マイノリティリポート。まだ人間じゃない。パーキー・パットの日々「ディック短編」

映画化されている短編もいくつか

 フィリップ・K・ディック(Philip Kindred Dick。1928~1982)は、現在まで大きな影響を残しているSF作家だが、例えば映画で有名になった作品などには、結構短編もあったりする(『トータル・リコール』や『マイノリティリポート』)。
ロボット(orアンドロイド)、超能力とか宇宙生物、神経操作など、SFらしいアイデアが多いが、長編に比べると、哲学的要素とかより、エンターテインメント性が高い印象がある(だから映画化にも向いているのかもしれない)。
また、時間操作がガジェットとしてよく使われてる感じだが、これは長編ではあまり見ないと思う。
アンドロイドと電気羊。ゲームプレイヤー。太陽系外の友達「ディック長編」

マイノリティリポート

 ディックの作品はけっこう映画化されているが、個人的にこれは(自分が見たことある作の中では)その映画作品が一番好きな作品。
マイノリティリポート
 序盤のプロットは映画版とほぼ同じ。予知能力者を利用した犯罪予防システムにより、凶悪犯罪がすっかりなくなった近未来。その犯罪予防により、犯罪を防止する側の組織に所属している主人公が、自分の殺人事件の未来予測のために追われる立場となってしまう。
映画で追加されたので派手なアクションこそないが、構成としてはミステリー的なところもあって、ディックの短編の中でも、特に物語自体が面白い作品の1つと思う。

予知能力の代償

 予知能力者(プレコグ)に関して、身体的成長が遅く、大人でも子供にしか見えない、という設定がある。
予知能力は、やはり(未来予知自体がどのように生じるにせよ、それを認識しなければ、予知能力は成り立たないということを考えると当然と言えるが)脳の機能に関連しているが、その能力の代償として人間に本来備わっている他の様々な機能が弱まる。つまり「ESP脳葉が前頭葉のバランスを崩す」。
サイキック 超能力の種類研究。一覧と考察「超感覚的知覚とサイコキネシス」
 しかし、その他の精神能力が弱まるとかでなく、体の成長も弱まるというのは、副次的な効果(例えば脳の機能が弱まったせいで、人間として奇妙な生き方しかできなくなってしまって、その影響で身体的成長が遅れてしまう)か、それとも直接的な影響なのか。

未来を変える重要な変数

 予知能力者は、それほど遠くない未来の様々な出来事を予知するわけだが、別に犯罪に関することばかりではない。しかし犯罪予防以外にも未来予知を利用する様々な組織があって、それぞれ必要のない未来の情報が手に入った場合にそれを交換し合ったりもしている。
重要なことは未来予知が意味のあることつまり嫌な未来があれば変えることが可能だという設定であろう。ディックとしては、そのこと(未来がわかったなら変えられるというような世界)についてよく考えてみた結果が、多分この小説だったのだと思う。

 未来を変えられた者にとって、変えられる前の未来とは、自分の存在しない、そしてそもそも起こることなんてなかった行動の結果の未来だ。
未来予知は、そもそも未来を狂わせる変数になりうる。
では予知能力者は、どの段階の未来を見るのか。
タイムトラベル 「タイムトラベルの物理学」理論的には可能か。哲学的未来と過去

ジェイムズ・P・クロウ

 なかなかぶっ飛んでて、面白い世界観。
戦争によって文明が一旦滅びた世界で、ロボットたちが社会の支配者層になっているわけだが、元々は人間たちに開発されたにも関わらず、「ロボットは進化によって自然に生じて、そしてロボットが人間たちを作った」というような世界観が一般的になっているという未来。

 ジェイムズ・P・クロウと名乗る主人公は、〈タイム・ウインドウ〉という、別の時間の世界を確認することができる、特殊なテレビみたいな機械を利用して、賢いロボットたちの社会に溶け込み、過去の真実を頼りに、人間の時代を取り戻そうと奮闘する。

