「四次元空間」イメージ不可能、認識不可能、でも近くにある

四次元

一、二、三、四次元

4つ目の空間次元

 普通、『四次元空間(four-dimensional space)』というと、相対性理論(theory of relativity)的なこの世界の事ではない。
アインシュタインが4つ目の次元と考えたのは、空間ではなく、時間である。
つまりこの世界は四次元時空な訳だ。
時空の歪み「特殊相対性理論と一般相対性理論」違いあう感覚で成り立つ宇宙  四次元空間と言うと、まさしく空間次元が4つ。
つまり縦(一次元)、横(二次元)、奥行き(三次元)に加え、もうひとつ、どこかに伸びる事が出来る方向がある空間である。
 (超ひも理論の信望者でもなければ)我々は、当たり前のように三次元空間に生きていると確信している。
実際そうだから、我々には四次元というものが想像しづらいのだろう。

 しかし、目には見えなくとも、原子電気を見つけたり、認識すら出来ないのに、量子の機構やクォークまで我々は見つけた
ヒッグス粒子「ヒッグス粒子とは何か」質量を与える素粒子。その発見は何をもたらしたか  なら同じように、そこにも、どこにも多分ない四次元空間がどのようなものか、我々は知れるはずがないなんて、それこそおかしな話であろう。

ほぼ明らかな事

 一次元には、ただ長さLの線(line)。
二次元には、L^2(縦×横)の面(face)。
三次元には、L^3(縦×横×奥行き)の立体(body)がある。
 零次元にはL^0、Lがなんであれ、ただ1、1個のユークリッド的な点(point)だけある。
ユークリッド的な点とは、つまり「幅を持たないもの」として定義される点である。
平行線問題「第五公準、平行線問題とは何だったのか」なぜ証明出来なかったのか  四次元にはL^4の何かがある事は容易に予測出来よう。
また、三次元には面や線や点、二次元には線や点などがあるので、まず確実に四次元空間でも、より低い次元の図形を描ける。

 三次元の我々から、四次元の何かがどう見えるかも考えられる。
 三次元世界に1枚の紙があるとする。
紙に描かれてるのは二次元である。
あなたが紙に描かれた世界に住む二次元人だとしよう。
三次元の誰かが、その紙に指で穴を開けた場合、普通に考えるとあなたには指でなく、突然、線が見えるものと思う。
 というように、高い次元のものでも、低い次元を貫いたり、通ったりした時には、低次元人にも認識出来る。
ただしそれは自分と同じ次元のものとして。

正確な次元数

 認識するとはどういう事か?
見るという行為は、最もよく使われる認識手段である。
我々は視覚に頼っているからだ。
 見るという行為は、次元を低く認識する。
例えば我々が四角い箱を見る時、基本的には二次元に見えるはずである。
同様に二次元人には、二次元のものが一次元、つまり線に見えるであろう。
 ただしそれを触ったりしたら、つまり見る以外の確かめ方で、我々は同次元のものの正確な次元数を確かめられる。

二次元の三次元人。三次元の二次元人

 認識する、意識というのは何か?
コネクトーム「意識とは何か」科学と哲学、無意識と世界の狭間で  我々は三次元の意識の中にいる。
もし突然、二次元の世界に入り込んだらどうなろう。
自分の意識があるとして、三次元の事を全部忘れたも同じになるはずである。
なぜなら、二次元では三次元のものを考える為の、3つ目の次元がない。

 逆は?
二次元の人が、三次元に来たら?
よく考えてみよう。
この世界には実は三次元のものしかない。
紙は?
極わずかに厚みがある。
描かれた線は?
まず見えている時点で僅かでも幅があり、他から別に見えてる時点で浮き彫りか沈んでいるはず。

