「鬼」種類、伝説、史実。伝えられる、日本の闇に潜む何者か

筆使い

中国の鬼 ~漢字から読み説く~

 『おに』という概念は中国にて生まれた。
少なくとも古い記録は中国にある。

 しかしながら、古代中国の人たちにとっての鬼は、後に日本で独自に進化し、たどり着いた「日本の鬼共」とはまるで違う。
今、我々が鬼と聞いて思い浮かべるような、恐ろしく、禍々しく、強大な力を持ち、そして儚く哀れな、そのような鬼ではない。
中国の鬼とはどのような存在であったのだろうか?
その答は、鬼という字、それ自体に潜んでいるという。

許慎の説文解字

 中国の歴史上、紀元25~220年にあたる後漢ごかんの時代。
漢の仏教「漢王朝」前漢と後漢。歴史学の始まり、司馬遷が史記を書いた頃 正確には紀元100年頃に、許慎きょしん(58~147)という、当時の大学者が、字の成り立ちや意味について書いた『説文解字せつもんかいじ』という書に、鬼という漢字の解説も掲載されている。
それによると鬼という字は、「由」と「人」と「ム」の三つの組み合わせから成り立つという。

 この字が最初に作られた時に「ム」というのはなく、これは後から加えられた、単に音を示す記号とされている。
そうだと考えられているのは、『金文きんぶん』、すなわち、より古く、紙のなかった時代に、青銅器などに刻まれた文字群の中に、「ム」に対応するものがないためである。
殷の玉座「殷王朝」甲骨文字を用いた民族たち。保存された歴史の始まり  由は「鬼の頭」、『鬼頭きとう』を表す象形文字であるのはほぼ間違いないとされているが、問題はその鬼頭なるソレそのものである。

鬼頭とは何なのか?

 鬼頭とは、
どう解釈しようと「鬼の頭」に間違いないが、だがそうだとすると、結局「鬼とは何か?」という疑問に戻ってしまう。

 鬼頭とは、目も鼻も口も耳もなしの、いわゆる『のっぺらぼう』を表しているという説がある。
また鬼頭とは、長い毛とひじを付けた死者の頭の形という見方もある。

 いずれにしても、鬼頭が普通の人間にとって、よいものでない事は間違いない。
人であるらしい「儿」は、鬼頭を被った、あるいは持ってしまった誰かが足をくねらせ、どうしようもなく膝を地につけてしまった状態を示しているとされているからである。

人が帰ると鬼となる

 許慎よりかなり後、朱駿声しゅしゅんせい(1788~1858)という人が、説文解字の注釈書にて、「人が帰ると鬼となる。鬼は帰なり」と書いた。
だとすると鬼頭は明らかに死者のものである。(コラム1)

 だが「死者は自らには帰らず」と、鬼頭を、術師が死者を呼び寄せる「降霊こうれいの儀式」を表すものだとする説もある。
この説においては、鬼頭とは死者の頭というより、それを象った、あるいは宿す仮面である。
そして儿は、仮面を被り、術者が座りこんだ姿か、あるいは踊り狂う術者の足の縦横無尽ぶりを表していると考えられる。(コラム2)

 鬼頭が指していたものが元々死者の面にすぎなかったとしても、やがては死者の存在そのものが、鬼と呼ばれるようになっていった。

 つまり鬼という字をどう解釈しようと、そこからは死が連想されるように、中国に生まれた鬼とは「この世から過ぎ去りし者」、ようするに死者の事であったのである。
「死とは何かの哲学」生物はなぜ死ぬのか。人はなぜ死を恐れるのか

(コラム1)あるいは生きながら死を背負う

 儿を人が苦しむ様を示すと解釈し、鬼頭をそういうものだと考える。
とすると鬼とは、死した身でありながら、現世に舞い戻った者への罰。
あるいは、死を生きながら背負う者への罰。

(コラム2)死者を使う術師

 鬼頭は、恐ろしい面か?
もし仮に「死者は自分では帰れず」、術師により帰らされるものであり、それが死者側には拒否できぬものなら、鬼のあの恐ろしい形相は、不本意に呼び出された死者の怒りかも。

 つまり面に死者を呼び出し、その面に死者の感情が浮かびあがっているとか。
術師は悪い奴(?)

