腕の感覚の下には顔面の、上には上腕や肩の領域がある。
腕を失った患者の顔面や上腕を触ることで腕の感覚がある。
これは明らかに、腕の感覚領域が、 すぐ上の顔面領域と、すぐ下の上腕領域に潜入していることを示している。

 ラマチャンドランは、『MEG』、あるいは『脳磁図のうじず(Magnetoencephalography)』と呼ばれる脳内の電気的活動を、磁場の変化として測定する手法を用いて、さらに入念に調べてみた。
雷「電磁気学」最初の場の理論。電気と磁気の関係  結果はやはり、腕を失った患者の腕の感覚は、脳の別の感覚領域の影響を受けていた。

 ラマチャンドランの実験結果は驚くべきものである。
基本的に、脳の感覚領域の地図は、ある程度以上成長してからは変化しないと考えられていたからだ。

なぜ足を魅力に感じる人が多いのか

 驚くべきは、足を失った患者は、異性と触れ合う喜びが大きくなることがあるらしい事実。
これは男女どちらにもあるようだ。
そういう感覚の脳の領域は足に近い。

 ここまでくると、本当に人間の意識の全ては、脳が作り出した幻にすぎないのではないかと思えてくる。

 人は、異性の足に強い興味を持つ傾向が強いとも言われる。
これは古くから、なぜなのか様々な心理学者に考えられてきたことなのだが、もしかしたら脳の感覚領域がすぐ近くにあるから、錯覚が生じやすいというだけのことなのかもしれない。

 テーブルの下で、恋人とこっそり手を繋ぎあうよりも、足をじゃれつかする方が喜びを感じる人もいるだろう。
脳の感覚領域を考えるに、おそらくはそういう人の方が多い。

幻肢の切断治療

鏡に映した幻

 ラマチャンドランは、幻肢の切断に最初に成功した人とも言われる。
彼はないはずの腕に苦しむある患者の相談を受けて、以前から考えてはいたある方法を試してみた。

 そういう症状も珍しくないようだが、その患者は幻の腕が全く動かないことに悩んでいた。
どういうわけだが、切断手術などの以前に、ギブスなどで長期間、腕が固定されていた人は、その動かない感覚が幻肢に引き継がれやすいのである。
 ラマチャンドランの受けた相談はもともと、そのないはずの動かない腕を動かす方法はないのだろうか、というものだった。

 ラマチャンドランの試した方法は、手品で使うようなちょっとした鏡のギミックを使ったもの。
鏡の反射をうまく利用して、動かない腕に重ねてもらった無事な方のもう片方の腕が、反対側に移るようにしたのだ。
つまり、患者の見える範囲に、鏡で幻の腕があたかも見えるようにしたのである。

 この方法はうまくいった。
その状態で腕を同時に動かしてもらったところ、鏡による錯覚情報が加わわっただけで、患者はそれまで全然動かせなかった幻肢を動かすことに成功したのである。
 しかし鏡がないと、やはりうまく動かせなかった。

 そこでラマチャンドランは、その鏡の仕掛けを搭載した道具を、自宅に持ち帰ってもらい、しばらく実践してもらった。
彼としては、そうやって繰り返すうちに、やがては鏡なしでも幻の手を動かせるようになるのではないかと期待していた。
 しかしある時、彼も予想外な報告が患者からもたらされた。
幻の手が動かせるようになったのではなく、幻の腕が消えたというのである。
奇妙なことに、指の感覚は残っていたようだが、腕は消えたらしい。

消えた幻肢

 患者としては腕が消えたことでその痛みも消えたので、とても喜んでくれたそうだ。
しかしこれはいったい、どういうことなのであろうか。

 腕が存在し動かせるという視覚情報と、実際に腕がないと認識する脳の中の何かが反発し合い、その矛盾を解決する手段として、脳全体としては、幻肢という感覚自体を消した、というような可能性がある。
 指が残ったことに関しては、脳にとっては、腕よりも指の方が存在しないという結論に至ることが難しいことを示しているのではないかとも言われる。

 ちなみにラマチャンドラン自身の、最初の発想はVRだった。
ただ単に、彼が鏡のギミックを使ったのは技術的、金銭的な問題である。

視覚情報とは何か

 腕が動かなくなってしまった患者の中には、時たま自分の腕が動かなくなってしまったことに気づかない人もいるのだという。

 これもラマチャンドランが示した、ある極端な一例だが、例えば、左手が動かない患者に対し、「目の前のお花に右手で触れてください」と言うと、触れてくれる。
「次は左手で触れてください」と言うと、やはり触れてくれる場合があるそうなのだ。
 もちろん実際には、患者は触れているつもりなだけである。
さらに極端な例だと「あなたにはそれが見えていますか?」と尋ねると、見えていますと答えたりもするが、患者以外の人たちは誰一人として、患者が花を左手で触っている姿を見れない。

 実際にはそこに存在していない腕を見えると言い張ることはあまりないし、動かしてほしいと言われた時には動かせない人も多いようだ。
 そういう状況に曲面した場合は、たいていの患者は何らかの言い訳を発するという。
例えば、「今は何か肩が痛いからどうも触れないようです」みたいな感じだ。

意識のシステムは、物質の外のものか

 我々はこの世界に何を見ているのだろうか。
そもそも見ているとはどういうことなのだろうか。

 幻肢は、本人以外には文字通り幻のものである。
しかし患者にとっては紛れもない現実だ。

 我々は多数派の意見が正しいと思い込む傾向にある。
例えば、自分には三つめの腕があると言う人がいても、その三つめの腕を地球上の他の誰も確認できないなら、その人は精神が正常でないか、嘘つきだと思われるだろう。

 この世界に存在するとされているものは全て、多数の人が共通の認識を持っているものである。

 なら認識に関係なく、実際に存在するものと存在してないものとは何が違うのか。

 仮に物理学者がよく言うように、この世界が本当に粒子が集まったような領域であるなら、全てはそういう粒みたいなやつの集合体ということになる。
 脳というシステムは、我々にその世界がちゃんとした形あるもの 、カラフルなもの、美しかったり汚かったりするものと認識させている。
最大に機能なのは脳自体がそういう存在であるということだ。

 今の一般的な知見的には、おそらく物質が全てそういう粒子と呼ばれるものの集合体であることは正しい。
量子「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ 仮に粒子以外に要素があるのだとしたら、それは恐らく我々がエネルギーというようなものだ。
 あるいは空間そのものも、要素と言えるかもしれない。
ループ量子空間「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空  問題は意識を保つシステムのことだ。
この世界の基本構成要素が何であれ、それらが何らかの動きをすることで、そういうものがこの世界に発生しているのか。
あるいは、この世界の中で、特定の形をとった素粒子などの上に、そういうシステムが新たに置かれているのか。
宇宙プログラム「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性  今は、意識システムを素粒子の働きの外部に求めるのは、あまり賢くはないと思われるが、物質の要素の動きだけでは意識などというものが生まれる謎を説明できないというのも事実である。

 ただ意識がおそらく、個人の脳などの特定の領域内で閉鎖されたシステムであることはほぼ間違いないだろう。
幻肢のような、その外部の状況を勘違いすることがあるのは、まさしくそのような閉鎖性のせいなのではなかろうか。

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