「人間原理」宇宙論の人間中心主義。物理学的な神の謎と批判

人間原理

水素原子は宇宙共通語となりうるか

我々の背丈は水素原子170億個分

 物理学者リチャード・フィリップス・ファインマン(1918~1988)は、異性人に我々のことを伝える場合、「我々の背丈は、『水素原子(Hydrogen atom)』170億個分です」とでも言えばいいだろうと書いた。
だいたい原子一個は1オングストローム、つまり1/100000000センチメートルと考えられているから、まあ妥当なとこだ。

 そしてこの表現は納得もしやすい。

 異星人はもちろん、地球のどの民族の言葉も使っていないはず。
それに、逆にこちら側にも、異星人が喋る言葉をすぐさま理解できる者などいないだろう。
異星人は、我々が使うような言葉(音)を使っていない可能性すらある。

 しかし物理法則というものが宇宙のどこであっても同じなのだとするなら、異星人もそれを知っているはず。
少なくとも、何らかのコミュニケーション能力を有するくらいに知能というものを持っているならば。

 とすると、水素原子の大きさなどのような、普遍的だと考えられる要素を使うことで、確かに我々はコミュニケーションを取れるかもしれない。

(コラム)魔法使いの星

 しかし、宇宙の物理法則が場所に関わらないものであるとして、なぜ知的生命体なら、それを知っていると思うのか。
 正確にはこう言ったほうがいいだろう。
なぜ異星人も、それに興味を持っていると思うのか。

 知的生物なら誰でも、この宇宙の物理法則に関して好奇心旺盛という保証はない。

 例えば我々の知らない機構により、もう少しこの宇宙で自由な能力を持った生物がいるとしたらどうだろう。
つまり、その原理を知るまでもなく、我々以上に物質やエネルギーをうまく使えるような生物がいるとするならどうか。
我々も、あまりに当たり前すぎることには興味を持たない傾向にある。

 我々が電子機器を必要としないなら、電磁気学は発展しただろうか。
電気実験 「電気の発見の歴史」電磁気学を築いた人たち
エネルギー機関を必要としないなら、熱力学は発達しただろうか 

ダークマター、ダークエネルギー

 水素原子は陽子と電子が一つずつの単純な原子であり、普通は宇宙にありふれていると考えられる。
量子 「量子論」波動で揺らぐ現実。プランクからシュレーディンガーへ
少なくとも、この観測可能な宇宙においては溢れている。
観測可能な宇宙とは、少なくとも我々が今確認できている光、つまりビッグバンが起こった時に発生したと考えられている光が、これまでの時間進んできた距離の範囲とも言える。
ビッグバン 「ビッグバン宇宙論」根拠。問題点。宇宙の始まりの概要
 ただ、この大量の水素原子は、いわゆる『ダークマター』や『ダークエネルギー』以外の領域である。

 確かに宇宙に溢れていると考えられる謎の物質の正体については、様々な議論がある。
全く未知の素粒子という可能性もある。
 ただしそれが見つかった過程を考えるとわかるように、ダークマターは重力を有する質量である。
ダークエネルギーは宇宙を膨張させようとする斥力である。
ダークな世界 「ダークマターとダークエネルギー」宇宙の運命を決めるモノ
 しかし観測可能な宇宙かつ、 我々と同じダークマター以外の素材で構成されている生物が他にいるのだとしたら、水素原子は共通言語として使える余地が確かにあろう。
ずいぶんスケールの小さい心理学的な観点から考えても、我々が最初に探すべき生物、接触すべき生物がいるとしたら、そのような生物である。
そのような生物は、我々と同種、仲間と言えるような存在である可能性が高い。 

核融合と重い原子

 太陽のような星の中心部では密集した質量が、密集しすぎで高い熱を発し、全てをおし潰そうとする重力に対抗する。
結果的に太陽は巨大なエネルギー装置のようなものとなって、原子を組み換え、その際に変換しきれなかったエネルギーを放出している。
ようするに我々が「核融合」とかいう現象を起こしている。