 しかし術師、いい人パターンもあると思う。
無念を晴らしたい死者を呼んでやり、怒りは復讐相手に向けられてるというパターン。

出雲国風土記に載る、日本で最初の鬼の考察

阿用のひとつ目の鬼

 日本に、鬼という漢字が登場する最初の例として、『大和一族やまといちぞく』(現天皇の一族)が日本を統治する以前に、絶大な影響力を持っていたとされる『出雲国いずもこく』(注釈1)について書かれた記録書である『出雲国風土記いずもこくふうどき』の一説がよくあげられる。
日本神話「日本神話」神々の国造りと戦い。現代的ないくつかの解釈 それは「大原郡阿用郷おおはらのこおりあよのさと」なる地域の名の由来を書いた一説である。

 その話は、すでに老人が語る昔話であり、その内容は以下のようなものである。

 昔、まだそういう名ではなかった阿用あよの地で、ある一家が農作を営んでいたという。
ある日、一家の男がひとりで畑を耕していた時、それは起きた。
突然、ひとつ目の鬼が来たかと思うと、鬼は男を食らってしまった。
男の両親は、その惨劇に気づいてはいたが、あまりの恐怖に、ただ隠れている事しかできず、ひたすら無念の中で、息子の「あよ、あよ」という哀れな悲鳴を聞いていた。
そのいつまでも残された両親を苦しめたであろう悲鳴の言葉が、いつしかその地の名前となった。
                        

(注釈1)九州の大和、中国の出雲

 大和一族は九州の一族である可能性が高い。

 神話などによると、大和一族は日向ひむかという国の王族であった(あるいは繋がりがあった)ようなのだが、この日向は九州のどこかだとされているのである。
日本神話「日本神話」神々の国造りと戦い。現代的ないくつかの解釈  一方で出雲なる国は、現在の島根県に当たるようだが、後世の記録に残る影響力の大きさを考えると、(日本における)中国地方全土を支配していた可能性もあるであろう。

それは本物であったのか?

 阿用の事件はたいてい現実的に、「隻眼を鍛冶職人の表現として、農民と鍛冶屋の抗争」などと解釈される。
だが、もちろん記録にははっきりと「鬼」とある。

 現代とは違う。
現代では、極悪非道な者や、良心を持たないような者を、そいつが確実に人間だとわかっていても鬼と表現したりする。
しかし出雲国風土記は八世紀頃の書であり、鬼という言葉に現代的な響きがあったかは怪しい。

 前述したように、鬼という概念は中国由来であり、その本来の意味は死霊に近い(注釈2)
それが日本に伝わると、鬼には物質的な性質が加わり、さらには恐れられるものとして、やがては、実際に人に害なす、どちらかというと怪物のような存在となっていく。
化け物岩ガゴゼ、土蜘蛛、一本ダタラ「化け物、モンスター妖怪」  もし出雲国風土記のそれが、日本で鬼なる概念が現れた初期の例なのだとしたら、まだ中国的な「死霊としての鬼」と日本的な「怪物としての鬼」の区別は曖昧だったに違いない。

 少なくとも現代的な、「鬼のような」と使われるような意味ではなかったろう。

 そういうわけで阿用の事件は、少なくとも記録した人たちにとっては、決して「鬼のように恐ろしい人間」が起こしたものではなかったと考えられる。
つまり農民の男を殺したひとつ目の鬼は、(風土記を書いた人たちにとっては)実在した鬼だったのである。

 ただし、もちろんこれが恐ろしいものを鬼に例えた最初の例だったという可能性もあるが。

 だがそうだとしても、「ひとつ目」とわざわざ特徴まで記しているのは、やはり単なる暗示以上の何かを想像させられる。
こどもの妖怪座敷童子、一つ目小僧、童子と呼ばれる鬼「子供の妖怪」

(注釈2)鬼は忌むべき

 ただし中国でも、怪物のような存在を鬼と言う事もあるらしい。
また、死者を指す言葉としても、あまり日常的に使うような言葉でなく、むしろそれを使うのはなるべく避けられたりしたようである。

神より恐ろしき神

 では阿用の鬼とは結局何であったのか?

 その時代に、まだ霊と鬼の区別が曖昧だったのなら、それは単なる怪物でなく、霊的な存在でもあったかもしれない。

 男を食らった描写は明らかに怪物である。
男の両親はその様子をはっきり見てもいて、どう考えても、この鬼は物質的に存在している。

 惨劇が畑を耕している時に起きたというのは注目すべき部分かもしれない。
畑を耕すのは普通、朝か昼間であろう。
つまり鬼は陽が照る中、堂々と姿を見せたことになり、後々の伝承によくある「闇に紛れて」などという要素がない。
と、ここまでだと、この鬼はもう完璧に怪物であり、すでに霊的な要素など皆無に思える。

 だが忘れてはならない、この鬼はひとつ目である。

 日本には古くから、先祖を神とする考え方があり、霊と神の区別は曖昧であった。
日本神話においても、神は人を創ったのではなく、あくまで地上に下った神の祖先が人であるらしいから、やはりその境目は曖昧である(注釈3)

 つまり、鬼が霊的であるなら、神的でもあるという事だ。

 より昔には、選ばれし者の片目や片腕、片足などを神に捧げるという習慣があり、阿用の鬼の正体はそうして目を潰された宗教的に特別な立場にいた者であるという説もある。
確かにそのように神に近い者の暴力であるからこそ、人々は怯え、それをより恐ろしい神的なもの、鬼と表現した可能性はある。

