ハインリヒ・コルネリウス。ケルン大学にて
ネテスハイムは家か、ケルンの創設者か
ハインリヒ・コルネリウス・アグリッパ (1486〜1535) は、ドイツのケルンか、あるいはその付近の地域の出身だとされている。
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彼自身は、フォン・ネテスハイムと自称していたようだが、この名の意味には諸説ある。
一般的には、彼はネテスハイム家という貴族の家の子。
あるいは、ネテスハイムは、故郷ケルンの創設者の名であり、そこから借用したものとされる。
ただ、彼が貴族であったかはともかく、彼の両親が経済的に恵まれていたのは確かなようで、アグリッパは、1388年設立のケルン大学で、教育を受けることができた。
プラトン主義の影響。カバラへの興味
アグリッパは、プラトンに始まる哲学体系を好み、プロティノス、ポルピュリオス、プロクロスなどのプラトン派学者についても、良く学んだ。
特に5世紀の人であり、エウクレイデスの原論を説明した著作などがあるプロクロスには、大きな影響を受けたとされる。
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プロクロスは、「人間の意識は、ある種の神がかり的な精神状態にある時に、あらゆる物事の中核にある1なるものの中へと飛躍し、ひとつとなれる」と主張していて、アグリッパは、カバラの教義の中に、似た思想を見出していたのだという。
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スペイン貴族との出会い
アグリッパは十代の頃から語学が達者で、好奇心旺盛な読書家であった。
この世に生を受けるほんの30年ほど前(1445年頃)に、ヨーロッパにおいて、ヨハネス・グーテンベルクが活版印刷術を発明したのは、幸運と言えたろう。
若くして、ローマとドイツの王マクシミリアン一世の宮廷にて、書紀として雇われた彼は、20歳くらいの時に、密偵としてパリに派遣された。
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そして、そこで、マクシミリアンに会いに行く途上であったらしいヘロナというスペインの貴族と出会う。
塔での籠城戦
ヘロナはカタロニアに領地を持っていたが、小作農達の反乱に見舞われ、逃げていた。
アグリッパは彼を助けてやる事にしたのだという。
アグリッパは知略を巡らし、奪われていた砦を見事取り戻したが、これが火に油を注ぐ結果となり、小作農達は反乱の勢いを大きく強めた。
アグリッパは冷静に、より防衛がしやすいと考えた、半ば廃墟と化していた塔に移動。
その塔は、澱んだ沼地に囲まれ、そこに行き着くためには山か、狭い谷道を通らねばならず、確かに籠城戦にもってこいであった。
アグリッパは、ひっくり返した馬車で、谷道を防ぐなどして、反乱者達を塔に寄せつけない。
反乱者達は、業を煮やしたが、どうにもならない。
そこで彼らは、力任せをやめて、兵糧攻め作戦に打って出る。
そうしてから2ヶ月が経った。
僧院への使者。病人作戦
籠城を続けるアグリッパは、塔の山側の向こうの「黒い湖」の先に、僧院があり、求めさえすれば、助けになってくれるだろう、という情報を得ていた。
しかし、湖を渡るには船がなく、僧院に誰かが行くには、どうしても反乱者達の中を突っ切って行く必要がある。
そこでアグリッパは、ひとりの若者に、ひどい重病人の装いをさせた。
薬草の液でその肌を汚し、不気味な斑点を塗りたくったのである。
そして夜。
手紙を仕込ませた杖を持たせ、僧院までの道を知っているという彼の父と共に、アグリッパは若者を塔から出発させた。
もちろん、なるべく塔とは別の方向からやって来たかのように、回り道もさせた。
悲劇の魔術師としての運命
アグリッパの思惑通り、よだれを垂らしながら苦しそうに吃る若者と、彼を連れた父に、反乱者達は自ら道を譲った。
僧院からの返事を持って帰る時も、まったく同じようにして、彼らは見事、反乱者達をすり抜ける。
それから、アグリッパ一行は、僧院から派遣されてきた船により、危機を脱したのであった。
しかし、アグリッパは助かったが、勝利による結末ではなかった。
結局ヘロナは、反乱者達に捕らえられ、処刑されてしまったのである。
アグリッパは不幸な星の下に生まれてしまった悲劇の魔術師とも言われる。
彼の人生において、ヘロナとの話のような、まさにどうしようもないような不運な敗北は、しばしば起こったとされているのだ。
失恋とオカルト哲学論
