「日本の年中行事」簡易一覧。宗教。伝統。太陰暦との関係

日本の年中行事

太陰暦と太陽暦の違い、ズレをどう調整してるか

 百済(朝鮮半島南西部にあったとされる古代国家)から、歴というものが、日本に伝わったのは、欽明天皇の頃とされている。
歴代天皇「歴代天皇」実在する神から、偉大なる人へ  それから中国の名前を主に用いて、様々な歴が用いられたが、基本的には太陰暦であった。
太陰暦は、月のみちかけを参考とする歴。

 月は15日ほどで、新月から満月になる。
太陰暦において、満月を陽、新月を陰とする。
また新月と満月の間を『上弦』、満月と新月の間を『下弦』と言う。
月の満ち欠けのサイクルは、大体29日半ほどである。
そこで太陰暦では、大の月、小の月というのを設定し、大の月は30日、小の月は29日とした。
つまり太陰暦では、 1年は354日である。
1年が365日である太陽暦とのズレは、19年に一度、十三番目の月である『閏月(うるうづき)』を設定することで、調整する。

 日本では明治時代から、太陽暦を採用しているが、今でも、潤月という概念自体は残っている。

六曜星の読み方。先勝、友引、先負、仏滅、大安、赤口の意味

 先勝(せんしょう)、友引(ともびき)、先負(せんまけ)、仏滅(ぶつめつ)、大安(たいあん)、赤口(しゃっこう)の六曜星(ろくようせい)が日本に伝わったのは、室町時代とされる。
 六曜星はまた、六曜日でも言われ、日ごとに切り替わり、6日ごとに一巡する概念である。
旧暦(太陰暦)を 基準にしているものなので、新暦(太陽暦)ではかなり不規則な感じになる

 太陰暦において、1月、7月の1日が先勝。
2月、8月の1日が友引。
3月、9月の1日が先負。
4月、10月の1日が仏滅。
5月、11月の1日が大安。
6月、12月の1日が赤口に、あたるようになっている。

 六曜星それぞれの意味は、以下のようになる。
先勝(万事において、朝より昼までにすれば問題なし。ただし昼過ぎより日暮れまでは悪しき時)
友引(葬式を行うのは大いに悪し)
先負(万事において、朝より昼までは悪し。昼過ぎより夕暮れまでは問題なし)
仏滅(大悪日。何事もなるべくしない方が良い)
大安(大吉日。 なるべくなら、万事この日に行うべし)
赤口(悪日。ただし一時、問題なしともなる)

方角、時間の表し方に使われた十二支

 かつては時間や方角を、子(ネズミ)、丑(ウシ)、寅(トラ)、卯(ウサギ)、辰(リュウ)、巳(ヘビ)、午(ウマ)、未(ヒツジ)、申(サル)、酉(トリ)、戌(イヌ)、亥(イノシシ)の十二支で 表していた。
 この十二支の起源は、古代中国の天文学にあるとされる。
どうも木星の運行を、12に分けたのが始まりらしい。
太陽系「太陽と太陽系の惑星」特徴。現象。地球との関わり。生命体の可能性  0時から2時が子。
2時から4時が丑。
4時から6時間が寅。
6時から8時が卯。
8時から10時が辰。
10時から12時が巳。
12時から14時が午。
14時から16時が未。
16時から18時が申。
18時から20時が酉。
20時から22時間が戌。
22時から0時が亥の時とする。
午後午前とは、牛時の前か後か、ということである。

 方角は、「北」が子で、丑と寅をはさみ、卯が「東」。
辰と巳があって、午が「南」。
未と申があって、酉が「西」。
それに子と酉の間に、戌、亥が入る。
 また、北東を艮(ウシトラ)。
南東を巽(タツミ)。
南西を坤(ヒツジサル)。
北西を乾(イヌイ)と言う。

正月の行事、しきたり

年越しそばの意味は金か

 大晦日には年越しそばと言ってソバを食べる。
だがなぜソバなのかは、よくわかっていない。
細く長く生きるため。
安く入手できるそば粉を、金集めにたとえた縁起担ぎ、などの説はある。

 ソバという料理自体が、民間に広まったのは江戸時代の頃らしい。
最初はそば粉に熱湯を加え練ったものだったが、だんだんとだし汁をかけたものに変わっていったそうである。

鏡餅はなぜ鏡か

 後は古くから、神に捧げる食べ物として重宝されていたという。
正月には餅を食べるものである。
特に古くは、三が日の朝に、長寿を願い、固い餅を食べる風習があったという。

 固い餅を食べるのは、『歯固め』の儀式と呼ばれるものである。
歯という漢字は、「よわい」とも読み、年齢の意味もある。
歯固めは、硬いものを食べることで、歯を鍛える。
つまり長生きの為に、命を強くする意味がある。

 神に捧げる餅は、鏡の形になぞらえ、餅の鏡、あるいは鏡餅と言う。
これは八咫鏡になぞらえたもの、という説がある。
天皇家の社「天皇家の雑学」宮家とか、三種の神器とか  また、武士の家では、甲冑などの前に餅を添えて、具足餅とする。
具足餅は、弓矢や武道の神として信仰される八幡神に捧げるものとされる。