(注釈3)天皇はアマテラスの家系

 『古事記』などによると、昔、ただ水が広がってただけみたいな領域に、島を産み落としたのはイザナギ、イザナミという二柱の神で、島の後は、様々な神を地上に生んだ。
やがてイザナミは死に、イザナギもこの世界を優れた三柱の神、アマテラス、スサノオ、ツクヨミに譲った。
ツクヨミはよくわからないが、後にアマテラスの子孫(あるいはその一部)が大和一族となり、スサノオの子孫(あるいは一部)が出雲の家系となったようである。
現在の天皇は大和一族の子孫であるはずたから、天皇はアマテラスの家系という事になる。
アマテラス。スサノオ。ツクヨミアマテラス。スサノオ。そして謎のツクヨミ「記紀の三柱神」

伝えられる鬼談

日本霊異記の万ノ子

 9世紀頃に成立したとされる説話集『日本霊異記にほんれいいき』には、より怪奇的な鬼の話が収録されている。

 例えばそれは「女、悪の鬼に食われる縁にて」というような題がつけられた話である。
 
 それによると、昔、罨地村あむちむらなる村に美人で評判の万ノ子よろずのこという女がいたらしい。
多くの男が万ノ子に愛の言葉を贈ったが、しかし彼女の心はなかなか動かなかった。

そんなある日。
とある男が、当時の高級品である色つきの絹を大量に土産として用意。
万ノ子の真意は不明だが、それでとりあえず彼女の両親は結婚を承諾。
当時は親の決めた事に子は逆らえぬが道理なので、当然今回の事に関して万ノ子に拒否権はなかった。

 そして結婚当日の夜。
万ノ子の両親は気を利かせ、部屋に新婚夫婦を二人きりにする。

 しかし夜が明けると、部屋に残されていたのは、哀れな万の子の首から上と指のみであった。
しかも色鮮やかだった大量の絹は、全て獣の骨になっていた。
カラスの妖怪猫又、鎌鼬、送り狼「動物、獣の妖怪」

狡猾な策略

 万ノ子の一件は、怪奇さでは阿用の話を越えているかもしれないが、鬼談とされながら、鬼の姿が出てこないので、常識的な解釈はしやすい。
つまり単なる恐ろしい事件であったのだと考えても、全く問題ないように思える。

 しかしこの話において万ノ子を食らったのは、題名にも明らかなように鬼であったとされている。

 鬼は、色鮮やかな贈り物を持ってきた男だったのだろうか?
だとしたら、多分粗暴で強力なものではなかったろう。
力があるなら、話にあるような策をわざわざ用いる必要はないはずである。

 だが絹が獣の骨に変わっていたのは、見せかけの手品か、はたまた何らかの術による幻影か。
もしかしたら、全く違う理由で娘を売った悪い親の偽装工作なのかもしれない。

 いずれにせよ、もし男が鬼で、初めから万ノ子を狙っていたのだとすれば、そこにはある意味、単純な力よりも恐ろしい狡猾さが見てとれる。

 あるいはこの話は、ただ単に極悪非道な輩を鬼と称した初期の例か。
とすると鬼は果たして婿の男だけであろうか?

伊勢物語の第六話

 おそらくは日本霊異記と同じくらいの時期に書かれたと考えられている『伊勢物語いせものがたり』という説話集の第六話も、女が鬼に食われる話である。

 大和一族ではあるが、王子の座にはなく、歌人として朝廷に仕える業平なりひらという男が、ある日、恋をしてしまった高子たかいこという姫を連れ去ってしまう。

 しかし逃げる内、豪雨に見舞われた業平は、とりあえず近場にあった一軒の小屋に高子を隠して、自分はその戸の前で一晩を明かした。

 雨はひどく、雷が何度も轟き鳴る不気味な夜であった。
そしてそんな夜を越えた先に業平を待っていたのは、限りなく最悪の結末であった。

 小屋には高子の姿はなかった。
あるいは、首だけが残されていたともされる(コラム3)

(コラム3)地獄においても

 首だけを残すのが、鬼による事件の典型的パターンと言えるほど、首だけ残される話は多いらしい。
理由として、首から上に魂が宿るから、という説がある。
その説は、鬼の話が結局創作だから成り立つ。 
という訳でもない。

 例えば首から上に魂が宿るから、それを食らうとそいつは魂自体を失ってしまう。
そこは鬼が霊的なものだったりすると、そいつの魂を地獄においてこき使ってやる為だとか考える事も出来ると思う。
悪魔の炎「悪魔学」邪悪な霊の考察と一覧。サタン、使い魔、ゲニウス

今昔物語の場合

 高子の姿は消えただけ。
つまりは、これは鬼の仕業ではなく、単に朝廷の追っ手に高子を奪い返されただけの話と考える事は容易である。

 首だけを残した遺体というのは、鬼の話としてはよくあるものなので、そこはそれらしい後付けがされたという可能性は十分にあるだろう。

 だがこれが鬼の仕業だとすれば、やはりそこに強引なやり方はなく、小屋にひとりとなった獲物を、見つけられるより早く上手く襲った、狡猾な様が想像出来る。

 雨と雷は、鬼と何か関係あるだろうか。
雲「雲と雨の仕組み」それはどこから来てるのか? 実は、この業平と高子の話は、十二世紀に成立したとされる有名な説話集である『今昔物語集こんじゃくものがたりしゅう』にも載っていて、そちらでは、まるで雷と鬼が同一であるかのような表現がされているという。

雷神、風神、水神

 実際、『雷神らいじん』と聞くと、「雲に乗った鬼が太鼓を叩く情景」などを頭に浮かべないだろうか?