 核融合というのは、重い原子をこの宇宙に発生させるのに、非常に重要な現象である。

 電子というのは、さらに小さな「陽子(proton)」は「中性子(neutron)」がくっついたものだが、重い原子ほどそれらの構成要素の数が多い。
つまり、重い原子ほど構造的に複雑である。
そして重い原子が、地球のような『岩石惑星』や、さらには「生命体」という複雑な機構を作るのだ。
太陽系 「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性

なぜ水素とヘリウムばかりか

 仮にこの宇宙が、小さな領域から膨張していって、今の宇宙になったという考え方が正しいとするなら、小さな領域の時に高密度に押し込められていたこの宇宙の物質群は凄まじい化学変化(核融合)を起こしていたはずである。
つまり重い原子を多く発生させていた可能性が考えられる。

 しかし実際には時間がなかったとされている。
宇宙の膨張速度はあまりにも早かったために、この宇宙は最も単純な現象である水素ができる時間と、その水素の1/5ぐらいがヘリウムに変換される時間しかなかったらしい。
このシナリオは、我々の望遠鏡などがとらえた光のスペクトル、つまりは原子が放つ色の比率から導き出される、水素とヘリウムの量が、宇宙のほとんどの原子の量を占めているという事実を根拠としている。

人間原理とは何か

重力のちょうどいい強さ

 これはかなり間違いない話だが、生命体というものを作るためには、水素、ヘリウム以外の、この観測可能な宇宙において少ない、 周期表の原子番号3以上の原子を使わなければならない。
化学反応 「化学反応の基礎」原子とは何か、分子量は何の量か
少なくとも地球の生物を作るためには「有機物(organic matter)」、つまり炭素化合物が必須なようである。

 基本的に、もしこの宇宙にクリエイターがいるとするならば、そいつは我々を作るために、よほどうまく様々な数字を調整したと考えられている。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性
例えば『重力(gravity)』の強さがそれだ。

 広がっていると思われる空間を、どういうふうに考えるにしても、(例えばそれもまた量子的なものであろうが、古くから考えられるような物質が置かれる普遍な場所的なものであろうが)質量のある物質なら重力の影響を受けるのは確かである。
ループ量子空間 「ループ量子重力理論とは何か」無に浮かぶ空間原子。量子化された時空
 もしも重力というものが強すぎる宇宙だったなら、物質がばらけることはなかっただろう。
どこかでばらけ出したとしても、すぐさま収縮に転じる。
 逆に重力が弱すぎたなら 物質が集まり星や「銀河(galaxy)」を形成することもなかったろうただひたすらに宇宙中にめちゃくちゃにバラけていただけだ。

強い人間原理、弱い人間原理

 重力は一例に過ぎない。
この世界では様々な物理の数値が、まるで今のこの宇宙を作るために調整されているようである。
そしてこのような宇宙でなければ、我々も生まれなかったはずだ。

 重力が絶妙だったから宇宙はうまく広がり、かつ星を形成した。
そして陽子と中性子をつなぐ核力や、電子や原子核を引き付けあう電磁気力がちょうどいい強さだったから、原子が生まれた。
もし仮に神がいて、「あなたたちを作るために、こういうふうに数値を調整した」と言われても実に納得できる。

 初期の宇宙でインフレーションを起こした と考えられているダークエネルギーなどは、まさしくこの宇宙の調整のために、完成品に付け加えられたパッチのようですらある。
インフレーション 「インフレーション理論」ビッグバンをわかりやすくした宇宙論  
 そういう事実から二つの可能性が考えだせる。
一つは「この世界は神が人間のために作った」というもの。
もう一つは「このような宇宙でなければ人間は生まれてなかっただろう」というもの。
この考え方の前者を『強い人間原理(Strong human principle)』と言い、後者を『弱い人間原理(Weak human principle)』と言う。