 終盤、ロボットの弁明をどのように考えるべきか。
「ロボットは自分で進化をとげた。初期のタイプが単純なのは未発達の段階、原始的な形態だったからで、そこからもっと複雑な形態が創りだされていった。進化の法則でこのプロセスは完全に説明される」
人工知能の基礎 「人工知能の基礎知識」ロボットとの違い。基礎理論。思考プロセスの問題点まで 「ダーウィン進化論」自然淘汰と生物多様性の謎。創造論との矛盾はあるか

世界をわが手に

 短編の中では、特に哲学要素が強い方と思う。
個人的には好きな作品。単純にアイデアが興味深く、色々と考えさせられることが多い。

 現代的に考えるなら、これはシュミレーション仮説がテーマの作品と思う。
「宇宙プログラム説」量子コンピュータのシミュレーションの可能性
 造られた宇宙に生きている者たちにとっては、自分たちが存在している宇宙が確かに世界であるのに、クリエイターたちから見てみると、簡単に壊せるおもちゃのようなものかもしれない。だが、それなら宇宙は、クリエイターの気まぐれ次第で終わりが決まることになってしまう。

全要素を小さくしただけの宇宙

 宇宙が物質的なものでも、あるいは仮に物質だけじゃないとしても、例えば(非物質宇宙の場合は、魂とか非物質的要素も含めた)全ての構成要素が、同じ原理、同じ相対的パターンを保ったままで小さくできるなら、それは単純に宇宙そのものを小さくできるも同然、のはずたろう。
そのようなミニチュア宇宙は、この作品で問いかけられていると思われる「造られた宇宙に生じた生命をどう考えるべきか」というような問題をこえて、いろいろ哲学的な疑問を生じさせるアイデアであろう。例えば真の宇宙が無限だとするなら、それを小さくした時に見られる宇宙は、いったい元の宇宙に比べて”小さい無限”なのだろうか。とか(宇宙の構成要素のある部分に注目すれば、明らかにモデルとなった大きな宇宙の同じ部分よりも小さいと思われるが、宇宙全体を見た時は同じ無限、つまり同じ大きさに見える。そんなことがありうるか)
森の扉 「無限量」無限の大きさの証明、比較、カントールの集合論的方法

人間への進化は偉大な一本道か

 ディックの作品の世界観では、しばしば生物の進化に関して、進歩史観的な印象を受けるが、この作品は典型的と思う。
「進歩史観的な進化論」複雑性、巨大さ、賢さへの道は誤解か
 構成要素全てが小さくされ、球体の中に納められた、『世界球』と呼ばれる小さな宇宙。
「上手くコントロールすれば、惑星上に生命体を出現させ、急速な進化を促し、より高次な段階へと引き上げられる……上手くやれば、現実(マクロ宇宙)の文明と遜色ない段階まで発達した文明社会を個人で所有できる」

 世界球は、単に1つの惑星に人類を呼び出し高度なテクノロジーを持たせるように進化させることができる小世界というだけでなく、作中ではまるで、エンディング(人類のハイテク文明)までの流れが決まっているゲームかのように扱われる。
「原始的な段階までしか無理だった。ジュラ紀後期までだ。哺乳類の段階まで進められない」とか。
恐竜 「恐竜」中生代の大爬虫類の種類、定義の説明。陸上最強、最大の生物。 哺乳類 「哺乳類」分類や定義、それに簡単な考察の為の基礎知識

水蜘蛛計画

 ディックのSFへの愛に溢れた短編と思う。
SF創作が、歴史の様々な出来事と関連付けられてしまった、ようするにSF作家たちが、過去に存在した予知能力者たちというような認識になっている未来世界。
ある問題と関連する、SF小説では描かれていない詳細な答を聞くため、タイムマシンで過去から連れてこられたSF作家。

 予知能力に加えてタイムトラベルものの要素も加わり、よりエンターテイメント的な要素が上がっている感じだが、基本的なテーマとしては『マイノリティリポート』に近いと思う。
例えば、未来を変えようとしても、そのせいで過去も変わってしまい、変えようとした未来そのものもなくなり、つまり変える意味もなくなってしまうのでないか、とか。