 また雷神の対のような存在として、よく扱われる『風神ふうじん』にも、雷神と同じく鬼を連想させられる者は多いだろう。
渦巻く風「風が吹く仕組み」台風はなぜ発生するのか?コリオリ力と気圧差  雷神、風神で終わりでもよいが、そこにあえてもうひとつ加えるなら、やはり『水神すいじん』であろう。
雷神と風神がよく対で扱われるのは、おそらく雷神は雨雷、風神は台風と、どちらも天から恐ろしい災害を起こすからだろうが、そこに加える場合に、よく水神が選ばれるのは、多分雷神の雨雷を分離して考える発想からだと思われる。

 で、雷神、風神が鬼ならば、やはり水神も鬼だろう。
だとすれば雨も雷も、やはり鬼と関係深いのかもしれない。

事実と考えられた鬼談(?)

 今昔物語などのような、いわゆる説話集は、どちらかというと伝説や、噂程度の話まで載せていて、純粋に歴史書としてはあまりよいものではない。
鬼の話はたいてい、このような説話集にのみ書かれるが、次の話のように例外もある。

 九世紀も後半頃。
月の綺麗な夜に、松の生い茂る道を三人の女が歩いていた。
すると突然、一本の木の陰から現れた一人の美男子が、女の一人の手を掴み、少しばかり離れた所まで楽しげな話で誘った。

 二人の連れはしばらくは待っていたが、単に話をしていただけのはずの女と男が、いつの間にか死角となり、声も聞こえなくなってしまったので、不信に思い、二人のいたはずの場に近づいて見てみた。

 するとどういう事か?
そこには連れ出された女の手足のみが、残されていたという。
大人の妖怪雪女、山男、ろくろ首「男と女の妖怪」  この話自体は、鬼談として、取り立てて特別な所は何もない。
しかしこの話は、今昔物語などの説話集だけでなく、基本的には信憑性の高い話ばかりを扱っているはずである、十世紀頃成立の『日本三代実録にほんさんだいじつろく』のような歴史書にまで記録されているのである。
いったいどういうわけだか。

 ただこの話は恐ろしくはあるが、鬼などの怪奇要素は薄い。
むしろ広い範囲を扱う歴史書において、このような個人により成された一事件が取り上げられたという奇妙な事実に注目するべきだと見る向きもある。

宇治拾遺物語の馬面

 十三世紀頃成立の説話集、『宇治拾遺物語うじしゅういものがたり』 に載せられた鬼談とされる話のひとつなどは、狂気などだけでなく、愉快さを感じさせる。

 風が吹き荒れ、雨がひどい夜の事。
とある屋敷で、男女が話をしていた。
だが、いつからか雨風の音だけでなく、何か声が聞こえてくる。
諸行無常しょぎょうむじょう、諸行無常」
その声は明らかに大きくなってくる。

 何事かと屋敷の扉を開けてみる男。
すると扉を開けたすぐ先には、馬面の鬼、『馬頭鬼めづき』が立っているではないか。

「うひゃあっ」
と屋敷の奥に逃げる男。
しかし馬頭鬼は屋敷に踏み込み、男に言った。
「よく見ろ、よく見ろ」
だが男は恐怖のあまり、まともに鬼を確認など出来る状態でもなく、女を後ろにかばい、剣を構える。
「ちゃんと見てくれ」とさらに馬頭鬼は言うも、男は体を震わせ、剣の構えはとかない。

 そして馬頭鬼はしばらくすると、もう何も言わず、屋敷を去って行った。

「『百鬼夜行ひゃっきやぎょう』」
男は呟いたという。

 この話はよく、単に馬面の男を、思い込みの激しい男が鬼だと勘違いした、お笑い話として捉えらている。

 また百鬼夜行というのは、名の通り、多くの鬼が群れをなして徘徊する様を指した言葉であるが、これはたいていが深夜に行われ、かつ目撃者は死んでしまうとされた。 

 しかし百鬼夜行を見た誰もが死ぬわけではないのは間違いない。
誰もが死ぬなら、そもそもそんな話伝わっていないだろうから。
まあ死者がそれを語ったのが始まりだったのかもしれないが。