 何が言いたいかというと二次元人が、二次元人のまま、三次元に現れる事はまずない。
現れた時点で三次元人になるか、それまで三次元には存在しなかった何かになる。

三次元の一次元人、零次元人

 二次元が二次元のまま、三次元に来たとしたらどのような存在か?
それは奥行きのない面である。
多分横(面側)から見たら見えるが、正面(奥行き側)からは見えない、というような存在になると思われる。
奥行きがないから、ある方向からは確実に見えないだろう。
原子とかのように小さすぎて見えないのではなく、はっきり言って存在してない。
「そこには0mあるではないか」と言うようなものだ。
個人的にはまだの方が信じれる。

 同じように想像してみたら、三次元世界に一次元人、零次元人は存在出来ないかもしれない事もわかる。
一次元人は幅なき線である。
それを三次元空間においたとして奥行きも幅も0mのものをどうやったら確認出来る?
ただ長さがあるから、多分触る事は出来る。
端から端に、何かあるのは確かめられる。
 零次元の点に関しては、もうお手上げであろう。
ゼロの空間的な何か「ゼロとは何か」位取りの記号、インド人の発見  つまり、三次元で消えたり、現れたりするのに、四次元を想定する必要はない。
低次元に行けるならそれで十分である。

四次元人から見たら

 では四次元人が三次元世界に来たら?
当然その四次元人は、もはや四次元人ではなくなるだろう。

 三次元人が二次元に、二次元人が三次元に、というと現実味が薄い。
生命という複雑な機構を、二次元世界で実現できるとは考えにくいからだ。
 しかし三次元では現に我々が存在している。
だから多分、四次元にも生物は発生できるだろう。

 四次元と三次元の行き来は、三次元と二次元の行き来よりは現実的な話に思える。

 だが、四次元の者は三次元になる。
ここで疑問が浮かぶ。
想像上の世界すらも現実の次元に縛られてしまうのだろうか?
 三次元から二次元の場合もそうだが、考えられなくなってしまうのだろうか。
自分が前にいた高次元を。

 また三次元人が四次元世界に行ったら?
三次元人のままならどうなるか?
 それは三次元世界の二次元人のようになると考えられる。

残る、気になる話題

 三次元に二次元人のまま現れた二次元人に、三次元はどう見えるか?
見えるというのをどう判断すればわからないが、三次元人にすらこの世界が二次元に見えるのだから、三次元には見えないだろう。
 続いて触って見たりするのは?
二次元の物の気持ちになって、三次元の物に触ると想像すると、多分、二次元人には、それが二次元か、三次元の表面化の区別がつかないのが推測出来る。

 つまり二次元人には三次元は認識出来ない。
同じ事が、四次元の三次元人にも言えないだろうか。

 では二次元人は、三次元では三次元人に。
三次元人は、四次元では四次元人になるのだとしたらどうか?
 それには大きな問題があるように思える。
つまり、その場合新たに追加された次元の長さはどのように決まるのか?
答が出なさそうなこの問いを避けるには、高次元人には決してなれないと考えるしかない。

零次元。存在するはずのない世界

 零次元が何かは明らかである。
ただの点だ。
幅のないもの。
それは何もかも0であるのと同じ。

 なら零次元のものなどないのだろうか?
何かあるというのは次元がある事だ。
次元が零なら、やはり何もない。
何かあったならその時点でそれは零次元でない。

 じゃあ妥協しよう。
零空間はありえるだろうか?
 現実のこの世界で、第4の次元とされる時間だけある零空間なんてのがありえるだろうか?
仮にこの世界で、適当な一点を零次元世界としたなら、それでそのような零空間世界と言えるかもしれない。
 しかしそれは、あくまで三次元世界で仮定されたものだ。

 こう言おう。
零次元(無)でも時間次元を伸ばす事が出来るだろうか?
出来る?
時間経過、どこでしてる?存在してない世界で?
 出来ないと考えるのが妥当に思える。
しかしもし出来ないなら、時間次元とは何なのか。
それには必ず空間も必要なのだろうか?