魔術師らしく様々な地域を放浪していたというアグリッパは、フランスのドルの大学にて、ヘブライ学者であり、カバリストであったともされるヨハネス・ロイヒリン(1455〜1522)の体系について講義をし、多くの信奉者を得たとされる。
ドルで彼は、恋に落ちた。
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相手はマクシミリアンの娘マルガレーテであったとされる。
しかし、カバラに興味を持っていたがゆえに、彼の敵になっていた、あるフランシスコ会の修道僧が、よりによってマルガレーテが出席している時に、説教壇から、アグリッパを非難した。
結局マルガレーテとは、失恋に終わったのだという。
その後、イギリスへと渡った彼は、まだ20代の半ばくらい。
彼の最も有名な著作である、全3巻から成る『オカルト哲学論』は、この時期、あるいはこの時期までに書かれたとされている。
その書において、アグリッパは、「魔術は悪魔とは無関係」、「それは、予言や投手などのオカルト能力である」と、自身の魔術に関する見解を述べているという。
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不幸続きの生涯
しかし、とにかく彼の人生は不幸続きだったとされている。
彼は年をとるにつれて、どちらかと言うと魔術よりも神学に傾いてきていたとされ、オカルトに関連する本も、あえてあまり出版しなかったのに、 それでも彼を魔術師だとする聖職者達は多く、彼は大いに迫害された。
また彼は、どのような仕事においても、給料を踏み倒されることが多く、金にも苦労するようになっていった。
恋愛もそう。
彼は、生涯に三回、結婚したとされているが、一人目と二人目の妻には先立たれ、三人目は、結婚後にとんでもない悪女であることが判明し、彼の精神を大きく傷つけたとされている。
魔術師アグリッパの伝説
貝殻の金貨。愛犬の霊
ある時、アグリッパは、宿屋での支払いを金貨ですませたが、宿屋の主人が後で確認すると、金貨はただの貝殻であったという。
彼はまた、トゥリーという黒い犬を可愛がっていたが、ある日、あまりにも悪魔と関わりの強くなってしまった自分の側にいる、犬を案じて、「去れ」と命じた。
トゥリーは素直に従い、家を飛び出して行って、そのままセーヌ川に身を投げた。
それから後のある時。
彼は、皇帝の前で、トゥリーの霊を呼び出し、演説させ、聴衆はみな涙を流したという。
さまよえるユダヤ人のお願い
最後の審判の日、つまり人類滅亡の日までの、永遠を放浪し続ける運命を背負ったユダヤ人がいる。
彼は、十字架を背負い、刑場へ向かうイエスをあざ笑い、「とっとと行け」と言ったのだが、イエスは「私は行くが、お前は私が帰って来るまで待ってなければならない」と返された。
そうして、終焉までの永遠を生きている『さまよえるユダヤ人』に、アグリッパが出会っているという伝説がある。
「キリスト教」聖書に加えられた新たな福音、新たな約束
ある時、フィレンツェに用意した錬金術研究室にいたアグリッパの前に、ユダヤ人は現れたのだという。
さまよえるユダヤ人は、アグリッパに、自分の少年時代の恋人を鏡に映しだしてくれ、と頼んできた。
アグリッパは、了承し、その懐かしの娘を鏡に映してやった。
だが、ユダヤ人が、強く禁じられていたにも関わらず、娘に話しかけようとしたために、たちまち鏡は曇り、ユダヤ人は気絶した。
再び目覚めた彼は、自分が「さまよえるユダヤ人」だと自ら明かしてきたのだという。
学生と悪魔
学生が勝手に呼び出した悪魔に命を奪われた話は、彼の逸話の中でも、おそらく最も有名なものであろう。
アグリッパの留守中、同じ家に下宿していた学生が、こっそり彼の仕事場に入ってきた。
そこで学生は、怪しげな1冊の本を目に止め、読み始める。
しかしそうこうしてるうちに。いつのまにか、学生の目の前に恐ろしい風貌の悪魔が現れていた。
「なぜ俺を呼び出した?」という悪魔の問いに、学生は恐怖に震えるばかりで、何も答えられない。
そして、痺れを切らした悪魔は、学生を絞め殺してしまう。
驚いたのは、帰宅したら学生の遺体が仕事場にあったアグリッパである。
このままでは、自分に疑いがかかってしまうと恐れた彼は、すぐさま再び悪魔を呼び出し、事情を聞いた。
そして、アグリッパは悪魔に、「死んだ学生を短期間だけ生き返らせてくれ」と頼んだ。
悪魔は了承し、わずかな間だけ復活した学生は、適当に外をふらつき歩いた後に、心臓麻痺で再び死んだ。
しかし、結局、学生の首に、締め跡が見つかったせいで、アグリッパは、滞在していた町を去る事になったのだという。