(注釈)ビッグクランチ

 原子という微小なスケールでは、重力は基本的に無視してよいものだ。
重力というものが何よりも強くなるようなことがありえるのは、それの有効範囲が無限にわたり、かつ常に引力であるからである。
ブラックホール 「ブラックホール」時間と空間の限界。最も観測不可能な天体の謎
 無限というのは大げさなのかもしれないが、しかし今のところ、どこまでも広がっていくように思われる力としては、他に電磁気力もある。
森の扉 「無限量」無限の大きさの証明、比較、カントールの集合論的方法
だがこの力はよく知られるように、電荷の符号の違いの組み合わせによって、単に引力でなくて、斥力にもなりうる。

 とにかく、質量があるなら、それは重力を発生させる。
そして質量が多ければ多いほど重力は強い。

 この世に物質は溢れている。
それらの密度がある程度以上高ければ、重力は、 それの影響を受ける物質を、最終的にはある一点に収縮させる可能性は高い。
つまり「ビッグクランチ」と呼ばれる、我々がビッグバンというような現象の逆のことが起こりうる。
だがそれは本当に、我々がビッグバンと呼ぶような現象の逆のことなのだろうか。

なぜ岩石のためではないと言いきれるのか

 弱い人間原理は多くの人に支持されている。
一方で強い人間原理は、過激な思想ともされやすい。

 カール・セーガンなどは、人間原理という言い方自体が、我々のうぬぼれだとした。
なぜなら、この宇宙でなければ存在しなかっただろうものは人間以外にもたくさんあるからだ。

 例えば岩石はこの宇宙にしか生まれなかったろう。
なぜ多くの人は、人間のために世界が作られたと思うのに、岩石のために世界が作られたとは思わないのか。
我々こそ偶然の副産物かもしれないのに。

人間が重要なのは、宇宙を観測できるからなのか

 実際には、この宇宙を観測できるという事を重視する人は多い。
つまり人間が宇宙を観測できなければ、宇宙は認識されなかったから、宇宙などないも同じ。
宇宙は自らを存在たらしめるために、人間のための構造を持つ、というような考え方である。

「人間が住む地球は、極限状態である「特異点(Singularity)」の正反対側」というような言い方すらある。

 しかし、人間のためと考えているのは人間であり、それ以外に根拠はない。
むしろ誰のための宇宙か決定的にわからない今の現状は、今の宇宙は目指すべき宇宙への変化の旅の途中と考えた方が妥当ではなかろうか。
我らが観測可能な宇宙は、主役が訪れる予定もない辺境にすぎないという可能性もある。

やがて人間自身がクリエイターとなるのか

 むしろ人間原理という言葉は、例えば「周期表(Periodic table)」の93番以上の原子のような、自然界には存在しないとされるが、人工的に作り出されることがある原子などに関連する事に対しての方がふさわしいのでなかろうか。
 今はこの辺境の惑星で、原子の比率を少しばかり作り変えるくらいしかできないが、遠い未来に、宇宙の広い範囲を自分たちが住みやすいように作り変えてしまったなら、それはまさしく人間原理と言えるだろう。
クリエイターは人間自身なわけである。

(エッセー)無限か、無からの出現か

 創造者、つまり万物のクリエイターのような存在を認めたくないという人は大勢いるだろう。
この宇宙にはクリエイターがいると考えている人であっても、そのクリエイターを作ったクリエーターがいたということは考えたくない人は多い。
神はいるか 「人はなぜ神を信じるのか」そもそも神とは何か、何を理解してるつもりなのか
 問題は、我々がこれまで考えてきた、どのような考え方を取っても、宇宙の存在は無限であるか、あるいは、どこかで何かが無から生まれたものであるということを想定しなければならないこと。