 大胆にこう言ってもいいかも。
時間は本当に次元なのだろうか?

一次元。ほんとに一方通行?

 よく一次元は一方通行と言われる。
あるいは一次元人には身長以外のステータスがないと。
 ほんとにそうなのだろうか?

 一次元は線、横幅はない、ただ長さのみの空間。
仮に一次元生物なんてのが存在するとして、というか一次元世界があるとして、そこにある物全て区別なんてつくわけない。
長さなんて計りようもない。
なぜなら全部が世界そのものに重なっているに等しい。そこの住人には、ただ点(しかもそれは見えない点)しかない。
 高次元の我々から(見れるとして)見たら、世界と住人の区別は一切つかないだろう。

 全部重なってるのに、なんで他人が邪魔になりうるのか?
仮に他人をスルー出来ないならば、世界と重なってる事も出来ないのではないだろうか?
これは一次元世界には、その世界の何かというのが存在しない事を意味しているのかもしれない。

 次に時間の事を考える。
一次元世界は、線だ。
線という事はつまり存在している。
よって時間があってもおかしくない。
とすると時間次元がありえる最低条件は、一次元以上の空間なのだろうか?

二次元。人間は誕生しうるか?

 零次元、一次元に比べたら想像はしやすいだろう。
最も気にすべきなのは、やはり、二次元世界に生命は誕生できるだろうか、という事だろうか。

 しかし考えてみたら、三次元の我々が動く機構は、元を突き詰めれば、素粒子のふるまいに違いない。
素粒子が動く機構がまったくわかっていないので、普通にどうしようもない。
 だが、古くから科学者と呼ばれる人達がやってきたように、とりあえずわからない事はどっかに置いておいて、そういうふるまいがあるのだと仮定しよう。
 つまり原因はわからないが、何らかのオート運動を行う物質があるものと考える。
 なるほど、そんなものがあるなら、少なくともオートで動くマシンは作れそうである。

 では生物、むしろ人間を作ろう。
普通に考えるなら脳を作ればよい。
形にはこだわらなくていい。
例えば、何かいい事があったら、脳に繋がる専用の領域に、嬉しいという事を示すような形が現れる。
嫌な事があったら、その専用領域に、悲しいという事を示すような形が。
 これこそ二次元人にとっての心、感情、意識、人間ではないだろうか。

三次元。ほぼわかりきってるつもり

 二次元人にとっての心を考えてみよう。
前項のそれは、今、我々が心の仕組みだと考えているようなものの二次元版である。

 もし本当にそうなら、我々が想像の世界にすら四次元を描けない理由がわかる。
想像領域も三次元なのである。
もしかしたら、それはどこかにあるかもとさえ言える。
少し無理はあっても。

四次元。

それは近い

 三次元空間で様々な図形を見るだけでわかる。
高次元はすぐ近くにあり得る。
 点は線に繋がる。
線は面に繋がる。
面は立体に繋がる。
なら立体は、四次元の何かに繋がるだろう。
 もし我々に認識出来ない第4の空間次元があるなら、それは非常に近くにあるはず。

 いくつも切り取られたものだ。
一次元の線は、二次元の面の無限小、つまり、 無限に切り取られた最小の面とも言える。
極限の面という方が正しいと思われる。
で、二次元の面は同じように、極限の三次元の立体である。
では立体は、それに当たる何かはよく『超立体(hyperspace)』と呼ばれるが、その超立体は、立体を無限に繋げたもの。
つまり逆に、立体は、極限の超立体である。

最小の図形

 各次元における最小の要素で作られた図形を考えよう。

 一次元に図形があるなら、それは点と点に囲まれた長さだろう。
点は長さがないから、図形とはいえないが、一次元の唯一の図形、すなわち線は点と点の間にあるものだ。
それしか図形がないのだから、当然最小の要素の一次元図形は、2個の点で囲まれた線である。