 しかしこの話は、別に百鬼夜行自体の描写は薄く、その言葉も単に男が呟いただけの事であるため、やはり「真実はなんて事ない勘違い話」のように思われる。

 仮にそうでなく、これが本当に百鬼夜行と鬼の話であるのだとしても、登場する誰も死なないこの話は、以前の説話集に取り上げられた鬼談に比べ、明らかに楽しさや明るさを感じさせる。

馬頭鬼、牛頭鬼

 馬頭鬼というのは、名の通り馬面の鬼であり、凄まじい怪力を持つとされていて、よく似た『牛頭鬼ごずき』というのもいる。
牛頭鬼は、牛の頭を持っている以外に、馬頭鬼との違いはないともされる。(コラム4)

 馬頭鬼、牛頭鬼は、『仏教』的な世界観における『地獄』にて『閻魔大王えんまだいおう』の位の高い配下として、『獄卒鬼ごくそつき』と呼ばれる地獄の鬼達の監督や、死者の監視を担当しているという(注釈4)
お寺「仏教の教え」宗派の違い。各国ごとの特色。釈迦は何を悟ったのか

(コラム4)実は変身のヴァリエーション

 馬頭鬼、牛頭鬼は顔以外はほぼ一緒。
なら同一人物として考えてもいいんじゃないだろうか。
こいつらは実は鬼なんかではなく、とある魔術師か何かが変身したヴァージョン違いという事で。
もちろん外見は頭以外同じでも、能力は別々で。
でないと変身を使い分ける意味がないし。

(注釈4)閻魔大王

 人は死ぬと、生前の罪に応じて、楽しみや喜びに溢れた世界『天国』か、苦しみや痛みばかりの世界『地獄』に落とされる。
閻魔大王は、この世ならざる世界の支配者であり、死者の罪を見抜き、その者が天国行きか地獄行きかを決定する裁判官でもある。
またその手には『閻魔帳えんまちょう』なる手帳を持ち、そこにはあらゆる者のあらゆる罪の経歴が書かれているという。

 閻魔大王も、それに仕える馬頭鬼や牛頭鬼、獄卒鬼などはみな、元々はインドの仏教やヒンドゥー教といった宗教由来であり、特に閻魔大王を恐ろしい容姿で描きたがるのは日本人ならではらしい。

 

鬼との闘い

 

酒呑童子

 成人とまだ認められぬ者を童子と言うが、なぜか鬼には童子と呼ばれる者が多い。
酒呑童子しゅてんどうじ』はまさにその代表格である。

 十四か十五世紀くらいに成立したとされる昔話集『御伽草子おとぎぞうし』などに描かれた彼は、恐ろしい容姿に、荒々しい性格に、その成り立ちはしかし悲劇的で哀れでもあり、そして最後には英雄に退治されてしまうと、現代の者が、想像する物語的な鬼の典型である。

神の手助け

 ちょうど十世紀と十一世紀の境目くらい、平安時代中期、第六十六代、一条天皇いちじょうてんのうの時代の事。

 高貴な身分の少年少女ばかりが失踪するという事件が、都を騒がせていた。
陰陽師による占いで、どうやら犯人が都から西北にあたる大江山おおえざんという山に住まう鬼の仕業であると知った朝廷は、鬼退治の英雄として名高い源頼光みなもとのよりみつ(948~1021)を呼び寄せる。
「陰陽道入門」干支と五行についての理解。占いと式神、祓いの術  こうして鬼討伐の任を受けた頼光は、神社にて加護のお祈りをしてから、一部隊を率いて大江山へ向かった。

 仏に仕える者をそうというが、頼光は大江山への道中で、山の鬼、酒呑童子に襲われ、逃げてきたのだという何人かの僧と出会う。
僧たちは、その酒呑童子を退治しに行くのだという頼光たちに、鬼の神通力を奪う酒や、「山伏の格好をしていけば怪しまれないだろう」といった助言を与えてくれた。
実は僧たちの正体は、出発前に頼光の祈りを聞き届けた神霊しょうれいであった。

 そういうわけで大江山に着く頃には、すっかり山伏の一団になりきっていた頼光たち。
彼らはそのままの姿で山に入り、鬼が潜むとされた洞窟の奥に建てられた、鬼共の城へとついに辿り着いたのだった。

頼光の策、哀れなる酒呑み鬼

 鬼たちはしかし、のこのこやってきた頼光たちをすぐに捕まえ、総大将である酒呑童子の前へと連行した。
その容姿は、赤く五本の角が生えた頭に、十五個もの目、黒い右足と白い左足、黄色い右手に青い左手、その背丈は大の大人よりもずっと大きかったという。
ただ一説によると、単に子供をそのまま巨人にしたような容姿ともされている。

「何者だ?」
「都に向かおうとしていたが、道に迷ってしまった山伏です」
酒呑童子の問いに、嘘偽りの返事を堂々と返す頼光。
「すみません。ここに都でも大評判の酒があるのですけど、これで今夜はこちらにお世話になれないでしょうか?」
まさに名前通り酒に目がない酒呑童子は、見事に騙され、頼光たちは鬼の宴に参加する事となった。

