「メンデルの法則」分離、独立、優性、3つの法則とその例外。遺伝子地図

ダーウィン、ウォレス。適者生存の進化論

 地球生物は、その性質を無自覚に変異することがあり、 その時その場所の環境に、最も適応したものが生き残るという「適者生存(survival of the fittest)」の理論が働くことで、 結果的には時とともにその姿を変えていく。
また、時間が変化をもたらすように、場所の違いは多様性をもたらす。

 19世紀中頃のイギリス。
チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin。1809~1882)とアルフレッド・ラッセル・ウォレス(Alfred Russel Wallace。1823~1913)は、上記のような「自然選択説(natural selection)」に基づいた「進化論(theory of evolution)」を提唱した。
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これはなかなか説得力ある進化論に思われたが、大きな問題がひとつ。
それは『遺伝子(gene)』というものが発見されていなかったこと。

 無造作に変化をする生物の内、その時々の環境に対応した個体が生き残り、その形質が受け継がれていくというダーウィンらの進化論。
しかしそういう適当な変化が、進化という現象の原因なら、その時々に対応した性質を、次の世代に受け継がせる要素が必要なはずだが、そういうものが発見されていなかったわけである。
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交配実験と遺伝の法則

 メンデル(Gregor Johann Mendel。1822~1884)の時代には、遺伝子という言葉はまだなかった。
少なくとも一般的ではなかった。

 20世紀初期頃。
遺伝子という言葉をこの分野に導入したのは、デンマークの植物学者ウィルヘルム・ヨハンセン(Wilhelm Ludvig Johannsen。1857~1927)。
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そして「遺伝学(genetics)」という用語を公式に使用したのは、イギリスの生物学者ウィリアム・ベイトソン(William Bateson。1861~1926)だったとされる。

 ヨハンセンは、『遺伝子型(genotype)』、『表現型(phenotype)』という用語の発案者としても有名。
また、ベイトソンは、メンデルの研究を英語圏に紹介した人とされる。

 geneは「起源」を意味する古代ギリシャ語が由来らしい。

司祭の興味

 オーストリアの司祭であったグレゴール・メンデルが、植物のエンドウ(Pisum sativum)を使って、有名な遺伝実験を始めたのは、1853年のこととされる。
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 メンデルは、種子の形や色、全体の形状などのような、形質に明らかな違いのあるサンプル同士を意図的に交配させ、その結果を調べたのだった。

 遺伝を調べようとした育種家(品種改良をする人)は、メンデルが初めてではないとされる。
結果的に彼が、有名な遺伝の理論、『メンデルの法則』を発見できたのは、彼が上手く確認しやすい形質ばかりを参考にしたからでないかと考えられている。

純系を起点とした交配実験

 親から子に全く同じものとして受け継がれる遺伝的形質を「純系(pure line)」という。

 メンデルはまず、各形質が純系であり、その上で、ある一つの形質が明らかに異なっているサンプルを二つ用意し、交配させた。
すると子(第二世代)はすべて、一方の親と同じ外見となった。
例えば、黄色の種子と、緑の種子の親の子は、みんな黄色の種子になったという。

 それからさらに、第二世代のサンプルに、第三世代の子を作らせた。
すると第三世代には25%の確率で緑の種子(というより第二世代には見られなかった第一世代の片方の形質)が現れた。

 さらに第四世代の子を作った時に、第三世代の25%の形質は、すべて純系であることが間違いなくなっていた。
ようするに、第二世代のサンプルは黄色でありながら緑の遺伝子を持っていたが、第三世代の緑は黄色の遺伝子を持っていない。

 緑の遺伝子は、黄色の遺伝子を持っていると作用しない。
しかし黄色の遺伝子は、緑の遺伝子があろうがなかろうが作用する。

 上記と同じことを、色以外にも、いくつかの形質で確かめて、メンデルはある結論をくだす。

 生物の様々な形質は、一対の因子(遺伝子)によって決まる。
一対になっているその因子の、一方は母親、一方は父親に由来する。
そして、そのような形質因子には『優性(dominant)』と『劣性(recessive)』の関係がある。
一対となっているのが同じ形質の遺伝子なら、それは純系となる。

分離、独立、優性劣性の法則

 一対になっている遺伝子の個々は『対立遺伝子(allele)』。
緑と黄色の対立遺伝子を持つといった遺伝子構造を、遺伝子型。
種子が黄色といった、実際に形質として現れる遺伝的作用を、表現型。
両親から受け継がれる対立遺伝子が共通している場合の遺伝子型を『ホモ接合型(homozygous)』。
両親から受け継がれる対立遺伝子が異なっている場合の遺伝子型を『ヘテロ接合型(heterozygous)』という。