 二次元、すなわち面の図形は、2本以下の線では描けない。
例えば円は1本の線で描かれてるではないか、と言いたくなるが、曲線というのは、幾何学的には、無限個の方向の違う線と言った方が正しい。
つまり最も要素のすくない二次元図形は、3つの線で囲まれた三角形である。

 同じように考えると、最小要素の三次元図形は、4つの三角形に囲まれた四面体である。
 ここから容易に予想できるのは、最小要素の四次元図形は、5つの四面体で囲まれた何かという事である。
その何かは『五胞体(5-cell)』と呼ばれる。

 胞とは、平面で囲まれた領域の事。

三次元こそ全てなら

 四次元空間があるとして、そこには三次元のもの全てあるだろうか?
多分あるだろう、三次元にあらゆる(擬似的かもしれないにせよ)二次元があるのと同じだ。

 むしろ気になるのは、四次元世界の二次元体である。

 三次元世界で、真の一次元は見えない。
ただ触る事のみ出来る。
という風に考えられるが、四次元人にとっては二次元もそうだろうか?

 また当然気になるのが、一次元がどうなっているのか。

 幾何学者は、昔から4次元以上のn次元について、計算によって、その性質を決めてきたが、実際にそれが、そのn次元人にどのように認識出来るかは答えられないでいる。
 ある意味それは、この世界が3次元である事の証拠と言える。
もっとがっかりな事を言うならば、3次元しか存在しないものなのかもしれない。

12 COMMENTS

相賀正久

神の存在する世界は四次元の世界らしいけど??

猫隼

 個人的には、正直、神様という存在の定義がよくわからない。
人間か世界を作った存在なのか。
世界をコントロールしている存在なのか。
全知全能の存在なのか。
ただの特殊な存在なのか。
魂とかの支配者なのか。

 けどもし世界を作った誰かが四次元の人なら、その誰かはこの世界を、私達が映画やアニメ見るみたいな感じで楽しんでるのかも、と思います。
四次元人が神なら、この世界は多分ゲームだな、と思いました。
 しかし神様がどういう存在であれ、私達を完全にコントロール出来ているとは思いません。
というか、もしそうなら、私達に意思というものはないに等しい事、とすると結局何もかも無意味になると思いますから。
 神様のコントロールが効いてないとするなら、世界は生きたアートかな、とも思います。

次元大好

楽しく読ませて頂きました。
3次元空間において
・見えないが触れられる1次元的存在
・ある方向からしか見えないし消えたりする2次元的存在
物理に明るくはないのですがいずれも心当たりがあるような気がします。
力(force)が1次元,光が2次元とは考えられないでしょうか?

猫隼

 ある意味、未来の議論ですね。
現在は(もしかしたらずっとかもしれないけど)、力とは何か(空間の作用か、粒子同士の間の影響か)、と議論されてるような状況です。
光に関してはもっと謎だらけですが、例えばこれは、光子という、電磁気の力を伝える粒子の流れ、だとかいう説があるようです。
 力と言うのが、今考えられてるどのようなものであったとしても、それは次元と言うより、いくつか以上の次元が合わさった時に、副次的に発生するものみたいと、個人的には考えます。

 もっと(創作のアイデアとして使うみたいに)大胆に解釈してよいなら、一次元(でも何次元でもいいけど)があり、それが力として、それとは別に一次元目に影響を与える二次元、つまり(一次元目に作用し、力と呼ばれる影響を発生させる)光があり、あたかも力が内部に存在してるような、つまりこの空間のような世界を構築するとか。
しかしそう考えたとしても、力と光は性質が違うか、何次元目になるかで性質が変わると想定する必要があると思われます。
 これは、光を、力を伝える粒子と考えた場合におけるただの一例です。

 そういう意図で聞かれたのではないかも知れないですけど、「考えられるか?」、というのなら、「考えられる」とは思います。
人間の想像力は、その個人個人が自分で思ってるより、きっと凄い、と信じてます。

 とりあえず楽しく読んでくれて非常にありがとうございます。

いろあ

つまり
0×∞で次元をひとつ上げる?
0÷∞で次元をひとつ下げる?
なら0×∞、0÷∞が0ではない状態にすると次元の認識または解釈が可能?
0ではない状態こそが別の次元?