 そしてその内に酔いが回って、口の軽くなった酒呑童子は、自らの身の上話すら始めたという。

弥彦山の外道丸

 人を親に持つ鬼は、異常に長い妊娠期間を持って産まれてくる者が多い。
酒呑童子も例外ではなく、彼の母は身籠ってから三年もの間、お腹に彼を抱えていたという。
 
 そうして生まれた彼は、美しい容姿と、どうしようもない狂暴さを併せ持っていた。
その狂暴さゆえ、彼は外道丸げどうまると名付けられ、やがて彼に恐怖すら覚えた両親は、弥彦山やひこやまの寺に、我が子を差し出した。

 寺で何があったか正確な事は不明だが、確かな事は、寺の師を外道丸は恨んでいた。
それともうひとつ、外道丸のそのたぐいまれな美貌に恋してしまった乙女は死ぬという噂があった。
美人のファッション可愛い子はずるいのか?「我々はなぜ美しいものが好きか」天使の恋愛人はなぜ恋をするのか?「恋愛の心理学」  そしてある時。
つまらない噂に嫌気がさして、それまでもらった恋文を全て処分しようと、それらをしまった箪笥たんすを開いた時、箪笥から煙が溢れ、それに包まれてしまったかと思うと、外道丸の姿は恐ろしげな鬼の姿に変わり果ててしまっていた。

 外道丸は憎しみのままに師を殺すと、いくつかの山を渡り歩いた後、最終的に大江山に落ち着き、名を酒呑童子と改めたのだという。

鬼はどちらか?

 そして宴会は進み、やがてはついに神より授かった特殊な酒の効力も相まって、潰れ寝込んでしまった酒呑童子と、配下の鬼たち。
それを確認するや頼光は、酒呑童子を縛り、仲間たちといっせいに斬りかかった。

 そうしてろくな抵抗も許されず、討ち取られてしまう事となった酒呑童子であるが、向けられた殺気に気づいた時に目覚めた彼は、卑怯な手段を用いた頼光たちを声高く罵ったという。

 そして総大将の叫びに次々目覚めた他の鬼たちは、その後も必死に戦ったが、ひとり残さず殺されたのだという。

 まるで鬼となる事をはじめから定められていたようである哀れな外道丸。
鬼相手とはいえ、卑怯な手段を平然と使い、英雄面の頼光。
そして運命を決める何者か。

 いったい鬼とは誰であるのか。
少しばかりわからなくなってしまう。

茨木童子

 同じく童子の名を持つ酒呑童子の腹心の部下として仕えた鬼とされている。
数々の伝説に登場するが、設定がいまいち統一されておらず、ちょっと創作感が強い。

 酒呑童子ほどではないが、十六ヶ月という長い妊娠期間の後に、人間の母から生まれたという。
ところが生まれつき、歯が生え揃い、歩く事の出来たその赤子に笑みを向けられた時、母は衝撃のあまり死んでしまい、父親も子を気味悪がり、近く、茨木村いばらぎむらの床屋の前に捨ててしまった。

 後に捨てられた村の名前から『茨木童子いばらぎどうじ』と名乗る事となるその子は、床屋の元で元気に育ち、見習いとして仕事も始める。
しかしある時、手を滑らせ、客を傷つけてしまった時に血の味を覚えてしまい、だんだんと、わざと客を傷つけるようになってしまう。

 当然、そんな行為を続けているせいで客足は遠のき、床屋は破産してしまう。
義理の父は、ついに子を追い出し、行く当てのない子は、川に移る顔をぼんやりと眺めている内に、いつの間にか鬼と化していたのだという。

 それから子は、名を茨木童子と改め、山に隠れ潜む暮らしを送る内に、酒呑童子と出会い、仕える事になったのだという。

変身能力

 茨木童子には変身能力があり、よく美しい女に好んで化けたという。
そもそも実は茨木童子自身、元々女であるという説もあるが、たいていの話では、彼の本来の性別は男とされている。

 しかし謎の煙という酒呑童子の演出に比べると、水に映る顔を見ていただけというのは、ちょっと微妙な気がする。

 ひょっとするとその時の話は、実は鬼に変わったというものではなく、自身の変身の才に気づいた瞬間だったのかもしれない。

鈴鹿御前

 現在の岐阜県、三重県、滋賀県の境目に広がる鈴鹿山脈にも古くから伝わる鬼の伝説がある。

 鈴鹿御前すずかごぜんは、もし実在したとするなら、おそらくは単に女盗賊であった。
実は彼女が活躍したとされる平安時代には、別に女の盗賊は珍しくもなかったそうである。
もし彼女が有名になった理由が、その実力でなく、物珍しさだったのなら、それは単に女であるからでなく、絶世の美少女か、あるいは美女であったからであろう。

 彼女の伝説もまた様々なものがあるが、本来は単に極悪非道な鬼女であったらしい。 
最終的には、源頼光同様に鬼退治の専門家として名高い坂上田村麿さかのうえたむらまろ(758~811)に討たれたそうである。