安定社会

 徹底的に管理され、自由も変化もないが、とても安定している社会。
そうした安定社会に移行するにあたって重要であったと思われる思想が、”進歩には限界があって、そしてその限界に人類が突き当たってしまった”というようなもの

 自由か平和か、とかでもない。定期的にテストがあって、安定性を崩すかもしれない役立たずは容赦なく消される社会である。
そもそも平和と言うのは難しそうな安定社会なのは、さすがディックの作品と言えるだろうか。

火星潜入

 『世界をわが手に』同様、ある領域の全要素を小さくするテクノロジーというアイデアが出てくるが、これは小さい領域に世界を再現でなく、実際に、”宇宙の一部分を小さくして閉じ込める”というような。

 火星人との戦争の危機に、地球からの潜入者たちの、駆け引きのためのある計画。
火星人は、地球人と起源が異なるのか、火星王朝の歴史の話などが少しあったりするが、この辺りは、SFというより、むしろ異世界ファンタジーなどでありそうな感じか。

追憶売ります

 映画『トータル・リコール』の原作。映画のようにアクション満載ではないし、どの記憶が真実なのかというサスペンス的な部分も薄い。
この原作は、何かかつて大冒険した記憶を心に植え付けてくれるというサービスが存在している未来において、本当に、秘密諜報員として大冒険した過去を持つ(しかしその記憶は消して一般人として暮らしている)人が受けてしまったら。という話。

フヌールとの戦い

 おそらくどこか他の星からの侵略者なのだろう、太陽系の支配を目論んでいるらしい、フヌールなる謎の生物と、人類との戦い。
まだ人間じゃない
 フヌールは、ソーラー銃なる武器などを使い、地球人を攻撃するが、いきなりやってきてそうするとか言うよりは、一旦地球人になりすまして、特定の世界に紛れ込んでから、いきなり本性を表すというような感じと思われる。
ただし、何者に変装しようとも、地球人との重要な違いとされる、その小さな体はどうしようもできないという(身長がどうにもできないというこの弱点から、「どこか間の抜けた生物」とか表現されたりもする)
「宇宙生物が地球に来る目的」いくつかの問題点、ロボットの可能性

最後の支配者

 市民革命が全世界規模で成功した未来とでも考えられるのだろうか。様々な国の政府が、民間の反乱軍に打ち倒された後、人々は平等社会(?)を安定させるためか、テクノロジー的にはある程度、過去に逆戻りしている。
そんな時代で、生き残りの最後のロボットと、秘密の(最後の)管理世界。

 ロボットにせよ、人間にせよ、管理される世界には、管理者と共に終了する運命が必ずある。だが、世界のどこに永遠の基盤があるのか。

干渉する者

 これもまたタイムマシンで、未来を変えようとする場合の問題点についての話。
特にその手の話として、結構ストレートな印象で、”タイムパラドックス”とか、”バタフライエフェクト”といった言葉を、感想に使いやすい作かもしれない。
「未来から何かを取りこめば、おのずから現在に新しい要素が導入される。必然的に未来は変わる。とどまることのない変化がはじまるんだ。未来に探りを入れれば入れるほど、現在にもたらされる新しい要素の数がふえる。来たるべき世紀にとって不安定な状況が生み出されてしまう」
しかし、こういう話で、法律などによって、リスクあるテクノロジーの利用を制限しようという試みと、それが失敗するという描写。法律でも口約束でも、タイムマシンのような、それこそ個人で世界を変えることができるかもしれないような機械が、結構多くの人に使えるようになったら、誰も使わないようにするルールなんて、かなり無理があるだろう。
現実では、そういうふうな取り決めとかは、むしろ競争相手(?)を出し抜くために設定されたりすることが多い印象であるが。

 結果的に破滅をもたらすのが、道具を使う知的な昆虫というところが、個人的には一番興味深い。

運のないゲーム

 ディックお得意のゲームネタだが、出てくるゲーム(?)は、ボードゲームでなくスポーツ系な感じ。
ゲーム中 ゲームとは何か。定義と分類。カイヨワ「遊びと人間」より
 ゲームへの超能力者の利用というアイデアは、長編作の『タイタンのゲームプレイヤー』と同じだが、ガジェットとしての重要性は、こちらはあまり高くないと思う。
それより、ゲームと関連した商品に関する、陰謀的な話がメインぽい。