 母と父の因子が混じりあった子の原型細胞、つまり受精卵が作られる時に、対立遺伝子は一方だけ独立し、受精卵に入れられる。
対立遺伝子のどちらが次世代に受け継がれるかは完全なランダムである。
メンデルはこの性質を「分離の法則(Law of segregation)」とした。

 メンデルは複数の純系の形質を持つサンプルを使った実験も繰り返し、個々の遺伝子型は、それはそれで独立しているという結論にも至る。
例えば「Aa」と「Bb」という、ヘテロ接合型の遺伝子型を持った両親から生まれた子がいるとする。
子は、「AA」や「aa」という独立した遺伝子型を持つことはあっても、「AB」とか「ab」を持つことはない(「BB」とか「bb」はまた別に持つ)。
このような決まりは「独立の法則(Law of independent assortment)」とされた。

 そして、遺伝子型の一方が表現型として優先的に現れる現象を、メンデルは「優性劣性の法則(Law of dominance and uniformity)」としたとされる。

 メンデルの法則とは、上記三つの、遺伝に関する決まりごとを合わせたものである。

染色体研究

 メンデルは遺伝生物学の歴史において最重要の人物と今は評価されているが、彼の功績は生前には評価されなかった。
1865年に彼が発表した『植物の雑種に関する実験(Versuche über Pflanzen-Hybride)』は、当時大論争となっていた進化論と遺伝の関連についてのひとつの答であるというのに、科学界から無視されたとされる。

 遺伝的性質が、受精卵を構成するもの、つまり精子と卵子に伝達されるというのは、1860年代にはかなり明らかとする人もけっこういたそうである。

 また、「生態学(Ecology)」や「系統樹(phylogenetic tree)」、生物分類における「門(phylum)」や「原生生物(Protist)」など、様々な生物学用語の考案者として知られるドイツの生物学者エルンスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel。1834~1919)は、1868年に、精子が核構造(核質)になっていることを示し、核が遺伝に関わっているのだろうと主張したという。

 メンデルの法則は1900年に、ユーゴード・フリース(Hugo Marie de Vries。1848~1935)、カール・コレンス(Carl Erich Correns。1864~1933)、エーリヒ・チェルマク(Erich von Tschermak-Seysenegg。1871~1962)の3人が、それぞれ独立に再発見した。
彼らは3人とも、メンデルの成果を知らないまま、メンデルと同じような実験を行って、同じような発見をして、同じような遺伝の原理を思いついたのだった。

配偶子にわたされるもの

 細胞分裂の例において、染色体の数が分裂前の半分になる場合、それは「減数分裂(meiosis)」と呼ばれる。
また、精子や卵子のような、生殖(子作り)の際に合体したりして、子の原型となる一個細胞を、『配偶子(gamete)』という。
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 メンデルの時代に比べると、細胞分裂時に確認できた『染色体せんしょくたい(Chromosome)』という生体物質の挙動が、再発見時にはかなりわかってきていた。

 1903年には、アメリカの生物学者ウォルター・S・サットン(Walter Stanborough Sutton。1877~1916)が、減数分裂時に、配偶子には、対となっている二倍体(二つセット)の染色体の 一方だけが渡されるという事実に注目。
彼は、遺伝子は染色体の一部であり、対立遺伝子というのは、それぞれ配偶子には片方だけ引き渡される、各染色体対に分配されているという仮説を立てた。

 サットンの仮説は、それまでは独立の分野として考えられていた、遺伝学と細胞学、つまり種の交配実験と、細胞構造の研究の成果を統合する試みともされ、やはり歴史的には重要とされる。

 対をなしている染色体の片方は、「染色分体(Chromatid)」と呼ばれる。

連鎖と乗り換え

 遺伝に関して、メンデルの法則はもはや真理でない。

 対立遺伝子の確定的な優劣は、むしろ珍しい事象ともされる。
つまり優性劣性の法則は成り立たないことが多い。

 また、配偶子に渡される一倍体(二対の片方)の染色体に、遺伝子が複数乗っかっている場合があり、この場合には独立も成り立たない。
例えば一つの染色体に二つの遺伝子が乗っかっている場合、その片方が遺伝した時に、一緒に乗っかっているもう片方の遺伝子も、通常、一緒に遺伝する。
この現象は「遺伝子連鎖(linked jene)」と呼ばれる。