 だが彼女を考える上で、最も注目すべきはその名である。
御前というのは、高貴な身分の女性に対する敬称であり、どう考えても盗賊に対する呼び方ではない。
にも関わらず彼女は、鈴鹿御前。

 こればかりは、まさか本当に、ただ美しいから付けられた名ではないであろう。
彼女が鈴鹿御前と呼ばれたのは、実は本当に高貴な血が入っていたか、もしかしたらそれほどに強力な力を持つ鬼であったからかもしれない(コラム5)

 伝承によっては、狙ってくる相手が田村丸なる人物になっていて、その上彼に恋をした鈴鹿御前は、人間の味方となる。
一説では、彼女は元々、日本征服をも視野に入れ、現在の東北地方辺りである奥州にて名高い『大嶽丸おおたけまる』という鬼と通じていたのだが、人間側についた為に、彼を裏切ったという。

 その後、大嶽丸討伐に乗り出す田村丸の手助けさえしたらしい。

(コラム5)私は御前なり

 実は鈴鹿御前は単に盗賊で、単にかっこつけてたり、演出だったり、自らの力を誇示する為に、そう名乗ってたなら、なんてかっこいいか。

大嶽丸

 鈴鹿御前側の伝承に出てくる事もある、この大嶽丸だが、妙な事に、大嶽丸側の伝承と内容が噛み合っていない。
大嶽丸側の伝承では、出生不明で突然現れた彼は、鈴鹿山にて悪事を働く。
この大嶽丸討伐を任された田村丸は、天女である鈴鹿御前の力を借りて、これを討ったのだという。

悪路王

 『悪路王あくろおう』は、東北地方の伝承に残る鬼であり、完璧に創作の可能性が高い大嶽丸の原型だとされる。
つまり現実の鈴鹿御前と通じていたのは彼であったのかもしれない。
 
 宿敵のように坂上田村麿がよく語られるが、こちらは田村丸の原型とされる。
 
 坂上田村麿は、史実として、東北地方を制圧した将であり、立派な体格に、人懐こい人柄であったらしい。
また仏教に帰依していたようで、『仏』に最も近しいという『観音様かんのんさま』に仕えていたという話もある。
鬼退治の話も多いが、彼は八世紀から九世紀にかけての人物なので、つまり彼に退治されたらしい鈴鹿御前や悪路王は、そのくらいの時代の鬼であったという事であろう。

 伝承によると、悪路王は、山の洞窟を拠点として、多くの悪事を働いていた。
そしてある時ついに、岩出山いわでやまという山の守護神たる姫神をさらおうなどという、文字通り神をも恐れぬ計画を企む。
この事を察知した観音様に頼まれた坂上田村麿は、悪路王退治に向かう。
戦いは熾烈を極めたが、一瞬の隙をつき、田村麿が放った矢が、悪路王の首をはねて、その生を終わらしたのだという。

従わぬ者達、アイヌか?

 田村麿は東北地方を制圧した将。
ならば現実の悪路王は、その辺りの先住民、つまり『アイヌ民族』の中でも、特に抵抗した者たちのひとりであったのかもしれない。
アイヌ文化「アイヌ民族」日本の先住民(?)どんな人たちだったのか?  また悪という漢字は、今でこそ悪魔や悪鬼など悪い印象だが、かつては優れた能力を持つ者を指す言葉として使われていたという。
とすると悪路王は、実は悪の王でなく、善き王であったのかもしれない。
少なくとも、朝廷の支配に抗う者たちにとっては。

八面大王

 八つの顔を持つのでなく、「たくさんの顔を持っている」という意味からつけられた名前であるらしい。
それも様々な姿に変身出来る事を指していたようである。

 『八面大王はちめんだいおう』は長野県に伝承される鬼だが、例によって坂上田村麿に退治されたとされる。

 長野の有明山ありあけやまを拠点としていた彼と、田村麿が戦う事になった理由は単純。
八面大王の悪事に困っていた近隣の住人たちが、東北へと向かう途中の田村麿に泣きついたからである。

 しかしすでに田村麿の攻撃を予知していた八面大王は、空から岩の雨を降らせて、その軍を山に近づけさせない。
さらには田村麿が放つ矢も全て、神通力の障壁で弾いてしまう。

 その強大な力に、さすがの田村麿も一旦退却し、観音様に助言を求めた。
すると観音は「十三節ある山鳥の尾で作られた弓矢ならば、あの恐ろしき魔王の能力も封じれるでしょう」と告げたという。

 それはなかなか手に入らなかったが、田村麿が、「それを献上してくれた者には恩賞を与える」という触れ込みを出した後、弥助やすけという男が、それを、しかも矢として完成した形で持ってきた。