CM地獄

 太陽系内に宇宙船の交通網が敷かれている世界観で、ネットワークを介した大量のCM(宣伝、広告)に、民間人が苦しめられているという、コメディでありそうな世界観。
ネットワークのイメージ 「ネットワークの仕組みの基礎知識」OSI参照モデル、IPアドレスとは何か
 テクノロジーの恩恵を下げてでもこのCM地獄から逃れるべきか否か。

 宣伝されるサービスに関しては、SF的で、むしろ人によってはそこが見所になるかも。
「安全な惑星間ドライブのための催眠操縦コントロール」とか「体内から発生する悪臭を消すため、無痛法で胃腸を除き、代わりとなる人工消化器系の移植」など。

かけがえのない人造物

 太陽系からも近い、プロキシマ・ケンタウリの星系の知的生物と、地球人の、植民地としての火星を懸けての戦い。の後の時代。
色々な情報が出てくるが、結局勝者はどちらだったのか。というような、ちょっとミステリー的な話。

「ブロクシマ人は生物学的には(地球人と)同じ属に含まれている」として、交配すら可能なようだが、これも、基本的に理想の進歩の道が存在する進化論を想定するべきなのか。それとも1つの共通祖先の可能性を持ち出すべきか。

小さな町

 子供の頃からミニチュアの町に夢中すぎて、ついには、自分の気に入らない要素を、その完全再現だったはずの町において、勝手に変更してしまう男。
ディックとしても、これはファンタジー作として書いたみたいだが、「認識が現実に影響を与えるかもしれない」という疑問は、ディックの他作含む、唯物論的(あるいはサイバーパンク)SFとの関連を感じる。

まだ人間じゃない

 個人的には、「世界をわが手に」と並ぶ、ディック短編の傑作。あちらと同じく哲学的問いかけを強く含む印象であるかその問題自体はあちらと比べてかなり身近なもの。
つまり、”人間はいつの段階から人間なのであるか”。生殖細胞としての構造が発生した時か、分裂により最終的な集合体の各要素が生み出され始めた時か、あるいはどこかで意識を持った時か、論理的思考を得た時か。

 作中では「高等数学を理解できるようになってから」というような、また非常に曖昧な基準が採用されている世界観で、人間でないものは、例えば殺しても大した問題にはならない。
怖さもかなりあると思う。

ウーブ身重く横たわる

 これも個人的に好きな作品。
ウーブ身重く横たわる
大きな豚みたいな宇宙生物ウーブと、それを故郷の星の原住民から買った人と、宇宙船の同僚たち。
心を読み取り、それをある種の鏡的作用、あるいは機械プログラム的に利用しているだけなのか。普通に知的生物なのか。そういうところはなかなか興味深い。
しかしこの話の魅力は、やはり、それをあくまで食用動物として考えたい者、その知的さに動物として考えるのが難しくなってしまった者たち、彼らとウーブのやりとりにあると思う。長編では『フロリクス8から来た友人』に近い作風とも思う。

ルーグ

 人間社会に入り込んだ、あるいは人間には見えないルーグなる生物に気づいたイヌの孤独な戦い。あるいは、あるイヌのちょっとした妄想。どちらとも解釈できるような感じかと思う。
どちらにしても、イヌが人間へと抱いている愛情、という要素は変わらないと思う。

 ディック作品の中では、意外と結構前向きな作なのかもしれない。

変種第二号

 戦争に勝つための兵器として開発された機械が、人間全てを敵とみなして破滅をもたらす。
その機械は人間を見つけだし、人間を殺すために作られたものだが、独自に自分たちを開発し、結果的にはさらに進化して、例えば見かけが完全に人間であるようなスパイ兵器まで作ってしまう。

 機械の進化とも関連付けて考えることができるだろうか。
非常に興味深い要素として、『ルイセンコ学説』、つまりは”遺伝というのはけっこう幻で、生物の進化には環境が非常に重要な役割を占める”というような、極端な環境依存進化説の正しさを証明しているかのような変異体トカゲが出てくる。