いろあ

0×∞のとき下の次元を0と解釈してそれを∞数並べて次元をひとつ上げるとすると4次元は3次元を0と認識可能な視点?3次元からすると2次元を横からみて0と解釈するように3次元を4次元的視点からみると0にすることが出来るはず。
話は変わって3次元からすると1次元は0と認識、2次元は面のみの1と認識、ならば4次元こらすると3次元を2次元的な1と解釈、2次元を1次元的な0という解釈ができるならば1次元はというと3次元からする0次元的解釈になるんじゃないだろうか。表すことが出来ないような空間そのもののような。
話をもどしてつまり、3次元を面的に捉えることで4次元からする2次元的な1を作れるのではないでしょうか?この場合の問題点としては面的なといってもおそらく2次元的な面にはならないということです。そこをおそらく3次元では認識できない、名前がない状態だとおもいます。3次元からする2次元の0解釈のように4次元からする3次元の0解釈を理解できれば4次元での認識を可能にするのではないでしょうか。ここでの仮定は次元を認識できるのは認識する次元から下の2次元のみとして、それより下の次元は表現できない状態にあるということ。次元を上げる(または下げる)にはその次元を0と解釈できる必要があるということです。
所詮仮説です。認識不可能なものについては仮説を無数に立てていって証明という方法しかないと思いますが。

猫隼

とりあえず考察してくださったこと、無上の喜びです

例えば四次元空間からの視点に関するような認識不可能なものは、証明をできたとしても、実際に観察データなどによる裏付けを得られない。
だから例えば必要条件を間違えているかもしれないなどの不安がいつまでも残ると思います。

けどそういうのはともかく、お話かなり興味深く、個人的に楽しめました。
「0ではない状態こそが別の次元?」
「3次元からする2次元の0解釈のように4次元からする3次元の0解釈を理解できれば4次元での認識を可能にする」
これらの部分なんか、正直、自分なりに解釈して創作のネタに使いたいと思ったくらいです。

いろあ

こちらこそありがとうございます。
未知の世界を想像して人に聞いて貰うことが出来たのはとても楽しかったです。
創作がんばってください!

小麦

こんにちは。
SF小説「三体」を読んで次元について考えていたところ、面白い記事を読ませてもらいました。私もちょうど同じようなことを考えていたのでついコメントしたくなりました笑

宇宙というのは四次元的な球体で構成されていると言われています。例えば空のどこか一点を目指して永遠に直進すれば、いずれ自分のいる場所へ帰ってきます。ボールの表面を虫が一周するのと同じです。

もし一次元人が存在するとすれば、彼らは二次元の円で構成された宇宙にへばりつくように暮らしていると考えられます。
同様に二次元人は、三次元の球で構成された宇宙の表面にへばりついて暮らしています。
とすれば、三次元人である我々は四次元で構成された宇宙の表面にへばりつくように暮らしているはずです。

さてここで、どこか障害物のない開けた場所に行って両手を水平にまっすぐ伸ばすとします。その両手が(未知の作用によって)延々とまっすぐ伸びていくとすると、いつかどこかで(宇宙の反対側で)右手と左手が触れる点があるはずです。その時、人は四次元の形を理解できるでしょうか?また、自分の体はどのように視えているでしょうか?もし視力が限りなく良いとしたら、両手が触れている宇宙の反対側を視ることは可能だと思いますか?