 弥助が持ってきたその矢にもまた、ひとつの物語があった。

山鳥の恩返し

 田村麿が有明山を訪れるより三年ほど前。
弥助は年越しの為の蓄えを買うために、家から少しばかり離れた都市に向かっていた。

 しかし道中、一羽の山鳥が猟師の罠にかかっていたのを見つけた弥助は、それをつい助けてやってしまう。
しかも彼は、獲物を失ってしまった猟師の食い扶持までも心配し、都市で使うはずだったお金まで、そこに置いてしまう。

 そんなわけで何も買えるはずもなく、手ぶらで帰宅した彼を、母は一切叱らなかった。
むしろ「いいことをしたね。さすが私の子だよ」と誉めてくれたという。
その優しさは母譲りであったのだ。

 それからしばらくして、一人の娘が弥助の元に嫁いできた。
娘はとても気立てがよく、働き者で、貧しくも弥助と、優しい義母と毎日を楽しく暮らした。

 そんなある日の事。
弥助たちが暮らしていた村に、田村麿の使いが来て、十三節の山鳥の羽を持ってきた者には恩賞を与えると告げる。

 その次の日の事だった。
娘は、「この尾をどうぞ。せめてもの恩返しに」という内容の手紙と、すでに矢の形となっていた羽を残して、どこへともなく去って行った。
娘の正体は、かつて弥助が助けた山鳥だったわけである。

三発の矢による討伐

 観音様のお告げ通り、その矢の威力は絶大であった。
一発その矢を放てば、八面大王は、天候を操れなくなった。
さらに二発目の矢は、神通力の障壁を貫き、そのまま八面大王の体に突き刺さった。
そして三発目の矢にて、その部下達までも恐怖におののき、我先にと逃げ去った。

 神通力を極めし者は蘇生能力すら有するという。
「科学的ゾンビ研究」死んだらどうなるか。人体蘇生実験と臨死体験 だから田村麿は、八面大王が絶対に蘇生などせぬよう、矢を受けて倒れたその体を切り刻み、それぞれの部位を別々の場所に埋めたという。(コラム6)

 こうして、退治された八面大王だが、死に間際に神通力を取り戻した彼は、最後の足掻きではあるが、病気の雨を降らせ、死後なお、近隣住人たちを苦しめた。

 呪いの病気までも消しさる為に、再び田村麿は観音様に助力を願い、観音様は癒しの温泉を用意する事で、苦しむ人たちを救ったそうである。

 また悲しいかな、矢を献上した弥助は、恩賞をもらい裕福になったというのに、いなくなった娘を生涯忘れられなかったのだという。

(コラム6)大王復活を企む者、阻止する者

 この部位を埋めたのでなく、それぞれ信頼できる家来に託し、その一族が保管する事になったとか。
あるいは、八面大王復活を企む輩から、守る為、それぞれの塚に番人が置かれてるとか面白いかもしれない。

技巧派の鬼

 八面大王はあまり有名な鬼ではないが、変身能力に加え、岩や病原まで降らすほどの天候操作や、神通力による予知能力や防御壁、それに結局発揮されなかったが蘇生能力と、相当に強力な鬼である。

 彼を最強だとする説まである。
だが鬼と言えば怪力であり、八面大王の話にはそれを有するような描写はない。
案外多彩な能力で補っていただけで、単純な肉弾戦は苦手だったのかもしれない。
たかが矢の一発を受けただけで倒された事からも、そうだと推測できる。

 つまり八面大王は技巧派の鬼だったわけである。

天邪鬼

 この鬼というより、小鬼である『天邪鬼あまのじゃく』だが、登場する民話や伝説がかなり多く、もはやどこまでが本来の性質で、どこまでが後付けの創作かがあまりはっきりしない。
ただ本来は、『天探女あまのさぐめ』という女の鬼であったようである。

 どうやら昔、ある老夫婦の家に、拾ったうりから生まれた瓜子姫うりこひめという少女がいたらしい。
鬼である天探女は、この少女を殺し、入れ替わってしまうという計画を企む。
しかし結局その正体は見破られ、天探女は成敗されたのだという。

 このような話が最初にあり、いつからか天探女は、男の鬼である天邪鬼に変わり、その天邪鬼という鬼のみが、元々の話から抽出され、全国に広まっていったのである。

 そして天邪鬼は各地で様々な要素を授与され、今、天邪鬼と言えば、怪力や、読心術を持つ鬼として、知られている。

鬼のいなくなってしまった現代

 現代に、現実の物理的な鬼はいない。
鬼は祭事や創作、例え話の中でのみ現れるだけの存在となっている。
夜、町を出歩いても百鬼夜行には遭遇しないし、いくら誰かへの憎しみを募らせても頭に角は生えない。

 これは人がよく物を冷静な目で見るようになった為か、つまり初めから鬼などいなかったのか。
あるいはかつては本当に鬼がいて、今は滅んでしまったのか。

 冷静な目で物を見るようにって、ほんとにそうだろうか?
例えば鏡の前で、夜の闇の中で、一人きりの部屋で、自らに問いかけてみてはどうか。