門松はいつからいつまで飾ればよいか

 新年に家の前に飾る門松(かどまつ)であるが、これはもともと天照大神が洞窟にこもる際に、鳥居になぞらえて建てた榊が始まりとする説がある。
アマテラス。スサノオ。ツクヨミアマテラス。スサノオ。そして謎のツクヨミ「記紀の三柱神」  やがて榊は松に変えられ、さらに竹を添えられるようになり、門の松になったという。

 松は千年以上生きる木であり、見かけのよさからも、神聖なものとされていた。
また、丈は、「すくすくとよく成長するもの」の象徴である。

 門松を 大晦日の日(12月31日)に飾り付けることを、一夜飾りと言うが、 新年に神様を迎えるのに、たった一夜飾っただけでは、誠意に欠けるとされ、あまり良くないとされる。
それに、29日は苦松と言って、嫌われるようなので、門松は、28日までに飾るのが推奨される。

 また、門松を片付けるのは、現在は1月7日が普通だというが、本来は1月15日までの期間が『松の内』だったらしい。
もう神様が去ってからの事だからか、わりと適当である。

お屠蘇、食積、蓬莱の飾り

 元旦の日にはお屠蘇(とそ)を飲むと言う。
お屠蘇とは、漢方薬などを含ませた酒だが、 これは年の初めに飲むことで、邪気を払い、疫病から身を守れたとされている。
家族で集まり、年齢などに関係なく、順次これを飲んだという。

 正月料理を食積(くいつみ)と言う。
食積は、蓬莱(ほうらい)の飾りとも呼ばれる。
蓬莱とは、蓬莱島という、仙人が住んでいたらしい島のこと。
その島の食物を食べた者は、不老不死になるらしい。

 食積にて食べられるものには、それぞれ意味があるとされる。
米は、「子生める」。
昆布は「喜ぶ」。
栗は、「勝ち来る」。
数の子は「子孫繁栄」
豆は「マメによく働く」
橙は「なかなか落ちない事、家の永続」

節分とは何か。由来。なぜ豆か

 節分とは本来、季節の変わり目のことであったが、どういう訳だか、そのうちに、特に冬と春の変わり目の節分が、重要視されるようになっていったらしい。

 豆や米には霊力があると考えられており、その豆をまくことで邪気を払うという行事は、室町時代に貴族の間で始まったようである。
これが、江戸時代になると、一般の家庭にも普及し、いつからか、門前で種をまいて、「鬼は外、福は内」などと唱えるようになっていったという。

ひな祭り。本来の伝統、流し雛

 3月3日は、桃の節句と呼ばれ、雛人形を飾るひな祭りを行う。

 元々、中国で、3月の初めの方に、 水辺に出て厄災を祓う禊の風習があったらしい。
これが日本で、祓いの儀式と結びつき、汚れを形代、つまり身代わり人形に与え、それを川や海などに流す事で、穢れを祓ったのだという。
 この『流し雛』と呼ばれた儀式に使われる人形が、貴族の女の子たちの間で遊び道具となり、そのうちに、祓いの儀式としての意味が薄れ、女子の成長を祝う祝日へと変化していったそうである。

七夕。願いが叶う祓いの日

 七夕とは7月7日の夜の意味で、「なのかのよ」が転じたとされる。
 七夕は中国から伝わった概念のようだが、元々は農業の時期を知るための、天文学的な目安のようなものだったらしい。
 織姫と彦星の伝説などは、日本古来の伝説などが混じった形で誕生したとされる。

 民間信仰においては、七夕は祓いの日であり、重要視されてきた。
短冊に願いを書き竹に吊るすと、願いが実現するとされ、七夕の翌日には、お祭りに使った竹や供物を、川や海に流す風習もある。

お盆。先祖供養の時期

 お盆は仏教に基づいた行事であり、7月に行われるのか、8月に行われるのか、地域によって違ってたりしてはっきりしない。
お寺「仏教の教え」宗派の違い。各国ごとの特色。釈迦は何を悟ったのか 本来は、地獄で苦しみを受けている人達を、この世から供養してやり、その苦しみを少しでも和らげてやろうという慈悲の行事だったらしい。
 日本では、どちらかというと、ご先祖様に感謝を捧げる行事というふうな意味合いも強い。
 

お月見。なぜ秋に行うか

 旧暦における8月15日の満月の夜。 
お供え料理を用意し、月の美しさに親しむ、お月見。
例によって、この習慣は中国から伝わってきたようだが、日本でも9世紀頃にはすでに一般的なものだったとされる。
 旧暦では7月、8月、9月が秋とされ、8月15日はちょうどその真ん中にあたる。
なぜ秋なのかはわかっていない。
ただ寒すぎも暑すぎもせず、天候も落ち着いた時期という事なのかもしれない。

 お月見の日には、団子やサトイモやススキなどを飾る。
他には、とにかく秋の収穫物を用意するらしい。

中元。お歳暮。お世話になってる人へのお礼

 中元(ちゅうげん)というのもまた、7月15日なのか、8月15日なのか、あまりはっきりしない。
旧暦では7月15日だったらしい。

 かつて中国では、1月15日を上元、7月15日を中元、10月15日を下元として、『三元』と呼び、節の日としていたようである。
これがなぜか。日本では江戸時代に、中元のみにされ、お世話になっている方などにお礼する日となったようである。

 似たようにお世話になってる人に対してお礼を伺ったりするための期間が、12月1日から28日ぐらいまでであるお歳暮(せいぼ)という時期。
中元が日頃お世話になっている人に対して、お歳暮が今年お世話になった人に対してのお礼、というような意味合いがある

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