 分離の法則だけは、現在でも、遺伝子を運ぶ染色体の分離のこととして、特に古い考え方と矛盾せずに解釈することができる。

シナプシスの時

 現代でも異なる染色体上に存在している個別の対立遺伝子に関しては、独立の法則が成り立つとされる。

 連鎖の例は多く確認されたが、 これも確実なものではないようだった。
染色体に乗っかった二つの遺伝子が、 減数分裂中に同じ染色体に留まる可能性は、99%以上から50%ほどと一貫していない。

 上記の現象を説明するために、『乗換え(Chromosomal crossover)』という事象が考えられるようになった。
ようするに、二倍体を成すか、成していた相同(つまり似ている)染色体同士の間で、部分的な遺伝子の交換が行われているという考え方である。

 ベルギーのフランス・ジャンセン(Frans Alfons Janssens。1865~1924)は、減数分裂時の乗り換えに関して、見事の説明をしたとされる。

 減数分裂が始まった時、 相同な染色体が「シナプシス(synapsis。対合)」と呼ばれる、互いに平行に並びあった対の状態を作る。
この段階で各染色体はすでに2倍に増えていて実質的には、4つの染色分体が絡み合っている状態となる。
この時に予期せぬ力がかかったりして、各染色分体の特定の箇所での 部分的な切断と それによる入れ替えが発生する。

遺伝子の地図の作成

 ジャンセンの仮説は彼の死後に証明されたが、その証明よりも早く、この仮説は、ある重要な研究に利用された。

 (遺伝子連鎖などを示唆した)キイロショウジョウバエを使った遺伝研究で有名なトーマス・ハント・モーガン(Thomas Hunt Morgan。1866~1945)は、 染色体上で近くにある遺伝子同士は、離れているものよりも連鎖しやすいだろうと推測した。
そうだとするなら、遺伝子が連鎖しやすいパターンと、しにくいパターンの説明がつく。

 非常に重要なのはここからである。
上記の考えが正しいのなら、それはつまり連鎖のしやすさから、染色体上の遺伝子の総体的位置を決めることができる。
つまり『遺伝子の地図(genetic map)』を作ることができることにも、彼は気づいたのだった。
乗り換えが発生した場合の、様々の組み換え方の現れる頻度をモーガンのグループは調べ、1915年までには、ショウジョウバエにおける85個以上の変異遺伝子の位置を確定したとされる。

 しかし数よりも何よりも重要なのは、遺伝子の地図の形であった。
ひとつの染色体の遺伝子は、明らかに一本の線上に並ぶと定義できる。
その配列は枝分かれすることはない。

 古くは遺伝子は液体の形で、精子と卵子が混ざり合った時に、ぐちゃぐちゃに混ぜられるものなのだと考える人も多かったという。
メンデルは、遺伝子は何らかの粒子的なものだと考えたとされる。
遺伝子の位置が線上にあるというのは、それが明らかに染色体の上に乗っかっている粒子的な固形物であることを示している。

数理学者の証明

 今となっては、メンデルが想像していたことがどれほど真実に近かったのかはわかりようもないが、彼の研究が無視されるべきでなかった事は確かである。

 遺伝、染色体の研究によって、進化がどのように発生するのかは、かなり明らかとなった。
配偶者が発生する時に染色体は、かなり正確にコピーされるが、時には変化が起こって、それが突然変異として変化をもたらす。
たいていの場合、それは劣性で、実際的な変化は珍しい。
子供がたいてい親に似るのはそのためである。

 実験で確認される変異は、本当に些細なことばかりに思われる。
そんなものが、多様性ある進化の原因になり得るのかという疑問はあった。
しかし、シューアル・ライト(Sewall Green Wright。1889~1988)、ロナルド・フィッシャー(Sir Ronald Aylmer Fisher。1890~1962)、ジョン・ホールデン(John Burdon Sanderson Haldane。1892~1964)といった数理遺伝学者の研究により、 地球の長い歴史を考えると、現在の多様性につながる進化は、そんなにおかしい現象ではないということも示された。

結局真実だったのか

 乗り換え現象も、対立遺伝子も、 減数分裂による配偶子の生成もその合体も、明らかに生物の多様性をもたらす仕組みである。
こういうシステムがあることを我々は知っていても、いったいどんなふうにして、それができたのかは知られていない。

 もしかしたら誰かが作った可能性もあるし、すべてもっと、単純な原理の見せかけで、我々の勘違いの可能性もあるかもしれない。
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