報酬

 これも時間操作ネタの話で、ちょっとミステリーよりな作。
記憶を消された主人公が、記憶を消される前の自分が残したいくつかの手がかりを頼りに、結局、前の自分は今の自分に、何をさせようとしていたのか、考える話。

 作中では、タイム・トラベルが不可能だという理論が知られている。しかし別時間を覗き、そして一時的に時空間に穴を開けてか(?)、別の時間の物質を取り去ることができるテクノロジーは可能という世界観。

にせもの

 太陽系外からの侵略者たちに対して、地球の艦隊は全く無力だった。
そこで、最終的には惑星全体を包み込むことになった、”防護(プロテク)バブル”なるものが開発された。

 人類の経験則から言うなら、普通攻める戦いより、守りの戦いの方が簡単だが、戦いの場と場の間のスケールが大きくなりがちなはずの、惑星文明同士の、宇宙での戦いでも同じだろうか。

植民地

 ある惑星を訪れた調査隊の者たちが、そこで危険な宇宙生物と遭遇する話。
その宇宙生物は、生物以外の様々な物質に自在な姿を変えられるというもので、本当に何にでも姿を変えられるという事実が、かなり恐ろしく描かれている。そして取り込んだものを溶かして殺す。
長編「フロリクス8……」のフロリクス生物と似たようなイメージかもしれないが、あちらのように、他の生物に友好的になりうるかは謎。

 序盤、その惑星に対する評価は「楽園」だというもの。
「有害な生命体は、まだなに一つ発見されていない……病原菌もなければ、寄生虫も、鼠も……」
しかしこの環境で、植物はあり、もし人を呼び寄せてしまうと、「よってたかって木を切り倒し、花をむしりとり、湖に唾をはき、草を焼きはらう」かもと心配されたり。
有害な生物というのがいったいどういう基準で決定されるのかはともかく、地球で見られるような植物が普通にあるくらいに地球みたいな星で、しかし人間にとって危険になりうる細胞生物が全然見つからないというのは、逆に奇妙な状況でないだろうか。

消耗員

 よくわからないが、巨大な昆虫たちと人間か、あるいは小さな人間と昆虫たちの話。
興味深い過去の世界観として、アリ(蟻)たちがうまく運営していた地球に、後からやってきた人間たちが侵略戦争を仕掛けた結果、結局双方が野蛮状態に戻ってしまった。というような話とが出てくる。

パーキー・パットの日々

 これも世界観がとても興味深い。

 ずいぶん荒廃してしまった地球。
おそらく月面基地か、火星の慈悲深き誰かが、空を旋回するケア・ボーイと呼ばれる機械を、時々送ってきてくれる。ケア・ボーイは生きるための糧となる物資を地上に落としてくれる。
地球の大人たちは、かつての地球世界の都市の光景を覚えていて、ケアボーイが送ってくるいくらかの物資を利用し、再現模型を造り、その出来を競い合うゲームに夢中。
そして子供達は元気に、狩猟民族みたいな暮らし。

黄昏の朝食

 これも時間を移動する話だが、タイムマシンではなく、予期していなかった現象としてのタイムトラベル。
たった7年後に飛んだが、7年後の世界は、現在の世界から全く変わってしまっていた。子供たちに殺人の方法を教え込むのが普通になっている戦争ばかりの世界。
実際にそれを確認した者以外、少し前の平和だった時代では、誰も信じてくれないような。

フォスター、おまえ、死んでるところだぞ

 よくわからない話だが、近未来の戦争による人類の荒廃可能性が描かれているとも言えるか。
「本来われわれはひとつの国、まとまった国家であるべきなんだ。一億七千万の国民が一丸となって自分自身を守るべきなんだよ。ところがだ、われわれは無数のばらばらな小さな町、小さな城砦になっている。ずるずるといつの間にか〈中世〉に戻ってしまっているんだ」

 また、いざという時の避難シェルターについての描写も、ちょっと興味深いかもしれない。

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