 最初からずっと存在してた世界。
あるいは何もないところから何かが生まれる。
おそらくどちらかは信じなければならない。

時空間次元の謎。神は三次元人か

逆二乗法則の理由。三次元であるからいいのか

 ニュートンの万有引力のような逆二乗法則は多い。
F=G Mmr2
 つまり1mの距離(r)の時の強さ(F)が1だったとするなら、2mだと1/4、3mだと1/8になるような法則である。
これは我々の世界が3次元であることが関係している。
 ある物体から広がっていく力は、3次元空間では平面に分散されていく。
平面上での分散は、数式では二乗となるわけである。

 もしこの世界が4次元だったなら、 ある物体から広がっていく力は立体に分散されていく。
つまりは、逆三乗法則となると考えられる。

 この世界が4次元以上だったなら、あまりにも個々の変化の度合いが大きすぎて、この宇宙は安定していないだろう。
しかし逆に、2次元以下の世界だった場合は、例えば物と物を交差させることができず、複雑な構造を作り出すことはできなかったはず。
四次元 「四次元空間」イメージ不可能、認識不可能、でも近くにある
 次元の数すらも、人間原理に組み込める。
ひも理論のような折り畳まれた余剰次元を想定した場合は特に、広がった世界が3次元だったのは神の調整と考えやすい。
11次元理論 「超ひも理論、超弦理論」11次元宇宙の謎。実証実験はなぜ難しいか。
 ただ、もしも次元の数までも何者かの調整だというのなら、その何者かが生きている世界はいったい何次元なのであろうか。
3次元の世界でしか生命体のような存在が生まれないとするならば、クリエイターが生命体だとすると、やはり3次元の世界にいるのだろうか。

時間という謎のもの

 時間はよく四つ目の次元と言われる。
明らかに違うことは、それは決まった方向にしか進めないということだ。
時間というものが、空間に比べて特殊な次元であることは確かに間違いないことだろう。
もし時間が2次元であったとすると、我々は過去に進むこともできるだろうと考えている者もいるが、しかしそもそもが時間が1次元などだとして、なぜ過去に進めないのか謎である。

 実際に空間と同じように考えてみよう。
1次元の空間があるとする。
1次元では、例えばどちらかの方向を向いている存在があるのだとしたら、振り返ることができないと思われるから、確かに片方の方向にしか進めないということはあるかもしれない。

 しかし、1次元なら幅がないから、いずれかの方向を向いているという考え自体がすでにおかしい。
それよりも我々が1次元の世界の住人だと考えた時、隣の存在の向こう側に行くことは決してできない。
 これを空間でなく時間の一次元と考えた場合、さらに時間が空間と同じような性質を持つのだとした場合、おそらくは同じ時間に誰も共存できないと考えるのが妥当となるのではなかろうか。

 1次元の空間の住人は、自分の前に誰かがいる場合、その人より前に行けない。
時間がもし1次元で、空間と同じような性質を持つなら、自分と同じ時間にいれる人はいないのだ。
自分の未来にいる人間よりも自分が未来に行くことは決してできないし、おそらく自分と同じ時間に存在している誰かもいない。
だが我々は経験的にそうでないことを知っている。
多くの人間が同じ時間に生きている。

 時間次元はそれぞれの存在に一つずつ存在していると考えれるかもしれない。
だがそうなってくると、一つというのは何なのであろうか。
我々という意識一つ一つに時間が一つなのだろうか。
それとも我々を構成する原子一つ一つに時間がそれぞれあるのか。

それぞれはいつに生きているのか

 個々の時間を考える場合、特殊相対性理論による時間のズレもかなり奇妙である。
時空の歪み 「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙
 我々は大量の原子が集まってできている存在であり、基本的にはどの原子も常に動いている。
もしも、それぞれの原子の時間がほんのわずかでもズレているなら、どの瞬間の原子も、1秒前の過去には、わずかに違う1秒前に存在していたことになるはず。

 もうまともに考えれるような話ではなくなってくる。

 実際にはどうあれ、時間というものを、そもそもこの世界の基本的な要素と考えていない研究者も多いという。
物事が変化することには何らかの原因があるが、その原因がわからないために、無理やりな説明として、我々は時間というものを想定している、というような考え方であろうか。

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