なお、私は物理学素人のド文系ですので全く見当違いの解釈をしていたらすみません。

猫隼

コメントありがとうございます

>>SF小説「三体」を読んで……
 最近のSFあまり知らないので、この小説知りませんでした。
けど面白そうですね。

>>どこか障害物のない開けた場所に行って両手を水平にまっすぐ伸ばすとします。……その時、人は四次元の形を理解できるでしょうか?
 トポロジーという分野の予想にポアンカレ予想というのがあります(いつか必ず記事書きます)。

 時間などというものは無視して空間が三次元だとして、自分で手を繋ぎって、空間平面をつなぐループを作っただけでは、まだ世界が球体かどうかはわかりません。
ドーナツの形とかでも、そういうループは作れます。
ただし、手を繋いだまま、そのループをどこか一点に縮められるなら、トポロジー的には確実に球体であることが証明されています。
トポロジー的な球体とは、「穴のあいてない形」とでもイメージすればOKと思います。

 ポアンカレ予想は、「ループをどこか一点に縮められるなら球体」という予想で、証明されたのは21世紀と、わりと最近です。

 つまり手を自分で繋いで宇宙にループを作れば、一点に縮められるかどうかで、少なくとも宇宙が「リング」とか「ドーナツ」とか「取っ手付きコップ」の形じゃないことはわかるはず。
だけど完全に正確な形となると、かなり努力が必要と思います。

 またポアンカレ予想は、空間が四次元や五次元だとしても同じように考えられるとやはり証明されているそうです(面白いのが、三次元の場合より先に証明された)。

>>もし視力が限りなく良いとしたら、両手が触れている宇宙の反対側を視ることは可能だと思いますか?
 手の場合もそうだけど、この話はもはや「見る」という領域じゃないかもしれません。

 しかし光速有限の都合や、宇宙の膨張を考慮に入れないでいいような、ファンタジーの千里眼の究極系みたいなの持ってるとすると、個人的には、非常に面白い光景が見えると思います。
おそらくは光速より早いものがないので、(あくまで自分にとっての)あらゆる過去の情報、あるいは相対的な未来の情報が見えます。

匿名

1次元の線を、ゼロ次元の点を軸として回転すると2次元の平面に、2次元の平面を、1次元の線を軸として回転すると3次元の立体になります。ということは、3次元の立体を、2次元の平面を軸として回転すると4次元の超立体になるということでしょうか。

また、ゼロ次元の点を1次元の線にするときには一体何次元の何を軸に回転するのでしょうか?ただの点が真っ直ぐ動く現象に、「回転」の本質やさらなる低次元の存在を感じます。あるいは、単にゼロ次元には例外的に回転の概念がないのかも(ゼロ除算的な)、とか考えました

猫隼

>>3次元の立体を、2次元の平面を軸として回転すると4次元の超立体になるということでしょうか
 これはそうかと思います。
それどころか二次元空間上で、平面を線を軸に回転させるように描くと、普通に二次元に押し込められたような三次元物体の絵ができるから(四角回転させたら円筒になった)。
三次元で、三次元物体を二次元体を軸に回転させたら、三次元上に押し込められた四次元物体になるかも。
四次元空間における二次元を軸とした回転の実際的なイメージがないから、きついけど。

>>ゼロ次元の点を1次元の線にするときには一体何次元の何を軸に回転するのでしょうか
 一次元の空間において、点を軸に線を回転させるのは、普通には不可能ぽいから、回転運動は現実には二次元空間以上の要素かも。
でも一次元空間や、ゼロ次元空間でも回転ができると強引に仮定しよう、と思ったけど、ゼロ次元は無理な気がしてきました。
(点がひとつの)ゼロ次元には(最低でも二つの点を必要とする)空間の広がりという要素がなくて、回転に限らず運動(空間内の広がりを移動する行為)がそもそもできないのかもしれません。
個人的にはそのように考えるのが妥当に思います。

 というか、逆に三次元に押し込められた超立方体から、四次元の運動について考えられるんじゃないかとちょっと思いました。
なら面白いかと思います。

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